六六機動部隊物語   作:緒方一郎

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長かった。これにて六六機動部隊は、終わりです。


第五話 終戦

                     第一章 ガダルカナル島沖海戦

 

 ソロモン諸島の戦いのうち千九百四十二年十一月三十日から十二月一日にかけての深夜に起こったルンガ沖夜戦でカールトン・H・ライト少将率いる第六十七任務部隊は、田中頼三少将の第二水雷戦隊の一隊によって重巡洋艦群が手痛い損害を受けた。

南太平洋軍司令官ウィリアム・ハルゼー大将は、第六十七任務部隊の立て直しを図り十二月十日付でヴォールデン・L・エインスワースをライトの後任として第六十七任務部隊司令官に据えた。

軽巡洋艦を中心に再建された第六十七任務部隊は、エインズワースに率いられ南方から日本軍を追い出す最後の戦いの支援に任じた。

特にアナトム島に新たに建設されていた日本軍飛行場に対する艦砲射撃を行った戦闘行動は、「エインズワース・エクスプレス」とも呼称され歴史家サミュエル・E・モリソンに「基地攻撃に関する長期間にわたるお手本」と評された。

千九百四十三年三月に入り合衆国艦隊の再編成が行われて南太平洋部隊は、「第三艦隊」と呼称されるようになり水陸両用戦部隊以外は「第三十六任務部隊」と改められた。

エインズワース少将率いる第三十六任務部隊は「ザ・スロット」と呼ばれたニュージョージア海峡にてアーロン・S・メリル少将率いる第六十八任務部隊と交互に行動することになった。

三月五日深夜から三月六日未明にかけて行われたアナトム島沖夜戦では、メリル少将の第六十八任務部隊が輸送任務を終えて帰途についていた日本海軍の水雷戦隊を捕捉しレーダー射撃を行ったが判定勝ちで圧勝できなかった。

 ソロモン方面にいた主な有力なアメリカ艦隊は、上記の二つのみであり前年のガダルカナル島を巡る戦闘で多数の航空母艦を撃沈され太平洋・大西洋で行動可能なアメリカ海軍の正規空母はサラトガ一隻程度しかおらず航空戦力はもっぱら基地航空隊に頼っていた。

このため千九百四十二年六月から十月に限っては、急遽イギリス海軍から借り受けた空母「ヴィクトリアス」を投入したがこれも南太平洋海戦で沈んでしまった。

またタンナ島上陸は、六月中旬に予定されていたがヨーロッパ戦線でのイタリア本土上陸作戦の準備と大西洋の船団護衛に多量の航空機と艦艇が回されたためタンナ島は六月初についで六月三十日に延期になった。

六月三十日アメリカ軍は、アナトム島対岸のタンナ島に上陸し占領した。

 タンナ島を占領する意味は、ここに重砲を据えてアナトム島の飛行場へ直接砲撃が可能になるということでありいわば「不沈砲台」とするものであった。

しかし日本軍は、その事を理解しておらずわずか百二十名の守備隊はリッチモンド・K・ターナー少将率いる水陸両用部隊に一蹴されたのである。

引き続きタンナ島の重砲の援護下アナトム島攻略部隊は、続々と舟艇機動によって東方海岸に殺到する。

ところが攻略部隊は、ジャングル内で日本軍側の縦深防御に手を焼いて進撃は進まなかった。

ウィリアム・ハルゼー大将の南太平洋部隊内部では、この戦いをちょうど八十年前の南北戦争時のビックスバーグの包囲戦になぞらえ包囲戦が終結した七月四日には同じように勝利を手にする事ができるだろうと考えていたがこの目論見も外れる形となった。

 

                           ※

 

 一方の日本軍側は、第十一駆逐隊(『早風』、『夏風』、『冬風』、『初風』)が七月二日十六時にブインを出撃して日付が七月三日になろうとする頃にタンナ島沖に到着した。

タンナ島に対して艦砲射撃を行い引き揚げた。

タンナ島占領は、第八方面軍にアナトム島の防衛強化の重要性を再認識させた。

三日にニューカレドニアの日本軍南東支隊司令部で会議が開かれ陸軍は、海軍に「ニュージョージア島防衛にこだわった責任を取って支援部隊を送れ」と要求したが海軍からは「ガダルカナルの航空部隊は、消耗しており艦隊は燃料不足で出撃できず」と返答された。

さらに陸軍の佐々木支隊長がタンナ島へ逆上陸して重砲を破壊することを提案し海軍に協力を求めたが上陸に必要な大発は、米軍の砲撃で破壊されており実行は不可能だった。

ニュージョージア島は、喉元に刃物を突きつけられた状態となって輸送が困難になることが予想されたため防衛強化のために速射砲と陸兵千三百名と大発十五隻分に相当する物件をアナトム島に輸送する事とした。

輸送は、二度の鼠輸送によって行われることとし七月四日と七月五日に駆逐艦四隻ずつを送り込むことになった。

一方アメリカ軍側もニューカレドニア奪還の支援のためイロマンガ島に対しても上陸作戦を行う事となりアメリカ第三十七歩兵師団三個大隊を乗せた高速輸送艦を主体とする輸送船団とヴォールデン・L・エインスワース少将率いる火力支援担当の第三十六・一任務群を送り込む事となった。

戦力は、

第十五駆逐隊(『涼月』、『黒潮』、『親潮』、『早潮』)

第一次輸送隊 「清風」、「村風」、「里風」、「沖津風」

である。

 海戦の結果「ストロング」を撃沈し味方の被害は、なしの一方的な勝利で輸送も成功させた。

一方のアメリカ軍側は、駆逐艦一隻を失ったものの上陸作戦には成功しアナトム島に対する圧力をいっそう強める事となった。

 

                           ※

 

 これに続き第二次輸送部隊も編成された。

戦力は、

第三水雷戦隊

旗艦 「鬼怒」

第十五駆逐隊(『黒潮』、『親潮』、『早潮』、『陽炎』)

第十七駆逐隊(『高潮』、『秋潮』、『春潮』、『若潮』)

第一次輸送隊(『早風』、『夏風』)

第二次輸送部隊(『清風』、『里風』、『沖津風』、『妙風』」

である。

 海戦の結果「ホノルル」、「ヘレナ」、「セントルイス」、「ニコラス」、「オバノン」、「ジェンキンス」、「ラドフォード」を撃沈し「鬼怒」が沈み第三水雷戦隊司令部も全滅した。

アナトム島への輸送は、完全に成功した。

駆逐艦「高潮」戦闘詳報では、アメリカ軍のレーダーの脅威を訴えまたアメリカ軍巡洋艦の装備と能力を正当に評価した。

『肉薄しないのは、精神力の不足』と批判せぬよう指摘している。

しかしフィジー方面の戦闘は、依然として厳しい状況でありアナトム島へ一部の兵力を移すこととなった。

この事により、その分だけ後方の島の兵力に穴が開くこととなるため後詰め兵力を送り込む必要性が出てきた。

そこで七月九日にニューカレドニア島への緊急輸送が行われ七月十二日にも輸送作戦が行われるが同日夜にアナルゴワット湾夜戦に似たような経過でニューカレドニア島沖海戦が発生した。

また司令部が全滅した第三水雷戦隊の後任司令官として七月七日付で伊集院松治大佐が発令され七月十日に着任した。

 大本営は、この海戦を「アナルゴワット湾夜戦」と呼んだ。

 

                            ※

 

 千九百四十三年六月三十日にアメリカ軍は、タンナ島に上陸し七月五日にはイロマンガ島へ上陸した。

この状況で七月四日と七月五日に日本軍によるアナトム島への増援部隊の輸送が行われ七月四日の輸送は、ヴォールデン・L・エインスワース少将率いる第三十六・一任務群と遭遇したが達成し七月五日の輸送では途中で再度第三十六・一任務群と遭遇してアナルゴワット湾夜戦が発生したが物資の輸送は完了した。

また軽巡「鬼怒」がアナルゴワット湾夜戦で沈没して秋山輝男少将以下第三水雷戦隊司令部も全滅したためその後任司令官(増援部隊指揮官兼任)として七月七日付で伊集院松治大佐が発令されて七月十日に着任するが伊集院大佐の到着までの間重巡洋艦「鳥海」艦長有賀幸作大佐が臨時の増援部隊指揮官となった。

さらに連合艦隊司令長官古賀峯一大将は、第二水雷戦隊(伊崎俊二少将)とその旗艦「三隈」と駆逐艦「清波」および第七戦隊(西村祥治少将)をラバウル方面に進出させて南東方面部隊に編入させそれぞれに出撃準備を命じた。

フィジー方面の戦闘は、依然として厳しい状況であり連合国軍の横腹を突くため陸軍はアナトム島へ一部の兵力を移すこととなった。

その兵力としてニューカレドニア島に駐屯していた第十三連隊を転用する事とし転用に伴う後詰め兵力の輸送は、七月九日夜に実施される事となった。

戦力は、

主隊:重巡洋艦「鳥海」(外南洋部隊指揮官座乗)、軽巡洋艦「三隈」

警戒隊:駆逐艦「雪風」、「夕暮」、「谷風」、「浜風」

輸送隊:駆逐艦「清風」、「村風」、「里風」、「沖津風」

である。

 七月九日十七時主隊、警戒隊と輸送隊はブインを出撃し輸送隊はアナトム島に向かう。

なんら妨害を受けることなく輸送任務は、成功した。

主隊と警戒隊は、タンナ島のアメリカ軍に対して艦砲射撃を行ったあと七月十日に三隊ともブインに帰投した。

輸送作戦の効果は、「味方の航空支援などもあって効果てきめんであり明るい材料が多い」と判断された。

しかし第十三連隊をアナトム島に移したという事は、その分ニューカレドニア島の兵力が減少したという事につながる。

第八方面軍は、更なる後詰め兵力として歩兵第四十五連隊中から第二大隊と砲兵一個中隊合計千二百名と物件約百トンを送り込む事としその輸送作戦の指揮はラバウルに進出したばかりの伊崎少将に委ねられる事となった。

 

                             ※

 

 一方アナルゴワット湾夜戦で全滅した第三十六・一任務群は、その代役として輸送船団の護衛任務についていたニュージーランド海軍の軽巡洋艦「リアンダー」 を引き抜いて旗艦とした。

また駆逐艦も同等数に戻した。

 

                             ※

 

 戦力は、

第二水雷戦隊部隊

軽巡洋艦:「三隈」

駆逐艦:「清波」、「雪風」、「浜風」、「黒潮」、「親潮」

輸送隊

駆逐隊:「清風」、「村風」、「里風」、「沖津風」

である。

 海戦の結果「グウィン」と「リアンダー」を撃沈し「ラルフ・タルボット」、「ブキャナン」、「モーリー」、「ウッドワース」を大破させたが「三隈」が大破した。

太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ元帥は、後年とニューカレドニア島沖海戦におけるエインスワース少将の戦いぶりについて以下のように評した。

 

 エーンスワース提督は、アナルゴワット湾夜戦とニューカレドニア沖海戦の二回の海戦において適当な夜間隊形で接敵した。

単縦陣の巡洋艦部隊を中央にその前後にそれぞれ駆逐艦を配備していた。

二回ともエーンスワースの巡洋艦は、日本艦隊に近迫し五分間ほど急射撃を浴びせ次いで日本の魚雷を回避するため針路を反転した。

これは、理論としては適当であったが実施の面では二つの欠陥があった。

第一にレーダー手が効果的な射撃の配分を示す代わりに一番大きな艦または、最も近い目標だけを選んだので連合軍部隊は双方の海戦で兵力の点でははるかに優勢であったにもかかわらず各回ともわずかに一隻である。

二海戦とも軽巡洋艦に損害を与えるしかなかった。

第二にエーンスワースが自分の肉眼で容易に目標を視認できるほど日本艦隊に近寄りすぎしかも射撃開始の時機を失したため日本軍は、慎重に狙いを定め魚雷を発射することができた。

日本の魚雷は、彼が針路を反転しているときに列線に到達した。

したがって各海戦において彼の巡洋艦には、転舵中に魚雷が命中し第三十六・一任務部隊は最初の夜戦で「グウィン」と「リアンダー」は二回目の夜戦でともに撃沈したのである。

 

 ただしレーダーにより日本艦隊を発見した後指揮下の艦艇に攻撃命令を出すまで十八分の時間を要しその間日本艦隊に発見と反撃の機会を与えたアナルゴワット湾夜戦においては、ニミッツ提督の指摘通りエインスワース少将の指揮の遅さはあったがこの夜戦では逆探によってアメリカ軍のレーダー射撃の危機を察知した日本艦隊が米艦隊を上回る速度で前進したためアメリカ軍のレーダー探知の僅か四分後に互いを目視で確認できる距離まで急接近した点は状況が異なる。

またニミッツ元帥は、エインスワース少将が日本の駆逐艦に魚雷次発装填装置があることを知らず無警戒だった点を指摘している。

巡洋艦を中央に置き前後に駆逐艦を配置する陣形は、千九百四十二年十月十一日のエスピリトゥサント島沖海戦以来常用していたものである。

しかし大乱戦となった千九百四十二年十一月十三日の第三次ソロモン海戦は、さておいてニューカレドニア島沖海戦で「三隈」へ突撃をするまで駆逐艦は海戦においてあまり活躍していなかった。

この点を踏まえニミッツ元帥は、評を以下のように締めくくっている。

 

 要するにアメリカ側は、この海戦において戦術の面では前年にくらべて大きな進歩を示したが戦闘能力と敵戦闘力に対する認識の点では依然として欠けるところがあった。

 

 いずれにせよ第三十六・一任務群は、艦艇が沈むか損傷などにより壊滅となった。

ソロモン方面のもう一つの有力なアメリカ海軍の水上部隊である第三十六・九任務群は、七月十二日未明にアナトム島を砲撃し七月十五日に哨戒しているものの日本艦隊と会敵する事はなくフィジー島を経て七月の中旬から下旬にかけてはサモア近海で行動していた。

 

                              ※

 

 連合国軍は、魚雷艇を配備して妨害行動に出たものの大発一隻を撃沈したのみで駆逐艦の「東京急行」には通用せず効果がある妨害とはならなかった。

連合国軍の敗北により第三十六・一任務群の解体と第三十六・九任務群の遠方での行動は連合国軍による当面の妨害手段は魚雷艇と駆逐艦、航空機のみとなっていた。

 

