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「先輩、北条先輩!」
顔を上げると、牧野が芹香の顔を心配そうにのぞき込んでいた。
「何?」
「もう、何じゃないですよ先輩。到着したみたいなんで用意しないと」
牧野はそう言いながら、脱いでいたジャケットに袖を通している。
ふと見ると、護送車のドアはもうロックが外され、重い金属音と共にゆっくり開き始めていた。
「ああ、ごめん。ちょっとぼんやりしてた」
芹香も慌てて立ち上がり、護送車の後部ドアが開くのを待った。
分厚い装甲のドアが完全に開くと、自動的に金属のスロープが車体から地上に延ばされ、芹香達はそれぞれ護送車から降りていく。
時刻はすでに23時をまわり、いつもなら規制線の周囲に群がる興味本位の人々の姿も見あたらない。
「ほんと大丈夫ですか、先輩? 体調悪いとかなら無理しないほうが……」
隣を歩きながら、まだ心配そうにしている牧野に、芹香は笑顔を返す。
「うん、本当に平気。ちょっと考え事してただけだから。久しぶりに牧野と一緒に出動だもんね。気合いいれないと」
そう言うと、芹香は両手で自分の頬を軽く叩いた。
「芹香、寝不足なんじゃねーの? 藤城に寝かせてもらえなかったりなんかして」
からかうような口調でそう言いながら、にやにや笑っている片山を、芹香は思い切りにらみ付ける。
「片山、言い方が下品、サイテー、すっごいセクハラ」
芹香が冷たく言い放つと、牧野がすかさず片山の足を思い切り踏みつけた。
「痛ってーーー! 何すんだ牧野!」
「北条先輩に下品な発言してんじゃねーよ、ばぁか」
「なんだと、こら! 牧野、てめぇいいかげんにしろよ!」
「はあ? なんか文句あんのか?」
「いいかげんにしろお前達、仕事の前だぞ」
片山と牧野がヒートアップし始めたのを見て、高峰があきれたようにたしなめる。
怒鳴りあうのはやめた二人だったが、視線はお互いをにらみ付けたままだった。
「全員、集合しろ!」
三波が少し苛立ちの混じった声で、芹香達を呼びつけた。
一係の執行官全員が横に整列したところで、三波が左腕の監視官デバイスを操作しながら話を始めた。
「これより、建造物不法侵入容疑及び非合法薬物取締法違反の容疑者を捜索する。容疑者のデータだ」
執行官達の腕につけられたデバイスに、7名分のパーソナルデータが表示された。
「市内巡回中の警備ドローンが、規定値超過の色相を持つ集団を発見し、通報と共に追跡していたところ、この廃ビルに侵入したことを確認した。その中の一人……」
三波がデータを切り替え、執行官達のデバイスに転送する。
「加藤清彦、20歳 建設会社勤務とはいえ仕事は無断欠勤中。こいつの身体スキャンデータから非合法薬物の所持反応が出た」
「人相悪いなあ。見るからに色相濁ってそうだ。よく今まで街頭スキャナに引っかからなかったもんだな」
片山のつぶやきに、三波は不機嫌そうな表情をする。
「こういう奴らは、警備の厳重な中心部には寄りつかない。奴らが根城にしているのは、スキャナ設置数の少ない廃棄寸前の区画だ。うまくすり抜けていたんだろう」
三波がそう言い終えたタイミングで、建物の影から瀬川が走ってきた。
「三波監視官、周囲の警備ドローンの配置及び一般市民の通行規制は完了した。いつでもいける」
瀬川は普段の柔らかな物言いではなく、厳しさの増した口調で三波に報告した。
「よし。片山と牧野は俺と最上階から捜索を開始する。北条と高峰は瀬川の指示に従え。行くぞ」
運搬用カートからドミネーターを取り出し、三波はさっさとビルの入り口に向かって歩き始めた。
片山と牧野もドミネーターを手に三波の後を追う。
「大丈夫か、あの二人?」
カートからドミネーターを取り出しながら、高峰が言った。
「いつものことだから、大丈夫だと思いますよ」
芹香も、カートからドミネーターを取り上げる。
と同時に、ドミネーターの側面に配置されたインジケーターが、緑色の光を放ち始めた。
『携帯型心理診断鎮圧執行システム ドミネーター起動しました ユーザー認証 北条芹香執行官 使用許諾確認 適正ユーザーです』
ドミネーターを手にしている者だけに聞こえる指向性音声を聞きながら、芹香は目の前にある7階建ての古いビルを見上げた。
