ファンタジーな魔法って言わなかったっけ? 作:いつのせキノン
プレシア・テスタロッサに、もう正常な判断を下す理性など残っていなかった。
自身がどれほど追い詰められているかも認識できず。
目の前にぶら下がる、唯一の蜘蛛の糸に縋ること以外に、彼女は見向きできなかった。
それは呪いなのだろうか。
それとも彼女が自らに押し付けた執念か。
『時の庭園』の崩壊も、次元の崩壊も、管理局の魔導師たちでも、彼女を止めうる障害にはなり得ない。
「ジュエルシードの暴走を止められる……ええ、それぐらい、充分に想定の範囲内よ……ッ!!」
プレシアは、手の中に小さなスイッチを隠し持っていた。魔導師らしからぬ、火薬を用いた爆弾の爆破スイッチを。
「お前たちは皆虚数の海に沈む!! しかし、わたしは生き残る!! アリシアと共に……!!」
「やめろ!!」
クロノの制止も虚しく、プレシアは躊躇いなく『時の庭園』の爆破を選び取った。
轟音と、爆風。崩壊が加速する。
それまでリンディがジュエルシードの暴走を止めていた魔法が強制的に解除されてしまう。
『クロノ、早く本人を……!!』
「っ……!!」
「無駄よ。全ては無駄。何もかもが……!!」
そう言って、プレシアは、アリシアに寄り添うように、そっと生体ポットへと寄り掛かった。
ジュエルシードが光を放つ。
その青白い光は、文字通りの崩壊だ。
魔力が膨れ上がり、時空間を無理矢理穿とうと暴れ始める。
プレシアの言葉は、はずれない。
これで、全てが無に帰すのだ。
つらい、過去さえも……。
「――――――――だから、困るって言ったんだよ」
「…………………………………………は……?」
「えっ……?」
「あ……、」
プレシアにとって、その声はまるで己を妨げる悪魔の囁きのようだった。
フェイトにとって、その声は完全に予想外のものだった。
なのはにとって、その声は無意識に待ち望んでいたものだった。
「……僕にも都合があると。あの時説明したのは何のためだったか。それを一切無視するというのは……いい大人が恥ずかしい」
彼は、輪廻メグルは、確かにそこに立っていた。
プレシアと対峙するなのはとフェイトたちの、その後ろ。
いつも通り、冷たそうな表情で、帽子とローブを纏った、その姿で。
その手に持つものは、大きな
なのははその見てくれに確かな見覚えがあった。
「反転の書……、」
彼が語った、夢物語のような、その本の性質。
事象の反転、起きた事実を、なかったことにする。
「何を、しに来たと言うの……!!」
「事は単純だ。
プレシアの怒気を孕んだ声音に対し、彼は静かに返した。
ひとりでに、手の中から魔導書が浮き上がり、パラパラとページがめくれてゆく。
「……メグルくん……」
「……高町、君は手を出さないでほしい。余計なことを考えたくないんだ」
「えっ、……あ、うん……どこから来たの……?」
「……それは、今聞くことか?」
呆れたようなジト目でなのはを見やりながら、彼女の前へと歩を進める。その表情は若干ながらシリアス味が抜けていた。
「……ネタばらしはテスタロッサにでも聞いて。重要なのはこっちだ」
――瞬間、魔導書は動きを止めた。
ページ全てが網羅され、術式の読込が終了する。
「……プレシア・テスタロッサ。貴方にもわかるように説明しよう。
「反転ッ!? 戯言を……!!」
「……戯言程度で、貴方の前に立つとでも?」
わかるでしょう? と彼はプレシアに問い掛けた。
「……僕は、勝算があるからここにいる」
パタン、と。魔導書がひとりでに閉じられて――――ボウッ、と青白く燃え上がる。
「……時空間選択、完了」
「ッ!!」
プレシアが息を呑み、杖を振り上げた。
悪寒と冷や汗、直感。
彼女は、
彼の魔導書が、自身の既知を超えた未知であることを認めた。
大魔道師の技は瞬きよりも早く魔法を編み上げ、魔力を雷に変換。大火力を砲撃に、彼へと仕向けた。
