「いや、何で死なせてくれなかったんだよ」
それが、初めて聞くニーナ君の声だった。
ホロウ君がMyosotisを手にした瞬間、私は対抗策を講じなければならなかった。本来なら手に入れることも使うこともままならないMyosotisを、さも当然のように扱い、本能のままに獲物を殺す。そんな彼は、間違いなく危険因子だった。自分で設定した能力なのに驚くな、と指摘されそうだが。
そんな予想外の事態に対抗すべく、私はニーナ君の脳の破壊を停止させ、彼女をホロウ君に対する切り札として保管することにした。彼女にボスという役割を与え、ホロウ君に襲わせる。そうすれば彼も簡単には攻撃できないはずだ。それが不可能だとしても人質だったりと方法はある。彼がMyosotisというJokerを手にしたのなら、私もJokerとしてニーナ君を手札に入れる。それが、現状考えられる最善の方法だった。
────────最善の方法のはずだった。
「えっと、ヒースクリフだっけ?なーに邪魔してくれてやがりますかこの野郎」
「邪魔ではなく、むしろ私は君を救おうと」
「やーっとソラに殺されたっていうのに、お前まで邪魔する気かよ。ふざけんじゃねえぶっ殺すぞ」
「ちっ」と舌打ちをし、こちらを睨みつけてくる。整った顔から覗くその目は、憎悪で満たされていた。そんな彼女に、私は思わず溜め息をつく。
私の予想以上に、ニーナというプレイヤーは壊れていたのだ。
愛する人…………名前は《ホロウ》だったか。ニーナ君という愛すべき人を自らの手で殺すような狂人を愛した人間と考えたとしても、彼女は歪んでいた。こうして生きていても彼との再開を期待せず、元の世界に帰れる可能性に喜びもせず、そして自分が殺されずに済むということに驚きも安堵もせず、ただ嘆いていた。「愛する人に殺されなかった」という事実を、心から残念そうにしている。普通、「もう一度ホロウに会える」と歓喜したり、「死なずに済む」と安堵したりするだろうが、彼女は違った。
死ねなかったことに落胆していたのだ。今の彼女ら、自分の幸福を、辿るべき運命を邪魔されただけのようにも思える。いや、実際そうなのかもしれない。愛する人に殺されたという事実こそ、彼女の求めていたものなのだから。少なくとも、彼女の言葉はそう示していた。
その異常性を、ある意味私は求めていたのかもしれない。Myosotisから垣間見える異常を、探していたのかもしれない。それでも。
「君は、何を望む?」
それでも、彼女にはそれを求めていなかった。幼い頃から当たり前の幸福を剥奪され、この世界で手に入れたものさえ奪われた彼女に、それを求めたくなかった。できることなら、当たり前の幸福を享受しながら生きてほしい。これ以上、彼女が苦痛を感じる必要なんてない。
だから、私は彼女の口から聞きたかった。生きたい、生きて幸せになりたいと。愛する家族やホロウ君の側にいたいと。そんな返事を私は待っていた。
「えーっと、そうだなぁ…………」
唇に人差し指を当て、少し悩んだような表情で彼女は考え込む。「んー」と声を出し、目を瞑って考え込む。一見ただ悩んでいるようにも見えるが、私にはそう見えなかった。そうやって悩んでいるように見せながら、「どうやって驚かそうか」と悪戯を考えるように思えるからだ。それが悪戯ではなく、私が最も望んでない返答であるのだと、どこかで思ってしまっていた。
「それじゃあ、こうしよう」
納得のいく答えが出たのか、彼女はぱんっと手を鳴らした。そういった無邪気な一面が、余計に不安を煽る。そしてこちらを見据え、最も恐れていた言葉を吐いた。
「あたしに、ソラを殺させてよ」
それは、永遠に続くように思えた。
剣と剣がぶつかり合う音が壁に反響し、この空間に響く。静寂の中、その音はよく響いた。そしてまた激しい音が響く。絶え間なく打ちつけられるのは短剣と巨剣。その巨剣の持ち主は、俺の命を刈り取ろうとしている。
「どうしたぁ!?そんなもんかよっ!」
「チッ……」
心底楽しそうに、ニーナはその身長ほどの巨剣を振るう。真上から振り下ろされるそれを短剣で受け流し、そのまま首に剣を突き立てようとする。しかし、彼女はそれを素手で受け止めると、そのまま俺を投げ飛ばした。野球の球を思い切り投げたように俺の体は飛び、そして壁に打ちつけられる。
「ガッ…………」
