-1-
瀬川は分析室へと続く廊下を歩きながら、腕のデバイスに表示されている時刻を見た。 表示は23時20分。爆破予定時間まで1時間を切っている。
今現場では何が起こり、芹香がどういう状況に置かれているのか、まったく判らないのが、瀬川は歯がゆかった。
午前0時を過ぎて、リンクがオフラインになるか、それとも何事も無くオンラインを維持し続けるか、状況を推測するのは、それしかない。
瀬川は、焦る気持ちを抑えるように、一度大きく深呼吸をすると、分析室のドアの前に立った。
「あ、瀬川さん。すみません、お呼び立てして」
分析室に入るなり、真里亜が瀬川に声をかけてきた。
「飛行ルートのデータ出来たそうだね、藤城君」
真里亜のいるコンソールに近づくと、正面のディスプレイにコマンドで埋め尽くされたウィンドウがいくつも開いている。
「ええ、瀬川さんにもらった位置情報を元に、ティルトローター機の操縦ドローンに設定する飛行ルートデータを作りました。航空管制局には、これで飛行ルートの緊急承認をもらってください。承認されると、このルートは他の航空機が通過出来なくなります。民間機の飛行可能時間は過ぎてますけど、国防軍の使うルートとクロスしてますから」
そう言うと真里亜は、瀬川の監視官デバイスに、データファイルを転送した。
「判った。ティルトローター機の使用申請と、航空管制局への離陸通達それに飛行ルートの緊急承認要請は僕のほうでやる。国防軍の基地から公安局に向かって離陸したことは、ここで判るのかな?」
「ティルトローター機の運用は公安局航空隊の仕事なので、分析室からじゃ判らない事になってはいますけど、離陸した後に強制的に飛行ルートセッテイングしなくちゃいけないので、ちょっと裏技を……」
ばつが悪そうに口ごもる真里亜の様子を見て、瀬川は裏技というのが、何を意味するのか想像がついた。
「大丈夫だよ。なにか問題になりそうなら、僕が責任取るから。無理頼んだのは、僕のほうだしね」
「すみません」
そう言って肩をすくめた真里亜は、ディスプレイの一つに表示されているエリアストレスレベルの数値へ視線を移す。街頭に設置されているスキャナが計測したストレスレベルの数値をモニタリングしているその画面は、システムがオフラインになれば数値が表示されなくなる。
「正直なところ、瀬川さんはどう思っているんです? システムがオフラインになるのかどうか。ここまでオフラインになることを前提に用意しているって事は、かなり分が悪いって思ってるんじゃないですか?」
モニターの数値に視線を向けたまま問いかける真里亜に、瀬川は難しい表情を浮かべ、少し躊躇したあと口を開いた。
「これまでの状況から見て、相手はにわか作りの組織じゃない。それなりの経験と実績を積んでる集団だ。執行官としてある程度訓練を積んできた北条君でも、そう簡単に一人で完全制圧できるとは思えない。確立としては、良くて五分五分ってとこかな」
「やっぱり、そうですよね」
真里亜はそうつぶやくように言い、小さなため息をついた。
「たぶん芹香も、初めからその事には気づいてたと思うんです。それでも行っちゃうなんて、ほんと馬鹿ですよね」
そう言って真里亜は苦笑いをすると、。その瞳にはうっすら涙が滲んでいるように見える。
「同感だ。最低1時間は説教してやらないとダメだろうね。そのためには、ちゃんと北条君を連れ戻してこないとな」
瀬川の言葉に、真里亜は少しだけ泣きそうな表情になる。そんな真里亜に対して、芹香を必ず無事に連れ帰ると言えない事に、瀬川は罪悪感を覚えた。
「芹香の事、お願いします。私は、ここで待つことしかできないので」
真里亜はそう言うと、涙をこらえるかのように唇を噛みしめた。気丈に振る舞っていても、内心では不安に押しつぶされそうになっているに違いない。
「全力を尽くすよ」
今の瀬川には、こんな言葉しかかけられない。そんな自分の無力さを、瀬川はあらためて思い知らされた。
「失礼します。あ、瀬川監視官もここでしたか」
分析室のドアから高峰が顔をのぞかせた。昼間のようなラフな格好ではなく、勤務用のスーツ姿の高峰が、瀬川達のいるコンソール席にやってきた。
「なんだ藤城、頼みって?」
