後、某可愛いモノ好きの方の台詞をお借りしました。
In being limited, and there being the happy days when I pretended not to notice.
(気付かない振りをしていたのよ、幸せな日々が有限で有る事に)
【Ⅰ】
いつも通り。
「トレイン、そっちに行ったぞ! 仕留めろ!!」
「あいよー。 …ほ~らよっと!!」
気の抜ける様な返事と共に繰り出された、空気を切り裂く蹴撃が強盗犯の側頭部へと吸い込まれていく。
私とスヴェンの華麗な連携によって知らず知らずの内に誘導され、トレインの待ち構える路地裏までそうと知らずに追い込まれたのだ。
私達が駆け付けた時には、既に強盗犯はぐるぐる巻きに縛り上げられた後だった。 ロープの先を持ち、警察署へとずるずる引っ張って行くトレインはすこぶる上機嫌である。
調子外れの鼻歌が遠ざかって行くのを見送った後、スヴェンは慣れた手つきで煙草に火を付け、溜息と共に紫煙を吐き出した。
「やれやれ、これで今月の家賃はどうにか払えるか…?」
がしがしと頭を掻きながら気だるげにぼやくスヴェン。
お金が無い事をぼやく時、手強い獲物を相手取る時、日に何度か見かけるトレインの奇行を目撃した時。 彼が無意識に取るその何気ない癖。 …何故だか分からないが、私は『それ』がとても好きだった。
じいっと食い入るように見ていた私の視線に気付いた彼は、咳払いを一つして腰を落として目線を合わせると、今度は至極真面目な顔になって私を見た。
「…イヴ、何か欲しい物は有るか? 家賃払っても少しぐらいは余裕が出来るだろうから、今なら買ってやれるぞ?」
バレると煩いし面倒臭いからトレインには内緒な。
スヴェンは人差し指を口に当てて、屈託の無い笑顔でくくくっと笑った。
“新しい本が欲しい”
自分から聞いておいて、私が何を欲しがるかは大方の予想が付いていたのだろう。 思った通りだとスヴェンはにやついている。
…ふふっ、これから私が発する言葉を聞いてもまだその表情を保っていられるだろうか。 楽しみである。
「で、それはどんな本だ? こないだみたく小難しい医学書か? それとも….」
思いついたジャンルをつらつらと羅列していくスヴェン。 手に持った煙草から煙がもうもうと快晴の青空へ昇って行く。
“……が欲しいの”
そっと彼の耳元に近づいて囁いた、他の誰にも聞かれない様に。
数秒後、私が何と言ったのか理解したスヴェン。
彼の表情が驚愕の色へと染まって行くのを至近距離で思う存分に堪能しながら、私はどくりどくりと早鐘の様に脈打つ心臓がまるで身体と別の物みたく、意思を無視して暴れ回るのを懸命に堪えていた。
…堪えていたけれどやっぱり駄目だ、恥ずかしさが耐えられる限界を突破して、私は俯いてしまった。
「……は、はぁ!? 子供の作り方が書いてある本だとぉ!?」
“先に帰ってるから”
予め用意していた言葉。 それだけを何とか言い捨てて、子の様に舌を出して私は駆け出す。 …後ろは振り返らない、振り返れない。
通りすがりの泥棒お姉さんが教えてくれた作戦は見事に成功したといえるだろう。スヴェンが見せてくれた激レアな表情を忘れない様に脳内フォルダへと焼き付けながら私は走る。
「あ、あれが噂に聞く、思春期ってヤツなのか…? と、とりあえずトレインに相談…いや駄目だ、アイツは役に立たねぇ! ならリンス…..いかん、アイツにそんな事を話したらこれ見よがしに変態扱いされるに決まってる…!」
後ろから聞こえてくるスヴェンの呟きを私の耳は目ざとく拾っていた。
『何時までも、貴方に守られるだけの子供扱い何てさせないんだから』
…私の気持ちは伝わっただろうか、伝わっていると良いな。
何処かのトレインの真似をする訳では無いけれど無性に鼻歌でも歌いたいような、そんな愉快な気分に水を差す様に。
ぞくりと背筋に氷柱を差し込まれたような悪寒が唐突に背中を過った。
……まただ、やっぱり気のせいじゃない。 この間からふとした時に感じるこの感じ。 …誰かに見られている? でも、何処から?
慌てて辺りを見回すが、路地裏には依然として立ち竦んだままのスヴェンと私、そして目の前をとてとてと横切って行く黒猫以外には誰の姿も見えなかった。
―—―いつも通り?
