艦これを通しでプレイして、もう何日も前に吹雪は改二に到達した。Lv70。結構時間がかかった……。
そして今、とうとう吹雪がLv99にまでなったのだ。
「やりましたね、司令官!」
「ああ、吹雪が頑張ったおかげだ!」
その瞬間を横で観戦していた吹雪と手を取り合い喜びを分かち合う。ここのところは根詰めて育成に励んでいたからな。自分自身が一つの到達点へ昇ろうとしていると知った吹雪も、いられる時はつきっきりで応援してくれた。
「99Lvになったし、関連の任務も終わらせた」
「と、言う事は……。…………」
『お疲れ様です』
大淀さんが俺達を労う。『達成!』の文字が浮かぶ任務をクリックすれば、報酬にケッコンカッコカリのための書類一式と指輪が贈られた。
現在この鎮守府で最も練度の高い吹雪。その吹雪と、今からケッコンしようというのだ。
「いいな、吹雪」
「…………」
逸る気持ちを押さえ、アイテム一覧の中の指輪にカーソルを合わせて問いかけるも、吹雪は答えなかった。
「吹雪?」
吹雪は、俺の肩に手を置き、少し身を乗り出して画面を見つめている。思いつめているような、どこか切迫した表情。瞳に映る画面の灰色が彼女の表情を一段暗く見せていた。
「……嫌か?」
「ぁっ? あ、ぃいぇ、そ、そういう訳では!」
まさかと思い声をかければ、彼女は酷く狼狽して、しかし笑顔を浮かべてみせた。落ち着きを取り戻した後は、食い入るように画面を見つめ始めた。
今何かを問いかけても明瞭な答えは返ってこないだろう。俺は汗ばんだ手を一度握ってからマウスに乗せ、ゆっくりと書類にサインを施した。
『司令官、私も――』
俺の肩に乗せられた吹雪の手は、とても熱くて、強張っていた。
ケッコンを果たした。
それはゲーム内の事で、ただそれだけだというのに俺の心臓は今にも爆発しそうなほど暴れ回っていて、胸が苦しかった。
吹雪はどうだろうか。
この気持ちを共有したい。だがその前に、もっと大切な事を言わねばならない。
「少し、外へ出ようか」
「……はい」
電源を落としたパソコンを未だに見つめている少女へ画面越しに言えば、微かな声で返事をして、頷いた。
◆
桜並木を歩く。
前に浅倉さんと出会った公園のある場所に面する大きな道路は、片側を桜の木が連続して立ち、この季節になると一斉に花を咲かせる。
風に揺られて舞い落ちる花びらの一枚が、隣を歩く吹雪の肩にかかった。黒い布の上に薄い桜色。両手を前に揃え、俯きがちに歩く吹雪は、家を出てから一言も発していなかった。
彼女にも色々と思う事があり、考える事があるのだろう。この瞬間まで自分の事で頭の中がいっぱいだった俺は、彼女に時間を作ってやるためにも、しばらく無言で歩いた。
ゲーム内のケッコンカッコカリは、予行演習だった。
俺はもう、随分前から吹雪を一人の女性としてみてきた。俺が本当に『司令官』だったなら、艦娘としての吹雪と女性としての吹雪は半々だっただろう。戦争があったなら早々切り出せない話題だ。だが彼女の世界では戦争は終わり、そしてこの世界の日本は今のところ平和だ。俺は吹雪を魅力的な女の子だと、そう見る事しかできなかった。
艦これの中で最初に選び、共に四苦八苦し、学び、強くなって、新しい戦いを経験して、苦い敗北を経験して、苦楽を共にしてきた。
朝は朝食を作り、家事に勤しみ、常に俺に笑顔を向けて生きる人間としての吹雪は、陰りなどなくいつも爽やかで、俺の心が惹かれるのは無理もない話だったのだろう。
自制はあった。
あくまで仲良くなろうという認識を持つに留めた。
だがいつからか、それだけでは駄目になったのだ。
