春休みの終わり頃、ケッコンカッコカリから仮が取れた。
俺と吹雪は仲睦まじくというか、今まで通りというか、そんな風に過ごしていた。
キスなんかは指輪を渡した時以来しておらず、だからといって冷めたとか会えないとか、そういう訳でもない。俺達の一番自然な過ごし方が今までと同じってだけだったのだろう。
だがケッコンすると言った手前、俺はその準備だけでもと進めていた。ネットで購入したケッコンカッコカリの書類一式は結構本格的な形式で尻込みしてしまったのもあってまだサインをしておらず、吹雪に見せるだけに留めている。テーブルの上に置いた紙を見た吹雪は、一度俺を見上げてそれから俯いて、俺の手を両手で握った。承諾。ケッコンカッコカリではなく、結婚しようという言葉に、吹雪は頷いてくれた。
それで、まあ、本来なら家の中で小さなお祝いを開いて、良い雰囲気の中で結婚式っぽい事をやろうと計画していた俺は、なぜかタキシード姿で教会にぶち込まれていた。
なぜか凄まじく不機嫌そうな朝姫ちゃんの命令で黒服のお姉さん方が俺を拘束し、そこへ連れ込んだのだ。吹雪も一緒だ。ただ、彼女の方は丁寧に扱われていた。意図的な差を感じた。
「吹雪が決めた事だから朝姫は何も言わないし、お膳立てもするけどさぁ……おにーさん、ほんと、まじで、あの子を泣かせたら承知しないからね」
俺の方はすぐに支度が終わり、吹雪の方は時間がかかると言うので貸し与えられた一室でぼうっとしていれば(まだ状況が良く呑み込めていなかった)、朝姫ちゃんと手塚さんと浅倉さんがやってきた。
やっぱり不機嫌そうな朝姫ちゃんがそう言った。決めた……吹雪の方が、俺との結婚を決意していたというのだろうか。それで事情を知っている朝姫ちゃんがこうして色々と手配してくれた、と。
「本来なら認められない……ありえない事だ。だが吹雪が……お互いが望む事なら、それが最善なのだろう」
普段見かける時よりいっそう目元を暗くした手塚さんが、普段とは違う口調で言った。手に持っていた落ち着いた色合いの小箱を弄び、それを渡された。……指輪をいれるための箱だ。吹雪からの贈り物、らしい。だがこれは、俺が扱いに困っていたケッコンカッコカリセットについてきた指輪だ。手持無沙汰にしていたら吹雪が欲しがったのであげたのだが、今は入れ物も違うし、小さな青い……たぶん、宝石がついている。
「それがあいつの覚悟の証だ。蔑ろにするなら……オレが何をするか、自分でもわからないぜ?」
浅倉さんが凄みをきかせて言いながら、俺の手から小箱をひったくり、代わりに同じような物を押し付けてきた。こっちのは良く知っている。俺が吹雪に渡した指輪の入れ物だ。開けてみれば、やはり吹雪がつけていたはずの指輪がここにあった。
これらは……ひょっとすると、指輪交換の時のために持ってこられたのだろうか。
「そろそろ時間だよ。……一生吹雪を離さないでね、おにーさん」
それだけ言ってぞろぞろと出ていく三人の背中に「ああ……」と気の抜けた声を返しながら、手の内の箱に視線を落とす。
……吹雪の友達は、みんな友達思いの子みたいだ。みんなのためにも、そして吹雪のためにも、俺も気持ちを切り替えて挑もう。
◆
小さな教会らしいが、立派な建物は内装も立派で、並ぶ長椅子の向こうの壇、そのすぐ傍に外国人の神父……牧師? が立っていた。まさかそこまで用意されているとは思わずぎょっとする。
集まっている人間は吹雪の友達三人組に、呼んだ覚えのない俺の友人の守に、吹雪達の学校の先生だという三原という女性だけだった。がらんどうの教会は静かで、だからこそおごそかで神聖だった。
みんながみんなお洒落をしていて、これがそういった儀式なのだと認識してくると、どうしても緊張で体が硬くなってしまう。だから一番の顔見知りに「なんでお前までいるんだよ」と軽い調子で尋ねれば、
「朝姫に呼ばれたからだ」
そう答えられた。
……呼び捨て? というか、知り合いなのだろうか。
「お前達の門出、俺も見届けるよ。……見届けなきゃなあ……」
