Paradise Lost   作:颯月りお

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 村木が指定した待機ポイントは、確かに最高のポジションだった。

 昔展望台だったということだが、その痕跡は、わずかにペンキの跡が残る柵と、石造りのベンチ、それに文字が判別出来なくなっている看板だけに残っている。

 おそらく、数日前までは草むらに覆われていたであろうその場所は、綺麗に除草されており、山の斜面を埋め尽くしている木々の枝が、何本か切断され見晴らしが良くなっていた。

 完璧主義が信条だと言っていた村木の仕事ぶりに、改めて芹香は感心する。おかげで車の中にいたまま、海上の監視をすることが出来た。

 

「やっぱり、昼間は来ないのかな」

 

 双眼鏡を手に海上を見つめていた芹香は、船影らしきものが全く見えない事を確認して、双眼鏡を助手席に戻した。

 助手席では、予備バッテリーに接続した軍用無線機から、断続的にノイズが聞こえている。使用可能な周波数帯域を自動でチェックし、送受信が確認されるとチェックを止める設定にしてあるが、いまのところめぼしい内容は受信出来ていない。

 監視カメラや簡易色相スキャナが配置されている陸路を使って、この場所にくるとは考えにくい。来るとすれば、これまで同様、海上からと見て間違いないだろう。

 ここで海上を監視していれば、必ず奴らは現れるはずだと、芹香は考えていた。

 

「まあ、焦ってもしょうがないか……」

 

 芹香はそうつぶやくと、少しリクライニングさせた座席に体を預けた。視線をフロントガラスに向けると、青い空に白い雲が浮かんでいるのが見える。

 一人で、ぼんやりと空を眺めるのは、いつぶりだろうと芹香は思った。潜在犯として施設に入れられてからは、空を見ることは出来なかったし、執行官になってから外に出るのは仕事の時だけで、ゆっくり空を眺める余裕など無かった。

 今は、ある意味自由の身だったが、特に嬉しいという感情は起こらない。これからの事を思えば当然だが、それ以上に側にいて欲しい人がいないというのが、一番の原因のような気がした。

 

 芹香はジャケットの胸ポケットから、一枚のメモ用紙を取り出した。見覚えのあるそのメモ用紙は、芹香の部屋のワークスペースに置いてあったものだ。

 四つ折りにされた、メモ用紙を丁寧に開くと、そこには、見慣れた真里亜の字が並んでいる。

 これを見つけたのは、金曜日の夜だった。いつのまに入れたのか、データチップを入れたケースを収納していたベルトポーチの中に、このメモ用紙が入っていた。

 もう何度も読み返していた真里亜からのメッセージを、芹香はゆっくりと目で追っていく。

 

  『芹香へ

   私に何も告げず、黙ってここを出て行こうとしているあなたへ

   せめて、私の気持ちだけは伝えておきたい

   そう思って、今これを書いています

   

   爆破事件が起きてからのあなたを見ていて

   なんとなく、こうなる予感はしていました。

 

   正直言って、本当は、あなたを引き止めたいです

   どこにも行かないでと、今すぐにでも言いたいです

 

   でも、そうすると芹香に余計辛い思いをさせる

   あなたが、岩谷博士を襲撃した犯人を追い詰めたいと

   ずっと願っていたことを、知っているから

   私には、あなたを止めることはできませんでした。

 

   だから、私は自分の想いを、このメモに託して

   芹香の嘘に気づかないふりをして、あなたを送りだそうと思います

   

   芹香

   あなたが、私を本当に大切に思ってくれている

   それを、私はいつも感じていました

   あなたに出会って、あなたを好きになって、本当に良かった

   この気持ちは、これからもずっと変わりません

   私は、芹香が戻って来てくれるのを、ここでずっと待っています

   

   だから、必ず戻って来てください

   それが私の、たった一つの願いです

 

   真里亜 』

 

 もう文面を暗記できるほど、何度も読み返していたメモ用紙を、芹香は愛おしそうに見つめた。

 きっとこのメモを書いた時、真里亜は涙を見せずに私を送り出そうとしていたに違いない。

 でもあの日の朝、真里亜は泣いていた。いざ現実に別れの時が来たら、堪えることが出来なかったのだろう。

 それでも、必死で笑顔を作ろうとしていた、真里亜の気持ちを考えると、芹香は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

「戻ってあげられるかな……」

 

 執行官になって3年の間、それなりに危ない現場も経験してきた。執行官研修で一通りの逮捕術や護身術は教わったし、日々トレーニングは積んでいる。

 けれど、芹香は戦闘のプロではない。いくらドミネーターがあるとはいえ、戦闘訓練もしているであろう相手を前に、100%勝ち目があるとは、とても言い切れない。

 こんなところでむざむざ死にたくはないが、絶対に生きて帰るという自信もない。これは一か八かの賭けだった。

 

「あきらめなければ、勝機はある……か」

 

 瀬川に言われた言葉が蘇る。今の芹香は、その言葉を信じて全力を尽くすしかなかった。

 真里亜からのメモを、芹香は丁寧に折りたたみ、祈るように両手で挟み込んだ。

 

「真里亜、ありがとう」

 

 真里亜だって、本当はもっと言いたい事があったはずだ。無茶な真似はするなと、自分を置いていくなと言いたかったはずだ。

 けれど、芹香の為を思って、こうして送り出してくれた事が、嬉しくもあり、辛くもあった。

 真里亜からのメモを、ジャケットの胸ポケットに戻し、芹香は再び空を見つめた。

 

 もし、願いが叶うのなら……真里亜の隣で、この青空をもう一度見たい。

 

 そう願いながら見つめた青空が、ほんの少し涙で滲んだ。

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