                              ※

 

 大本営は、この海戦を「ニューカレドニア沖海戦」と呼んだ。

日本海軍は、アナルゴワット湾夜戦とニューカレドニア沖海戦の結果フィジー方面の連合国軍の残存水上兵力は「巡洋艦三隻と駆逐艦六隻」程度と判断した。

またアナルゴワット湾夜戦とニューカレドニア島沖海戦で巡洋艦を伴った連合国軍艦隊が出現した事を鑑みフィジー方面部隊に増援させていた第七戦隊を活用して残存水上兵力を撃滅し輸送作戦を安全に実施できるようにするという計画を立てた。

七月十八日夜以下のような顔ぶれで輸送作戦を再開する事になった。

主隊

重巡洋艦:「葛城」、「笠置」、「鳥海」

第三水雷戦隊

軽巡洋艦:「阿武隈」

駆逐艦:「雪風」、「浜風」、「清波」、「夕暮」

輸送隊:駆逐艦「北風」、「朝東風」、「松風」

主隊および第三水雷戦隊は、七月十八日二十二時にラバウルを出撃し翌十九日夕刻に輸送隊と合流した。

主隊と第三水雷戦隊は、敵艦隊を捜索するも遭遇せず反転し輸送隊は二十三時四十分にアナトム島の泊地に到着して七月二十日零時三十五分までに揚陸作業を終えた。

しかし艦隊は、姿を見せなかったものの一連の第七戦隊など行動は「ブラックキャット」の異名を持つ夜間哨戒仕様のアメリカ海軍のPBY「カタリナ」によって筒抜けとなっていた。

「ブラックキャット」機の報告によりフィジー島から夜間攻撃隊が出動し引き揚げる第七戦隊と第三水雷戦隊を攻撃する。

陣形の関係上先頭を航行していた「清波」が最初の攻撃でが轟沈し次いで「葛城」にも魚雷が命中して舵故障等の被害を与えた。

輸送隊の「朝東風」と「松風」も至近弾で損傷した。

アメリカ軍の損害について「雪風」は、対空砲火で四機を撃墜したと主張している。

残存艦艇は、十七時三十分にガダルカナルに帰投した。

輸送作戦自体は、成功したものの昼夜分かたぬ航空攻撃を避けるためこれ以降アナトム島への輸送作戦に使用するルートの変更を余儀なくされた。

 

                                ※

 

 七月五日以降の南方での戦いでアメリカ軍は、度重なる苦戦や上陸部隊指揮官の入れ替え可能な限りの予備兵力の投入などを経て八月五日にはアナトム島飛行場の占領に成功した。

しかしアナトム島に残っていた日本軍は、その後も数週間にわたってアメリカ軍を翻弄し一部兵力は敵わないと見るやニューカレドニア島へ逃れて同島の防備隊に加わった。

第三艦隊司令官ウィリアム・ハルゼー大将やその幕僚たちは、アナトム島占領には一応の満足を示したもののその経過については極めて不満でありこれ以上ジャングルでの戦闘を重ねるべきではないという考えすら芽生えていた。

次の攻略目標は、ニューカレドニア島にある日本軍飛行場であったが増援が重ねられていたニューカレドニア島の兵力は相当なものであると見積もられていた。

そこでハルゼー大将は、ニューカレドニア島を無視してその北方にあり防御が手薄なエスピリトゥサント島を奪還することに決めた。

ハルゼー大将は、作戦計画変更のため南西太平洋方面総司令官ダグラス・マッカーサー大将の下にオーブリー・フィッチ少将を派遣して作戦計画変更の承認を何とか取りつけエスピリトゥサント島奪還が正式に決まった。

八月十五日セオドア・S・ウィルキンソン少将率いる第三水陸両用部隊は、占領したばかりのアナトム島飛行場に配備された戦闘機部隊の援護の下エスピリトゥサント島南端に約六千名の部隊を上陸させた。

エスピリトゥサント島の日本軍の守備隊は、六百名だったばかりか上陸地点の地区には配備させていなかった。

日本軍は、基地航空隊による攻撃を行ったがほとんど戦果はあげられなかった。

上陸したアメリカ軍は、陣地を構築しシービーズが飛行場の建設を始めた。

やがてアメリカ軍に対する反撃がないと確信すると上陸部隊は、海岸沿いに二手に分かれて戦線を北上させまたニュージーランド軍部隊を呼び寄せて戦力の増強を行った。

 

                                ※

 

 エスピリトゥサント島逆上陸は、日本軍の防衛計画を根本から揺るがせることとなった。

ニューカレドニア島への兵力増強策がニューカレドニア島防衛強化の時間稼ぎにつながっていたものが海で隔てたエスピリトゥサント島にアメリカ軍が逆上陸したことでガダルカナル島やソロモン諸島が直接の脅威に晒される可能性が極めて大きくなった。

これに対し日本軍は、エスピリトゥサント島北東へ陸軍部隊と海軍陸戦隊を送り込む事を決める。

陸軍部隊は、ラバウルからブインに送られた第六師団(神田正種中将)から派遣された二個中隊をあてる事とした。

 海戦の結果「第五号駆潜特務艇」と「第十二号駆潜特務艇」、大発一隻が沈没し戦果は得られなかったが輸送は一応成功したのでアメリカ側の戦術的勝利で日本側の戦略的勝利で終わった。

大本営は、この海戦を「第一次エスピリトゥサント島沖海戦」と呼んだ。

 これを受けて好機を見てエスピリトゥサント島上陸部隊を撃滅するという方針が確認された。

しかし上陸部隊が九月上旬から進撃を開始するとエスピリトゥサント島の戦況は、一気に悪化する事となった。

ベララベラ島の日本軍は、舟艇などによる補給輸送がことごとく妨害され水上偵察機によってわずかに補給を受けているに過ぎず兵力も圧倒的なアメリカ軍およびニュージーランド軍の圧迫により徐々に減少してその運命は時間の問題と考えられるようになっていった。

 

                                ※

 

 八月十五日にエスピリトゥサント島に逆上陸したアメリカ軍とアメリカ軍と入れ替わりで増派されたニュージーランド軍は、圧倒的な兵力で日本軍守備隊に圧力をかけ続け九月に入ってから二手に分かれて攻勢に転じた。

当時エスピリトゥサント島にいた日本軍は、陸海軍および付近海域で遭難しエスピリトゥサント島に到達した艦船乗員など合わせて六百二十九名であり寡兵をもってニュージーランド軍と交戦し続けたものの徐々に島の北西部に追い詰められていった。

舟艇などによる補給輸送がことごとく妨害され水上偵察機によってわずかに補給を受けているに過ぎずその運命は、時間の問題と考えられるようになっていった。

九月二十八日には、第十七軍と南東方面部隊から決別とも解釈できる電文が送られた。

そもそもエスピリトゥサント島守備隊は、ニューカレドニア島守備隊のバックアップ的な存在であったがニューカレドニア島守備隊はセ号作戦で撤退を完了しその役割も終えることとなった。

第八艦隊の撤退方針に対し上級司令部の南東方面艦隊は、作戦延期を指導し第八艦隊参謀長がラバウルに飛んで「鶴屋部隊には、すでに撤退を命じてしまったので承認してほしい」と懇願した結果鶴屋部隊の撤退許可がおりる。

十月六日には、エスピリトゥサント島からブインへの撤収が急遽行われることとなった。

夜襲部隊:軽巡洋艦「阿武隈」(第三水雷戦隊司令官伊集院松治大佐座乗)、駆逐艦「秋雲」 、「風雲」 、「夕雲」 、「磯風」 、「時雨」 、「五月雨」

輸送部隊:駆逐艦「太刀風」、「汐風」、「松風」、小発六隻、折畳浮舟三十隻

収容部隊:第20号駆潜特務艇、第23号駆潜特務艇、第30号駆潜特務艇、艦載水雷艇三隻、大発一隻

 海戦の結果「シャヴァリア」を撃沈し「セルフリッジ」と「シャヴァリア」を大破させた。

引き換えに「夕雲」が沈没した。

大本営は、この海戦を「第二次エスピリトゥサント島沖海戦」と呼んだ。

 「秋雲」と「風雲」、「時雨」と「五月雨」がそれぞれ発見したのは同じウォーカー隊であったが海戦当時は前者が発見したのが巡洋艦群で後者が発見したのが駆逐艦群と考えられていた。

一つの駆逐群を別々に攻撃した結果戦果は、「巡洋艦または大型駆逐艦二隻撃沈し駆逐艦三隻撃沈」と判定された。

実際の戦果と大きくかけ離れているのは、言うまでもない。

戦果は、第八艦隊司令官鮫島具重中将から天皇にも報告され第二十七駆逐隊司令原為一大佐に軍刀一振で「時雨」駆逐艦長山上亀三雄少佐と「五月雨」駆逐艦長杉原与四郎少佐には短刀一本が贈られた。

「夕雲」の生存者は、一部はレンドバ島からの魚雷艇に救助されたが一人の夕雲乗員が艇上で乱闘を起こした末に見張り兵を殺害したため復讐の意味で皆殺しにされた。

他方機関部員を中心とする二十五名は、途中アメリカ軍が放置していった内火艇を分捕った。

やがて魚雷艇が接近して移乗するよう命じられるも「No」と叫んで拒否すると生存者分の食糧と飲料水を内火艇の甲板に置いて去っていった。

内火艇は、一日半経ってからブインに到着し鮫島中将に「『夕雲』は、行方不明で全滅と聞いたが敵のボートを分捕って帰るとはよくやった。

御苦労」と賞賛された。

 

                                 ※

 

 太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ元帥は、後年ウォーカー隊の敗因としてウォーカー大佐が雷撃を回避する運動を行わず射撃効果を上げるために隊形と針路を維持し続けたことを挙げている。

 

                                 ※

 

 連合国および南西太平洋方面最高司令官ダグラス・マッカーサー大将が千九百四十三年四月二十六日に発令したカートホイール作戦の計画では、ガダルカナル島を攻略せず無視することがすでに決まっていた。

第三艦隊(南太平洋部隊ウィリアム・ハルゼー大将)は、ガダルカナル島包囲のためにマライタ島を攻略することとサボ島島とその周辺の島々のうちラッセル諸島をパスするところまでは作戦進捗に伴う計画修正により決めていたもののマライタ島のどこで上陸作戦を行うかについては候補地が二つあった。

潜水艦から派遣された偵察班の調査により選ばれた二つの候補地は、マライタ島北東部とその反対側の港湾であった。

しかし港湾は、ドックとしては優れていたもののガダルカナル島から遠かったことなどの理由により北東部に上陸する事が決まった。

また予備作戦としてジェラスール島にニュージーランド軍一個旅団を欺瞞作戦でムボコニンペティー島にも上陸部隊を送ることとなったが第三艦隊目下の悩みは、手持ちの兵力の少なさであった。

アレクサンダー・ヴァンデグリフト海兵中将率いる上陸部隊は、二個師団とニュージーランド軍一個旅団合わせて約三万四千名である。

上陸部隊を護衛・輸送するセオドア・S・ウィルキンソン少将率いる第三水陸両用部隊は、輸送船十二隻と駆逐艦十一隻である。

そしてこれらの部隊を支援する水上兵力は、アーロン・S・メリル少将の第三十九任務部隊だけでありあとは、第五艦隊(レイモンド・スプルーアンス中将)から借用の第三十八任務部隊(フレデリック・C・シャーマン少将)があっただけである。

アメリカ海軍がソロモン方面に投入していた空母は、千九百四十三年七月以降第三十八任務部隊の「サラトガ」一隻だけであった。

アメリカ海軍は、ガルヴァニック作戦の関連で主力やエセックス級航空母艦などの新鋭艦などは中部太平洋方面に投入していた。

太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将の認識では、中部太平洋方面への進撃により日本軍の注意はこちらへ集まりマライタ島作戦は第三艦隊手持ちの艦艇だけで遂行できると判断していた。

ブーゲンビル島への上陸作戦を決定した後ハルゼー大将は、真珠湾の太平洋艦隊司令部に向かい増援を要請する。

その結果新鋭の軽空母「プリンストン」 (USS Princeton, CVL-23) と巡洋艦群、駆逐群が派遣される事となったがタロキナ上陸作戦の予定日である十一月一日までには合流できなかった。

このような制約があったにもかかわらず十月二十七日には、ジェラスール島とマライタ島に先行部隊が上陸し次いで十一月一日早朝上陸作戦が敢行され上陸作戦から日本軍の注意をそらすために第三十九任務部隊はニュージョージア島とコロンバンカラ島に対して艦砲射撃を行い第三十八任務部隊の艦載機はニュージョージア島を爆撃した。

 

                                  ※

 

 日本側は、アメリカ軍の動向を慎重に見極め十一月一日まで艦隊を出撃させなかった。

戦力は、

本隊(大森少将直率):重巡洋艦「妙高」、「羽黒」

警戒隊(伊集院松治少将):軽巡洋艦「阿武隈」、駆逐艦「時雨」、「有明」、「夕暮」、「白露」

である。

 海戦結果は「モントピリア」を撃沈し「デンバー」、「フート」、「スペンス」を損傷させたが「阿武隈」が撃沈し「五月雨」と「白露」が衝突し損傷した。

大本営は、この海戦を「マライタ島沖海戦」と呼んだ。

 

                                  ※

 

 本海戦は、日本側の戦術的判定勝ちで戦略的敗北(連合国軍輸送船団撃滅失敗と海戦による損傷沈没艦比較)であった。

それでも日本側は、「重巡洋艦一隻轟沈、同二隻魚雷命中撃沈確実、大型駆逐艦二隻轟沈、重巡あるいは大型駆逐艦一隻魚雷命中撃沈確実、駆逐艦一隻同士討ちで損傷、重巡一ないし二隻および駆逐艦に命中弾」といった戦果判断をしていた。

