ファンタジーな魔法って言わなかったっけ? 作:いつのせキノン
もうどれだけの時間、こうして飛び続けているのだろうか。
それともまだほんのひと時しか経っていないのだろうか。
背後、遥か眼下には海鳴の大地と海があった。
雲一つない青い夜を飛ぶ。
音の無い世界は、何と寂しいのだろうか。
気付けば風切り音も聞こえなくなり、はやる気持ちとは裏腹に、静寂が耳に痛かった。
重力は感じることなく、ただひたすらに、上へ、上へ。
ほんの眼前に輝く星ですら、手を伸ばしたところで到底届かぬ先の先。月でさえ小さく、果てしなく遠い。
だが、諦めることはない。
とにかく、ただ真っ直ぐに、飛び続ける。
魔法だけではない。
自身の背を押す熱く白い炎が、燃え盛るほどに加速する。
気付けば地球は遥か彼方へ。
金星を遠目に眺めて過ぎ去り。
水星と並び更に奥へ。
気が遠くなるほどに
思考が崩壊していた。
いま自分が何を見て、何を考えているのか。
それすらもわからない。
もう意識は無いに等しい。
あきれるほどに永劫の中を手応えもなく往き続けた。
ただ、光を目指し続けるのだ。
それしかなかった。
声を出す方法すら忘れた。
あらゆる思い出が失せてゆく。
自身の名前すら思い出せない。
だが、自身が渇望するモノだけは、ずっと心に
まだ、遠い。
光だけが眼前にあった。
それでもまだ届かない。
指先の感覚も消え、呼吸してるのかすらわからない。
上も下も右も左も、ただ前以外は何一つ判断できない。しようとすらできない。
何秒。
何分。
何時間。
何日。
何年。
何十年。
何百年。
何世紀。
嗚呼。
わからない。
「まだ寝ちゃダメぇ……っ!!」
永劫が、過ぎ去った。
何も聞こえないはずの
聴覚が、徐々に息を吹き返してくる。
やがて視覚も時をおいて脳が認識し始める。
全身が凝り固まったように痛く、身じろぎをした。
そうやって、
「ああ、ああっ、良かった、良かったっ!! 来てくれた、来てくれたんだ……っ!!」
その娘は、なのはと同じくらいの年に見えた。
「がんばった、がんばったよ、なのはちゃん……!! ほんとうに、よくがんばった……っ!!」
その娘は泣きながら、しかし嬉しそうに、涙を流しながらなのはへと抱き着いた。
ほんのり、熱を感じる。
人肌の温もりは、一体いつ以来だっただろうか。
「まだ大丈夫だよねっ、ちゃんと
「あ、うん……、」
「うん、うんっ!! よかった、ずっと待ってたんだよ……あなたなら絶対できると思ってた。
すごい、すごいよっ、と。彼女は泣き笑いながらもなのはの両手をとって、自分のことのように喜んでいた。
ようやく思考が戻ってくる。同時に、人間らしい彼女の様子に、なのはの中で凝り固まっていた感情がほぐれ始めた。
「あ、あの……今、どれくらい時間が……?」
「時間? 大丈夫、ここに時間の概念なんてないから!! 距離の概念までは取り除けなかったけど……何世紀、何億何兆年経とうが、なのはちゃんが諦めなかったから!!
さぁ、行こうよ。
なのはの手を引いて、娘は光へと――――太陽へと向かってゆく。
「あの、あなたは……?」
「
その時。
音もなく、太陽から吹き出す
「おっ、とと」
それを娘は掌を炎へとかざして、黒い三角形の魔法陣をもって防いでみせた。
「っ……!? それ――――!?」
「ごめん、今はあんまり説明出来ないかも……っ!!」
なのはが口を開くが、それを無視して娘は手を引き続け、強引に太陽へと進み続けた。
火の手はなおもゆるまず、それどころか彼女たちを阻むように火力を増していた。火傷したのではと思う程の熱が襲ってくる。
「まだ、まだぁっ!!」
あまりの熱量になのはが腕で顔を覆う中、娘は果敢にもシールド一枚で歯を食いしばっていた。
炎に飛び込むなど自殺行為に等しい。速度を落とすことなく、真っ直ぐに、炎をかき分けて更に進む。むしろ、どんどんと加速していた。火力は増すばかりであろうに、それでもなお曲がりも退きも逃げもしない。
その娘の顔をなのはは腕の隙間から見た。
苦痛に歪んでいた。
涙を流していた。
しかし、それを何だと言わんばかりに歯を食いしばって、絶望に歯向かっていた。
逃げ出したいのだ。
死ぬほどに痛い。けど、死ぬことはない。
永遠に激痛が、全身を焼く熱が襲ってきている。
もうやめたい、目を逸らしたい、逃げ出したい。こんな痛みが続くのならば。
「いやだ……っ!!」
