Paradise Lost   作:颯月りお

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第五話
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 遠くで雷の鳴る音がする。

 芹香は、鉄格子のはめられた窓辺に立ち、激しい雨が曇りガラスを叩く音を聞いていた。護送車に乗せられて、1時間ほどで到着したこの場所は、国防軍の施設ということしか判らない。黒服の男達に連れられ、この部屋で待っているように言われてから、かれこれ20分は経つ。

 

 芹香のいるこの部屋は、窓に鉄格子がはめられ、少し古めかしいドアは重い金属製で、監視用の小窓にも鉄格子がはめられている。けれど、室内には清潔な寝具が揃えられたベッドがあり、部屋の中央には小さな机とパイプ椅子が置かれ、狭いながらもシャワー室までついていた。

 たぶん国防軍の士官用拘束施設の1つを、特務課が使わせてもらっているのだろう。

 

「遅くなってすまない」

 

 紺色のスーツの上に黒いトレンチコートを着た村木が、ドアの鍵を開けて入ってきた。

 小脇に抱えていたノートパソコンと、手にしていた紙袋を机の上に載せ、黒いスーツケースのようなものを床に置くと、村木はスーツのポケットから小さな鍵を取り出した。

 

「手錠を外す。腕を出してくれ」

 

 芹香は窓辺を離れ、村木の側にいくと両腕を差し出した。村木は、手にした鍵で手錠をはずし、鍵ごとスーツのポケットに放り込む。

 

「手錠かけられて連行されるのって、演技だって判っていても、気分いいものじゃないですね」

 

 手錠をかけられていた手首を撫でながら、芹香が言った。

 

「だろうな。しかし、結構いい演技だったじゃないか。君の別れの挨拶は、なかなか胸に迫るものがあった」

 

 口元に笑みを浮かべながら言う村木は、パイプ椅子に座り机の上に置いたノートパソコンを開くと、なにかのコマンドを打ち込み始めた。

 

「あれは、あながち演技って訳でもないんですけど。実際、生きてあそこに戻れるか判りませんし」

 

 そう答えた芹香に、村木は思い出したように紙袋を差し出した。

 

「昼はこれくらいしか用意できなくてな。夜からはまともなものを運ばせる。こっちの準備にもう少し時間がかかるから、食べて待っててくれ」

 

 芹香は紙袋を受け取り、中をのぞき込んだ。紙袋の中にはサンドイッチのパックと、缶コーヒーが入っている。

 

「ありがとうございます」

 

 受け取った紙袋を手に、芹香はベッドの端に座った。

 

「君の執行官デバイスに搭載されている追跡システムは、公安局を出発する時点でオフにしておいた。刑事課職員全員には箝口令が敷かれたし、一係もこれ以上詮索はできないだろう」

 

「いろいろ面倒なことお願いしてしまってすみません。最後は一係のオフィスにいたいとか言っちゃって。でも、一係のみんなには、直接お別れを言いたかったので」

 

 紙のボックスに入ったサンドイッチをつまみ上げながら、芹香が言った。

 

「かまわんよ。あれぐらい、たいした手間ではない」

 

 そう言うと、村木は着ていたコートを脱ぎパイプ椅子の背にかけると、コートのポケットから缶コーヒーと四角い箱を取り出した。箱を開け、ブロックタイプの栄養補助食品を取り出すと、おもむろにかじりながら、缶コーヒーのプルタブを開ける。

 

「ベッドの下にバッグがあるだろう? 君の話を聞いた上で必要と思われるものは、一通り用意しておいたが、足りないものがあるようなら言ってくれ」

 

 ブロックの1つをコーヒーで流し込んだ村木は、そう芹香に言うと再びパソコンに向かい始める。芹香が、ベッドの下をのぞき込むと、オリーブドラブ色のミリタリーカーゴバックが置いてあった。

 手にしていたサンドイッチの欠片を口に押し込んだ芹香は、ベッドの下からバッグを引っ張り出す。ファスナーを開けると、荷物の一番上にオリーブ色の金属ケースが載っていた。

 

「これは?」

 

「その中に軍用無線機が入っている。使い方は後で教えるが、国内で使用可能な周波数帯域すべてにおいて送受信可能だ。相手の使っている回線に強制的に割り込みをかけることもできる」

 

 芹香が手にした金属ケースを見て、村木が言う。芹香がケースを開けて中を見ると、オリーブ色の塗装を施した、ごつい作りの無線機が入っていた。 

 

「さすが軍用ですね。これなら使えると思います。この下に入っているのは衣類ですか?」

 

 芹香がカバンの中身を探っていると、下のほうに迷彩柄の衣類が入っているのを見つけた。

 

「さすがにそのスーツ姿では動きにくいだろう? 女性兵士用のものをフルセット用意しておいた。サイズも合っているはずだ」

 

 そう答える村木の言葉に、芹香は思わず笑みをうかべてしまう。

 

「本当に助かりますけど、ずいぶんと至れり尽くせりなんですね」

 

「これでも、完璧主義が信条なんでね。あと水や食料は、明日君に渡す車に積み込んでおく。運転は大丈夫なのか?」

 

「はい、車とバイクそれに小型船舶の操縦は、父と岩谷先生に教えてもらったので。もっとも無免許だし、潜在犯として捕まってからは乗ってませんけど」

 

 芹香は苦笑しながらそう言うと、サンドイッチの最後の1つをつまみあげた。

 

「いざという時、一人でも逃げられるようにって、いろいろ教えてもらったのに、私はあっさり捕まっちゃって。でも、ようやく教わった事を生かすことができます」

 

 そう言ってサンドイッチを口に運ぶ芹香を見ていた村木が、コマンドを打つ手を止めて缶コーヒーを手に取った。

 