また第二十七駆逐隊司令原為一大佐は、「巡洋艦一隻轟沈、同二隻撃破、駆逐艦一隻轟沈、同一隻撃破」という判断であった。

いずれにせよ実際の戦果とは、相当な開きがありタロキナへの基地建設阻止および輸送船団撃滅は失敗した。

この海戦後大森少将は、「拙劣な戦闘の実施に憤慨した(連合艦隊司令長官)古賀提督」により十一月二十五日付で第五戦隊司令官を解任されて海軍水雷学校長に左遷となり十一月三十日に退任した。

海戦における連合襲撃部隊の戦闘については、開戦直後から批判の的であった。

第三艦隊の長井純隆首席参謀は、当時もっとも批判されていた事として「戦闘隊形が複雑であったため運動の自由がなかったこと」を挙げている。

アメリカ軍(および指揮官メリル少将)の積極的な指揮と行動に対し日本軍の指揮は、稚拙かつ消極的であった。

「時雨」が零時四十九分に敵艦隊発見を報じてから主隊(『妙高』と『羽黒』)が砲撃を開始したのは、二十六分後の一時十六分である。

警戒隊(『阿武隈』、『時雨』、『五月雨』、『白露』)がアメリカ軍に対し苦戦する二十分以上の間主隊(『妙高』と『羽黒』)は、遊兵化してなんら支援行動を起こさず適切な戦闘指導もなかった。

第五戦隊による電探射撃についても「羽黒」の元砲術長と第五戦隊首席参謀の間で見解が分かれている。

 

                                  ※

 

 「ネルソン式の全滅戦闘」を採らず「攻撃部隊を単に撃退する」という使命を果たした第三十九任務部隊であったが全ての戦闘がうまくいったわけでは、なかった。

太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ元帥は、後年の回顧でメリル少将の失敗としてレーダー射撃の精度と目標配分の点がマイナスであったと指摘した。

また海戦においては第四十六駆逐群の行動が味方に少なからぬ混乱を与えていた。

第四十六駆逐群は、海戦当時第三十九任務部隊に編入されたばかりで訓練の機会がなく海戦では巡洋艦群の射線方向に入り込んで射撃を阻害し「フート」が巡洋艦群の前を横切ったため「デンバー」が「フート」に衝突しかけるというアクシデントもあった。

ニミッツ元帥によればメリル少将が「戦術上の教義とその実行が適切であった」という。

 

                                  ※

 

 千九百四十三年六月三十日の連合軍によるタンナ島上陸に始まる南方を巡る戦いは、九月二十八日に始まる「セ号作戦」によって日本の現地部隊はエスピリトゥサント島から撤退し十月六日にはニューカレドニア島からも撤退した。

これに先立って七月二十七日には、サンタイサベル島のレカタ基地も撤収しており秋には南方から日本軍の姿が消えることとなった。

また日本軍が南東方面の確保すべき要域としていたサボ島も九月四日北東部に連合軍が上陸しその南方には空挺部隊が降下しこの結果連合軍部隊との間で三方から包囲される体勢となった。

これによりサボ島は、急速に事態が悪化し後退しつつ集結した日本軍守備隊は転進を決めた。

しかし連合軍の攻勢は、止まず九月二十二日にはそのバングヌ島の先端部北部に上陸しその南方の半島先端部の要衝へと迫った。

当時この付近の日本軍部隊は、広く分散しておりまたバングヌ島南部に上陸した連合軍に対する備えのため部隊の多くを南部に展開していた。

連合軍は、その日本軍の手薄で要衝の間近である半島先端部の北部に上陸してきたのである。

このため日本軍は、対応に手取り十月四日には早くも連合軍は飛行場を占領しこれを使用し始めた。

その後陸路から送られた第二十師団の攻撃が十月十六日より開始されたが同地の奪回はならず二十四日には西の高地へ後退した。

十月十二日には、バングヌ島基地から飛び立った米第五空軍所属の大型爆撃機八十七機、中型爆撃機百十四機、ビューファイター十二機、P-38戦闘機百二十五機、その他合計三百四十九機による連合軍による初のガダルカナル島昼間爆撃があった。

こうした状況下南東方面の10月後半の前線は、東部ニューギニアと西部ニューブリテン島をつなぐダンピール海峡周辺からソロモン諸島のブーゲンビル島、ショートランド諸島の線にまで後退していた。

また昨年末来積極的な活動の見えなかった米機動部隊は、五月以降新造空母のエセックス級とインディペンデンス級の増勢などを受けた結果秋には正規空母六隻と軽空母五隻となり日本海軍に対してようやく同等な陣容を構えるにいたり八月三十一日のベーカー島空襲を皮切りに再び活動を開始した。

九月一日に南鳥島、同月十六日にはギルバート諸島でそして十月にはウェーク島を相次いで空襲し大本営は「敵機動部隊による本土空襲のおそれあり」と警報を発した。

千九百四十三年の九月初め連合艦隊は、内地で米軍の無線の傍受を行っていた通信隊から米軍の無線通信の増加や電文中に見慣れぬ艦名の符号が現れたことから近く何かの作戦を起こす可能が高いとの報告を受けていた。

 十月六日米機動部隊は、ウェーク島を空襲した。

これに対し連合艦隊は、九月一日の南鳥島空襲、十九日のギルバート諸島の空襲と同様に攻略の意図のない一過性のものでありまたこの空襲は南東方面への新攻勢に関連した陽動作戦と判断しむしろダンピール地区への警戒を命令し七〇二空陸攻十八機をマーシャル方面へ送ることを命令した以外は事態を静観する体勢であった。

 この頃主に船舶問題の観点から太平洋における戦域の全般的な見直しが図られその結果いわゆる「絶対国防圏」と呼ばれるものが設定されそれに合わせて新たな戦争指導要綱が策定した。

これは、従来の攻勢的な指導から長期持久体制の確立を謳った第三段作戦方針からさらに踏み込んで南東地域のガダルカナル島やニュージョージア島、バングヌ島は絶対国防圏の外郭とされこの地域は主に現有戦力をもって敵の撃破に努め明年春以降の後方要域の完成まで可能な限り持久戦闘を続けるというものであった。

この構想は、ヨーロッパ情勢や相次ぐ消耗からの船舶不足に起因する政府(陸軍省)側からの意向が強く反映されたもので作戦指導的立場ではなくどちらかと言えば戦争指導的な立場から発案されたものだった。

しかしながらこの構想は、前線と後方要域という「陣地」を重視する陸上作戦的な思想の元に策定されたものであり機動部隊をもって自在に攻撃目標を捉え前線において可能な限り敵の攻撃を食い止めている間に好機あらば決戦を挑もうとする海軍の思想とは相反するものであった。

そのため決戦兵力を擁する連合艦隊では、この構想に疑問をおぼえむしろ陸軍側の消極的な構想に批判的な立場をとった。

また後方要域の強化も船舶と兵力抽出の問題から容易なことではなく新たな前線として設定されたバングヌ島には第十九軍が、コロンバンカラ島は第二軍の担当地域とされはしたが当面連合軍を迎え撃つ地域であるへ投入される部隊は十一月に到着予定の第三十六師団のみで後続の第三師団の到着は翌年四月までかかる状況であった。

またその一方で参謀本部は、ベラ・ラベラ島には先に第四十六師団の投入を十月に決めており強化すべき地域の順序が逆ではないかと第十九軍の稲田正純から批判されている。

この構想が発令された九月下旬は、連合軍がダンピール海峡の要衝フィンシュハーフェン近郊に上陸した時期であり後方要域の強化に取り掛かかる前に早くもその外郭が崩れさろうとしていた。

当時参謀本部第六課の参謀であった堀栄三によればニューギニアへ現地視察へ赴いた際第四航空軍司令官寺本熊市から「大本営作戦課は、この九月絶対国防圏と言う一つの線を千島-ソロモン諸島-ニューギニアに引いて絶対にこれを守ると言いだした。

一体これは、線なのか点なのか?

要するに制空権がなければみんな点になってしまって線では、ない。

大きな島でも増援と補給が途絶えたたらその島に兵隊がいるというだけで太平洋の広い面積からすると点にさせられてしまう」という批判を聞いたという。

また当時軍令部戦争指導班長だった大井篤も「誰の目にも明らかなように作戦の鍵は、航空戦力であると見られていた。

いまガダルカナルやムンダの前線でさんざん敵に圧迫されて苦戦している重大原因もこちらの航空戦力が足りないからであった。

そしてニュージョージアやマリアナの線に後退してみたところで航空戦力が不足では、そこでも敵を食いとめる見込みがない。

この新しい防御戦を『絶対国防圏』と名前だけえらそうにつけてみたところで絵にかいた虎の役にもたたないだろう」と回想している。

現地の主力であった第一基地航空部隊は、九月二十二日の連合軍のバングヌ島上陸や九月二十五日に始まるセ号作戦支援のため乏しい戦力を南方でやりくりを続けていたが十月十二日「セ号作戦」終了を期に一ヶ月程度を目処としてマキラ島の連合軍補給遮断作戦である「ホ号作戦」を開始した。

この間主にバングヌ島とその周辺の連合軍拠点を攻撃し十五日には、陸軍の総攻撃に呼応してバングヌ島の敵陣地や物資集積所を陸攻で夜間爆撃を実施した。

この頃の南東方面艦隊は、連合軍のパングヌ島の飛行場占領以降急迫するブラケット海峡方面の連合軍の動静に注目しており同海峡地区の確保を目指す南東方面艦隊はパングヌ島の対岸に位置するテテパレ島に対する敵の上陸を非常に懸念していた。

このような状況下十月一日~十月十二日までの間に連合艦隊および南東方面の各海軍部隊から各所に以下のように繰り返し警報が発せられている。

十月一日  南東方面部隊から

十月六日  連合艦隊から(この日ウェーク島に米機動部隊の空襲があった)

同日   ビスマルク諸島方面防備部隊から(ニューブリテン島西岸付近に敵新企図の兆候) 

十月十一日 南東方面部隊から(ニューギニア方面の敵艦船増加)

十月十二日 南東方面部隊から(ラバウルに初の戦爆連合昼間空襲)

同日   ビスマルク諸島方面防備部隊から(同上の理由により)

その後二十日には、連合軍ダンピール岬に上陸という現地人の情報を得た南東方面艦隊は二十三日以後二十八日まで四回の予定で同地の防衛強化のための輸送隊を送ることとし基地航空部隊に上空警戒を実施させた。

しかし二十五日になりブインに司令部を置く第八艦隊司令長官の鮫島具重は、「敵上陸の算大ナリ。

第一警戒配備トナセ」と指令した。

これは捕虜の証言によりこの日ニュージョージア島に上陸の計画があるとの情報があったためと推定される。

しかし当時南東方面艦隊は、ダンピール海峡やテテパレ島方面を重視しておりまたソロモン方面に振り向ける戦力もなく十月二十五日と二十六日とも通常の哨戒を実施するのみで二十六日も航空哨戒も見張り所からも特に報告はなく同日ソロモン方面防備部隊指揮官は第一警戒配備を解除してしまった。

十月二十七日午前一時二十五分ニュージョージア島方面の哨戒に向かった九三八空の水偵のうち一機がニュージョージア島付近に駆逐艦五隻を発見しその後同島西方沖に停止したのを確認しコロンバンカラ島南方を哨戒したあと帰着した。

九三八空は、四時十五分に「敵水上部隊十三隻見ユ。

ニュージョージア島に向フ」と打電した。

その後ニュージョージア島守備隊から「〇三四〇 敵上陸開始。

我交戦中」との報告が届きブインの第八艦隊司令部は、六時二十九分「敵大部隊、ニュージョージア島に上陸開始セリ」と各部に打電した。

 ガダルカナルの基地航空部隊は、緊迫した情勢の中二十七日の連合軍のニュージョージア島上陸を迎えた。

現地の基地航空部隊のほかに日本海軍の決勝戦力と位置づけられていた第一航空戦隊(一航戦)も作戦に投入されている。

一航戦の陸上基地投入がその俎上に上がったのは、二月の八一号作戦の計画時に始まる。

この計画時において輸送船団の上空警戒に多大な不安を抱えていた陸軍参謀本部は、海軍軍令部へ母艦飛行機隊の全力投入を要請した。

軍令部もその必要性は、認めたものの第七艦隊の反対などもあり結局「雲鷹」零戦隊のみで十分と判断し全力援護は実施しなかった。

結果的に八一号作戦は、成功したが陸軍側は海軍の作戦協力に関して相当な不満を抱えることとなった。

六月三十日連合軍は、タンナ島に上陸しやがて始まったニュージョージア島の戦いに関する七月九日に行われた陸海軍部間の作戦指導方針の打ち合わせの中で陸海軍双方から母艦飛行機隊の陸上基地投入が提案されたがすでに第二航空戦隊を南方へ投入している連合艦隊側はこれを拒否した。

その後現地守備隊である南東支隊からエスピリトゥサント島からの撤退が表明された八月五日同地確保を目指す南東方面艦隊と第八艦隊から兵力増強が中央へ意見され連合艦隊側からも母艦飛行機隊の投入を含む兵力増強による南方方面の態勢挽回の意向が伝えられた。

軍令部もこれを受けて翌七日に参謀本部と協議を重ねたが一航戦投入の条件として海軍側が提示した陸軍一個連隊の増援は見込めず陸軍側もエスピリトゥサント島の奪回に懐疑的な姿勢を崩さなかったため結局この提案は実現を見ず十三日に南方からの撤退が決まった。

この一件以降連合艦隊は、一貫して一航戦投入に対して反対を表明をしており八月二十八日南東方面艦隊からの増援要請を拒絶し九月二十二日連合軍がバングヌ島に上陸した際も大本営で一航戦投入が検討されたが軍令部側から提案された一航戦の南東方面投入後の措置として南西方面への陸軍航空隊の増強に対し参謀本部側が難色を示したため結局一航戦の南東方面投入は沙汰止みとなった。

さらに九月二十六日「セ号作戦」中手薄となベラ・ラベラ島の支援を南東方面艦隊が要請した際も連合艦隊は、再び拒絶している。

さらに同日トラックを訪れた軍令部第一部長中澤祐と綾部橘樹参謀本部第一部長からの直接の要請に対しても連合艦隊は拒絶し却って陸軍航空戦力の増加を要請されている。

また十月一日にベラ・ラベラ島に敵上陸の報告があり急遽その事態に対応するため陸海軍部の主務者間で作戦研究が行われたがこれは、誤報であった。

この場で陸軍部からニューギニア方面への一航戦投入が強く要求されたがこの時は、軍令部側も連合艦隊の意向を受けてこの要求を拒絶し翌日参謀部次長から軍令部次長に再度要求が出されたがやはり拒否の姿勢を貫いている。

