吹雪ですよ、司令官   作:月日星夜(木端妖精)

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第四話 夕食の準備

 

 庭を一望できる大きなガラス戸の前で、目元を(こす)る吹雪の肩に手を置き、慰めるでもなく彼女の頭を見下ろしていた。

 俺と今後の事を話す、ただそれだけで感極まってしまった吹雪。そんな彼女にかける言葉など持ち合わせてなく、しんみりとした空気に何も言えなくなって、ただ彼女の気持ちが治まるのを待っていた。

 

「もう、大丈夫です」

 

 冷たい制服に俺の手の熱が移り始めた頃、髪を揺らして顔を上げた吹雪が俺の手に自分の手を重ね、そっと退けた。優しい手つきだった。

 彼女は少し赤らんだ顔を冷気に晒すように窓に身を寄せ、ガラスに右手を当てて外を眺め始めた。俺もそれに(なら)い、庭を覗く。

 手入れの足りない庭は、月光が降り注いでいると、隣に吹雪がいるのも相まって神秘的な雰囲気を漂わせていた。ぼうぼうと茂った青草も何とも知れない小さな花も、隣の家の窓から漏れる明かりさえそう感じられて、苦笑する。シチュエーションに酔ってるな。隣の少女が庭の中心で緩やかに舞っていたりしたなら、泥酔してしまいそうなほどだ。それも仕方ない。だって隣にいるのは艦娘だ。これを神秘的と言わず何を神秘的と言うのだろう。掻き抱いて留めたくなる幻想は、肉体を持って佇んでいる。

 ……ちょっとクサすぎるか?

 胸の内にわいた羞恥心を振り払いながら吹雪の横顔を盗み見る。碧色の瞳に、窓に映る俺の姿が反射していた。

 彼女にどう声をかけようかと頭を悩ませる。

 冷えるから窓から離れようだとか、お腹が空いたな、飯は食ったか? とか……。うーん、どうもしっくりこないというか、口から出てきそうにない。

 

「ぉに……」

「ん? どうした、吹雪」

 

 囁くような声に、これ幸いと反応する。疑問を投げかけるだけなら簡単だった。

 あ、いえ、と跳ねるように俺の顔を見上げた吹雪は、口元で手をぱたぱたと振りつつ、ちょっと、思い出して、と言った。

 思い出す? 何を……鬼……っつーと、なんだろう。小鬼群? それとも彼女が初めて戦った軽巡棲鬼か? 夜を見て思い出したなら、軽巡棲姫の方かもしれない。……あのイベントを実際に体験した彼女の想いを予測しつつ、頭の中に浮かんだ夜の海を見渡す。

 かつてのイベントに想いを馳せていれば、すっと窓から離れた吹雪がリビング側へ歩んでいって、俺の隣に立った。くるんと振り返る動作にスカートが続く。シャンデリアの光の下は即席のステージ。両手を背に隠して笑んだ吹雪が、小首を傾げて口を開いた。

 

「司令官、お腹空いてませんか?」

「……ああ、そういや、もうこんな時間か」

 

 時刻は18時を回っている。ちょうど夕飯時と言えるだろう。しかし困った事に、パソコンに集中していた俺は夕飯の準備など空腹ごとすっかり忘れていて、何を食べるかすら考えていなかった。だが『お腹空いてませんか』と聞かれると、不思議と空いてくるもので……。

 

「それなら、この吹雪にお任せ下さい!」

 

 お腹に手を当てつつ頷けば、彼女は何やら大張り切りで力こぶを作って腕まくりをしてみせた。不思議と力強さが感じられるのは、彼女が艦娘だからか、しっかり者だからか。袖から覗く白い腕が眩しい。細いなぁ……。

 

「いいのかい、いきなりそんな……」

「遠慮はいりません。私、料理は得意ですから!」

 

 司令官、何が食べたいですか? と元気に問いかけてくる彼女に遠慮するのもどうかと思い、大人しく作ってもらう事にした。出会ってすぐに家事をやらせるなんてあまり気は進まないが、どうやら彼女はやる気のようだし、やめさせる方が毒になるかもだし。

 

「食べたいもの、か。……肉じゃがとか?」

「…………」

 

 特に考えもなく頭に浮かんだものを口にしてみれば、彼女の顔から笑顔が消えた。

 それで、じっと俺の顔を見てきた。……え、なんだその反応。肉じゃがは駄目? ひょっとして作れない料理を言ってしまったか? いや、でも、肉じゃがくらい作れそうなイメージなのだが……。