なんか良くわからん事を言ってるが、おめでとうと言われればありがとうと返すしかない。
三原って先生にも挨拶に向かった。この人も朝姫ちゃんが呼んだらしい。本人がそう説明してくれた。
三原先生はさすがに黒い服ではなく、抑えた明るめの服を着て、解いた髪をそのままに流していた。この人は俺が入って来た時からずっと最後列の席の通路側に座っていた。俺が近付けば立ち上がり、しかし何も言わないので、俺も何をどう挨拶すれば良いのかわからなくなってしまった。このような畏まった場に出るとは想像もしていなかったので、なんて言えば良いのか見当もつかず、この人が「おめでとう」と言ってくれれば話しやすいのにと思った。
「あの子は幸せだと言った。君は幸せか?」
……いきなり何を言い出すのだろう。
そりゃ、幸せかそうでないかと聞かれれば、幸せに決まっている。吹雪が俺を受け入れ、想いが通じ合い、こんな風に正式な形で式を挙げられるのだから。
「本当に?」
赤い瞳が俺を射抜く。
体の隅々までが石になってしまったみたいに動かないのは、きっと緊張のせいだった。
やがてその瞳が出入り口の方へ向けば、そっと扉が両側に開く。二人の女性(朝姫ちゃんのボディーガードだろう、こちらも黒服ではなく、サングラスもしていない)が歩んでくる吹雪の代わりに扉を支え、小さな花嫁を迎え入れた。
合図はなかった。
完全な不意打ちだった。
「あ……」
呆けた声が漏れる。吹雪は……汚れ一つない純白のウェディングドレスに身を包んだ新婦は、真っ白なバージンロードを歩き、俺の隣に立った。何重もの薄布のヴェールが顔を隠し、そして彼女が俺を見ないために、俺は彼女の表情を窺う事はできなかった。
そっと手が上がる。肘と平行になるように持ち上がった、白い長手袋に包まれた腕。おそらく腕を組めばいいのだろう。そう解釈して、彼女の細腕を抱くように腕を絡めた。
歩幅を同じくして祭壇までの道を歩く。最前列とその一つ手前に座る四人が、一様に俺達に注目していた。
新婦の前へ辿り着けば、お互いが向き合って、それで……。
ちらちらと外人神父さんを見る。胸元に抱えた小さな本は聖書か何かか、できれば何か言って欲しい。
俺は何をすれば良い? 誓いのキスか? 指輪交換? ああでも、ああ、体が強張って、上手く動かせない。
「指輪の交換を」
バリトンボイスで神父さまが言う。壇上に置かれた二つの箱は既に開いていて、煌めく指輪がそこにあった。
鎖骨辺りに掲げられた手からするすると白手袋を引き抜いた吹雪は、それを持った手をお腹に当て、左手を差し出してくる。そこでようやく俺は慌てて指輪を手にし、彼女の手を下から支えて、薬指に嵌めていった。
張りつめた緊張感はいっそ眩暈さえ起こしそうなほどで、なのに視界は良好で、綺麗な肌の柔らかな質感ははっきりと映っていた。
指輪を眺めた彼女が今度は箱から指輪を取りだし、俺が差し出した手を取って、優しい手つきで嵌めてくれた。
「ベールアップを」
彼女の手が戻れば、次に何をすればよいかわからなくなる。それを助けるためだろう、神父が俺に向けてそう言った。具体的な説明ではないが、言葉から何をすれば良いかはなんとなくわかった。
吹雪の顔を見る。何枚もの布の向こうにある彼女の顔は、ひたすら真剣に、俺を見上げていた。
「それじゃあ……吹雪」
緊張に耐えられず声を出しながら彼女の顔を覆うヴェールの一枚に手をかける。透けているから薄いと思ったが、一枚一枚が意外と分厚い。それに異様に何枚も重なっている。全てを纏めて持ち上げ、彼女の頭の後ろの方へ持っていけば、吹雪の顔が露わになった。
薄く化粧を施した顔は凄く大人びていて、紅色の口紅が細く引かれた唇は、いつにもまして魅力的だった。潤んだ瞳は俺に向けられたまま動かない。
「新婦」
さらりと流れる黒髪が肌の白さを際立たせる。健康的な白。しっかりと赤みが差していて、微かな緊張がそこにあるのを感じた。
不自然さはどこもなく、体が強張っているようには見えない。彼女は自ら望んでこの場所に建っていると聞いた。覚悟して、決意して、俺の前に。
