駅から少し離れ、入り組んだ細い路地を抜けた先に、工事中の広場があった。おそらく新しい建物の建設途中なのだろうが、作業員はおらず、専用車や木材などが野晒しになっていた。シートをかぶってる物は一つもない。
へー、ここマンションできるんだ……などと看板を読んでいる場合ではない。俺達をここに連れてきた少女に事情を聞かなければ。それと警察に連絡だ。なんだよ殺されるって。そんな事に巻き込まないで欲しい切実に。
「ねぇ、おたく、艦娘の吹雪でしょ?」
「えーっ……と」
ねぇねぇと話しかけられている吹雪が困り顔で俺の顔を窺う。言っていいのか駄目なのかを聞きたいんだろう。あー、いいよ。違うと言っても意味なさそうだし、実際意味なかったし。『はい』を選ばなきゃ永遠に付き纏われそうだ。まったくどこの家のNPCなんだろうかね。
「うん。私は吹雪だけど……」
「あ、やっぱり? やったね! 朝姫の目に狂いはなかった!」
いぇーいと吹雪にハイタッチを迫る少女から目を離し、ポケットからスマホを取り出す。1.1.0……っとぉ!?
「なんっ、なんだ!?」
今まさに110番しようとした俺の手を鋭い痛みが襲った。零れ落ちたスマホにわたわたと手を伸ばして拾おうとしたが、間に合わなかった。憐れにもスマホは地面に激突。カバーが外れて吹っ飛んだ。
ていうか今、何かをぶつけられたような……?
スマホを広い上げて砂を落としつつ、ふとこの広場への入り口を見やれば、高い建物を背に十数人の黒服女性が並んでいた。
……追いつかれてるじゃねーか!?
「ま、艦娘なら一捻りっしょ。ちゃちゃっと片付けちゃってくださいよ」
「そ、そんな事言われても……しれいかぁん」
「俺に振られてもなぁ……!」
ぽんぽんと吹雪の肩を叩きながら無責任な事を言った少女は、足早に離れるとショベルカーみたいな黄色い車の後ろへ隠れてしまった。ひょこっと頭だけ出してウィンクなんぞ飛ばしてきている。
……さっさと通報しておけば良かったと心底後悔した。
「なぁ、吹雪」
「……なんですか、司令官」
じりじりと俺達を包囲するおねーさん方。サングラスのせいで目が隠れていて見えないが、なぜか俺には全員が俺を睨みつけているように感じられた。
対話を試みる事はできないだろうか。そんな淡い期待は、お姉さん方の「殺す」「抹殺する」「消す」とかいう物騒でひっくい声によって断念せざるをえなくなった。なんだこいつらの殺意は。あの子何やったんだよほんとに。
現実逃避気味に周りを観察する。全員背が高い。一部俺より大きい人もいて、それが結構なプレッシャーになっている。ついでに言うとみんな美人だ。これらはすべてまったく意味のない情報だが。
「この人達に勝てるか?」
最低限逃げられるくらいの事はできるか、という意味を込めて問いかける。
「はい、いけます」
吹雪は真剣な顔をして頷いた。……いけるのか。そうか。
さすがは艦娘だ。普通の人間とは違うのだから、それくらい朝飯前か。それに、断言するって事は自分の実力によっぽど自信があるって事なのだろう。
頼むぞ吹雪。俺達の命はどうやら君にかかっているようだから。
安心しろ、俺も何もしないって訳ではない。隙を見てすぐさま警察に連絡を……!
