鼓膜を突き破りそうな程の轟音が、空間を埋め尽くした。
あたしの持つ巨剣《オートクレール》と、ソラの持つ《Myosotis》が正面からぶつかり合う度に火花は散り、辺りを衝撃と音の波で埋め尽くす。鈍器で殴りあっていると例えるのが妥当な、重く鈍い衝撃が、あたしとソラに伝わる。
そして、仰け反ったソラの胸に、オートクレールの斬撃が襲い掛かる。横一文字の斬撃は、ヒースクリフから与えられた《Pluto》のステータス補正により異常値に膨れ上がった筋力パラメータは、当然のようにソラを吹き飛ばす。吹き飛ばされた勢いそのままに、ソラの体は壁に打ち付けられる。
「っ………………」
打ち付けられた衝撃で、漏れる呻き声も押し潰されていた。悲鳴を上げることもできず、空気が体内から押し出されたのか、乾いた空気が体外へ押し出された。
今の一撃は、それこそソラを屠ったあの一撃の数倍の力で振るった。標的の、その向こう側でさえ切り裂く程に今の一撃には力を込めて、結果込めた力に比例した威力がその一撃にはあった。運が良くても即死、運が悪くても即死、数値上も確実に即死だ。ソラは、今度こそ死ぬはず。
なのに。
「らぁぁぁっ!!」
ソラは止まらない。すぐさま体勢を立て直し、再び飛びかかる。速さを活かし、最短距離を最速で駆け抜け、再びあたしに斬りかかる。一撃一撃を全力で振るい、あたしを殺そうと足掻いている。
「無駄だっ!!」
もう一度、確殺の一撃を放つ。大きく振りかぶり、真下に向けて思いっきり叩き付ける。ソラの速さは厄介ではあるが、即座に行動を切り替えることのできない弱点を利用すればいい。真下に振り下ろしたのも、ここにソラが飛び込んでくるから。そうすれば、あとは真っ二つになるだけ。
「させ、るかっ!!」
しかし、その未来は来なかった。ソラは無理やり体を捻じり、体を剣の攻撃範囲の外に弾き出した。そして振り下ろされた剣を手で押し出す形で自分の体を弾き飛ばした。突っ込んできた勢いそのままに、バットで打ち返されたボールのようにあたしから距離をとった。
そして、左手で地面を掴み勢いを殺す。現実でやったら爪が剥がれそうだけど、仮想世界のアバターにはそんな危険は存在しない。例えあったとしても、こいつなら当然のようにやってのけるだろうけど。
そうして体勢も整わないうちに、ソラは再び襲い掛かってくる。急激に体勢を変えたとは思えないほどの速さで再び襲い掛かってくるソラの目は、確実にあたしを殺しにきていた。
振り下ろした直後では、こんなデカい剣でソラの一撃を受けることはできない。間に合わない。しかし、その程度では問題ない。確かにその速さと機動力は脅威だが、そこに置いておくだけで簡単に粉砕できる。
「うざってぇんだよ、クソがっ!!」
握っていた剣から手を放し、左腕を乱暴に振るう。正面から背後へと、裏拳のような形で振るわれたそれは、一撃を浴びせようと接近していたソラを簡単に弾き飛ばした。ソラは速いけど軽い。なら重い一撃を食らわせればいいこと。目には目をだなんて、そんなことはありはしないんだから。
ともかく、これでソラはもう立ち上がれないはずだ。HPだってとっくに削りきるだけの攻撃を、ずっと食らわせてきた。何度も叩き落し、何度もねじ伏せ、何度も沈めて、何度も殺した。戦いが始まってからずっと、ソラを殺してきた。
なのに。
「どうして」
どうして、ソラは立ち向かってくるんだ。何度も返り討ちにあって、どんな攻撃も封じられて、切り札であるMyosotisを使っても状況は変わらず最悪だ。絶望でしかないはず。
なのに、ソラは何度も立ち上がってくる。自分の弱さをその身で感じながらも、目の前の敵の圧倒的な強さを前にしても、ソラは屈しない。この愚か者は止まることを選ばない。何が、そこまで彼を突き動かしているのか。あたしには全く理解できない。
どうして、ソラは死なないんだ。さっきから何度も攻撃し、何度も叩き落し、何度も斬り飛ばし、何度も致死量のダメージを与えてきた。いくらMyosotisを使っているといえど限度がある。さっきも殺し損ねたとはいえ、致死量のダメージはあれだけ簡単に与えられた。
なのに、今ソラは生きている。ダメージなんてとっくに致死量を超えているのに、未だにソラの命はそこにある。当然のように立ち上がり、再びあたしに立ち向かってくる。システムで支配されているこの世界ではあり得ないことなのに。
