「思ってたより余裕でしたねー」
適温に調整された店内から出た瞬間、冬の寒さが肌に刺さる。乾燥した冷機は、肌だけでなく喉や鼻にまで被害を及ぼす。マスクがあればよかったが、切らしてしまっていたのは大きなミスだった。
「ぶぇっくしょい!」
俺は許さない。こんな醜態を晒させ、その上お肌を乾燥させる冬を許さない。
「ひゃはは!バッカみたいですねー柊さん」
そして、呼吸をするように煽ってくるこいつは更に許せない。
「お前は俺を煽らないと気が済まないのか」
「柊さん煽り耐性無さすぎじゃないスか?顔真っ赤だし」
「寒いからに決まってるだろjk」
「はいはいそーですね」
冬の寒さのせいか、人がほとんど歩いていない道路に、煽り煽られる人影が二つ。一人は車椅子に身を預けながら煽られており、車椅子を押しているもう一人が煽る。うまいこと言い合っているようで、結局のところ一方的に煽られている状況に、そろそろ我慢ができなくなりそうだ。
「それはそうと、本当に余裕でしたね。まさか卵が半分以上残ってるとは」
そういう「彼女」の肘にぶら下げられているビニール袋には、卵2パックをはじめとした、安売りの対象商品がギッシリと詰め込まれていた。はち切れそうなビニール袋の中の商品が、600円だというから驚きだ。無駄のないように商品を選択する「彼女」には、常に驚かされているが。
「あんなに急かして、『卵が残ってなかったらどうするんだカス』だなんて言っといてこれだからなあ。朝から不快にさせたことを詫びてもらおうか」
「結果オーライだしいいじゃないですか、小さい男ですねー柊さんは」
決して、不仲という訳ではない。それでいて特別な関係という訳でもない。特殊な関係、とは言えそうだけど。
「とりあえずさっさと帰るぞ、寒いし。つかそんなに卵買っといて何に使うんだよ」
「タルタルにスコッチエッグにガレットでしょ?あとオムライスにフレンチトースト、あとカスタードクリームとか」
「うわぁ卵キメてやがる」
「ちょっと、何かの中毒者みたいに言うのやめてくださいよ」
「つか高カロリーすぎるだろ。ガンガン太らせるとか俺は家畜か」
「まあ、車椅子押すのも出荷するみたいですしねー」
限りなく近い距離感に生活感漂う会話。世間話に敏感なマダムもといババアが見れば「彼氏と彼女」か「仲のいいヘルパーと利用者」を想像するだろう。両方とも間違いだが、そのババアが喜ぶのは明らかに前者だろう。まあ、近いのは後者だが。
「寒いですし、さっさと帰りましょ。柊さん寒いでしょ」
「そういうところは評価できるんだけどな」
そう言い、二人の男女は歩いていく。寒さから逃れるため、少しだけ歩くスピードを上げながら。
とまあ、日常っぽい感じにはなったけど、柊空はこうして生きている。仮想空間ではない現実世界で、ホロウとしてではなく柊空として。仮面の行商人ではなく車椅子のおっさんとして生きている。火傷の跡を隠すために、半分ずらして仮面はつけてるけどね。ひょっとこの。
SAOから解放され、新菜の墓参りをするまで、実に色々なことがあった。
まずは入院生活。SAOから解放された直後に一週間倒れていた俺は、少し遅れてリハビリ生活を開始することになった。倒れたのは、きっとLycoris radiataを使った反動だろう。そこは俺の責任だし、受け入れた。しかし上半身のみのリハビリとなったので、意外と早く終わった。脚が無いの、すっかり忘れてた。
それから、SAO事件被害者としての対応について。SAO事件被害者の処遇には、3つほどの選択肢がある。
一つ目は日常生活への復帰。主に社会人を対象に、事件以前に勤めていた職場への復帰など、自分が本来営んでいた生活を取り戻すことが挙げられる。今までの人生を今まで通りに。簡単で分かりやすいものだ。
二つ目は治療。これは選択できるものではなく、半強制的に義務付けられたものだ。積極的殺人歴のあるオレンジプレイヤーを対象に、一年以上の治療と経過監査を義務付ける、というものだ。他の犯罪については記録に残らないため特定できなかったり、正当防衛のための殺人は咎められなかったりと、少し緩いものとなったが、俺にとっては都合がよかった。何十人ものプレイヤーを殺したことで俺も治療を受ける可能性はあったものの、オレンジ限定で殺してたから正当防衛とみなされた。ラッキー。
そして三つ目は学校。これはSAO事件に巻き込まれた中高生を対象した学校を開き、そこで学生生活を再始動させるというものだ。年齢とか進行の度合いといった問題もあるので、案外良心的な対応なのかもしれない。もっとも、一か所に集めて管理したいだけなのかは分からないけど。
そういう俺も、実は学校の対象になっていたりする。SAOに巻き込まれた時点では高校2年だし、まあ当然ではあるが、それでも二十歳を控えた車椅子野郎まで対象になるとは思ってなかった。思いたくもなかったね、勉強もめんどいし。要するに、春あたりから19歳の高校生になるわけだ。
