Paradise Lost   作:颯月りお

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 少し朦朧とした状態で、目を閉じていた芹香の頭から、不愉快な圧迫感が消えた。目を開けると、芹香の頭を踏みつけていた男の足が外れ、山本と呼ばれていた男が、芹香の顔をのぞき込んでいる。

 

「まだ生きてるな。大人しくしてろよ、その可愛い顔に釘を打ち込まれたくはないだろう」

 

 そう言うと山本は、芹香のジャケットの襟元を掴み上げ、倒れていた芹香を起き上がらせた。

 

「押さえてろ、油断するなよ」

 

 山本に指示された男は、背後から芹香の首に片腕を回してがっちりとホールドする。格闘技の心得でもあるのか、的確に芹香の気管を圧迫し抵抗のしようが無い。まるで立ちくらみでもおこした時のように、芹香の目の前が暗くなる。数秒後腕がゆるめられ、意識がはっきりしてくると、後ろ手にされていたはずの両手が、いつのまにか身体の前で手錠に繋がれていた。頸動脈を絞められて、意識が飛んだ隙に手錠をかけなおしたらしい。

 

「何度手荒なまねしたら気が済むのよ」

 

 そう言いながら芹香は、目の前でネイルガンを手にしている山本を睨みつけた。さっきまでネイルガンを向けていた男は、芹香を背後から羽交い締めにして動きを封じている。

 

「公安局の執行官は、何をやらかすか判らないからな。それに、この程度なら、手荒というほどでは無いだろう」

 

 芹香に冷たい視線を向けながら、山本が言った。

 

「十分すぎるほど、手荒だわ」

 

 芹香はそう小声で言うと、両足の状態を確認した。左足は打ち込まれた2本の釘がそのままになっている。さっきより血の染みは大きくなっているが、大出血をおこしていないところを見ると、大きな血管は運良くはずれているらしい。

 右足は、さっき竹下に踏まれたせいもあり、痛みが増していたが、まだそれほど出血はひどくない。動かさなければ痛みも耐えられるレベルだ。

 

(この程度の出血なら、もうしばらく持ちそう。でも、そんなに時間はかけられない)

 

 量は少ないとはいえ、しっかりと止血をしていない傷口からは、出血が続いている。傷口は小さいが、傷は深い。吐息の熱さで、熱が出ているのも判る。身体が、ある程度動くうちに、なんとかしたかった。

 時間の確認は出来ないが、芹香を起こしたということは、もうすぐ、爆破の予定時刻なのだろう。

 

「最終確認完了しました。いつでもいけます」

 

 コンソールデスクに置いたノートパソコンを操作していた男が、竹下に向かって声をかけた。竹下はドミネーターを小脇に抱え、タブレット端末の画面を見つめている。どうやら、地下にある施設の入り口付近を映す、モニターカメラの映像を見ているようだった。

 

「よし、爆破は予定通り、午前0時に行う。上陸部隊の状況はどうか?」

 

「予定通り、廃棄区画から上陸済みです。現在は、先日確保しておいた倉庫の中で、移動用車両に乗車して待機しています。システムがオフラインになった時点で、すぐ市街地へ移動を開始するとのことです」

 

 廃棄区画と倉庫という言葉を聞いて、芹香は、防犯カメラに写っていた竹下の映像を見た日の事を思い出した。

 

「いったい何するつもりなの?」

 

 芹香の言葉に、竹下は振り返り、冷たい笑みを浮かべる。

 

「シビュラの監視が無くなれば、公安に気づかれることなく市街地に侵入できるだろう。夜ともなれば人通りも少ない。街中にある街頭スキャナを、破壊してまわるのに好都合だと思わないかね?」

 

 竹下達の最終目的は、シビュラシステムの監視の目が無くなった、市街地の制圧だ。街頭スキャナの破壊は、その第一段階なのだろう。

 

