芹香達が刑事課一係のオフィスに戻り、まもなく日勤のシフトが明けようとする頃、入国管理局から身柄拘束された少年の処分について通知書が送られてきた。
少年は、案の定ロシア国籍で年齢は16歳。
交易船で密航してきたということは判ったらしいが、詳しい動機は黙秘をつらぬいたらしい。
このまま入国管理局において勾留され、来週入港する交易船で、本国へ強制送還されるとのことだった。
「最近増えてるよね、この手の事案」
芹香は、向かいの席に座っている片山にそう話しかけた。
三波監視官が席をはずしているので、会話も気が楽だ。
「ああ、出国時のチェックをしっかりやってくれてりゃいいんだが、隣国さんも今いろいろとごたごたしてるらしいから、密航者の監視まで手が回らないんだろう」
そういうと片山は煙草をくわえて火をつけた。
「それはそうと芹香、賭けは俺の勝ちって事でいいんだよな?」
片山の言葉に、芹香は思い切り眉間にしわを寄せる。
「はぁ? 何言ってんの? あんたがスタンガンの餌食になって、取り逃がした子を私が身柄確保したんだよ? それでも私にお昼奢れっていうの?」
「やっぱダメか……タダ飯一食分損しちまったなあ」
苦笑いしている片山を見て、芹香は引き出しからシリアルバーのパックを1つ取り出した。
「ほら、これ。昼ご飯にしないさいよ。結構いけるわよ」
芹香が投げたパックを片手で受け取り、今度は片山が眉間にしわをよせた。
「こんなおやつじゃ3分ともたねーよ」
そう言いながらも片山はパックを開けて、シリアルバーをかじりはじめる。
「おはようございまーす」
オフィスの入り口から、第2当直シフトに入る執行官が、挨拶をしながら入ってきた。
「それじゃあ、交代要員も来たし、私帰るわ」
端末の電源をシャットダウンして芹香は椅子から立ち上がる。
「え? 出動報告書もう書いたのか? 俺、まだ見出ししか書けてねーよ」
驚いたような顔をしている片山に、芹香はにっこり笑ってみせる
「護送車のノートパソコン借りて、移動中に書いちゃった」
「うわ、ずっるい。影でそんなことやってたのかよ!」
悔しそうな顔の片山を無視して、芹香は他の執行官に挨拶をすると、一係のオフィスを出た。
すぐに執行官宿舎へは戻らず、ワンフロア上にある分析室に向かう。
非番だと言っていた真里亜が、案の定呼び出されたとメールを送ってきていたからだ。
分析室に入ると、真里亜はコンソールに向かい画面に向かって誰かと話をしているところだった。
『あら、芹香ちゃんじゃない、久しぶりねぇ。元気だった?』
画面に映る女性が、芹香に向かって手を振っていた。
「お久しぶりです、唐之杜先生。あいかわらずお綺麗で」
芹香は、真里亜が座る椅子の背に肘をおきながら、画面の向こうにいる志恩に笑いかけた。
『芹香ちゃんは、あいかわらず口が上手いわね。でもどうせ、真里亜ちゃんには負けるけどとか思ってるんでしょ』
「さすが凄腕分析官、お見通しですね。そりゃあ、うちの子がいちばんかわいいですから」
そう笑顔で返事をする芹香に、画面の向こうで志恩が肩をすくめてみせる。
『そう言うと思ったわよ。ところでそっちは忙しいの? 午前中出動あったって聞いたけど?』
「潜在犯クラスの犯罪係数持ち密入国者が最近増えてます。まぁ密入国しようなんて考え持ってる時点で潜在犯みたいなもんですし。最近の出動はもっぱら密入国者の身柄確保ですよ」
『そう、どこも大変ねぇ。あ、真里亜ちゃん、こっちからのデータ転送完了したわ。受信出来てるか確認してみてくれる?』
「はい……あ、大丈夫です、全部頂きました。ありがとうございます志恩さん。助かります」
真里亜は、そう言うと、高速でキーボードを叩き、コマンドを入力しはじめた。
『かわいい真里亜ちゃんの為ならお安いご用よ。なにかあったら、いつでも呼び出して。それじゃ、芹香ちゃんまたね』
「お疲れ様です」
芹香が画面に向かって頭を下げると、志恩は手を振り、数秒後に通信画面はクローズした。
「芹香、ちょっと……」
コマンドを打ち込む手を止め、真里亜が斜め後ろにいた芹香を手招きした。
「何?」
ディスプレイを見て欲しいのかと思った芹香が、コンソールに顔を近づけると、真里亜の手が芹香のネクタイをつかんで引っ張った
「ちょっと真里亜、何……」
文句を言いかけた唇を、真里亜が口づけで塞ぐ。
「さっき、かわいいって言ってくれたから、ご褒美です」
真里亜はにっこり笑ってそう言うと、何事も無かったかのようにコンソールに向き直り、キーボードを叩きはじめた。
「今日は出動1回で済んだのね。中央ステーションで警報出たんでしょう? また密入国者?」
「そう、16歳のロシア国籍の少年。昨日の交易船で密航してきたらしいわ。おとなしく保護されてくれればよかったのに、うちの片山の手にスタンガンお見舞いしてくれてね。犯罪計数230だったんで、パラライザーの餌食」
芹香は、ネクタイを直しながらそう答えた。
「あらら、執行官に危害を加えたんじゃしょうがないわね」
「でもさあ、なんでそんなにこの国に来たがるのかなあ。犯罪計数の高さだけで殺されたり、一生潜在犯として施設送りにされるようなこの国にさ」
「そりゃあ、他の国からみたら、この国はパラダイスに映るから、じゃない?」
「パラダイス?」
「そう、色相クリアな善良なる市民であれば、仕事も結婚もすべて最良の選択をしてもらえて、三度の食事が不自由なく手に入り、雨風しのげる家があり、平穏な一生を送ることが出来る。そんな事が、出来る国は今では日本くらいでしょ」
真里亜はそう言うと、キーを打つ手をとめ、傍らのマグカップに手を伸ばした。
「紛争やテロが横行しているような国から見たら、それって十分すぎるパラダイスよ。まぁ潜在犯認定されてる私達にとって、外の世界がパラダイスだろうがなんだろうが、関係ないけどね」
そう言うと真里亜はゆっくりとマグカップに口をつけた。
「そうよね。私も世の中がどうなっていようが、そんなことはどうでもいい。私はただ自分の目的が果たせれば、それだけで」
芹香は、急に思い詰めたような表情になる。
そんな芹香の手を、真里亜はそっと握りしめた。
「芹香、気持ちはわかるけど、あまり思い詰めちゃだめよ。こればっかりは、焦ってもどうしようもないんだから……ね」
真里亜にそう言われ、芹香は小さくため息をついた。
「うん、判ってはいるんだけどね……」
真里亜の手を握り返しながら、芹香は今朝見た夢の事を考えていた。
あの光景は、3年前にあった現実だ。
芹香が心に秘めている目的、それはソファで一人死んでいた男性、岩谷宗一郎を殺した犯人を見つけることだった。