強い衝撃が体を襲う。痛みこそないもののその衝撃は凄まじく、肺が押しつぶされたのではないかと疑うほどの圧迫感が俺を襲った。
「らぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
俺が怯んている隙に、ニーナがこちらに突進してくる。異常な速さで距離を詰め、俺の脳天を貫こうと剣を突き立てる。
「くそっ…………!」
身の危険を感じ、頭を右に傾けたのは正解だった。俺の顔のすぐ左に、ニーナの剣が突き刺さる。あらかじめ動いていたにも関わらず、彼女の攻撃を避けきることができなかった。その証拠に、左の頬に剣が掠った跡があった。
「いい加減に、しろっ!」
苦し紛れに、右手に持ったナイフをそのまま振り上げる。その喉を捉える寸前、彼女は後方宙返りの要領で回避した。美しいアーチを描き着地すると、こちらを見て笑ってくる。「もっと本気出していいんだよ?」と言っているように思えて、無性に腹が立ってきた。
「嘘だろ……………」
「ホロウ君が、押し負けてる…………?」
クラインが驚愕と恐怖の混じった声で呟き、アスナも半ば絶望したように言葉を吐いた。周囲のプレイヤーも同じように、ニーナの強さに驚き、恐れていた。俺がどれだけ立ち向かおうとも、ニーナに全く歯が立たない姿は、周囲のプレイヤーを絶望させるには十分だった。
「どうだい、ホロウ君」
ヒースクリフは無表情のまま、諦めたようにそう言った。先程まで見せていた余裕の表情は消え失せ、代わりに諦めというか、ただ傍観しているだけの顔をしている。何故にそうしているかは分からないが、今はそれどころではない。
「ゲームバランス考えてるのか?ぶっ壊れじゃねーかよこいつ」
「もちろん、Myosotisに対抗するためだよ。私ですら、その能力には叶わないからね」
そう、ニーナは異常なほどの強さを得ていた。一振りでプレイヤーを吹き飛ばし、一歩踏み出せば瞬く間に距離を詰める。隙をついても驚異的な反応速度で防ぎ、仮に攻撃が通ったとしてもHPが全く減らない。ソードスキルを数十回当てているが一向に減らない。正直、スカルリーパーとは比べものにならないほど強い。異常なまでの強さを彼女は持っていた。
それも、全てMyosotisのための対策だという。
俺とのデュエルでやられかけたヒースクリフは、自分では勝てないと判断したのだろう。その結果、こんなぶっ壊れ性能のボスにニーナを仕立て上げたのだ。そこには「ニーナが相手なら俺の判断も鈍るだろう」という希望もあるかもしれないが、残念ながらそれはない。今の俺は、ニーナを殺したくてしょうがない。
「話もいいけど、さっさと再開しないか?さっさと殺したいんだけど?」
俺とヒースクリフの会話に、ニーナが割って入ってくる。自分が蚊帳の外にされてるのが退屈なのか、剣をブンブン振り回している。行動と言動があまりにもミスマッチなせいで、普通の奴からはより一層狂ってみえているだろう。
「別にいいだろ話くらい。せっかく再開できたんだ、お前とも話がしたいし」
「…………ま、そうだね。積もる話もあるし、それくらいなら」
そして、再びニーナと向かい合う。重苦しい空気は、それが最後の会話だと思わせるような気がして。
最初に口を開いたのは、ニーナだった。
「ねえ、ソラ。あの時はありがとね」
「あの時って、お前をぶっ殺した時か?」
「そうそう!最期の最後に重荷を背負わせちゃったって後悔しててさ。ごめんね?」
「ごめんねって謝ってくるならどうして俺を殺そうとしてるんだよ」
その言葉に、ニーナは固まった。笑顔はそのままで、目をぱっちりと見開いて、そのまま動かなくなった。フリーズといった表現が適当だろう。
「どうしてって、そんなの決まってるじゃん」
そこで、彼女は間違えた。
「大好きだからだよ、ソラ」
彼女は満面の笑みを浮かべながら、とても嬉しそうに言い放った。俺から望み通りの返答が返ってくることを待ち遠しくしている、そんな感じの笑顔で。
「………………」
「………………」
「…………それだけか」
「それだけだよ?」
それ以外に何があるのか、とでも言いたそうな顔をしている。他の奴らには異常に、俺には…………まあまあ異常に思えた。彼女のことはある程度理解してると思っていたが、俺が知らない彼女もまた、存在していた。
