クラップスタナーは2度鳴る。   作:パラプリュイ

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選択のはなし。

 

「体育祭の棒倒し⁈」

 

 教室の空気が一瞬で変わった。

 ついさっきまでいつものように雑談めいた空気だったのに、その単語が出た瞬間、教室のあちこちから椅子の軋む音と驚きの声が上がる。

 

「浅野君、なに企んでるんだろう」

 

「大変ですね……私に何かできることがあれば、いつでも手助けしますよ」

 

「なゆせんせーは浅野と全然会ってないじゃん」

 

「会ってないですけど、A組の生徒会長ですよね? 運動なんて全然してないガリ勉君なんじゃないんですか?」

 

「E組にいた頃の対人戦闘成績一位だぞ」

 

「たぶんE組の誰と戦っても勝つだろーね」

 

「浅野には勝てる気がしねーよ」

 

 そう口々に言い合うみんなの声を聞きながら、ぼくはなんとなく胸の奥がざわつくのを感じていた。

 学秀はただ勝ちたいだけじゃない。たぶん、そんな単純な話じゃない。

 

「渚ちゃんが悠馬のことかっこいいとか言うからさー」

 

 前原君が軽い調子で言った瞬間、教室の空気が今度は別の意味で弾けた。

 

「なになに、そういうことなの?」

 

「嫉妬じゃん!」

 

「「「なーーんだ」」」

 

 みんなが一斉に声を揃えて、勝手に納得したように笑う。

 その空気に紛れて、ぼくも曖昧に笑いそうになった。だけど、違う。そんな分かりやすい理由じゃないことを、ぼくは知っている。

 学秀はきっと、ぼくに怒っている。

 A組に戻したのに。

 A組の人間として扱っているのに。

 それなのにぼくが、いまだにE組の人間みたいな顔をしているから。

 A組の一員でありながら、A組のために動こうとしないから。

 

「そういうことだから、浅野君にはギャフンと言わせないとね」

 

「なんで茅野が気合い入れてんの」

 

「だって敵だもん」

 

 カエデはにっこり笑いながら、手の中で対触手ナイフをくるりと回した。

 その仕草は軽やかなのに、目だけは笑っていない。冗談みたいな口調なのに、そこにあるのは本物の殺意だった。

 ……でも、カエデは今回、棒倒しには出られないはずだ。

 そう思ったのに、その違和感がなぜかうまく形にならなかった。

 心のどこかが、別のことに気を取られていたのかもしれない。

 

「それで、渚ちゃんはどっち側につくの?」

 

「カルマ君」

 

「誰が聞くのかなーと思ったら、だーれも聞かないから俺が聞いた」

 

 あっけらかんとした声。

 でも、その問いだけは妙に鋭く、逃げ場がなかった。

 教室が一瞬だけ静かになる。

 みんな、冗談めかして笑っていても、そこだけはちゃんと気にしている。

 ぼくは視線を落とした。

 

「ごめん……ちょっと考えさせて」

 

 そう言うのが精一杯だった。

 

 

 

 

 今日の夕食は先生が作ったトマトソースのパスタだった。

 湯気の向こうに鮮やかな赤が見える。にんにくとオリーブオイルの香りに、じっくり煮詰めたトマトの甘酸っぱさが混ざって食欲を刺激する。

 この前はぼくの作った料理を褒めてくれたけれど、先生の作ったパスタは、今まで食べてきたトマトソースパスタの中でも明らかに格が違った。

 味が濃いわけでも、派手なわけでもない。なのに一口ごとに完成されていると分かる。料理まで隙がないんだな、と妙なところで感心してしまう。

 

「……美味しいです。ありがとうございます、先生」

 

 そう言うと、先生は「どういたしまして」とだけ返した。

 それからフォークを持ったまま、じっとぼくを見る。

 その視線は穏やかなのに、どこか試すようだった。

 逃げるな、と言われている気がした。

 

「それで、悩んでるんでしょ。どっちにつくか」

 

「……はい」

 

 ぼくはうつむいた。

 パスタの赤が、やけに鮮やかに見える。

 

 A組とE組。

 体育祭。棒倒し。

 浅野くんと磯貝くん。

 五英傑と、E組のみんな。

 どちらも大切だ。

 どちらかを選ぶということは、どちらかを切り捨てることに思えて、喉の奥がひどく苦くなる。

 