俺はそれを嬉しく思う。彼女が俺を選んでくれた事を嬉しく思う。
ケッコンカッコカリはシステム上提督が艦娘を選んで絆を結ぶ。だが現実のこの場所では、艦娘である彼女が俺を選び、絆を強めようと言ってくれているのだ。
「誓います」
唐突に、はっきりと、吹雪が言った。
強めの口調はよどみなく、決してつっかえる事がないだろうと思える声。
「新郎」
神父が俺に問いかける。
病める時も健やかなる時も……。誰もが知っているだろう有名な、それでいて節々が違う誓いの言葉。
たとえどんな困難がこの先に待ち構えていようとも、二人で乗り越える事を誓うか。決してその手を離さないと誓うか。何が、あろうと……。
淡々とした神父の語り口は祈りの言葉のようで、だからこそ俺の中に反響して、でもだからって言い淀む事はない。
「ああ、誓う」
言葉遣いこそ変になってしまったが、それでも言い切った。そこに嘘はない。何度問われても答えは同じだ。
「では、誓いのキスを」
神父の言葉は耳に届くだけで、意味はあまり伝わってこなかった。
それで十分だった。さすがの俺も、この後何をすれば良いかはわかっていたから。
吹雪の肩へ手を置き、顔を近付ける。途中、彼女が目を伏せるのが一瞬見えた。
唇を重ねる。
たった一度きりの、だけど、長い長い時間、そうして熱を共有して、心に誓った。
やがて顔を離せば、先程まであんなにきりっとしていた吹雪は表情を緩めて、顔を赤くしていた。肩から滑り落ちた手は彼女の手に受け止められて、握り合うと、それで俺達が結ばれたのだと実感した。
◆
教会の裏手に少し開けた庭がある。
芝生の絨毯が広がる場所で、テラスのような一段高い場所に吹雪が立ち、両手で花束を抱えていた。
彼女の前には三人娘が並んでいる。これからブーケトスをしようというのだが、受け取れる未婚女性はこの子達しかいなくて、雰囲気作りというか、想い出づくりにやっておきなと朝姫ちゃんが提案するので、吹雪もその気になって投げる事にしたみたいだ。
吹雪が俺のいる室内の方へ体を向ける。目が合うと、照れ笑いを浮かべらたので、俺も微笑んで返した。
「じゃあ、いきますね」
はやくはやく、と急かす声がする。それにならって、吹雪は高く後ろへ、花束を放った。
風が吹く。
少し強めの、悪戯な風。
ブーケを目で追っていた三人娘はよろめいて、振り返った吹雪は、あっと声を上げて両手を前へ出した。
風に煽られて落ちてきたブーケはすっぽりと彼女の腕に収まった。
「あーっ! なんだよー、これじゃ朝姫達結婚できないって事になるの?」
「勝手にひとまとめにするな。吹雪! もう一度投げろ!」
「……いや、あれで正しいんだろう」
上から朝姫ちゃん、浅倉さん、手塚さんの言った事らしい。
吹雪はどうして良いのかわからないらしく、ブーケを抱えてあわあわと右往左往していた。
「し、しれいかぁん」
挙句の果てに俺に助けを求めてきたり。
まったく、困った花嫁さんだ。
「んっ……!」
そんな可愛らしい子にはもう一度誓いのキスをあげよう。
抱き寄せてキスを落とす。びくりと肩を跳ねさせて体を強張らせた吹雪は、しかしすぐに脱力して、しっかりと唇を合わせてきた。挟まれたブーケがかさりと音をたてて、揺れた。
◆
「そういえば三原……先生は?」
式が終わり、吹雪が身支度を整えている間、一足先に普段着に戻った俺は少し前から姿を見ない女性について朝姫ちゃんに聞いてみた。
「あー? 誰?」
「誰って、三原……ほら、君達の学校の保健の先生。君が招待したんだろう?」
ブーケトスに行く前にはもういなくなっていた気がするから、どうしたんだろうと思ったのだが、朝姫ちゃんの反応は鈍い。
「んー、うちにそんな苗字の先生はいないけど?」
ていうか朝姫、みんなしか招待してないし、なんて言って歩いて行ってしまう朝姫ちゃんを見送って、近くのソファーに深く腰掛けた。
じゃあ、あの人はなんだったのだろうか。
……ん?
あー……。
なんだっけ。あの人って……誰だ?