◆
「やりました!」
「………………」
ふっ、ふっと肩で息をしながら俺に手を挙げて見せる吹雪に、無言で頷く。
隙あらば警察に通報を、なんて考えていた俺だったが、そんな暇はなかった。
妨害があったとか圏外だったとかそういう理由からではない。単純に、1・1・0と入力する前に決着がついてしまったのだ。笑顔を浮かべる吹雪の周りには、彼女にしこたま投げ飛ばされた女性達が横たわっている。
吹雪強い。
だがそれは、単純な力の強さではないようだった。
「よくやったな。凄いぞ、吹雪」
「ありがとうございます!」
とことこと寄って来た吹雪を
俺は勘違いをしていたみたいだ。
彼女は艦娘なのだから、てっきり相応の
相手の腕をとったかと思えば、その相手はぐるんと回転して背中から地面に叩きつけられていたり、吹雪の襟首を掴んだ女性は腕半ばを叩かれたかと思えば跳ね返され、詰め寄った吹雪によってこれまた地面に叩きつけられていた。後はその繰り返しだ。誰一人吹雪を捕まえる事はできず、手を出した順番で伸されていった。まるで黒服達が吹雪に吸い込まれていっているみたいだった。
身長差をものともしない華麗さ。小柄な体躯を生かした立ち回り。吹雪の新しい魅力を目の当たりにした気分だ。
「いや~、凄いねー」
パチパチパチと手を打ちながら出てきた少女が、凄い凄いと吹雪を称えた。
俺も気持ちは同じだが、なんか……白々しくないか、この子。
「まったく、おつよい! これはお近づきになっておいた方が得ね」
「ちょっっっと待ってくれ、説明してくれないか、いろいろと」
「はい、握手!」
あれ? この子、まったく話を聞いてくれないんだけど。
吹雪の手を両手で包んでぶんぶん上下に振った少女は、それから自分と吹雪は友達だと宣言した。吹雪はというと……やっぱり困っている。困惑しながらも邪険にする事もできず、されるがままだ。
「ほんと、あんた強いねー。うちのボディーガードはあれでも選りすぐりなんだけど」
「……ボディーガード?」
「あっ」
変な単語が聞こえたので拾ってみれば、少女は口を押さえて黙り込んだ。
……なんだ? どういう事だ?
この一時間程でもう何度混乱した事か。俺は数秒の間この少女が漏らした言葉の意味を理解できなかった。
ボディーガード……この子の? それって、ひょっとして吹雪が投げ飛ばしたこの女性達の事か?
両手で口を隠していた少女は、参った、口が滑ったなんて呟きながら俺達に向き直ると、自分を指差した。
「ばれたなら仕方ない。実はぜーんぶ朝姫が仕組んだドッキリなのでした!」
「ちょっと意味がよくわからないんだが」
「朝姫はねー、艦娘と友達になりたかったのよ。ついでに強さも見たかったんだよね。そのために一芝居打ったわけ」
「待て……いや、ちょっと待てよ? 吹雪が外出したのは今日が初めてだぞ? 君はなんで彼女の事を知ってるんだ?」
「そりゃ、あんたね。スーパーでぶつぶつ吹雪が吹雪がとか呟きながら下着買い漁ってる変質者がいたら気になるじゃん?」
え? え、俺そんな独り言とかやってたのか?
嘘だろおい……まったく自覚ないぞ……。
まさか気づかぬうちに自ら自分を社会的に葬るような行いをしていたとは知らず、膝から崩れ落ちそうになってしまう。そんな俺なんぞを気にせず、少女は自身を指差したまま自己紹介をしてきた。
「朝姫は佐野朝姫って言うの。以後よろしくね、おにーさん」
……俺が独り言を言っていたとはいえ、それでもこんなドッキリだか何かわからん大事をしでかすようなもんではなかったはずだ。なぜ彼女――アサヒと名乗った少女はここまでしたのだろうか。納得いく説明を頼む。
「それは最初も言ったじゃん。吹雪と友達になりたかったんだよ。だからちょちょっと命じてさあ」
ほら、いつまで寝てんの、とアサヒが手を打つと、倒れていた女性達が次々に起き上がり始めた。腕や背を押さえたりして結構苦しげだが、すぐに背筋を伸ばしてアサヒの下へやってくる。この広場への出入り口から歩いてきた黒服の女性は『ドッキリ大成功☆』なんて書かれた薄い木板を抱えていた。……ひょっとしてあんなものがあったから誰も通報したりしなかったのか? ……そんな馬鹿な。
「間違ってるなら間違ってるで良かったんだよ。退屈しのぎみたいなもんだし。でも実際いたじゃん? だから友達になりに来たわけ」
「いたじゃん、って……まさか張ってたのか? うちを」
「そーそ。じゃ、改めてお友達になろっか」
手を合わせたアサヒは、ね、いいでしょ、と吹雪に笑いかけた。ちらっと俺を見る吹雪。……こんな荒唐無稽で無茶苦茶なドッキリとかいうものをふっかけられても、吹雪は特に気分を害した様子もなく、どころか友達になるかならないかの判断を俺に仰いできている。非常に強かというか、強いな、吹雪……。
「好きにしろ」
少し疲れてしまったからか、言い方がぶっきらぼうになってしまったけど、吹雪にはそれで十分だったらしい。少女に向き直ると「よろしくね」と笑顔を見せた。