「好きだから殺す。それ以上の理由が必要?」
「好きだから殺すのか」
「そ。ソラだってそうしてくれたでしょ?」
「それはお前がそう望んだからだろ。『あたしを殺して』って」
「そうそう。自分がどれたけ苦しむのか理解してるのに、ソラはそうしてくれた。それがとても嬉しくて、満たされたんだ」
頬を赤めるニーナは、一見恋する少女のように見えるだろう。俺もそう思うさ。瞳の奥の、ドロドロと溢れる狂気が見えないなら。
「だからね、あたしはソラを殺すの。愛してるから殺す。あの時ソラがしてくれたようにね」
「俺はそう望んでないけど?」
「それは殺される幸せを知らないからだよ。あたしに殺されれば理解できるはずだよ?あの時、あたしがどういう想いで死んだのかがさ」
「………………」
正直、俺は彼女の提案に乗ろうとしていた。
彼女の中にある幸福は、俺が植え付けてしまったものだ。間違った状況で、間違った手順でそうしたせいで、彼女にはそれしか残らなかった。不幸でしかなかった人生を、愛する人の手で終わらせる。きっと、彼女はそこにしか幸せを見いだせなかったのだろう。彼女にとって生は苦痛で、死は救済。彼女を取り巻く全てが、幸せのカタチを歪めてしまったのだ。
「ニーナ」
「お、答えは決まった?ならさっさとその首切り落として」
「俺は死なないし、殺されない」
だからこそ、正さなければいけない。俺が教えなければならないのだ。愛する人を殺めることでは、幸せになんて絶対になれないことを、彼女に叩きつけなければならない。
「お前の言う幸せは間違ってる。だから俺は殺されない」
「あたしの言った幸せが間違ってる?じゃあ、ソラは何が幸せなのか分かってるの?」
「言葉にするのは難しいな。強いて言うなら、『繋がりの中で生まれるモノ』ってところか」
幸せというのは、もっと暖かいもののはずだ。
俺は、家族が好きだった。父さんと母さんと茜がいればそれでよかった。その中で過ごした時間も経験も、全てかけがえのない思い出だ。間違いなく、幸せだったと言える。
ニーナと出会い、俺は救われた。家族を奪われ、自分も奪う側に立ってしまった俺を、彼女が引き戻してくれた。彼女といた時間はとても短かった。それでも、彼女が見せた笑顔も、泣き顔も、調子に乗ったところも、凹んでるところも、その全てが愛おしく思えた。その最期は俺を苦しめ続けることになったが、それでも彼女に出会えて、愛せて幸せだった。
キリトや皆といた時間も、幸せだった。償うことのできない罪を犯し、それでもまだ罪を重ね続けた俺を、助けようとしてくれた。俺がどんな人間かを知っても、彼らはそれをやめなかった。どれだけ俺が拒絶しても、それでも俺を信じて、そして仲間として接してくれた。その優しさが傷口に染みて少し痛かったけども、久しぶりに感じた暖かさは確かに幸せだった。
これらは全て、俺の主観でしかない。それを押しつけるのは自分のエゴだということも十分承知だ。
それでも言おう。ニーナの言う「死による幸福」は間違っている。
幸せとは、死といった離別からなるものではない。幸せは、「人と人との繋がり」の中にあるものだ。家族が俺に教えてくれた、ニーナが触れさせてくれた、そして皆が思い出させてくれた温もり、暖かさが幸せそのものなんだ。何度も失い、取り戻してきた俺にとっては、それが答えだ。
だから、彼女に伝えなければならない。かつてニーナが教えてくれた幸福を、今度はニーナに返すために。それが、彼女に間違った幸福を植え付けた俺にできる、ただ一つの償いだから。
「お前を殺して、俺は幸せじゃなかった。というより絶望したよ。一生のうちに償いきれない罪を背負って、歩くしかなかった。杭に体を貫かれながら、それでも進むしかなかった。苦痛だったよ」
「………………」
「それでも、俺を支えてくれる人がいつもいてくれた。自分に利益があるわけでもないのに、俺を助けてくれた。だから今俺はここにいるし、こうしてお前の言う幸福を否定できる」
「…………」
「だから、何度だって言ってやる。お前が俺を殺して、俺がお前に殺されても、それは幸せなんかじゃない。お前の言う幸せは、所詮は生き地獄からの救済だ。」
そう言ってニーナの目を見る。明らかに不快な表情をしている彼女から決して目を逸らさない。その行為が、彼女をまた不快にさせたようだ。
