Paradise Lost   作:颯月りお

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 刑事課のオフィスに入る前、芹香は化粧室で自分の姿を鏡に映していた。

 ネクタイは曲がっていない、ボタンも全部とめてある。

 両耳のピアスについては、両親の形見だと嘘をついてからは、もう何も言われなくなった。

 いつもは適当にゴムでまとめている、セミロングの髪も今日は後れ毛が目立たないようにしっかりピンでとめてある。

 

 今日同じ勤務シフトに入る三波義久監視官は、細かいところに口うるさいが、少なくともこれで、外見上は小言を言われる要素は無いはずだ。

 余計な説教を聞かされることなく、勤務シフトが終わることを祈りながら、芹香は化粧室を出て、刑事課一係のオフィスに向かった。

 シフト開始時間の15分前。

 大慌てで仕度を調えただけあって、十分余裕のある時間にオフィスにたどり着くことが出来た。

 

「おはようございます」

 

 部屋の一番奥に座っている三波監視官と、カップにコーヒーを入れていた片山雅弘執行官が、おはようと返事をするのを聞きながら、芹香は自分の席につく。

 

「北条執行官」

 

 席に着くなり、三波監視官が芹香に声をかけた。

 けれどその視線は芹香ではなく、机の端末に注がれたままだ。

 

「はい」

 

 芹香は、おもわず背筋を伸ばして返事をした。

 

「昨日君が提出した報告書、修正指示をいれたものを共有フォルダに入れてある。修正後、再提出だ」

 

「はい、すみません」

 

 芹香は起動した端末を操作し、修正指示の入った報告書を表示させる。

 出動の合間に大急ぎで書いたせいか、誤字脱字、必要なデータの添付忘れなど、三波からの修正指示はいつもより多かった。

 芹香は、ため息をつきそうになるのを抑えて、書類の修正をはじめた。

 

 このところ、週に一度のロシアからの定期交易船が、札幌港に入港する日は、出動が多くなる傾向にあった。

 海外諸国との交流が大幅に規制され、鎖国状態に近い日本において、札幌港は特例として海外との交易をゆるされている。

 交易と言っても、輸入されてくるのは、液化天然ガスや、稀少鉱物、輸出しているのはエゾシカの食肉やハイパーオーツ程度で規模はそれほど多くはない。

 日本の中心都市である東京と離れた場所に交易拠点をもうけているのは、密入国者などを東京に直接出入りさせない事と、たとえ北海道への上陸を許しても青函トンネルが使えない今、津軽海峡が本州との防壁の役目を果たすことが出来る為だった。

 

 今北海道で一般人が居住することが公に認められているのは、札幌を中心とした都市部とその周辺エリアの一部、そして道内数カ所に点在する農業地区だけだ。

 本州では、完全自動化された農地で生産されるハイパーオーツという作物により、食料のほとんどをまかなっているが、北海道ではいまだに米、小麦、野菜等を生産する農家や、牛や羊を飼育する酪農家などがほんのわずかだが生き残っていた。

 東京への人口集約が政策的に実施されても、北海道が都市として生き残れたのは、供給量は全体の1パーセント程度とはいえ、食料供給基地としての役割が大きかったためだ。

 

 しかし東京から離れているとはいえ、社会の仕組みは北海道も同じだった。

 町中に色相チェックの為の簡易センサーが配置されているのはもちろん、犯罪係数が高ければ身柄を拘束され、更正施設や収容所に送致される。

 けれど犯罪係数が高くなく、色相もクリアな善良な一般市民は、東京と同じようにシビュラの恩恵をうけることが出来、そんな市民の平穏な生活を維持するため、東京とまったく同じ機能を持つ公安局北海道支部があった。

 

『エリアストレス上昇警報。 中央ステーション構内において規定値超過のサイコ・パス色相を計測。当直監視官は執行官を伴い、直ちに現場へ急行してください』

 

 警報音と共に機械的な女性の声がフロア全体に響き渡る。

 

「ああ、もうちょっとで終わるところだったのに……」

 

 芹香は、キーボードを打つ手を止め、渋々椅子から立ち上がった。

 

「まぁ、そうぼやくなって。時間的にこの出動が終わったら、俺達はシフト明けだ。出動が1度で済んだことに感謝しようぜ」

 

 コートの袖に手を通しながら、片山が芹香に言った。

 

「まぁねぇ……。昨日に比べたら穏やかな午前中だったし」

 

 芹香もコートを手に取り片山に続いて、廊下に出る。

 

「もうすぐシフト明けだからといって、気を抜いた仕事はするな」

 

 芹香と片山を追い抜きながら三波は言い、どんどん先を歩いていく。

 

「了解!」

 

 片山が三波の背中にそう言いながら、芹香に肩をすくめて見せる。

 芹香は片山に苦笑いを返すと、三波の後を追って、歩調を早めた。

 

 

「ねえママ!あれコミッサちゃんだよ!」

 

 母親に手を引かれた、小さな男の子が、コミッサ太郎のホロコスをまとっている片山に手を振っている。

 

「ばいばーい」

 

 片山が手を振り返すと、男の子は嬉しそうな顔をして、母親に何か話しかけていた。

 

