「んじゃ、後で迎えに行きますねー!」
「あーい」
暑苦しい恵梨が部屋へ戻るのを確認してから、自室のベッドに体を投げ出す。ゲームのことになると恵梨がこんなにめんどくさくなると思っていなかったから、なだめるのにかなりの労力を必要とした。発情した犬よりヤバかった。
「『アルヴヘイム・オンライン』、かぁ」
右手に持っているパッケージを再度確認する。妖精の少年少女が空を翔ける絵の中に書かれている文字は《ALfheim Online》。恵梨によると「妖精の国」の意味らしいが、あいつの情報は信用できない。あとで攻略サイト……そこは公式サイトか。調べとこ。
「まさか、またVRMMOに関わることになるとは」
俺自身、もう二度とこの世界に関わることはないと思っていた。SAOの中で約2年間生きてきて、ゲームを一生分やったとも感じたし、これ以上この世界に関わるつもりもなかったし、現実世界のことを優先していたから、頭の中から消えかかっていたというのが正直なところだ。
「…………」
あの世界のことは、今も鮮明に思い出せる。はじまりの街でデスゲームを宣告されたことも、ニーナとナタリアさんに出会ったことも、キリト達に支えられたことも、多くのプレイヤーを殺してきたことも…………ニーナと
だから、恵梨からパッケージを渡された時も、拒否するんじゃないかって自分で考えていた。恐怖とか後悔とかが頭を埋め尽くして、どうにもならなくなって。とっくに壊れている自分が、取返しのつかないところまで壊れちゃうんじゃないかって、そんなことを考えると思っていた。
「…………」
しかし、俺はそれ以上に壊れていたらしい。
「SAOでの苦しみより、ALOへの期待が上回るだなんてな」
あれだけの経験をしておきながら、新たな世界に飛び込むのが楽しみでしょうがなかった。そこはどんな場所なのか?どんな自分になれるのか?強敵との戦いは?紡がれる物語の結末は?想像するほど期待は膨れ上がって、歓喜と興奮を抑えきれなくなって、差し出されたゲームに迷わず手を伸ばした。2年間SAOにどっぷり浸かったのに、まだ足りないとか呆れを通り越して笑えてくる。
「下手にトラウマになるよりはマシ……ってことにしとこ」
自分がラリってるのはもう十分理解したので、ゲームを始める準備をする。さっき恵梨から貰ったALOのパッケージからROMカードを取り出し、ナーヴギアに差し込む。アミュスフィアも言ってしまえば「安全なナーヴギア」なので、ALOをナーヴギアで遊ぶことに関しては何も問題がない。問題があるのは、あれだけの目に合ったのにナーヴギアを使う俺の頭ぐらいだし大丈夫。
ナーヴギアを頭に装着し、ハーネスのロックとシールドの準備を終え、静かに目を閉じる。若干の緊張と興奮で大きくなる心臓の音をBGMに、小さく呟いた。
「リンク・スタート」
あの日とは違う、希望に満ちた声で。
*
セットアップが完了し、アカウント情報登録ステージに移行すると、アルヴヘイム・オンラインのロゴが書き出された。それと同時に、女性の声で「アルヴヘイム・オンラインへようこそ」とウェルカムメッセージが響き渡る。何の変哲もない演出が、興奮を掻き立てる。
IDとパスワードはいつも使ってるものを、そしてキャラクターネームは《Hollow》と躊躇いなく入力した。SAOでの自分が他のプレイヤーに露呈することは避けるべきなんだろうけど、ホロウと2年間呼ばれ続けたので、この名前以外で反応できるか怪しい。ま、そうそうSAO時代の知り合いに会うこともないだろうし、大丈夫だろう。
性別の選択でネカマプレーをしようかとも考えたけど、恵梨が晒しそうで怖いし男にした。こういう時、男と女の2種類アバターを作れたらいいのにと思う。服装とか試したり……さっさと次に行くか。
次に、合成ボイスはキャラクターの作成を促した。と言っても種族の選択をするだけらしく、用紙はランダムに生成されるらしい。若干不安になるものの、どうしようもないので素直に従うことにしよう。
