果て無き黎明   作:村雨ハル

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プロローグ 「継承」 3/5

   

 

 

 昇りきった太陽の日差しが燦々と降り注ぎ、春先の温い風が吹き抜けた。澄み切った青空がどこまでも広がり、それを眺めて日向ぼっこでもしていると陽光が眠りを誘われそうになる。

 冬を過ぎ、暖かな季節を迎えた木々は緑が生い茂り、葉と葉の間を擦り抜けた陽光が木漏れ日となり、風が隙間を抜ける度に複雑に影は変化し、葉が擦れた音が風がそこにいた証として静かに響く。

 

 民家の裏庭で、二人の少年が対峙する。

 勇者オルテガの子息たち……アゼルスとアルトだった。二人ともその場に鍛錬用の樫の木刀を構えたまま、微動だにせず立ち尽くしていた。お互いに隙を窺い、最初の一打を打ち込む瞬間を狙い澄ましている。

 そんな二人の少年の間を一際強い春風が吹き抜け、木々が煩く騒ぎ始める。耳が痛くなるほど散々騒いだ木々は風が過ぎ去れば一斉に鳴り止み、静寂が訪れた。その瞬間だった。

 

 アゼルスが大きく打ち込み、甲高い音が反響する。アルトが打ち返し、アゼルスの一打を受け止める。その一打は雷光のようだった。強烈な一撃にアルトが呻き、アゼルスが鍔迫り合ったまま、そのままアルトの身体を弾き飛ばそうとする。だが、アルトもまた負けじと足に渾身の力を込め、その場に踏ん張ろうとする。

 次の瞬間、ふっとアルトの腕の感覚が軽くなった。アゼルスが力を抜き、そのまま後ろに跳び退る。急に軽くなった感覚にアルトの込めていた力がバランスを崩し、体勢が崩れ、前に転びそうになる。

 

「うわあ…うわわわ」

 

 慌てて、アルトが足を前に出して何とか転ぶのを堪え、安堵を覚える。

 だが、その瞬間を見逃すほどアゼルスは優しくない。アルトが気を抜いた瞬間に、距離を詰め、兄はもう眼前にいた。右から薙がれた一打を弾く。一打一打が打ち合う度に衝撃で手が痺れそうになる。感覚が麻痺しそうなくらいの痛みを感じても、兄は攻め手を止めはしてくれなかった。

 派手に木刀と木刀が打ち合って、甲高い音が裏庭中に響き渡る。

 

「守ってばかりでどうする!?」

 

 一喝の如く、アゼルスが声を張り上げて、背筋に落雷が落ちたかのようにアルトの背筋に声が打ち据えられる。

 

「攻撃して来い! それでやる気あるのか!」

 

 アルトがぐっと唇を噛んで、アゼルスの一打を弾く。その後、数歩後退してから足に全ての力を込めて跳躍する。渾身の力を込めてアルトが唐竹からの一打を振り下ろす。

 

 アゼルスが低く身を屈めて、突進し、アルトの腹目掛けて右袈裟から薙ぐ。咄嗟の攻撃に対処しきれずにアルトはそのまま打ち据える。

 アルトの一打はアゼルスに届かずに、アゼルスの放った右袈裟がそのまま腹部を直撃した。勢いをそのままに地面に転がり込み、瀑布の如く一撃に腹が吹き飛ばされたのではないかと錯覚できるほどの痛みにアルトは悶絶し、そのまま地面に蹲る。

 腹の中の全てがぐちゃぐちゃにかき混ぜられたように思える感覚が襲い、しばらく立ち上がる気力は湧いてきそうにもなかった。

 

「いや……だからと言って守りを疎かにしろってことじゃないからな」

 

 呆れ半分にアゼルスが言い、その場に座り込む。

 腹を擦って、そのまま地面にアルトが転がる。見上げる青空はどこまでの澄み渡っていた。熱した身体を風が冷まし、額から溢れ出た汗を拭った。乱れた熱い息をそのまま、全て吐き出して整える。まだ、少し気分が悪く、立ち上がれそうにはなかった。

 

「僕には…」

 熱と共に、アルトが今の自分の気持ちを吐き出す。

 

「兄さんや父さんのように何かを傷つけてでも戦う……なんてできないよ。こうして打たれただけでも痛いのに。剣や魔法で攻撃されたら…」

「何かに傷つけられるのが怖いか」

 

 アゼルスの声に、アルトが首を横に振った。そうではなかった。何かに傷つけられるのが怖い訳ではない。そんなことにアルトが恐怖を覚えたのではなかった。そっと力の篭らない指先を、アルトが握り締める。

 

「そうじゃないよ……」

 息も切れ切れだったけれど、青い空をぼんやりと見上げながら、アルトは言葉にし、気持ちを形にした。

「僕が怖いのは、何かを傷つけて何かを壊れるのが……怖い」

 

 戦うということは暴力だ。暴力を振るえば、何かを壊すということに繋がる。繋がっていた何か。絆、友情、愛情。それを剣を振るい、掌に伝わる暴力で断ち切ったという感覚。その感覚を、アルトの心は拒み、受け入れることが出来なかった。

