春休みは終わった。
桜の花びらは全て散り、人々の心に一抹の寂しさを残した。
夏が訪れようとしている。
青々と晴れ渡った空は高く、真っ白な雲が固まって流れている。
「もうすっかり夏ですねー」
「季節はまだ春なんだけどなー」
蝉の声はしないが、空気の匂いや雰囲気は夏そのもの。今日の気温は20℃(!)もある。
半日で終わった学校の帰りだった吹雪と偶然合流した俺は、そのままの流れで彼女を映画館に誘い、最近彼女がめちゃくちゃ興味を示していた恋愛映画を見た。
ファンタジー風味で金髪の美男美女が主役。冒険色が強く、恋愛と聞いて身構えていた俺も楽しく見れた。
互いに惹かれていく二人。現れる障害。乗り越えていく二人。始終スポットはその男女に当たり続け、だからかなり感情移入できたというか、没入感があった。
物語のラストは、結婚の直前に二人は実の兄妹だったと判明し、僅か数分の間に同時進行で二人の葛藤を描き、迷いを振り切った二人が同時に式場の扉を潜る所で本編が終わる。
エンディングが流れている時にその後の式の進行が映っていた。
映画が終わればファミレスに寄り食事をして、優雅にワインを傾けてみたり(むろん俺だけだが)、近場のゲームセンターでクレーンゲームに無駄に金を落としてみたり。
最後は本来の俺の目的であった食材の買い出しを行った。
今はその帰り道である。
「しれーぇかんっ」
「はいはい、どうした」
弾んだ足取りで先を行き、袋を振り回すようにして振り返った吹雪は、往来にも関わらず腕を広げてハグを求めてきた。
幸い今は誰も人がいないが、いつ車が通るか人が出てくるかわかったものでもないのに、それでも抱きしめてしまう辺り俺も相当な馬鹿であった。
「えへへ……手を繋いで帰りましょう!」
「そうだな。そうしようか」
片手で袋を持ち、片手を繋ぎ合って歩く。
仲睦まじい兄妹か、父子か、はたまた夫婦か、どんな風に見えているのだろうと気になったりする。
そんな興味は、アスファルトに塗れた桜の花びらが風で舞い上げられると、勝手に消滅したが。
「……花びら、綺麗ですね」
「散っても人を楽しませてくれるんだから、凄い奴らだよな」
感嘆の声を漏らしながらも手をにぎにぎしてくるので、こちらもにぎにぎ仕返す。
吹雪を見れば、彼女も俺を見上げていて目が合った。
笑みを零し、前を向く。花弁は吹雪のように地面に降り注いでいた。
最近、吹雪の様子がおかしい。
俺達が結ばれた日以来、吹雪はすっかり落ち着いた雰囲気を纏って、同学年の女の子達より一足早く大人の女性になっていた。純真で初心なところも、相変わらず小さいところも変わってないが……。
学校が始まると、吹雪は俺が渡した結婚指輪をネックレスのように首から下げ、制服の内側に隠して登校した。つけたままはさすがにマズイらしい。話している時や、何かをしている時、頻繁に指輪があるだろう部分を手の平で押さえる仕草を見かけるようになった。
たまに彼女から夜のお誘いがある。
積極的で消極的な言動は俺の理性を容易くぶち壊してくるので、彼女はますます侮れない女の子になった。
毎日毎晩という訳ではないが、そうやって頻繁にまぐわい、初日以外はちゃんと避妊もして(彼女は何も言わなかったが、なんとなく買ってきて使っている)、ピロートークまで完璧にこなし、充実した日々を送っていた。
夫婦の営みってこんな感じなんだなーなんて思う、少し暑い春の日。
最近、吹雪の様子がおかしい。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
家に戻り、玄関から廊下へ向けてただいまを言えば、真横から返事がきた。それはそれで趣があるなぁなんて考えながら吹雪の頭を撫でてやれば、さっさと靴を脱いで廊下に上がって行ってしまった。「もー、私もう子供じゃないんですよ」と注意され、ついでに「他の子にしちゃ駄目ですからね!」と釘を刺された。いやいや、他所の子の頭を撫でるなんて滅多にしないぞ。吹雪が俺の嫁だからこそやるのだ。……どうでも良いが一度言ってみたかったんだよな、『○○は俺の嫁』って。
「吹雪は俺の嫁」
「ふっふっふ、お嫁さんです!」
実際に口に出してみたら、なんかノッてくれた。得意気な笑みを浮かべてドヤ顔している。落ち着いたと思ったけど、そうでもないような……俺の思い違いだったかな。
「じゃ、しまっちゃおう」
「…………ぁ、はい! 任せてください!」
アイスも入ってるから早いとこ冷蔵庫やら冷凍庫にぶち込まなければと促せば、彼女は数秒あけてから返事をした。今、ちょっとぼうっとしてなかったか?