高峰の問いかけに、真里亜はデスクの足元から小さめのクーラーボックスのようなものを取り出した。
「出発する時に、このメディカルキットも持って行ってくれます? 官給品のサバイバルキットにも応急処置出来る程度のものは入ってるけど、万が一、芹香が重傷だった時の為に……」
「判った。大怪我した奴の面倒なら何度も見てる。安心しろ」
言葉を詰まらせた真里亜の肩を叩き、高峰はボックスを受け取った。
「監視官、片山と牧野には話をつけました。もちろん昼間の話は伏せてあります。二人とも23時30分には一係のオフィスに来て待機してるそうです」
瀬川は腕のデバイスで、時間を確かめた。まもなく23時30分になろうとしている。
「さすが高峰君だな。肝心な部分を聞かされなくて、二人は文句言わなかったのか?」
「二人とも、自分達の事を信用してないのかって、ちょっと不満そうでしたが、北条を助けにいけるなら、多少のことには目をつぶると。とりあえず、何が起きても騒がすに黙ってろと言っておきました」
高峰はそう言うと、苦笑いする。おそらくあの二人には、これ以外にもさんざん文句は言われたのだろう。
「それはそうと、本当なら今夜の第1当直から一係がシフトに入るはずなのに、三係に急なシフト変更の通達出てましたが、大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ、二係と三係の監視官には話をつけてある。今日の第1当直から、明日丸1日、一係はシフトからはずしてもらった」
そう答えた瀬川に、高峰は少し複雑な表情を見せる。
「二係と三係はともかく、三波監視官には、話つけたんですか?」
「いや、彼は最後でいいやと思ってね。彼は自分の立ち位置を計算できる人間だ。そういう人間なら十分説得できる。そろそろ僕たちの怪しい動きに気づいて、廊下で僕を待ち伏せしてると思うから、その時に話をするよ」
瀬川は、そう言って高峰に笑顔を見せた。
「三波監視官のことはお任せします。それじゃあ、そろそろオフィスに行きますか、監視官?」
「ああ、それじゃあ藤城君。後は任せる。何かあったら連絡してくれ」
「はい、判りました」
そう言って頷く真里亜を残して、瀬川と高峰は分析室を後にした。
刑事課一係オフィスの手前で、案の定三波が腕組みをして立っている。
「瀬川、話がある」
「ちょうど良かった、僕もお話があるんですよ、三波監視官。ここで立ち話もあれなんで、会議室いきましょうか」
一緒にいた高峰は、先に一係のオフィスに入り、瀬川と三波は小会議室に向かった。
「いいかげん何を企んでいるのか説明しろ、瀬川!俺には一切話もしないで、二係と三係の監視官とシフト変更を決めたり、シフトに入っていない片山と牧野が、自主的に仕事を片付けに来たり、どう考えても普通じゃないぞ」
会議室に入るなり、三波が珍しく声を荒げて言った。
「まだ確定ではありませんが、たぶん北条君を助けに行く事になると思います」
瀬川の言葉を聞いて、三波は一瞬驚いたような顔をし、すぐさま眉間にしわを寄せた。
「瀬川、お前自分が何を言っているのか判ってるのか? 北条執行官を助けに行くだと? いったいどうやってそんな……」
「詳細をお話するのは簡単です。しかし三波監視官、あなたは10年の任期を終えて、まもなく東京の厚生省に戻る予定だ。その予定を、無期延期にしたくないのでは?」
三波の言葉を遮り、瀬川が言う。いつもとは違う瀬川の表情で、三波はその言葉の真意に気づいた。
「余計な事は聞くな、ということか」
「まあ、そういう事です。たとえそこに真実があったとしても、”知るべきではない”ものは、知らなかった事にする。上に昇るためには必要なスキルだということは、三波監視官なら理解されていると思いますが?」
「しかしお前は、その”知るべきではない”ものを知る立場にある。なるほど、お前が東京から転属になって3年、ずっと感じていた違和感の理由がようやく判った」
そう言うと三波は、口元に笑みを浮かべた。三波もエリートコースを進んできただけあって、それなりに切れ者だ。全てを語らずとも、隠れた真実の見当がついているのだろう。
「判った。俺はこれ以上何も聞かない。だが北条執行官を救出するというなら協力はしよう」
三波の言葉に、今度は瀬川が驚いたような表情をみせる。
