〇月×日 八雲 藍
あの子がうちに来てから、今日で一週間になる。
その経緯や出自に最初の頃こそ戸惑ったものの、一週間もすれば慣れてくる。
年齢に似合わぬ知識や特殊な記憶を除外すれば、あの子は唯の赤ん坊である。
むしろ無闇に泣いたりしない分、普通の赤ん坊を世話するよりも楽だ。
こうやって世話をしていると、式になったばかりの橙の事を思い出す。
あの子は手間のかかる子で、当時は(ry
〇月×日 八雲 藍
今日、閻魔様から連絡があった。どうやら頼んでいた調査が完了したようだ。
幻想郷だけでなく他の管轄部署とも連携して調査した結果、あの子と思われる魂が輪廻の輪を通った記録は何処にも存在しなかったらしい。
あの子の魂がこの世界のものではないという推測。最初は眉唾物であったが、こうやって物的証拠が揃ってくると信じざるを得ない。
それに付随して、あの子の死後の処遇も決定した。
あの子の魂はどこの管轄でもなかった。
その状態で万が一の事が発生した場合、魂がどこに行くのか、どうなってしまうのかは誰にも分からない。もし行き場を失ったまま亡霊になって災厄を振り撒かれでもしたら堪ったものではない。
けど、その件に関してはもう大丈夫。閻魔様の取り計らいで、あの子の魂を幻想郷の管轄にしてもらう事が出来たからだ。
これにより、あの子が死亡した場合は一般的なケースと同様に、裁きを受けて輪廻の輪を潜る事が出来るようになった。
調査といいこの処置といい、随分と閻魔様に借りが出来てしまった。
紫様がここまでするなんて、やはり同属が出来たのが嬉しいのであろうか?
この事を報告すると、「そう」と気の無い返事がひとつ。
あそらくは予想していた通りなのだろう。調査ではなく確認作業という認識なら、いちいち驚いたりしない。
……ですけどね、紫様。少しくらい驚いてあげてもいいのでは?
じゃないと、この数日間部下の死神を巻き込んでずっと調査してくれていた閻魔様に申し訳無いです。
後で借りを返すのに困っても知りませんからね?
同日 ???
衝撃的な事実を知ってから数日、だからといって何かが変わる訳でなく、私は赤ちゃんライフを過ごしています。
当たり前と言えば当たり前なんですけどね。能力持ちだと分かった所で、私が唯の赤ん坊なのは変わらないんですから。
私の周りはというと、藍さんはいつも忙しそうに飛び回っていて、紫さんは藍さんのいない時は私の世話を、それ以外では何か調べ物をしています。
橙ちゃんにはまだ会ったことがありません。ここには住んでおらずマヨヒガでひとり修行中なのだと、藍さんが自慢気に話してくれました。
そのうち会わせてくれるらしいので楽しみです。
同日 八雲 紫
今日、閻魔様から連絡があった。あの件について調査が完了したようだ。
内心を隠してそっけない返事を一つ。藍の前で情けない姿は見せられない。
大丈夫だと思ってはいたけど、予想通りの結果に一安心である。
その結果に気を良くした私はあの子の世話を藍と交代し、奥の間に移動してからスキマを開いた。
あの子の記憶の内容を反芻しながら境界を操作する。
眼前にあるスキマはTVのように、時々どこかの映像を映し出している。
何故私がこんな事をしているのかというと、あの子の記憶で少し気になる事があったからだ。
あの子の記憶では、私達は物語上の架空の人物として認識されていた。
それに対して色々思う所もあるが今はとりあえず置いておいて、ここで私はひとつの可能性に気付いた。
この子の記憶において物語上の存在とされていた我々であるが、つまりそれはこの子の記憶にある存在の中に、私達と同様に実在するものがいるという事にはならないか?
それは余りにも荒唐無稽な話。けど、有り得ないなんて事は有り得ない。現に私達という前例がある以上、その可能性は安易に否定できるものではない。
今までそんな事考えもしなかったけど……、面白くなってきたわね。
幻想郷の管理人として外の脅威に備えておきたいという気持ちと、あとは純粋な興味本位。
本当、あの子が来てから退屈しないわね。
あら、そういえば
「藍、ちょっといいかしら?」
「どうしました、紫様?」
「この子の事なんだけど……」
〇月×日 ???