「君の両親は、市民に義務づけられている出生届もDNA提出もせずに君を育てたそうだが、シビュラシステムによる管理に否定的だったのか?」

 

「全面的に賛成していた訳ではないですけど、このシステムに管理されている社会を完全否定もしていませんでした。ただ臆病だっただけなんです。自分達の大事な娘を潜在犯として奪われるのが怖かったんですよ」

 

 そう言うと芹香は缶コーヒーのプルタブを開け、缶に口をつけた。

 

「父が大学病院を辞めたのも、病気を抱えたまだ年端もいかない子供が潜在犯認定を受けて、両親から引き離されていくのを見るのが耐えられなかったからなんです。今はまだ犯罪係数と遺伝の関連性は解明されていませんけど、うちの家系って犯罪係数が上がりやすい人が多かったらしくて、それで余計不安だったんでしょう」

 

 そう言って笑顔を見せる芹香の様子を見て、村木も口元に笑みを浮かべた。

 

「なるほど、そういう事だったのか。だがよかったのか? 俺にそんな話をして」

 

「別にかまいませんよ。ただの昔話ですから。ごちそうさまでした。これ、結構おいしかったです」

 

 芹香は、食べ終えたサンドイッチのパックと缶コーヒーを、紙袋に戻しながら言った。

 

「ひとつ、聞いていいか? 君自身はどう思っている。このシビュラシステムによって管理された社会を。君は今では潜在犯だ。もしシステムが無くなれば、晴れて自由の身になれるんだぞ」

 

 村木の問いかけに、芹香は少し考え込むような素振りを見せた後、口を開いた。

 

「確かに、システムが無くなれば自由の身になれるかもしれません。でもシステムが無くなる事が、本当に良いことなのか私には判らない。システムに管理されているようなこの土地に楽園を求めて、命がけで密入国してくる人を見ていたら、シビュラシステムに管理されたこんな社会でも、外国のように内乱やテロで混乱した世界に比べれば、楽園なのかなとも思うし」

 

 芹香はそこまで言うと、鉄格子のはまった窓へ視線を移した。

 

「それに、万が一システムの停止によって都市機能が麻痺して住民がパニックになったら、あっという間にサイコハザードが起きる。そうなると鎮圧のために駆り出されるのは刑事課にいる執行官。一係のみんながこんな事で危ない目に遭うのは嫌ですし。だから、敵に寝返ったりしませんよ。それが一番心配だったんじゃないですか、村木さん?」

 

 そう言って笑いかける芹香に、村木は肩をすくめて見せた。

 

「当たりだ。君を疑ってすまなかった。だが、君の話を聞いて安心したよ」

 

 そう村木が言ったとき、ノートパソコンから電子音が鳴った。

 

「準備が出来た。解除コード入りのチップを渡してもらおうか」

 

 村木の言葉を聞いて、芹香は立ち上がりベルトに装着しておいた小型のポーチから小さなケースを取り出すと、村木に手渡した。

 

「これです。それとこれは公安局にあるものと同じだと思いますが……」

 

 そう言うと、芹香は両耳のピアスをはずし、それも村木に渡した。

 

「岩谷先生が所持していた、シビュラシステムに関する全データが納められたマイクロチップが入っています。私には、もう必要ないものなので」

 

「判った、預かろう」

 

 芹香に渡されたピアスをケースに入れ、代わりに黒いシートをつまみ上げた村木は、スーツのポケットからソルジャーナイフを取り出し、シートを切り開くと、中からデータチップを取り出した。

 データチップをアダプターにセットし、ノートパソコンのスロットに挿入した村木が、キーボードをかなりのスピードで叩き始めた。と同時に、ノートパソコンの画面上では、細かい文字列が大量に流れていく。

 

「よしシステムとのリンクが確立できた、解除コードを送信する」

 

 芹香は村木の後ろで、ノートパソコンの画面をのぞき込んだ。大量の文字列が高速で画面上を流れたあと、”emergency-mode UNLOCK”の表示が現れる。

 

「ロック解除成功。これで最悪の事態は避けられる。君のおかげだ」

 

「いえ、私は何もしていませんし。それに私の仕事はこれからです」

 

「そうだったな」

 

 そう言うと村木は立ち上がり、傍らに置いていた黒いケースに手を伸ばした。床に膝をつき、村木はケースのロックを解除する。ケースを開けると、中にはドミネーターが1丁収納されていた。

 

「ドミネーターだ。君のIDは登録してある。表向き君の執行官IDは凍結扱いだが、局長権限で別ルートで認証されるようになっている」

 

 芹香は、村木に差し出されたドミネーターを手にした。

 

『携帯型心理診断鎮圧執行システム ドミネーター起動しました ユーザー認証 北条芹香執行官 使用許諾確認 適正ユーザーです』

 

 聞き慣れた指向性音声による認証確認の声を聞いた芹香は、大きく深呼吸をすると厳しい表情でドミネーターを見つめた。

 

「怖いか?」

 

 そんな芹香を見て、村木が声をかける。

 

「多少は。でも大丈夫です。覚悟はできてますから」

 

 そう言うと、芹香は村木に笑顔を見せた。その表情を見て、村木も口元に笑みを浮かべる。

 

「いい顔だ。そういう顔が出来る奴なら、たいていのことは上手くいく。自信を持て」

 

「はい。ありがとうございます、村木さん」

 

 芹香は手にしたドミネーターに、もう一度視線を戻した。

 

(やっと掴んだチャンスだもの。必ずやり遂げてみせる)

 

 心の中でそうつぶやいた芹香は、ドミネーターのグリップを握る手に力を込めた。

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