「いいんですか? 三波さんには、最悪オフィスに残ってもらおうかと思ってたんですが」
「お前のことだ、一応は正式な命令をもらった形で動くんだろう? であれば、何も知らない俺が協力しても問題はなかろう。刑事課は人手不足なんだ。経験豊富な執行官が、一人でも減ってもらっては困る」
意外とあっさり三波が協力に同意したことに、瀬川は驚いたが、少し嬉しくもあった。一応彼も、芹香の事を気にかけてはいたらしい。
「三波監視官にご迷惑はかけません。すべての責任は、自分が取ります」
瀬川がそう言うと、三波は黙って頷いた。
「今回はお前の指示に従う。この先何が起きるのか判らないというのが、大いに不安だが。とりあえず話はついた、俺はとりあえず、オフィスで待機していればいいんだな」
そう言って三波は、さっさと会議室を出て行こうとする。瀬川も慌てて、それに続いた。
「午前0時を過ぎた時、何も起きなければ、この計画は無かった事に。ただ、何かが起きた場合には、計画通り事を進めます」
「お前がここまで用意周到準備しているということは、何か起きる可能性のほうが高いんだろう。今後の事は、お前に一任する。うまくやってくれ。どうせ、俺は何も知らないんだからな」
三波はそう言うと、刑事課一係のオフィスに入っていく。
「言い方にトゲがあるなあ、三波さん」
瀬川は肩をすくめ、三波の後に続いてオフィスの中に入った。
一係のオフィスにはすでに片山と牧野も来ており、自分の席でそれぞれ仕事をしているようだった。瀬川の姿を見ると、二人とも少し不満そうな視線を向けたが、すぐに自分の仕事に集中しはじめる。
瀬川が自分のデスクについてから、時刻が午前0時になるまでの15分ほどの間、一係のオフィス内では、誰一人話をするものはいなかった。
片山、牧野、三波はそれぞれデスクワークをしており、高峰は、エリアストレスレベルの数値がリアルタイムで表示される画面を見つめている。
この中で、システムのリンクがオフラインになる可能性があることを知っているのは、高峰と瀬川だけだ。
高峰も不安なのか、時折瀬川に視線を向けては難しい表情をしている。
そして、時刻が23時59分をまわった。
瀬川は、腕の監視官デバイスに視線を向ける。
もし、シビュラシステムとのリンクがオフラインになれば、監視官デバイスのリンクステータスにあるオンライン表示は、オフラインという表示に変わる。
(準備してきたことが、全て無駄になってもいい。このままオンラインになっててくれ)
瀬川は心の中でそうつぶやくと、デバイスの時刻表示とリンクステータスを交互に見ながら、時が過ぎるのを待っていた。
そして時刻表示が午前0時を表示した。
リンクステータスは、まだオンライン表示のままだ。
1秒、2秒、と秒表示が切り替わっていくのを、瀬川は息を詰めて見守っていた。
しかし、5秒が経過した瞬間、リンクステータスは、突然オフラインという表示に切り替わる。
(ダメだったか……)
悪い方の結果が出た事に、瀬川は思わず唇を噛みしめた。
瀬川が視線を高峰に向けると、高峰も悔しそうな表情で、すべての数値が00.00という表示になっているモニター画面を睨みつけているところだった。
「こういうことか……」
三波がつぶやき、瀬川の方へ視線を向けた。けれど、それ以上なにも言わず、自分のデスクのディスプレイへ視線を戻し、何事も無かったかのように作業を続けている。
片山と、牧野も、システムがオフラインになったことに驚いてはいるようだが、高峰にあらかじめ言われていた為か、騒ぐ事もなく黙り込んでいる。
その時、廊下を三係所属の執行官が、大慌てで走っていくのが見えた。彼はおそらく、今日の当直担当に当たっている執行官で、仮眠室にいる監視官に状況を報告にいくのだろう。
瀬川は、再び腕の監視官デバイスに視線を戻した。システムのエマージェンシーモードが正常に稼働すれば、あと3分でシステムはオンラインに戻る。
(これが終わりじゃない。俺達の勝負はこれからだ)
自分自身に言い聞かせるように、瀬川は心の中で、そうつぶやき、システムがオンラインに戻るのを待ち続ける。
わずか3分という短い時間が、今の瀬川には、果てしなく長い時間に思えてならなかった。