昨日、ひとつ良い事がありました。
本格的にここで暮らす事が決定した記念にと、紫さんが私の名前を考えてくれました。
今まで私は「あなた」とか「おまえ」とか「あの子」とか呼ばれてたので、名前を貰えるのはとっても嬉しかったです。
名前は私の髪の毛の色から「桜」。危うく「桃」になる所でしたけど、語呂が悪いっていう理由で却下されました。
紫さんの事だから、色にちなんだ名前を付けるとは予想していたけど、少しだけ予想外だったり。
というのも、紫、藍、橙、八雲家の皆さんの名前はいずれも色にちなんだ物なのですが、それに加えて、虹に含まれている色から取った名前だったりします。ここから考えると、桜色って微妙に仲間外れなんですよね。
うーん、やっぱり家族じゃなくて居候って扱いなんでしょうか?
「そういう訳でもないんだけどね」
あ、心読んでました? 丁度良いです。だったら何で?
「あなたは式じゃないもの。つまりはそういう事よ」
すいません、全然分からないです。
「ふふっ」
解説してくれる気はないんですねわかります。
「今は分からなくてもそのうち分かるわ。一度自分で考えてみたらどう? 時間は有り余ってるんだし、暇潰しには丁度良いんじゃない?」
むう……。
〇月×日 八雲 藍
あの子改め桜がうちに来てから一ヶ月。今日は私がメインで世話をする日だ。
紫様はというと、ずっと部屋に篭ってスキマを開いている。
聞いた所によると、桜の記憶の中にあった世界の一つを発見したらしい。
まだ境界が安定しておらず実際に移動する事は出来ないが、それも時間の問題だ、との事。
「流石ですね紫様。それで、どんな世界なんですか?」
「ミッドチルダって言ってね、なかなかに興味深い世界よ。今まで気付かなかったけど、どうやら地球との交流もあるみたいね。面白いのは、魔法と科学が混在して社会を支えている所ね。魔法を科学で制御するなんて、なかなかに斬新な考えだと思わない?」
「……紫様、悪巧みは程々に、顔に出てます。何をなさるつもりで?」
「ひどいわねえ乙女に向かって。別に何もしないわ。余計なちょっかい出してここの事が知られたら、厄介事にしかなりませんもの」
「本当、自重してくださいね?」
〇月×日 八雲 藍
今日は、というか今日も私が桜の世話を担当する事になった。
紫様を起こしに行ったもののそこには誰もおらず、代わりに「ちょっと観光に行ってくるから桜の事よろしく」の書き置きがあった。
今日は紫様の番だったのに……。私に結界管理の仕事を押し付け、もとい任せてくれているのだから、その辺りはちゃんとしてほしいものである。
「どうしたものか……」
私にも結界の見回りという大事な仕事がある。地味な仕事ではあるが幻想郷の維持そのものに関わってくるので欠かす訳にはいかない。
かといって、生後一月程度の赤ん坊を放置する事など出来やしない。
「……仕方ない、か」
桜も連れて行こう。それしかない。
途中でマヨヒガに寄る事があるから、そこからは橙に世話を頼むのも良いかもしれない。
橙には既に桜の事は話してある。会ってみたいと言ってたし、丁度良い機会にだろう。
同日 八雲 桜
今日はあの日以来初めて、外に出られる事になった。
藍さんの背中におぶられて幻想郷の空を飛びまわり、色んな所に行く事が出来た。
途中に立ち寄ったマヨヒガで、橙ちゃんと初めて会いました。
橙ちゃん可愛いですねー、と感想を抱く一方で、その橙ちゃんに世話される事に何だか複雑な気持ちになったり。早く成長したいです。
今日は良い一日でした。また近いうちに行ってみたいです。
〇月×日 八雲 藍
どうしてこうなった。そうとしか言えない。
いや、原因は分かっている、私のせいだ。仕方の無い事とはいえ、全くもって迂闊だった。
とにかく、こうしていても始まらない。早急に対処しなければ、面倒ごとになってしまう。
全く、やれやれだ。
同日 八雲 桜
何だか藍さんの様子がおかしい。
ご飯を食べた後、新聞を読んでた所までは普通だったのに、読み終わるや否や紫さんの寝室に飛んでいきました、文字通り。
それから既に数時間。まだ話し込んでいるらしく、二人ともなかなか部屋から出てきません。
一体何があったんでしょうか?