どうして、ソラは弱くなっているんだ。確かにソラの速さは健在だし、彼の殺人における実力もこの世界では上位のものだ。彼自身の実力は何も衰えていないし、ステータス上の異常もない。ソラが変わったということは、ない。
ただ、その剣から紅い光が消えていた。あれだけ真っ赤なエフェクトを撒き散らしていたMyosotisは、剣の形をした鉄の塊になっていた。例えるなら、子供にちぎられた後の無惨な花。それこそ、今のMyosotisは命のない抜け殻。鈍く光る黒い剣からは、何も感じなかった。ソラの全力にはMyosotisは必須。だからこそこの光景は異常だった。
一体、何が起きているのだろうか。
分からない。解らない。わからない。冷静に考えようとするが、そう考えている時点で冷静じゃないことが裏付けられている。理解できないことへの焦りが、思考を阻害してくる。
どれだけ殺しても死なない、死んでるはずなのに死んでいないソラ。何度斬り伏せても立ち上がってくるソラ。全く機能していないMyosotis。理解が全く追いついてなく、それは数えるには多すぎる。だが、それはさほど問題ない。今に限っては、最優先事項ではない。
どうして、ソラはあたしを殺そうとするの?
ソラはあたしが嫌いなんだよね、そう言ったんだし。なのに、ソラはあたしを殺してくる。その理由がわからない。
嫌いなら関わらなければいい。一度、ソラは転移結晶であたしから逃れた。そこで逃げればよかったのに。そうすれば、もう嫌なものを見なくていいのに。
なのに、ソラは戻ってきた。そして、今まで必死に守ってきた
「ねえ、どうして?」
やっとのことで吐き出した言葉は、金属の衝突音に押しつぶされた。
*
ホロウが、ニーナと戦っている。
どれだけ剣を振るっても、どれだけ立ち向かっても、悉く叩き潰される。巨大な力を目の前にして、それでも彼は折れない。彼を突き動かしているそれを俺は知らないが、今のソラは何かに取り憑かれたように戦っている。
だが、目の前の光景を素直に理解できなかった。
ホロウが攻撃を仕掛ける度に、それをニーナが防ぎ、逆に致命傷を与えている。どれだけのダメージを食らっているのかは、さっきの戦いで嫌なほど見せつけられた。ここまでのダメージは、確実に致死量に達しているはずだ。なのにホロウは死なない。Myosotisなどの条件は同じなのに、どうして。
そしてそのMyosotisは、抜け殻のようだった。
俺が過去に見たのは三回。最初に見たのがグリームアイズの時。次はヒースクリフとのデュエル。そしてさっきのニーナとの戦闘が三度目。それだけ見ていると、どういうものなのかは理解できる。まあ、あいつに説明されたってのもあるけど。
だから、目の前の光景は異様としか言いようがなかった。赤いエフェクトは全く出てないし、能力の恩恵がホロウ自身に反映されていない。そうでなければ、あそこまで圧倒されることなんてないはずだ。
その光景を黙って見ていることしかできないことはもどかしいけど、これでいいんだ。ホロウとニーナだけで決着をつけるべきだし、そうでなければこの戦いは終われないだろう。
だから、何があっても静観することにした。あいつがどんな結末を迎えても、たとえそれが最悪の結末だとしても、受け入れることにした。きっと、今のあいつなら後悔なんてしない。って根拠もないけどそう思える。
クラインは相変わらずホロウに何かを叫んでいるが、その声はきっと二人の耳には届かない。それでも、伝えたいことはしっかり伝わっているはず。
エギルは、ただ見続けている。驚愕しながらも、事実を見続けている。何も言葉は発していないけど、終わりまで見続ける覚悟が感じられた。
アスナは、まるで我が子を見守るような眼差しでホロウを見ていた。介入はせず、それでいてそばで見守っているような、母親が子供を見守るそれだ。不安で仕方がないはずなのに、それでも信じて見守っている。今の俺たちは身動きすらとれない状況にあるのに、なぜかそう思わされる。そんな表情をしていた。
各々が違う様子で、それでも気持ちは変わらない状況の中、この戦いを見続けていた。
「なあ、ソラ」
戦いの最中、不意にニーナが口を開いた。
「いきなり、どうしたんだよ」
何度目か分からないが、ニーナに吹き飛ばされたホロウがそう返した。重そうに腰を上げ、いてて、と頭を抑えながら立ち上がる。
「お前、何がしたいんだよ」
今にも爆発しそうなくらい苛立った声と表情で、ニーナが言った。
「何って、ナニ?お年頃だからってそういうことを大勢の前で言うのはどうかと思うけど」
