Paradise Lost   作:颯月りお

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「準備はもう済んだのか?」

 

 部屋に入ってきた村木が、ベッドの端に腰掛けていた芹香に声をかけた。芹香は視線を上げて村木に笑顔を見せると、手にしていたメモ用紙を丁寧に折りたたみ胸ポケットにしまいこんだ。

 

「はい、もうすっかり。頂いた服も、ブーツもサイズぴったりでした」

 

 今の芹香は、戦闘用ブーツに迷彩柄のカーゴパンツ、グリーンのインナーシャツに、迷彩柄とオリーブドラブ色のリバーシブルジャケット姿だった。

 昨日まで身につけていた執行官の制服は畳んでベッドの上に置かれている。

 

「戦闘服も、なかなか似合うじゃないか。着替えた執行官の制服はどうする? 一係に送りつけておくか?」

 

「いえ、どのみち貸与品ですし。処分は村木さんにおまかせします」

 

 芹香はそう言うと左手を伸ばし、少しだけ名残惜しそうに制服に触れた。

 

「判った。ところで、さっき情報が入ってきたんだが、6カ所目のケーブル収容施設が、12時10分ごろ爆破されたそうだ」

 

 村木は机の上に、最近ではあまり見かけない、特殊用紙を使用した地図を広げながら言った。

 

「回答期限から10分ですか。早かったですね。やっぱり、最初から爆破を見送るつもりなんてなかったってことなんでしょうけど。で、結局公安局は、どう返答したんです?」

 

「公安局としては、何も返答していない。相手に余計な情報を与えないほうが、君にとっても都合がいいだろう」

 

 そう言うと村木は、ベッドに腰掛けていた芹香を手招きした。芹香は立ち上がり、机の側まで行くと、広げられた地図をのぞき込む。

 

「現地までの地図ですね。このルートを通ればいいんですか?」

 

 芹香は、指先で地図に引かれた蛍光ペンのラインをなぞった。

 

「ああ。車のナビシステムにも、このルートは登録してあるが、一応地図で全体を把握しておいたほうがいいと思ってな。現在地はここ南千歳だ」

 

 蛍光ペンで大きく丸が描かれたポイントを指さした村木は、蛍光ペンのラインに沿って、指を滑らせていく。

 

「ここから、旧国道36号線を通って、室蘭までは約95km。車で2時間ほどだ。このルート上に設置されている監視カメラ、簡易色相スキャナは、君の車両に関しては記録を残さない設定にしてある。ルートから外れると、監視カメラに引っかかるから注意してくれ」

 

「判りました」

 

「それと、現地での待機ポイントだが、施設の様子と、海上の船舶が接近する様子が両方同時に把握出来て、目立たない場所という事で選んだ。木々に囲まれているので車の様子が周囲には判りにくいし、木々の隙間を通しての見晴らしがいい。昔は展望台だったそうだが、かなり前に封鎖された場所だ。今日はまず、ここに向かって、後は犯人グループが現れるのを待つといい。この場所からケーブル収容施設までは、20分くらいで行く」

 

 そう言って村木はスーツのポケットに手を入れると、3つの古めかしい鍵のついたキーホルダーを取り出し、芹香に差し出した。

 

「待機ポイントに繋がる道路は、今ゲートで封鎖されている。これがゲートの鍵だ。まだセキュリティシステムが完備される前の代物だから、錆び付いてるかもしれんが、なんとか突破してくれ。車を中に入れてから鍵をかけておけば、より安全だろう」

 

 芹香は、差し出された鍵を右手で受け取ると、感心したような表情を見せる。

 

「本当に公安局の特務課って、何でも出来ちゃうんですね。こんなものまで手に入れてくるなんて」

 

 受け取った鍵を胸ポケットに入れながら、芹香が言った。

 

「まあ、特務課なんて偉そうな名称がついているが、所詮俺達は、何でも屋だからな。刑事課のように、誰かと組んで仕事をする事も無い。それぞれが自分に与えられた任務を一人で遂行する事がほとんどだ。もっとも、君を連行する時に連れて行った黒服のやつらのように、手持ちの部下を使うこともあるけどな」

 

 机に広げていた地図を畳みながらそう言った村木は、芹香に視線を向けると笑みを浮かべた。

 

「だから、本気で君の心配してる一係の奴らが、俺には、ちょっと新鮮に映ったよ」

 

 そう言って地図を差し出す村木に、芹香も笑顔を返す。

 

「今の一係は、たまたまそういうメンツが揃っちゃったんですよね。他の課の人から見たら、馴れ合ってるみたいに映るらしいですけど。そういえば、私の件は、結局どう処理されたんですか?」

 

「君の件に関しては情報統制が引かれた。君に関する質問は禁止、消息に関しても一切公表さない。建造物爆破事件の担当は、特務課が引き継ぐということで、もう刑事課は一切手出しできなくなった。一係の人間にとっては、納得いかない結果だろうがな」

 

「きっと片山怒ってるだろうなあ。私を引き渡したのに、なんで爆破されたんだって。机に蹴り入れて、壊したりしてなきゃいいけど」

 

 この手の通達事項を伝えるのは、たいてい三波の役目だ。元々相性のよくない三波に食って掛かる、片山の姿が目に浮かぶようで、芹香は大きなため息をつく。

 