これら母艦飛行機隊の投入要請の根拠となったものは、三月に締結された陸海軍中央協定の「状況に依り好機母艦飛行機を転用増強することあり」とした一文によるものだったがこういった要請に対し連合艦隊は基本的に拒否の姿勢を示しており九月以降は米海軍機動部隊の策動に対し中部太平洋での決戦近しと考えていたため各方面からの増援要請をことごとく拒絶している。

また当初は、一航戦の陸上基地投入に前向きであった軍令部側も中部ソロモン海域での決戦生起の可能性が高まった十月以降は一貫してこの要請を拒んでいる。

 

                                ※

 

 千九百四十三年一月のカサブランカ会談後米軍は、南方の攻略を決定しその準備として七月にはエリス諸島に爆撃機用の飛行場を九月初めにベーカー島に戦闘機用の飛行場の建設に取り掛かった。

この頃真珠湾には、新型の正規空母四隻(『エセックス』、『ヨークタウン』、『レキシントン』、『バンカーヒル』)と軽空母五隻(『インディペンデンス』、『プリンストン』、『ベロー・ウッド』、『カウペンス』、『モンテレー』)などが到着し「サラトガ」などと合同し強力な機動部隊を複数編成していた。

これらの機動部隊は、九月一日の「エセックス」、「ヨークタウン」、「インディペンデンス」による南鳥島の空襲を手始めとして同月十九日には「レキシントン」、「プリンストン」、「ベロー・ウッド」がギルバート諸島を空襲した。

これは、エリス諸島に対する空襲の脅威を取り除くことが主な目的であったが同時に新たに編成された機動部隊の乗組員と搭乗員に実戦の経験を積ませることもその目的の一つであった。

これらの目的は、首尾よく果たされたがそれに加え攻略が予定されているマキンとタラワ両島の詳細な写真撮影に成功したことも大きな成果であった。

その後十月には空母「エセックス」、「ヨークタウン」、「レキシントン」、「インディペンデンス」、「ベロー・ウッド」、「カウペンス」の計六隻からなる第十四任務部隊がウェーク島に空襲を加え中部太平洋の日本軍の航空戦力はさらに打撃を受けた。

千九百四十三年八月連合軍統合参謀本部は、太平洋方面の各作戦を発表した。

そこでマッカーサーとハルゼーにニューギニアとソロモンからガダルカナルに対する二方向進撃の続行を指示しさらにガダルカナルについては「ガダルカナルは、占領するよりもむしろ無力化するべきである」とされた。

ガダルカナル周辺の拠点を奪取しここからガダルカナルに航空機による連続攻撃を加えればガダルカナルを孤立化できると考えたのである。

そこで当初ハルゼーは、ニュージョージア島を攻略するための準備としてその付近のレンドバ島とテテパレ島の占領を考えていたがFS作戦を巡る攻防戦の教訓からいたずらに時間と兵力を消耗してムンダを攻略するよりもむしろこのニュージョージア島南端に位置する日本軍拠点を迂回することを考えたのである。

さらにこれらの地域を迂回すると同時にガダルカナル攻撃のためニュージョージア島に航空基地の建設が可能な要地を絞込み北東部沿岸と南西部沿岸が選ばれた。

前者は、良好な港湾を持ち小型の飛行場も存在していたが攻略のためにはボナボナ島を確保しなければならずまたこの島を攻略するにはいずれも連合軍拠点のフィジー島やサモア島から遠く回り込まねば成らなかった。

後者は、上陸のための接岸ができる場所もわずかでありしかもまもなく来るモンスーンシーズンの影響で風雨にさらされる地域でもあった。

しかしながら南西部沿岸は、上陸船団の発進地点から近いメリットがありまたこの地域は日本軍の守備も手薄でありいったん確保されたら反撃の準備を整えるまでには数週間かかるほど周囲とは隔絶された地形であった。

さらにその後の現地調査の結果この沿岸部は、沼地であったがその奥に飛行場に適した地形があることもわかった。

また南西部沿岸攻略準備のための確保すべき地域であったボナボナ島は、マライタ島よりも確保は容易であった。

この結果ハルゼーは、九月二十二日ボナボナ島の占領を決め十月二十七日の夜明けニュージーランド軍の一個旅団(六千三百名)が駆逐艦と航空機による支援の元ボナボナ島のに上陸を開始したのである。

 

                                 ※

 

 ろ号作戦の計画立案の理由については、計画者である連合艦隊司令長官古賀峯一大将が戦後直後に死去したため戦史叢書では関係者の聞き取り調査から次のように推測している。

連合艦隊では、十月十二日のガダルカナル空襲以来のガダルカナル周辺地域の情勢急変に対応するため一時南東方面へ一航戦投入するのもやむを得ないと考えていた。

基地航空隊の戦力低下による彼我の航空戦力の懸隔が日に日に大きくなっていることと連合軍のボナボナ島上陸によって当面連合軍の反攻は南東方面でありマーシャルやギルバート方面への侵攻は年末頃と判断していたこと。

陸上基地に一航戦を投入することで南東方面の戦局に寄与すべきと考えたこと。

さらに第七艦隊関係者には、作戦について事前に知らされていなかったことから十月中旬頃より連合艦隊内部で構想していたものが二十七日の連合軍ボナボナ島上陸の報によりその計画が具体化したのではないかと結論づけている。

作戦目的としては、以下の三点をあげている。

ソロモン方面の敵進攻の一時阻止と防衛体制強化の時間を稼ぐ。

そのための敵航空兵力と海上兵力の攻撃。

上記の成果によりガダルカナルを中心とする南東方面の持久を一日でも延ばす。

ろ号作戦の当初の攻撃目標は、主にニュージョージア方面の連合軍でありショートランド島に来襲した連合軍上陸部隊とそれを支援する機動部隊を目標とするものではなかったという見方もありその理由として戦史叢書では以下を挙げている。

横空戦訓調査委員会刊行の「大東亜戦争戦訓(航空の部)第十三篇」に「『ろ』号作戦(ニュージョージア方面輸送遮断作戦)」という見出しがあること。

基地航空部隊である二十五航戦の戦闘詳報にある主要任務の中に「ニュージョージア方面に対する航空撃滅戦と艦船攻撃(一航戦と共同)」と明示されていること。

陸軍第四航空軍の金子参謀が十月三十一日ガダルカナルで十一航艦からろ号作戦について「ムンダ敵艦船を主目標とする」と説明されていたこと。

第七艦隊の先任参謀長長井純隆および通信参謀中島親孝の戦後の証言によれば計画当初は、ニュージョージア方面重視であったという。

こうした経緯がありながらも十一月三日の連合軍モノ島上陸によりその目標がニュージョージア方面からブーゲンビル島周辺の連合軍攻略部隊に向けられたために「ろ号作戦」の本来の目的がわかりづらいものになってしまったという意見もある。

 

                                  ※

 

 ガダルカナル島は、ソロモン諸島最大の島であり南太平洋西部のメラネシア地域に位置する。

日本側が飛行場を建設したが一時期アメリカ軍に占領されたが千九百四十二年八月二十四日に日本軍が奪還した。

以後後方のラバウルなどとともにFS作戦に於いて日本軍の重要な基地となっていた。

これ以降ガダルカナルの日本軍に対する空襲の主役は、フィジー島などを根拠とする連合軍の大型爆撃機に移り散発的な空襲を繰り返し受けることとなった。

空襲は、主にB-17が少数単位で時を定めず来襲し他にはB-26も投入された。

千九百四十三年に入ってからは、B-24も投入され一連の空襲は「点滴爆撃」とも呼ばれ被害自体は大したものではなかったものの来襲高度が高くて容易に撃墜できなかった。

小園安名中佐率いる第二五一海軍航空隊が夜間戦闘機零式複座双発陸上戦闘機一一型とともにガダルカナルに到着し難攻不落のB-17を撃墜したのは、五月二十一日の事である。

 

                                  ※

 

 千九百四十三年春にFS作戦に敗れて以降前線が伸び切った日本軍の南方での防衛線は、徐々にガダルカナル側へと押し上げられていく。

開戦以降の敗退に次ぐ敗退から体勢を立て直した連合国軍との航空戦力の差も数と質の両方の面で広がり数の方は、千九百四十三年四月の「い号作戦」に代表されるような母艦航空隊の投入が幾度か行われたが損害が増すばかりであった。

やがてニューカレドニア島、エスピリトゥサント島、サボ島からの撤退で防衛線はさらに押し上げられ九月下旬からはムンダなどへの空襲が激化し同方面の陣風隊もラバウルに後退する外なかった。

この時点で南方の戦いで勝利を手中に収めつつあった連合国側ではあったが緒戦で多くの空母を失ったアメリカ軍の機動部隊の中核である空母の配備数は日本軍と拮抗した状態で多方面から反攻作戦を実施するには戦力不足であった。

太平洋艦隊は、ベテランの「サラトガ」 しか空母の持ち合わせがなかった。

連合国軍の空母陣も千九百四十二年末以降は、アメリカ海軍の「エセックス」 (USS Essex, CV-9) 、「バンカー・ヒル 」(USS Bunker Hill, CV-17) などのエセックス級航空母艦と「インディペンデンス」 (USS Independence, CVL-22) などインディペンデンス級航空母艦が続々と竣工して訓練の後太平洋艦隊に配備される。

特に「エセックス」の真珠湾到着は、太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ大将をして新しい中部太平洋部隊の編成の第一弾として位置づけられた。

八月に入り第五艦隊が編成され艦隊司令長官にレイモンド・スプルーアンス中将が指揮下の高速空母任務部隊の司令官にチャールズ・A・パウナル少将がそれぞれ就任した。

パウナル少将の高速空母任務部隊は千九百四十三年九月一日に南鳥島を空襲したのを皮切りにして九月十八日と十九日にギルバート諸島を、十月に入ってからウェーク島をそれぞれ攻撃して成果を収めた。

もっともこれら新鋭空母の話は、全て中部太平洋方面での事であってソロモン方面には関係のない話である。

しかし新鋭空母の回航を望んでいたのは、ハルゼー大将も同じであった。

「サラトガ」と新鋭空母の組み合わせで空母作戦を行う事を望んでいた。

この望みを一度は、断ったのはニミッツ大将である。

ニミッツ大将の言い分では、続々戦列に加わる新鋭空母の乗員およびパイロットのレベルは高くなくまずは経験を積ませるために一撃離脱式の攻撃を繰り返す必要があった。

また中部太平洋方面に攻勢をかけたならば日本軍の注意は、中部太平洋に向けられソロモン方面の戦闘は第三艦隊の手持ち部隊だけで対処できると考えていた。

第五艦隊は当時ギルバート諸島攻略のガルヴァニック作戦を控えており主だった戦闘艦艇は、第五艦隊に割り振られていた事情もあった。

連合国および南西太平洋方面最高司令官ダグラス・マッカーサー大将が千九百四十三年四月二十六日に発令したカートホイール作戦の計画では、強力な日本軍が構えるガダルカナルを攻略せず避けることがすでに決まっていた。

第三艦隊は、ニュージョージア島を攻略することまでは決めていた。

攻略地点についてはアナトム島の戦いの苦い経験から日本軍が集中しているであろうムンダ地区、レンドバ島とテテパレ島をパスし南西部沿岸に飛行場適地があったことと南西部沿岸方面の日本軍部隊がわずかであるなどの理由により九月二十二日に南西部沿岸への上陸に決した。

その時点での第三艦隊の兵力といえばアレクサンダー・ヴァンデグリフト海兵中将率いる二個師団とニュージーランド軍一個旅団合わせて約三万四千名の陸上部隊に輸送船十二隻とその護衛にあたる駆逐艦十一隻、アーロン・S・メリル少将の第三十九任務部隊、そして「サラトガ」だけであった。

南西部沿岸への上陸作戦を決定した後ハルゼー大将は、真珠湾の太平洋艦隊司令部に向かい増援を要請する。

その結果新鋭の軽空母「プリンストン」(USS Princeton, CVL-23) と巡洋艦群、駆逐群が派遣される事となった。

第三十八任務群は、以下の艦艇で構成されることとなった。

空母:「サラトガ」、「プリンストン」

軽巡洋艦:「サンファン」、「サンディエゴ」

駆逐艦六隻

 南西部上陸作戦の予定日である十一月一日までには、合流できなかった。

唯一の救いは、ジョージ・ケニー少将率いる第五空軍とネーサン・トワイニング少将のソロモン方面航空部隊が任務遂行のために必要な航空機を確保しているとみられたことであった。

十月十二日第五空軍機と同じくケニー少将の指揮下に入っていたオーストラリア空軍機およびニュージーランド空軍機合わせて三百四十九機の爆撃機は、ガダルカナルに対する初の大空襲を敢行する。

第一の目標は、深山が常駐していたルンガ西飛行場であったが天候に恵まれず思ったほどの成果はあげられなかった。

この空襲により駆逐艦「太刀風」、「沖津風」、「南風」、給油艦「鳴戸」などが損傷し「鳴戸」では十数名が戦死した。

続いて十月十八日には、約五十機のB-25による空襲が行われ以後六日連続して爆撃を行った。

二十四日には、ガダルカナル島南方で駆逐艦「沖津風」が空襲により撃沈された。

十月二十七日ボナボナ島にアメリカ軍が上陸した。

十一月一日早朝ニュージョージア島への上陸作戦が敢行され上陸作戦から日本軍の注意をそらすために第三十九任務部隊は、ベラ・ラベラ島とショートランドに対して艦砲射撃を行った。