 どうしたのかと聞けば、彼女は小さく首を振って「いえ、なんでもないです」と言った。ぱっと笑って、

 

「肉じゃがですね! 得意料理です。他にもいろいろ作りますね! えっと……それで、材料の方は大丈夫でしょうか?」

「材料……あー、足りないものも多いかもしれん」

 

 しまった。食べたいものを言うだけ言って、材料がありませんでしたはまずいな。考えなしが過ぎる。とはいえ、吐いた言葉は呑み込めない。

 肉じゃがが食べたいと希望したところで自動で食糧が補充されるなんて事はない。冷蔵庫には、確認するまでもなく必要な材料は入っていないだろう。……一応何が入っているかいないかの確認くらいはしておくか。

 

「あのっ!」

「っ! な、なんだ?」

 

 そう思い、冷蔵庫の前へ移動すれば、その途中で吹雪が呼びかけてきた。割と大き目な声だったので驚いてしまったが、彼女は言葉を続けるつもりはないようで、一転して小さな声で「いえ……なんでも、ないです」と言った。やっぱり肉じゃがは作れないとか……いや、吹雪は嘘を吐くような子ではないだろう。……声量を間違えでもしたのだろうか。

 気を取り直して冷蔵庫に向き直る。縦長の冷蔵庫は唸り声を上げながら稼働している。ベージュのマーブル模様が塗りたくられているかのような扉の一番上、冷蔵室の扉は分厚く、その一段下、左右一つずつの引き出しと最下段はどれも冷凍となっている。真ん中は冷蔵だ、最上段を開けば、思っていたよりは色々入っていた。卵やドレッシング類、調味料、牛乳や酒、それから、つまみ用のチャーシューやら何やら。

 ……買った覚えのない物も多いが、自分で買った食材を忘れて放置する事など日常茶飯事だ。賞味期限を確認してみれば、まだまだ持つ物ばかり。うん、大丈夫だろう。

 扉を閉め、主に野菜を入れている冷蔵室を引き出す。……一応あるにはあるが、肝心の肉じゃが用の野菜はないな。そして肉も無ければしらたきもない。

 仕方ない、買い物に行くか。

 

「お買い物、ですか? ついていきましょうか?」

 

 彼女に外出する事を告げつつ、自室に戻るために歩き始めれば、吹雪はとことこと後をついて歩きながら提案してきた。

 

「……いや、いいよ。……やめた方が良いな。ああ、夜だしな」

「たしかに、外はかなり暗くなってきてますけど……」

 

 冷える廊下に出て、階段を(のぼ)っていく。一瞬彼女と仲良く買い物に赴く自分の姿を想像してだらしない笑みが浮かびそうになったが、口元を拭って抑えた。それは魅力的な提案だが、しかし吹雪を外に出すのは良くない……かもしれない。

 悪漢から身を守るため、ではない。行くとしても一人で行かせる訳ではないし、そもそも彼女は艦娘だ。俺より腕っぷしが強いかもしれない。心配しているのは女の子の独り歩きについてではなく、『艦娘・吹雪』を世間に晒してしまう事だ。

 吹雪のファンが道行く彼女を目にすれば、俺のように舞い上がって何をしでかすかわからない。それに、むくむくと湧き上がってきている独占欲が、彼女を家の中に留まらせておけと命令してきていた。籠の鳥ではないけど、できるだけ誰かの目に晒したくないという気持ちが大きくなっているのだった。

 だが反対に見せびらかしたいという気持ちもあって……その気持ちの頭には『俺の吹雪を』とつくのに気付いて、自分を戒める。何を勝手な事を。もう俺のものにしたつもりか。いや、もうも何も彼女は誰のものでもないが。そういえば、艦娘の扱いってなんなのだろう。人か、それ以外か。もしそれ以外の方だったならば、吹雪は『司令官』のものという事になるんだろうな。

 

 部屋へ入れば、暖かな風がぶわっと吹き付けてきた。そういえば暖房をつけっぱなしだった。部屋の左奥、天井付近に取りつけられている空調機を見上げれば、後ろでピピッと電子音。振り返れば、扉脇に固定されているリモコンに指を乗せていた吹雪が、あ、ご迷惑でした? と申し訳なさげに腕を下ろした。暖かい風が止み、稼働音が鳴る。

 

「い、いや、迷惑なんてないよ。これから出かけるんだから、消すつもりだったしね」

 