【Ⅱ】
私には記憶が無い。 生まれた場所も、両親の顔も、自分の名前さえも、何一つとして知らない。
今名乗っている“イヴ”という名前は、私を拾ったトレインとスヴェンが相談して名付けてくれた物だ。
未だに上手く表現できないが、その言葉を聞かされた時、自分の中でずれて空回っていた歯車が噛み合う様にとてもしっくりと来たのを今でも良く覚えている。
名付けた二人も、最初に頭の中に浮かんだフレーズがその名前だったというのだから驚きだ。 …というか、せーので口に出した本人達が一番驚いていた。
トレインとスヴェン。 二人は奇妙な縁で知り合って以来、仕事仲間としてブラックリストハンター、つまり指名手配犯や犯罪者を捕まえる職業である―—をこなして日銭を稼ぎながら世界を転々としている。今はそれに私も加わっている。 …まだ危険度の低い仕事しか手伝わせて貰えないけれど。
性格も行動も外見も、食事の好みでさえもまるっきり正反対な二人だが、不思議と仕事をする上ではウマが合うのだそうだ。 曰く、ずっと昔から組んでいたみたいに息がピッタリと揃うのだとか。
…そういうのを難しい言葉で何て言うのだっけ。 ……ええと、そう、阿吽の呼吸。 多分そういう感じ。 ちょっと羨ましい。
私には普通の人間にはまず備わっていないだろう不思議な力が有る。 それはまるで、赤ちゃんが生まれ落ちた瞬間から泣く事を覚えている様に、私の中に最初からさも当然の如く存在していた。
腕を形状変化、或いは硬質化させて刃や盾を造る事、髪の毛を変化させて拳を造りだす事etc…。 慣れて来た最近では、全身を纏めて変化させられないか練習中である。
初めて二人と出会った日、それらの能力を駆使して襲い掛かったのも今となっては良い笑い話。
ふとした時にそう言ったらトレインが引き攣った笑顔になったのも、スヴェンがお腹を押さえて顰め面になった事も、何時かは皆で笑える様になると良いな。
自分という存在がハッキリして来るにつれてその事実に気が付いたのだが、私は怪我の直りが異常に速い。 掠り傷くらいなら数分も有れば僅かな痕を残して塞がってしまう。
一度、スヴェンの勧めで信頼できるお医者さんに診て貰った事が有るが、結果は全くの健康体という一文のみ。
報告を聞いて首を傾げていたスヴェンも、時間の経過と共に納得せざるを得なかった様だ。
不思議な能力、私はそれを【変身】と呼んでいる。
【Ⅲ】
いつも通り。
変わらない朝、変わらない二人。 それを眺める私。
密かに私が毎朝の日課にしている、ブラックコーヒーを苦いのを堪えてちびちび飲むスヴェン(本人は気付かれていない心算らしい)を観察していると、これまた何時もと同じ様に気だるげな顔で新聞を読んでいたトレインが俄かに大声を張り上げた。
丁度マグカップを取りに行こうとしていた私は、流し台の近く―—―つまりトレインの直ぐ真横でそれを浴びた為に耳のキンキンに苦しむ羽目になった。 抗議の意を込めてトレインを睨むが、気にも留めてくれていない。
…正直、かなりイラッと来た。 気まぐれ猫に躾をしてやらねば。 そう思い、トレインの後ろに回ってバレない様に髪を少しずつ金槌に変化させていると、再び響き渡る大声。
「スヴェン、姫っち、これ見ろって!」
「何だトレイン、朝っぱらから馬鹿デカい声出しやがって」
「馬鹿は余計だっつーの。 …って、んな事はどうでも良いんだよ、これ見ろよ、ほら!!」
言うが早いか、トレインは新聞を乱暴に広げて見せた。
「これは……!」
「….!!」
少し皺が寄った大見出し、そこには。
【細胞学の第一人者として著名なティアーユ博士、世紀の大偉業を達成!?】
興味を惹かれるタイトルだ。しかし重要なのはそこでは無い。 私とスヴェンの視線の先、記事の中央で写っている白衣を着た女の人。 この人がティアーユ博士だろう。
私はその顔に見覚えが有った。 …正確には、見覚えが無い筈が無い。 どうしようもない程に、彼女は私とそっくりだったからだ。
「…確かに驚いたな。 イヴを鏡に映して二つに分けたみたいにそっくりだ。 …うーむ成程、何年後か分からんがイヴが成長して大人になったらこうなる訳か」
…姫が大人になってもこんなにおっぱいがデカくなるとは限らないけどな。
ぼそりと余計な事を呟いたトレインの膝に髪を変化させたハンマーで一撃を与えつつ、痛みに呻くトレインから奪い取った新聞の記事を読み始めたスヴェンの横へ移動し、記事を読むついでに件の写真を改めて眺めてみる。