………………。
…………。
……。
あ、やっと出てきました。
「桜」
紫さん?
「貴女に大事なお話があるの。聞いてくれる?」
はい、いいですよ。で、どうしたんですか?
「桜。貴女を外の世界に送り出すわ」
え?
―数時間前―
「……と、いう事なのです」
今回の件の報告を締めくくり、私は正面にいる紫様に頭を下げる。
紫様は渡された新聞を読みながら、その話を聞いていた。
「『大スクープ! 八雲の式に隠し子疑惑!?』ね。なかなか上手に撮れてるじゃない」
新聞の一面には、一枚の写真が掲載されていた。
そこに移っているのは桜を背負い、幻想郷の空を飛行している私の姿であった。
「疑惑っていう点がポイントね。少なくとも嘘は吐いてないわ。取材無しで書いたのは、他の天狗仲間に先んじて記事にするのを重視したからかしら? となると、他の天狗が近い内に取材に来るかもしれないわね」
「悠長に記事の分析してる場合ですか! それよりも、今は対処法を考えるのが先です。……原因を作った私が言う事ではないのですが」
「心配要らないわ。既に手は考えてある」
新聞を読み終えたのか、紫様は新聞紙を折りたたんで私に返してきた。
それを受け取り元の場所に戻した所で、紫様が再び口を開いた。
「あの子は外の世界で生きてもらうわ」
「ちょ!? どういう事ですか?」
私が馬鹿なのだろうか? いや、そういう訳ではあるまい。
今の紫様の思考をトレースできる者がいるとしたら、すぐにでも名乗り出て欲しい。
長年紫様の式をやっている自分が分からないのだ。そんな奴は恐らくいまい。
「言葉の通りよ。あの子にはここから出て行ってもらうわ」
「いや、だから何でそうなるのか分かりません。一つずつ順を追って説明してください」
「分からないのは分かろうとしてないからよ。もっと頭を働かせなさい。……と、言いたいんだけど」
「?」
「時間が無いのも事実なのよね。いつここに天狗が来るかも分からない状況だし、のんびりなんてしてられないわ。……藍」
「はい」
「今から言う事をやってくれるかしら? 説明は作業中にするから。」
「……分かりました」
「実はね、この計画自体は前から考えてたわ」
私は紫様の指示に従い、魔法陣を作成していく。
転移の術式と……これは記憶消去、いや、保護か?
「藍、貴女にとって、桜はどんな存在?」
「そうですね……。手のかからない子供、でしょうか。でも、それがどうかしました?」
「うーん、私にとっては少し違うのよね」
「と、言いますと?」
「子供、っていう点には同意するけどね。けど、私はあの子を自分の下に置く気は無いの」
「だから追い出す、ですか?」
「不満?」
「そういう訳ではないのですが……。そもそも、初めは人里にでも預けるつもりでしたしから。妖怪である事が判明した以上、それは難しくなったのですが。けど、どうして態々外の世界に? ここで育てる訳にはいかないのですか?」
「分からない?」
「結果に至るまでの過程が説明されていない状態では仕方の無い事だと思いますが」
「藍もまだまだね。いい? この子が幻想郷で暮らすと仮定する。その場合、桜は何処で育てられる事になると思う?」
「……パワーバランス、ですか?」
「正解。優秀な素質をもってる子だから、勢力争いに興味のある奴等には戦力的な意味での将来性を期待される。知識人や魔法使いにとって、その能力は格好の研究材料になる。どちらにしろ引く手数多になるのは簡単に予想が付く」
言われてみれば確かに。
比較的勢力争いとは縁の遠い幻想郷であるが、だからといってゼロという訳ではない。
一社会を構成している山の妖怪や信仰獲得に余念の無い神様を初め、今は大人しくしているものの何を起こすか分からない奴等はゴロゴロ存在する。そんな状況で桜の受け入れ先を募集した場合、何が起きるか分からない。
「ならばなおの事、私達の手で育てるべきでは? そういった輩から遠ざけるには、それが一番妥当だと思えるのですが?」
