湿った密室に風が入る。
開かれた扉からは足跡が二つ。
音は慌ただしく床を蹴るものと、引き摺られて連れてこられたものだ。
「―――――ほら、始めろよ」
だん、と。
暗い密室に重い音が響く。
慌ただしく登場した男―――――間桐慎二が連れてきた、もう一人の人影を部屋に投げ入れた音だ。
密室の床は、ずるずると蠢いていた。
蟲たちの活動期だったのか、床という床に
間桐慎二は
彼の祖父である間桐臓硯が飼っている虫の一種―――人間の血液や骨髄を好む魔物どもだ。
ひとたびこの虫に集られれば、男ならば背骨を砕かれ脳を吸われ廃人となる。
女ならば――――――虫どもは神経のみを犯し、ひたすら貪りつくす。その結果、この虫どもに集られた女の心と体は完全に破壊される。
―――――その虫のプールに、間桐慎二は引きずった何者かを投げ捨てた。
「ほら、始めろよ」
彼は階段の上から声をあげる。
男であろうと女であろうと、これほどの虫の群れに投げ込まれては生きてはいられない。
だが、この相手だけは例外だった。
投げ込まれた人影から蟲たちが離れていく。
恐れているのか、それともこの人間には飽きているのか。蟲たちは決して、自分たちから人影には寄り付かない。
ただその周囲で、ざわざわと赤黒い粘液を光らせるだけである。
「“本”を作れ。まだ二個残っているはずだ」
間桐慎二の声に、蟲だけが反応する。
キイキイと、その命令が気に入ったように、四隅の闇が波打っている。
「言う通りにすればすぐ終わらせる。お前だってその方が楽だろう」
返答はない。
密室に響くのは蟲たちの耳障りな鳴き声だけだ。
「っ……。いいか、どのみち戦うしかないんだ。これ以上僕に逆らうっていうのなら―――――――!」
全てを明かしてやる、と間桐慎二は罵倒した。
投げ捨てられた人影の体が震える。
そんなことは出来ない。
間桐慎二が師と仰ぐ間桐臓硯は、それを許してはいない筈だ。
だが、彼が師の言いつけを守るような人間ではないことを、人影は知っていた。
今の彼は錯乱している。
邪魔をするモノ誰であろうと敵と見なすだろう。
老人は彼の身を案じて戦いから遠ざけたというのに、その気遣いこそが、間桐慎二にとっては許しがたい侮辱となるのだ。
「――――――――」
長い沈黙のあと、密室に変化が生じた。
光りと共に人影が現れる。
蟲は波が引くように部屋の隅に消えていった。
知能のない蟲どもでさえ、現れた
「―――ふん。もったいつけやがって」
床に届くほどの長髪と、細くしなやかな長身。
黒衣に身を包んだソレは、ライダーと呼ばれたサーヴァントだった。
「―――――いま一度訊きましょう、シンジ。私を使役するのは、自らの身を守るためだけですね」
密室の底。
蟲たちの生け贄から頭上を見上げ、黒いサーヴァントが問う。
「――――ああ。何かと物騒だからさ、頼りになる護衛が欲しかったんだ」
再びマスターとなった彼は悦びを隠そうともせず、そう、誠実なまでに、嘘だけで固められた言葉を吐き出した。
☆―☆―☆
――2月7日
「じゃあ留守番よろしくな、セイバー」
「生嗣も気をつけて。まだライダーが脱落したとは限らないので、油断はしないでください」
「ああ、わかってる。いざとなったら令呪でセイバーを呼ぶよ」
「はい。……ですが、学校にアサシンを連れていかないのは、やはり反対です。いつ敵と遭遇するのかわからないのですから、常にサーヴァントを側に置いておくべきではないかと」
「いや、それはいいんだセイバー。昼間に襲ってくるバカはいないはずだし、なによりあの神父は直感で怪しい感じがした。だから、アサシンは俺の側に置くよりも、教会の近くに潜伏させたほうがいい」
「……納得は出来ませんが、あの神父は警戒しておくに越したことはありません。前回の聖杯戦争では、私のマスターを除いて最後まで残ったのは彼でした」
「セイバーって前のやつにも出てたのか。詳しい話を聞きたいけど、聞いてたら学校に遅刻するかもしれないから、また今度で」
扉を開け、学校に向かって全力ダッシュをする。朝のチャイムまで残り5分を切っている。空間移動やテレポートとか、飛雷神の術を使って学校に行きたいが、そんな魔術は使えないため、こうして肉体に強化を施して走るしかないのである。
「まあ前向きに考えれば、魔術の向上に繋がるから結構これはいいかもな」
問題と言えば、つねに百メートルを十秒ペースで走っているため目立ってしまうということか。だってそうだろう。そのペースを四分ちょっとの間、維持し続けることができる人間を世間一般の人は見たことがないし、知らない。
要するに、見た目では魔術とはわからないと思うが、これは魔術という神秘の漏洩になりかねないことなのだ。まあ、バレてないはずだから問題はないのだが。
「……ふぅ。間に合いそうだな」
学校の正門に着いた時点でホームルーム開始まであと五十秒。これならゆっくり走っても開始五秒前くらいに教室に着くだろう。
キーンコーンカーンコーン
むむ。気のせいだと思うが、いまチャイムが鳴っていたような。ほら、腕時計を見ても後三十秒ぐらい余裕があるし。きっといつもより早く鳴ってしまったに違いない。うん、きっとそうに決まって………
「遅いぞ、衛宮君。これで今学期三回目の遅刻だが、何か理由はあるのだろうな?」
担任の烏間先生に怒られてしまいそうダゼ☆
さて、まともな理由を考えなければ。
因みにこれまで用意した言い訳、もとい理由は、
一回目に遅刻したときは寝坊。
二回目に遅刻したときは強風。
三回目に遅刻したときは人助け。
四回目に遅刻したときは迷子。
五回目に遅刻したときは献血。
………………まあ、そろそろネタが尽きてきたわけで。もうマトモな言い訳、じゃなくて理由が思いつかない。
そういや、実は烏間先生の前職は防衛省だっけ。たしか風に聞いた噂では、四メートル級のKUMAを素手で倒したとかなんとか。それ以外にも、数々のトンデモナイ噂があり、絶対に敵には回したくない先生である。
……………もしかしたら素手でサーヴァントを倒せるんじゃなかろーか?