「A組の人たちには、ほんとによくしてもらっているんです。午後からしか登校できないのに、普通に受け入れてくれて……学秀にも感謝しています。E組で暗殺を続けられる絶妙なポジションをくれました」

 

「うん」

 

「でも、E組は――もともといた場所だし、殺せんせーやみんながいたから、ぼくはここまで来られたんだって思ってて……だから、どっちも裏切りたくないです」

 

 先生は何も言わずに聞いていた。

 急かさず、否定せず、ただ続きを待つ。

 その沈黙に促されるように、ぼくは言葉を継いだ。

 

「そもそもぼくは女子だから出場しないし、できれば……A組にいながらE組を守る、みたいな立場でいたいなって。A組の一員として勝つことを目指しながら、どうにか磯貝君が退学にならないように――」

 

 そのときだった。

 彼女はフォークをそっと皿に置いた。

 カチン。

 小さな音なのに、ひどく鋭く響いた。

 思わず肩が跳ねる。

 

「渚」

 

「……え?」

 

「八方美人は誰も救えないよ」

 

 その言葉は正面からぼくの胸を刺した。

 痛いくらいまっすぐで、言い返す余地がなかった。

 

「どっちつかずのやつってのはね、周りを守ろうとしてるつもりで、結局どっちも裏切るんだ。本人が一番そのつもりがなくても、ね」

 

 ぼくは息を呑んだ。

 反論したかった。でも、できなかった。

 それがまるで、自分の見たくない部分を見せつけられたみたいだったから。

 

「そういう曖昧な立場でいられるのは、平和なときだけだよ。戦いの場では、立ち位置は問われる。味方か、敵か。背中を預けられるか、突き刺してくるか。それを見極めるのに、曖昧さは一番邪魔になる」

 

 彼女の目はまっすぐだった。

 いつもの飄々とした雰囲気はそこにはなくて、暗い夜道を迷いなく歩いていく人の目をしていた。

 

「ぼくは……」

 

「君は殺し屋に向いているよ。素質が高い。ただ、君は平和主義すぎる。こんな平和な国で生きてきたのなら無理もないけど、このままじゃ誰も殺せないし、誰も守れない」

 

 誰も殺せない。

 誰も守れない。

 その二つの言葉が、胸の中で何度も反響した。

 

 ぼくは自分の胸に手を当てる。

 心臓の音がうるさいくらい速い。

 その通りだった。

 ぼくはいつだって、全員にいい顔をしていた気がする。

 

 誰の顔色も損ねたくない。学秀にも、磯貝君にも、E組のみんなにも嘘をつきたくない。

 でも、そんなふうに全部を守れるほど、ぼくは強くも器用でもなかった。

 中途半端な優しさは、結局ただの逃げだ。

 

 だから。

 

「……ぼくはA組を選ぶ」

 

 その言葉を口にした瞬間、不思議なくらい肩の力が抜けた。

 怖いはずなのに、息がしやすくなった。

 もう迷っているふりをしなくていい。

 

 そう思った。

 

「……後悔するかもね」

 

 先生はふっと笑って、またフォークを手に取った。

 

「でも、いいよ。その覚悟があるなら」

 

 トマトソースの残りをすくいながら、彼女はいたずらっぽく目を細める。

 ――ぼくはA組の一員として、体育祭に出る。

 それが、いま自分で選んだ答えだ。

 

 

 

 

 磯貝君にチャットで何度も謝って、ぼくはA組につくことにした。

 短い文面を何度も打ち直して、結局うまく気持ちは伝えきれなかった気がする。それでも送るしかなかった。

 その直後、学秀は待っていたみたいにぼくへ視線を向けた。

 

「渚、念のため、一周目でどう戦い、どう勝敗がついたのか聞いてもいいか?」

 

「ぼくの知っている世界と、全く同じに進むとは限らないよ」

 

「もちろん。だが、ある程度の傾向は掴めるだろう」

 

 ぼくは覚えている限り、一周目の作戦内容と結果を説明した。

 

 誰がどこを担当して、どこで流れが変わって、最後にどう決着したのか。口にしながら、少しずつあのときの熱気まで蘇ってくる。

 

「なるほどな。僕は負けたのか」

 

 学秀は淡々と言った。

 悔しさを滲ませるでもなく、驚くでもなく、ただ一つの事実として処理しているみたいだった。

 

「負けるかもって思う?」

 

「いいや」

 

 即答だった。

 

