―――神無優夜、月明かりの森にて
現時点の俺の状況、一言で表すなら“最悪”としか言い様がない。
俺の目の前には獲物を二人定めたルーミアは、影の刃をその周囲にゆらゆらと漂わせながら俺に狙いをつけている。一歩でも動けば、すぐにでも殺されるのは目に見えている。
一人だけなら隙を突くなりしてすぐにでも逃げられるのだが、今はそうはいかない。
俺とルーミアの間、そこには一人の人間の少女が地面に倒れていた。
暗闇でもよく映える美しく長い黒髪、月下美人の刺繍が描かれた黒い着物、左側の髪には赤いリボンが結ばれている。本当ならかわいい顔のはずなのに、今は恐怖で表情が強張っていた。
俺と同じように逃げてきた少女は、ルーミアの姿を見てすっかり怯えきっている。これでは一緒に逃げようにもすぐに追いつかれて二人仲良く彼女の晩餐だ。
「さて、これで逃げられないわね」
「まさか、こうなるとはな。時の運じゃねえだろ?」
「あら。やっぱり気付いた?」
「まぁな」
俺は少女の足に何かで斬られたような傷があることに気付いていた。
恐らく、この少女も俺と同じようにルーミアに、いやルーミアの影に追われていた。
最初はどちらか一方だけでも良かったのだろうが、意外にも俺が素早いということで考えを変え、俺に少女をぶつけて足止めするように上手く誘導したんだろう。
「敵ながら天晴、としか言いようがねえな」
「褒めてくれるのはいいけど、この状況をどうするのかしら?」
「はっきり言って勝算はないな」
俺は余裕綽々な態度でそう答えるが、ルーミアには笑われる。
「ふふ。さっきまでの威勢はどうしたのかしら?」
「俺だってただの人間だ。他人を助けながら逃げるなんて芸当はできない」
「なら、二人仲良く私の晩御飯かしら?」
「このままだとそうなるよな。まったく」
俺は頭を掻きながら目の魔の少女に視線を一瞥する。
彼女だけでも一度どこかに逃げてくれれば、後はなるようになると思うんだけどな………。
肝心の少女はすっかり腰が抜けており、俺の言葉なんて届くとは到底思えない。
万事休す、そう思ったときにルーミアが俺に向かって話しかけた。
「そこまでこの娘(こ)が気になるの?」
「……それがどうした」
俺は少しイラつきながらそう答えた。
それを聴いて、ルーミアはクスクスと笑う。
「実はね、アンタを見ていると殺すのには惜しいと思ったのよ」
「それは光栄だな」
「でも、ここ最近人間を食べていないからお腹が空いているのよね」
「それはそれは。なら、どうする気だ?」
「そこでアンタに提案よ。その娘を置いていくなら、アンタを見逃してあげてもいいわ」
「――ッ!?」
その言葉に、少女は俺の方へと振り返った。
紅い瞳が恐怖に揺れ、涙を浮かべている。『死にたくない』、そんな言葉が聴こえそうだった。
自分の命と引き換えに、会って間もない赤の他人の少女を見殺しにしろってか。
「まったく、ふざけた話だ」
「他人の命と引き換えなんて、こんなに安い話はないと思うわよ」
「一つ聴いてもいいか?」
「何かしら?」
「お前は本当に、逃した方を追わないのか?」
「それは約束するわ。まあぁ、信じられないのならそれでもいいけど」
「いや、それだけ聴ければ満足だ」
俺はため息を吐くと、前に向かって歩き出した。
少女は怯えた目で俺を見ている。多分、さっきまでの話で自分の運命を悟ったのだろう。
俺が少女の前に立つと、少女は諦めたように目を閉じた。逃れられぬ運命を受け入れるように、弱き者にはそれしかできないのだから。
「結局、アンタもそこらにいる人間と変わらないのね」
「そうだな。俺はただの人間だ」
「なら、さっさとどこかに行きなさい。その間、私は――」