細胞学、超極小治癒機械の開発、人工授精による生命の創造。 …SF小説の一節かと錯覚する程に現実味の無い単語の羅列。
「ティアーユ・ルナティーク。 この記事によると細胞研究の第一人者らしいな。 イヴ、この人や名前に覚えは有るか?」
「…ううん、全然」
これは本当だ。 髪の色も、目の色も、顔立ちまで全く一緒の博士だが、私にはまるで見覚えが無かった。
“私が大人になったらああ云う風になるのかな” 浮かんだのはそんな漠然とした感想のみ。
「そうか。 うーむ、だがまあ、此処まで似ていて全くの無関係、他人の空似って事は無さそうだしな…」
駄目元で連絡を取ってみる、夜までには戻る。
そう言って出かけて行ったスヴェンを見送った後、私とトレインはそれぞれ別行動を取る事にした。
「ん? 別に姫っちは留守番してても良いんだぜ? 情報集めなら俺一人で十分だからよ」
嘲る様なトレインの言葉。 何時もなら軽く受け流すか無視するかだが、少々気が立っていたのも有り、捨て台詞を吐いて私は外へ飛び出した。
「…お~怖。 あれが思春期ってヤツか? スヴェンが言ってた通り、子供ってすげえスピードで成長するんだなー」
【Ⅳ】
売り言葉に買い言葉。
絶対トレインより先に良い情報を見つけて来る。 威勢よくそう言って出て来たは良いが、具体的に何処をどう調べて見るかなんてさっぱり思いつかない。
とりあえず公園の遊具に腰を乗せて考える事にした。
しかし、頭に浮かぶのは依然として欠片すら思い出せない私の記憶。ともすれば暗く沈んで行きそうになる気持ちを切り替えようと、ふるふると被りを振って頭をリセットする。
ティアーユ・ルナティーク。 私と瓜二つの顔をした新聞記事の女の人。
私には彼女が何かに怯えている様に思えた。 あれは自らの研究成果を誇る様な笑顔等ではなく…まるで、誰かに脅されてあの写真を撮り、大衆紙に大々的に乗せる事で私達、もしくは特定の誰かに存在をアピールしているかの様…。
そこまで考えた所で、にぃと鳴き声が聞こえた。 見ると私の足元に猫が一匹、ぺたんと座って此方を見ている。 何処かで見た覚えがある黒い猫だ。視線が合うと、黒猫はもう一度にぃと鳴いた。
見た所この子は首輪をしていない。 …しかし、野良猫というには毛並みは整えられており、がりがりに痩せてもいない様だ。
“おいで”
軽く手招きをしながらそう言うと、彼は逡巡する素振りすら見せずに膝へ飛び乗って来た。 警戒する素振りすら見せようとしないこの馴れ馴れしい態度。 …どうにも彼がつい先程別れたばかりの何処かの誰かと被って見える。
黒猫の背を撫でながら私は尚も思考の海に潜る。 潜って、潜って、思考は横道へとそれて行く。
こうして眼を閉じて、考え事をする時、または夜寝る前。
何時も真っ先に思い出すのは二人と出会ったあの雨の日の事。 あの時のスヴェンの言葉。
―—―っ…! 何も知らないくせに、知った風な口利かないで!!
―—――――ぐっ!? —――おいスヴェン!! —―――っ痛…! 大丈夫、だ。 ―—―トレイン、少し黙ってて、くれ―—―こいつに言っておかなきゃならん、事が出来た—――
『お前は…ぐっ、…言ったな、私はニセモノ…だと….』
そう、きっとあの時の私は錯乱していたのだ。 雨の中で傘も差さずに佇んでいた私を見かねて声を掛けてくれた二人を見て混乱し、恐慌状態に陥り、良く分からない事を口走りながら腕を刃に変化させて襲い掛かった。
『…それでも、例え世界が違っても、限りなく本物と…同じな紛い物なんだとしても…俺達は、お前は此処に居る。 此処でこうして…生きている。 ….それで、良いじゃないか』
つーか、ニセモノがそんな悲しそうな顔が出来るかよ。
切れ切れの息でそう言って、スヴェンは私を抱きしめた。 …腹から背へ、深くずるりと飛び出した私の刃を抜く素振りすら見せずに。
―—―――どれ位の間そうしていただろうか。 ぴょんと膝の上から飛び降りた黒猫さんの感触で私は現実へと帰還する。
“バイバイ” そう言うと、彼は律儀に鳴いて返事をしてくれた。何となくだが、彼とはまたその内会える気がする、そんな不思議な予感がした。
手を振って別れた後、私は家路を辿っていた。 一つ、確認したい事が出来たからだ。
私の推測が正しければ、きっと―—―。
本編は明日投稿予定です。 きっと。