対してホロウは、そこに油を流していく。
「ふざけるな殺すぞ」
「現在進行形で殺そうとしてるじゃねえか」
そう言いながらも、ニーナに続きを促す。
「で、さっきの言葉はどういう意味だ?」
ニーナは、自分の中にある疑問を吐き出す。
「あたしは、お前が分からないよ」
それは不安のような何かだった。
「お前は、どうしてあたしを殺そうと思えるんだ?自分の醜悪さを露呈させることより、あたしを殺すことを選んだのはどうしてだ?」
「…………それが、お前に関係あるのか?」
「あるに決まってるだろ!!」
感情を抑えきれないのか、ニーナは悲鳴にも近い声で叫んだ。
「お前、あたしを何だと思ってるんだ!あたしがお前をどう思っているのかなんて想像がつくだろ!?あたしは、お前が…………!!」
はぁ、とため息をつくホロウ。
「そんなの、知ってるに決まってるだろ」
そして、冷めた声で返した。
「『お前のことが大嫌い』って、言ってたもんな」
ホロウの声が、ホロウの目が、ホロウの表情が、ホロウを構成する全てが、ニーナを糾弾していた。
「確かに、これは簡単に想像できるな。心配しなくても、お前のことは解ってるよ」
「そんな、違」
「違わないね。お前が自分で言ったことだ、ちゃんと理解しているだろう?それに、今、お前は俺を殺そうとしている。これだけ判断の材料が揃ってるんだ、言い逃れはできないさ」
ニーナの顔が絶望に染まる。この世の終わりを目の当たりにしたくらいの深刻なダメージに、よろめいている。今の状況を、「ホロウがニーナを殺そうとしている」と言ったとして、誰も違和感を持たないだろう。
これほどまでに動揺するか、と少し疑問に思っていたが、よく考えてみると当然のことだった。
ニーナは、「どうしてホロウが自分を殺そうとしてくれるのか」が分からないんだ。
彼女の中では、殺人と愛情が結び付けられている。愛情というものに触れるプロセスがあまりにも特殊で、例外的な環境、状況だったためだ。彼女の父親が引き起こした事件、デスゲームと化したSAOと、彼女を取り巻く環境は異常でしかない。
そこで、ホロウによるニーナの殺害が致命的なものとなった。人殺しの娘だと周りから拒絶され、この世界でも母以外に繋がりはなく、しかも母との間には罪悪感という不純物があって、彼女の求める愛情には至らなかった。
そんな中、ホロウという劇薬が投与されてしまった。ホロウが柊空だと知り、罪悪感と後悔に飲み込まれそうになった彼女を、ホロウは救い、愛してしまった。歪んだ二人が、歪んだ愛で結ばれてしまった。望んでいた愛を、最悪の形で手に入れてしまったニーナは、たとえそれがいけないものだと理解していたとしても、それに抗うことはできなかった。
だから、あの瞬間も「あたしを殺して」と言えたのだろう。彼が愛してくれるから、歪んだ自分を受け入れてくれるから、きっと彼なら、と淡い希望を持っていたから、ホロウにそんなことを言えた。そして、その願いをホロウが叶えてしまったことによって、彼女の中で「殺す」ことと「愛する」ことが結びついてしまった。ただ、それを悪いことだと、俺は彼女に言えないだろう。だって、彼女は確かに、ほんの僅かな時間でも幸福だったのだから。
だから、この状況が分からないんだ。彼が自分を殺すことは、自分を愛していることの裏返し。無関心なら見はせず、嫌悪するなら関わらない。しかもホロウにとって彼女を殺すことは自分の醜悪さを直視することになる。それは、彼が最も恐れていることだ。それを嫌いな人間を殺すためにするとは考えられないから、彼女は信じられないんだと、思う。
あくまで、今までのは俺の推測でしかない。ホロウから打ち明けられた内容と、今起こっている戦いの様子から拾ったものの断片を繋げた程度のもので、それ自体に何の根拠もないし、説得力もない。この事実を知ることができるのは部外者の俺ではない。当事者である二人にしか理解も許容もできない。
だから、信じて待つ。それが今の俺にできることで、この場面における最善策なんだ。
「なあ、ニーナ」
ホロウの目が、ニーナを捉える。
「お前は、この
優しく言い聞かせてるのか。それとも自分に言い聞かせているのか。
「俺の場合は、そうだな」
そう言うホロウの表情は、どこか嬉しそうで。
「まあ、悪くはなかったよ」
そう言いながらホロウが見せた微笑みは、とても穏やかなものだった。
「後悔だって沢山あった。恨んだことだって山ほどある。正直、いい人生とは言えなかったよ」
