背中を激しく蹴り上げられる感触で、芹香は意識を取り戻した。冷たいコンクリートが頬に当たっているので、床に転がされているのが判る。
電極を押し当てられたせいで、首筋から背中にかけて、まだしびれが残っている。全身がだるく力が抜けたような状態で、まだ満足に身体が動かせない。なんとかゆっくり目を開けると、頬に傷のある男がしゃがみこんで、芹香の顔をのぞきこんでいた。
「お目覚めかな、お嬢さん」
芹香の目の前にいる男は、口元に笑みを浮かべてはいるが、その視線はひどく冷酷なものだった。
「ずいぶん……手荒な歓迎を……してくれたものね、竹下さん」
やっとの思いで声を出した芹香は、今の自分の状況を確認しはじめた。両手は後ろ手に手錠で拘束されている。右太ももの後ろにある異物感は、ネイルガンから放たれた釘が残っているせいなのだろう。
「当然だ。公安局の犬には相応しい出迎えだったろう? 君の大活躍は、あらかじめ設置しておいた監視カメラから、じっくり拝見させてもらったよ」
そう言うと竹下は、床に倒れている芹香のジャケットの襟を掴みあげた。力任せに上半身を引き起こされ、右足に残る釘が肉をえぐる感覚に、思わず芹香は顔をしかめる。
「君が、北条芹香だというのは間違いないようだな。潜在犯から執行官になっていたとはね。ちょっと驚いたよ」
襟元を掴んだまま、竹下が芹香を見下ろすように睨みつけている。芹香が執行官だと判っているのは、監視カメラから、ドミネーターを使っているのを見られていたせいだろう。
ドミネーターを持てるのは、公安局の人間、それも監視官と執行官だけという事くらいは、たいていの人間は知っている。
「騙されたままドミネーターの餌食になるほど、バカじゃなかったって事ね」
芹香は、竹下を睨み返しながらそう言うと、視線だけで周囲を見回した。正面の壁に埋め込まれたモニターディスプレイや計器類、その手前に制御用コンソールが配置されている事から、やはりここは中央制御室なのだろう。
そして芹香の横には、ネイルガンを手にした男が、照準を芹香に合わせたまま立っている。
「正直、半分は信じていたのだがね。今時の若い娘は、あんな感じなのかと。だが今の口ぶりを聞くと、あれは君の演技だったようだな」
「結構大変だったんだから、褒めてもらいたいわね。それと、首、苦しいんだけど。手離してくれない?」
芹香の言葉に、苦々しい表情をした竹下が、乱暴に手を離す。バランスを崩してまた床に倒れ込みそうになるのを、芹香はなんとか堪える。その反動で動いた右足に、再び焼け付くような痛みが走った。
「痛いか? でも安心したまえ、こいつは腕がいい。太い血管ははずして撃ったそうだ。まだ死んでもらっちゃ困るんでね」
苦痛に顔をゆがめた芹香を見て、竹下が笑いながら言った。釘が傷口を塞いでいるせいもあり、カーゴパンツに広がる血の染みは、まだそれほど大きく無かった。
「で、あまり良い答えを期待はしていないが、シビュラシステムに関するデータは、持っているのか?」
竹下の言葉を聞いて、今度は芹香が笑みを浮かべて見せた。
「ついこの間までは、持っていたんだけど、もう公安局に全部渡しちゃったわ。これでもう2度とあなたたちの手には渡らないでしょうね。お気の毒様」
「やはりそうか」
芹香の笑顔を見て、竹下は眉間にしわを寄せると立ち上がった。そして芹香の負傷している右足を、思い切り踏みつける。
「くっ!」
上から押さえつけられ、刺さっていた釘が、さらに足にめり込んでいく。芹香は思わず苦痛に身をよじった。
「まあいい。我々の目的は、北海道を、シビュラシステムから完全に切り離す事にある。データが無いのは惜しいが、一番の目的が達成されれば、それでいい」
竹下は、芹香の足から自分の足を離し、痛みを堪えている芹香を見下ろした。
「しかし、公安局も大胆な事をする。執行官をたった一人で乗り込ませるとはね。所詮、執行官も潜在犯。捨て駒というわけか」
そう吐き捨てるように言う竹下を、芹香はじっと睨みつける。
「違うわ。私が一人で行くって言ったのよ。岩谷先生を襲撃して、死に追いやったあんたたちに、ドミネーターを向ける為にね」
そんな芹香の様子を見て、竹下は、馬鹿にしたような笑い声をあげてから、言葉を続けた。
「なるほど、敵討ちに来たという訳か。しかし、君が頼りにしているドミネーターは、シビュラシステムがオンラインになっていないと使えないはずだ。山本、それをよこせ」
そう言うと竹下は、山本からドミネーターを受け取り、グリップを握った。