「それが、ソラの答えなんだ」
「答えって言えるもんじゃないけどな」
「…………ふーん、そう」
ふう、と一呼吸をついて彼女は髪を弄り始めた。先程の俺に嫌悪感を向けていた様子から、興味がなく退屈な様子へと様変わりしている。彼女が何を考えているかは全く分からないが、お構いなしに彼女は語りだす。
「なるほどなるほど。なんとなくだけど、ソラの言いたいことは分かった気がする。自分でも薄々気がついてたけどね」
「…………そうか」
「そうそう。まあソラの言い分は正しいし自分でも納得してる。ソラを殺しても、あたしは幸せになれないってことは理解したよ」
「………………そうか」
俺の気持ちは、どうやらニーナに通じたようだ。先程までの不安定な表情は消え、優しげな微笑みがそこにはあった。
「あ、そうそう。一つだけ言おうと思ってたことがあったんだ」
でも。
それでも、俺は間違えた。
「じゃあ、やっぱり殺すね」
「なっ……………!?」
ごく自然な笑みのまま、ニーナが切りかかってきた。回避するには既に遅く、俺は短剣で受け止めるしかなかった。しかし、巨剣と短剣、ニーナと俺のSTRによるパワーの差は歴然としていた。
一撃の重みが、体中に響き渡る。
「ガッ………………」
「ソラ、やっぱりおかしいって。
まず、殺しからは幸せなんて生まれないのは分かった。それでこんなこと止めさせようとしてるのも薄々感じたよ。でもさ、ソラは『お前を殺す』って言ったよね?あたしを殺そうとしてるのに、あたしには殺しなんかやめろって言うの?それもおかしいよね。結局は殺したいだけだろうが人殺しが。
それと、お前の幸せをあたしに押しつけるな。確かにソラの言った幸せは幸せだよ。それはあたしもそう思うし、そうであってほしいと思う。でもね、幸せかどうかを決めるのはあたしであってお前じゃない。結局は幸せなんて主観でしかないんだよ。だからあたしが殺される瞬間に感じたものは、間違いなく幸せだった。お前があたしの幸せを勝手に否定してんじゃねえよ。何様のつもりだお前は。
あと、苦痛とか色々ほざいてたけどさ、それも全部ソラが選んだんだよね?あの瞬間、あたしの願いを叶えないっていう選択肢もあったのにソラはそうしなかった。それって、ソラが決めたことだよね。杭に貫かれながら進むだぁ?自分でそう選んどいて『僕はこんなに苦しいんですよ』ってか?そうやって同情されるのがそんなに嬉しいんだ?結局は自分を守るためにやってんだろうが」
言葉を失う。
彼女の言葉に、何一つ反論できなかった。否定したい、否定しなくてはならないと思っても、声は出なかった。それが、肯定を示していた。
俺の言ったことは、自分を正当化するためのものだった。人殺しが「殺しからは幸せなんて生まれない」と理想論を語る。ニーナの幸せを否定し、自分の幸福が正しいと諭す。自分が苦しむことで他者の同情を誘い、自分の尊厳や立場を守る。俺がしてきたことは、所詮そんなものだった。ただ、自分のためにピエロを演じ続けてきただけだ。
そして、その事実を彼女に看破されてしまった。仮面をつけて必死に隠してきたモノを、一番知られたくない人物に知られてしまった。醜く汚い自分を、知られてしまった。
「お前にっ、俺の何がっ!!」
「だーかーらー、それはこっちのセリフだって。お前にあたしの何が分かるっていうんだ?理解してるつもりだって言うのなら、これ以上気持ち悪いことはないだろうね」
もう一度、ニーナが剣を叩きつける。何とか逸らして距離をとるが、俺の胸元で何かが砕けた。
今朝、リズから受け取ったネックレスだ。耐久値の肩代わりをするアイテムが砕け散ったということは、それだけの負荷が剣にかかっていたことになる。スカルリーパーとの戦いでは回避をメインに戦っていたためあまり消耗はしていない。つまり、
「所詮、そんなもんだよ。人と人との繋がりだなんて簡単に壊れる。そのペンダントもお仲間ちゃんからのプレゼントでしょ?脆すぎて笑っちゃうよ!ソラが縋ってたものは、この程度のものなの?」
そう言って嘲笑うニーナを、俺は見たことがなかった。他人の不幸を貪って悦に浸る彼女を、ニーナだと思いたくなかった。
こんなの、ニーナじゃ
「今、『こんなのニーナじゃない』って思ったでしょ?」
「なっ…………!」
