「真里亜、こっちの押収薬物の成分分析終わったけど、どうする?」
分析装置からプリントアウトされてきた用紙をファイルに挟み込みながら、芹香はコンソールの前でキーボードを叩いている真里亜に声をかけた。
「あ、それは後で三係の人が取りに来るから、こっちにもらうわ」
視線をディスプレイに向けたまま、真里亜が返事をする。
「積んであった成分分析は、これで全部片付いたわよ。次は、何すればいい?」
芹香がファイルを差し出すと、真里亜はキーボードを打つ手を止めて、それを受け取る。
「ありがと。じゃあちょっとコーヒーでも入れて休憩しない? こっちも、ちょうど切りの良いところまで片付いたし」
「そうだね。カップちょうだい、私いれてくるから」
芹香は、真里亜からマグカップを受け取り、メタルキャビネットの上に置いてあるコーヒーメーカーからポットを取り上げた。
真里亜のマグカップと、自分用のカップにコーヒーを注ぎ、休憩用ソファで大きく伸びをしている真里亜に、カップを手渡す。
「芹香、こんな状況なのに意外と落ち着いてるのね」
ソファに腰掛け、マグカップのコーヒーを冷ますため息を吹きかけている芹香に、真里亜が言う。
「そう見える?」
芹香はコーヒーを一口飲むと、ほっと息をついてから、真里亜を見て苦笑いする。
「ここ数日、私の犯罪係数180なのよ。色相はdarkblue」
「ちょっと、前より60ptも上昇してるじゃない」
「ん、でも200は軽く越えるんじゃないかって思っていたから、意外と上がらなくて驚いてる」
そう言うと芹香は、落ち着いた様子でマグカップに口をつけた。
そんな芹香の様子を、真里亜は黙って見つめていた。
「ん? どうしたの真里亜?」
そんな真里亜の様子に気づいた芹香が声をかけると、真里亜はカップをテーブルに置きながら大きなため息をついた。
「なんだか……私、芹香に何もしてあげられないなって思ってさ」
真里亜はそう言うと、芹香の左肩に頭をもたせかける。
「昨日、私のデータチップ取り出してくれたじゃない。本当に助かったわよ」
手にしていたマグカップをテーブルに置き、芹香は右手で真里亜の髪を撫でた。
「そうだけど、あんな事じゃ、芹香が今抱えてるもの、何一つ軽くして上げられないじゃない! ずっと一緒にいたのに、芹香の犯罪係数があんなに上昇してた事にも気づけなかったなんて」
「犯罪係数の事は、私も黙ってた訳だし、数値は見た目じゃ判らないもの。それにこんな状況で犯罪係数が200越えなかったのは、真里亜がそばにいてくれたおかげだと思ってる」
悔しそうに唇をかみしめる真里亜の肩を、芹香は左腕を回してそっと抱き寄せた。
「私だって、全然平気って訳じゃないの。不安だったり、怖かったりもするけど、真里亜がそばにいてくれるだけで落ち着く。もし私一人だったら、今頃犯罪係数250こえてたかもしれない」
「芹香」
「だからほら、そんな顔しないでよ真里亜」
芹香は笑いながら、真里亜の頬を指先でつまみ上げた。
「もう、やめてよぉ。人が本気で心配してるのに」
そう言いながらも真里亜はようやく笑顔を見せる。
この3年間、真里亜と過ごしたこんな他愛のない時間に、芹香は何度救われたか判らない。
システムの管理から逃れるように生きてきて、学校にも行ったことがなく、友達とよべるような子もほとんどいないまま芹香は幼少期を過ごしてきた。
そんな自分が、こんなにも一人の人を本気で好きになれた。
こんな貴重な日々を過ごさせてくれた真里亜を、芹香は本当に愛おしいと思った。
それだけに、これからの事を思うと、芹香は胸が痛む。
「芹香……」
真里亜が甘えるような声で、芹香を呼んだ。
その声に誘われるまま、芹香はゆっくりと真里亜に唇を重ねる。
