◆受験前の日常、その一幕。
「…えっ? 星の使徒、解散しちゃうんですかぁ!?」
「ああ、僕の言い方が悪かったかな。 サキ君、それは違う。残念ながら今の所は星の使徒を解散する予定は無い…と言いたい所だけれども。 生憎と人様に褒められた職業じゃ無いし、何時終わりが来るとも知れないからね」
詰まる所、これは一種の保険の様な物だ。...特に、君の様な歳の若いメンバーにとってはね。
そう言いながらクリードさんは机に向かって一心不乱に何かを書いていた。
「要は、君が将来やりたい事を見つけた時、僕達の手を離れても困らない様にする為さ。 売るだけで一生を遊んで暮らしても十二分にお釣りが来ると言われているハンターライセンス。 持っておくに越した事は無いだろう? あの時は仕方が無かった事情が有ったとは言え、まだ学生だった君を半ば無理やり星の使徒に引き込んでしまったのは僕の責任でも有るしね」
言葉と共に書き終わったのか、徐に立ち上がり、つかつかと歩いて来て私に一枚の紙を手渡してくれた。
「まあ、無理やりだなんて。クリード君ったら意外とだ・い・た・ん♡」
「師匠、茶化さないで貰えますか? 今、割と真面目な話をしているのですけれども」
良いよ、読んでご覧。 後ろへ苦言を呈した後、私の方へ向き直ったクリードさんはそう言うと柔らかく微笑んだ。 恐る恐る、目を通していく。
「ハンタ―ライセンス受験要項 、保証人…。 クリードさん、これって…!」
「そうだ、頑張りたまえサキ。 まあ君なら然程の苦も無く合格出来るだろうけどね」
クリードさんの後ろで丸椅子に座りノートパソコンを弄っていたセフィリアさん。 私と目が合うと、親指を立ててパチンとウインクをしてくれました。 …可愛い。
「まあ、可愛いだなんて。サキったらそんな上手な。 …当然ですけれど」
「はぁ、師匠…」
溜息、そしてこめかみぐりぐり。 クリードさんの半ばお決まりになっているポーズである。
最近、セフィリアさんはこれを見る為にクリードさんをからかっているのではないかと思う様になった私だった。
◆◆◆
ぞぶり。
そんな擬音を残して大柄の男の左胸からどくどくと脈打つ心臓が抉り出された。
盗られた『それ』を取り返そうとして、男は覚束ない足取りで数歩程歩き、倒れる。 そのまま暫くの間痙攣していたが、やがてそれも無くなり完全に絶命した。
さながらスプラッタムービーのワンシーンの様な光景だ。
盗んだ張本人―—キルア君が鼻歌を鳴らしながら此方へ戻って来るのを、レオリオさんが軽く後退りしつつドン引きした顔で見ていた。
えっ、私? クリードさんの事を考えてましたが何か? 彼の事だから、今頃きっと無駄に苦労して無意味に神経を擦り減らしているに違いない。
…毎度の事ながらお疲れ様です、クリードさん。
「よっし、これで此処は突破だよな? …おい何だよ、皆してシケた顔してよー」
「い、いや、ビビるだろ普通。 …キルア、お前一体何者だよ?」
「あ、そうか。二人には話して無かったんだっけ? キルアは暗殺一家の期待の星なんだってさ。 …えーと、ゾル、何だっけ?」
「ゾルディックだよ。 つーかゴン、それ位覚えろよな」
「ゾルディック…!? 稀代の暗殺一族と謳われているあの…! 成程、今の早業はそれで培った技術という訳か」
「ん、まあね。オヤジはもっと上手く殺るけどな~」
“盗む時に血が出ないからな” そう言ってキルア君はにやりと笑った。 子供らしい無邪気な笑顔と血塗れの掌のギャップが凄い、何だかとっても背徳的。
クラピカさんが難しい顔をして、ゴン君がカッコいい物を見る目でキラキラしていて、レオリオさんがドン引きしていて。 私はその光景を他人事の様にぼ~っと見ていた。
…う~ん、何時からだったかな~、グロ死体を見ようが、血を見ようが、何とも思わなくなったのは。 ちょっと前まで極々普通のJKだった筈なのに。 慣れって怖いなぁ。
そんな事をぼんやり考えていると、何時の間にか閉ざされていた奥の扉が開いているのに気が付く。
『扉の奥にペナルティ分の時間を過ごしてもらう為の部屋が有る。 そこで賭けに負けた分のチップ―——40時間を過ごしてもらえば、次へ進む為の道が開かれるだろう、健闘を祈る』
