芹香がゆっくり目を開けると、見たことのない白い天井が視界に入ってきた。
自分の状況がよく判らないまま、体を動かそうとして、左肩の激痛に芹香は思わずうめき声をあげる。
「気がついたか?」
芹香が声のする方へ視線を向けると、ベッドの横で椅子に座っていたレイドジャケット姿の瀬川と、泣きそうな顔をしてその側に立っている牧野が、心配そうに芹香の顔をのぞき込んでいた。
「瀬川……さん、牧野……」
何故二人が芹香の側にいるのか、自分はどうなったのかを問いかけたかったが、意識が戻ったばかりの為か、芹香はあまり声が出せなかった。
「まずは、お疲れ様。一人でよくやったよ君は」
そう言うと瀬川は、監視官デバイスを操作しホログラムディスプレイを表示させると、村木が送って寄越した状況報告書に視線を向けた。
「建造物連続爆破事件及びシビュラシステム通信回線障害事件の犯行グループ、それに市街地に侵入して街頭スキャナの破壊工作を行った犯人グループは、全員ドミネーターによる処分執行又は身柄拘束された。これでこの事件は、すべて解決だ」
「そう……ですか」
瀬川の言葉を聞いて、芹香はようやく全てが終わった事を知った。
第一の爆破事件が起きてから、およそ3週間ちかく。いろいろな事がありすぎて、芹香にしてみればもっと短い期間の出来事のように思える。
「あの……ここは?」
天井からつり下げられている点滴のパックと、顔に装着されている酸素吸入のマスクから、病院にいるというのは理解した芹香だったが、中央制御室で意識を失ったはずの自分が、どうして病院に搬送されているのかが判らなかった。
「特務課の村木さんが手配してくれた、国防軍の総合医療センターだよ。左足の怪我は、釘2本刺さっていた割に比較的軽症だったから、医療用マイクロマシンで血管と筋肉組織とかの接合処置はもう済んでる。右足は組織の損傷が少しひどいらしくてね、血管は繋ぎ終わったけど、損傷部分には治療用再生促進生体組織を埋め込んであるそうだ。左肩は釘が当たった衝撃で骨にヒビが入ってるけど、筋肉組織は医療用マイクロマシンが修復した。出血量がちょっと多かったけど、もう心配ないそうだ」
瀬川の説明を聞いて、芹香は自分の体の状態を理解した。再生医療が発達している今なら、おそらく体は後遺症なく、元通りになるだろう。
「お医者さんが言ってました。左肩の傷、あと1センチ釘がずれていたら、大きな血管直撃して命が無かっただろうって。片山が言ってたけど、北条先輩は土壇場に強いって、本当かもしれないですね」
牧野はそう言うと、芹香に笑顔を見せたが、何かを思い出したように、自分の執行官デバイスを操作しはじめた。
「北条先輩、藤城さんの声、聞きたいですよね」
執行官デバイスに表示されたホログラムディスプレイを、牧野は芹香に向けるように反転させた。画面には通信中の表示と共に、真里亜ののIDが表示されている。
「藤城さん、北条先輩の意識が戻りました。声かけてあげてください」
芹香の顔の側に、執行官デバイスを近づけて牧野が言った。数秒の沈黙の後、デバイスから真里亜の声が聞こえてきた。
『芹香、聞こえる?』
久しぶりに聞く真里亜の声に、芹香は泣きそうになるのを堪えて、ゆっくり口を開いた。
「真里亜……」
芹香が名前を呼んだ瞬間、真里亜が泣き出したのが通信機越しでも判る。
『芹香の……馬鹿……何大怪我なんかしてんのよ。これ以上心配させないでよ』
泣きながら文句を言っている真里亜に、芹香は思わず苦笑した。
「ごめん真里亜……帰ったら、いくらでも文句聞くから」
芹香はそう自分で口にして、改めて実感する。自分は、あの場所へ帰ることが出来るのだと。
『うん……待ってるから。芹香が戻ってくるの』
真里亜の言葉を聞いて、瀬川が横から口を挟んだ。
「藤城君、状態が落ち着いたら、北条君はすぐ公安局の執行官用入院施設に移す。もうすぐ会えるよ」
