吹雪ですよ、司令官   作:月日星夜(木端妖精)

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第五話 野生の少女

 家から徒歩で二十分ほどの位置に最寄りのスーパーがある。三階建てで、一階がスーパー、二階が本屋やファミリーレストランなど様々な店がある階になっていて、三階が駐車場だ。

 明るいスーパー内を練り歩き必要な食材を籠に放り込んでいると、ふと彼女の歓迎のためにも何か買っておいた方が良いかなと思った。では何を買うか……悩んだ末にスナック菓子数点と駄菓子各種、それからグレープジュースを籠へ。カットケーキも買ってみた。無難にイチゴのショートだ。

 

「あ、生活用品も買わないと駄目か」

 

 レジに向かう途中で結構重要な事に思い至った。

 そうだ、彼女は突然この世界に現れたのだ。着の身着のまま。艤装は……任意で出したり引っ込めたりできないのなら、彼女はあの制服だけで俺の部屋に現れた事になる。

 当然生活に必要な雑貨などは持ってないだろう。歯ブラシ、タオル、ハンカチ、女の子だし櫛や髪留めも必要か? そうそう、衣類も重要だ。……なんていっても、今から買いに行くのは難しい。服屋までは遠い。徒歩では時間がかかる。だが必要だろう。風呂から上がった彼女に同じ制服と肌着下着を着ろなんて口が裂けても言えない。

 肌着は今時コンビニでも売ってるためになんとかなるが、下着はどうにもならない。……なんて思っていたのだが、肌着類のコーナーには普通に女性ものが売っていた。……あったっけか、こんなの。普段は全く意識していないから記憶にないのだが……あるって事は、昔からあったのだろう。

 ただ、大人向けのものが多い。サイズなんかも大雑把だ。あんまり長居したくないので目測で見繕って籠に詰め込む。

 それでひとまず買い物はおしまい。

 会計を済ませ、三つになってしまった袋を手にして帰路を急ぐ。ここまでで一時間は優に超えてしまっている。吹雪、心細く思っていないだろうか。というか……消えたりしてないよな。

 考えれば考えるほど不安になって、近道しようと普段は避けている公園に入った。林を含んだ広めの公園。遊べるスペースは狭く、遊具も昔に取り払われてブランコや滑り台なんかしか残っていない。街灯が強い明かりを放ち、冬のためか、虫が飛んでたりはしなかった。

 足早に公園の中央を進む。朝昼と違って暗い公園はなかなかに不気味だ。それに最近こういった場所には立ち入っていなかったので、懐かしさとともに違和感を抱き、なんだか気持ち悪くなってきていた。

 

「……?」

 

 それが理由かはわからないが、ふと気配を感じて何の気なしに辺りを見渡した。

 ベンチに横たわる黒い影を発見した。

 

「…………お、おお」

 

 一瞬見てはいけない(おそろしい)ものを目にしてしまったのかと思ったが、よく目を凝らし、一歩近づいてみれば、それが何の変哲もない人間なのだとわかった。酔っ払いか何かだろうか。それにしては小柄だ。だんだん輪郭がはっきりしてくると、それはベンチの端からスカートの布を垂らし、腕を目元にかぶせて仰向けに寝ている女の子だと判断できるようになった。

 ……あの黒いのは制服だろうか。吹雪の物と同じに見える。彼女は家にいるはずだからこんな場所で寝ていたりはしないだろうが、最初は彼女かもと思ってしまった。単に同じ制服を持つ……桜ヶ丘中学校の生徒ってだけだろう。

 いや、だからってこんな時間に子供がベンチの上で寝そべっているのはおかしいが。

 ……昔ここで死んだ幽霊とかそういう類のものでなければ、ひょっとしたら具合を悪くして休んでいるのかもしれない。

 ここで俺は、自分でも意外な行動をとった。その少女のいるベンチへと大股で近付いて行ったのだ。

 常ならば、いくら心配に思おうが滅多には近寄らない。このご時世だ、声掛け事案やら何やらにされてはたまらないし、面倒事は避けるべきである。が、吹雪に出会えた事で気が大きくなってでもいたのか、様子だけでも見てみようと寄って行ってしまったのだ。