この種族というものは9種類存在し、妖精をモチーフにしているらしい。恵梨によると、その種族に所属し、他種族と争ったり交易したりするらしい。「まあ直感で選んで大丈夫ッスよ」と言っていたので、好みで選ぶことにしよう。あと種族によって多少の得手不得手があるらしく、それも選択の材料になるだろう。
少しは難航すると思われた種族の選択だが、俺の目は一つの種族のアバターに釘付けだった。他の種族は目に入らず、その種族に惹かれてしまった。
「けもみみ……だと…………?」
猫妖精ケットシー。獣を模した耳と尻尾が特徴的な種族のアバターを見た瞬間、体の中を電流が流れたような衝撃を受けた。頭部には柔らかそうな獣の耳通称けもみみ。そして腰あたりからは尻尾が伸びている。これが何を意味するのか、俺は一瞬で理解できてしまった。
そう。もふもふの需要と供給が自分自身で完結してしまうのだ。
何を隠そう、俺は生粋のモフラーなのだ。SAOではピナのモフモフを定期的に供給させてもらっていたが、現実世界に帰ってからはSNS上のかわいい動物動画やペットショップのウサギを眺めるだけの日々が続いていたため、かなり欲求不満なのだ。あ、シーナは毛量の関係でモフには至らなかった。まあ撫でてて気持ちいいんだけど。
こうして不足していたモフモフを、ケットシーは自分で供給できてしまう。これで時間や場所を問わずにモフれるし、誰かに許可を得る必要もない。好きなだけモフれてしまうわけだ。ピナの時も、シリカが渋々OK出してくれたからいいものの、あれがなければ禁断症状が出ていたかもしれない。要するに「ケットシー最高じゃねえか」ということだ。
モフモフ末期の俺は、キャラの性能をガン無視してケットシーを選択した。選択した直後にキャラの得手不得手があることを思い出したが、恵梨が「ケットシーはテイムと鯵ぶっぱ」と言っていたことを思い出し、とりあえず安堵した。
こんなガバガバなキャラ設定で大丈夫なのか、と普通なら考えるだろう。しかし、それを霞ませるほどの興奮と期待が俺の中にあった。少年が抱く純粋な感情が、俺にはあった。
「――――行こうか」
幸運を祈ります、という人口音声に送られて、光の渦の中に包まれた。それと同時に目を閉じ、ゲームスタートの瞬間を待ち焦がれる。こうして待っていると、1秒が何倍にも引き伸ばされたような感覚になり、まだかまだかと急かす心がそれを助長する。どんだけ楽しみだったんだと自分のことながら笑ってしまう。まあ、しょうがないか。
しかし、長いな。軽い浮遊感は感じるものの、それ以外に新しい刺激は感じない。ホームタウンからのスタートと聞いているため、てっきり街に転送されるものだと思っていたため、今頃は地面に立っているものだと考えていた。どうしたものかと目を開けると、異様な光景が広がっていた。
「なんだ、これ」
目の前の映像はフリーズしていた。ノイズがはい回り、モザイクが広がっていく。明らかに異常な光景が、俺の視界を支配していく。バグか?それとも使用か?あるいはナーヴギアの不調か?考えうる限りの可能性を並べては消してを繰り返しているうちに、目の前の暗闇に向けて落下を始めた。
「…………オワタ」
意味不明な状況と、それでもはっきり分かる「これアカンやつや」感から言葉を失う。そんな俺は引きずり込まれていくように、暗闇の中へと吸い込まれていった。
*
「ペブシ!!」
途方もなく長い落下の果てには、どことも分からない場所に墜落した。落下中こそ「オワタ」と投げやりになっていたため静かに落ちていったわけだけど、あれだけ高い場所から落ちてきた衝撃は相当のもので、更に顔面で衝撃を受け止めたものだから、なっさけない声が出てしまった。
「いっつ……」
痛覚を感じないこの世界でも、癖というものは簡単には抜けてくれないものだ。と、どうでもいいことを考えながら、重力に逆らい上体を起こす。SAOから2ヶ月が過ぎた今でも自分の脚がある感覚は抜けておらず、自然に立ち上がることができた。