ルーミアが影を引き込め、少女へと近づこうと一歩踏み出した。
その瞬間、俺は左手に隠していた小石を彼女の眉間に向かって思い切り投げた。
その狙いは正確に彼女の眉間へと直撃し、一瞬だけ彼女に隙が生まれた。
俺はその隙に少女の腕を掴んで立ち上がらせると、彼女に聞こえるギリギリの声で伝える。
「――振り返らずに走れ」
「……え?」
「――大丈夫、必ずまた会えるから」
俺は伝えられることだけを伝えると、少女を自分の後方へと手放した。
彼女は心配そうに振り返るが、俺が余裕な笑みを浮かべると意を決して走り出した。
「これでいいんだよな」
「アンタ………なんで」
「痛みは引いたか?」
「えぇ。お陰で怒りでお腹が空いてきたわねっ!!」
青筋浮かべたルーミアは、怒りに任せて足元から影の刃を俺に向かって放った。
しかし、怒りで精度が鈍っているので俺でも軽々とそれを避けることができた。
いや、それよりも彼女の標的を俺に絞れただけ、俺の思惑は大成功というわけか。
「なんで、アンタはあの娘を」
「決まってるだろ。俺があの子に惚れたからだ」
「……何を言っているの」
「惚れた女には優しくし、心の底から愛し、そして身を挺してでも護る。それが俺の心情だ」
「くだらない。アンタは自分の命が惜しくないの?」
「惜しいさ。だから俺はあの子に言った。“また会おう”ってな」
俺は何度も繰り出される影の刃を見極めると、その刃を掴んだ。
ルーミアはそれを見て目を見開くと、俺は口元をニヤッとさせながら言葉を紡ぐ。
「俺は生きる。こんなところで、一夜も明けないうちに死ぬのなんて御免だからな」
「調子に乗るんじゃないわよ。ただの人間が、妖怪に勝てるはずないわ!!」
「うるせぇ!!! 勝手に決めつけるんじゃねえよ」
俺は掴んだ影を思いきり引っ張ると、ルーミアごと俺の下へと引き寄せる。
「俺の旅の行き先は俺が決める。お前なんかに勝手に決めさせてたまるか!!!」
俺が左手を握り締めると、気付かないうちにその手に光が宿っていた。
「俺のすべてを引き換えてでも、俺は生きる。生きてまたあの子と会ってやる!!!」
俺はルーミアを自分の下へと引き寄せると同時に、その拳を顔面へとぶち込んだ。
拳に宿っていた光は弾けるように消えると、彼女はその衝撃で元の場所まで吹き飛ばされた。
「はあ……はあ……って、え?」
俺は自分の左手を見ると、そこには一本の刀が握られ、腰にはその鞘が携えられていた。
知らず知らずのうちに握られていたそれをまじまじと見ていると、ルーミアが立ち上がった。
「アンタ、一体何者よ?」
「俺は……」
その手に持った刀を見つめ、戦う覚悟した。
俺は刀身を撫でるように手を滑らせると、俺はルーミアに向かってニヤッと笑う。
「神無 優夜、通りすがりのただの人間だ。憶えておけ」
優夜「ご都合主義、乙」
空亡「いいじゃないですか。僕はこういうの好きですし」
優夜「知るかよ。でもまあ、これでようやく戦闘か」
空亡「自称ただの人間が、どこまで抗えるかどうかですね」
優夜「不吉なこと言うなよ。キリが良いところで逃げるつもりなのに」
空亡「それでも主人公ですか?」
優夜「能力なしで戦えるほど、人間は強くないんだよ」
空亡「解りませんよ? またご都合主義で覚醒するかもしれませんし」
優夜「そうなったら、もう笑うしかないだろ」
空亡「この物語、ある意味喜劇ですからね。笑ってもらわないと」
優夜「そうかよ。なんか疲れるな」
空亡「頑張ってくださいよ。主人公」
次回予告
月照らす森で対峙する人間と妖怪、果たして最後まで立っているのはどちらなのか?
東方幻想物語・序章、『戦闘』、どうぞお楽しみに。