プロローグ
目の前に現れた黒ずくめの集団を見て、岩谷宗一郎は、とうとうその時が来たと覚悟を決めた。
一人の男が、あっという間に宗一郎の首と両腕をホールドし身体の自由を奪い、続いて入ってきた5人の男達が、土足のまま室内に入り込む。
侵入者のほとんどが黒のジャケットとカーゴパンツ姿に目出し帽という中で、一人だけ顔を隠していない男がいた。
「岩谷宗一郎さん、ですね? 東京を離れて、北海道に隠れていらっしゃったとは。それも非正規居住区……探すのに骨が折れましたよ」
宗一郎の目の前に立ったその男が、落ち着いた声で言った。
おそらく彼がリーダーなのだろう。
がっしりとした体つきに、よく日に焼けた顔と短い髪は軍人のようにも見える。
背も高いその男の顔を見るために、宗一郎は視線を上に向けた。
「現役を退いて久しい、こんな老いぼれを必死に探すとはな。私に何の用だ?」
屈強な男に首をホールドされ、息苦しい中で宗一郎は訊ねた。
「あなたに教えていただきたい事があるんですよ。電波工学の第一人者である岩谷宗一郎博士にね」
男は口元には笑みを浮かべていたが、その眼差しは冷酷な光が宿っているように見える。
「教えるもなにも、この状態では苦しくて何も話せないが……」
「これは失礼した。おい……」
宗一郎を羽交い締めにしていた男が、首にまわしていた腕をはずす。
けれど宗一郎の両腕は、あいかわらずホールドされたままだ。
「別にいまさら抵抗するつもりはない。手も離してもらえないか? 肩が痛くてたまらん」
宗一郎はリーダー格の男に、冷静な声で言う。
男は数秒躊躇したあと、宗一郎の自由を奪っている男に頷いて見せた。
拘束されていた両腕は自由になったが、その替わり背中に銃口が当てられたようだった。
「まぁこんなところで立ち話もなんだ、居間に入りたまえ。春とはいえ、ここはまだ冷える。年寄りには堪えるんだよ」
絞められていた首をさすりながら、宗一郎は玄関横のドアを指さした。
リーダーの男が目で合図すると、後ろで待機していた男が銃を構えたまま入っていく。
「クリア!」
室内を確認し終えた男が、問題無いことを報告する。
「他には誰もいないよ。のんびり隠居ぐらしをしてる60歳すぎの爺さまの一人住まいだ」
リーダー格の男が他の二人を促し、宗一郎と共に居間に入った。
宗一郎は、ストーブの横に置かれた、愛用の座り心地の良い、一人がけソファに座る。
椅子に腰を下ろす直前、宗一郎の右手がソファの背もたれと座面の隙間に素早く差し込まれた事に、リーダーの男は気づいていなかった。
「で、教えて欲しい事とは? こんな老いぼれが君たちに教えるような事は、何も無いと思うのだが?」
目の前に立つ男を見上げながら、宗一郎は問いかけた。
「ご謙遜を……。あなたが、シビュラシステムを北海道でも遅延無く機能させる為のプロジェクトに携わっていた事までは、我々は調べがついています」
「ほお……。しかしそれなら私に聞くことは何もなかろう? ノナタワーからの回線は衛星軌道上にある通信衛星を経由して札幌の公安局と接続されている。そんなこと今時の小学生だって知っているはずだが」
「表向きはそうなっていますが、それを信じてない者もいる、我々のような……」
話をしている男の腰に装着された通信機から音がした。
「どうした?」
『2階の部屋でパソコンを発見しました。現在プロテクト解除中です』
「よし、作業を続けろ」
そう言うと、男はソファに座る宗一郎を見下ろした。
「岩谷博士、我々は真実を知りたい。東京にあるノナタワーと、札幌の公安局。距離的に遠いこの場所で、なぜ東京同様にタイムロスなくシビュラシステムが機能しているのか、その仕組みを……」
「答えは変わらん。通信衛星経由それが答えだ」
と、その時、宗一郎の椅子から小さな電子音が鳴り、同時に階上から爆発音が聞こえた。
男達が周囲を見回しはじめたのをみて、宗一郎は静かに笑顔を見せる。
「なんの音だ?」
男は通信機に向かって、苛立った声をあげた。
『やられました!パソコンが突然爆発炎上して。おそらくデータもすべてクラッシュしています』
「ちっ……」
悔しげな表情を見せている男を、満足そうに見ていた宗一郎がゆっくり腕を動かした。
「予想より時間がかかってしまったが、これで私の仕事は終わりだ。すまないねが私は先にお暇させてもらうよ。あの世とやらにね……」
そう言うと宗一郎は左腕の時計に触れ、スイッチを押した。
「まずい! 止めろ!」
リーダー格の男が叫び、宗一郎の腕をつかんだ。
けれど次の瞬間、宗一郎の身体は数秒けいれんを起こし、力なくソファに崩れ落ちる。
「くそ! やられた!」
リーダー格の男は、傍らにあったローテーブルを激しく蹴り上げる。
次の瞬間、室内のあちこちから爆発音と共に火の手があがった。
「なんて野郎だ。こんな仕掛けまでしてるのか。全員撤退!」
リーダーの男が叫ぶと、室内にいた男達は、一斉に屋外へと走り出した。
階上にいた男達も後に続いていく。
爆発による火の手は、あっという間に家全体を飲み込みはじめた。
ソファに座ったまま息絶えている宗一郎の周囲にも、火の手が回り始める。
炎に照らされた宗一郎の死に顔は、なぜか安らかに微笑んでいるようだった。