昔は若者向けのファッションビルだったその建物は、所々外装がはがれ落ち、見る影もなく貧相な姿をさらしている。
「我々は、1階から進んで対象を挟み撃ちだ。分散して隠れている可能性もあるから注意しろ。行くぞ」
「了解」
瀬川の合図で、芹香と高峰はビルの入り口に向かって歩き出した。
ビルの中は、中央にエスカレーターが一基、その奥に狭い階段がある。
奥の壁に2基のエレベーター用ドアはあるものの、もうとうの昔に使用できなくなっていた。
電気は一切通っていないとはいえ、天井そばに小さい窓があるのでかろうじて視界は確保できた。
芹香は1階フロアに目を凝らしてみたが、所々に空のコンテナが転がっている程度で、人の姿は見えない。
「二手に分かれよう。高峰君は階段の方へ。僕と北条君はエスカレーターから行く」
1階フロアに人がいないことを確認し、瀬川が言った。
高峰は、すぐさま奥の階段へと走っていく。
手にした細身のマグライトで周囲を照らしながら、瀬川が動いていないエスカレーターを上り始め、芹香もその後に続いた。
芹香達が3階フロアの確認を終え、4階へ移動しようとした時、切羽詰まった男性の叫び声が聞こえた。
「公安局だ!みんな逃げろ!」
その声を聞き、芹香は瀬川と目で合図をすると、一気にエスカレーターを駆け上がった。
4階のフロアには、いつの時代のものか判らない、古い立て看板や、商品陳列用の棚、今ではほとんどみかけないマネキンのボディなどが、乱雑に放置されている。
芹香が暗闇に目をこらすと、床に倒れている陳列ケースの影から、人影が這い出してくるのが見えた。
瀬川のマグライトの灯りに照らされたのは、金髪の若い男だった。
「公安局だ!両手を頭の後ろに組んで床に伏せろ!」
ドミネーターを向けた瀬川がそう叫んだが、男はおかまいなしに階段の方へと走り出す。
芹香は、すかさず男の背中にドミネーターを向けた。
『犯罪係数オーバー200 執行対象です セーフティを解除します 執行モード ノンリーサル・パラライザー』
発射可能シグナルが表示されると同時に、芹香は男の背中に向かってトリガーを引く。
ノンリーサル・パラライザーモードで発射された電磁波が、瞬時に若者を気絶させた。
「北条君は先に上へ行け、俺は奴の身柄を拘束してから後を追う」
瀬川はそう言うと、ジャケットから手錠を取り出し男の元へ駆け寄っていく。
「了解」
そう言ってエスカレーターを駆け上がり始めた芹香に、突然何かが投げつけられた。
とっさに避けたおかげで直撃をまぬがれたそれは、女物のハイヒールだった。
芹香が斜め上を見上げると、エスカレーター上で泣きそうな顔をしている派手な化粧の女がいた。
「こっち来んな! 公安局の犬野郎!」
真っ赤なハイヒールを片手に握り、芹香に投げつけようとしている女が叫んだ。
「公安局です! 大人しくしなさい!」
芹香がドミネータを向けたが、女はハイヒールを芹香に投げつけると、叫び声を上げながら5階フロアに向かって走り出した。
エスカレーターの段を2段飛ばしにしながら駆け上がると、芹香は5階フロアを見回した。
5階フロアは4階フロア以上に、床一面コンテナや陳列棚が放置され足の踏み場も無い。
若い女は必死に障害物を乗り越え、奥へ逃げようとしている。
「北条先輩! あたしが行きます!」
いつのまにかエスカレーターを駆け下りてきた牧野が、5階のフロアに向かって走り出した。
まるで猫のように軽やかな身のこなしで、陳列棚やコンテナの上を飛び回り、あっという間に女を見つけた牧野が、ドミネーターを発射する。
「容疑者確保!」
牧野は、そう叫ぶと荷物の隙間に飛び降りていく。
「先輩、手錠かけましたけど、こいつあたしじゃ、そっちまで運べませんよ」
気を失っている若い女の身体を必死で持ち上げ、陳列棚の上に乗せながら牧野が言った。
「どうせ半日は意識戻らないんだから、とりあえず放置でいいわ。後で、片山にでも引っ張り出してもらうから。牧野、そのままそこらへん確認して。わたしもフロアの中、見回ってくる」
「了解です」
牧野はそう言うと、荷物の上を飛び回りながら、他に隠れている者がいないか確認し始めた。
芹香もフロアを一通り歩き回り、他に人がいないことを確かめる。
「こっちクリアです、先輩」
見回りを終えた芹香のところに戻り、満足げに報告する牧野の頭を、芹香はよしよしと撫でてやる。