スピーカーから聞こえて来た声に従って、私達は先へ進む。
程なくしてやって来たペナルティルーム。ご丁寧に時間を潰す為の本やらゲームやらが置かれていた。
「おっ、ゲームが有るじゃん。 おーいゴン、これやろーぜ!」
「良いよ、負けた方が罰ゲームね」
早速キルア君とゴン君はレースゲームで盛り上がっている様だ。 他の二人も各々で時間を潰す態勢に入ろうとしている中、私と云えばどうにも手持無沙汰だった。
とりあえず適当に棚から本を手に取り、開いてみる。
――——駄目だ、中身何て全く頭に入って来ない。 それもこれもクリードさんが此処に居ないのが悪い。
ぼんやりと底なし沼に沈む思考。
私は試験開始前にクリードさんから言われた事を思い返していた。
—―――私のやりたい事、かあ。
◆◆◆
“暴力と殺しの世界で生き残る為に一番気を付けないといけないのは見極めだ”
かなり前の仕事でクリードさんはそう言っていた。曰く、強者になればなるほどにその実力を隠すのも上手になる、外見だけで相手を舐めて掛かるのは死にたがりか自殺願望者だ、どんな時も油断をしてはいけない。
ほうほうと頷く私を見て、クリードさんは言葉を連ねる。
“ではサキ君に問題だ、君が任務中、敵のアジトでばったり誰かと出くわしてしまったとする。 次に僕が上げる人間を警戒すべき順に並び替えてごらん”
1、年端のいかない子供。 2、ナイフを構えた屈強な男。 3、腰の曲がった老人
―——少しだけ考えて、私は答えた。
「サキさん分かったよ! 2番、1番、3番の順でしょ?」
「ほうほう、ゴン君は何でそう思ったの?」
ペナルティルームに来てかれこれ十時間位か。 暇つぶしに出した問題に唸っていたゴン君は、漸く答えの当てが付いたのか私の方へ駆け寄って来るなりそう言った。
「えー、だってどう考えても2番が一番強そうだし、3番何て腰が曲がってるって事は跳んだり走ったり出来ないでしょ? って事でその順番!! どう?」
「…成程。ではキルア君、正解をどうぞ」
横で盗み聞…聞き耳を立てていたキルア君にバトンを渡す。
「3、1、2だよゴン。 …だろ?」
「キルア君正~解! ゴン君は残念ながら任務失敗です、追試決定だね」
うし! とガッツポーズを取るキルア君、その横で回答に納得いかない様子のゴン君。
「え? え? どうしてその順番なの? う~ん、解んないよぅ…」
ぶすぶすとゴン君の頭から煙が上がる。 放って置くと爆発しそうなので、横でニヤニヤしているキルア君に助け舟を出させてあげる事にした。
「しょうがないなぁ。 キルア君、答えを教えてあげて」
「良く考えてみろよゴン。 問題の状況は敵のアジトに侵入した時だぜ? 1と3はどう考えても不自然だろうが」
「…あっ、そうか! 敵のアジトに腰の曲がった老人とか子供が居るのはおかしいんだ…!」
「そういう事。 老人とか子供がわざわざ侵入者の前に出て来るって時点でおかしい事に気づけよ。 …ちなみに3と1の差は何か分かるか?」
「えっと、老人と子供…。 ……う~ん、経験の差、かな?」
「その通り。ちなみにお前が突っ込む前に言っておくとだな、一見して腰が曲がっているからって余裕こいて掛かるとえらい目に遭うぜ? ソースは俺」
「へー、キルアでもそういう経験あるんだ」
「そりゃあな。 これでも暗殺者だぜ? …元が付くけど」
キルア君が暗殺者あるある? を楽しそうにゴン君に話しているのを横目に見ながら、私は再び読む気の無い本に目を落として―——
「サキ、大丈夫か? 先程から元気が無い様だが」
振って来た声に釣られて顔を上げれば、クラピカさんが心配そうな顔で此方を見ていた。 その後ろにゴン君。
「私ですか? そんな事は…無い事は無いですけれど」
「やはりか、原因はやはり…」
「クリードさんなら大丈夫だよ、あんなに強いのに不合格になんてなる訳ないよ」
ひょこっとクラピカさんの後ろから顔を出したゴン君が確信に満ちた声色でそう言った。 …見事に見透かされている、そんなに分かり易いかなあ、私。