 その少女は、なんというか……気怠げだった。

 黒……いや、茶色い髪はあまり長くなく癖っ毛気味で、小さな顔の半分は腕に隠されている。これは腕が太いのではなく制服の袖部分が大きいためだろう。白い首には黒色の細いチョーカーが巻かれていて、制服に包まれた体は見た限り小柄だ。彼女の()()を見回しても、制服を着ていなければとても中学生には見えない程で、まったく力の入っていなさそうな体は足先がベンチからはみ出て斜めにぶら下がっている。まさか死んでいるんじゃないだろうな……なんて思ってしまうくらい凄まじい脱力具合だ。息を確認するべきかと浮かせかけた手は、ぶら下げたレジ袋の重みに引かれて動かずじまいだった。……そこまではしなくて良いだろう。目を凝らさなければわからないが、彼女の胸はきちんと上下している。死んでない。

 

「君、大丈夫か?」

 

 お節介かと思いながらも一応声をかければ、少女はぴくりと身を揺らして反応した。ゆっくりと目元から腕を退けて……鋭い瞳を覗かせた。眠たげに細められ、しかし隠し切れない猛きん類のような目は、夜闇の中でもぎらぎらと輝いて見えた。

 どうしてこう子供の目というのは宝石のようにきらめいていて、それでいて不気味なのだろうか。吸い込まれてしまいそうな不安が胸の内で鎌首をもたげる。が、その不安を吹き散らすくらいには彼女の目つきは悪かった。……別にびびっている訳ではない。ただ……そう、ただ、ちょっと、寒いだけだ。

 

 目が合う。

 その瞳に俺の顔が映れば、どういう訳か横一文字に結ばれていた彼女の口端が両方ともつり上がり、額側にずらされた腕はそのままずるずると上へ滑って、しまいにはベンチの外側へぶらんと落ちた。露わになった彼女の前髪は、一房だけ紫色に染められていた。

 この時になってようやく俺は理解した。この子は関わっちゃいけないタイプの子だ。

 だってどうみても不良だし……いや、髪全体を染めている訳でもないし、派手な化粧をしている訳でもなければ改造した制服を纏っている訳でもないが、その目つきと瞳の奥の光に、前髪に目立つ紫色とくれば、声をかけなければ良かったかなという後悔が持ち上がり始めるくらいにはそういう印象を与えられた。

 

「なんだ……にーちゃんか……オレに何か用か……?」

 

 低いような、それでいて高い声で言った彼女は光を(いと)うようにベンチの背もたれ側へ顔を向けると、少ししてから俺に顔を向けて見上げてきた。

 さて、ここで俺がとるべき反応はなんだろう。

 オレッ娘……実在したのか! と慄けば良いのか、なんか知り合いみたいな口ぶりだが君と俺とは初対面だろうと突っ込めば良いのか、真面目に要件を言えば良いのか。

 オレッ娘がどうのはどうでも良い。彼女の言葉は、まあ、あれだろう。『なんだオッサン』みたいな、一緒くたにした呼び方なのだろう。この場合おっさんでなくてお兄さんだったのは幸いだ。俺もまだ自分を若いと思っていたいからな。それにしても『にーちゃん』って……その口調にそこはかとない幼さを感じるが、彼女は幾つなのだろうか……なんて、気にする意味はない。詮索は不要だ。ここは普通に要件を言えば良いだろう。なぜこんな所で寝ているのか気になるから声をかけた、と。

 そう伝えれば、彼女は緩やかに腕を持ち上げて目の上に乗せると、息を吐き出すように笑った。

 

「見てわからないか……?」

「……具合が悪いのかな? 親御さんに連絡しようか」

「あ? ……飢えてんだよ」

 

 『親』と口にした瞬間にぎっと睨みつけてきた彼女に少々気圧されつつ、その言葉の意味を考える。

 飢えている……それは言葉通りの意味だろうか?