それは、これまでの人生を振り返れば当然のことだ。辛いことも苦しいことも、俺の想像以上のものなはず。考えることすら躊躇われるほどのものだ。
「でも、まあ」
なのに、ホロウは。
「これでよかったって、心から思えるよ」
幸せそうに、そう言った。
「だからさ」
理解の追いついてないニーナを、そして俺たち部外者を他所にホロウは続ける。まるで、自分に暗示をかけているかのように。迷いを断ち切るかのように。
だけど、次の言葉は、はっきりとニーナに向けられたものだった。
「これで終わりにしよう」
そう言いながら、Myosotisを構えた。すると命が宿ったかのように、紅い光が剣を、ホロウを巻き込みながら暴れまわる。光の奔流が激しく輝き、暴風の如く辺りを駆け回る。今まで押し殺されていたものが、溢れて弾けたように見える。抑えられていたから、さっきは何も感じなかったのか。そんな感想を抱いていた。
そしてエフェクトが晴れたその先には、何も変わっていないホロウと、歪な形をしたMyosotisと、見慣れない数字……時間か何かが、そこにはあった。
ホロウは変わっていない。それはいい。Myosotisの形は変わった。それもいい。ただ、ホロウの横に現れたカウントは、1:00という表示は何なんだ。いや、あれ自体は知っている。俺だって一度見た。ホロウのMyosotisを、初めて見た時に。だから、あれが何を意味するのかも簡単に理解できてしまった。
やめてほしいと願うこともできずに、ただこの先にある結末を待つことしかできない。体も動かせず、彼にかける言葉もまだ見つからない。今の俺にはホロウをどうにかすることはできない。やめてくれ、と頭の中で何度も繰り返すばかりだ。
それでも彼は止まらない。誰もあいつを止められない。
でも、それがあいつの選んだ答えなら。
終わりへのカウントダウンが、始まった。
*
その存在を知った瞬間は、まさかこんなことになるとは思っていなかった。
Myosotisを渡されたとき、それが何なのかが全く理解できていなかった。ナタリアさんから渡されたそれは片手剣の形をしていたのに、しばらくしてアイテム一覧を見たら、片手剣のカテゴリにある装備ではなく、ただのアイテムとして存在していた。それも花の形をした結晶で。向き合うのは怖かったが、このまま放っておくわけにもいかず、俺はMyosotisが何なのか、どういう機能なのかを調べることにした。
その結果、長所としてはステータスの補正と形状の変化、耐久度の概念がなくMyosotis専用のソードスキルが挙げられた。代償としては脳への負担の増加、脳への微弱な電磁波による脳への直接的なダメージを確認した。恩恵と代償。言ってしまえば、Myosotisは超ハイリスク超ハイリターンな武器、ということだ。キリト達に説明したのが、この部分だ。
そして、今は形状の変化、更に言えば形状・機能の変化に焦点を当てよう。
これに関しては、今までも何度か見せているはずだ。片手直剣の《プロトタイプ》、ニーナの両手剣を模した《オートクレール》、使い切りの投擲用の槍《ブリューナク》。この三つは実際に使ったことがある。その他にも、メイスの《ガンバンテイン》、斧の《バルディッシュ》、盾の《アイギス》という形体があるが、これらは一度も使ったことがない。そもそも、Myosotisを使う頻度が低いというのもあるが。
そして、もう一つMyosotisには形体がある。いや、これは形体というのが相応しいのか少し疑わしい。実際俺も使ったことがなく、どのような形状なのか想像もつかない。理解しているのは、それを使ったらどうなるのかだけ。
それを俺は、《最期のMyosotis》と呼ぶことにした。
これこそがニーナに対する切り札であり、最後の手段であり、この物語を終わらせるJokerだ。
「なんだよ、それ」
ニーナは目の前で、異形の何かを見ているような、恐怖と困惑を混ぜ合わせた顔をしていた。まあ、そう感じるのも無理はない。姿こそ今まで通りのホロウだが、今までとは全く別の存在のように見えているはずだ。
Myosotisが、永い眠りから覚醒したように力を解き放つ。紅い光が封を切られたように拡散し、俺を中心に渦巻く。辺りに赤を撒き散らし、全てを飲み込まんと駆け巡る。体を流れる血潮のように、暴力的なまでにその存在を主張する。