自分の思考が彼女の声で出力された。そんなことがあり得るだろうか。いや不可能だ。そんなことできるはずがない。あり得ない。しかし、現実に彼女は俺の心を読んだ。その矛盾の間に押しつぶされそうになる。
「あははっ、そう思うに決まってるよね。いくら自分が愛した人でも、ここまで狂ってると知ったら否定したいよね。そうして、お前は『お前の愛するニーナ』を守ろうとする。あたしのことを見てなんかいないのにさ」
彼女の言葉一つ一つが、俺の心をを容赦なく抉る。反論しようにも、彼女が言ったことは全て正論で、非の打ち所がなかった。俺には、ただその言葉を聞くしか選択肢はなかった。
「ソラはさ、結局は誰も愛してなかったんだよ。強いていうなら、『自分を愛するために人を愛する』ってやつかな?自分を保つために、無償の愛を手に入れるために、ソラは人を愛した。ソラにとっては誰でもよかったんじゃないの?」
違う。
違うと否定したいのに、声が出ない。喉のどこかに引っかかって、それ以上進まない。体は正常なのに、どうして。
「歪んだ自分を受けいれてくれれば誰でもよかったんだ。自分を愛してくれるなら誰でもよかったんだ。だから、ソラはニーナが好きなんじゃない。愛してくれる人が好きなんだ。だから自分の汚点やあたしの狂気を見ていないし、見ようともしないんだよ。だから、誰でもいいってこと」
体中から体温が抜け、凍りついたような感覚に陥る。
「結局、ソラはさ」
黙れ。
「あたしを愛しているとか」
黙れ。
「罪を背負ったとか言ってるけど」
黙れよ。
「それは自分を正当化するためで」
「…………れ」
「赦されたくてそうしてるだけで」
「黙れ…………」
「あたしを想ったりとか、罰を受けてるとかじゃないんだ」
「黙れ…………!」
「だから
柊空の全ては、ただのニセモノだったんだよ」
「黙れって言ってるだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」
声を出すことを拒む喉を無視し、無理やり怒号が這い出できた。獣のようなそれは、自分から発せられたと思うには俄かに信じがたいモノだった。そんな得体の知れないそれがぶつかり、反射し、響き渡る。
「あーあ、結局こうなっちゃったか」
「殺して、やるっ!!」
呆れた表情を見せるニーナを余所に、俺はMyosotiを起動した。既にオブジェクト化していたミオソティスが赤い光を放ち、片手直剣の形《プロトタイプ》に変化させる。
「そっか。それがソラの出した答えなんだね」
ニーナも、自分の武器を構える。骨のような部品が組み合わされてできたようなその剣は白い炎を纏い、軋むような音を出す。この音が俺とニーナの関係を表現しているとなれば、これ以上に滑稽なことはない。
「じゃあ、あたしの答えも言うね」
俺はニーナに向かって走り出していた。今すぐ殺したい欲求と、今まで抱いてきた想いと、彼女への恋情と、自分を否定したことへの憎悪。それらの感情を掻き消すように叫びながら。かつて守ろうとしていた人を、約束の証であるこの剣で殺すために。
そして、彼女もまた。
「お前のことが大嫌いだよ、ソラ」
互いの剣が衝突し、火花を散らした。
目の前のそれは、地獄だった。
ホロウとニーナが、互いを殺そうと戦っている。ホロウがMyosotisで攻撃すればニーナが弾き、ニーナが白く燃える剣で攻撃するとホロウが避ける。赤と白がぶつかり、弾け、散っていく。その光景が、彼らの命を散らしている今の状況に重なり合ってしまう。
そして、俺たちはその光景を黙って見ているしかなかった。
「なんでだよ、ホロウ…………!」
「こんなの間違ってるよ、ホロウ君っ!」
二人は愛し合っていたはずだ。それは死という離別を経ても消えぬ、壊れることのないもののはずだ。ホロウだってそう思っているに違いない。しかし、それは目の前の惨状に否定されてしまった。
両者の実力は、拮抗していると思われた。
しかし。
「オラァッ!!」
「ぐっ…………!」
ホロウが、負けている。
攻撃をMyosotisで相殺しようとするが、呆気なく弾き飛ばされてしまう。Myosotisで飛躍的に上昇したステータスがありながら、ニーナの攻撃を受け止められない。彼女の力は、それ以上だというのか。
「らぁぁぁぁっ!!」
「ガァァァァァッ!!!」