 掠れた声は、たしかに彼女には元気も気力もないと思わせる。腹の音は聞こえないが、俺には彼女が腹を空かせて力尽きているようにも見えた。

 家に帰る気力もないのか、それとも帰れない事情でもあるのか。

 この見た目を見て俺の中では勝手なカバーストーリーが展開されているが、実際のところどうかは知らない。親と喧嘩して家出でもしているのか、はたまた夜遊びか、それとも別の何かか。

 

「にーちゃんなら……いいか」

 

 放って帰る訳にもいかずどうするかを考えていると、肘をついて僅かに上半身を持ち上げた彼女が呟くように言った。

 

「なぁ……お前の家に泊めてくれよ」

 

 笑むように細められた目はやはり鋭く、常識外の発言はお願いというよりは脅しのようであった。

 吊り下げた袋がカサカサと揺れる。風に撫でつけられた彼女の制服は体のラインにぴったり沿って、その細さを際立たせた。

 ……寒い。今夜は冷え込むな。この子がどれほどの時間ここにいたかは知らないが、肌の白さが元からでないなら芯まで冷えている事だろう。なら彼女の言う通り連れ帰って風呂にでもぶち込んでやるのが優しさかもしれない……一番は親に連絡するかお巡りさんを呼ぶかだが。

 

「ちょっと待ってて」

「…………」

 

 何をするにしても、まず彼女の体を温めてやらねばならないだろう。それこそ余計なお世話かもしれないが、構わない。今はそういう事をする気分なのだ。

 返事をしない彼女の無言を肯定と受け取って、公園の出入り口付近に設置されている自動販売機の前に移動する。

 温かい飲み物……コーヒーは駄目だろう。飲めなさそうというのは安直な考えか? まあ、無難にいこう、無難に。ココアか、コーンスープか。飢えていると言っていたし、食事に近いだろうコーンスープの方が良いかもな。

 袋を置いて財布を取り出し、缶のコーンスープを購入する。ガコンと落ちたそれを手にすれば、火傷しそうなくらいの熱さに落としかけてしまった。

 缶を持ったまま袋に腕を通して持ち上げ、彼女の下に戻る。ほら、とコーンスープを差し出せば、腕を退けて瞳を見せた彼女は、揺らすように腕を動かして俺の手から缶を奪うと、胸の上に置いて沈黙した。

 ……飲まないのか。

 それはコーンスープが苦手だからか、それとも暖をとっているからなのか。

 とりあえずここまでやれば安易に声をかけてしまった事への義理は果たせただろう。だがここで離れて翌日ニュースで『公園にて凍死体が発見された』などと報じられたら寝覚めが悪い。それ以前に、困っている――いそうな――女の子を放って帰っては吹雪に合わせる顔がなくなってしまう。

 なんて思い悩んでいれば、どこからか軽快な電子音が聞こえてきた。携帯の……着信音みたいなもの。出どころは椅子の下に落ちている学生鞄からだ。彼女の物だろうか。少女の顔に目を向ければ、なんだか凄く煩わしげに身動ぎしていた。

 六度目のコールで膝を曲げた彼女がガツンと背もたれを蹴りつけ、勢い良く身を起こす。太ももの間に落ちた缶が足の細さを露わにするのに目を逸らす。

 彼女の動き一つ一つにいちいち驚いていた俺は、もう完全に立ち去るタイミングを逃していた。

 

「しつこい奴だ……」

 

 吐き捨てるように言った彼女は缶を持ち上げると、軽い動きで椅子から飛び降り、椅子の下の鞄を引き上げた。椅子の上に放られた鞄が中身を吐き出す。

 彼女の身長が吹雪よりも低い事に気をとられていた俺は、ふと鞄から零れた筆記用具や教科書類に目をやって、違和感を抱いた。

 不良っぽい少女にしては、教科書ノートをきっちり揃えているんだな。……いや、登校してなかったりするのかもしれない。見せかけだけ整えてサボタージュに勤しんでいるとか……なんて憶測に意味はない。