「なるほどね。それであなた、倉庫エリアの防犯カメラに写ってたってわけ。迂闊だったわね。あれを私が見なければ、あなたがこの件に関わっているなんて思わなかったのに」

 

「何とでも言え。今となっては、そんなことは取るに足らない事だ」

 

 竹下は、そう吐き捨てるように言うと芹香から視線をそらした。

 

(あなたにとっては、取るに足らない事でしょうけど、私にとっては幸運だったわ)

 

 あの防犯カメラの映像から、竹下の関与に気づいたおかげで、芹香は今回の行動を起こすことが出来た。不用意に防犯カメラに写った竹下に、こればかりは感謝したいほどだった。

 

「カウントダウン開始します。10、9、8……」

 

 コンソールの前にいる男が、カウントダウンを始めるのを聞きながら、芹香は竹下が手にしているドミネーターを見つめた。

 回線がオフラインになれば、ドミネーターのシビュラシステムとのリンクも切れる。だが、約3分後にはシステムのエマージェンシー・モードへの切り替えが完了し、ドミネーターは息を吹き返す。

 もしその時ドミネーターを竹下が手にしていれば、ケーブル施設の爆破によって回線は完全にオフラインになったと思い込んでいる竹下達に、回線が復活したのがばれてしまう。

 竹下は、シビュラシステムがオフラインになったことを、芹香にドミネーターを握らせて確認すると言っていた。おそらく、それが芹香にとってのラストチャンスだ。

 

「3、2、1、起爆信号送信」

 

 一瞬の静けさの後、地震のような揺れが建物を襲い、同時に低い地響きのような音が聞こえた。

 

「爆破成功!」

 

 コンソール前にいる男が叫び、竹下がドミネーターを手に近づいてきた。ドミネーターの側面にある、リンクステータスを表示するランプが、オンラインの緑色から、オフラインの赤色に変わっている。

 

「さあ、君のお望み通りドミネーターを向けさせてやろう。撃てるものなら、撃ってみるといい」

 

 竹下は芹香の前にしゃがみ込み、右手にドミネーターを握らせた。芹香の腕を掴んで自分に銃口を向けさせているが、ドミネーターは何の反応も示さない。

 

『通信エラー システムとのリンクを構築できません』

 

 芹香の耳に、ドミネーターの合成音声によるエラーメッセージが響く。もちろんトリガーもロックされ、どんなに力を入れても1ミリも動かない。

 

「自分にとっての大事な人間を、死に追いやった相手が目の前にいて、ドミネーターもあるのに、何一つ出来ない気分はどうだ? もうその鉄くずじゃ、俺を裁く事は出来ない。無様だな」

 

 そう言うと竹下は立ち上がり、うなだれている芹香を満足げに見下ろした。

 

「もうしばらく、その絶望を存分に味わっていてくれ。こちらが片付いたら、ゆっくり話をしよう」

 

 その時、芹香は竹下の話などまったく聞いていなかった。しっかりとドミネーターを握り、さりげなくステータスランプが周りから見えないように持つ角度を調節する。

 

(お願い……オンラインに戻るまで、気づかないで……)

 

 芹香はひたすらそれだけを念じて、ドミネーターを見つめていた。

 数秒後、オフライン状態を示す赤色に点灯していたステータスランプが、黄色に変化する。

 

(来た! 起動シグナル)

 

『エマージェンシー・モード起動シグナル 受信しました これよりメインコントロールを、バックアップ回線に切り替えます』

 

 ドミネーターからの合成音声を聞いて、芹香は、システムが無事にエマージェンシー・モードに切り替わった事を知った。

 

『メインコントロールが、バックアップ回線に切り替わりました 起動シーケンス開始します』

 

 ロック解除コードの送出は、村木の手で無事に済んでいたとはいえ、実際の運用はこれが初めてになる。エマージェンシー・モードが無事に起動するか、不安に思っていた芹香は、起動シーケンスが開始されて、ほっと胸をなで下ろした。

 

