誰かの悲鳴が聞こえる。とても苦しそうな、悔しそうな悲鳴。それは『どうしてこんなことになってしまったのだろう』、と嘆いているようだった。
「化け物」
嘆いている人物に向かって誰かが言うとボトリと何かが地面に落ちる。それはズタズタに切り刻まれた右手。嘆きから絶叫に変わる。
「化け物」
今度は左手。
「化け物」
右足、左足。ポタポタと地面に滴り落ちる血が池を作る。四肢を切り落とされたその人は痛みでもがくが自身を宙吊りにしている縄の軋む音が響くばかりで逃げられなかった。
「化け物」
そう呟いた人々は裏切られたその人へ手を伸ばし――。
「ッ! ハッ、ぁ……うッ」
目を覚ました俺は転がるようにベッドから降りて部屋を飛び出し、トイレへ駆けこむ。そして、嘔吐。しかし、起きてすぐだったからか胃液しか吐けなかった。
「響ちゃん!」
気持ち悪くて動けずにいると何故か東條が現れ、俺の背中を擦ってくれる。確か昨日は入学祝いとかで俺の部屋に来て一緒に晩御飯を作って食べたはずだ。片づけている途中で眠くなって片づけを東條に任せて寝たところまでは覚えている。もしかしてあのまま泊まったのだろうか。
「と、う……」
「後で説明するから今は落ち着くまで休んでて……」
「……うん」
東條の言葉に頷いてみせて目を閉じ、吐き気が治まるまで深呼吸を繰り返す。その間、彼女はずっと俺の背中を擦ってくれていた。
『マスター……』
桔梗も心配そうに俺を呼んだ。もう数年経っているのにまだあの時の夢を見る。その度に今のように嘔吐し、回復するまで時間がかかるのだ。
「……もう、大丈夫」
だが、これ以上東條に迷惑をかけられない。トイレに付いているハンドルを回して吐瀉物を流しながら後ろにいる彼女に言った。
「ほんまに?」
「……もうちょっと」
「よろしい」
振り返った時に見た彼女の真剣な目に負けて素直に本当のことを教える。それに対して満足そうに頷いた東條は嬉しそうに俺の頭を撫でた。少しだけ恥ずかしいから止めて欲しい。
「なんで、ここに?」
すこぶる体調が悪いので片言になってしまった。だが、彼女はそんなこと気にもせずに答える。
「響ちゃんが寝た後、片づけも終わってウチすぐに帰ったんよ。その時、鍵を借りて朝、鍵を返すついでに朝ごはんを作ろうと……そしたらその途中で物音がしたと思ったら」
「……ありがと」
「……素直な響ちゃんの可愛さは殺人レベルやなぁ」
感謝の言葉を返して欲しい。まぁ、あの状態だったら桔梗がいたとしても話すことはおろかトイレから動けなかっただろう。東條がいてくれて助かった。
「それで……よければ何があったか教えてくれへん?」
「……ただの悪夢だよ」
俺が答えたくないことを察してくれたのか彼女は何も言わず、立ち上がろうとする俺に肩を貸してくれた。嘔吐したせいで体に力が入らないのだ。おそらく東條がいなかったらすぐに倒れていただろう。
「今日、学校休んだ方がええよ?」
「……いや、行く。授業とか寝てればいいし」
「もう……仕方ない子やね」
微笑んだ東條の肩を借りてリビングに移動し、ソファに横になった。チラリと時計を見れば午前6時45分。まだ時間に余裕はある。それまでに一人で歩けるぐらいまで回復しなければ。
「響ちゃん、朝ごはん食べられそう?」
「無理」
食べたら絶対に戻す。『そうだよね』と少しだけ残念そうに呟く東條。せっかく作ったのだ。食べて貰えなかったら悲しいだろう。
「……気持ち悪いから家出るまで寝てようかな」
「うん、時間になったら起こすね」
「ありがと。あ、でもお弁当作る時間ないか。どうすっかな」
「っ! ふふ、しょうがないなぁ。なら、お姉さんがとびっきりのお弁当作ってあげる。丁度、誰かさんが食べられなかった朝ごはんもあるしなぁ」
どうやら、ばれているらしい。まぁ、悪夢を見た後に寝ようと思う人などいないだろうし、鋭い東條が気付かないわけないか。
「何から何まで悪いな。お弁当箱、棚の中にいくつかあるから」
「了解。それじゃゆっくり休んでてね」
よっぽど嬉しかったのか東條は鼻歌を歌いながら作業を始めた。人のお世話をするのが好きなのだろうか。まぁ、いい。今は動けるようになるまで休もう。
『マスター、気分はどうですか?』
目を閉じていると桔梗が話しかけて来た。もちろん、東條に聞こえないように念話だ。
(ぼちぼちだな……東條がお弁当を作り終わる頃には動けると思う。後は授業中、寝てれば大丈夫だろ)