 

「なんの用だ」

 

 薄型の携帯、スマートフォンを人差し指と親指で挟んで持ち上げた彼女が誰かと話し始めるのを見ながら一歩下がる。こちらには意識を向けていないのを確認し、その場を立ち去る事にした。割と元気そうだし、これ以上のお節介は必要ないだろう。

 

「いいぜ……来いよ。ちょうど退屈してたとこだ」

 

 あの小柄な体のどこから出しているのか、低い声が公園の下の方に響く。正直怖すぎなので足早に公園を出て、家へ向かった。

 その頃にはもう、大きくなっていた気もすっかり(しぼ)んでいた。

 

 

「ただいまー」

 

 鍵を開けて暖かい室内に身を潜り込ませた俺は、ほっと一息吐きながら吹雪へ呼びかけた。

 ……返事はない。ないが、廊下の先にあるリビングに続く扉は、中の明かりをガラスから漏らしている。吹雪が電気をつけっぱなしにしているのでなければ、彼女はリビングにいるのだろう。

 

「ただいま!」

 

 リビングへの扉は結構分厚い。聞こえなかった可能性もあるので、声を張り上げるように再度帰宅を知らせつつ靴を脱ぐ。がさがさと揺れる袋をいったん床に置き、首元のジッパーを下げて緩める。ふぅと息を吐き出せば、リビングへの扉の窓に黒い影が動くのが見えた。そう大きな動きではなく、なんだろう……その場で方向転換したといった感じ?

 

「おーい? 吹雪ー……?」

 

 袋を手にしてリビングへ向かう。扉を開ければ、果たして、そこにはちゃんと吹雪がいた。

 

「あ、あの、おかえりなさい、ぉ、司令官」

「ああ、ただいま。……何やってるんだ?」

 

 俺を見上げて控え目に挨拶をしてくれた吹雪は、ちょうど固定電話に受話器を戻しているところだった。

 吹雪の身長ぐらいある縦長の棚。三段ある内の真ん中の台に焦げ茶色の電話がある。普段は布一枚被せられて沈黙しているそれは、今はクリアーなボタンや画面をオレンジ色に光らせて稼働していた。

 なぜ電話なんかを使っているのだろう。今切ったみたいだが、いったいどこへかけていたというのだろうか?

 そう疑問に思っての問いかけに、吹雪は困ったように笑った。

 

「鎮守府の方ですよ。急にこちらへ来てしまったので、みんな心配してるだろうって思ったので」

「鎮守府って……つ、繋がったのか!? うちの電話と!?」

「いえ。繋がりませんでした……困りましたね、司令官。これじゃ、みんなに何も言えないです」

「そ、そうか……まあ、そうだろうな」

 

 この世界に吹雪の言う鎮守府はない。だから電話が通じるはずもないのだ。

 もしかしたら吹雪もそれはわかっていて、それでも確かめたくて受話器を手に取ったのかもしれない。受話器を握っていた両手は、今は重ねられて下腹部に添えられている。

 

「お持ちしますね」

 

 彼女の気持ちを考えていれば、パタパタと寄って来た吹雪が俺の手から一つ袋を取り、両手で持って机の方へ向かった。残る袋を持ち直しつつ俺もそれについていく。

 

「わ、ケーキですか? なんで……?」

「着任記念みたいなもんかな。甘いものは苦手か?」

 

 てきぱきと袋の中身を仕分け、冷蔵庫と机とを往復していた吹雪は、カットケーキが入った箱を両手で持ち上げると首を傾げた。俺の言葉に納得したみたいで、いえ、好きですと笑う。屈託のない素敵な笑顔だ。

 