そして、見慣れない数字が視界に存在する。赤い数字で1:00と示されているそれは、時限爆弾のタイマーを連想させる。俺の場合はHPの横に表示されているが、周りの奴らには俺の横にその数字は見えているだろう。グリームアイズにあったカウントダウンを思い出すだろう?まあ、似たようなものだ。
Myosotis自体の形も大きく変わっていた。オートクレールに近い長い刀身と、それでいて幅はプロトタイプより少し広い程度。細く、それでいて長い、片刃の剣。太刀と呼ぶのが相応しいような形状をしていた。アンバランスな外見だがそもそもMyosotisは壊れないからその心配は無用。重量もあるが、それも跳ね上がった筋力値にものを言わせれば問題ない。歪なこの武器は、完全に俺の支配下にある。
《Lycoris radiata》。彼岸花の意味を持つそれが、最期のMyosotisの名前だった。
「これが俺の全力だ、ニーナ」
全てを曝け出した俺を見て、ニーナは絶句している。信じられない、と思っているのだろう。それは光の奔流に対してか、歪なMyosotisに対してか、不穏なカウントに対してか、それとも俺自身に対してか。
「どうした?俺に見とれてるだなんて馬鹿なこというなよ?」
軽く冗談を言っても、ニーナからは何の反応も返ってこない。ここまでくると、彼女の意識はどっかに行っちゃったのではないかと心配になってくる。返事がないなんて、死体かと思ってしまうだろう。
「っ!!」
はっと、意識を取り戻したのか、ニーナは俺を見据え、武器を構えた。しかし、そこからは焦りが見える。まだ気持ちの整理がついてないのだろう。
「準備不足なところ悪いけどさ」
右手にあるMyosotisを横に薙ぐ。迷いを払い、邪魔な感情を切り裂く。
「もう、止められないんだ」
賽は投げられた。もう、誰にも止められない。
「俺の全てで、お前を殺す」
1:00の数字が震えて、0:59に進んだ。
瞬間、痛みが体を支配した。
口からは、自分のものとは思えない叫び声が這い出てくる。咆哮という表現が生温く感じるほどのそれは、大砲のように衝撃をばら撒く。思わず魂が持っていかれそうになる。この叫びは、痛みがさせているから、あながち間違いではないと思う。
そう、Lycoris radiataの代償は、想像を絶する痛み。全身を焼き、内側から破裂し、肉をかき分け侵食し、鈍器で叩き潰し、ぐずぐずに溶かし、自分という人格を簡単に塗りつぶす。こんな言葉じゃ表せない痛みが、容赦なく俺を襲う。それこそ、Myosotisの痛みがまだ優しいと思えるほどの痛みが。
そんな痛みに、俺の意識はいとも簡単に刈り取られようとしている。今だってそうだ。全てが痛みに塗りつぶされてしまいそうだ。だけど、今だけは、持っていかせない。ニーナを自分の意思で殺すために、自分を手放すものか。
「…………」
もはや、自分が何を言っているのかわからない。それどころか、体中のありとあらゆる感覚が抜け落ちていく。あるのは痛みだけで、さらに鮮明になっていく。もう自分が保てていないのかもしれない。
「ニー……ナァ…………」
それでも、もう逃げたくない。ニーナへの
「こ、ろ…………して、やる……か……ら」
全く、自分の発言ながらここまでおかしくなったかと哀れに感じる。だが、これが間違っているだなんて思わない。これでいい。これこそが、俺たちに相応しい末路だから。
最後の花くらい、綺麗に咲かせてやろうじゃないか。
「……ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
そして、終わりは始まる。
この力は、Myosotisの性質である「ハイリスク・ハイリターン」を突き詰めたものだと思っている。彼岸花という名前で察しているだろうが、まあ、そういうイメージで間違っていない。
この力を使うと、自分というプレイヤーは、プレイヤーの枠から除外される。例えばステータス。攻撃を食らえばHPが減り、0となるとゲームオーバー、死だ。でも、Lycoris radiataはHPが減らない。そもそもHPという概念すら存在しないから、「攻撃されてゲームオーバーになる」ということにならない。ようするに、この世界のシステムから解放されるということだ。だから、ニーナにあれだけ攻撃されても死ななかった。
だけど、その間はMyosotisの全ての力が封じられる。ステータスも、スキルも、不死を得たとしても、それだと使い物にならない。死ななくても、倒せないとなれば戦いにおいては意味を持たない。特に、殺し合いという今の状況においては。