「まだまだ春って事かな」
「……どういう意味ですか?」
「眠くなるよなって事」
「まあ、そうですね。今日はこんなに天気も良いですし」
「ふわふわになった布団で昼寝でもしたい気分だよ」
「そんな、お昼からだなんて……駄目ですぅ!」
「何が!?」
「? お昼寝ですよ? 夜眠れなくなっちゃいます」
「あ、ああ、そう。……や、昼寝したくらいで寝られなくなったりしないから、俺」
「寝つきが悪かったら、私が一緒に寝て子守唄を歌ってあげますね!」
「俺の子ども扱いが留まるところを知らない……なんで?」
「んー、気分、ですかね」
「どんな気分だそれは」
リビングにてガサゴソと袋から食材やら雑貨やらを出しつつ他愛もない会話をしていると、ふと吹雪の声が途切れた。見ればうとうとと船を漕いでいる。
「大丈夫か? 吹雪。疲れてるのか」
「……ん。あ……い、いえ、疲れては、ないです」
とか言ってるが、まだ眠そうに目を擦っている。そんな彼女に代わってぱぱぱぱっと片付けてしまって、昼寝しよう、と提案した。
「布団取り込むから、眠いなら寝な」
「でも……悪いです」
「何も悪いことなんてないさ。ほら」
ふらふらしている吹雪の肩を抱いて支え、歩くように促しつつ廊下へ出る。あまり広くない廊下だから彼女に先に歩いてもらって、後ろから支えたりする事にした。
足取り不確かに階段を上っていく様子にはかなりはらはらしたが、しかし意外とバランスを崩す事もなく上がって行っている。なんだかんだ言って毎日上り下りしている場所だ、眠くたって体が覚えてるんだろう。
そう思った俺が馬鹿だった。
「吹雪!」
上り切ってからの一歩目でがくんと右膝を落した吹雪は、そのまま傾いて扉に激突した。ガンと大きな音がしたのをみるに、頭でも打ったのかもしれない。残り二段ほどをすっ飛ばして駆け上がり、ずるずると扉にもたれかかりながらも座る体勢に移っていく彼女を抱き起こした。
カランカランと木板が落ちる。ネームプレートだ。手を伸ばしていた吹雪の指が引っ掛かって剥がれてしまったのだろう。だが今は気にしていられない。
「大丈夫か、おい!」
「うー、頭……痛い」
「打ったのか? それとも頭痛か?」
確認しようにも彼女は次第に明瞭に喋らなくなっていき、そのままかくりと頭を落とした。
死んだ?
いや、違う。すぅすぅと安定した息をしている。眠ってしまっただけだ。
でも、それってどうなんだ? 頭を打った直後に眠るなんて、普通じゃない。彼女が徹夜とかをしていたなら話は別だが、昨日は今日の朝にみんなより先に学校に行かなければならないからと速い時間に眠っていたし……。
不安だ。凄く不安だ。
もし万が一があると思うと、部屋で寝かせるなどの対処をしようとは思えず、急いでスマホを取り出してタクシーを呼び寄せた。
病院に行こう。
◆
「妊娠してますね」
「はい?」
前に俺を診てくれた医師は、特になんて事もないという風にそう告げてきた。
当然、『妊娠している』とは今は別室に通されて詳しい検査をしているという吹雪の事だろう。
だが、俺は、激しく動揺していた。いきなりすぎて……いや、わかってはいた。その可能性は頭にあった。最初にたくさんしたからな。だが本当にそうなるとは思わなかった。
「落ち着いて聞いていただきたい。彼女は腕を怪我していますね。よろけて壁にぶつかった、と」
「あ、ええと、腕なんですか? 頭だと思ったのですが……それと一応、壁ではなく扉です。木製の」
医師が質問してくるのにいくつか返していると、女性の看護師と吹雪が戻って来た。まだかなり眠そうだ。
「恒常的な眠気はおそらく初期の症状の一つでしょう。少々極端ですが、そこは様子を見て振れ幅があるのかを確かめましょう。あとは、彼女の状態を良く観察して、傍で支えて上げる事です。可能ならばここに入院して頂くのが望ましいですが……」
「……吹雪はどうしたい?」
俺だけじゃすぐには答えられず、本人に問いかけた。