「半分こ、しましょうね」

「ああ。ちょうど二つあるしな」

 

 食後のデザートにすると決めたらしい吹雪は、少し上機嫌になって作業を再開した。吹雪にも甘いものは効くみたいだ。

 作業は当然俺も手伝う。あらかた食材をしまい、必要なものだけキッチンへ持ち込んだ吹雪は、残っている袋を不思議そうに覗き込んだ。

 

「生活用品や雑貨も買っておいたんだ」

「……あ、ありがとうございます」

 

 言葉にするまでもなくわかるかもしれないが、もっと会話したくてあえて口に出すと、吹雪は一拍遅れてお礼を言ってきた。どういたしましてと返す。

 

「それじゃあ、すぐ作っちゃいますね」

「お願いするよ」

 

 さっそく料理に取り掛かる彼女を眺めてから、重い腰を上げて動き出す。

 雑貨や替えの下着などは一旦脱衣所に置いて、自室に戻って部屋着に着替えた俺がリビングに戻ると、もう良い匂いが漂い始めていた。菜箸片手に鍋の様子を見る吹雪の後ろ姿は、新鮮を通り越して懐かしさすら覚える。椅子に横向きになって腰を下ろし、じっと彼女の背を見つめていれば、一つ気付く事があった。

 エプロンをしているのだ。

 早々料理などしない俺は、当然エプロンなど買わない。だが現に彼女は落ち着いた雰囲気のエプロンをかけている。……あれは、そう、今は亡き母の物だ。

 

「吹雪」

「はい、どうしました?」

「そのエプロンの事なんだけど」

「…………」

 

 だからどうという事もないが、一応エプロンについて尋ねれば、はっと息を呑んだ彼女は「あったので使わせていただきました」と、おずおずとしながら言った。

 

「構わないよ。使われず埃をかぶっているよりは良いだろう。この家にある物は好きに使ってくれ」

「はい! お心遣い感謝します、司令官」

 

 埃をかぶっているよりは、なんて言ったのは、彼女が纏うエプロンがどこか綺麗に見えたからだ。この家には俺が使わないものが結構ある。それに、ここはもう吹雪の家でもあるのだ。なんだって好きに触ってもらって構わない。……俺の私物以外はな。

 俺も男なので、こう、簡単には見せられないものの一つや二つくらいあるのだ。それが見つかったら軽蔑されかねないので、えー、どうしよう。……もっとわかり辛い場所に隠しておくか。

 緩い敬礼を見せた彼女は、再び俺に背を向けて料理に(いそ)しんだ。後頭部で揺れる黒髪の尻尾はふわふわとしていて、たまにぴょこんと跳ねるのが愛らしい。

 というか、なんだ。料理をしている女の子の後ろ姿というのは、どうしてこうも魅力的なのだろうか。

 それは吹雪だからこそなのかもしれない。もしかすると、幼い頃に見た母の姿を重ねて特別に感じているだけかもしれないが……いいや、吹雪は特別だ。なんてったって特型駆逐艦だからな。

 ……我ながらつまらないギャグだ。

 

「君は料理ができるんだな」

 

 俺の言葉に、彼女は僅かに振り返る素振りを見せた。鍋から昇っているだろう微かな白煙は、ゴォォと音を立てる換気扇へ昇っていき、トントンと何かを切る音を鳴らしながらも耳を傾ける彼女の横顔は、髪に遮られて僅かな肌色が覗くばかりだった。

 

「……ずっと、作ってきましたから」

 

 台所と俺のついている木机との間には木製の台がはだかっている。レトルト食品や乾燥麺などがしまわれた棚。中段右部、引き出せる板の上で電気炊飯器がゴポゴポと震えている。