『ですが、今日は校内を案内すると昨日、先生が言っていましたよ?』
(……隙を見て保健室行くわ)
入学式の翌日に保健室デビューするとは思わなかった。だが、途中で倒れても皆に迷惑をかけてしまうのでやむを得まい。
「あ、そうだ。なぁ、東條」
「んー?」
最初から俺が眠る気などないことを知っていたのか急に話しかけたのに東條は普通に返事をした。
「音楽室って一般生徒も使えるのか?」
「誰も使ってなかったら使えるよ? でも、何するん?」
「気分転換、かな」
悪夢を見た日は必ずバイオリンを弾くことにしているのだ。スキホに入れていけば楽なのだが取り出しているところを誰かに見られたら面倒なことになる。大人しく手に持って登校しよう。
「響ちゃんは楽器もできるんやなぁ。ウチも聞きたい……けど、今日は生徒会の仕事があるから行けへんわ……」
「そう言えば、昨日も生徒会長を手伝ってたな。役員なのか?」
「これでも副会長なんよ。意外やろ」
「いや、適任だと思う」
東條はリーダーと言うよりもリーダーを支える縁の下の力持ちタイプだ。きっと、生徒会でも会長をサポートしているに違いない。
「そう言って貰えると嬉しいわぁ。よし、完成!」
上手く作れたのか満足そうに頷く東條だったが、時計に視線を移すと目を丸くした。
「あ、アカン! そろそろ行かないとえりちに怒られる!」
「待ち合わせか?」
「そう! 少しでも生徒会の仕事を片付けようって一緒に朝早く学校に行ってるんよ! 響ちゃんのお弁当、ここに置いておくから!」
『一緒に行けなくてごめんなぁ!』と言い残し、東條は慌ててリビングを出て行く。何だか悪いことをしてしまった。忙しいなら無理してお世話を焼きに来なくてもいいのに。
『それだけマスターのことが心配だったんですよ』
「……はぁ」
突き放そうとする度、距離を詰められているような気がする。ため息を吐いた後、立ち上がって学校に行く準備を始めた。
登校してすぐロッカーの中にバイオリンを突っ込んで教室に入ったところ、すでに登校していた小泉に心配されてしまった。どうやら、俺の顔が真っ青で今にも倒れてしまいそうだったそうだ。因みに星空はお花を摘みに行っているらしい。
「保健室に、行った方がいいよ? 今日は、校内を案内するって……言ってたから」
「……なら、そうさせて貰おうかな。先生に伝えておいて貰えるか?」
「う、うん!」
「ありがと」
力なく笑ってお礼を言うと小泉は顔を赤くして俯いてしまった。正面からお礼を言われるのが恥ずかしかったのだろうか。まぁ、それについて聞けば余計、恥ずかしいだろうし放っておこう。
「あ、音無さんおは……って、大丈夫!?」
教室を出ようとした時、丁度星空が帰って来たので手短に説明して硬直している小泉を託して保健室に向かった。
「かーよちん!」
「……へ? あ、凛ちゃん……」
凛ちゃんに肩を叩かれて私はやっと正気に戻った。
「どうしたの?」
「う、ううん! なんでもない!」
不思議そうに凛ちゃんが問いかけて来るが急いで誤魔化す。さすがに音無さんの微笑みに見惚れてしまったとは言えなかった。
(はぁ……綺麗だったなぁ……)
今にも消えてしまいそうなほど幻想的で儚げな笑顔だったので思わず、手を伸ばしかけてしまいそうだった。とても綺麗な微笑み。やはり、私の目には狂いはなかった。音無さんはアイドルの才能がある。
そのことに気付いたのは昨日の入学式の前、緊張していた私に凛ちゃんが『気分転換に隣の人に挨拶してみるにゃ!』とアドバイスをしてくれたからだ。私は人見知りが激しくあまり人と話すのが得意ではない。なので、凛ちゃんのアドバイスを聞いて目を白黒させてしまった。それでも凛ちゃんが私のためにアドバイスしてくれたのだと思い、少し頑張ってみようと隣の席の人が来るのをドキドキしながら待っていた。
そして、一人の生徒が教室に入って来る。
「うわぁ……」
綺麗な長い黒髪。女の子にしては高い身長。服の上からでもわかるほど優れたスタイル。それでいて歩く度に揺れるポニーテールと大きな紅いリボン。そのどれもが美しく、見る者全てを魅了してしまうほど綺麗な人だった。騒がしかった教室が少しだけ静かになる。皆、その人に見惚れていたのだ。しかし、本人はそのことを全く気にしていないようで黒板に貼っていた座席表を一瞥し、こちらへ真っ直ぐ歩いて来る。
「り、凛ちゃん! こ、こっちに来るよ!」
「かよちん、落ち着くにゃ!」
