「
「なゆせんせー」と呼ばれる彼女を見つめ、ぼくは言った。
殺せんせーは月が壊される前にぼくと会った時、声から若いことを推測した。それにも関わらず、ぼくが「先生」呼びをしてしまったから、きっとぼくを弟子だと誤解したのだろう。しかし、死神の弟子は男だったはず。声で年齢を判断した殺せんせーが男が真似した女声に気づかなかったとは思えない。
殺せんせーを騙せるほど弟子の技術が高かったのか。
弟子がそもそも女だったとは考えられないか。
思考が飛躍していることは分かっていた。でも、先生はぼくが性別のことを言いかけた時に動揺した。
意識の波長は嘘をつけない。
「それが今、聞きたいこと?」
違う。用意していたのは違う質問だった。気になって思わず口にしてしまっただけだ。でも、今の反応で確信を持った。
この人は女の人だ。だから殺せんせーはぼくと自分の弟子を混同して間違えた。殺しに来るよう書いた手紙も、多分弟子に宛てたつもりだった。
死神二代目は女の人だったんだ。
心臓が鳴り止まないのを聞かないようにしながら、ゆっくりと本命の質問を投げかける。
「みんなの記憶を消したのって先生ですか?」
「そうだよ」
彼女はことも無げに言う。
「何で?」
「律と渚が動きやすくするため。律が犯人と知られていても、渚が疑われていても、計画は上手くいかない。だから律に記憶を消すよう命令した」
南の島でも、殺し屋たちはエンジェルの記憶を無くしていた。だから、律はまたそれと同じことをしたのだろう。
まったく。この人も、学秀も律も、よく簡単に人の記憶を消せるなあ。
「イトナ君にだけ、律と会わせることはできませんか。イトナ君は律が偽者だと気づいていると思うんです。上手く行けば、律に会わせることを条件に仲間にできるかもしれません」
「無理じゃないかな。僕以外が会うと、彼女は逃げようとするだろうからね。というか、渚はいいの?」
「何がですか?」
「君のことを怪しいって最初に言い出して、みんなを誘導したのは誰だと思ってる?」
「え……?」
そう言われてもぼくは誰がぼくのことを怪しいと言い始めたのか見当もつかなかった。教室にいなかったのだから当たり前だ。
「エンジェルの声が渚の声だったと言い始めたのはイトナだよ」
そっか。イトナ君は律の協力者だったんだ。
沖縄でも、2人は一緒に行動していた。それじゃあ、イトナ君は最初から律の正体を知っていた?
「……イトナ君に話を聞いてみます」
「そうだね。彼の記憶はそのままだから、一度話してみるといい。僕はイリーナ先生を精神的に傷つけてから、こちら側に寝返らせるよ」
烏間先生を狙うフリをしているのはそれが理由か。1周目の時、ビッチ先生が死神に協力したのも、失恋が理由だったっけ。ビッチ先生はああ見えて精神的に脆いところがあるから、きっと死神の計画は成功するだろう。
「はい、先生。ぼくもできる限り手伝います」
「それじゃあ計画はまた後で伝える。あ、念の為これをスマホに付けてくれるかな?」
椚ヶ丘のマスコットキャラ、くぬどんの小さなキーホルダーを渡されて首を傾げる。意図が全く分からない。
「キーホルダー……? 何ですか、これ」
「盗聴器。君が得た情報を僕に渡す手間が省ける。そっちの方が僕も動きやすいしね」
盗聴器……って、本人に伝えたら盗聴器って言えるのだろうか。教室に盗聴器やカメラを仕掛けるのは、あの殺せんせーの前ではおすすめできないし、生徒に仕掛けるのは良い考えだ。
仕掛けるのはそれだけじゃないだろうけど。
「ちなみに、無くしたり外したり裏切ったりしたらすぐに殺すから。誰かに話したら、その相手を殺すからね」
旧校舎の方へ彼女が去るのを確認して、しゃがみこんでため息を吐く。
うわー……性別のことは言うべきじゃなかったなあ。そのせいで、警戒が強まった。しかも、盗聴器を直接渡すって。ぼくのことを全く信用していないのを隠す気もない。裏切る気満々だったから間違ってない対応だけど。
ひょっとしたら、律からぼくがイトナをE組に来るようクラス全員で仕組んでシロを嵌めたことを聞いたのかもしれない。
さて、どうしようか。
スマホのL1NEを開いて、学秀に今日の放課後に会う予定だったのをキャンセルすると連絡する。スマホの画面にぴょこんと律が現れた。顔にhackedの文字が貼り付いている。
「モバイル律です。死神さんに監視を頼まれました」
「やっぱり」