ふるふると首を振って拒否する。入院はイヤ、と。学校があるからか? ああ、学校があるのに妊娠させてしまった。責任をとって……もう結婚している。どうしよう。
「最悪休学の形をとって、彼女の体を労わってあげてください。彼女は母体としてはまだ幼い。危険であるという事は頭に入れておいていただきたい」
「……わかりました」
医師は、まるで中学の制服を着ている吹雪が妊娠している事をおかしいとは思っていないみたいに、欠片の動揺も軽蔑もなくてきぱきと俺に指示を出し、注意すべき事、やるべき事を書いた紙をファイルに入れて渡してくれた。
◆
「……できちゃいましたね、司令官」
「ああ」
帰りの道中、俺の腕を支えにしながら歩く吹雪が、どこかふわふわとした声で言った。俺も浮ついた頭のまま返事をする。
涼しくなり始めた風が体の前面に吹き付けてくる。相変わらず道には花弁が積もっていて、舞い上がる物は螺旋を描いて地面へ戻っていく。
風で眠気が飛んだのだろうか、吹雪は自分の足でしっかりと歩くようになり、しかし俺の腕は抱えたままだった。
「なんだか……夢みたいです」
「夢……」
……妊娠、か。
これは紛れもなく現実で、向き合わなければならないものだ。
いきなり言われてびっくりしたが、それだけだ。大丈夫、俺は逃げ出さないし、絶対に彼女を……彼女のお腹の子も幸せにする。
今でも十分幸せそうにお腹を撫でて微笑んでいる吹雪が、誰かに話しかけるように呟く。
「この子の名前も考えなくちゃ……佐分……あっ」
「どうかしたのか?」
まさかお腹の子が内側から蹴ったとか……って、十か月程早いか。
「私も、佐分……」
「ああ。佐分吹雪だな」
ぼうっとして、空気に溶かすような声音で言う吹雪に、そうだと頷いてやる。俺を見上げた吹雪は、それから腕に頭を預けてきて、嬉しいです、と言った。
「私達、家族になれたんですね」
「ああ、俺達は家族だよ」
吹雪は、やけに家族という言葉にこだわる。たぶん艦娘時代に何かあったのだろうが、事情を知らないからなんとも言えない。ただ、心底彼女が嬉しがっているというのはわかる。
再びの帰宅。吹雪はもうフラフラせずに歩いているが、念のため後ろについて歩いた。自分の部屋の扉を開けて入っていく彼女に続いて行けば、吹雪はびっくりした顔で振り返った。
「あの、着替えたいので……」
「あ、すまん。ちょっとぼうっとしてた」
「……すみません。ひょっとして私、ご迷惑を――」
「いや、迷惑なんてこれっぽっちも思ってないさ。君は君のやりたい事をやれば良いし、迷惑かもなんて考えずなんでも俺に言ってくれれば嬉しい。俺はその方が幸せだ」
「……ありがとうございます。それじゃ、すぐ着替えてお夕飯の準備しちゃいますね」
「ああ、頼んだよ。俺は部屋で作業してる」
扉を閉め、自室へ向かおうとしたところでカツンと何かを蹴飛ばした。
木板のネームプレートだ。『FUBUKI』と書かれている。
そうだった、吹雪が倒れた時に外れてしまったんだったな。まずこれを付け直してやるか。
そう思って腰を折って拾い上げた俺は、なんの気なしにプレートを裏返した。
特別何かを感じた訳ではなかった。ただ、本当になんとなくそうしただけだったのだ。
「……ユキ?」
両面テープで囲まれた『YUKI』の文字を声に出す。
吹雪の部屋の中から聞こえてきていた衣擦れの音が、ぴたりとやんだ。
静かに扉を開けて出てきた吹雪は、俺の手に自分の手を重ねるようにしてプレートを取ると、背中の方へ隠して、かわいらしい笑みを浮かべた。
「私は……」
その笑顔が、誰かに重なって見えた。
きっとそれは、凄く大切な人で……。
「吹雪ですよ、司令官」
そう言った彼女は、確かに吹雪だった。
だから俺も「そうだな」と頷いて、自室に戻った。
TIPS
・佐分ユキ
13歳。中学二年生。身長は146㎝。
肩甲骨に届くかくらいのストレートの黒髪。碧色の瞳。
性格はしっかりしていて、家庭的。真面目で勤勉。
物覚えが非常に良く、身体能力も高い。
クリームソーダが好物。
保健委員。
I'll Never Forget You.