「駄目よ。幻想郷の管理人なんてものをやっている以上、弱みを増やす訳にはいかない。ちょっと極端な話だけど、もし桜が誰かに浚われて、それを盾に理不尽な要求をされたとした場合、私に求められるのは桜を見捨てる事。そんなの互いの為にならないわ」
言ってる事は分かる。紫様には幻想郷の管理者として振舞う事が要求されている。
そして、幻想郷の管理者としての視点から判断した場合、あの子を育てる事はデメリットが多い。
「……ですが!」
けど、だからといって納得出来るものでもない。
「紫様はそれで良いんですか? 生まれ方が特殊だとはいえ、千年以上生きてきて初めて出会えた同族なのでしょう?」
紫様にとって、桜は言ってみれば初めて出来た娘のような存在。
理屈の面で言えば、確かに紫様の言ってる事は正しい。
「紫様、あんなに嬉しそうに桜の事抱っこしてたじゃないですか!? なのに離れ離れになって良いんですか?」
けど、納得なんて出来ない。
そもそも私が反対している一番の理由は、ここに桜が来てからの紫様が、本当に嬉しそうにしていたから。
一人一種とは言い換えれば孤独な存在。永遠にそのままだと思っていた所に突如現れた、娘にも近い存在。紫様の受けた衝撃は、私には予想がつかない。
だというのに、自らの手の中から離れていくのを是とする。理解できる訳が無い。
「良いも悪いも無いわ。例え私達が育てるとしても、あの子の存在が知られたら、それを利用しようとする輩は必ず出てくる。実行するかどうかは別としてもね。そうなった時、あの子では抗えない」
「なら、私達が守ってあげれば良いじゃないですか!」
桜を手放したくない。それは紫様も同じ気持ちの筈。だというのに、口から出てくるのは悲観的な言葉ばかり。
今のあの子が無力な存在だというなら、私達が守ってあげれば良い。それ位の事、紫様だって気付いている筈なのに。
「子供を守るのは親として当たり前の事です! 桜を傷つけたくないのなら、私たちが頑張れば良いじゃないですか!?」
「守るといっても限界があるわ。私たちは神様でも何でもない、ただの妖怪よ。それに、もうすぐ天狗が来る。桜の存在を隠しておくのは無理よ」
「そんなの幾らでも何とかなります! 天狗なんて追い返せば良いじゃないですか! 仮にその存在が広まったとしても、私達のうち一人が常に付いていれば大丈夫です!」
「無茶言わないで。管理者としての役目を放り出すつもり?」
「なら桜の存在を秘密にして、ここから出さないようにすれば……」
「そうやって、桜を籠の小鳥に貶めるつもり?」
「……あ」
沸騰していた頭が一気に冷えた。
「この家に囲って、どんな外敵も寄せ付けず、関わらせない。それがあの子の幸せかしら?」
「違……」
「違わないわ、藍が言ってるのはそういう事よ。それが、理不尽に対抗出来るようになるまでという期限付きであったとしても、やる事は変わらないわ。悪魔の妹を知ってるでしょ? 徹底的にするなら、あのレベルで守らないと意味が無い。そしてそれは、桜の為なんて言っても到底許される事じゃない」
「ああ……」
「藍、意地悪言ってごめんなさいね。貴方を責めるつもりは無いの。出来るなら、私達の元で育ててあげたい。けどその選択は、桜から自由を奪ってしまう」
「そういう事、でしたか……」
納得できた。いや、せざるを得なくなった。
私は紫様の事しか考えていなかった。だから桜の為と言いながら、何としても紫様の傍に置いておこうと考えた。
けど、紫様は桜の事だけを考えていた。
だからこそ、自分の手で育てるという選択肢すら捨ててみせた。自分の存在が害となるから、躊躇わずに放棄してみせた。
「あらゆる外敵を排除されただ守られるだけの存在。言い換えるなら高級な絵画や壷のように、そこに飾られるだけの調度品。この子は、桜の価値は決してそんな下らない物なんかではない。同じスキマ妖怪として、そんな無様な姿になる所だけは見たくない。だからこそ、桜には外に行ってもらう。幻想郷という世界がこの子にとって害になる位なら、外の世界で自由に生きる道を与えてあげる。結局の所、勢力争い云々というのはただの建前。私は桜に、自由を与えてあげたいのよ」
「……本当によろしいのですか?」
「当たり前じゃない。……と、これでいいわ」