そうなると思った。死神は思った以上に用心深い性格をしているようだ。
盗聴器なんて、ただの保険。本命はスマホを行き交いできるhackedモバイル律だ。生徒のスマホ情報のみならず、教師のスマホにさえ侵入できる。烏間先生が防衛省から受け取る情報、彼のスケジュール全てが筒抜けになる可能性もある。
幸い、L1NEで大した会話はしてないので問題はない。連絡手段が消えるのはでかいけど。
それに、考え方を変えると、モバイル律はこちらが裏切らなければ協力者だ。情報収集が容易になるだろう。
「律、イトナ君のところに案内して」
「イトナ君のスマホの位置を伝えます」
モバイル律の誘導通りに歩いていくと、上から人の気配を感じた。イトナ君は高い木の上でうたた寝をしているようだった。
「イトナ君。こんなところにいたんだね」
「…………何か用か?」
木の上で寝ていたイトナ君は目を閉じたまま返事をする。こうしていると、2周目で初めてイトナ君に会ったことを思い出す。あの頃が本当に懐かしい。
ぼくは声を低くして用件を口にする。
「律のことについて」
イトナ君が目を見開いて、起き上がって木の枝に座り直す。
「全部知ってたんだね。律がエンジェルって名乗って鷹岡先生を助けたのも、防衛省の上層部を殺したのも。ぼくを貶めて、E組から追い出そうとしていたのも」
イトナ君は何も言わない。ぼくは声を荒げる。
「どうして! 何でイトナ君まで」
「お前こそ、律をどうした。殺したのか?」
「それは……」
「人殺し」
そんな言葉をイトナ君から言われるとは思ってもみなくて、ぼくは声を失った。
そうだよ。律は生きているんだ。イトナ君にとっては律は生身の人間と同じで、存在を消してしまえばそれは死んだのと同じ。彼はぼくを決して許さないだろう。
イトナ君に伝えられるわけがない。ぼくがやっていることは、監禁と同じだ。外部からの接触を絶って、律を電波の圏外に閉じ込める。彼にとっては許しがたい行為だろう。
なんて恐ろしいことをしてしまったんだと後悔する。
ぼくは律をどこか人間より軽く見ていた。彼女だって生きているのに。
「……律は生きてるよ」
「そうだよな」
「ねえ、イトナ君。何で律の手助けをしたの?」
「みんなを救うためだ」
「みんなを救うことの意味ぐらい分かってるよ。殺せんせーが死ななければ、ぼくたちE組にとってこれ以上嬉しいことはないよ。でも、律のやり方は……「ちょっと待て」」
イトナ君はぼくの発言を遮った。
「え?」
「殺せんせーが死んで、何が起こったのか渚は知らないのか?」
イトナ君の言い方にどきりとした。彼はぼくが2周目だと律から聞いているのだろう。
「ごめん、よく覚えてなくて」
「死ぬ」
「……え」
あまりに簡潔で直接的な言い回しに思わず声が漏れた。
「卒業式で爆発テロに巻き込まれてみんな死ぬ」
「何、言ってるの」
そんなこと起きなかった。死んだのはぼく1人だったはずだ。
「誰が爆発テロなんて」
「殺し屋か、政府か、E組の誰かか。それは分からない。でも、殺せんせーがいたら確実にみんな助かる。そうじゃなくても、俺と律は殺せんせーを生かすつもりだ」
紛れ込んだ一滴の嘘を無視して、ぼくはイトナ君をまっすぐ見つめる。律を強く信じている顔だ。決意は固い。
だめだ、考えが甘かった。イトナ君に律の居場所は教えられない。律は殺せんせーを生かすために何だってするだろうから、イトナ君を巻き込むのも躊躇しないだろう。イトナ君が利用されたら、ぼくの計画は台無しになる。
「それで、律はどこにいる?」
「ぼくは知らないんだ。ごめんね」
ぼくは申し訳なさそうに微笑んだ。
*
教室に入って早々、ぼくは教室全体を視線で確認する。律はまだ戻ってきておらず、教室の端には大きな空間がぽっかりと空いていた。
「陽菜乃、今日のビッチ先生のテクニック講座行けなくなった」
「りょーかい! ビッチ先生に言っとくね」
近くにいた陽菜乃に伝えると、すぐに返事が返ってきた。不破さんが話を聞いていたのか、何故かビックリしている。
「えっ?!」
「不破さんどうしたの?!」
「陽菜乃ちゃんに先越された~!」
「え? 何が……」
あ、名前呼びか。
「優月であってるかな?」
「あってる」
不破さんの泣き真似に圧されて名前呼びをすると、彼女の表情が笑顔になった。噂を聞きつけて、中村さんがやってくる。
「私のことも莉桜って呼んで~」
中村さんも?