こうして学生としての生活をしていくことになるのだろうが、そこには住居の問題があった。
今住んでいるのは元々通っていた高校の近くのアパートで、SAO被害者の学校の予定地からは結構な距離があり、公共の交通機関では普通に無理な距離だった。しかも車椅子だし、健常者と比べると移動速度はかなり遅い。SAO時代はAGIにものをいわせていただけに、現実に引き戻されたって感じだ。そんなわけで、学校に近く、なおかつ段差などの障害物がないルートを確保できる住居を確保する必要があるのだ。
しかし、これは案外どうにかなった。どうしたのかというと、祥子さんの家を使うことにした。祥子さんは既に亡くなっていて、物件は彼女の遺族が管理していたのだが、祥子さんから俺のことを聞いていたらしく、「好きに使っていい」と言われた。祥子さんがいなくなった今でも、あの人に助けられてるなあって感じた。一度行って、遺族の方の支えもあり、無事手続きをした。制度ってむずいね。何はともあれ、拠点の問題はこれで解消された。
祥子さんの家は、引き取られてから過ごした家でもあり、そのおかげもあってか俺にとっては住みやすい環境になっている。そこまで大きくない一戸建てで、しかもSAO略学校までの安全なルートが確保されていて、距離も車椅子で行けるくらい近い。これほどの神物件があるだろうかいやない。慣れてる場所ってのもポイント高いよね。
ここまで来ると「え、金あんの?」と思うかもしれないが、これでも医者の息子。貯蓄は十分あり、それこそ数年は何不自由なく生活できる金額が遺産として俺の手にある。まあ、俺と茜の二人のためって滅茶苦茶節約してたからだろう。親の偉大さと愛情に、今一度感謝しよう。
こうしてあらかたの手続きを終え、新たな拠点に引っ越そうとしていたのが、早苗さんと墓参りに行ってから1週間後のことになる。それから数日後に移動を始めることになるのだが…………ここで一区切りとしよう。
*
そして、この家に引っ越してから1か月が、現在の時間軸となる。
「F◯ck you baby~♪」
帰宅した後、「彼女」は真っ先に台所で卵の調理を始めた。ソファーに座っていると、鼻歌のような音が聞こえた。女子の口から聞こえてはいけない単語が聞こえるが、「彼女」は料理に夢中になってるのでそっとしておこう。居間に隣接しているキッチンに視線を向けると、赤いエプロンをつけた「彼女」が鍋で何かを熱しているのが見えた。わずかに香る甘い匂いはカスタードだろうか。
「そだ、今日の晩御飯どうします?」
「お前に任せるとどうなるんだ?」
「オムライスとかいいんじゃないっすかね。ケチャップライスに固焼き玉子の」
「分かってるじゃねえか。じゃ、それにしよう」
「りょうかーい!せっかくだし『だいすき(はあと)』ってケチャップで書きましょうか?」
「うげえ」
料理しながら器用に話す「彼女」は、こんな時でも俺への嫌がらせを徹底してくる。そのプロ意識には毎回感心させられる。
「ヒャッハー!切り刻んでやるぜぇ!」
今度はゆで卵を切り刻んでいる。これはタルタル用のものだろう。複数の作業を並行して行うあたり、手際がいいのはいつものことだが、普段はどちらかというと静かに料理をするので、今日のハイテンションには何か違和感を感じる。何が「彼女」をそれほどまでに駆り立てるのか。
「その謎ハイテンションはどうした。謎すぎて気持ち悪いんだけど」
「…………ありゃ、マジすか」
ほんの一瞬時間が止まったあと、「彼女」は心底驚いたように言った。調理する手は止めないものの、目を大きく開いた様子から、少し動揺しているようだ。それこそ、テンションがおかしなことになっていることに気が付いていないように。
「あはは……。すいません、騒がしかったですよね」
そう言うと、「彼女」は申し訳なさそうに笑った。本当に、自覚のないままハイになっていたようだ。謝る姿は、先ほどまでの明るさとは対照的で、小動物を連想させる。そんな「彼女」を見ていると、なんだかこちらまで調子が狂いそうだ。
「別に気にしないけど。別にいいんじゃねーの、そういう日があっても」
「…………なんかすみません」
彼女が落ち着きを取り戻したタイミングで、切り出してみる。
「何かいいことでもあったのか?さっきからテンション高いし」
「あー…………。まあ、そう見えますよね……」
頬をポリポリと掻きながら、ばつの悪い顔をしている「彼女」。隠していた0点のテストのテストが親にバレた小学生みたいな顔だった。
「いいことって、いいますか」
照れくさそうに彼女は続ける。
「今日で、ちょうど1か月じゃないですか」
「…………あー」