そこには、未知の世界が広がっていた。とは言っても見たことがないわけではない。イメージとしてはサバンナのような場所で、広大な大地に申し訳程度に草が生えている。荒野まではいかない更地、なんとも説明が難しい。夜の明かりに照らされて怪しく光る光景に、目を奪われる。そして背後を振り向くと、遠くに水の青と尖った何かが確認できる。おそらく海と塔。となると島に都がある?いや決めつけるには早いか。
「多分あそこが……って街からスタートじゃないのかよ」
随分と不親切だな、と吐き捨てながら、右手の中指と人差し指を揃え、縦に振る。しかし無反応。おかしいと疑問に思うが、その疑問は即座に打ち砕かれた。
「あ、ここSAOじゃねえわ」
SAO時代からの癖でメニューの呼び出しを行ってしまったが、ここはアルヴヘイム・オンラインだしその通りとは限らない。というかチュートリアルでメニューの呼び出しは左手って言われたばっかりだった。俺の脳内ハードディスクは衝撃に弱いのでしょうがない。
試しに左手で同じ行為をすると、軽快な音と共に半透明のメニューウインドウが出現する。デザインはSAOのものと酷似、いやもう同じだな。見慣れたものなので特に気にせず迷わず、下に勢いよくスクロールする。一番下には《Log Out》の文字があり、ここがSAOのようなデスゲームではないことが確認できた。
「あー……、なんというか」
「それはそれで面白そうだ」だなんて不謹慎な考えが一瞬でも浮かんだ自分を恥じつつ、ウインドウを上にスクロールしていく。一番上から読もうと思ったのだが、あることに気がつき、凍ったように静止する。
「……えっ?」
ウインドウ最上部にはHPやMPらしきステータスの数値があり、それらは初期値らしい数字だったため何の違和感もなかった。ここからが問題だ。
その下にある習得スキル欄に目を落とすと、様々なスキル名が8つも列記されている。初期スキルにしては数が多いということも違和感バリバリだけど、スキルの詳細情報が一番ヤバかった。
《短剣》《体術》《反応回避》などの戦闘系スキルから《鑑定》といった非戦闘系スキルとまとまりがなく、その上熟練度の数値が異常だった。ほとんどのスキルが1000とカンストしている。MMORPGのスキルをカンストさせられるのは廃人がほとんどなため、まず今の俺には該当しない。データのバグかと一瞬思ったけど、その次の瞬間には全てを理解してしまった。
「これSAOのじゃん」
そう。スキルの種類も熟練度も全て、俺がSAOで鍛えたものと一致していた。《ミオソティス》を含めいくつか欠損しているものの、それ以外はこのALOのものと共通している。つまり、今の俺はアインクラッドと共に消えた《仮面の行商人ホロウ》と同じ状態と言える。
「……あー、ナーヴギアか」
なぜこうなったのかは詳しく分からんのだけど、ナーヴギアを使ってログインしたことが原因ということは簡単に想像できる。SAOとALOで共通しているスキルが上書きされたとかそんなんだろう。まあ俺にどうにかできるものではないため、後でGMにでも連絡しておこう。
「そうだ、スキルが共通しているのなら……」
すぐにアイテム欄に目を通すと、20ほどのアイテムがそこにはあった。しかしほとんどが読み取れない状態だった。おそらくSAOのものだろう。アイテムの少なさは、ニーナと戦って一度リンダースに転移した際、リズの店に置いてきたからだ。なので、この少なさが、SAO説の裏付けとなった。
「…………んん?」
アイテム数も少なかったため、それに気が付くのに時間は必要なかった。ほとんどが文字化けして読めない状態にある中、たった一つだけ、はっきりと読める文字が存在していた。英語で表記されていたため少し戸惑ったが、理解したら別の意味で戸惑ってしまった。
「…………これって」
《Sheena's soul》と書かれたそれの正体は、わざわざオブジェクト化しなくても感じ取れた。
「シーナッ!」
ほとんど反射で叫んだのと同時に、アイテム取り出しボタンを押す。ウインドウの表面には、アメジストに似た光。光は一点に集まり、小さなオブジェクトへと凝縮していく。滴の形をした紫色のクリスタルへと変化したそれは、淡く、それでも力強く輝いていた。