 彼女の声に隔たりを感じたのは、きっとこれらの障害物と、彼女の表情が窺えないせいだろう。

 『作ってきた』とは『司令官』に、だろうか。だが司令官とは俺の事のはずだ。……ゲームの中にも俺はいたのだろうか。

 そこら辺の疑問は後で纏めて聞こう。今はご飯だ。

 料理が完成すれば食器の用意や配膳を手伝い、向かい合って席に着く。

 献立は肉じゃがを主に、ご飯にお味噌汁とカブとほうれん草の……なんか小鉢に入ってるやつ。料理名など知らなくても食える。

 両手を合わせて「いただきます」。吹雪の声と重なった。……ここで俺以外の「いただきます」を聞くのは何年振りだろうか。家族との団らんがつい昨日の事のように甦る。

 そっと箸をつまんだ吹雪は、すぐにご飯に手を付けるでもなく俺を窺い始めた。聞きたいのだろう、味の感想を。正直その眼差しだけで俺は「うまい! うますぎる!!」と叫びたいくらいだったが、口に入れてもいないのに感想を述べるのは食べずに貶すのと同じだ。

 いの一番に肉じゃがに箸をつけ、茶に染まったしらたきと豚肉をつまんで口に運ぶ。舌への刺激は、強かった。染み込んだ味は濃く、噛みしめればじわじわと滲み出てくる。うん、素直にうまいと言えるな、これ。

 

「おいしいよ」

「……ありがとうございます」

 

 行儀よく飲み下すまで黙ってから感想を述べる。紛れもない本心からの言葉だ。

 さっきも感じた事だけど、なんというか、懐かしい味だ。好みの味と言う方が近いか。続けて白米を口に運び、味の濃さの調整をする。うーん、合うな。

 うんうんと頷いていれば、彼女もようやくお椀を持って箸を動かした。お箸の持ち方は模範的。食べ方も丁寧。……どこか色っぽいと感じたのは、たぶん錯覚だろう。

 

「吹雪は、誰かに料理を習ったりしたのか? この……肉じゃがとか」

「はい。肉じゃがも、他の料理も全部…………教わりました。大事な人に」

 

 会話がしたくててきとうな質問を投げかければ、少し重い雰囲気の言葉が返ってきた。手を止め、茶碗の上に箸を置いた吹雪が伏し目がちになってそう言った。

 大事な人? ……誰の事かはわからないが、彼女に取ってその人がとても大切な人だと言うのはわかった。

 それは誰かと軽率に聞いても良いものだろうか。会話を続けたい、その声を聞いていたいという理由で突っ込んだ質問をしても。

 ……聞かなきゃわからない。彼女の事をもっと知らなきゃ、そういう話もできる間柄にはなれないだろう。

 だから聞いてみた。「大事な人って?」、と。

 

「もう、いません。死んじゃいましたから」

 

 予想に反して、吹雪の口からは重い内容が出てきた。

 誰かではなくどうしたを聞かれたと思ったのだろう、まっすぐ俺を見る吹雪は、押し黙るような表情で、それでもそう教えてくれた。

 

「すまなかったな。悪い事を聞いた」

「いえ、もうずっと昔の事なので……大丈夫です。私こそ、すみません。お食事中なのに空気を重くしてしまって」

「気にする事はないさ。俺は……もっと君の事を知りたい。なんでも話して欲しいんだ」

「…………はい」

 

 カチャリと食器が鳴る。頷いた吹雪は、それから柔らかに微笑んで「食べましょう?」と促した。否はない。知りたいと言っても、いきなり全部って訳じゃないし。彼女のペースで、彼女の話したい時に教えてくれればと思う。

 

 その後はたまにぽつぽつと言葉を交わす程度で静かな食卓となったが、息苦しさなどは微塵も感じられなかった。むしろ、久々に心休まるような気分だった。

 食べ終わるのは俺の方が早く、彼女が食事を終えるのを待って、「ごちそうさま」と手を合わせる運びとなった。




・謎の少女
オリキャラ

・スマートフォン
『スマートフォン』という名称では商標登録されていないらしい。

・ジッパー(チャック)
国によって呼び名は違うが、全部同じ物を指す。
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