「プリンストン」が合流した第三十八任務部隊の艦載機は、ソロモン方面航空部隊とともにブカ島を爆撃した。

十一月二日の第五空軍機等によるガダルカナル空襲は、約二百機あるいは七十二機のB-25と八十機のP-38で行われる。

この時ガダルカナルには、二日未明のマライタ島沖海戦を戦って帰投してきたばかりの連合襲撃部隊(大森仙太郎少将)が入港したばかりであった。

この時の空襲では、重巡洋艦の「妙高」が至近弾によりタービンに亀裂が入り駆逐艦の「白露」も方位盤を損傷した。

その他船舶十五隻が撃沈され十一隻が損傷した。

それでも八機のB-25が撃墜されるか帰投途中で失われその中には第三攻撃集団長レイモンド・H・ウィルキンス少佐の乗機が含まれておりウィルキンス少佐はそのリーダーリップが称えられて名誉勲章を死後授与された。

またP-38は、九機が失われた。

ここまでの空襲は、それなりの成果を挙げたものの日本軍の強力な対空砲火と迎撃機を警戒するあまりほとんどの場合において高高度からの攻撃を行ったため目標に爆弾を命中させる事がなかなか出来ず「ケニーの爆撃機は、どうでもいいような成果をあげただけであった」とアナポリス海軍兵学校歴史学名誉教授だったE・B・ポッターは述べている。

 十月二十七日ボナボナ島に先行部隊が上陸し次いで十一月一日早朝ニュージョージア島への上陸作戦が敢行され上陸作戦から日本軍の注意をそらすために第三十九任務部隊は、ベラ・ラベラ島とショートランドに対して艦砲射撃を行った。

「プリンストン」が合流した第三十八任務部隊の艦載機は、ソロモン方面航空部隊とともにブカ島を爆撃した。

第三十八任務部隊を含めたアメリカ機動部隊がガダルカナルやブカ島近海で行動したのは、未遂に終わったラバウル空襲作戦以来初めてのことである。

ハルゼー大将にとっては、待望の新戦力であったが行動には制限が課せられていた。

「サラトガ」も「プリンストン」もガルヴァニック作戦支援を命じられていたため十一月二十日までに当該海域に戻らなければならなかった。

第三十八任務部隊は、十一月二日にもブカ島を空襲した後レンネル島近海まで引き揚げて燃料補給作業を行った。

そこに突然事態を緊迫化させる情報がもたらされる。

 

                                  ※

 

 ニュージョージア島への連合軍上陸の報を受け連合艦隊司令長官古賀峯一大将は、第七艦隊の投入を決心し(ろ号作戦)ガダルカナル方面に投入して決戦を挑む事となった。

兵力は、

第七艦隊

司令官:小沢治三郎中将 参謀長:草鹿龍之介少将

第一航空戦隊:小沢治三郎司令長官直率

航空母艦:「翔鶴」、「瑞鶴」

第二航空戦隊 司令官:山口多聞少将

航空母艦:「蒼龍」、「黒龍」

第四航空戦隊 司令官:高橋三吉少将

航空母艦:「麗鶴」、「雅鶴」

第五航空戦隊 司令官:原忠一少将

航空母艦:「大鳳」、「祥鳳」

第六航空戦隊 司令官:近藤英次郎少将

航空母艦:「龍鳳」、「瑞鳳」

第七航空戦隊 司令官:三並貞三少将

航空母艦:「海鳳」、「白鳳」

第八航空戦隊 司令官:角田覚治少

航空母艦:「隼鷹」、「飛鷹」

第四戦隊 司令官:山本英輔中将

戦艦:「金剛」、「比叡」、「霧島」、「榛名」

第八戦隊 司令官:西村祥治少将

重巡洋艦:「天城」 、「赤城」、「葛城」、「笠置」

第九戦隊 司令:阿部弘毅少将

重巡洋艦:「利根」、「筑摩」

第十一駆逐隊 司令:山代勝盛大佐

駆逐艦:「早風」、「夏風」、「冬風」、「初風」

第十九駆逐隊 司令:福岡徳治郎大佐

駆逐艦:「敷波」、「浦波」、「磯波」

第九駆逐隊 司令:井上良雄大佐

駆逐艦:「夏雲」、「峯雲」、「薄雲」、「白雲」

第十六駆逐隊 司令:鳥居威美大佐

駆逐艦:「初風」、「雪風」、「天津風」、「時津風」

第六十一駆逐隊 司令:大江賢治大佐

駆逐艦:「秋月」、「照月」、「涼月」、「初月」、「若月」

第三十駆逐隊 司令:折田常雄大佐

駆逐艦:「大風」、「西風」

第六水雷戦隊 司令:坂本伊久太少将

軽巡洋艦:「川内」

第七駆逐隊 司令:山田勇助大佐

駆逐艦:「秋雲」、「潮」、「曙」、「漣」

第二十三駆逐隊 司令:若木元次大佐

駆逐艦:「朧」、「江風」、「涼風」、「海風」

第十駆逐隊 司令:阿部俊雄大佐

駆逐艦:「風雲」、「夕雲」、「巻雲」、「秋雲」

第七水雷戦隊 司令官:井上継松少将

軽巡洋艦:「名取」

第五駆逐隊 司令:野間口兼知中佐

駆逐艦:「朝風」、「春風」、「松風」、「旗風」

第二十二駆逐隊 司令:脇田喜一郎大佐

駆逐艦:「清風」、「村風」、「里風」

第二十一駆逐隊 司令:天野重隆大佐

駆逐艦:「初春」、「子日」、「初霜」、「若葉」

 

 

                                    ※

 

 先に述べた「事態を緊迫化させる情報」とは、この事でありハルゼー大将が後年「これは、南太平洋軍司令官としての全任期中に直面したもっともきびしい緊急事態であった」と回想するほど難しい状況であった。

ブカ島とショートランドへの砲撃およびブーゲンビル島沖海戦とほとんど不眠不休で戦ってきた第三十九任務部隊は、レンネル島にあり遊撃部隊を迎え撃つにしても強力かつ距離が遠すぎた。

しかしここで第三艦隊の参謀が第十四任務部隊、第三十八任務部隊と第五十任務部隊による敵機動部隊迎撃を思いつく。

これまでアメリカ海軍の機動部隊が行ってきた海戦は、連戦連敗で一度も勝利したことはなかった。

参謀から作戦プランを打ち明けられたハルゼー大将にとって敵機動部隊の迎撃はほぼ一年前の第三次ソロモン海戦の時と同じぐらいの危険な命令だと感じており第十四任務部隊、第三十八任務部隊と第五十任務部隊の運命は悪いものになるとすら予想していた。

それでもハルゼー大将にとっては、ボナボナ島の上陸部隊を死守することが任務でありしばしの沈黙の後に発した「行かせよう」との一言で作戦は実行に移される事になった。

同時にハルゼー大将はガダルカナル方面航空部隊に対し第十四任務部隊、第三十八任務部隊と第五十任務部隊への全面的支援を命じた。

 

                                    ※

 

 十一月十一日日本軍部隊は、南太平洋海戦とほぼ同じ陣形で行動していた。

そして黎明(午前二時四十分)から二段索敵を開始した。

しかし午前四時四十分を過ぎようとしても策敵機から何も情報は、こなかった。

第七艦隊の第一航空隊の通信参謀小野寛治郎少佐は、「とてももどかしい時間だった」と回想している。

 午前四時五十三分ついに日本艦隊は、敵偵察機に発見された。

 

                                    ※

 

 偵察隊隊長から「ガダルカナル島より方位九十度、三十浬」の連絡が入った。

この時アメリカ艦隊に近づいていた日本の偵察機は、最新のSA対空レーダーに引っかかり戦闘空中哨戒をしていたF6Fに瞬く間に全機撃墜されており緊急無線を発する暇すらなかった。

フレッチャー中将は第十一任務部隊、第十四任務部隊、第十五任務部隊と第五十任務部隊から第一次攻撃隊百七十機(F6F五十一機、SBD五十五機、TBF六十四機)と第二次攻撃隊百七十五機(F6F四十二機、SBD六十三機、TBF七十機)の合計三百四十五機が日本艦隊にむけて発進した。

 

                                    ※

 

 第七艦隊旗艦「翔鶴」の艦橋では、航空甲参謀の大原秀幸(おおはらひでゆき)中佐と航空乙参謀の松下海峰(まつしたかいほう)少佐が対応で二分していた。

大原甲参謀は、暖機運転を完了している機体を直ちに敵偵察機が飛び去った方角へ向かわせる索敵攻撃を提案した。

しかし松下乙参謀は、むやみに攻撃機を出すのは得策ではないと一度格納甲板で待機させ彗星数十機を艦隊の半径二十九海里で哨戒飛行させようと提案した。

両者は、全く譲らなかったため参謀長の草鹿龍之介少将は小沢治三郎司令官の指示を仰いだ。

この時小沢司令官が命じる前に信号長から第二航空戦隊および第八航空戦隊から索敵攻撃の具申を報告した。

小沢司令官は、索敵機から敵艦隊も敵機も発見したという報告が来ていないことを通信参謀に確認した後松下乙参謀の提案を採用した。

「翔鶴」からの命令で大鳳型航空母艦を除き艦上であわただしい動きが始まった。

飛行甲板に並べられていた航空機が全機前部・中央部・後部の昇降機に乗せられ格納甲板におろされた。

 午前九時二十一分哨戒飛行をしていた彗星の一機から「敵大編隊見ユ。

位置、『ガダルカナル』ヨリノ方位百十度、百四十浬。

機数約百六十。

〇五一〇」を報告した。

原少将は、これを受けて「発艦可能ナ直衛機ハ直チニ発進。

高度四〇ニテ待機セヨ」との命令を送信させた。

 

                                     ※

 

 アメリカ合衆国海軍第十四任務部隊、第三十八任務部隊、第五十任務部隊の空母「エセックス」、「ヨークタウン」、「バンカー・ヒル」、「インディペンデンス」、「サラトガ」、「レキシントン」、「プリンストン」、「ベロー・ウッド」より発進した第一次攻撃隊百五十八機は高度一万フィートに取り西北西に進撃していた。

「日本の指揮官は、今頃思い知っているでしょうな。

TF14、TF38、TF50がこれまで戦ってきたTF16、17、61とは違うってことを」

「サラトガ」爆撃飛行長(VB-12)ローレン・アダムス少佐のレシーバーにスティーブ・バエズ大尉の声が入った。

心なしか声に笑いが含まれているように感じられた。

 午前十時七分第一次攻撃隊は、機動部隊前衛部隊を発見した。

しかしパイロットたちは、ニューヘブリディーズ諸島沖海戦(南太平洋海戦の連合国側の呼称)でこれが前衛部隊だということは知っていた。

そのため目もくれずに突破を試みた。

「ジョージ」

 レシーバーからスティーブ大尉の絶叫が響いた。

ローレン少佐は、咄嗟に周囲を見回したがジョージの姿は目に入らない。

見えるのは、果てしなく広がる蒼空とところどころにかかる千切れ雲だけだ。

「隊長、後ろです」

 スティーブ大尉が悲鳴じみた声を上げた直後護衛のF6Fが次々とドーントレスの近くから離れ始めた。

どの機体も右の水平旋回をかけ後方に機首を向けようとしている。

ローレン少佐は、首を捻じ曲げ後ろ後方を振り返った。

視界に入ってきたものを見て息をのんだ。

少なめに見積もっても六十機以上は、いる。

ジョージは、後ろ後方という攻撃隊にとって一番不利な位置から襲い掛かってきたのだ。

ジョージの両翼から次々と閃光が走った。

真っ赤な赤い火箭が次々とほとばしった。

護衛戦闘機には、全く機銃を発射する機会を与えなかった。

ジョージに機首を向けるよりも早く二十ミリ弾が殺到し機首に、主翼に、コックピットに突き刺さる。

F6Fの編隊は、瞬く間に切り崩された。

エンジンに被弾し炎と黒煙を吹き出しながら高度を落とすもの、主翼を付け根付近から吹き飛ばされきりもみ状態になって墜落するもの、コックピットを直撃され機体の原形をとどめたまま戦場から消える等のものが続出した。