考えるよりも手が動き、その結晶に触れようとした瞬間。
「ファッ!?」
目の前を、黒い影が横切った。夜の色と重なり正体は分からないが、先程まであった結晶が消えていたことは確かで。
「グルルル…………」
背後の唸り声へと視線を向けると、そこには獣がいた。吸い込まれそうな黒の体に鮮やかな青い目は、夜空が具現化したとすら思えてくる。トラやヒョウを思わせる形のそれは、しかしそれらを上回る大きさで、頭から尻までは馬と同じくらいであると推測する。重く、それでいて鋭い威圧感は、こいつがここ周辺の生態系の頂点であることを俺に叩き付けてくる。
うん、ヤバい。
「でも、こっちも簡単に引き下がれないんだよなあ」
月光に照らされた純白の牙の間には紫の光がある。結晶を奪った犯人……犯獣?はあいつで間違いない。あのアイテムがシーナと何らかの関係がある以上、取り返さなければならない。HPとかはもろビギナーだし、無謀なんだろうけど、それでも大事なものを手放したくない想いが勝った。
「悪いね、そいつを返してもらおうか」
初期装備であろう短剣を腰から抜き、構える。黒い獣もこちらを敵と判断し、体に力を込める。水滴が落ちたり、弾いた銃弾が落下したり、そういう何かがあった瞬間、弾きだされるように全てが始まると、俺は感じ取っていた。
そして、その時が来たと思われたその瞬間。
「わっ!?」
奴の牙に挟まれていた結晶が、パキンという音と共に砕ける。それと同時に、中に秘められた光が視界を埋め尽くし、暗い夜から真っ白な世界へと180度回転する。暴力的なまでに白が蹂躙し、視覚情報として脳内に叩き付けられる。
それが数十秒続き、光が弱まっていく。目を覆っていた左手の先にある光景が目に入ったその時、俺は信じられない、あるいは予想通りの光景を見た。
月光に照らされた、黒猫の姿を。
気がついたら黒猫に向かって走っていた。気がついても走るのを止めなかった。手にしていた短剣はどっかいったけどそんなことどうでもいい。今は目の前の黒猫が、何より優先すべきことだと心が訴えかけてくる。それに逆らうことなく、青い瞳へと吸い込まれるように駆けていく。
そして、黒猫もこちらに向かって走る。先程までの獣であるなら、俺に攻撃をするために接近するところだろう。しかし、目の前の黒猫からは殺意を感じない。いや、むしろ懐かしい気もしてきた。そんなあいつが見慣れたシルエットが夜に照らされ、小さな体を目いっぱい使って走っている。この時点で、もう興奮が抑えきれなかった。
猫がこちらに飛びついてきた。俺はそれを予感してか既に腕を広げていた。当然猫は腕の中に吸い込まれ、そして俺の両腕がそれを包み込む。小ささと柔らかさと懐かしい温かさに、もう涙が出そうだった。
猫も顔をこれでもかというくらい擦りつけてくる。空いていた穴を埋めるように、その存在を確かめるように、体を密着させてくる。その命を、これでもかを感じさせてくれる。あの日々が、鮮明に思い出せる。
こちらを向いた猫の額と、自分の額を合わせる。これだけ近くでも、互いの表情がはっきり見えた。俺は、再開の言葉を伝える。
「会いたかったよ、シーナ」
「ニャ!」
二筋の涙は、流星のように頬を伝った。
活動報告ですでに報告させていただきましたが、前回投稿した番外編を削除しました。詳しい説明は活動報告に書いてありますので、そちらを確認していただければと思います。好き勝手やってすいませんでした。サーシャさんもごめんね。
これからのことになりますが、4月まではそれなりに時間を確保できそうなので、複数の作業と並行しながら、仮面の行商人の投稿ペースを上げていきたいと思ってます。どうなるかはぶっちゃけわかりませんが、今までよりは早くなるんじゃないかと思いたいです。
長い間お待たせしているのにも関わらず、いつも読んでいる皆様には感謝しかありません。これからも書きたいことを書いていくので、どうかよろしくお願いします。