『通信衛星パンドラは、休眠モードでの運用を現時刻をもって解除しました。緊急時モードでの運用開始 ノナタワー通信衛星回線とのリンク構築まで、120秒お待ちください』

 

 芹香は緊張のため激しくなる鼓動を落ち着けるため、さりげなく深呼吸をする。背後で羽交い締めにしている男には、ため息をついているようにしか映らないはずだ。

 

『ハードウェアチェック・オールグリーン 太陽電池パドル展開 メインバッテリー充電再開 姿勢制御ブースター調整開始 ノナタワー通信衛星回線出力220パーセント上昇中』

 

 通信衛星起動シーケンスの経過を伝える合成音声を聞きながら、芹香は竹下達の動きを見守っていた。竹下は山本と共に、タブレット端末をのぞき込みながら、無線機で何かの指示を与えている。今のところ、芹香を気に留める気配はない。

 芹香は出来る限り心を静めて、時間が経過するのをじっと待っていた。120秒という時間が、芹香の中では、果てしなく長い時間に感じられる。

 

『通信衛星パンドラ 全システムが正常に起動しました。ノナタワー通信衛星回線は正常に稼働中 これよりシビュラシステムとのリンクを開始します』

 

 そう合成音声が告げ、ドミネーターのステータスランプが、オンラインの緑色に変化する。

 

『通信システムオンライン ユーザー認証 北条芹香執行官 使用許諾確認 適正ユーザーです』

 

 ドミネーターが、シビュラシステムとのリンク再開を告げる。

 フル充電してから一度も発射していないことから、バッテリーステータスランプも全点灯していた。この状態であれば、エリミネーターモードで4発撃つことが出来る。

 芹香は、ドミネーターのグリップを右手でしっかりと握り、さりげなく左手を添える。

 落ち着く為にもう一度深呼吸をした芹香は、足の動きを確かめた。筋肉が動く度に痛みが走るものの、かろうじて動かすことはできそうだ。

 ターゲットは、まず背後の男、山本と呼ばれていた男、そして竹下。コンソールにいる男は後回しだ。

 

「うっ……」

 

 芹香は、わざと大げさなうめき声をあげた。なるべく苦しそうな声を出し、出来る限り頭を俯かせる。身体の位置関係から見て、芹香の後頭部のあたりに相手の顔があるはずだ。

 

「ん?」

 

 異変に気づき、芹香を羽交い締めにしていた男の腕が緩んだ。次の瞬間、芹香は両足をしっかり床につけ、下げていた頭を、反動をつけ一気に後ろに倒しこむ。

 

「ぐあっ!」

 

 芹香の頭を顔面に受け、男は羽交い締めにしていた両腕を芹香から外した。その隙に芹香は床を両足で蹴り、身体を横に勢いよく滑らせた。男との距離を取り、芹香は上半身を起こし体勢を立て直す。

 顔を押さえている男に向けて、ドミネーターの銃口を向けると、すぐさま犯罪係数の計測値が芹香の網膜に直接投影された。同時にドミネーターはエリミネーター・モードに変形を開始する。

 

『犯罪係数458 執行モード・リーサルエリミネーター 慎重に照準を定め、対象を排除してください』

 

 合成音声がそう言い終わる前に、芹香はトリガーを引いた。銃口から放たれた殺人レベルの電磁波が、男の身体に命中すると同時に、その肉体を変形させていく。

 全身の体液と血液が瞬時に沸騰し、体が内側からボコボコとふくれあがる。圧力に耐えきれなくなった皮膚が、体のあちこちで弾け飛んでいく。そして、そこに存在していた人としての形はあっという間に消え去り、床には肉片と血だまりだけが残った。

 

「うわああああ!」

 

 その様子を見ていた、コンソール席の男が、すさまじい悲鳴を上げて、その場から逃げだそうとした。それを見た山本が、傍らにあったネイルガンで、走り去ろうとしている男の頭部を狙う。空気を切り裂く音と共に、釘の直撃を後頭部に受けた男はその場に倒れ込んだ。