「芹香も、手くらい振ってやれよ」

 

 片山が小声で言うのを聞いて、芹香は渋い顔をした。

 

「私、ホロコスで愛想振りまくの苦手なのよ」

 

 そう言いながら、芹香は周囲に視線を走らせている。

 中央ステーションには都市内の各エリアを結ぶ地下鉄の路線と、札幌港や地方をつなぐリニアトレインの路線が乗り入れていた。

 そのせいか、平日の昼間でも改札口付近は、多くの人で混雑している。

 

「それらしいの、いないな。逃げられたんじゃないのか?」

 

 人の多いエリアを抜けたところで、片山が言った。

 構内で規定値超過の色相を計測したとはいえ、正確な場所までは判らない。

 不審人物は目視で探しだし、必要とあらば声をかけて、規定値超過の数値を出している人間を捜さなければならなかった。

 

「ステーションの全出入り口は今ドローンが固めてるし、それは無いと思うけど……」

 

 そう言いかけた芹香の視線の先に、人影が見えた。

 

「片山、ターゲットらしいの発見」

 

 芹香の視線の方角に、片山も顔を向けた。

 エスカレータ横にある柱の影で座り込んでいる少年がいる。

 紺色のコートを着てカバンを抱え、白い肌とブラウンの髪が日本人ではないことを表しているその少年は、何かに怯えるように、周囲をきょろきょろ見回していた。

 

「密入国者かな? 何語通じると思う? 俺、ロシア語で昼飯賭ける」

 

「昨日ロシア船が入港してるんだもの。私もロシア語に賭けたいわよ」

 

「実は大穴で英語かもよ? どっちにする? 芹香がどうしてもロシア語に賭けたいってんなら、俺英語に変えるけど?」

 

 そういうと片山は、コミッサちゃんのホロコス姿でおどけてみせた。

 

「……じゃあ、いいわよ。英語で」

 

「よしっ決まりだ。昼飯、何にしようかなあ……」

 

 そうつぶやいた片山の横で、芹香は腕の端末から監視官を呼び出した。

 

「こちらウルフ3、18番ゲートエスカレーター付近でターゲットらしい外国人少年を発見」

 

「よし、すみやかに身柄を確保しろ。その付近はすでに市民の通行規制を敷いている。周囲に人がいないならホロコスは解除していい。私もすぐそちらへ向かう」

 

「了解」

 

 芹香が返事をした次の瞬間、隣にいた片山が走り出す。

 視線を向けると柱の影にいた少年が、カバンを抱きしめたまま逃げようとしているところだった。

 

「一言声かけなさいよ!」

 

 そう言うと、芹香も片山を追って走り出す。

 少年は、何度もこちらを振り返りながら、怯えた表情で通路を走り続けていた。

 けれど、片山の足の速さは、支部で並ぶ者がいないほどだ。

 ほどなく少年は、片山に肩をつかまれた。

 あきらかに英語では無い言語で、何かを叫び出した少年に、片山は自動翻訳装置を経由して話しかける。

 

「公安局です。入国許可証のチェックにご協力いただ……うわっ!」

 

 突然片山は叫び声をあげ、左手を押さえてうずくまった。

 

「片山!」

 

 なんとか追いついた芹香が少年を見ると、彼の手にはスタンガンが握られている。

 穏便に身柄確保というわけには、もういかない状況だった。

 

「はい、もうゲームオーバーよ」

 

 幸い周囲に人はいない。

 芹香は、腰のホルダーに装着していたドミネーターを手に取り、少年に向けた。

 

「犯罪係数230 執行対象です。セイフティを解除します」

 

 指向性音声が芹香の耳に届き、怯えた表情で再び走り出そうとしている少年の背中に向かって、芹香は引き金を引く。

 背中に電磁波の直撃を受けた少年は、一瞬身体を硬直させた後、意識を失いその場に倒れ込んだ。

 

「すまん芹香、油断した」

 

 左手をさすりながら、片山が芹香に言う。

 

「子供相手に、何やってんのよ。監視官に連絡いれてくれる? 私は身柄確保する」

 

 芹香は、少年の傍らにしゃがみこみ、呼吸と脈拍を確かめると、少年の両腕を背中に回し、両手首に手錠をかけた。

 

「300行ってなくてよかった……まだ殺されたくないわよね」

 

 そう言いながら芹香は、まだ十分に幼さが残る少年の頬に手をそえた。

 この地に足を踏み入れた人間は、等しく犯罪係数と色相によって監視される。

 たとえ外国籍の人間であっても、ドミネーターがリーサル判定をたたき出せば、問答無用で執行対象となった。

 

「芹香、入国管理局の係官がこっちに向かってるそうだ。身柄引き渡しまでは、現場で待機だとよ」

 

「了解」

 

 そう返事を返して、芹香は再び少年の横顔を見た。

 今回の少年は殺さずに済んだ。

 けれど、芹香は、リーサル判定を叩きだした、これくらいの年齢の少年の命を奪ったこともある。

 

 その人間が、この地にいてはいけないとシビュラが判定したなら、どんな相手であろうと執行官はそれに従う。

 それが今の、この国の正義であり、執行官としての役割だった。

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