「今の僕はE組をよく知っている。E組がどんな手を使うか、手に取るように分かる。僕がいるA組が負けるわけがない」

 

「学秀らしい」

 

「それに、君の知る一周目と比べて、今回はE組に不利すぎるくらいだ」

 

「そう?」

 

「まず、渚が女子だからE組にいない。それに加えて、竹林はA組男子として出る」

 

「言われてみればそうだね」

 

「E組の秘密兵器はイトナだったと言ったね。今のイトナは触手を抜いてから時間が経ちすぎている。人間離れしたジャンプは無理だ」

 

 イトナ君の触手を早めに抜いた影響が、こんなところに出るとは思わなかった。

 人数の減少。戦力の低下。

 冷静に並べられると、E組の不利はあまりに明白だった。

 

「外国人留学生を呼ぶが、一周目の話を聞いた限りだと、指揮系統を僕だけが担うには限界があるな。僕が動けなくなったときのために、連絡係に荒井を使おう」

 

 学秀はすでに次の手を考えていた。

 敗北の可能性を語りながら、その実、どうすれば完全勝利に持ち込めるかしか見ていない。

 

「E組の作戦は全て筒抜けだ」

 

 そう言って、学秀はパソコンの画面をこちらに向けた。

 映っていたのは、E組の教室の様子だった。

 

「……これ」

「監視役として仕掛けた盗聴器と監視カメラだ」

 

 さらりと言う。

 悪びれもなく。ためらいもなく。

 そこまでやるか。

 思わずそう言いかけて、ぼくは口をつぐんだ。

 ――いや、やる。

 学秀ならやる。勝つためなら、最短で最善の手を選ぶ。そこに遠慮も良心の呵責も挟まない。

 それが浅野学秀だ。

 そしてきっと、だからこそ怖い。

 

 

 

 

 E組の陽動隊が客席へ逃げようとするのを察知したかのように、外国人留学生が進路を塞いだ。

 A組の布陣は鉄壁だった。

 学秀の指示のもと、外国人留学生を中心に攻守が隙なく回る。

 前線は厚く、後衛も乱れない。

 E組は何度も突撃を試みたが、そのたびに押し返された。

 A組は圧倒的だった。

 戦術も、連携も、身体能力も、なにもかもが噛み合っている。

 E組の突飛な行動さえ、まるで最初から分かっていたかのように封じられていく。

 

 まるで、答え合わせだ。

 

 正解を知っている側が、一つずつ相手の選択肢を潰していく。

 そんな戦いだった。

 

 ぼくはA組の一員として、その光景を見ていた。

 

 見ていることしかできなかった。

 E組もここまでかもしれない。

 そう思った、そのときだった。

 

 E組の動きが、変わった。

 

「予定と違う……って思った?」

 

前原くんが学秀の動揺を読んだかのように言った。

 

「まさか」

 

「そう。A組が知ってるE組の計画、あれダミーだよ。本当の計画はずっとチャットで相談してた」

 

「浅野なら絶対盗聴器使うと思ったわ」

 

杉野くんが手で盗聴器をこれみよがしに投げてみせた。

 

「なんでお前らがそんなこと」

 

「俺らだって、浅野とずっと同じ教室にいたんだぜ!」

 

「お前が考えることなんか全部お見通しだよ」

 

「盗聴器も監視カメラもあえて残した。ここからの作戦、知らないだろ?」

 

 その言葉に、場の空気が変わる。

 A組の優勢は崩れていないはずなのに、見えないところで流れの向きだけが反転したのが分かった。

 

「守りを強化しろ。前線には無理に出るな。相手が焦れたら、こちらが一気に崩す」

 

 学秀はすぐに立て直す。

 声に揺れはない。まだ勝てると信じている声音だ。

 だが――その瞬間だった。

 

「ねぇ、学秀君」

 

 不意に、背後から声がした。

 

「――なに?」

 

 学秀が振り返る。

 そこにいたのは、カルマ君だった。

 

「なんでお前がここに……お前のことはマークしていたはず」

 

「はは、それならまいたよ」

 

 戦場のど真ん中にいるはずの男が、いつの間にかそこにいる。

 しかも、まるで散歩の途中みたいな顔で、写真をひらひらと振っていた。

 

「ちょっと、おもしろいもん見せてあげようかと思って」

 

「ねえ、生徒会長。これ、校則違反だよね?」

 