『適正ユーザーではありません トリガーをロックします』
芹香の耳には聞こえなかったが、グリップを握っている竹下には、指向性音声で、エラーメッセージが聞こえているはずだった。
「ほお……これが携帯型心理診断鎮圧執行システム、ドミネーターか。この忌々しい銃も、もうまもなく、タダの鉄くずになる。残念だったな、敵討ちが出来なくて」
「あんまり公安局を舐めないほうがいいんじゃないの? たとえ私が出来なくても、公安局は、あなたたちを取り逃がしたりしない。遅かれ早かれあなたたちは、ドミネーターの餌食にされるわ。残念だったわね、くだらない野望が叶わなくて」
芹香はわざと煽るようにそう言うと、竹下を下から睨みつけた。
「この期に及んで、まだそんな口がきけるとは、たいした度胸だな」
竹下は、ドミネーターを山本に渡すと、芹香の横にいる男からネイルガンを受け取った。
「もう少し、自分の置かれている状況を理解してもらおうか」
竹下の足が、芹香の左膝の辺りを踏みつけた。次の瞬間、ネイルガンを芹香の左太ももに向け、竹下はトリガーを2度引く。
「うっ!」
銃口から射出された釘が2本、芹香のふとももに突き刺さった。苦痛に顔をゆがめ、身をよじる芹香の様子に、竹下は満足そうな笑みを浮かべる。
「俺は、奴と違って急所とかは、よく判らん。お前の運が良ければ、外れているだろう」
芹香は視線を左足に向けた。2本の釘が刺さったカーゴパンツの生地がみるみるうちに、血に染まっていく。
「もうまもなく、ケーブル収容装置のある地下施設が爆破される。それでシビュラシステムのリンクは、完全に切断されるはずだ」
ネイルガンを傍らの男に返し、芹香の左足を踏みつけたまま竹下が言った。いたぶるように踏みつけた足を竹下が動かす度に、芹香の足に激痛が走る。
「シビュラシステムとのリンクが切断された事は、君が持ってきてくれたドミネーターで確認させてもらう。これが完全に使えなくなっていれば、リンクはオフラインになったということだからな」
「それで、私を殺さずに、生かしておいてるわけ? 別にそんなことしなくても、携帯色相チェッカーでも使えば判るんじゃないの? あれだってリンクが切れたら使えないんだから。ああ、あなた達は色相なんて気にしないから、持ってないのね?」
痛みを堪えながら、芹香は努めて平静を装い、竹下に言った。ここで弱気になったら負けだ。
「それだけじゃない。君には、後で知っていることを全部話してもらうつもりだ。これ以上痛い思いはさせないから、安心したまえ。そんな面倒な事をしなくても、今はいい薬があるからな」
「私に自白剤なんか使ったって、たいした情報出てこないわよ」
「それを判断するのは、我々だ。とりあえず君には、もうしばらく大人しくしていてもらおうか」
そう言うと竹下は、芹香の左肩に蹴りを入れ、反動で床に倒れ込んだ芹香の頭を足で踏みつけた。
「か弱い女の子をいたぶるのが好きなの? いい趣味してるわね」
頭を踏みつけられたまま、芹香は竹下を横目で睨みつけた。
「見張りに立たせていた男を6人も潰しておいて、か弱い女の子が聞いてあきれる。もうすぐ爆破の時間だ。ケーブル施設の爆破が終わるまでは、そこで大人しくしてろ」
芹香の頭から足をはずし、竹下はその場を離れると、コンソール席に移動して行った。そのかわり、ネイルガンを持った男の足が、芹香の頭を踏みつける。
「頭踏まないでよ。こんな状態で逃げられるわけないでしょう?」
そう訴えかけてみたものの、男は足をよけようとはしなかった。芹香は小さくため息をつき、目だけを動かしてもう一度室内を見回した。
(コンソール席に2人、私を踏みつけてる男に、竹下とその部下みたいな男で、今ここにいるのは5人か)
エリミネーターモードで撃てる弾数、4発では足りない人数だが、コンソール席の男達は、最悪仕留めそこねても構わないと、芹香は考えた。
後は、シビュラシステムがオンラインになっている時に、ドミネーターを握る事が出来ればいい。もしそれが出来なければ、ゲームオーバーだ。
タイミングとチャンスを見誤れば、全てが終わる。
けれど今の芹香は、両足を負傷したうえ、両手の自由を奪われている。2発の電撃を受けた全身の痺れも、さきほどよりはましとはいえ、まだ残っている。
そして両足の傷が原因なのか、熱も出始めているようで、状況は最悪と言っていい。
(あきらめなければ、勝機はある……)
最悪な状況の中で、芹香の気持ちを支えているのは、瀬川から言われたこの言葉だけだった。