「さて、そろそろ車の準備を始めるか。出来れば日没前には待機ポイントに入った方がいい」

 

 村木は腕のデバイスで時間を確認すると、ドミネーターを格納したケースを手に、部屋のドアを開け廊下に出た。芹香もカーゴバッグを肩にかけ、その後に続く。

 

「ひとつ聞いていいか?」

 

 薄暗い廊下を格納庫に向かって歩いていた時、村木が思い出したように芹香に問いかけた。

 

「なんですか?」

 

「岩谷博士はなぜエマージェンシー・モードにロックをかけて公安局を去ったんだ? 君は、その理由を聞いているのか?」

 

 村木の問いかけに、芹香は静かに頷いた。

 

「最初は、シビュラシステムの極秘事項を知ったまま公安局を離れる、自分の身の安全を確保する目的だったらしいです。解除コードが手元にあれば、いざというとき、これを公安局との取引材料にできると。でも公安局から逃げるようにやってきた北海道で、たまたま私の両親と親しくなって、システムに逆らってでも、娘を守ろうとしている両親の思いを聞いた時、この解除コードを私が身を守るための切り札として使う事を決めたそうです」

 

「それで岩谷博士は、解除コードとシステムの全データを君に渡したのか」

 

「ええ。解除コードの入ったデータチップは、私が12歳の時に、父の手で私の腕に埋め込まれました。もちろん私も同意の上です。先生はこれを一生使うことなく、私が生き抜いてくれればいと願っていたんですが、結局だめでした。でも今回いいタイミングで、この切り札を使えたと私は思っています」

 

「なるほどな。そこまでして、ご両親と岩谷博士が助けようとした命だ。こんな事に首突っ込まないで、大事にしたほうが、よかったんじゃないのか?」

 

「それを言われると困っちゃうんですけど。でも、このまま何もせずに後悔を抱えたまま生きるより、今の自分に出来る精一杯の事をしたいなって。結局先生を死に追いやった奴らの事は、どうしても私の手で決着つけたいんですよね」

 

 芹香がそう言い終えた時、二人ははシャッターの開け放たれた車庫の前にたどり着いた。そこにはブロンズメタリックのカラーリングを施した3ドアワゴンタイプの車が1台駐められている。

 

「下手に軍用車なんかを使うとかえって目立つからな。軽自動車の4WDにしておいた」

 

 村木は車の後ろに回りバックドアを開けると、手にしていたドミネーターの格納ケースを積み込んだ。車の後部座席は全て外され、いくつかのコンテナがすでに積み込まれている。

 

「とりあえず、1週間生きていけるだけの物資は積み込んでおいた。もっとも犯行グループは、すぐに最終目標の爆破に向かうだろうから、こんなに必要ないと思うが」

 

 積み込まれているコンテナの1つを叩きながら、村木は助手席にバッグを積み込んでいる芹香に声をかけた。

 

「そうですね。期間をあければ、それだけ警戒が強くなると向こうも思っているでしょうし、せいぜい2~3日中には、最後の爆破を行うつもりだと思います」

 

 芹香は助手席のドアを閉めると村木の傍らに立ち、荷物が詰め込まれた車内をのぞき込んだ。そんな芹香の横で村木は、腕のデバイスを操作し始める。

 

「君の執行官デバイスにファイルを2つ転送しておいた。1つは積み込んだ荷物のリストだ、後で確認するといい。それともう1つが北海道周辺の海域と地上で今月に入ってから使用された痕跡のある周波数の一覧だ。やみくもに探すよりは効率がいいだろう」

 

 村木にそう言われ、芹香は腕の執行官デバイスを操作し、送られたファイルをホログラムディスプレイに表示させた。

 

「助かります」

 

 ファイルに一通り目を通した芹香が、ディスプレイ表示を消すのを見て、村木は車のバックドアを閉めた。そしてスーツのポケットから取り出した、車のキーを芹香に渡す。

 

「俺がバックアップ出来るのは、ここまでだ。後は君に任せる」

 

「はい。ここまで色々していただけるとは思っていなかったので、本当に助かりました。ありがとうございます、村木さん」

 

 鍵を受け取った芹香は、村木に頭を下げ、車の運転席に向かって歩き出した。運転席に収まりエンジンをスタートさせる芹香を、村木は窓の外から見守っている。

 準備を整えた芹香は、車の窓を開け村木に視線を向けた。

 

「今回の件、局長には感謝していると伝えてください。おかげで私は、自分の手で先生を死に追いやった犯人を追い詰めることができる」

 

 そう言うと芹香は、村木に笑顔を見せた。

 

「判った、伝えておこう。後は君一人の戦いだ。成功を祈る」

 

 村木の言葉に頷いた芹香は、なめらかに車を発進させる。バックミラー越しに、村木が敬礼しているのが見えた。

 もう誰にも頼ることは出来ない。覚悟をしてきたつもりでも、やはり不安や恐怖は、まだ心の中にある。

 

(私一人の戦いか……)

 

 それでも、芹香は先へ進む事を選んだ。

 すれ違う車も無い旧国道の直線道路をまっすぐ見つめ、芹香はアクセルを踏み込んだ。

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