 その隙に、芹香は山本にドミネーターを向ける。執行モードは更新されることなく、リーサル・エリミネーターのままだ。

 

『犯罪係数483 執行モード・リーサルエリミネーター 慎重に照準を定め、対象を排除してください』

 

 山本は、恐れおののきながら、芹香にネイルガンを向けた。けれどそのトリガーを引く前に、殺人電磁波は、山本の体を肉片に変えていく。

 

「何故だ?!」

 

 驚愕の表情で、竹下はドミネーターを見つめていた。手にしていたタブレット端末を床に落とし、竹下は、完全にパニック状態になっているようだった。

 

「シビュラシステムは、オフラインになったはずだ! 何故ドミネーターが起動している!」

 

 変わり果てた山本の姿と、エリミネーターモードに変形したドミネーターを、竹下は交互に見つめている。そんな竹下に、芹香はドミネーターの照準を向けた。

 

『犯罪係数510 執行モード・リーサルエリミネーター 慎重に照準を定め対象を排除してください』

 

 芹香はトリガーを引いた。

 けれど一瞬早く、竹下の体が沈み込む。ターゲットを見失った電磁波は、壁の電子機器のいくつかをショートさせて消えた。

 

「はずした?」

 

 すぐさま芹香は、竹下の動きを追う。竹下は、床に転がっていたネイルガンを拾い上げて、芹香に銃口を向けている。

 

「死ね! 公安局の犬め!」

 

 竹下の叫びを聞き終わる前に、芹香はもう一度照準を定め、ドミネーターのトリガーを引いた。目の前の竹下が、ネイルガンのトリガーを引いたのと、それはほぼ同時だった。

 

「うっ……」

 

 芹香の左肩に殴られたような衝撃が走り、左腕の力が抜けた。視線を向けるとネイルガンの釘が左肩に刺さり、流れ出した血液の生暖かい感触が、体をつたわっていくのが判る。

 痛みを堪えながら、芹香は竹下のほうを見た。

 すでに上半身は消え去り、かろうじて残っている足が、先に倒れた山本の体の一部の側に転がっている。

 

「……終わった……」

 

 そう思った瞬間、芹香の体から一気に力が抜けた。もう上半身を起こしておくことができず、崩れるように床に倒れ込んでしまう。力の抜けた両手からドミネーターが床に滑り落ちていく。

 今までは、それほどでもないと思っていた足の痛みが、急激に強さを増してきた。無理に動いたせいか、両足の出血も増えてきている。

 これ以上、自力で動くことは出来そうになかった。

 

「私も……ここで……終わり……かな」

 

 朦朧としはじめた意識の中で、芹香はそうつぶやくと、ゆっくり目を閉じた。

 芹香の脳裏に、真里亜の顔が浮かぶ。一係のメンバー、そして村木の顔も……。芹香はもう一度目を開けた。

 

「そうだ……あきらめるなって……言われてたんだっけ……」

 

 芹香は、手錠に繋がれた両手を、痛みを堪えながら胸元に引き寄せた。震える右手の指先をなんとか伸ばし、左腕の執行官デバイスを操作すると、守秘回線のコールボタンを押した。

 

『村木だ。北条君、無事か?』

 

 通話回線が開くと、すぐに村木の切羽詰まった声が聞こえてきた。

 

「村……木……さん。終わり……ました」

 

 芹香は、なんとか声を振り絞り、村木にそう言ったが、そこまで話すのが限界だった。

 

「怪我したのか? もうしゃべるな。いいか無理に動くなよ、そのままじっとしてろ」

 

 そんな芹香の様子に気づいた村木が、励ますように声をかけてきた。

 

「瀬川達が、もうすぐそこに行く! それまで待ってろ! 死ぬんじゃないぞ、北条!」

 

 村木の必死の呼びかけが、芹香の執行官デバイスから響く。

 けれどすでに意識を失っていた芹香に、最後の呼びかけは聞こえていなかった。

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