心の片隅で、このまま永遠に時が止まってしまえばいい……そう思いながら。
「北条君、いるか! っと……失礼」
分析室に駆け込んできた瀬川が、二人の様子に気づき、大慌てで背を向ける。
「すみません、瀬川さん、例の件ですか?」
芹香も真里亜から慌てて体を離し、その場に立ち上がった。
「ああ、話がついた。今すぐいけるか?」
「はい行きます。 ごめん真里亜ちょっと、出てくるね」
不安そうな顔をしている真里亜を残し、芹香は瀬川と共に分析室を出た。
「昨日あれからすぐデータの件を局長に話したんだが、まさかこんなに早く話が通るとは思わなかったよ」
急ぎ足で廊下を歩きながら瀬川が言った。
「もう、あまり時間無いですし」
芹香のつぶいやいた言葉を聞いて、瀬川は何か言いかけたが、そのまま口をつぐんで歩き続けた。
エレベーターに乗り、55階で降りたところで、瀬川は思い出したように、スーツのポケットからネックストラップを取り出した。
「これ、この先の通行許可証だ。君には局長から通行許可が出てる」
瀬川に渡されたネックストラップを首に掛け、芹香は周囲を見回した。
「こんな場所があるんですね」
「通常なら、ここから先を執行官が入っていくことはできない。その通行許可証が無かったら即身柄拘束だよ。じゃあ行こうか」
そう言うと、瀬川は先に立って歩き出した。
控えめな照明のせいで、薄暗い廊下をしばらく歩き、瀬川は1つのドアの前で立ち止まった。
「ここだ。局長との回線はすでに繋がっている。僕は入れないから、行っておいで」
「はい」
瀬川に促され、芹香は部屋の中に入った。
部屋の中には、ミーティングスペースにあるような白い机に椅子が4脚おいてあり、さらにその奥に巨大なスクリーンが設置されていた。
そのスクリーンに、一人の女性が映し出されている。
「失礼します、北条芹香です」
ショートカットにされた銀白色の髪に眼鏡をかけたその女性は、芹香の入室に気づくと顔を上げた。
「ああ、君が北条君か。もう少し前に来たまえ。床に白いラインが引いてあるはずだ。そこに立つといい」
芹香は前に進み、床に引かれた白いラインの場所に立つ。
「公安局局長、禾生壌宗だ。君が瀬川監視官に託したデータは、すべて見せてもらった」
禾生局長は手元のキーボードを操作し、芹香の渡したデータを見ているようだった。
「久しぶりに岩谷君の顔を見たよ。懐かしいな、彼がいなければ、北海道にまでシビュラシステムの回線を到達させることは難しかっただろう。その点は大いに感謝するべきところだが、まさかその彼が、こんな仕掛けをしていたとはね」
そう言うと禾生局長は、芹香を上目遣いに見た。
「岩谷のメッセージにあったとおり、シビュラシステム専用回線のエマージェンシーモードはロックされていた。迂闊だったよ、岩谷がこんな仕掛けをして出て行ったとは予測出来ていなかった。で、君がその解除コードを持っていると?」
「はい、これです」
芹香はスーツのポケットから、黒いシートでコーティングされたデータチップを取り出した。
「北海道に接続されている地上のシビュラシステムの全回線がオフラインになったとき、エマージェンシーモードに切り替わる。でも現状では、解除コードががなければ、システムは切り替わりません」
「我々は、それを強制的に没収することも可能だ。だが、岩谷のこれまでの功績に免じて、君の話を聞くことにした。で、解除コードと取引する、君の要求はなんだ?」
机の上に肘をつき、両手を組んだ姿で、禾生局長は芹香に問いかけた。
「今回の、海底ケーブル……いえ、シビュラシステム専用回線収容施設を爆破している犯行グループを……」
芹香は、禾生局長をまっすぐ見つめて、言葉を続けた。
「私単独で、確保に向かわせてください」