いっそうと、その娘は痛みに涙を流した。
声が震える。いつまでも続く熱い痛覚が神経を貫く。
「ぜったい、やだ……っ!!」
既に、彼女の手先は黒くなり始めていた。
焼き尽くすよりも早く、
なのははその未来を確かに予見した。
でも、
「逃げるモンかぁぁぁぁッッッッ!!!!」
絶叫。
本能を、
とめどなく零れ落ちる涙も一瞬で蒸発する。
痛みも熱も消えぬ中、逃げ出したい思いを無視する。
かつて、とある普通の人間が辿ってきた、絶望と、恥辱と、失意に塗れた、失敗の積み重ね。
既に終わったモノ、失敗作の集まり、もう発展を望めぬ過去。
だが、切り捨てられなかった。切り捨てることを許されなかった。
だから、ずっとずっと心の奥で燻るしかなかった。
あのときこうしていれば、ああしていれば。こうしなければ、ああしなければ。
たらればの話を思い描いて、もっと良い答えを考えついては、既に叶わぬ夢となって土に埋める日々。
後悔。
しても意味がない。
だが、する他にない。
心が壊れてしまってもなお夢想するのだ。
だから、眩しかった。
真っ黒な炎ではなく。
淡い光を抱き、
たまらなく憧れた。
彼女の生き様に強く心打たれた。
まるで、物語の主人公のようだった。
「なのはちゃん!!」
目があった。
痛くて、痛くて、
でも、
その娘は、笑った。
「
だから、
その希望を、彼に、届けてあげてね。
太陽の黒点へ、飛び込んだ。
それっきり、声は途切れた。
◆
命が零れてゆく。
アスファルトに、赤い血が染み込んでゆく。
ザリッ、と。
視界にノイズが走る。
四つの影があった。
一つの終わりゆく命を取り囲む、大小の影が。
ざりっ、と。
視界にノイズが走る。
世界が壊れてゆく。
破片となって、瓦礫の大地へ降り注ぐ。
ザリッ、と。
「我が主」
視界にノイズが走る。
美しい女性が佇んでいた。
悲しげな顔で、こちらを見つめている。
「いけません、我が主よ」
ざりっ、と。
「そのユメは違う」
視界にノイズが走る。
少年がいた。
テーブルの対面に座り、分厚い本を読む少年が。
「ダメです、それは――――」
顔は、暗くてよく見えない。
「やめてください、我が主」
ザリッ、と。
視界にノイズが走る。
「お願いです、我が主。不出来な私ではありますが、どうか、どうかそのユメだけは、見ないでください」
優しい、声音。
「あなたはもう苦しむ必要はない。騎士たちの不出来は私の責任。管制人格の役目を仰せつかって起きながら、ナハトヴァールの暴走を予期できず放置させた。でも、もう良いのです。幸せな夢があなたを無限の楽園へと
その女性は、罪人であることを表すように、悲哀をまとわせていた。
ざりっ、と。
視界にノイズが走る。
蛇だ。
大きな、大きな、紫紺の蛇だ。
ザリッ、と。
視界にノイズが走る。
自分が、立っていた。
「……寝て、ええんか」
「ええ、ええ。良いのです。全て、忘れましょう。悲しかったことも、痛かったことも、全部、全部」
「……本当に?」
「はい。寝て、全てを忘れるのです。心地良い夢が、きっとあなたの心を癒やしてくれる」
「夢なのに?」
「夢だからです」
「夢は、醒めてしまう」
「いいえ、夢は永遠に。あなたが望む夢をお見せしましょう」
「それは……、」
「――――現実から目をそらして、逃げろってことか?」
バキッ、と。
女性が、鏡のようにひび割れた。
「我が主……それは、」
「違う? 何が、何がちゃうの?」
睡魔が酷い。
まぶたが、落ちてしまいそうだ。
「何も、何もわからへん。何がどうなって、こんなんなるん? ずっとずっと、私にだけ何もかんも秘密にして……そんなん、主でもなんでもない。家族ですらない。私は……、嫌や」
全てが突然だった。
何一つ予想などできていなかった。
魔法があれば、なんて願っては、結局そんなモノはないのだと、現実を飲み込んで。
そんな折に、突如増えた魔法を使う騎士たち。
孤独だった。
家族もおらず、友達も片手で数える程度で、かと言って頻繁に会える訳もなく。親戚も海外に拠点を構えており、顔を合わせることはついぞなかった。
嬉しかった。
常識知らずで、ちょっと現代人にしては古臭い仕草と立ち振る舞い。
自分を主人と言って、まるでお伽噺の騎士だった。
いや、事実彼らは騎士だった。“闇の書”とその持ち主に仕える守護騎士ヴォルケンリッター。
だが、別にそれが冗談でも真実でもどうでも良かった。