「お見通しですか、流石ゴン君。 少し訂正するなら、私はクリードさんが不合格になる事を心配しているんじゃなくてですね、一緒に試験する事になった他の人を心配していました、ストレス的な意味で」
私の言葉を聞いてキルア君とゴン君が同時に噴き出した。 …失礼な。 クラピカさんは顔を伏せて笑いを堪えている。 これまた失礼な。
「あははは、すっげえ分かる、あんなのと一緒に居たら頭がどうにかなっちまうもんな!!」
「あー、確かにクリードさんって色々と凄いもんね…」
✂ ✂ ✂
「…へえ、そういう流れで兄貴の腕が吹っ飛んだ訳ね、成程な。 …クリードと同レベルかそれ以上の化け物を纏めて相手にしたら幾ら兄貴でもああなる、と」
「サキさん、クリードさんの師匠ってどんな人なの?」
「ん? 写メ有りますよ、見ます?」 「見る、見たい!!」 「軽っ! そんな簡単に見せて良いのかよ(人の事言えた家じゃねーけど)」
「良いんですよ、許可は貰ってますしね…はい」
「うわあ、すっごい綺麗な人だね」
(どうしよう、何回か実家で見た事が有るぞコイツ…)
✂ ✂ ✂
「…クラピカさんって確か、お仲間さんの敵を取る為にハンターを目指しているんでしたよね?」
「ああ、奪われた眼を取り戻し、蜘蛛を一網打尽にする。 その為にはどうしてもハンターライセンスが必要だからな」
「あっ、そういえば聞いて無かった。 サキさんは何でハンター試験を受けようと思ったの? ハンターになって何をするの?」
純粋な好奇心に満ちた表情でゴン君が私を見ている。 やめて、そんな目で私を見つめないで。 クリードさんに褒められる為にライセンスを受けに来たなんて、言える訳が―——。
「おいゴン、分かり切った事を聞いてやるなよ。 どうせサキの事だから合格したらクリードに褒められるとか考えて受験しに来たに決まってるぜ?」
私のやりたい事、かあ。
そう改めて問われると困ってしまう。 学生をしていた時は、只管に学校行って帰って寝て…の繰り返しだったし、星の使徒に入団してからは修行とクリードさんの付き添いで仕事の手伝い漬けだった。
キルア君に関節技を掛けながら暫くうんうんと頭を捻っていると、横からクラピカさんが助け舟を出してくれた。
「別に今この場で急いで考える事ではないと思うぞ? ライセンスを取ってからでもゆっくり考える時間は有るだろう」
「そっか、じゃあサキさんもキルアと一緒だ。 ライセンスを取って、やりたい事を探す…だね?」
「痛ててて…。 くっそ、おかしいぞ? 全然、抜け出せねえ!! おいゴン、クリード馬鹿のコイツとオレを一緒にすんなよって…!」
「うん、そうだね。 二人共ありがとう、ゆっくり考えてみるよ。 …で? 誰が馬鹿ですって?」
「あだだだっだだ!! ギブ、ギブ!!」
「レオリオ、この騒々しさの中で良く寝ていられるな、お前は…」
◆◆◆
「痛たた…手がマメだらけだ~」
「短くて簡単な道が滑り台になっているとは思いませんでしたねー」
(…時間が無いあの極限の状況で選択を迫られて尚、それを打ち壊す発想が出来る…。 ゴン、お前の凄い所だな)
「まあ、どっかのスケベオヤジが時間を三十時間も無駄遣いしまくってなきゃ、もっと早く突破出来たけどな~」
「うぐっ! …それに関してはマジですまんかった。 …あー、その、サキ、さん。 ………すまん」
「ん? ああ、別に気にしてないですよレオリオさん。 私は
「うぐっ!?」
「あ~あ、完全に嫌われちゃったねレオリオ」
「ふん、自業自得なのだよ」
「うひゃひゃ、目先のスケベに走った末路だな~哀れなりエロオヤジ」
「…もう、先に出ますよ?」
四者四様、騒がしい四人を尻目に扉を開けて外へ出る。 照りつける朝日が目に眩しい。何時の間にかこんな時間になっていたのか。
暫く辺りを見回して―——見つけました、目的の人。 まあ、私達より先に居るよね、そりゃあね。
「あっ、居たぁ!! クリードさん、お疲れさ…..あっ(察し)」
木陰に寄りかかる様にして座っているクリードさんを見て私は色々と察した。察さざるを得なかった。
左にハゲ忍者、右に針男、背中に変態ピエロ。 そして前には件の露出狂試験官。およそ五十時間ぶりに見るクリードさんは、私が来るまでの間、ずうっと変態達に纏わりつかれ続けていたのだろう、酷く疲れた表情をしていた。