『判りました、本当にありがとうございます、瀬川さん。じゃあ芹香、もう通信切るから、大人しく体休めるのよ』
「うん、ありがとう真里亜」
芹香がそう答えると、真里亜の方から通信が切られた。本当は名残惜しかったのかもしれないが、怪我人に長時間話をさせないほうがいいということを、真里亜はよく判っている。自ら早めに通信を切り上げたのは、そのせいだろうと芹香は思った。
「良かったですね、北条先輩。藤城さん嬉しそうでした」
ホログラムディスプレイを消しながら、牧野が芹香に言った。
「ありがとう、牧野。真里亜の声聞かせてくれて」
礼を言う芹香に、牧野は黙って笑顔を見せた。言動に乱暴なところはあるが、牧野は結構こういうところに気が利く、優しい面もあることは、芹香が一番よく知っている。
「でも、どうして瀬川さんや牧野がここにいるんです? 特務課の村木さんには、連絡入れたの覚えてますけど……。ひょっとして村木さんから連絡行ったんですか?」
今回の一件は、瀬川達は一切知らないはずだ。それなのに、二人がここにいるという事は、村木が話をしたという可能性以外、芹香には思いつかなかった。
「まあ、その話を始めると長くなるから、あとでゆっくり説明するよ。まだ早朝だし、もうしばらく眠ったほうがいい。」
瀬川の言葉に同意するかのように、牧野が横で頷いている。
「そうですよ、北条先輩。おとなしく休めって、藤城さんも言っていたじゃないですか」
二人にそう言われ、芹香は苦笑しながら頷いた。
「判った、そうする。まだ全身が重苦しくて、自分の体じゃないみたいだしね」
芹香はそう言うと、ゆっくり目を閉じた。一端目を閉じてしまうと、ものの数秒で芹香は深い眠りに落ちていた。
今までの疲れが一気に出たのか、痛み止めの薬のせいなのか、芹香が次に目覚めたのは午後になってからだった。
医療センターの医師の診察で、ヘリによる移動が可能という判断が出たのは夕方近くなってからで、国防軍のヘリに乗って公安局に戻る事が出来た時、辺りはすっかり暗くなっていた。
もうこの場所へ戻ってくることはないかもしれないと思っていた芹香にとって、自由を奪われる事になる公安局への帰還でさえ、なぜか嬉しく思える。
屋上ヘリポートから、まっすぐ執行官用入院施設に搬送された芹香は、まず最初に医師による診察を受けさせられた。傷口の痛みと、熱っぽさは相変わらずだったが、頭はだいぶんすっきりしている。
本当は、自分の部屋に帰りたかったが、さすがにそれは許可されなかった。
公安局内にある、刑事課フロアに隣接した執行官用入院施設は、全自動医療システムや、医療用マイクロマシンなど、よっぽど重傷でもない限り対応が出来るだけのシステムを備えている。
出動中に怪我を負う事も多い執行官は、たいてい一度はここの世話になっていて、芹香も怪我の手当を受けたことがあるが、入院させられるのは初めてだった。
全自動医療システムによる傷のチェックと消毒、投薬に、医師の診察というフルコースを終え、気がつくと到着から1時間近く経っている。
看護スタッフに付き添われ、看護サポートドローンが押すストレッチャーで病室に向かっていた芹香の耳に、一番聞きたかった声が聞こえてくる。
「芹香!」
体の痛みを堪えて顔を上げた芹香の視線の先に、真里亜の姿が見えた。病室の前に立っていた真里亜は、芹香の姿を見るなり大粒の涙をこぼし始める。
「真里亜」
泣きながら駆け寄ってくる真里亜に、芹香は点滴の管がささったままの右手を精一杯のばした。真里亜の両手が芹香の右手を包み込む。
「おかえり、芹香」
泣きながらも、必死で笑顔を作り、真里亜が言う。
「ただいま、真里亜」
もっとたくさんかけたい言葉があったはずなのに、芹香はそれ以上何も言えなかった。
真里亜も絶え間なく溢れる涙のせいで、何も言葉にならない。
けれど今の二人には、言葉などいらなかった。
しっかりと握りしめたお互いの手のぬくもりだけで、全ての想いが伝わっているのが、二人にはよく判っていたから。