しかし、これがこの能力の本質というべきではないだろう。そもそも、この武器の本質は「対象を殺す」ことだ。不死だなんてあってはいけないんだ。じゃあどうしてこんな不死があるのかって?まあ、あれだ。不死の状態は「蕾」と考えてもらえればいい。だから、Myosotisから赤い光が見えなかったんだよ。
じゃあ、今の状態は?その形、その力は?カウントダウンの意味は?蕾が開いて花が咲いたらどうなってしまうのか?長々と説明するのも面倒なので、簡単に説明させてもらう。
今は、Lycoris radiataの本来の姿。紅く燃える、今の状態こそがこの能力の尽日の姿だ。
カウントダウンは、グリームアイズのものと同じだ。
このカウントダウンがゼロになると、俺は死ぬ。ダメージに関係なく、自分の意思に関係なく、無慈悲に無様に無関係にこの世界から、現実世界から殺される。つまりこの数字が、俺の残された命ということだ。
そして、既にカウントダウンは始まっている。今現在の数字は00:57。57秒後に俺は死ぬ。その間に俺はニーナを殺さなくてはいけない。死に追いつかれる前に、動き出さなければならない。
そして、この能力の最大の利点であり弱点、Myosotisの完成体にして、欠陥品たる由縁。それは…………まあ、実際に見たほうが早いだろう。心配しなくてもいい。こっちだって時間がないんだ。
「…………!!」
人ならざる咆哮と共に襲い掛かる俺を見て、ニーナは剣を振るった。プレイヤーの枠を逸した彼女が放つ一撃はまさしく必殺。プレイヤーでは今の彼女の一撃を耐えることなど不可能。
「ガァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
まあ、この世界の枠から外れたのは俺もだけど。
ニーナの振るった剣に、Lycoris radiataを添える。そして、少しの力を加えて剣を押し出す。すると、ニーナの体はいとも簡単に弾き飛ばされる。豆腐を切る瞬間のように、何の抵抗もなく。圧倒的な力で、ニーナをねじ伏せる。
「ぁ…………っ」
壁に衝突し、呻き声をあげるニーナ。何が起こったか理解する時間も与えられず、思考も追いつかないまま、この衝撃を受け入れるしかなかった。そんな時間すら、今の俺は許さない。
「アアアアアアアァァァaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!」
吹き飛ばしたニーナとの距離、およそ数10メートルを一瞬で詰め寄る。地面を足で蹴ると、光の速さで目標点まで到達する。Myosotisの時はステータスの上乗せだったが、Lycoris radiataの場合は元のステータスに倍率がかかる。それによる爆発的なステータスの上昇が、この異常な行動を可能にしていた。
え、光速で体は大丈夫かって?ここはゲームだ。現実の物理法則は適用されない。それに、そんなものより、もっと恐ろしいものが俺を襲っている。
Lycoris radiataの力の代償の、痛覚が。
この能力を使っている間は、痛覚が無限に引き上げられる。それは脳だけに留まらず、全身のありとあらゆる部位を痛みで染め上げていく。全身を襲う終わりなき地獄。それは際限なく加速し、簡単に心を壊す。
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!!」
その痛みは、まず感覚を奪う。痛覚が他の感覚を殺した。次は正確な動作を奪う。感覚が殺されたため、思い通りの行動を実現することが不可能になる。そして思考を奪う。考えることすら、痛覚に遮られてしまう。脳の中から、痛覚以外の概念が消えていくのを感じる。最後は意識。痛覚に全てを奪われ、残る自我ですら痛みが塗りつぶす。簡単に、全てが痛みに塗り替えられていく。
でも、そんなことはさせない。自分を奪われてしまったら、今している行為の意味がなくなってしまう。ソラとしてニーナを殺さなければ、俺は彼女に何もしてやれなくなる。それだけは嫌だ。
だから、必死に抵抗する。意識を手放さんと必死に抵抗する。それだけは誰にも奪わせない。俺だけのものだ。死ぬことより、殺されることより、ずっと怖い。いやだ。だから、どうか。
「ああぁaaaaAAAAあぁアアアアアアァァァァァァぁぁぁあああああああ!!!」