共に暮らす仲間が……“家族”ができた。
血が繋がってるわけでも、特別な契を交わした訳でもない。
たまたま“闇の書”が表れて、たまたま選ばれた人間が八神はやてという少女だっただけの話。
それがたまらなく嬉しかった。
共に出掛けたり、広い家で食卓を囲んで、雑談をしたり、一緒に寝たり、本を読んだり。
これなのだ。
別に八神はやては魔法を求めた訳ではなかった。
“家族”がほしかった。それを魔法という言葉に願ったに過ぎない。
そして願いは叶った。
ちょっとワガママな手のかかる娘気質なヴィータ。
ちょっと料理は精進が必要だけど、家事に器用なシャマル。
ちょっと堅物そうで、でも一歩引いたところから見守るシグナム。
ちょっと口数は少ないが、必ずや寄り添ってくれるザフィーラ。
まごうことなき、“家族”だった。
そう、思っていた。
「私は、主失格や……。皆が何か忙しそうにして……でも、誰だって口にできんこともあると、そう思ったんや。無理矢理吐かせるのはちゃうって……」
しかし。
「……そんな、
知らなかった。
闇の書が、友達の命を奪っただなんて。
騎士たちがその過ちを犯してしまっただなんて。
それは全て、はやてが生きるためなんだと聞かされて。
「間違えてるッ!! こんなの、
「っ……、」
泣き叫んでいた。
それは恨みなのか。後悔なのか。
涙を流すはやてと目が合って、女性は唇を噛んだ。
「なんで……何も教えてくれへんの……何もいらん言うてたのに……家族ができたから、それで良かったのに……」
涙は止まらなかった。
あらゆる負の感情が心に降り積もってゆく。
ずっと蚊帳の外だった。
何も知らなくて良い。
幸せなまま過ごしてほしいから、もう十分苦しんだから。
ただ、居てくれるだけで良かった。
寿命だとか、完治だとか、もういいのだ。
確かに、共に過ごせる時間が少ないのは嫌だ。
でも。
「友達の命まで奪って、生きたいなんて思わへんよ……」
全てを知った。
はやてが知らなかったこと、騎士たちだけが知っていたこと。
『……』『ならば』『君は』『どうしたい』『八神』
「っ!?」
「なに……っ!?」
ぼうっ、と。
黒い炎が燃え上がった。
黒い影。帽子とローブと、それを着けた少年が一人。
『……』『問う』『て』『いる』『八神』『君の』『選択肢』『は』『どれだ』
それは輪廻メグルの輪郭を描いていた。映像の継ぎ接ぎ。かつて見ていた彼の一端を。
「私の、選択肢……」
考える。
八神はやての中にある選択肢とは。
このまま眠ること?
否。
ここで懺悔すること?
否。
全てを諦めること?
否。
否である。
「選択肢なんか、あらへん。やることは、
はやては力強く、腕で涙を拭い去る。
充血し泣き腫れた赤い目は、しかして強い意思を宿していた。
「なんもわからん、なんも知らん……。けどッ、このまま何もわからずじまいで終わらせるのだけは、納得いかんのやッ!!」
その目はしかと、女性を貫いた。
思わずたじろぐ。
「ヴィータも、シグナムも、シャマルも、ザフィーラも。そしてアナタも!! 洗いざらい全部説明してもらう!! 輪廻クンのことも、魔法のことも、――――
バキリ、と。空間にひびが入った。
崩壊の予兆。いよいよをもって、ナハトヴァールの魔の手は主へと迫りつつある。
「これは、夜天の書の主として成すべきこと!! だから――――私を思い続けてくれるなら、
はやてが手を伸ばす。
向けられたのは、女性――――今、名付けられた、リインフォース。
ハッと、リインフォースははやてを見やった。
そこには確かに、我らが夜天の書の主がいた。
例え自らの脚で立てずとも。
例え全てが遅くとも。
彼の女は確かに今、覚悟を決めていた。
「――――はい、我が主。私は、貴方と共にある。どんな運命が待ち受けていようとも……」
だから、リインフォースも、一歩を踏み出した。
音を立ててガラスが散るように、リインフォースの輪郭は割れ落ちて……ようやく、初めてはやての手に触れた。
光が満ちてゆく。
白く淡い、希望の光。
『……』『やること』『は』『やり尽くした』『あとは』『任せる』
独り。
黒い炎は、残った。
記録はここで潰える。
だが、それでいい。
過去は過去。既に確定したストーリーにできることはここまでだ。
所詮はただのコピー品でしかなく。
……ただ、少しの道標にでもなったのなら、それで満足だった。