何機かは、とっさに機体を倒し垂直降下に移る。

バーボンの樽のように太い胴が横転し海面に向かって降下を始める。

ジョージは、急降下によって離脱した機体には目もくれなかった。

エンジン音をたけだけしくとどろかせながらドーントレスの編隊に襲い掛かってきた。

TBFアヴェンジャー雷撃機の姿は、すでに見えない。

雷撃を敢行するため高度を下げたのだ。

 これは、ニューヘブリディーズ諸島沖海戦の教訓からでありこの時アヴェンジャー隊は直掩機からの攻撃にひるみてんやわんやに逃げ回り何も雷撃することができなかった。

そのため今回は、眼前の艦艇を雷撃するようにと訓示があったのだ。

「ジョージ、後方より六機」

 スティーブ大尉の絶叫が再びレシーバーから響いた。

「応戦だ。

応戦しろ」

 ローレン少佐は、スティーブ大尉の絶叫に勝るとも劣らない声で命じた。

F6Fの多くは、最初の一撃で打ち払われている。

護衛があてにできない以上自分で自分を守るしかない。

ドーントレスのコックピット後部から青白い火箭が噴き延びる。

偵察員が七・七ミリ旋回機銃を放ったのだ。

何条もの火箭が右に左に振り回され無数の射弾がばらまかれる。

狙いを定めるよりも機銃を乱射し敵機を近づけさせないことが目的だ。

銃把を握り引き金を引くドーントレスの偵察員は、誰もが表情を大きく目を見開き表情を引きつらせている。

ジョージは、七・七ミリ弾の乱射など歯牙にも掛けなかった。

右に左に旋回しつつドーントレスとの距離を詰め両翼と機首から発射炎を閃かせた。

七・七ミリ弾よりはるかに太い火箭が噴き延びドーントレスの主翼に、尾部に、胴体背面に突き刺される。

F6Fと同じ災厄がドーントレスを見舞う。

左主翼を失ったドーントレスが左の揚力を失い機体を大きく傾けて墜落する。

垂直尾翼を失ったドーントレスは、機体のバランスを失い錐もみ状に回転を始める。

コックピットに被弾したドーントレスは、偵察員とパイロットが朱に染まる。

ジョージの機銃がドーントレスに命中するたび攻撃隊の尖兵たちは、片っ端から火を噴き破片をばらまきながらガダルカナル東方の海面に落下し飛沫の中に消えてゆく。

「ゲイリー機被弾。

ブレント機被弾」

 僚機が撃墜されるたびローレン少佐のレシーバーにスティーブ大尉の悲痛な声が響く。

しかしローレン少佐には、どうすることもできない。

偵察機が送った位置に一機でも多くの味方機を誘導するだけだ。

「ジョージ、右後方」

 スティーズ大尉が切迫した声で報告した。

ローレン少佐は、咄嗟に操縦桿を右に倒した。

右に旋回したドーントレスの左方を真っ赤な曳痕が通過し次いで黒い影が後方から迫った。

背後から機銃の発射音が届く。

スティーブ大尉が七・七ミリ機銃を放ったのだ。

これは、空振りに終わりジョージの黒い影がローレン少佐の頭上を通過する。

ローレン少佐は、咄嗟に右の親指に力を込めた。

正面に発射炎が閃き十二・七ミリ固定機銃を放ったのだ。

装備数は、少ないとはいえ一発当たりの破壊力はF6Fが装備する機銃と同等だ。

しかしこれは、ジョージを撃墜するに至らない。

二条の火箭は、大気中に吸い込まれるように消える。

前方に抜けたジョージが反転し正面から向かってくる。

「ジョージ、正面上方」

 ローレン少佐が再び機銃の引き金を引く直前に誰かの声がレシーバーから響いた。

直後ローレン機の左方で火焔が躍った。

それでもローレン少佐は、引き金を引いたがそれより早くに正面のジョージが急降下に移り照準器からジョージの機影が消えた。

直後ローレン少佐は、首をひねるとVB-9の二番機を務めるポール・イエーツ中尉のドーントレスが火を噴き墜落してゆくさまが見えた。

 ジョージの攻撃は、それが最後だった。

前衛部隊を務める艦艇が対空射撃を開始したのだ。

ジョージの攻撃を振り切ったSBD隊は、このチャンスを逃すまいと必死に前衛部隊を突破しようとした。

見事全機が突破できた。

 しばらくして眼下に再び艦隊を発見した。

間違いない。

今度こそ本物の敵機動部隊である。

敵艦隊もこちらに気づき対空砲火を放った。

それを回避しつつローレン少佐は、注意深く敵艦隊を観察した。

輪形陣の艦隊は、二手に分かれ前方に六隻で後方に八隻いた。

「『グリズリー・リーダー』より『グリズリー』全機へ。

目標、左前方の敵空母。

俺に続け」

 ローレン少佐は、早口で下令した。

相手を選ぶ余裕は、ない。

最も手短な相手を叩くと決めた。

エンジンスロットルを絞り込み操縦桿を左に倒す。

「アンジェロ機、被弾」

 スティーブ大尉がまた新たな被害を報告した。

第二中隊長を務めるアンジェロ・ウォーカー大尉のドーントレスが弾片を浴び火を噴いたのだ。

ローレン少佐は、唸り声を発しながらも突撃を続ける。

敵弾は、間断なく撃ち上げられ前後左右あらゆる方向に爆発光が閃く。

爆風が機体を揺さぶり飛び散る弾片が不気味な音を立てて命中し漂う爆煙は、視界をさえぎる。

 敵弾炸裂の火焔や漂う黒煙が視界の中で回転しドーントレスが急降下に入る。

照準器の白い環が捉えた空母は、最初は小指の先程度の大きさしか見えなかった。

 降下するにつれ小指の先が人差し指から親指の大きさになりさらには、複数の指を合わせたほどへと拡大する。

後席から高度計を読み上げるスティーブ大尉の声が聞こえる。

ともすればその声が敵弾の炸裂音によってかき消される。

目指す空母は、対空砲火を激しく撃ち上げながらローレン機の真下に艦首を突っ込んでくる。

「逃がさぬ」

 一声叫びローレン少佐、操縦桿を前方に押し込める。

最初は、六十度だった降下角が七十度まで深まる。

体感する角度は、ほとんど垂直に近い。

ともすれば身体がシートから浮き上がり照準が狂いそうになるがローレン少佐は、歯を食いしばり空母に追随した。

 高度五千フィートまで降下したとき至近距離で敵弾が炸裂した。

鋭い音ともに衝撃が走り機体が激しく振動した。

直後降下速度が一気に増大した。

「いかん」

 何が起きたのかをオーレン少佐は、はっきりと悟った。

敵弾が主翼の後部を直撃しダイブ・ブレーキをもぎ取ったのだ。

ローレン少佐は、やむなく爆弾の投下ハンドルを回した。

足下で乾いた音が響き機体がわずかに軽くなった。

引き起こしを掛けるべく操縦桿を引く。

しかし動かない。

ドーントレスは、依然垂直に近い角度で降下を続けている。

ローレン少佐は、愕然とする。

両手を操縦桿に掛け渾身の力で引くが結果は、同じだ。

操縦桿は、びくともせずドーントレスは海面に向かって真一文字に墜ちてゆく。

ローレン少佐は、絶望の叫びを上げた。

後席からもスティーブ大尉の絶叫が届いた。

ドーントレスが海面に激突し盛大な飛沫を上げると同時に二人の叫び声が消えた。

 

                                              ※

 

 第二次攻撃隊のVT-12隊長のピート・カーター少佐は、日本機動部隊の前衛部隊を落胆した。

事前に日本軍は、攻撃力は恐ろしいほど高いが防御力は低いと聞いていたため第一次攻撃隊で多数の艦艇を水葬させ大型艦のいくつかが炎上している光景を予想していた。

しかし結果は、大型艦は炎をあげておらず艦艇の数も少ないという印象はなかった。

「『ウルフ』目標、敵戦艦一番、二番」

 ピート少佐は、その中で沈めると致命傷になりえる戦艦を狙った。

「ジョージ」

 悲鳴じみた声がレシーバーに飛び込んだ。

ピート少佐は、息をのんだ。

九十機前後のジョージが舞い降りてくる。

「かわせ。

降下しろ」

 ピート少佐は、咄嗟に叫び操縦桿を押し込んだ。

ほとんど同時にF6Fが動いた。

スロットルをフルにアヴェンジャーの真上を通過する。

機首を引き起こし上方から襲ってくるジョージに正面から立ち向かう。

機体そのものを楯としてアヴェンジャーを守る態勢だ。

F6Fが発砲した。

両翼からほとばしった火箭が上方へとつきあがった。

ジョージの半数は、機体を急角度に傾け半数は水面から跳ねる魚のように機体を大きく跳ね上げた。

急角度に傾いた機体は、半径の小さな円を描きF6Fの射弾をやり過ごす。

跳ねあがった機体は、ねじを回すように回転し十二・七ミリ弾を回避する。

ジョージは、垂直旋回と緩横転を使ってF6Fの正面攻撃をかわしたのだ。

ジョージが機体を水平に戻したときには、F6Fとジョージの位置が入れ替わっている。

話には、聞いていたがこれほど素早く動きF6Fの銃撃をかわせる機体があるとは信じられない。

東洋の魔術を目の当たりにしているようだ。

F6Fが慌てて反転しジョージに追いすがろうとするが間に合わない。

ジョージは、急速にアヴェンジャーとの距離を詰めている。

「撃て。

近寄らせるな」

 ピート少佐は、叫ぶと同時に親指に力を込めた。

正面に発射炎が閃き二条の火箭が噴き延びた。

ピート機だけでは、ない。

左右に展開するVT-12のアヴェンジャー各機が自衛用に装備しているブローニング十二・七ミリ固定機銃二丁を放っている。

ジョージが機体を左右に振った。

フットワークに優れるボクサーが相手のパンチをかわすような動きだ。

十二・七ミリ弾のストレートは、目標を据えることなく消えている。

ジョージの両翼に閃光が走った。

真っ赤な曳痕がほとばしり正面上方から殺到してきた。

あたかも松明を目の前に突き付けられているようだ。

ピート機は、辛くも被弾を免れるが左右に展開するアヴェンジャーが火を噴く。

二番機がエンジンから火を噴いて墜落し三番機が左主翼を中央から分断され回転しながら海面に突っ込む。

隊列の端に位置する五番機も見えざるハンマーを食らったかのように海面にはたき落される。

一連射を放ったジョージは、速力を落とすことなくアヴェンジャー群の頭上を通過し後方へと抜ける。

ピート少佐の背後から機銃の連射音が届く。

電信員を務めるダッチ・グリーン兵曹が胴体上面の七・七ミリ旋回機銃を放ったのだ。

これは、ジョージを捉えることはない。

七・七ミリ弾の細い火箭は、大気だけをむなしく貫きジョージは悠々と後方に抜ける。

「エディー機被弾。

ポップ機被弾」

 悲痛な声がレシーバーに響く。

ジョージを追うF6Fがアヴェンジャーとすれ違いたけだけしい爆音が前から後ろに抜ける。

「ジョージ、後方から来ます」

 若干の間をおいてダッチ兵曹の悲鳴じみた声が響く。

F6Fは、またもジョージの阻止に失敗した。

直接視認したわけでは、ないがおそらくジョージは驚くべき旋回性能を生かしてF6Fの攻撃をかわしアヴェンジャーの後方から食らいついてきたのだ。

「撃て。

撃ちまくれ」

 無線電話機のマイクに怒鳴りこむようにしてピート少佐は、命じる。

VT-12の各機が鍛えぬいた操縦技術と射撃術を駆使してこの窮地を切り抜けることを祈る。

「ビンセント機被弾」

 ダッチ兵曹がまた一機の墜落を報告する。

ジョージに食らいつかれるたびアヴェンジャーは一機、また一機と海面に叩き伏せられる。

「なんて奴らだ、日本軍は」

 ピート少佐は、呪詛の呻きを発した。

「ガース機被弾」

 新たな被撃墜機の報告がレシーバーに響く。

「あきらめぬ」

 ピート少佐は、歯ぎしりしながら叫んだ。

どうなろうと任務は、遂行する。

最後の一機になろうと必ず投雷し敵空母の下腹を抉って見せる。

その決意のもとピート少佐は、残りのアヴェンジャーの先頭に立ちなお突撃をつづけた。

「後方にジョージ」

 ダッチ兵曹の叫び声がレシーバーに響いた。

同時に七・七ミリ機銃の連射音が届いた。

ピート少佐は、咄嗟に機体をふった。

しかしそれが無意味だったとすぐに思い知らされた。

直後これまでに感じたことのない衝撃がアヴェンジャーを襲った。

右主翼から補助翼が吹っ飛びエンジンカウリングと機体の合わせ目から炎が這い出し黒煙がコックピットに流れ込んだ。

速力がみるみる衰えはじめ機体の高度が下がった。

操縦桿を手前に引くが機首が上がらない。

プロペラは、今にも波頭をたたきそうだ。

「ダメか」

 ピート少佐は、絶望の呻きを発した。

空母への雷撃どころか生還すら望めそうにない。

頭を上げたときはるか前方に巡洋艦がいた。

「せめてあいつに」

 最後の執念を込めピート少佐は、魚雷の投下索を引いた。

足下で乾いた音が響きアヴェンジャーの機体がひょいと上がった。

重量八百キログラムの航空魚雷を切り離した反動で機体が束の間浮き上がったのだ。

だがすぐに機体の高度が下がる。

海面が急速にせり上がり目の前に迫って来る。

(当たれ)

 海中に投じた魚雷にその思いを投げた直後すさまじい衝撃が襲いピート少佐のアヴェンジャーは、滑り込むようにして海面に突っ込んだ。

ピート少佐の思いとは、裏腹に魚雷は巡洋艦に命中しなかった。

 

                                     ※

 

 第一次攻撃と第二次攻撃で「清風」と「村風」が撃沈し、「笠置」が大破し第十九駆逐隊の護衛の下戦線離脱し、「霧島」、「名取」、「大鳳」が小破した。

しかし小破艦は、戦闘への支障はなかった。

 空襲の終了後第七艦隊は、「瑞鶴」より彗星を出撃させ敵の攻撃隊を尾行させた。

並行していったんは、中止を命じた攻撃隊を今度こそ出撃させるべく発進準備にかかった。

 午前九時十一分彗星から「敵艦隊見ユ。

位置、ガダルカナルヨリノ方位百十度、百六十浬。

敵ハ空母八、巡洋艦七、駆逐艦十隻以上。

〇九一一」の報告が入った。

 午前九時二十分第一次攻撃隊として旗艦「翔鶴」から三十九機(『翔鶴』飛行隊長楠美正少佐指揮、彗星艦上爆撃九機、天山艦上攻撃機十二機、陣風艦上戦闘機十八機)、「瑞鶴」から四十二機(彗星艦上爆撃機十二機、天山艦上攻撃機十二機、陣風艦上戦闘機十八機)、「蒼龍」から二十八機(彗星艦上爆撃機九機、天山艦上攻撃機九機、陣風艦上戦闘機十機)、「黒龍」から(彗星艦上爆撃機九機、天山艦上攻撃機九機、陣風艦上戦闘機十機)、「隼鷹」から(天山艦上攻撃機十二機、零式艦上戦闘機十二機)、「飛鷹」から(天山艦上攻撃機十二機、零式艦上戦闘機十二機)が発進した。

 午前十時四十五分三「瑞鶴」所属の第一中隊第二十五小隊長の相川嘉逸大尉は、右前方の海面にアメリカ機動部隊を発見した。

「よし、あれだ」

 その声が口から漏れた。

約一年三か月前のミッドウェー海戦同様中央にまな板を思わせる形状の大型艦が位置しその周囲を中小型艦が囲んでいる。

これまでの復讐を果たすべく先制攻撃を行ったものの失敗したため東方へ退避しようとする敵空母を沈めるだけだ。

「分隊長、制空隊が前に出ます」

 市町準一飛行兵曹長の叫びで相川大尉は、顔を上げた。

頭上に中島「誉」の爆音がとどろいている。

市原飛曹長が報告した通り制空隊が攻撃隊の前方に出ようとしているのだ。

正面上方に一群の機影が見える。

敵の直掩機であるグラマンF6F“ヘルキャット”であろう。

相川機は、隊長機がトツレ連送を発信したのをキャッチした。

 前方では、陣風とF6Fが空中戦を始めている。

F6Fの数は、予想していたほど多くない。

制空隊とほぼ同数かやや多いくらいだ。

しかし制空隊の中には、零戦が混じっていた。

この零戦は、三一型乙と呼ばれ主翼に九七式十二・七ミリ固定機銃を一挺ずつ追加し前部風防を四十五ミリメートル厚の防弾ガラスとし座席の後部に八ミリメートル防弾鋼板を装備させた性能向上型である。