 迷惑だなんてとんでもない、という気持ちを込めつつ部屋の扉に手を伸ばして閉める。肩の上を通る俺の腕を上目で見た吹雪は、そろそろと俺の顔に視線を移すと、控えめに頷いた。

 

「君は、俺が出ている間どうしてる?」

「ぇと……よろしければ、部屋の整理をしたいと思うのですが」

「部屋……隣の君の部屋だね。不要だと思ったものは端に寄せて置いてくれれば俺が片付けるよ。自分で運べるなら、和室に置いてくれると……いや、廊下でいいかな」

 

 衣装ダンスから上着を一枚取り出して羽織りつつ、彼女の予定を聞いておく。ここに来たばかりでやる事は限られているだろうが、なんとなく、こうやって彼女の口からちゃんと聞いておかなければ、俺が出かけている間彼女は置物になったように動かず待機していそうだと思った。

 上着の裾を伸ばしていると、ふと背に触れるものの感覚に体が強張った。吹雪がジャンバーを両手で持って俺の背に羽織らせようとしていたのだ。しかし上背が足りず届かなかったのか、あるいは俺が振り向いた事で動きを止めてしまったのか、胸元に俺のジャンバーを引き寄せた吹雪は、一拍置いてからおずおずとそれを差し出してきた。

 

「司令官……その、ど、どうぞ」

「あ、ああ、うん。ありがとう、ふ、吹雪」

 

 ぎくしゃくとしてジャンバーを受け取り、袖に腕を通した。ポケットに入れっぱなしの財布がずっしりと重たく、服のずれを直すために布を掴んで持ち上げる。その一挙手一投足を彼女は見ていて、酷く緊張した。

 

「少し時間がかかるから、自分の家だと思って……いや、ここはもう君の家も同じだから、寛いで待っていてくれ」

「はい。そうさせていただきますね」

 

 玄関口まで出てきた彼女に見送られつつ靴を履いて――やたらと話しかけてきて、少し対応に困ってしまった。口下手なつもりはないが、いわゆる無職になってしまって以来、人との交流が減ってしまったからな……そういう理由のせいにしておこう――トントンと爪先で床を叩いて踵を収め、棒状のノブに手をかける。

 

「施錠はしっかりと、な」

「はい。いってらっしゃい、……司令官」

 

 小さく手を振って見送る彼女に鍵を閉めるよう言い聞かせてから扉を閉め、きちんと鍵を閉める音を聞いてから門を出る。住宅街の道路を右へ。

 暫くは無言で歩いた。

 

 冬の夜風に当たると顔の熱も取り払われていって、だんだんと現実が戻ってくる。

 ……吹雪は。彼女は本当にいたのだろうか。俺の生み出した妄想ではなかったのだろうか。そうでなくとも、俺が近くに居なければ煙となって消えてしまうのではないか。そういった不安が増大し、今すぐ確認しに戻りたくなってしまう。

 同時に、彼女との同居について様々な気持ちが浮かんでくる。

 喜びは最初に、不安や理由のわからない焦り、悲しさや、懐かしさ。とにかくごちゃまぜの感情は涙腺を刺激して、涙こそ出なかったものの、鼻の奥がツンと痛んだ。白い息を吐き出して誤魔化す。

 街灯と街灯の間を歩いていれば、日常の中に現れた非日常への興味も甦ってきた。

 彼女がどのように生活してきたのかを知りたい。どういう風に戦ってきたのか。その時五感で感じた一切を根掘り葉掘り聞き出したい。

 冒険心というのだろうか、こことは違う世界への憧れのような気持ちは実は最初から持っていて、だけど冷静さを欠いていたから、心の表面には少しも浮かんでいなかった。今は染み入る冷たさが頭を冷やし、潜んでいた考えや感情を代わる代わるもたらしていた。

 帰ったら色々聞こう。だがその前にしなければいけない事がたくさんある。たとえば……そう、風呂とか。

 頭の中に狭い浴室が浮かび上がった。白煙がはびこる中で、裸体を晒けだした吹雪が胸元にシャワーのヘッドを抱いて、こちらを見ていた。

 『一緒に入りませんか』……なんて。

 ……いかんいかん。変な想像をしてしまった。あんまり自分で自分の首を絞めるような真似はしない方が良い。ただでさえ彼女は魅力的なのだから。

 

「……う」

 

 冷たい風が吹き、体温を奪っていった。だが頭を冷やすにはちょうど良い。ポケットに手を突っ込みつつ、邪念を振り払うために頭を振ってから肩をすぼめ、薄明かりの向こうを眺めて歩いた。

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