俺のLycoris radiataとニーナのオートクレールが何度もぶつかり合う。プレイヤーであることを捨てた化け物が、桁外れの力と速さで互いを殺さんと剣を振るう。剣がぶつかる度に、Lycoris radiataの赤とPlutoのオートクレールの白が弾け、散り、花びらが辺りに散らばるような光景を生み出している。命の花を散らしていると思うと、どこか美しく思える。
既に剣戟は不可視の速度に達していた。剣の軌道は消え、残るは衝撃と音とエフェクトのみ。殺すため、奪うため、証明するため、赤と白は咲き狂い、無様に散る。殺意と愛憎に塗れた花が命を散らす。
「――――――――――――――」
自分が何かを叫んでいるのは分かるが、何を叫んでいるのかは分からない。剣を握ってる感覚も、目の前にいるはずのニーナも、剣のぶつかり合う衝撃も、轟音も、徐々に感じられなくなっている。周りの全てが希薄になっていく。あれだけ俺を蝕んだ痛みすら、今は感じられない。麻痺しているのかもしれない。
Lycoris radiataの異常な痛みにより、俺の感覚はまともに機能していなかった。感じることを放棄したのか、それとも恐れたのか。柊空は、感じることを放棄したようだ。
そして、その魔の手は俺の意識さえも消し去ろうとしていた。何も感じていない今の状況こそ意識がないとも言えるかもしれない。既にこの体からは柊空の魂は消えていると言っても過言ではないだろう。
だけど、今だけは。
誓ったんだ。誰でもない自分に誓ったんだ。ニーナを殺すって。自分の罪から目を逸らさないって。今度こそ、ニーナを愛するって。ソラとして、ニーナを殺すって。
だから今は、この意識を手放すわけにはいかないんだ。痛みに全てを奪われたって構わない。命が消えたって構わない。想いを伝えられないまま死に逝くことになったって、構わない。だから。
最期くらいは、愛することを許してほしい。
「Niiiiiiiiiiiinaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!」
幾度となく続いた剣の応酬も、終わりを迎える。俺の振るった一閃が、ニーナの剣を弾き飛ばした。彼女の右手に握られた剣は、その手に握られてはいるが、そのせいで剣に腕を持っていかれてしまう。弾かれた剣に引っ張られるようにニーナが仰け反った。思わぬ事態に、ニーナの顔が歪む。
今だ。そう思った瞬間一歩踏み込む。これが最初で最後のチャンス。二度と訪れることのない、ニーナが見せた隙を利用しないなんて愚かな選択はしない。一気に距離を詰める。
ワンテンポ遅れて、ニーナも後ろにステップすることで避けようとしているが、もう遅い。既に射程圏内だ。無防備な彼女に、この危機を回避することはできない。
「――――――――――――――!!!」
Lycoris radiataの刀身が、真っ赤に染まる。燃えるような紅は、全てを失った日の炎を。濡れているような紅は、自分が殺した人殺しの血を。紅は、自分の犯した罪を、自分が進んできた道を映し出してした。
その真っ赤な刀身が、ニーナの体を斬る。抵抗なく飲み込まれた一太刀は、ニーナの体に紅い軌跡を残す。斬った軌道に沿って、直線の軌道が体に刻み込まれる。
二度。三度。幾度となく繰り出される斬撃は、ニーナの体に傷を残していく。その傷は心臓を中心に、放射線状に伸びている。一点から伸びていく線は、彼岸花のようで。
ニーナを何度も斬り刻み、それだけ線は瞬く間に増えていく。線が増えると、それだけ中心点が浮き彫りになる。そこはニーナの心臓で、この世界で心臓なんてものはないが、心を殺すという点で、心臓を殺すべきだと考えたから構わない。最後の一撃で、心臓を突き刺し、心を殺す。それができればそれでいい。でも。
既に感覚なんて消え失せている。視界も虚ろで音も拾えていない。立っているのか倒れているのかも分からない。生きているのかも、死んでいるのかも、今の自分では確かめようもない。自分という存在が、もはや無くなってしまったとも思える。
だけど、まだ殺していない。まだ、俺の想いを伝えられていない。大好きって、愛してるって。そのために殺すんだって。ずっと言えなかった言葉を、つたえたいんだ。
だから、まだたおれない。まだ、しねない。あといっしゅんだけ、あといちげきだけ、あとすこしだけだから。だから、おねがいします。どうか、つみをばっするのは、もうすこしだけまってください。
ニーナ、俺は…………
放射線の中心に、剣を突き立てる。
ずっと、お前を
心臓を貫いた瞬間、ニーナの体の放射線が真っ赤に輝き、その光は真っ赤な花を咲かせる。