――――だが、もう間に合わない。
「“起動”」
ぽつり、と。
彼は一言だけ呟いた。
「………………………………………………………………………………、」
痛いほどの沈黙の中で、プレシアは己の呼吸音を聞いて我に返った。
そして、一人を除く全ての人が、その静寂に支配された空間の中で息を呑む。
「……言ったでしょう。全て、反転する、と」
彼はずっとそこに立っていただけだった。
唯一、彼の手元にあったはずの魔導書は燃え尽き、初めからそこには何もなかったかのようにすら思えた。
「これ、は……、」
「……これでもまだ信じられませんか。僕は、
プレシアは力なくその場に崩れ落ち、絶望に顔を歪ませるしかできなかった。
目の前の少年は、間違いなく事象へと介入してみせた。
ジュエルシードが生み出した膨大な魔力を使い、事象反転の術式を起動。ジュエルシードごと時空間内の現象を無かったことにした。
しかしジュエルシードの魔力を扱う以上は矛盾が生じる。ジュエルシードの暴走なくして魔力の発生はあり得ない。
それ故の矛盾崩壊。
因果が崩れ去り、ジュエルシードとその魔力は文字通り無に帰す。原子への崩壊ではなく、
「……貴方の都合も、まぁ気持ち程度は察せます。かつて、そう言った人たちを見た記憶は何度もある」
一瞬だけ、どこかここではない遠くを見やるような仕草を彼はしたが、すぐさまプレシアに視線を戻す。
「……貴方の目論見はここに潰えた。大人しく、捕まってください」
言いたいことは言った、と言わんばかりの態度で、一度踵を返そうとしたが、「……ああ、そうだ」と彼は足を止めた。
「……個人的に恨みもあるので、罰も受けてもらいます」
今ではありませんけどね、とだけいい残し、彼は下がった。一瞬、クロノに視線をやって、「後は任せた」と言わんばかりに。
視線に気付いたクロノは一瞬だけ彼を睨み付けたが、私情は挟まないと意識を切り替えて前に出た。
「……プレシア・テスタロッサ。貴方を、……逮捕する」
◆
「……リンネ」
「……ハラオウンさんですか」
事件は、一応の収束へと向かっていた。
プレシア・テスタロッサはアースラら管理局員たちに拘束され、独房へと入れられた。
名を馳せた大魔導師ともあって警備やシステムは強固ではあるが、抜け殻のようになってしまった彼女には、それはそれは過剰ではないかとさえ皆が一様に思えてしまった。それほどまでにプレシアは憔悴しきっていた。
輪廻メグルはというと、関係者ということでアースラ内で待機を命じられ、大人しくそれに従っていた。魔法と、事件渦中の現象の説明のために。
「事情聴取を行いたい。こちらへ」
クロノの先導に、彼は静かに頷いて続いた。
通されたのは、殺風景な個室。椅子と、机と、壁際の目立つマジックミラーが印象的な、いわゆる取調室と呼ばれる場所。
しかし、彼はそこに既に座っている人物らを見て、若干顔をしかめた。
「……なぜ、彼女らが?」
「話がしたいから、だそうだ」
説明しろ、と言わんばかりの彼の態度に、クロノは肩を竦めて言った。
視線の先には、なのはとフェイトの二人が肩を並べている。なのはは真剣な表情を崩さず、フェイトは少し悲しそうにうつむきながら座っていた。
「現実主義な君の言いたいことはわかるが、ここはこれで通させてほしい。彼女らが納得する手段が、これしかなかった」
法の守護者が折れたか、と。彼は小さく嘆息して諦めた。
「……それで、話は?」
彼が切り出し、なのはとフェイトに目をやった。
「……わたしから……頼みたい、ことが……」
彼の予想に反して、口を開いたのはフェイトだった。言いづらそうに、しかし、視線だけは外さずに。
「母さんを……母さんの病気を治療できないかと、思って」
「……プレシア・テスタロッサの病気を、ね……」
フェイトの主張に、彼は思案顔で返した。