 甘い、と兄に笑われるだろうか、とふとした恐怖心が芽生えるのを感じた。だが、これがアルトの気持ちだった。

 

「そうだな……そうかもしれない」

 アゼルスも空に独りごちるように、アルトの気持ちを返した。

 

「戦うということは暴力だ。正義や愛といった美談で片付けられないことのほうが圧倒的に多いさ」

「兄さんは……怖くないの?」

「怖いさ」

 

 兄から返ってきた言葉に、アルトが目を丸くする。勇者としてのアゼルスは常に勇猛果敢で、恐れを知らない戦士のように移る。だから、怖いという返答が返ってきたのが意外だった。

 

「俺だって怖いさ。死ぬのはいつだって怖い。でもさ、俺が、勇者が戦わなければ結局別の暴力に小さな何かが踏み躙られてしまう。俺がその方が怖い」

 

 空を見つめる兄の眼差しに熱が宿る。その熱は言葉となって、アルトにも伝わった。

 そうやって周りに灯り、兄を突き動かす原動力となる。言葉は、力だった。意思だった。それを迷いもなく、解き放てる兄は間違いなく、勇者だった。

 

「兄さん……強いね」

「俺は強くなんかないさ。ただ見栄を張ることしか出来ないただのガキだよ」

 

 照れ隠しなのか、アゼルスが笑んだ。その微笑みがアルトにはとても眩しく、輝かしく見えていた。自分に出来ることを理解し、それで最善を尽くそうとする兄の姿がとても、アルトには遠い存在で、彼方にいるような―――。

 

「ずっと…僕に出来ることってなんなのかって考えてた」

 アルトもまた、独りごちるように、呟くように言う。

「僕はまだまだ子供だし、兄さんのように強くないし……僕は」

 

 無力だった。ただの自分が無力な子供だった。それを、アルトは強く自覚していた。勇者の家系に生まれたといっても、自分は勇者ではない。自分の目の前には、常に父の理想を受け継ぐべき大きな存在が既にいる。

 兄と自分を比較したことはアルトにはない。だが、常に思考は続けていた。そんな無力な自分ができることはなにかないかと模索し、方法を考えているが、それでもまだ探し出せていない。

 

「そうだな……」

 アゼルスがふと、思い立ったように告げた。

 

「横笛を吹いてくれないか」

 アゼルスの提案に、言葉を返してアルトが半身を起こして、その勢いで草が舞う。

 

「今、聞きたいんだ。だからさ、吹いてくれないか」

「いいけど…」

 

 アルトが立ち上がり、庭にある大樹の根元に置いた自身の鞄から銀の横笛を取り出し、吹いた。

 

 

 さっきまでの木刀の打ち合いの鈍い音ではなくて、横笛から響く旋律が庭中に響く。

 曲は頭にふっと浮かんできた戦慄を音にしていただけの拙い物だった。それでも、その音色は染み入り、若葉やそよ風に澄み渡って、音色が踊った。その音の響きに合わせて、草花もそよ風も木々の音も音と供に弾んで、辺り一面に澄み渡ったかのようだった。

 

 アルトは楽師ではなく、ただ元宮廷音楽家であった母の見様見真似で横笛を吹き始めただけだった。だけど、アルトは音楽という物を好んでいた。旋律は人を楽しくさせ、泣いている子供でも笑顔になってくれる。どんなに荒れた人でも一緒に音というものを楽しんでくれる。だからアルトは音楽という道に惹かれた。

 音楽に触れている時間は、とても楽しい。みんなが一つのことを楽しんで、一つを共有して、短い時間では在るけれども、そこには争いがなくなり、笑顔になるからだ。

 演奏が終わり、一つの拍手が生まれた。

 

「あったじゃないか。お前にもできることが」

 アルトが小首を傾げて、え、とアゼルスに問い返す。

「簡単に見つかったって言ってるんだよ。アルトにもできることってヤツをさ」

 アゼルスが嘆息し、横笛を指差す。アゼルスも立ち上がり、アルトの頭にぽん、と手を置く。

 

「楽師なんて手先が不器用な俺には無理だし、出来る自信もない。だけど、お前は楽器を演奏し、人を楽しませることが出来る。これも立派な力だぞ」

 アルトの頭から手を離し、その手をアゼルスが握り締める。

 

「俺は確かに戦うことが出来る。でも、それだけだ。だから、強くなって多くの力無き人々の代わりに戦う。それが俺の出来ることだ」

 アゼルスの言葉に熱が篭り、その瞳に強い決意が見て取ることが出来た。だが、不思議とアルトには少しその瞳が寂しげに見えた。

 

「だがお前は俺の出来ないことを出来る。音楽で、人を楽しませて人を笑顔にするって凄いことがさ。だからさ」

 アゼルスがアルトの目の前に拳を翳す。それに呆気に取られて、アルトがアゼルスを見返す。

 

「今、自分の出来ることを全力でやってけばそれでいいんじゃないか。俺は剣で戦って人を守って、お前は楽器で人を癒す。みんなで出来ることをちょっとずつやっていけばそれでいいんじゃないかって」

「…兄さん」

 

