「芹香、瀬川さんから話聞いたわよ。大丈夫なの?」
芹香が分析室に入るなり、真里亜が駆け寄ってきた。
「うん、とりあえずしばらくの間は、分析室でサポートって言われたんだけど。ねぇ真里亜、今忙しい?」
「仕事はそれなりにあるけど、忙しいってほどじゃないわよ」
不思議そうな顔をしている真里亜に、芹香は数秒考え込むような表情をしてから口を開いた。
「真里亜、お願いがあるの」
「えっ、何よいきなり?」
いつになく真剣な表情の芹香に、真里亜は少し驚いているようだった。
「私の左腕に、データチップが埋め込まれてるの。それを取り出してくれない? 医師免許持ってるんだもの、出来るでしょ?」
芹香がそう言うと、真里亜の表情が急に厳しくなった。
「それ、取り出してどうするつもり?」
真里亜の問いかけに、芹香は口ごもる。
「それは……ごめん、やっぱり今は話せない」
目を伏せて真里亜から顔を背けたまま、芹香が言った。
そんな芹香の様子を、真里亜はしばらくの間黙って見つめていたが、やがて大きなため息をついた。
「判った。ドアにロックかけてくるから、ちょっと待ってて」
真里亜は芹香の横を通り過ぎ、壁際にあるコンソールに暗証番号を打ち込むと、ドアにロックをかけた。
「いらっしゃい、奥の処置室使うから」
真里亜に腕をつかまれ、芹香は引きずられるように分析室の奥へと進んだ。
真里亜が、分析室の奥にあるドアを開き、電気をつけると、細長い作りの部屋が現れた。
狭い室内には防水コーティングを施した診察用ベッドや、薬品や器具のしまわれている棚、それに医療用ワゴンなどが置いてある。
「上脱いで、そこに寝て。用意する」
そう言うと真里亜は、手際よくステンレスのワゴンに薬品や器具を並べていく。
「真里亜、やっぱり怒ってる……よね?」
スーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイをゆるめながら、芹香が申し訳なさそうに言った。
「あたりまえでしょう、どうせ芹香のことだから、私を巻き込みたくないとか思って、話してくれないんだろうけどさ」
真里亜はふくれっ面をしたまま、両手を消毒装置の中に突っ込みながら言った。
「私は、芹香の事だったら巻き込まれたってかまわないのに。でも、芹香は絶対言わないの判ってるしね」
「ほんとゴメン」
「もういいわよ。ほら横になって」
芹香が診察用ベッドに横たわると、真里亜は芹香の腕の傷跡に視線を落とした。
「これ、誰が埋め込んだの?」
「医者だった、私の父」
「そうだったんだ。この傷跡の事、前から気にはなってたのよね。あえて聞かなかったけど。じゃあ始めるわ」
真里亜は椅子に座り、処置を始めた。
「なんだかこうやってると、真里亜がお医者さんに見える」
局所麻酔の注射をしている真里亜の様子を見ながら、芹香が言う。
「一応ほんとに医者だもの。潜在犯認定されてすぐに、分析官の適性があるって言われて、今じゃすっかり分析官が本業になってるけどね。痛くない?」
「平気。でも仕事モードになってる時の真里亜、なんだか、かっこいい」
「お世辞言ったって、だめよ」
芹香の言葉に、真里亜は少しだけ顔を上げ、照れくさそうな笑顔を見せた。
皮膚にメスを入れてから、しばらくして、真里亜が小さな声をあげる。
「あ、やっと見つけた。これね」
真里亜は、芹香の傷口から2センチ四方の黒いシートをピンセットでつまみ上げ、金属のトレイに乗せた。
「先に傷口閉じちゃうから、もうちょっと、おとなしくしててね」
そう言って、真里亜は傷口を医療用瞬間接着剤で塞ぎ、傷口の上に皮膚の再生を促すナノフィルムを乗せると、最後に傷口保護用のテープを貼り付けた。
「はい、おしまい。服着ていいわよ。その間に、これ洗浄しておくから」
「ありがとう、真里亜」
芹香はそう言うとゆっくり体を起こし、ベッドの上に腰掛けてシャツに袖を通した。
「今は、麻酔効いてるから痛くないと思うけど、後から痛むと思うわ。これ、痛くなったら飲みなさい。傷は3日もあれば、ほとんど塞がると思う」
「うん」
真里亜が差し出した薬のシートを受け取って、芹香はそれをスーツのポケットにしまいこんだ。
「はい、これ。お目当てのもの。シートには一切傷つけてないから、中のデータチップは問題ないはずよ」
芹香は、真里亜が差し出した小袋を受け取った。
透明な小袋の中に、先ほど取り出した黒いシートが入っている。
「その黒いシート、ステルス素材の特殊フィルムでしょ。どんなスキャンかけられても、見つからないわけね」
小袋の中をのぞき込みながら、真里亜が言った。
「先生は、できればこれは一生使わずにいて欲しいって言ってた。でも、これを使うのは今しか無いって思ったから」
芹香はそう言うと、小袋をスーツのポケットに入れ、ベッドから降りた。
「真里亜、私ちょっと宿舎に戻って、取ってきたいものがあるの。監視官あたりに聞かれたら、トイレにでも行ってるって言い訳しておいて」
ネクタイを締め直しながら、芹香は処置室を出て行こうとした。
「待ってよ」
歩きだそうとしていた芹香の体を、真里亜が後ろから抱きしめた。
「真里亜? どうしたの?」
「怖いのよ、芹香がどこかに行っちゃいそうで……」
真里亜の声が、微かに震えていた。
芹香は、後ろを振り返らず、腰に回された真里亜の手をゆっくりと外した。
「すぐ、戻るから」
そう言って、芹香は処置室を出た。
分析室のロックを解除した芹香は、一度だけ処置室の方を振り返る。
処置室のドアは、まだ閉められたままだった。
(ごめんね、真里亜)
芹香は心の中で、そうつぶやくと、思いを振り切るかのように、急ぎ足で分析室を出て行った。
- To be continued -