 学秀の顔色が変わった。

 意識の波長が見えなくても分かるくらい、はっきりと狼狽していた。

 ぼくは首をかしげる。

 何を見せられたのか、ここからではよく分からない。

 でも、それが学秀の平静を崩すのに十分な何かだということだけは分かった。

 

「今だ、磯貝!」

 

 カルマ君の合図と同時に、磯貝君たちが飛びかかる。

 その動きは迷いがなく、ずっとこの一瞬を待っていたと分かる鋭さだった。

 

 A組の棒が、大きく揺れた。

 誰かの悲鳴。

 土を蹴る音。

 歓声と怒号が入り混じる。

 そして次の瞬間、棒はとうとう倒れた。

 

 

 

 

 棒倒しの余韻が、まだグラウンドに残っている。

 A組の勝利目前だった戦況をひっくり返した、E組の逆転劇。

 観客席の片隅、人気のない木陰で、ぼくは一人グラウンドを見つめていた。

 

 E組の歓声が響く。

 肩を叩き合って、笑って、叫んで、勝利の熱を分け合っている。

 でも、ぼくはあの輪の中にいなかった。

 

 棒が倒れる瞬間、自分の心が何を感じたのか、自分でもよく分からなかった。

 悔しかったのか。ほっとしたのか。嬉しかったのか。

 そのどれでもあって、そのどれでもない気がした。

 ただ、一つだけ分かったことがある。

 

 ――ぼくは、もうE組には戻れない。

 

 勝った彼らを見て、素直に一緒に笑えない。

 A組にいた自分をなかったことにもできない。

 

 その事実が、静かに、でも決定的に胸へ沈んでいく。

 不意に、隣に人影が現れた。

 

 死神だった。

 

「見事な幕切れだったね」

 

 彼女は笑っていた。

 

 でもその目は、ぼくの奥底を覗き込むように鋭い。

 

「……勝ったのはE組だよ。ぼくはあの中にいなかったけど」

 

「そう。だからこそ、君に確認がしたくなった」

 

 ぼくは首をかしげる。

 死神はゆっくりと、そして確信を持って言った。

 

「E組に、もう“大石渚”はいなくてもいい」

 

 その言葉は、思ったよりも静かに胸へ落ちてきた。

 ひどく冷たいはずなのに、どこか納得してしまう。

 寂しいのに、否定できない。

 あの中に自分がいたら、同じように笑えただろうか。

 きっと、笑えない。

 そんな自分に、もう気づいてしまっていた。

 

「君が本当に輝くのは……E組じゃない」

 

 死神はそう言いながら、一歩、ぼくに近づいた。

 そして、いつの間にか名雪先生の姿に変わっている。

 

「ねえ、渚。私と一緒に人を殺してみない?」

 

 その瞬間、世界の音が止まった気がした。

 差し出された手は、細くて白くて、ひどく綺麗だった。

 優雅で、やさしげで、それなのに底知れなく危うい。

 その手を取ったら、もう戻れない。

 分かっている。

 なのに、目を逸らせなかった。

 

「君はもうE組の生徒ではない。君の選択が誰かに許される必要もない」

 

 その言葉に、ぼくは殺せんせーがもう自分の担任教師ではない現実を突きつけられた。

 そうだ。

 前にロヴロさんへ弟子入りを申し込んだときは、殺せんせーに止められたんだった。

 

 でも今は違う。

 止める人はいない。

 止められる立場でもない。

 ぼくは差し出された手を見つめた。

 このまま掴めば戻れない。

 E組の大石渚には、もう戻れない。

 でも、それでも。

 

「ぼくは……殺し屋になりたい」

 

 小さく、でもはっきりとそう呟いた。

 それは願望というより、告白に近かった。

 

「先生。ぼくに、人の殺し方を教えてください」

 

 自分の声が、妙に静かに聞こえた。

 そしてぼくは、死神の手をゆっくりと掴んだ。

 

 そのぬくもりは不思議なくらい人間らしくて、だからこそ余計に、後戻りできない気がした。

 





原作からの変更点

・E組男子の戦力の大幅減少(イトナ弱体化、渚女子化&A組行き、竹林A組行き)
・渚宅に入り浸る死神
・殺し屋の誘い

どっちつかずだった渚が初めて選んだことで、もう一つの選択をはっきり決められるようになりました。
死神は人の気持ちにつけ入るのがうまそうですよね。
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