作業が終って紫様が立ち上がり、桜を連れてくるために歩いていく。
紫様は桜を腕の中に抱いたまま、こちらへ戻る為に振り向いて
「子供の幸せは親の幸せ。この子が元気に生きてくれるのが、私には一番嬉しい事なんだから」
いつもの胡散臭い笑顔に、一粒の雨が降っていた。
―桜、あなたは外で幸せに生きなさい―
―私達の事は忘れさせておくわ。その方が早くそっちに適応できるでしょうから―
―忘れたくない? 安心して。時期が来れば自然と思い出すようになっているわ―
―幻想郷は、貴方にとっては優しくない世界だった。全てを思い出した時、私を恨んでも構わない―
―けど、もしも貴方が私を求めてくれるなら、幻想郷に戻りたいと思ってくれるなら―
―強くなりなさい。貴方に害を為すものに、世の中の理不尽に決して負けない位に―
―その時は、もう一度―
「そういう事、だったんだ……」
ル・ルシエで拾われるまでに何があったのか。浄玻璃の鏡はその全てを映し出しました。
それを見て、私も思い出す事が出来た。紫さんと藍……さんに出会った記憶と、桜の名前を貰った思い出。
……けど。
「映姫様」
「どうしました?」
「紫さんの選択についてどう思いますか? 閻魔としての意見を正直にお願いします」
「言語道断です。いくら事情があったとはいえ、八雲紫が貴方を捨てた事実に変わりは無い、育児放棄は立派な罪です。貴方に自由を与えたいという気持ちも理解できますが、だからといって極端すぎる。放任主義などというレベルではありません」
「……本当に遠慮無いですね。私も同じ意見ですが」
確かに、紫さんの考えを理解はできるんですよ?
けど、だからって全部を肯定はしたくない。
「状況的に仕方なかった部分はあるし、私の事を考えてくれたっていうのは理解できます。でも、それでも一緒にいたかったっていうのは私の我侭でしょうか?」
「子供が親、ないし保護者と一緒にいたいというのは当たり前の感情です。少なくとも、間違ってはいません。だとすると何が間違っていたのか。強いて言えば、その感情が『子供の我侭』にならざるを得なかった環境です」
「むぅ、分かるけど分かりたくないです……」
獅子は我が子を千尋の谷に落とすって言うけど、私のケースはまさにそれです。
守るばかりが愛じゃない、時には突き放して困難を与えるのも愛の形の一つである、って事なんでしょうけど、谷底に落とされた子が親に感謝するか? って、する訳ないです。
「……ああ、何かだんだん腹立ってきました」
きっかけさえ掴めれば後は早いもので。
ひとつの記憶が思い出される度、それに関連した記憶も連鎖的に思い出してきました。
それと同時に、当時の私が抱いていた感情も想起されています。
「なーにが私の為、ですかあのババア。そんな事言いながら、私の事なんてガン無視してたじゃないですか」
あの時、紫さんは一人で考え一人で結論を出した、当事者である私に聞きもせずに。
話した所で結論は変わらなかったのかもしれない、けど、それでも聞いて欲しかった。
「私の問題なのに勝手に決めて、こんなの一方的な押し付けじゃないですか。映姫様もそう思いませんか?」
「おそらくですが、彼女にとってはそう思われるのも考慮の内なのでしょう。彼女なら「その位で何とかなるなら安いものですわ」と言うでしょうね」
「あー、簡単に想像つきました。確信犯とか余計にタチ悪いですね」
「全くです。この幻想郷には、罪を突きつけても悪びれない者が多すぎる」
想像つくのが嫌ですけど。
映姫様の言った通り、もし私が直接弾劾したとしても、反省はしても後悔は絶対にしなさそう。
もっとも今更謝られた所で何が変わる訳でもなし。ならばそれで良いんでしょうけど、それだと何だか納得いかない。だからといって謝罪されたいのかと聞かれたら、それも何か違う気がしますし。うーん……。
………………。
…………。
……うん、決めた。
「映姫様」
「何ですか?」
「スキマ妖怪に伝言を頼めますか? 「全部終わったらブン殴りに行くから、首を洗って待っててください」って」
「その心は?」