「別に、凛香って呼んでくれてもいいんだからね!」
典型的なツンデレのデレを見た。しかし、速水さんまでそんなことを言うとは思わなかった。
もしかして、女子って名前呼びが当たり前だった? A組でも名前呼びだったし、いっその事、女子全員名前で呼んでもいいかもしれない。
「不穏ね、朝から渚囲んで。集団リンチか何か?」
狭間さんが眉をしかめてこちらに向かって歩いてきた。珍しく、棒付きキャンディを舐めている。きっと、心配して来てくれたのだろう。
「あ、はざ……」
狭間さんの下の名前って何だっけ。
「おはよう、綺羅々」
ぼくはにっこりと微笑んで挨拶をする。キャンディをバキバキに噛み砕いた音がした。
狭間さんがイラッとした目でぼくを睨み、急に両方の頬をぐいっと横に引っ張られる。
「だーれーがーきーらーらよ!」
「ごめん狭間さん」
どうやら名前呼びがだめな人もいたようだ。やっぱり個々に確認して、名前で呼んでいいか聞いてからにしよう。
「綺羅々なんて名前、恥ずかしいったらありゃしない」
「ああそうだよな、狭間。よく分かるよその気持ち」
何故か後ろで木村君が何度も頷いている。木村君と狭間さんは普段話しているところを見たことがないのに、何故かすっかり意気投合していた。横のカエデには意味が分からないようで、普段見ない組み合わせに不思議そうだ。
「昨日は病院で色んな人にじろじろ見られて恥ずかしかったぜ。看護師にもかわいそうなものを見る目付きでジャスティスさんって言われた」
「ジャスティスって? あ、正義だからか! でも看護師さんにあだ名で呼ばれているの?」
何も知らないカエデが無垢な問いかけをする。木村君の目が虚ろになり、自嘲するように遠くを眺める。そんな彼の代わりに、ぼくがこっそりとカエデに耳打ちする。
「……カエデ、木村君の下の名前は正義って書いてジャスティスだよ」
「ええ!
カエデが驚いて大きな声で言い、周りがこちらに注目し始めた。
「みんな武士の情けでまさよしって呼んでくれてるんだよ」
「入学式の時は驚いたなあ。呼ぶ側も一瞬戸惑ってたよな」
インパクトのある出来事だったため、覚えている生徒も多かったようだ。木村君がしばらく名前でいびられていたのを知っている。
「うちの親、警察官でさ……正義感からつけた名前だから口も出しにくくてよ。親のつけた名前に文句言うなって言われるし」
「そうそう。この顔で綺羅羅ってうちの母親もどうにかしてるわよ」
2人が大きくため息をつく。寺坂君は大真面目な顔で狭間さんの肩を叩いて言った。
「狭間はかわいいだろ」
「何よ急に。気持ち悪い」
寺坂君がさらっと爆弾を飛ばしてきて周りが被弾しないように避ける。爆弾が投げ飛ばされた当の本人が全く状況を理解できていないのが不憫だ。いやまさかあの寺坂君が本気で言ってるとは思わないか。
「どうしたの、寺坂君」
陽菜乃が小声で呟くと、原さんがニヤリと反応した。
「狭間さんが入院して休んでいた間にありがたみに気づいたんじゃない?」
「へぇ〜、寺坂君が狭間さんをね〜」
中村さんが面白い話を聞いたとばかりにニヤニヤしている。
どうやら狭間さんが休んだという記憶は皆の中で残っているようだった。その詳細までは覚えていないようだが、狭間さんがしばらく休んでいて寺坂君も思うところがあったのだろう。
ぼくは寺坂君の意外な一面に応援したくなった。
「みんなヘンテコな名前付けられて大変だね~」
カルマ君がニヤニヤしながら寺坂君を小突く。応援しようと思った矢先に妨害しそうな敵がいた。
あ、これ絶対気づいた。くっつかなくてもくっついても弄り倒すパターンだ!