と、俺は心のなかで思っていたりいなかったり。
もうネタがないので、正直に説明することにした。
「実は時計が三十秒ほど遅れていたので、遅刻してしまいました。今度からは気をつけます」
「……はぁ。今までよりはマシな理由だが、遅刻は遅刻だ。今日、何時に家を出た?」
「7時55分です」
「確か君の家はここから普通に歩いて二十分だったな。走ってきたのか?」
いや、歩くと三十分ぐらいはかかりますよ?
先生の普通って、なんなのだろう?
「はい、全力で走ってきました」
「そうか。俺が普通に歩いて二十分ということは、ここから家までの距離は大体三キロメートル弱だが、確か衛宮君の1500メートル走の記録は6分だったな。本当なら2分半くらいで走れるはずだが、本気を出さなかったのか?」
「か、火事場の馬鹿力ってやつですよ先生。人間、やろうと思ったらスゴい力が出せるんですよ」
「……そうか、そういうことにしておこう。次からはもっと早く家を出るように」
「はい。次からは気をつけます」
サー、イエッサー。と、心の内で敬礼をして、自分の席に座る。
「よし、では遅くなったがホームルームを始める」
☆―☆―☆
四時限目が終わり、弁当を持って急いで屋上へ向かう。遠坂は購買で何かを買うはずだから、俺のほうが着くのは早くなるはずだ。
何が言いたいのかいうと、ズバリ遠坂より早く集合場所に来て、どういう反応をするのかが楽しみなのだ。
――――だが、そんなに世の中は甘くなかった。
「今日は早かったじゃない、衛宮くん。うん、感心感心」
「遠坂こそ、なんで俺よりも先に来れた?」
こっちは授業が終わったと同時に教室を飛び出し、廊下を走って、階段を三段飛ばしで来たんだけどなー。
「なんでって……。今日は弁当を持ってきたし、授業も早く終わったからだと思うけど。
あ、ひょっとして先に来られたのが悔しいの?」
遠坂はニヤニヤしている顔を手で覆い隠していて、俺が思うに、あの顔を愉悦スマイルと呼ぶのだと思う。
「そうか。まあそんなことは置いといて、バーサーカーについて何か知ってる?」
「へぇー、そうやって誤魔化すんだぁー。別にいいけど。そうね、じゃあまずわたしが知っていることを教えるわ――――――――」
☆―☆―☆
「――――――と、こういうことよ。で、そっちは?」
「俺が知っていたことと言えば、」
「デカい。強い。ヤバい。そのぐらいだ」
「……本当にそれだけ?」
「ほんとーに、それだけ」
「貴方にはアサシンがいたはずでしょ? まさかアサシンには何もさせてなかった、とか言うんじゃないでしょうね?」
「もちろんアサシンには働いてもらってるよ、いろいろと。例えば、遠坂がアーチャーを召喚させたのも確認してくれたし」
「……そう。で、今の話を聞いて倒し方とか考えついた?」
「ひたすら攻撃をする。以上」
「具体的に言ってくれない?」
「セイバーとアーチャーの宝具を叩きこめば勝てると思う。たぶんバーサーカーも不死身ってわけじゃないと信じたいし」
アーチャーの宝具は謎だが、セイバーの宝具なら確実に殺せるだろう。
「そうよね。何回も蘇生するとしても、おそらくその数には限りがあるはず。ひたすら殺していけば、いつかは死ぬはずよね」
「ああ。でも、その前にライダーを倒さないと。いつ結界が完成するかわからないし、まずそっちを優先するべきだ」
「そう言えば、今日、慎二は学校に来てた?」
「来てたぞ。なんかスゴくハイテンションぽかったけど」
「……それってなんかマズイ予感がするんだけど」
「だろう? 俺もそう思った」
そして、まるでタイミングを計ったようにその異常は出現した。
「イヤな予感はしたけど、やっぱり当たっちゃったか」
赤く染まった空。
学校の敷地全てを包む赤い空気は、吸い込むだけで意識をマヒさせようとする。
「じゃあ。―――行こうか遠坂!」
「わかってる。急ぐわよ生嗣―――――!」
校舎は一面の血のような赤に染まっていた。
それはドロリと肌にまとわりつく空気と合わさり、この空間を悪夢のようにしていた。
「むっ――――」
固く閉ざした口から、嫌悪を込めた息が漏れる。
そんなことより、この状況をどうやって覆すか考えなければいけない。
一、令呪でセイバーを呼ぶ。
二、ライダーは、俺一人で倒す。
ギルガメッシュ「ほう? 我の出番が一話以上遅れるだと? ふざけるなよ雑種!!!」
我様の口調ってこれでいいのだろうか。