目にも留まらぬ速さで、剣と剣がぶつかり合う。グリームアイズとの戦闘の時、ホロウが見せた攻撃は尋常じゃない速さと威力だった。そして今も、それと同等がそれ以上の攻撃を繰り出している。
しかし、ニーナはその速さに対応している。それも、ホロウの剣より大きく、重い巨剣でだ。一撃一撃を受け止め、受け流し、自らも反撃する。その異様な光景に、後ずさりしてしまう。
その瞬間、それは起こった。
「があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!!」
「ホロウッ!?」
戦いの中、ホロウは咆哮する。喉が張り裂けるくらいに叫びながら、それでも剣を振るう腕を止めることはなく、叫んでいた。
しかし、それは叫び声なんかではなく、悲鳴だった。それこそ、グリームアイズの戦いの最中に、Myosotisの反動に苦しめられていたあの時のような、悲鳴。
つまり、これは。
「まさか……………………」
その予想は、的中してしまった。
ホロウの仮面が、割れていた。
Myosotisを制御する役割を持つ仮面が、耐久値の現象に伴い割れていたのだ。それも、左目を隠す程度の部分以外は、既に砕け散っていた。それは二つの意味を示していた。俺は、その両方を知ってしまった。
一つ目は、ホロウの負担の増加。
Myosotisは、強大な力を得る代償として、プレイヤーの脳に過剰な負荷をかける。しかも、ナーウギアによる脳の破壊も徐々に進行していく。そんなデメリットを抑え、使用者を守るのが仮面の役割だが、今は7割近くが失われている。それだけ負担が増加し、ホロウを蝕む。これ以上使ったら、彼は。
二つ目は、「ホロウはニーナに勝てない」という事実。
Myosotisを制御する仮面が欠けたとなれば、制御が緩くなった分だけ抑えられていた力がホロウのステータスとして反映される。仮面が破壊されただけ力が高まり、ホロウはそれを武器として戦っていた。
しかし、ニーナはその上を行く。仮面が割れて威力と速度が上昇した攻撃を難なく受け止め、そして反撃する。その行為はごく自然で、彼女自信には何の変化もない。ホロウの力が解き放たれていく中でも、彼女は更にその上を行く。ニーナの強さに、絶望するしかなかった。
これらの要因が表す未来に、俺は恐怖した。だってそれは。
ホロウが、死ぬ。
「負け、る、かぁぁぁぁ!!!」
それを全て否定するかのようにホロウは叫んだ。そして、あの青い悪魔を斬り伏せた技の名前を告げる。
──────ナイトメア・イローション。
紅蓮の極光を纏った剣から放たれる、無限の斬撃。相手を殺すまで終わらない、プレイヤーの任意による攻撃回数のソードスキル。Myosotisにだけ許されたそれの威力は、グリームアイズとの戦闘で実証済みだ。 その攻撃がニーナを捉える。
かと思われたその瞬間。
「弱いよ、ソラ」
「ガッ………………!!」
ニーナが剣を振るっただけで、それはかき消された。
剣がMyosotisを弾いたのだ。ホロウは手放してはいないが、その剣と共に持っていた右手が大きく上に弾かれた。後ろ向きに体が大きく反れて、ホロウが体勢を崩した。
その一瞬を、彼女は見逃さなかった。
「さようなら、
彼女が放ったのは、地面に対して水平、横一直線の一撃。その攻撃を食らい、ホロウは弾き飛ばされる。ガードする時間もないほどに速く、そして正確な一撃は、確かにホロウを切り裂いていた。そしてホロウは、ニーナの圧倒的な力で斬られ、その衝撃で弾き飛ばされていた。バットで打った野球の球のように、一直線に飛ばされていた。
「クソ、がっ………………………!」
ホロウが弾き飛ばされたのは、入り口。ここ、75層のボス部屋に繋がる、俺たちが通ってきた入り口に、ホロウが吸い込まれていった。そして、このボス部屋の外に弾かれるかと思われたその時。
それは起きてしまった。
「今の一撃は、ソラじゃ絶対に耐えきれない。だから
─────────これで終わりだよ」
ガシャン。
ニーナの言葉の直後、その音は聞こえた。聞こえたのは、ホロウが飛ばされていった、扉の開かれた入り口。そこから、ポリゴンの破片が散っていくのが見えた。この世界で、何かが壊れた時に現れる、それが。
そして、俺たちは認めてしまった。
ホロウという一つの命が、この世界から消えたということを。