Paradise Lost   作:颯月りお

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 車のボンネットに寄りかかり、緩やかに湾曲した水平線が広がる景色を見つめながら、芹香はブロック状の栄養補助食品を囓っていた。

 この時期にしては気温が高めで、外にいてもあまり寒さは感じない。青い空、太陽の日差し、時折吹く風に揺れる木々の微かな音。あまりにものどかな光景に、現実を忘れそうになる。

 芹香は、ボンネットに置かれた双眼鏡を取り上げ、水平線をゆっくり辿ってみた。今のところ船影らしきものは何も見えない。奴らの船は、日中は陸から見えない距離まで移動して、日が落ちてから戻ってくるつもりなのだろう。

 双眼鏡をボンネットの上に戻し、芹香は空を見上げた。

 あと9時間ほどで、全てに決着がつく。もっと恐怖感や緊張感が襲ってくるかと思っていたが、意外と気持ちは穏やかだった。

 

(この青空も、見納めかな……)

 

 ふとそんな事を考えて、まるで死にに行くみたいだと、芹香は苦笑した。

 その時、腕の執行官デバイスに、守秘回線の通話要求表示が出た。ホログラムディスプレイに表示されているIDは、村木のものだ。

 

「北条です。何かありましたか? 村木さん」

 

 通話回線を開いた芹香は、そうデバイスに向かって話しかけた。

 

「お、結構落ち着いてるな。今頃、怖くて震えてるんじゃないかと思ったぞ」

 

 村木の言葉に、芹香は小さく笑う。最初に見た印象では、堅苦しいだけの人間かと思っていたが、意外と気さくな所が、少し瀬川に似ていると芹香は思った。

 

「今は車の外で、軽く食事中です。不思議なくらい落ち着いてます」

 

「出発まで、どうせまだ5時間くらいはあるんだろう? 今はそれぐらいでちょうど良い。肩の力を抜いて、のんびり身体を休めておけ」

 

「はい、そうします。あ、装備確認させてもらいました。ドミネーター以外にもいろいろ用意してもらって、助かります」

 

「相手が何人いるか判らないからな。あまり数は用意出来なかったが、うまく使って乗り切ってくれ。」

 

 村木が車に積み込んでくれていたコンテナの一つには、電磁パルスグレネードが6個、電気衝撃警棒が1本、それにドミネーターの予備バッテリーが1つ納められていた。

 電磁パルス・グレネードと、電気衝撃警棒があれば、ドミネーターを使わなくても、ある程度の人数の動きを麻痺させることが出来る。フル充電状態でも、発射可能弾数に限りがあるドミネーターを温存するするにはちょうど良かった。

 

「ところで村木さん、どうして私が今日出発するって知ってるんです?」

 

 さらりと言ってのけた芹香の一言で、村木が絶句するのがデバイス越しに判る。芹香は、くすくすと笑うと話を続けた。

 

「村木さんの事だから、車に盗聴器くらいしかけてあるんだろうなって思ってましたけど、当たりだったみたいですね」

 

「すまん、これも一応仕事なんでな。」

 

 小さなため息をついた村木は、そう芹香に言った。

 

「かまいませんよ。爆破予定時間は知っておいたほうが、公安局としても一応安心なんでしょうし、万が一の場合でも、エマージェンシー・モードの起動が判ってる以上、公安局として余計な手出しもしてこないと思ってますから」

 

「それも当たりだ。公安局として警備体制を強化したりもしていない。君の邪魔はしないが、君の援護も出来ない。たとえ君が、どんな危険な状態になってもな」

 

 村木の声が、真剣なものに変わる。やはり村木も、芹香が一人で適地に乗り込む事がどれほど危険な行為なのか、予想がついているのだろう。

 

「判ってます。一人でやらせて欲しいって言ったのは、私ですから。どんな結果になっても、それは私の責任です」

 

「覚悟を決めた女は強いな」

 

 きっぱりと言い切る芹香の声を聞いて、村木は感心したように言う。

 

「そうだ、君に言い忘れていた事がある」

 

「なんですか?」

 

「すべてが片付いたら、俺に連絡しろ。君は局長権限で、また刑事課一係に配属されることになっている。執行官としてな」

 

 村木の言葉を聞いて、芹香は今まで一度も、全て片付いた後の事を考えていなかった事に気がついた。

 

「判りました」

 

 芹香の脳裏に、一係のメンバーの事が浮かぶ。戻れるものなら、またあの場所へ戻りたいと芹香は思った。

 

「今の俺にはこんな言葉しか言えないが……がんばれよ。全て片付けて、君から連絡が来るのを待っている」

 

「はい、ありがとうございました。村木さん、全て片付いたら、連絡します」

 

 芹香の答えを聞いて、村木からの通信は切れた。

 

「……連絡します……か」

 

 一人ですべてを片付けて、生きて連絡を入れることが出来れば、それが最高の結末だ。けれど、その確立は決して高くない。それは芹香が一番よく判っていた。

 今の芹香に出来ること、それはあきらめずに、最善を尽くす事。それだけだった。

 

 日が暮れる前に、装備の最終点検を済ませ、短めの仮眠と食事を終えた頃、海上に船影が見えた。

 軍用の特殊双眼鏡でなければ、見落としてしまうような黒い船影の側で、時折小さな光も見える。おそらく上陸するための準備を始めたのだろう。

 芹香は、注意深くその様子を見守っていたが、しばらくして数隻の小型ボートが陸地に向かって動き出すのが見えた。

 途中岩場の影に隠れて、ボートは見えなくなったが、やがてケーブル収容施設の地上管理棟付近に人影が現れる。何か作業を始める者、周囲の警戒にあたる者、そして、その後に続いてやってきた男の姿に、芹香は双眼鏡のズームを最大望遠に切り替えた。

 

「来た……」

 

 顔まではっきりとは見えないが、そのがっしりした体格には、見覚えがある。あれが犯人グループのトップ、竹下と名乗っていた男のはずだ。

 実際に犯人グループの様子を目の当たりにして、芹香も緊張感が高まってきた。何度か大きく深呼吸して、芹香はなんとか緊張をほぐす。

 後は、自分を信じて前に進むだけだ。

 

(先生、お父さん、お母さん、無茶な真似してごめんなさい)

 

 芹香は、心の中で両親と岩谷に詫びると、ジャケットの胸ポケットにしまい込んでいた真里亜の手紙を取り出した。

 

(真里亜、行ってくるね)

 

 メモ用紙に綴られた真里亜の字を一度だけ指でなぞり、芹香は再び手紙を胸ポケットにしまい込んだ。

 そしてもう一度、大きく深呼吸すると、車のエンジンをかけた。

 目指すのは最後のケーブル収容施設。

 闇に包まれた道路に向かって、芹香は静かに車を発進させた。

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