「こらぁ~~!! そこの変態共ぉ!! クリードさんから離れなさ~~い!!」
私のやりたい事。 …少しだけ、見えて来た気がする。
◆◆◆
◆受験前の日常、幕の二。
軽快な足取りで部屋を出て行ったサキ。 何とはなしにその方向を見続けるクリード。 その背後から不意に声を掛けられ、ゆっくりと振り返る。
「クリード君、心配ですか?」
「…いえ、あの子の実力的には、ハンター試験程度ならまず問題無く受かるでしょう。 問題はその後です」
「ふむ、確かにそうですね。 それについては私も同意見です。 その後…まず間違いなく命を厭わない戦いになる事は必至ですし、出来るならあのような未来有る娘に参加して欲しくは無いというのも確かです」
「…」
「そうですね、貴方の考えている通り、此方の手数が足りないというのもまた確固たる現実です。 それについてはどうする心算なのですか?」
「…すいません師匠、現状では何とも。 今の手持ちの札で何とか出来ないかと打開策を考えてはいますが…」
「足りませんか。 私と貴方の力を足しても尚?」
「もしもを考えて、です。 万が一、億が一が有る訳にはいかないでしょう? …そうなってしまえば最後、『アレ』は世界を巻き込んで人類を丸ごと滅ぼしてしまいかねない…!」
「クリード君、貴方の気持ちはとても分かります。しかし、だからと言って焦ってはいけませんよ。 幸いな事に、あの占いにはまだそれを想起させる事柄は現れていないのです、今暫くの猶予は有ると考えて良いでしょう」
「しかし、彼方の手がいつ完成するかもしれない状況で余り悠長にしている訳にも行かないでしょう。 一刻も早く【彼】と決着を付けなければ」
手を組み、浅く椅子に腰かけていたセフィリアは徐に立ち上がり、つかつかとクリード近づいて行き―——――殴った。 ぽかりと。
「痛っ!? 師匠、いきなり何をするんですか!?」
嘆息、そしてジト目。 身長差の所為で若干ばかし下から上へと見上げる形になってしまっているが、セフィリアの瞳はクリードを正面から真っすぐ見据えていた。
「分かっていない様なので何度でも言いましょう。 クリード君、焦りは禁物です。古くからジャポンの諺にも有る通り、『急がば回れ』ですよ?
………はぁ、全くもう。 何時まで経っても仕様が無い弟子ですねえクリード君は。 そんなにサキの事が心配なら、貴方も試験に付いて行きなさいな、私が許可します」
「はぁ、それは構いませんが…。 僕が居ない間、師匠はどうなさる心算ですか? まさか、一人で…?」
「幾ら私でもそんな浅慮な真似はしませんよ。 二、三点ほど当たって見たい所が有ります、上手く行けばこの現状に風穴を開ける突破口を見出せるかもしれません」
両者の視線がぶつかり合い、沈黙の時間が流れる。
やや有って、クリードが根負けしたのか視線を逸らし、大きく溜息を付いた。
「…シキをフォローに付けます、くれぐれも無茶はしないで下さいね」
「むぅ…。貴方に子供扱いされるとは、全く以て心外です。 一体全体私の事をどう思っているのか、一度正式に問いただす必要が有るようですね?」
頬を膨らませてむくれるセフィリアを見て、クリードがもう一度盛大に息を漏らした。
「子供扱いというか、まるっきり子供其の物というk…。 って痛いっ!?」
げしげし、がしがしと一心不乱に銀髪の美青年の脛を蹴り飛ばす妙齢の美女。
傍から見れば仲睦まじい友人の様であり、親愛に満ちた家族のようであり、はたまたそれなりの時を重ねた恋人の様でも有った。
(師匠、貴女のそういう所が子供って言われるんですよ…)
げしい!! 「痛い!!」
では、試験の準備が有りますのでこれで失礼します。
二度に渡って叩かれた額と、散々に蹴り飛ばされた脛を摩りながら渋々といった感じでクリードが出て行き、1LDKの生活感の無い部屋にセフィリアが一人残された。
「…何もかも貴方の思い通りにはさせませんよ、止めてみせます。 私と、星の使徒が総力を挙げて必ず…!」
精々その時を覚悟しておきなさい、ドクター。
虚空へと向かって、そうぽつりと呟いて。
やがてセフィリアも出て行き、部屋には誰も居なくなった。