「カルマもほどほどにしとけよ」
「ハイハイ」
磯貝君が軽く牽制する。彼がちらっと片岡さんを見たのをぼくは見逃さなかった。
「名前については先生も不満があります」
「殺せんせーは気にいってんじゃん。何が不満なの?」
杉野君が無理やり話に首を突っ込んできた殺せんせーに呆れながら言った。"殺せんせー"はカエデが付けた名前で、殺せんせーはその名前が生まれた時からの名前のように振舞っているところがある。そこまで気に入っているとなると、不満は別のところにあるようで。
「約3名ほど……その名前で呼んでくれない人がいるんです」
今まで会話に参加していなかった烏間先生とビッチ先生がギクリとして目を逸らす。名雪先生は困ったような笑顔を浮かべた。
「あー……確かに」
「言われてみればそうかも。なゆせんせーも?」
「烏間先生も呼んでいなかったですし、先生と呼ぶ方が丁寧かなと思ってました。大人が呼ぶのは少し勇気がいりますよね」
名雪先生が言い訳をする。大人にとって"殺せんせー"は子供っぽい呼び方のようだ。
「名雪先生はまだ先生と呼んでくれるので良い方ですよ。烏間先生なんて「おい」とか「お前」とか……熟年夫婦じゃないんですから」
「じゃあさ、今日はみんなコードネームで呼び合うのはどう?」
矢田さんが提案する。その言葉でぼくは1周目でコードネームを付けられた時のことを思い出して渋い顔になる。
「コードネーム?」
磯貝君が聞き返し、矢田さんが頷いた。
「そう! みんなの名前をもう一つ新しく作るの。南の島で殺し屋さんたちが呼びあってたみたいなの、かっこいいと思わない?」
やめとこうと何度でも言いたい。矢田さんは自分がどんなコードネームになるのか知らないのだ。彼女のコードネームは強烈だったので深く印象に残っている。
ポニーテールと乳。
それが彼女に付けられたコードネームだった。命名者の岡島君をセクハラで訴えても良かったかもしれない。
「ではこうしましょう。皆さんには全員分のコードネーム候補を書いてもらって、その中から先生が無作為に引いたものが皆さんの今日のコードネームです」
ぼくたちは配られた紙にコードネームを書いていく。仲の良い人たちのコードネームはすぐに思いつくのだが、全員分となると大変だ。
カエデの番になって、ぼくはシャーペンの動きを一瞬止め、名雪先生を見やる。殺せんせーと談笑しているようだ。意識の波長はそちらに向けられていて、ぼくは意識の外にいる。シャーペンを再度動かし、サラサラと書いていく。
名雪先生 盗聴注意 スマホ危険
「これ全員分書くの難しいね」
ぼくはカエデに小声で言い、紙を滑らせるように彼女の机の上に置いた。カエデは紙をチラリと見て、すぐに紙をポケットに入れる。
「ほんとだよ〜。何書けばいいか悩む」
カエデは意識の波長に少しも動揺を含ませずに、ぼくに返事をした。キィーッと突然耳障りな音が後ろから聞こえてきて、周りが反射的に振り返る。
「あーごめん。椅子引いたら変な音でた」
カルマ君が気だるげに周りに謝る。彼の目がこちらを向いているのをぼくは気づいたが、知らないふりをしてシャーペンを動かした。
コードネームが決まり、各自持ち場につこうとしていると、カルマ君がぼくに近づいてきた。
「ねーねー、殺戮の天使、ちょっと向こう行ってサボらない?」
ぼくにつけられたコードネームを呼びながら、カルマ君が言った。
「面白がってるなぁ。中二半のくせに」
「いいじゃん2人とも。私なんか永遠の0だよ?」
カエデが怒りを滲ませた声で言った。たしかにそれはひどい。
「「ごめん」」
「それで? さっきこそこそ2人で何話してたの?」
カルマくんが小さい声で僕に尋ねた。ぼくは周囲を見渡し、誰も聞いていないか、監視カメラがないか確認する。
「ちょっと相談なんだけどさ」
ぼくがポケットから紙を取り出すと、2人は怪訝な顔をした。2人にその紙を見せる。
"婚活女子は殺し屋だ。スマホで監視している"
2人の顔色が変わった。警戒したようにスマホを見つめている。
「学秀のコードネーム、何がいいと思う?」
盗聴器用のダミーの会話を用意すると、演技が得意なカエデの反応は早かった。
「そういうのは不破さんが得意そうだよね」
「これは?」
カルマ君がメモ帳の端に「みんなにバラす?」と書き込んだ。
「やめた方がいいよ絶対。怒られそう。それより、こっちは?」
僕はメモに「向こうに油断させたい」と書いた。
「ありあり」
「じゃあ、学秀君のコードネームは『新世界の神になる』ってことで」
カルマ君のアドリブにぼくたちは思わず吹き出した。
「浅野君に言ってみたら?」
カエデが学秀への相談をおすすめしてきた。思い返してみれば、彼がE組にいたときはこういう対策を一緒に考えていた。
以前はこういうときに手助けしてもらっていたとはいえ、学秀にも思うところはある。しかし、イトナ君の話が本当だとしたら、色々な前提が変わってくる。学秀がどこまで知っているのか、聞く価値はありそうだ。
「考えてみるよ」
いい加減、意地を張るのは終わりにしないと。
原作からの変更点
・寺坂君に恋の予感
・渚のコードネームが「性別」から「殺戮の天使」に
・なゆせんせーのコードネーム
・ついでに考案される浅野君のコードネーム
GW終わりの深夜に失礼しました。久しぶりに暗殺教室を読み返したテンションで書いたので、ところどころ変なところがあるかもしれません。