最期のソードスキル《Blood Offering》。相手を必ず殺す、必殺の一撃。
その花が咲き誇るのを感じながら、俺の意識は途絶えた。
真っ赤な花が胸に咲いた。心臓を刺されて噴き出した血のようなエフェクトが、そう錯覚させた。もしかしたら花なのかもしれないけど、ソラほど詳しくないからこれ以上考えるのは止めておこう。
あたしの胸にはMyosotisが突き刺さっていた。深々と、あたしを貫いている。その感触が、自分に迫る死を嫌なほど実感させる。HPも既にゼロ。
ホロウが本気を出してから、あたしは為すすべもなく蹂躙された。一方的な蹂躙は殺し合いなんかじゃなく、ただ虐殺されただけ。殺そうとしたけど、あたしは結局のところ被害者でしかなかったんだ。殺されたことに関して、何かを感じることはもうないけど。
そしてあたしを殺した張本人は、ピクリとも動いていない。剣を持った手は放していないのに、ぐったりと力が抜けている。私を殺した柊空は、今は私に正面からもたれ掛かっている。カウントは残り10秒を指していて、ちょうどあたしが消えるのと同じくらいらしい。ヒースクリフの話だと、完全に死ぬまでにおよそ10秒かかるらしい。どうでもいいけど、一緒にって考えると少し頬が緩む。
なんだかんだ言って、結局あたしはソラが好きで好きで仕方がなかったんだ。確かに、あの場で言ったように「自分の醜さを見ようとしないホロウ」は大嫌いだ。でも、どう足掻いたってあいつを心から嫌いになるなんてできなかった。あたしにはあいつしかいなかったし、あいつじゃなきゃ嫌だった。
それに、あたしのことを見たうえで、殺そうとしてくれたことが嬉しかった。
あたしが殺しと愛を結び付けているだなんて、それが歪んでいるだなんてとっくに理解している。それをソラに看破されたことを否定するのではない。自分が間違ってるだなんて、初めから理解しているんだ。
じゃあどうしてソラにそれを求めていたのかってのは、回答としてはこれしかない。
「どうして、ソラはあたしを殺してくれるのか」。
ソラは、自分を守っていた。「愛することで愛される」という自分はソラにとって誰にも見られたくないタブーだった。それをあたしに見破られ、彼はその大義名分を失ってしまった。あたしが「大嫌い」と言ってしまったから、ソラはあたしからの愛を失ってしまったんだ。
あたしに拒絶されたソラは、「愛しているから殺した」事実を否定された。そしてそれは、あの場であたしを殺す理由を失った。愛されなければ愛していない、愛していないなら殺しは、快楽のための殺戮へと成り下がる。あたしを歪んでいると言っていたが、あいつだって相当なんだよ。
なのにあいつはあたしを殺した。自分を殺してまで、自分の汚点を曝け出してまで殺した。あたしから一度逃れたあの時点で、ニーナという存在から逃れることなんて簡単にできたはずだ。嫌なら関わらなくていいのに、自分を守りたいならあたしなんか忘れてしまえばいいのに。
どうしてって、ソラに「大嫌い」って言われてからずっと分からなくて、ずっと考えていたけど、今ようやく理解できた。やっと、理解できたんだ。
でも、それって。
「なあ、ソラ」
もたれ掛かっているソラの頭を優しく撫でる。何の反応も返ってこない。
「お前ってさ」
ソラの想いをあたしはようやく知ることができた。でも、その意味を咀嚼する度、嬉しいのか悲しいのか分からなくなってしまう。その感情を、あたしは抑えることができなかった。
「本当に……バカだよな………………っ」
思わずソラを抱きしめる。眠ってしまったに瞳を閉じていて、既に死んでしまったのではないかと錯覚してしまう。人形のように動かない彼が、そうまでしてあたしを殺した彼の想いが愛おしい。涙が止まらない。想いが溢れてくる。後悔と、それを押し潰すだけの幸福があたしを満たした。生まれて初めて、あたしは満たされた。ソラが、満たしてくれた。
ああ、もうすぐあたしは消える。ソラも消える。カウントダウンは1しか残ってない。次に瞬きなんかしたら、きっともう無くなっているんじゃないかな。視界も光に覆われて真っ白になっている。
確かに酷い人生だった。それでも、確かなものと出会えた。それはとても幸福で、それをくれたのは、あたしを救ってくれた、想ってくれた人がいたから。
「なあ、ソラ」
生まれ変わることが、もしあるのなら。
「…………大好き」
今度こそ、一緒になろう。
愛憎に満ちた二人の、二重螺旋にも似た
The end?