もとより独占欲のような暗い気持ちはあった。それは抑えられるはずだった。
彼女が学校へ通い、一人の女の子として自由に生き、友人に囲まれて笑う。俺はそれを嫉妬しなかった。むしろ暖かい気持ちで歓迎した。
だというのに恋慕は日々大きくなり、それを知ってか知らずか、吹雪との距離感は――身体的だけでなく、心情的――縮まっていった。
そこで俺は、彼女の気持ちを確かめようと思い至ったのだ。
彼女と暮らし始めて最初に決めた明確な目標。吹雪を改二にする。その上でケッコンする。
ゲームでのケッコンを彼女が許したからってなんだというのだと思うことなかれ、ゲーム内の吹雪は、現実の吹雪そのものなのだ。
彼女はゲーム内で生きてきた。そこから飛び出し、俺と同じ歩調で人生を歩み始めたが、彼女の過去はまだ艦これの中にある。そして、現実の吹雪とゲームの吹雪もまた、同じ時間を過ごしている。
ゲームの吹雪がケッコンを受け入れるという事は、すなわち現実の吹雪が、少なからずそれを悪く思っていないという事だと、俺は思いたい。
ただ、まあ……彼女には彼女の意思があるし、やりたい事ができているかもしれないから、断られたら素直に諦めるとしよう。俺の気持ちはそんなに小さなものではないが、吹雪の意思を無視してまで強引に事を進めようとするほど濁ってはいない……つもりだ。
実際どう転ぶかはわからない。正直に言って、自分の気持ちなど実は欠片もわかっていなかったりするのだ。ただ、胸の内の高ぶりを恋だとか愛だとかと言い表してみて、吹雪への想いを固めてみただけ。
気取っている訳ではなく、本当にわからないのだ。なにぶん色恋沙汰には縁がなかったからな……それでもどうするべきか、どうあるべきかを考え、今日という日を迎えた。
別の世界でケッコンした。だからこっちでも。
なんと早計で浅はかな考えであろうか。現実には様々なしがらみがあって、どうしようもない障害がある。
だが……気持ちを確かめるくらいは、許されるだろう。
公園へやってきた。
春休みが始まり、元気な子供達が狭い公園内で思い思いに過ごしている。高い、澄んだ子供の声を後ろに、俺は吹雪と隣あってベンチに腰掛けた。
しばらくは、敷地内に降り積もっていく桜吹雪を見ていた。
吹雪は何も言わなかった。何も話さなかった。ずっと口を引き結び、俯きがちになって、たまに俺の顔をちらりと伺う程度だった。
きっと俺が何を言い出すかの予想はついているのだろう。俺の顔色を窺いつつも、緊張した面持ちで『話』を待っているようだった。
「なあ、吹雪」
「……なんでしょうか、司令官」
だから切り出す事にした。言うのは早い方が良い。むしろ早くしなければ、俺の体は全部むちゃくちゃになって灰になってしまいそうだった。
過度の緊張に侵された喉は、しかし普段通りの、けれど少しばかり真面目な雰囲気を含んだ声で、続けた。
「これを受け取ってくれるか」
「……」
ポケットから取り出した小さな、質の良い赤い箱を、吹雪の顔も見ずに差し出した。彼女は何も言わなかった。俺も、少しの間は何も言わずじっとしていた。
やがてゆっくりと吹雪の方に体を向ける。彼女はやっぱり俯いていて、暗い表情を浮かべていた。
だけどそこには拒絶だとか嫌悪だとかはなかった。俺には単純に『受け取るか』『受け取らないか』、その二択のみに悩んでいるようにみえた。
何度も何度も視界の端を桜色の雪がよぎっていく。髪に触れ、太ももに触れ、滑り落ちていく。
吹雪が顔を上げた。
もう、迷いはないようだった。
「はい、喜んで」
いろんな葛藤があったのだろう。色々と、考えたのだろう。