プレシアはいくつかの病を患っていた。治療すら放棄してきた代償が重なり、既に深刻さは医者が皆静かに首を横に振る程度、と言えば進行具合はわかるだろう。地球よりも科学が進んだミッドチルダでさえ匙を投げた訳だ。
フェイトは、今でも、プレシアを母親であると、そう思っていた。あれだけ拒否されても、自分を産んでくれたことだけは、事実なのだから。病気が治れば、もしかしたら、話ができるかもしれないから。
プラスして、病気の治療は管理局側としても都合が良い。
目下のところ、プレシアの寿命というのは長い裁判に耐えられないとの見解が下されている。治療に専念させたところでもって数カ月。彼女のやってきたことを考えれば、時間は圧倒的に足りないと言えるだろう。
故に、彼らは未知に頼ることを選んだ。
【魔法使い】の存在は、確かに確認したのだ。
神の所業すら再現した、輪廻メグルという人物を。
「……まぁ、治療でいいならできる。厳密には治療じゃないけど。体を脅かす病魔やら何やらを取り除くのは可能だ。寿命も回復する」
予想どおりというべきか、彼は治療可能と言い切った。
ここまで、何となく察していたと、クロノとなのはは心の片隅で理解していた。
「じゃ、じゃあ……っ」
「でもタダではできない。
「っ……」
フェイトが息を呑んだ。
やはり、と、クロノは的中した予想に納得し。
なのはは悲しげに顔を伏せた。
「……正直な気持ちを言おうか。テスタロッサにとっては不愉快極まりないことを」
ちらり、とクロノを一瞬見やった彼だが、クロノから何もお咎めがないのを確認し、口を開く。
「……僕にとってプレシア・テスタロッサは明確な敵だ。裁判だか何だか、異世界の事情は知らないが、僕ら地球の生活圏を脅かした事実がある。僕にとって彼女は、くたばってくれれば良い」
「ッ……!!」
それは彼の本心から出た言葉だった。珍しく感情の見え隠れする語気に、フェイトは泣きそうな程に胸を締め付けられる思いだった。
そうなのだ。フェイトにとって悪でなくとも、彼にとっては完全なる悪。彼の主張は、思う感情は、正しい。それにフェイトが納得できないとしても。
「……メグルくん。わたしからも、いいかな?」
そこで、なのはが初めて口を開いた。
「……どうぞ」
「わたしも、プレシアさんの治療をお願いしたいの」
なのはの主張は、フェイトと同じだった。
予想はしていたが……、と彼はますます顔をしかめ、大きく息を吐き出した。
「呆れるかもしれない。でも、わたしは、プレシアさんとしっかりお話をするべきだと思うの。フェイトちゃんだって、お話がしたいから。だから、病気を治してほしいです」
「………………………………………………………………」
なのはは淀みなく最後まで言い切った。ブレることなく、自分の意思を伝えた。
彼は静かにそれを見返し、しばらくして、背もたれに寄りかかって天を仰いだ。
「……揃いも揃って……まったく……。話は以上で?」
「はい」
「……はい」
「よし。では二人は退室を。彼の返事は、後で伝える」
クロノの鶴の一声で、二人は部屋を後にした。
残ったのは二人。クロノは席を移して、彼の正面に座った。
「……君の文句はよくわかる。僕の理性も、同じ気持ちだ」
「……でも、本能の部分はそうすべきだ、と?」
「甘いと言われるかもしれない。それは覚悟の上だ。それに、正当な理由なんていくらでも後付できる」
「……法の番人からそんな言葉が聞けるとは思わなかった」
「誰にも言わないでくれ、なんて、言わなくてもわかるだろう?」
そりゃあね、と彼は視線を横にそらした。こういう状況の話は、大体が時効か、はたまた墓まで持っていくものであることは何度も経験してわかりきっている。
「……僕としましては、提示した条件を飲んでくれるのなら治療くらいしますよ」
「条件を聞こう。よっぽどでなければ、ね」
「――――――――……わかりました。では、」
彼は一瞬だけ目を閉じて、それから語った。
その言葉にクロノは、椅子ごとひっくり返った。