1か月。その単語だけで全てが理解できた。俺が理解したのを感じたのか、「彼女」が言葉を紡ぐ。
「あれから1か月経ったんだなーって思うと、あの日のことを鮮明に思い出しまして。それが嬉しかったと言いますか。えっと、その、変に舞い上がっちゃって」
へへへ、と笑う「彼女」は無邪気な子供のようだった。しかし、照れ笑いの中にある申し訳なさのような何かを強く感じる。普段は見せない「彼女」の表情はどこか脆く儚げで、それがあの日の夕暮れを思い出させる。始まりの日とも言える、あの日のことを。
「…………そうか」
ソファーに体を預けると、視界が90度上昇する。見えるのは変わり映えのない天井だが、ここではない、どこか遠くを見ているような感覚に陥る。俺も、「彼女」に影響されてしまっているみたいだ。
「あれから、1か月か」
溜め息交じりの言葉を吐くと、あの日のことが鮮明に思い出される。俺も「彼女」に感化されたのかは知らないが、せっかくの機会だ。ここで思い出してみるのも悪くないのかもしれない。誰かと記憶を共有することに、どこか嬉しさを感じているのも、きっと彼女のせいだ。そうしておこう。
それじゃ、少し思い出そうか。空が燃えるように赤かった冬の夕暮れ。俺と彼女が過ごした些細な時間。今こうして生活を共にしている「彼女」との奇妙な出会いを。
*
その日の空は、赤く熟れていた。
新菜の墓参りを終え、早苗さんの車で送ってもらい、当初の待ち合わせ場所だった駅に一人取り残された俺は、とりあえずアパートに帰ろうと車椅子を動かした。空の赤は燃えるような赤なのに、外気は凍えそうなほど冷たい。襲い掛かる冬の猛威から逃げようと、急いで車輪に手をかけた。
この時点で、祥子さんの家に引っ越す手続きはほとんど確定していて、荷物もあらかたまとめてあったので、アパートの中はなかなかの殺風景だ。そんな場所に帰りたくもないが、今の寒さはもっと嫌なので、とにかく帰ろうとした。
寒さに耐えながら車輪を回し、回し、回し、途中コンビニであったかい缶コーヒーを3つほど補充し、回し、回し、ついでにコロッケなんかも買い食いしながら家へと向かった。そうでもしないと、体温がマジでヤバいと俺の第六感が告げていたので、この出費は仕方がないと言い聞かせる。
ともあれ、気がつけばアパートまでの距離は縮まっていた。一秒でも早く帰るために必死こいて車椅子を動かしたからだろう。しかし、予想以上に体を動かしたからか体温は上昇していて、缶コーヒーはその存在意義を失ってしまった。まあ、あとでおいしく飲むのでそこは安心してほしい。まあ早く帰るに越したことはないので、さっさと帰ろう。
アパートに近づくと、住宅街のような風景が広がっていく。俺の住居の周囲はアパートが密集していて、大きな施設や広い道路はなく、比較的静かな場所だ。それ以外には小さな食堂や駄菓子屋、公園などがあり、古き良き街のような印象を受ける。ぶっちゃけると廃れた場所だけど、ここは結構気に入っている。
だから、少し感傷的になっていたのだろう。住み慣れたこの場所を離れることに寂しさのような感情を抱いていたと思う。そんな感情が巣くっていたからなのか、気がつけば近所の公園に足を向けていた。ブランコを眺めながら、たそがれたい気分だった。缶コーヒーが役に立ちそうでよかった。
帰り道に立ち寄った小さな公園。小さな子供もおらず、あるのはベンチとブランコと滑り台だけ。作られた意図すら全く分からないような場所で、それでも自分の好みの場所だ。そのマイポジション、中くらいの木の根元に向かおうとした。
「うううぅぅ………………」
その時、謎のうめき声のような音が聞こえた。音の発生源は木の裏。音の高さはやや高めで多少の震えがあった。よって木の裏にいるのは「何かの事情で絶望している20代前半の女性」なのではないかと推測される。ただの推測だけど。
墓参りの後ということで少し不気味に思うこともあったが、それよりも好奇心が勝った。何があるのか気になって、あわよくば猫と戯れることができるのではないかという邪な感情に支配されて、結果余計なことに首を突っ込むという奇行に走った。
それがどんな結果になったかと当時の自分に聞いたら「血迷った末路」と言うだろうが、今現在の俺なら「運命的な出会い」と言うだろう。今に繋がるまでの、それこそ鍵のような出会いだということは間違いないだろう。
「寒いよぉ…………お腹空いたよぉ…………お金もないよぉ…………おがあざぁぁぁぁん………………」
これが「彼女」こと、こんな情けない声の主である
今更なんですけど、なんでこんなつまんねえ話をなんで読んでくれるんですかありがとうございます。
次回は回想と始動です。その次あたりから物語の本線に合流できるのではないかと思います。
今回もありがとうございました。気が向いたら苦情をください。