しかしそれでも敵の最新鋭機と戦うには、荷が重いが「誉」の供給量と国力の限界から低速な商船改装空母も第一線で使用しなければならない関係上どうしても零戦も第一線で戦ってもらわなくてはならないのだ。

 しかし陣風も昨年と同じでは、ない。

機動部隊に配備されている陣風は、全て陣風二二型甲となっている。

二二型甲は、内翼部を新型の二式二〇粍固定機銃に換装した。

この機銃は、一式三十粍機銃のスケールダウン版として「十五試二十粍固定機銃」が試作されて重量約四十キログラムで初速九百二十メートル毎秒を誇る高性能機銃である。

現在翼内機銃を全てこの機銃に換装した二二型乙の生産に取り組んでいる。

 するとどの空母を攻撃するかの指示も来た。

どうやら自分たちの獲物は、小型空母二番艦になったようだ。

そしてト連送が発信された。

V字編成を形成した艦爆隊は、輪形陣の中央に鎮座する敵空母に向け進撃した。

巡航速度で飛んでいた彗星が速力を上げ猛進する。

その時F6Fが襲ってきた。

陣風の「誉」や彗星の「金星」とは、異なるエンジン音を立てながら蒼龍隊の左前方から突っ込んできた。

相川機の後方から火箭が飛びF6Fに殺到する。

後続機が機首二丁の十二・七ミリ固定機銃を発射したのだ。

F6Fは、銃撃などものともしない。

中口径弾を蹴散らす勢いで突進し両翼に発射炎を閃かせる。

「石川機、被弾」

 市原飛曹長が被害を報告する。

第三小隊を率いる石川敏雄(いしかわとしお)一等飛行兵曹と塚原涼(つかはらりょう)三等飛行兵曹のペア機が敵弾を受け火を噴いたのだ。

「敵機、反転。

後方から来ます」

 市原飛曹長が新たな報告を送った。

同時に後席から機銃の連射音が届いた。

野辺飛曹長が十二・七ミリ旋回機銃を放ったのだ。

相川大尉は、操縦桿を左右に倒す。

彗星が振り子のように振れ敵の火箭が風防の右側を通過する。

敵機の爆音が後方から迫り黒い影が相川大尉の頭上を通過する。

相川大尉は、咄嗟に発射杷柄を握る。

目の前に発射炎が踊り十二・七ミリ機銃の中途半端な火箭がほとばしる。

射弾は、敵機の尾部を据えたように見えたがF6Fはぐらつきもしない。

命中したのは、錯覚だったのか十二・七ミリ弾が装甲板を貫通できなかったのかはわからない。

F6Fが一旦相川機と距離を置き急角度の水平旋回をかける。

零戦や陣風に比べてスマートさに欠ける機体だが運動性は、意外と高い。

敵機が相川機の正面から突っ込んでくる。

胴体に二本戦を巻いている相川機を見て指揮官機だと判断したのかもしれない。

回避すべきところだが相川大尉は、逃げなかった。

機首を心持ち上に上げ発射杷柄を握った。

相川機だけでは、ない。

後続する各機も一斉に十二・七ミリ機銃を発射する。

多数の火箭が無数の赤い針のように敵機の正面から殺到する。

F6Fの両翼にも発射炎が閃く。

双方の一二・七ミリ弾が交差する。

青白い曳痕が真正面から相川機に向かってくるような気がしたが寸前で右にそれ風防の脇を通過する。

一二・七ミリ機銃の弾幕射撃は、敵機を墜とすことはできなかったが照準を狂わせる効果はあったようだ。

F6Fが相川機とすれ違う。

後席から連射音が届き相川機の右正横に中途半端な火箭が噴き延びる。

市原飛曹長が敵の面前に突き出す格好で一二・七ミリ機銃を放ったのだ。

「敵一機撃墜」

 市原飛曹長が弾んだ声で報告した。

「了解」

 しかし相川大尉の返答は、そっけないものだった。

命中率が小さいことに加え破壊力も低い十二・七ミリ旋回機銃でF6Fを墜とせたとは、信じがたい気がするが手傷を負わせたのは確かなようだ。

渡部 俊夫が直率する「瑞鶴」第一中隊は、一機を戦列から失ったものの敵戦闘機の撃退に成功したのだ。

 海上に発射炎が閃いた。

若干の間をおいて艦爆隊の周囲で次々と閃光が走り黒い黒煙が艦爆隊の周囲で次々と閃光が走り黒い黒煙が湧き出した。

敵艦隊が対空射撃を開始したのだ。

前方に閃光が走り炸裂音が響いた直後左右でも敵弾が爆発し飛び散る弾片が機体を叩く。

かと思えば左右で敵弾が炸裂し爆風を受けた機体が大きくよろめく。

前方、後方、左右のあらゆる方向で十二・七センチ両用砲弾が炸裂し飛び散る弾片と爆風が彗星の機体を揉みしだく。

「森機、被弾」

 二小隊の二番機は、森太一(もりたいち)一等飛行兵曹と新垣健一(あらがきけんいち)二等飛行兵曹のペアだ。

続いて三番機の東條乙(とうじょうきのと)飛行兵長と中塚昇平(なかつかしょうへい))飛行兵長の彗星が敵弾の断片を浴びて火を噴く。

F6Fの攻撃を辛くもしのいだ戦友の機体が敵弾を浴び太平洋の上空に散華してゆく。

相川大尉の機体にも何発かの弾片が命中している。

幸い急所は、全て外れておりエンジンにも操縦系にも異常はない。

三菱「金星」六二型エンジンは、快調に回っており爆弾槽に五十番爆弾を抱いた機体を目標上空へと導いている。

 相川大尉は、小型空母三番艦に狙いをつけると降爆の教範に従い右主翼の付け根に敵艦が重なるように機体を持ってゆく。

「二中隊、突撃を開始しました」

 市原飛曹長の報告が届いた。

小野大(おのまさる)大尉が率いる第二中隊が一足先に突撃を開始したのだ。

それに呼応するように牧野機も突撃を開始した。

「よし、行くぞ」

 相川大尉は、一声叫び操縦桿を右に倒した。

雲や空、漂う爆煙が視界の中で目まぐるしく回転し敵空母が正面に来た。

「三〇・・・・二九・・・・・二八・・・・」

 数字が小さくなるに従い照準環が捉えた敵の艦影が拡大する。

「二〇・・・・一八・・・・一六・・・・」

 市原飛曹長が高度を報告する。

時折敵弾が近くで炸裂し爆風を受けた機体が大きく揺れるが相川大尉は、操縦桿を操作し機体を投弾コースに戻す。

不思議と致命的な一撃は、受けない。

相川大尉の彗星は、空中を滑り降りるようにして敵空母の頭上に降下を続けている。

 高度が千四百メートルを切ったとき敵の艦上に多数の発射炎が閃いた。

一拍置いて無数の火箭がつきあがり始めた。

敵艦が対空機銃による迎撃を開始したのだ。

青白い曳痕がすさまじい勢いでつきあがり相川機の翼端や胴体脇を通過する。

麾下の機体に被弾撃墜されたものがあるかもしれないが市原飛曹長からの報告は、ない。

相川大尉の機体は、敵弾に抉られることなく真一文字に降下を続けている。

「一二・・・・一〇・・・・〇八・・・」

 市原飛曹長が高度の報告を続ける。

視野いっぱいに敵艦が広がる。

構造物は、右舷に集約されており艦橋の前方にクレーンがあり後方には四つの小さな直立煙突が並んでいる。

間違いなく新設計の空母だ。

 相川大尉は、高度四千メートルまで降下したので爆弾の投下レバーを引いた。

同時に操縦桿を目一杯手前にひきつけた。

目の前の空母が外に消えその前方に位置する巡洋艦が正面に来る。

肉体が岩と化したかのように重くなりともすれば操縦桿から手を放しそうになる。

 遠心力がゆるみ肉体が軽くなった時相川大尉の機体は、海面すれすれの高度を水平に飛んでいる。

「命中」

 後席の市原飛曹長が弾んだ声を上げた。

直後相川大尉の面前に天山が飛び出した。

相川大尉は、思わず叫び声をあげ操縦桿を左に倒す。

彗星が左に大きく傾斜し翼端を海面に突っ込みそうになる。

相川機の右の翼端をかすめるようにして天山が通過してゆく。

その機体の向こうにも別の天山が見える。

 艦攻隊も直掩機と輪形陣を突破し空母に肉迫しようとしていた。

「後は、任せた」

 その言葉を艦攻隊に投げかけ相川大尉は、集合位置へと向かった。

 

                                                   ※

 

 四隻の空母より飛び立った第二次攻撃隊は、高度を千メートルに取り毎時三百三十三キロメートルの巡航速度で北北西に向かった。

編成は旗艦「翔鶴」から四十二機(彗星艦上爆撃機十二機、天山艦上攻撃機十二機、陣風艦上戦闘機十八機)、「瑞鶴」から四十二機(『瑞鶴』飛行隊長江草隆繁少佐指揮、彗星艦上爆撃機十二機、天山艦上攻撃機十二機、陣風艦上戦闘機十八機)、「蒼龍」から二十八機(彗星艦上爆撃機九機、天山艦上攻撃機九機、陣風艦上戦闘機十機)、「黒龍」から二十八機(彗星艦上爆撃機九機、天山艦上攻撃機九機、陣風艦上戦闘機十機)、「隼鷹」から二十四機(天山艦上攻撃機十二機、零式艦上戦闘機十二機)、「飛鷹」から二十四機(天山艦上攻撃機十二機、零式艦上戦闘機十二機)が発進した。

搭乗員のほとんどは、不敵な笑みを浮かべ北北西にかかる断雲を見つめていた。

「果報は、寝て待て。

待てば回路の日よりありか」

 宮國良平(みやぐにりょうへい)上等飛行兵曹は、我知らずほほが緩んで来るのを感じた。

右手で口元を拭うとわずかによだれがついた。

いささかだらしないと思いつつも笑いを止めることができない。

そもそも笑いを止めようという気がない。

水上偵察機は、敵空母の発見ができずあろうことかわが軍は敵に先手を打たれた。

幸い直掩機の奮戦で駆逐のみ沈み空母は、全艦戦闘続行可能である。

そして送り狼として彗星を飛ばし敵攻撃隊を尾行させついに敵空母の所在を突き止め第一攻撃隊を発艦させた。

報告は、ないものの敵機動部隊は第一次攻撃隊によって甚大な被害を被ったに違いない。

そしてとどめを刺すのは、自分たち第二次攻撃隊だ。

 攻撃隊は、緊密な編隊を組んだままエンジン音を囂々と響かせひたすら北北西に進んだ。

 大きくバンクし全機に「敵発見」の合図を送ったのは、隊長機だった。

「あれだ。

右前方」

 守屋正人(もりやまさと)飛行兵曹長が弾んだ声で叫んだ。

宮國上飛曹は、右前方の海面を見た。

一群の艦船が東方に向け航行している様子が見えた。

数は、五十隻前後だ。

巡洋艦と駆逐艦が城壁を思わせる環状の陣形を作っている。

その中央に草鞋型の艦が見えそれが三群いる。

「来たぞ」

 伝声管から守屋飛曹長の声が聞こえた。

「『翔鶴』、『蒼龍』隊目標小型空母。

『瑞鶴』、『黒龍』隊目標大型空母。

トツレ電受信。

準備にかかれ」

 「翔鶴」隊と「蒼龍」隊二十一機の彗星は、千早大尉の機体を右先頭に斜単横陣を作っている。

「瑞鶴」隊と「黒龍」隊二十一機の彗星も伊吹大尉の機体を右先頭に斜単横陣を作っている。

 迷いも躊躇も一切ない。

目標は、ただ一つ輪形陣の中央に鎮座している空母だ。

どんなことをしてもあの空母に五十番爆弾を必中させる。

「清風」、「村風」、「笠置」、「霧島」、「名取」、「大鳳」の仇をとるのだ。

そのことだけが脳裏を占めていた。

 ほどなく高角砲弾の炸裂が始まった。

艦爆隊の前方に次々と黒煙が沸きたつ。

下方でも砲弾が炸裂し艦隊と攻撃隊の間に黒い花園を作っている。

空母本体よりも輪形陣の外郭を固めている巡洋艦と駆逐艦の砲火が激しいようだ。

自艦を守るよりも空母の上空に向けて撃ち次々と爆煙を沸き立たせ弾片を飛ばしてくる。

あたかも空母の真上に高角砲弾の傘をさしかけようとするようだ。

日本機は、空母しか攻撃してこない。

少なくとも空母を最優先目標に置いていることは、間違いない。

だから自艦を守ることなど考えず空母を守るべきだ。

そんな割り切りが見て取れた。

 やがて対空砲火の薄いところを見出したのだろう。

牧野少佐の彗星がぐらりと傾き空母を目指して急降下を開始した。

「黒龍」隊も順繰りに機体を翻し始めた。

海戦からここまで連合軍の多くの艦船を葬ってきた彗星の突撃が始まった。

 艦の左右両舷では、大小の波紋が海を沸き返らせ海面を白く染め変えている。

高角砲弾の破片、対空機銃の外れ弾によるもののや外れ弾が噴き上げた水柱の名残によるものだろう。

海面の様子を観察している時間は、ごく短かった。

 千早大尉の彗星を先頭に「瑞鶴」艦爆隊が接近したときアメリカ空母は、すでに命中弾を受け海面をのたうっていた。

草鞋型の巨大な船体は、ともすれば絶え間なく噴出する黒煙の中に隠れようとしているように見える。

艦の左右両舷では、大小の波紋が海を沸き返らせ海面を白く染め変える。

高角砲弾の破片や対空機銃の外れ弾によるもののほか、外れ弾が噴き上げた水柱の名残や直撃弾炸裂によって甲板から飛び散った破片によるものだろう。

にもかかわらず空母は、屈した様子を見せない。

対空砲火は、大部分が健在であり速力も衰えを見せない。

空母の様子を観察している時間は、ごく短かった。

千早機がくるりと機体を反転させ降爆の態勢に入る。

一小隊の二番機がこれに続く。

視界いっぱいに海が広がる。

 火災を起こしながらも回避運動を続ける空母、なびく火災煙と海面を切り裂く航跡の上に先に急降下を開始した三機の機影が見えている。

照準器を通して敵の艦体を睨み据える。

五十番爆弾を何が何でも必中させる。

頭にあるのは、それだけだ。

対空砲火がにわかに激しさを増したように見える。

赤や黄色のキャンディーが吹雪さながらの勢いで飛んでくるが大部分は、機体の左右へと流れ去っていく。

彗星の機体が炎の束をかき分けつつ突進していくような気がする。

千早隊長機の一番機が投弾を終えたらしく機体を引き起こす。

空母と同じ方向に飛び機首を抜けるようにして飛び去る。

宮國一飛曹は、ちらりと高度計に目をやる。

現在千四百メートルを指している。

まだ少し距離がある。

複数の火箭が一小隊三番機を包み込んだように見えた。

思わず目を見開いた瞬間三番機は、火を発し次の瞬間ばらばらに砕け散っていた。

中ほどから引きちぎれた翼の破片がプロペラのように高速で回転しながら目の前に迫る。

思わず首をすくめるがそれは、すれすれのところでコックピットの上部をかすめ視界の外に消え去る。

それ以外の破片や二人の搭乗員の行方を追っている余裕は、ない。

ただ心の片隅で両手を合わせ仇は討つと誓うだけだ。

高度は、さらに下がる。

降下を始めたときは、黒煙を噴き出しながら回頭する空母の全体が照準器に収まり切らなくなる。

(絶対当たる。

いや、当てる)