私たちが騒いでいる間にその人は私の隣の机に鞄を置いた。まさかこの人が私の隣の人? 私は今からこの人に挨拶するの? そう考えると自然と目に涙が溜まって行き、ちらりと凛ちゃんの方を見る。さすがに彼女もここまで綺麗な人が私の隣だとは思わなかったのか顔を引き攣らせていた。
「ふぅ……」
その人は小さく息を漏らす。そんな些細な仕草でさえ人の目を惹きつける。よく見れば少しだけ眠たそうな目だった。寝不足なのだろうか。のん気なことを考えているとその子は机の横に付いているフックに鞄を掛ける。
「あ、あの!」
気付けば私はその人に声をかけていた。自分でもどうして声をかけたのかわからない。でも、自然と言葉が出て来たのだ。凛ちゃんも後ろで応援してくれている。頑張らなくちゃ。
「どうした?」
その人は首を傾げながら問いかけて来る。綺麗な容姿からは考えられないほどぶっきらぼうな口調。だが、この人にはそれが合っているとすぐにわかった。
「え、えっと……こ、これから、よろしくお願い、します」
慌てて目標である挨拶をする。何度か言葉が詰まってしまったが何とか出来て安堵のため息を吐く。
「おう、よろしく。小泉」
「え、どう、して……」
まだ自己紹介していないのにも関わらず、彼女は私の苗字を言った。思わず、目を白黒させているとそれを見て私が驚いていることに気付いたのか再び、彼女が口を開く。
「座席表見たから」
「あ、そっか」
確かに座席表を見れば私の名前を知っていてもおかしくない。おかしくないのだが、座席表を見ていたのはほんの一瞬だ。あんな短時間で隣の人の名前も覚えていたのだろうか
「すごーい! じゃあ、私は私は?」
そう思っていると凛ちゃんが手を上げてその人に聞いた。
「いや、座席に座ってないとわかんねーよ」
「凛の席はあそこにゃ!」
わくわくした様子で凛ちゃんが自分の席を指さす。しかし、
「自分で答え言ってるぞ、星空」
「あ、ホントにゃ……って、苗字当たってる!?」
「一回見ればだいたい覚えるからな」
そう言った彼女は机に突っ伏して私たちに手を振った。これ以上の会話を望んでいないようだ。だが、まだ名前を教えて貰っていない。
「あ、あの……お名前は?」
「名前? あー……」
忘れていたのか突っ伏した状態で私たちの方を見る。その時、彼女が浮かべていた気怠そうな表情が何だかとても印象に残った。
「音無 響。よろしく」
「よ、よろしく」
「よろしくにゃー」
「……ということでおやすみ」
挨拶が終わった途端、顔を元の位置に戻した音無さんは寝息を立て始める。時計をチラリと見れば入学式の時間がすぐそこまで迫っていた。
「え、だ、駄目だよ! もう少しで入学式だよ?」
「すぅ……すぅ……」
「……寝ちゃったにゃー」
「そう、だね……」
何だかとても不思議な人だった。見た目はとても綺麗で話しかけるのも躊躇してしまいそうなのに話してみれば見た目からは想像できないほどぶっきらぼうな口調。それでいて座席表を一瞥しただけでクラスメイトの名前を覚えてしまうほどの頭の良さ。後、とても眠たそう。何というか特徴がありすぎて特徴を掴み切れなかったと言うべきか。ただ――。
「――ん! かよちん!」
「へ!? な、何!?」
「音無さんの方見てどうしたの?」
「何でも、ないよ」
少しだけ言葉に詰まってしまったが、凛ちゃんはそこまで気にしなかったようで『そうかにゃー』と笑っていた。
「……」
私はもう一度、眠っている音無さんを見る。可愛らしい寝息がここまで聞こえてきた。
(私の目に狂いがなければ……)
ずっと憧れて来たからわかる。音無さんはアイドルの才能に溢れている、と。魅力や個性もそうだが、何よりこれほどまでの美貌を持っていながら自然体で過ごす人柄。それが音無さんの魅力なのだと。
「ん……」
寝辛かったのか音無さんが顔をこちらに向けた。たったそれだけでドラマのワンシーンに見えてしまうほど絵になっていた。
(綺麗……)
おそらく、この日――いや、音無さんを見た瞬間から彼女のファンになっていたのだろう。だが、この時の私はそれに気付かず、彼女の寝顔を見続けた。
数日後、音無さんの非公式ファンクラブが出来たことを知った私は凛ちゃんの制止の声すら無視して会員となるために校内を駆けまわることになるのだが、それはまた別の話。
花陽視点での響さんの様子でした。
本当に彼女たちの話し方とか性格が合っているかわかりません……まぁ、違ったらこの世界の彼女たちはこんな感じ、ってことで……許してください。