「こっちもクリア。相変わらず見事な身のこなしね、牧野」
「あたし、これだけが取り柄ですから」
そう言うと、牧野は嬉しそうな笑顔を見せた。
「北条君、誰かいたか?」
エスカレータを駆け上がってきた瀬川が、芹香に声をかける。
「容疑者1名確保、若い女性です。えっと、この子ですね。柏木みどり、18歳。牧野、犯罪係数いくつだった?」
腕のデバイスに容疑者のパーソナルデータを表示させながら、芹香が牧野に訊ねた。
「200ジャストです」
「了解した。これで容疑者全員確保だな。三波監視官に連絡いれるよ。作戦終了っと」
瀬川の口調が、いつもの穏やかなものに変わる。
「おーい、お二人さん。そっちに誰かいたか?」
ドミネーターを手にした片山が、のんびりとエスカレーターを降りてきた。
「あそこで一人確保済み。これで全員みたいよ。片山、悪いけど回収してくれる?」
若い女が乗っている棚の上をライトで照らしながら、芹香が片山に言った。
「げっ、なんであんなとこにいるんだよ。しゃーねーなー」
片山は不満そうな声で言うと、倒れている棚を乗り越え始めた。
容疑者7名のうち、無抵抗で投降したのは3人。
逃げようとしてパラライザーを撃たれ、気絶しているのが3人。
非合法薬物を所持していた加藤清彦は、犯罪係数がオーバー315を叩きだし、後を追っていた三波のドミネーターはリーサル・エリミネーターの判定を下した。
ドミネーターは犯罪係数100以下では、執行モードにならずトリガーはロックされたままになる。
銃口を向けた対象の犯罪係数がオーバー100から300までは、ノンリーサル・パラライザーモードとなり、強力な電磁波が撃たれたものを気絶させた。
しかし、犯罪係数が300を越えているものは、治療更正の可能性無しとみなされ、執行モードがリーサル・エリミネーターモードに変化する。
パラライザーモードとは、比較にならないほど強力なその電磁波は、人体に到達すると瞬時に細胞や血液を沸騰させ、人であったものを肉塊と化す。
加藤清彦の遺体もまた、原形をとどめていなかった。
容疑者の移送、遺体の処理、証拠収集など、一通り後始末を終え、一係のメンバーが公安局に戻ったのは午前3時近くだった。
普段であれば、夜勤にあたる第一当直のものが残っている程度の刑事フロアが、にわかに慌ただしくなっている。
とくに二係のオフィスにはメンバー全員が揃い、監視官と執行官が打ち合わせをしているようだった。
「おい、木下!何かあったのか?」
片山が、廊下を歩いていた三係の執行官木下に声をかけた。
「ああ、建造物爆破事件だそうだ。それも2カ所立て続けにやられたらしい。二係の専任案件になったんで、二係全員非常招集かけられたらしいぜ」
「そりゃ気の毒に。で、何壊されたんだ?」
「石狩にある、昔利用されてた海底ケーブルがらみの施設らしいぜ。」
廊下の真ん中で、木下と立ち話をしている片山の横を通り過ぎようとしていた芹香が、思わず立ち止まる。
「木下、それってどことどこを繋いでるケーブルか判る?」
芹香が訊ねると、木下は腕の執行官デバイスで、データを呼び出した。
「んと、1カ所が秋田と石狩、もう1カ所が富山と石狩だな。何でこんなとこ狙ったんだろうね?」
「だよなあ、もう利用されてないだろう、そこ? どっかの目立ちたがりの犯行じゃねーの? ん、どうした芹香?」
片山に声をかけられて、芹香はやっと我に返った。
「ううん、二係これから大変よね」
芹香はそう言うと、足早にその場を離れ化粧室に駆け込んだ。
鏡の前に立ち、大きく深呼吸をする。
それでも一度早くなった鼓動は、なかなか収まらなかった。
(海底ケーブル……誰かこの事を知ってる奴らがいるってこと? いや、でもまだ偶然かもしれないし)
そう考えていた芹香の脳裏に、先日見かけたあの黒服の男達の記憶が蘇った。
(もし奴らがこの件に絡んでいるとしたら……狙いは、シビュラシステム専用回線)
「あ、いたいた。北条先輩、もう少しでブリーフィング始まりますよ」
化粧室の入り口から顔を出した牧野が、芹香に声をかける。
「わかった、今行く」
芹香はそう答えると、冷たい水を出して手を洗った。
少し冷静になって落ち着かなければと思っても、芹香の不安感は大きくなるばかりだった。