 アルトの迷いが消えていくような気がした。人から見れば些細なことかもしれないが、それでも音色で人を癒し、笑顔に出来る。今、自分の出来ることをやっていく―――それで一つでも多くの笑顔を生めるのであれば。

 

「やってみるよ」

 アルトがアゼルスの視線を真っ直ぐに見つめ返して、拳と拳をぶつける。

 

「ちょっとずつかもしれないけど、足りないかもしれないけど。僕にできることを」

「その意気だ」

 

 アゼルスがにっと笑んでから拳を離す。男と男の約束。それは、今、兄弟の間で交わされた小さな約束。出来ることは丸っきり違うけれども、自分に出来ることを少しずつでもやっていくと誓いを立て、その気持ちは一つであった。

 

 

 

 

 剣の鍛錬を終えてから二人は遅めの昼食にすることにした。二人の行動を見越していたかのように女性が調理を終えて、昼食を装っていた。昼食はアリアハンでも好んで食べられる魚介類をしようしたパエリア。サフランを中心とした刺激的な香辛料の匂いが鼻腔をつき、食欲を増進させる。

 腰まで伸びた長い黒髪を束ねて、やや釣り目がちな化粧っけのないさっぱりとした美人であったが、年齢を言わずに姉と言われれば納得してしまうであろうくらいに若く見えた。アルトとアゼルスの母、クレアだった。

 二階から祖父ガルドが降りてきた。若い頃にアリアハンの王宮騎士と勤め、そのためか未だに矍鑠としており、アゼルスとアルトに剣術を指南したのもまたガルドであった。

 

 テーブルに手を洗った後にアルトとアゼルスも座り、一家揃っての昼食となった。窓から差し込む日差しと室内の影の光と影のコントラストに、テーブルの上のパエリアのオレンジが咲いていた。

 ただ、一つだけの空席を除いて。本来そこの席に座るはずだった家族はもう既に居らず、戻らない。その寂しさと悲しさはまだ忘れたわけではない。たが、悲しんでばかりいることも時間が許してくれそうになかった。

 

「いただきましょう」

 

 クレアが促し、その前に短い時間、瞑想を捧げる。アリアハンは精霊ルビスを信仰する宗教が根強く、ルビス教では食事の前に瞑想を捧げるという習慣があった。アルトの家族でもそれは日常として行われている。

 

 瞑想の後、食事を始めた。

 パエリアを口に頬張り、口いっぱいに海鮮の優しい味が広がり、セロリの風味が喉を通って、鼻腔に吹き抜ける。

 

「アゼルス。準備は出来ておるのか」

「ん。ああ、大丈夫だよ」

 祖父に、アゼルスが頷きを返す。旅立つための準備はもう既に出来ているようだった。それに納得か満足したのかガルドは深く聞き返しはしなかった。アゼルスも気にせずに食事に戻り、パエリアをがっつく。今度はアルトに視線を向ける。

 

「アルト。お前はどの職業になるかをいい加減決めたのか」

「まだ、だけど」

「ならさっさと決めろ。それでもわしの孫か」

 

 ガルドの言葉に少し怒気が篭る。前々から今後の道を決めかねているアルトには少し厳しい言葉が飛んでくることも間々あった。その度に居心地の悪さを感じていたが、もうそんな後ろめたさは消えていた。さっきの兄との対話で自分の進むべき方向が、少しずつではあるが見えている。

 

「僕は……」

 おずおずとアルトが言葉を口にする。しかし、自分の意思を強く込めて、言葉を放った。

 

「楽師になりたいなって…思うんだ」

 ようやく自身の道を決めた孫にガルドが真摯に見つめていた。戦士以外の職業を答えれば、祖父が激怒するものとばかりと思っていたアルトには祖父の反応が少し意外であった。

 

「こんな時代だし、少しでも人を楽しませたり笑顔に出来ることをやっていければいいなって…思うんだ」

 ふむ、と祖父が納得したような声を出し、思案するような表情を見せた。

 

「お前の人生だ。お前のやりたいことをやるといい。ただし、剣の鍛錬は毎日欠かさずにな。外部に出る機会もあろう。自分の身は自分で守れるようにな」

 

 拍子抜けしたようなアルトに、クレアがくつくつ笑ってみせた。

 

「おじいちゃんはおじいちゃんなりにアルトのことを心配してたのよ。アルトはアルトなりの考えを聞ければ、それでよかったの。楽師を目指すのなら私に教えられることであれば、教えるけど」

「……ありがとう」

 

 家族の気持ちにアルトの胸がいっぱいになった。不器用な祖父の応援と、優しく支えようとしてくれる母の気持ちが伝わり、アルトの胸を熱くさせた。

 

「あら…」

 クレアが立ち上がり、窓の外の空を見上げる。

「どうやら少し曇ってきたみたいよ」

 アゼルスも空を見上げ、青く澄み切った空は鉛色の雲で淀み始めて、空を覆い始める。今にも、空が泣き出し、大粒の雨を降り注ぎそうな暗雲だった。

 

 

 その日、二人の少年たちの行く先を指し示すかのような、空だった。

 

 

 

 

 

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