夢の中で、北条芹香は、炎上している家を見つめて呆然としていた。
これは”あの日”の夢で、現実ではない。
そう判っていても、目の前の光景は血の気が失せるような恐怖感を煽り続ける。
とにかく火を消さなければならない。
そう思って走り出そうとしても、砂浜に足をとられているかのように、なかなか前に進めない。
そして、必死の思いでたどり着いた家の窓越しに、一人の男性を見つけた。
お気に入りのソファに崩れるように座ったまま、その男性は身動き1つしない。
「先生!逃げて!」
確かあの日も、同じ事を叫んだ。
あの日は、喉が痛くなるほど大声で、なんども叫び続けていた。
けれど今は、どんなにがんばっても囁くような声しか出ない。
「先生!起きて!早く逃げて!」
ソファで目を閉じている男性が、二度と目覚めることはない。
そう判っていても、芹香は必死で呼びかけ続ける。
「先生、今助けにいくから!」
そう言ってはみたものの、芹香の身体は金縛りにあったように、まったく動かない。
それでもなんとか身体を動かそうともがいていた時、耳元で自分の名前を呼ぶ声がした。
「芹香! 大丈夫?」
肩を揺さぶられて、芹香は目を覚ました。
目の前には、心配そうに顔をのぞきこんでいる女性がいる。
「ああ、真里亜か、おはよー」
「おはよーじゃないわよ。帰ってきて、さあ寝ようかと思ったら、思いっきりうなされてるんだもの。またあの夢見たの?」
ベッドの上に座り、芹香の額に浮かぶ汗を指先でぬぐいながら、藤城真里亜が、少し心配そうに言った。
「うん、最近見てなかったんだけどなぁ……」
芹香は、そういうと上半身を起こして深く息を吸い込んだ。
「疲れてるんじゃない? 昨日は出動多かったみたいだし」
そう言いながら、ロング丈のTシャツ姿の真里亜は、ブランケットの中に身体を滑り込ませる。
毛先をカールさせた胸まで届く栗色の髪を、柔らかなシフォン素材のシュシュでゆるくまとめ、真里亜はベッドに横たわる。
「そうかもね……」
そうつぶやくと、芹香は髪をかきあげた。
昨日はひっきりなしにエリアストレス上昇警報が鳴り、刑事課全体がばたばたしていたのは事実だ。
芹香自身も、本来の勤務時間より前に呼び出され、ほとんど外に出たままだった。
次のシフトは朝6時からの日勤だからと、早目に眠りについたはずなのに、ぐっすり眠れたという感じはまるでしなかった。
芹香は、左腕の執行官デバイスに表示されている時間に視線を移す。
時刻は午前5時20分を表示していた。
起きようと思っていた時間を20分も過ぎている。
「やだっ!もうこんな時間。今日の日勤担当の監視官三波さんだし、遅刻したら給料減額される!」
慌ててベッドから出ようとした芹香のTシャツの裾を、真里亜が思い切り引っ張った。
「独り寝は、さーびーしーいー。いっちゃやだー」
ベッドに横たわっている真里亜が、上目遣いで自分を見上げ、芹香に不満そうな視線を送っている。
「もう、そんな顔しないでよ」
芹香は苦笑すると、身体を倒し真里亜の胸に倒れ込む。
Tシャツ越しに真里亜の肌の暖かさを感じながら、少しだけ芹香は目を閉じた。
「私だって、こうしてたいけどさ、仕事なんだから、しょうがないでしょう……」
そう言うと、芹香は左腕を支えにして少し身体を起こし、真里亜の栗色の髪を愛おしそうに撫でた。
真里亜は本気で引き留めたい訳じゃない、ちょっと甘えたいだけだということが芹香には判っている。
「だから……これで勘弁して」
そう言うと、芹香は真里亜にゆっくりと唇を重ねた。
唇が離れる頃には、真里亜の不満そうな表情はすっかり消えていた。
「しょうがないなぁ……じゃあ解放してあげる」
芹香の言葉に、真里亜はようやくTシャツをつかんでいた手を離す。
「ありがと」
そう言うと芹香は真里亜の額にキスをして、ベッドから抜け出した。
「真里亜、今まで仕事してたの?」
クローゼットから着替えを引っ張り出しながら、芹香が尋ねた。
「そーよー。三係の馬鹿が出し忘れてました!って山のような分析依頼持ってきたから、仕事終わらなくてさ。あいつこれで2度目なのよ。いくら分析室のマリア様って言われてるこの私だって、もう許せない」
「今日は非番なんでしょ? 連続勤務にならなくて良かったじゃない」
「一応はお休みだけど、急ぎの分析お願いしますって呼び出されなかった事ないからなぁ」
真里亜は、大きなため息をついて、ブランケットを首元に引き寄せた。
「呼び出されないことを祈っててあげるわ。それじゃ、私は仕事行ってくる。おやすみ真里亜」
芹香は、真里亜にそう言うと寝室を出る。
視界の隅で、真里亜が小さく手を振っているのが見えた。