その表情を見て、もしかしたら吹雪はこっちでの友達を欲しがっていたのかもしれないと思い至った。
身一つで、ではなかったけれど、吹雪は自分の生まれ育った世界とは別の場所へたった一人でやってきたのだ。人肌恋しさは俺だけでは埋められなかったのだろう。そこに突然現れたのが年の近い(あくまで外見上は)アサヒという少女だ。これは渡りに船だったのかもしれないな。だって俺には女子中学生の知り合いなどいないし、だから友達を作ろうとしたらそう上手くはいかなかっただろう。
だからってこんな訳のわからん事態に巻き込まれて良かったとは思わないが、結果良ければすべて良し、だ。吹雪に友達ができた。それでいいじゃないか。
「まーまー、そうカッカしないでよ。見たとこショッピングに来たんでしょ? 騒がせたお詫びに、今日のお代は朝姫が持つからさ」
「いや、結構だ。そうしてもうらうほど……困ってはいないしな」
というか、そんな提案できるって事は彼女は結構なお嬢様なのか? ボディーガードなんてのもたくさんいるし……。
佐野……佐野……なんか、どっかで聞いた事あるような?
前に働いてた会社の上の方に佐野って苗字の人がいた気がするが、そう珍しくもない名字だしなぁ……。
「まぁまぁまぁ、好意は受け取るもんだよ。ね、吹雪?」
「それは……違うような」
ぐいぐい押してくるアサヒにずっと困りっぱなしの吹雪。
たしかに迷惑料くらいは頂きたいものだが、それを子供に要求するのはなんか違う。かといって周りの黒服の方々に要求するのも……正直言って無理だ。だってこの人達、さっきから微動だにせず俺の事見てるんだもの。絶対俺の事警戒してるよなぁ……それが彼女達の仕事なのだろうから文句はないが、気が滅入る。
「ね、連絡先交換しない? え? スマホ持ってないの? じゃ朝姫が買ったげようか?」
「い、いいよ、そんな」
ぐいぐいぐい。
どこからか取り出したカバー付きのスマートフォンを手に吹雪に迫るアサヒ。会話の密度も頻度も高いせいか、もう吹雪から敬語が取れてきている。恐るべきコミュ力と行動力……この子は将来大物になるだろうな。
なんて感心していれば、件の少女にじろっと睨み上げられた。呆れの混じった溜め息なんかも吐かれる。
「おにーさんさぁ、連絡手段くらい持たせてあげたら?」
「あー……いや、実は吹雪は昨日来たばかりで」
アサヒが吹雪は艦娘である、という前提で話しているのはわかっているのだが、それでも昨日起きたばかりの超常的な出会いを他人に話すのは「何言ってるんだろう俺」というおかしさが強くて、中々言い辛い事だった。絞り出すようにそれだけ話すと、ふぅん、とアサヒ。
「じゃあこれから買いに行くんだ? お金出されんのが嫌なら良いとこ紹介してあげるよ。吹雪もいいよね」
「司令官……」
「あー……吹雪。そこら辺は君のやりたいようにやると良い。君がやりたいと思ったならそう返事すれば良いさ。駄目だと判断したらこっちからストップかけるから」
「……はい、わかりました。それで、えっと、さすがに高価なものは……」
「買うさ。たしかに連絡手段がないってのは結構不便だろうしな。それに友達ができたんだから、いつでも会話できるようにしといた方が良いだろう」
「さすがおにーさん、太っ腹だね!」
アサヒに囃し立てられ、まあこれくらいはするさ、などと自然にものを考えて、はっとした。
アサヒがあまりにも違和感なく会話に混じってくるもんだから普通に言葉を交わしていた。恐ろしい子だ……! しかも不思議な事に、訳のわからん事に巻き込まれたにも関わらず、俺はもう許した気になっている。それは決して俺が凄い善人だからとかそんなではなく、単純にアサヒ……さん? ちゃん? の会話の進行スピードが速すぎて、さっきの出来事が俺の中ではすでに過去の事になってしまっているからだ。
「朝姫が直々に案内してあげよう。さ、こっちだ!」
「……行きましょうか、司令官」
「そうだな」
入り口の方へ走って行って「ほらほら」と手を振る少女を眺めつつ、重い息を吐く。
どっと疲れが押し寄せてきている。世の中には不思議な人もいるもんだ……とかなんとか。
吹雪が促してくれなきゃこの場に座り込んでしまいそうだったが、いや、ぞろぞろといる黒服の女性達も一緒に移動しているので、圧されて移動していただろうな。
というか、こんな人数多いと目立つだろ……。
◆
危惧していた大人数での移動は、黒服達が全員いなくなった事で解決した。一人二人残っていなくても良いのかと思ったが、たぶん遠くから見守っているのだろう。
アサヒ……えー、吹雪のお友達の朝姫ちゃんは、上機嫌で吹雪の手を引いて歩いている。さっきまでは引っ張られるばかりだった吹雪も、今は朝姫ちゃんの隣に並んでぽつぽつと言葉を交わしていた。打ち解けるのが早いのはさすが子供と言ったところか?