その末の答えに、俺は一瞬浮かんできた気色に笑みを浮かべ、だけどなぜだかそれはすぐに消え去ったから、体中の力が抜け出てしまうのに対抗しつつも「そうか」と素っ気なく返した。
これほどめでたいのに俺は吹雪を見ることができず、背もたれに背中を預けて脱力している。
こんなに嬉しいのに、吹雪は透明な笑顔を浮かべて、瞳に涙をためていた。
風が吹く。
ざあっと木々がざわめいて、たくさんの花びらが俺達に降り注いだ。
「私も、司令官の事が――」
何枚もの花びらが吹雪に当たって、くっついていった。
横目で見ていた俺は、桜に彩られた吹雪に、桜にまみれた吹雪に、ずっと魂を奪われて、もうどうしようもなく胸を躍らせた。
背が伸びる。
膝に手を置く。
おっかなびっくり、吹雪の手が俺の手の上へ、そっと重ねられた。
目を合わせれば真っ赤な顔があった。上気した頬に、薄く色づいた唇が緩い曲線を描いている。まなじりから零れた水滴が、頬を伝い落ちている。
碧色の瞳の中の俺も、おんなじくらい真っ赤になって、一心に視線を注いでいた。
やがてどちらからともなく身を寄せて、顔を近づけて。
たぶんそれが一番最初にやる事なんだろうなとか、そういう風に思いながら、唇を重ねた。
桜よりずっとずっといい匂いがした。
かすかにした雪の匂いも花吹雪に隠されて、俺たちは、熱く見つめ合った。
唇に残った熱がどんどん大きくなっていく。
高まる胸が、はちきれんばかりに膨らんでいく。
「大好きです、司令官」
首に腕を回されて、ぐいと引かれて、少し乱暴な口づけをされた。
かっと頭に血が上る。良くも悪くもくらくらして、だけどなんとなくそれが『幸せ』って事なんだろうと思った。
「俺も、俺も君が好きだ」
早口で、囁くように言う。
吹雪の『大好き』はか細すぎて、切なくて、まるで『さよなら』と言ったみたいに聞こえたから、俺の気持ちを必死に伝えた。
手を握り合う。
俺の手にすっぽりと収まる小さな手。
暖かくて、まどろんでしまいそうな優しい手。
ふと子供達の遊ぶ声がなくなっているのに気づいた。
公園の内側へ目を向ければ、小さな滑り台の傍に、黒いスーツを来た女性が立っているのが見えた。
長い髪を後ろで縛って、高い身長とすらっとした体は台の影に映えて、宝石のような真っ赤な瞳は切れ長のまつ毛に彩られ、細い眉と一緒に悲しげに歪められていた。
『お誕生日おめでとう』
見知らぬ女性は、まるで近くで囁くようなはっきりとした声で言うと、足早に公園を去っていった。
困惑して吹雪を見れば、首を傾げた彼女は「先生……?」と不思議そうに呟いていた。
先生。学校の、保健室にいる先生。よく話す先生。吹雪はそう説明してくれたが、やっぱり彼女の言葉の意味は分からなかった。俺も吹雪も誕生日は春ではないから。
◆
どうですか、と吹雪が問いかけてくる。
左手の薬指にぴったり収まった指輪は、透明質のな宝石を煌めかせて、吹雪の顔の横に掲げられると、誇らしげに輝いた。
似合ってるよ、と答えれば、吹雪は顔を綻ばせて、それから少し手を下すと、目を伏せがちにして指輪を見下ろした。
「司令官……」
小さな小さな呼びかけに、黙って吹雪を見下ろす。
「きっと、幸せになります」
顔を上げてそう言った吹雪は、ふぅっと息を吐いて、倒れるみたいに俺に寄りかかってきた。
優しく肩を抱き寄せて、目をつぶる。
今はとにかくこうして彼女の体温を感じていたかった。
俺に体を預け、頭を寄せてくる彼女も、きっと気持ちは同じだろう。
吹雪……。
必ず俺が幸せにする。
たとえこれが『ケッコンカッコカリ』……ごっこ遊びみたいなものだとしても。