「スキマが全部悪い。うん、たぶん、きっとそうです」
八つ当たり? いえ、そんな事は無いです。
経緯はどうであれ私を放り出したのは事実な訳ですし、それに対し私が反発するのは正当な権利です。ちょっと考えすぎてました。物事はシンプルに行かないと。
「スキマ妖怪は愛情の与え方まで回りくどくなるものなんですかね? そのせいでこっちは良い迷惑ですよ。捨てられたと思って自棄になったあげく、似合わない自己犠牲なんてやらかしちゃったんですから」
「後者は自業自得です」
「う……。ですけど、きっかけは中途半端に戻った記憶です。つまりスキマのせいなのは確定的に明らかです」
本当、放任主義もいい所です。
段階を踏んで記憶を戻すなんて言っておきながら実際は虫食い状態でしたし、タイミングだって悪意を感じる絶妙なタイミングでしたし。
これで誤解しない方がおかしいですよ。うん、やっぱりスキマが悪い。
……でも。
「紫さんは私を愛して……いえ、やっぱり良いです。……映姫様」
「また伝言ですか? 私はメッセンジャーではないのですが」
映姫様に聞こうとして途中で止める。
あの人の気持ちはあの人にしか分からない。白黒はっきりつける閻魔様でも、分からない事はある。
なら、どうすればいいか? そんなの、答えは一つです。
「「聞きたい事が沢山あります。覚悟しててください」。さっきのに、そう追加してもらえますか?」
「その心は?」
「十年分のツケを払ってもらいます。絶対逃がしません」
回りくどい、分かりにくい、胡散臭いの三重苦だけど、それでも大切に思ってはくれてたんだろうなとは思えるから。
映姫様に言われた通り、私は怖がりなのかもしれない。
幻想郷とル・ルシエでの経験から、愛情や信頼というものを無条件で信じられなくなってしまったんだと思う。
スバルさんやはやてさん達との人間関係も、どこかで壁を一つ作って依存しないようにと考えてきた。裏切られるくらいなら、最初から一人でやった方がずっとマシだから。
なにもかも一人で全部やろうとして失敗して、結局は後の事を皆に押し付けてこんな所にいる。
自分の事ながら救えないです。
でも、記憶を取り戻して今まで忘れてた事を思い出した。
紫さんの行動は、結果的に私を追放する事になった。
けど、それは情と現実を切り離して考えた結論じゃなくて、情が介入したが故の結論、だと思う。
もっともこれは私の考えで、都合の良いように考えた妄想に過ぎないのかもしれません。
でも……。
「信じるのは、自由ですよね?」
もう少しだけ信じてみるものいいかもしれない。紫さんの事、それと私が出会った人達の事。
今まで無意識に恐れてたけど、勇気を出して少しずつ踏み込んでいくのも良いかもしれない。
まだ吹っ切れた訳じゃないけど少しだけ、ちょっとだけなら頑張っても良いかな、と思う。
「映姫様、有難うございました。半ば自棄になってた私の話を聞いてくれて、道を間違えないように導いてくれて、本当に感謝しています」
「私は務めを果たしたまでです。礼を言われるような事ではありません」
「それでも、です。なら、私の方で勝手に感謝しておきます。それじゃ、そろそろ行きますね」
さあ、もう良いでしょう。もう十分過ぎる程に休みました。
今まで腹に溜まっていた物も、懺悔を通して全部吐き出しました。
だとしたら、もう私はここに居るべきじゃない。
賢い振りして全部諦めて逃げて、そんなのはもう終わり。
私には、帰るべき場所がある。
今もなお戦っている人たちの所に、帰らなきゃいけないんですから!!
「待っててね、藍、フリード、それと……、皆!!」
……………あ。
「あのー、映姫様」
「どうしました?」
「私、どうやったら元の所に帰れるんでしょうか?」
「……」
「……」
「まさか、知らないのにあんな事を?」
「わー! わー! わー!」
「『待っててね、藍、フリード、それと……、皆!!』、なんて啖呵を切っておきながら、見当もついていなかったのですか?」
「くぁwせdrftgyふじこlp!?」
言わないでください恥ずかしい!!
ああんもう、何口走ってるですか数秒前の自分!!