彼女に案内されてやって来たのは、よく見かける携帯ショップだった。
そこで二人仲良く品選びを始めてしまったので、取り残された俺は手持無沙汰に店頭に置いてあるガラケーなんかを弄って時間を潰した。
吹雪に友達ができるのは良い事だが、なんか寂しいな……。
「じゃーねー、すぐメールするからね!」
「うん、ばいばい!」
携帯購入後に朝姫ちゃんと別れ、俺達は本来の目的であるショッピングに赴いた。
食材の購入、何の気なしに服屋に入ったり、吹雪をゲームセンターに連れ込んでみたりと充実した時間を送る。が、会話は少なかった。
俺から話しかける事は少ないし(何を言って良いのかわからん)、吹雪はお買い物に夢中だ。楽しげに声を上げては「司令官」「司令官」と話しかけてきてくれるので雰囲気は明るかった。
◆
こんな出来事があった。
ショッピングモールにて、立ち尽くして泣いている男の子を見つけた吹雪は、やはりというか、足早に近付いていった。俺も後に続く。
普段ならば遠巻きに眺めて手を差し伸べるかどうかを考えてから動くのだが、この吹雪にそんな逡巡はない。通りがかりの人々は男の子を気にしている風にしていたが吹雪が寄って行くのを見れば笑みを浮かべて歩いて行った。
「どうしたの、ボク。どこか怪我しちゃった? お母さんは?」
男の子の前で膝を折って目線を合わせた吹雪が優しく語りかければ、首を振るばかりであまり答えてはくれなかった。
俺が近くにいて怖がらせてもあれなので、近くのソファーの傍に立って見守る。
やがてぽそぽそと小さな声で何事か訴える男の子に耳を傾けていた吹雪は、大きな動きで頷いて、小さな肩に手を置いた。
「そうなんだ。……じゃあお母さんが戻ってくるまで、お姉ちゃんとお話してよっか?」
こくりと男の子が頷く。
どうやら、そういう事になったらしい。
「すみません司令官、勝手に決めてしまって」
「構わないよ。何かジュースとかでも買ってこようか?」
「聞いてみますね」
男の子の手を引いてやって来た吹雪が詫びるのを制し、その子のためになるような事をしようと提案する。
腰を折った吹雪が飲みたいものはないかと問えば、吹雪の耳元に顔を寄せた男の子はお茶をご所望になった。……渋いね。
それから二十分ほどで母親が現れた。三十代後半くらいの痩せた女性だ。
何がしかに手間取ってすぐに探しに来れなかったらしく、しきりに頭を下げてきていた。
去り際、男の子が満面の笑みでぶんぶんと手を振っているのが印象的だった。
控え目に手を振り返す吹雪の表情は後ろに立っていると見えなかったが、きっと穏やかな笑みを浮かべているだろう事は容易に予想できた。
◆
さて、携帯に洋服と結構な額を使ってしまったが、体感で最もお金を使ったと感じたのは、喫茶店でのことだった。
「はぁ~……美味しいです」
「……そんなに?」
「はい! とっても!」
クリームソーダ七杯目に突入した吹雪は、最初から変わらずずっととろけた笑みを浮かべている。
信じられるか? これ、一杯七百円するんだぜ……。
まあ、吹雪のこの笑顔を見れるなら安いものか。
背もたれに背を預け、一息つく。
波乱の一日だった。主に午前。
明日は何もないと良いんだが……。