知らないですか、って? ええ知りません知りませんとも!!
大体ですね、こういう所ってA’Sの時のフェイトさんみたく、何かしらの結論が出たら勝手に戻るものじゃないんですか!?
御都合主義さん空気読んでくださいよおおお!!
………………。
………。
……。
「落ち着きましたか?」
「はい、すごく落ち着きました」
嘘ですけど。ううっ、まだ顔が赤いです、さっきのは黒歴史認定です……。
「そろそろ本題に戻りましょうか? 桜、貴女の希望は元の肉体に戻る事ですね?」
「はい」
今サラッて言われたけど、今の私は肉体と分離してるらしいですね。
ぶっちゃけた話、元居た場所に戻る事しか考えてませんでした。
……うん、死んでるのすっかり忘れてた。
「あの……、やっぱり駄目ですか?」
つまり、今の私は魂そのまま、肉体を持たない霊体です。
「さっき戻るって言っちゃったけど、映姫様的にNGだったりします?」
そして映姫様は死者を裁く閻魔様。
映姫様にとって私の『戻る』発言は言わば脱走宣告と同じ訳です。
「いえ、そういう訳ではありません。あなたが何処へ行こうと、私は邪魔をするつもりはありません。もっとも、貴女の方からこちらへ来るのなら話は別ですが」
「遠慮します。にしても、うーん……」
本当に困りました。どうすれば良いんでしょうかね。
「……ヒントをあげましょう」
「映姫様?」
「そもそも、貴女はどうしてここに来たのか分かりますか」
「それはガス欠で……む、そういえば何ででしょう?」
「おそらくですが、『矛盾を受け入れる程度の能力』が関係しているのではないかと考えられます。その能力は生命維持にも関わっています。それが弱った結果魂と肉体が不具合を起こし、魂が追い出されたと推測できます。ここまでは良いですか?」
「はい。続けてください」
「それに加え、貴女は妖怪でもあります。妖怪は精神的なものに大きく影響されます。自己のアイデンティティが揺らぎ不安定であったが為に、「死」の側に引き寄せられたのでしょう」
「むむむ……」
「本来なら、そのまま一人の死者として三途の川を渡る事になる。けど、ここでも疑問が発生します。桜、『あなたは宵越しの銭を持っていませんね?』」
「あ、はい」
「金額の差はあれ、死者なら誰もが持っている銭を所持していない。それはつまり、貴女が死者ではないという事になります」
「何か変ですね、死んでるのに死んでないとか……、まさか!?」
「おそらく想像の通りです。『矛盾を受け入れる程度の能力』の影響で、今の貴女は生者と死者の境界が無視されています。死因のひとつになった能力ですが、今そうしていられるのはその能力のおかげ。皮肉な話ですね」
「うーん……」
やばいです、話についていけなくなってきました。
「けど、ここで更に疑問が発生します。『矛盾を受け入れる程度の能力』はあくまでも受け入れるだけ。物事の境界に干渉する事は出来ません。だというのに、貴女は死者になる事のないまま中途半端な状態をキープしています。能力が関係無いのだとすると、それは何故か?」
「ごめんなさい、限界です。結論だけ三行でお願いします」
「……良いでしょう」
話を戻しますけど、そもそもの本題は私が元の肉体に戻る為の方法ですから。
なのに何でこんな回りくどい事を……、どこぞの育児放棄親じゃあるまいし。
「心が弱ったくらいで
『人間』は死にませ
ん。
……二行で十分でしたね」
……ごめんなさい、前言撤回です。全部の話がしっかり関係してましたね。
成る程、何となくですけど分かりました。
「映姫様、本当にありがとうございました。また今度菓子折りでも持ってお礼に来ます」
「礼には及びません。どうかお元気で」
「はい! では、また!」
映姫様に背を向けて、私は行動を開始する。
目指すはミッドチルダ、今もなお、皆が必死に戦っているであろう戦場へ。
……では、改めて。
霊力を全開に、それとは逆に妖力を抑える。
新たに自覚した『矛盾を受け入れる程度の能力』、それを自分の存在が消えない程度に、最小限に維持する。
直後、私を襲った浮遊感に予測が外れていないのを確信して、そのままその感覚に身を委ねました。
藍、フリード、それと皆! 待っててください、今行きます!!