 照準器と高度計を交互に見つつ降下を続ける。

コックピットの右わきに異音が響き機体が振動する。

左翼からも異音が聞こえ衝撃に機体がわななく。

(追い払われないぞ、俺たちは)

 黒煙を噴き出す空母の甲板を見つめ宮國上飛曹は、その思いを込めた。

(俺たちは、空のすっぽんだ。

食らいついたら放しは、しない)

 高度計が五百を指し四百を指す。

高度三百で宮國上飛曹は、投下レバーを引いた。

乾いた音とともに重いものが腹の下から離れる感触が伝わって来た。

操縦桿を手前にひきつけ引き起こしにかかる。

遠心力が全身を締め上げる。

操縦桿を握る両腕が砂袋を括りつけたように重い。

目の前に巨大な巨大な黒雲が出現する。

宮國上飛曹は、かまわずに機体を突っ込ませる。

プロペラと両翼が多量の黒煙を切り裂く。

吹き飛ばされ薄くなった黒煙の向こうに沸き立つ海面がちらりと見える。

やがて機首が上向いた。

彗星は、上昇を開始した。

高度計の針が再び右に回っていく。

対空砲火は、なお熾烈だ。

アイスキャンディーは、コックピットの後方から出現し蒼空の中へと吸い込まれていく。

「命中しましたか?」

 大声で宮國一飛曹は、聞いた。

「命中だ」

 守屋飛曹長は、弾んだ声で答えた。

 「瑞鶴」隊の全機が投弾を終え高度二千まで上がったとき敵空母は、沈み始めていた。

 宮國上飛曹は、今一度敵艦隊を眺めやった。

艦爆隊と艦攻隊全機が投弾と投雷を終えたと判断したのかアメリカ艦隊は、打ち切っていた溺者の救助を行っている。

F6Fは、なおも陣風と空中戦を繰り広げていた。

宮國上飛曹は、その執念深さに驚いていた。

 

                                ※

 

 午後十二時十七分第三次攻撃隊が発進した。

現地時間では、十四時十七分である。

太陽は、なお赤々と輝いているが水平線までの距離はそう遠くない。

攻撃隊が向かっている西の空は、断雲が茜色に染まっている。

その中を陣風と天山の編隊は、エンジン音を轟轟と唸らせながら日が沈みゆく方向に向かっていく。

「『翔鶴』、『蒼龍』、『隼鷹』隊目標大型巡洋艦一番艦。

『瑞鶴』、『黒龍』、『飛鷹』隊目標大型巡洋艦二番艦」

 電信員を務める嶺井純(みねいじゅん) 一等飛行兵曹が爆音に負けじとばかりの大声で報告する。

「『トツレ』電受信」

 小林上飛曹は、第二中隊の動きを注視した。

 発艦前の打ち合わせでは、第一中隊は第二中隊に続いて突入し両中隊で挟撃することになっていた。

第一小隊は、第二中隊長機に従い敵艦隊の左前方へと回り込んでいく。

小林上飛曹も第一小隊の三番機の後方につき小隊麾下の二機を誘導する。

輪形陣の外郭を固める駆逐艦が艦上に閃光をほとばしらせる。

当の巡洋艦も艦体の前部と後部、左右両舷を橙色に染め発射炎を明滅させる。

旗本だけに任せておかず刀折れるまで白刃をふるうかのような眺めだ。

輪形陣の一角を固める軽巡と思しき艦が一番派手に見える。

艦首から艦尾まで甲板上のほとんど全てに発砲の閃光を明滅させおびただしい火弾を撃ち上げてくる。

その軽巡を中心とした空域には、ひときわ多数の閃光が煌き爆煙が沸き立ち活火山の真上のような様相を呈している。

(なりが小さい割に重火力だな)

 水上の砲雷撃戦よりも対空戦闘に重点を置いて建造されたのかもしれない。

アメリカにも今後の海戦における主役は、航空機になるといち早く見抜き高角砲や機銃で航空機を撃墜するための艦を建造した者がいるかもしれない。

防空巡洋艦とでも呼ぶべき新時代の軍艦だ。

 実際日本でもマル五計画で小型防空巡洋艦の阿賀野型軽巡洋艦を計画した。

この艦は、秋月型駆逐艦を大型化したもので雷撃能力を強化し航空機を搭載できるようにしたのだ。

さらにマル急計画で計画された伊吹型重巡洋艦は、五十口径九一式九糎連装高角砲を六基に二十五ミリ三連装機銃十三基三十九挺、同単装九挺、二十粍単装機銃三十六挺を装備することを盛り込まれるなど日米双方とも防空艦の建造に躍起になっていた。

 第一小隊がその巡洋艦の上空を避けるコースをとる。

小林機も第一小隊の後方に続く。

 突然左前方にカメラのフラッシュを何十倍にも拡大したような白い閃光が走った。

小林上飛曹が追従していた第一小隊三番機が防空巡洋艦からの高角砲弾の直撃をくらい一撃で空中分解したのだ。

翼も、胴も、エンジンもほとんど瞬間的に砕けてしまいおびただしい断片と化して飛散する。

八九式航空魚雷と思しき細長い塊がむなしく海面に落下していく。

一小隊三番機の最期を見極められたのは、そこまでだった。

搭乗員三名の遺体は、見ることができなかった。

小林上飛曹は、胸の中で三番機の三名に手を合わせた。

戦闘行動中に敬礼などは、しない。

今は、ただ残り二機になってしまった第一小隊に追従し機体を降下させることに集中する。

 防空巡洋艦の上空からは、離れたが対空砲火はいよいよ熾烈さを増してくる。

高角砲弾は、次々と炸裂し空中におびただしい鉄片が飛び交っている。

一発が胴体を直撃し操縦席の右わきに不気味な音を響かせる。

続いて別の一発が白煙を引きずりながら右の翼端をかすめる。

さらに風防ガラスに何かが弾けるような音が響き偵察員席から罵声が上がった。

「小隊長」

 小林上飛曹は、思わず声を上げた。

「大丈夫だ。

破片が飛び込んできただけだ。

かすり傷だ」

 竹山大尉が気丈な声で返答した。

「了解」

 小林上飛曹は、答した。

高角砲弾が炸裂する中「黒龍」の第一、第二中隊は敵艦隊の左方に回り込みつつ高度を下げていく。

海面が大きくせり上がる。

目の覚めるようなブルーの中におびただしい白い斑点が見える。

対空砲弾の破片が海面に落下しいたるところで飛沫を上げているのだ。

味方機や敵機が撃墜され海面に落下したものも混じってるかもしれない。

小林上飛曹は、海面と高度計を交互ににらみ小隊を誘導した。

針が四百を切り三百を切る。

艦爆なら引き起こしをかける高度だが艦攻隊は、これからだ。

敵巡洋艦をにらむ。

高速で急速転回をを繰り返しているかと思いきや動きは、予想より鈍い。

右舷側より黒煙を噴き上げながらのろのろと動いている。

「やったな、『瑞鶴』隊」

 小林上飛曹は、直感的に事態を悟り声に出してつぶやいた。

先陣を切って敵巡洋艦に突撃した葛城大尉率いる「瑞鶴」の艦攻隊が敵空母に一番槍をつけた。

見事魚雷を命中させ速力を低下させたのだ。

「これならやれる」

 小林上飛曹が言った。

すでに手傷を負い行き足が鈍った巡洋艦になら魚雷を必中させられる。

そのことを確信している口調だった。

だが敵の巡洋艦は、あきらめる様子を見せなかった。

速力を衰えさせながらも白波を立て回避運動を続けている。

舷側を発射炎で橙色に染め無数の火箭を飛ばしてくる。

一発が翼端をかすめ別の一発が目の前に飛沫を上げる。

「敵も必死、こっちも必死か」

 小林上飛曹がつぶやいた。

「どっちの必死さが上回るかだ」

 敵弾に捕まらないように高度を目一杯下げ横滑りを繰り返す。

その時機体に寄せられるようにアイスキャンディーが迫った。

小林上飛曹が思わず首をすくめた瞬間機体に衝撃が走りエンジン脇から炎が噴き出した。

高度が限界まで下がっていたため重い魚雷を放つことも機首を上げることも間に合わず機体は、海面にたたきつけらればらばらになった。

 

                        ※

 

 日米ともに機動部隊は、壊滅したため両艦隊は引き上げることにした。

 

                        ※

 

 ニミッツ元帥は、「新生機動部隊の損失は、ガダルカナル作戦のみに限られたものではなかった。

新生機動部隊は、敵機動部隊に対し攻撃の冒険をあえてすることができるか否かについて長い事論議された問題の全てを解決した」と回想している。

 戦果は、

撃沈

航空母艦「エセックス」、「ヨークタウン」、「バンカー・ヒル」、「インディペンデンス」、「サラトガ」、「レキシントン」、「プリンストン」、「ベロー・ウッド」

重巡洋艦「サンフランシスコ」

軽巡洋艦「サンファン」、「サンティエゴ」、「オークランド」、「バーミングハム」

 

損害

撃沈

駆逐艦「清風」、「村風」

大破

重巡洋艦「笠置」

小破

戦艦「霧島」

航空母艦「大鳳」

軽巡洋艦「名取」

損失 百八十三機

 

 確かに戦術だけで見れば日本の勝利であるが搭乗員の損失は、軽視できずまたアメリカ軍の上陸作戦も阻止できず戦略的には大敗だった。

 

                      第二章 ギルバート諸島沖海戦

 

 千九百四十三年(昭和十八年)八月ソロモン諸島方面で日本軍を圧倒しつつあった連合国軍は、中部太平洋で日本に対する本格的な反攻作戦に着手することにした。

そしてその最初の攻略目標としてギルバート諸島(タラワ、マキン環礁)が選ばれ作戦名は、「ガルヴァニック作戦」と決定された。

ギルバート攻略部隊を支援するため高速空母機動部隊である第五十任務部隊(指揮官:チャールズ・A・パウナル少将)が投入されることになった。

第五十任務部隊は、四群に分かれた大型正規空母五隻と軽空母六隻を中心とした艦隊で搭載機は約六百六十機に及んだ。

しかし第五十任務部隊などは、先のガダルカナル沖海戦で壊滅したため作戦開始が一年遅延してしまった。

 その任務は、予想される日本軍の航空反撃から攻略船団を守るとともに攻略目標のギルバート諸島を孤立化させさらに防御陣地を破壊することにあった。

なお第五十任務部隊以外の空母戦力として護衛空母五隻もガルヴァニック作戦に参加している。

 

                        ※

 

 これに対する日本軍も連合国軍が中部太平洋方面で反攻作戦に出てくることを想定していた。

日本の連合艦隊司令部は千島列島から南鳥島(マーカス)、ウェーク島、ギルバート諸島など太平洋正面で連合国軍が反攻作戦に出てきた場合に備え基地航空部隊と機動部隊、潜水艦などの全力を挙げて迎撃する計画を立て「Z作戦」と命名していた。

ギルバート諸島方面の基地航空部隊としてはタラワ飛行場のほかクェゼリン環礁など周辺島嶼に第六十一航空戦隊、第六十二航空戦隊、第二十二航空戦隊と第二十六航空戦隊が配置された。

千九百四十四年(昭和十九年)九月二日-四日にギルバート諸島とナウルの各基地がアメリカ海軍機動部隊(「イントレピッド」、「カウペンス」、「モンテレー」)の空襲を受けて航空機十三機以上が地上撃破されるなどの損害を受けたものの同年十月十六日の時点で戦闘機四百六十四機・陸上攻撃機(陸攻)三百十二機・艦上爆撃機二百八十八機の計七百六十四機の兵力を擁していた。

 日本側の航空攻撃計画は、機動部隊は敵機動部隊へ先制攻撃のちアウトレンジ戦法で反復攻撃し戦闘爆撃機で空母を封殺し次に本攻撃に移る。

黎明を狙ったのち昼間にアウトレンジ戦法だけで攻撃を行う。

基地航空部隊には、索敵を期待しており哨戒圏を利用して接敵し翼側から攻撃し協力困難なら縦深配備とするというものだった。

航空参謀田中正臣は、「小澤長官が強調された戦法で四百浬~四百五十浬から発艦し全速力で敵方に突き込み飛行機隊を収容して反復攻撃を行う方法である。

この遠距離からの攻撃が可能であるかどうか検討され全機種(彗星、天山)で可能であるとの結論になった。

この戦法は、当然の策でありこの戦法でなければ勝算はないものと考えていた」という。

また停泊した米機動部隊を特四式内火艇で奇襲する竜巻作戦をZ号作戦に伴って実行する案もあり九月十日本作戦について中部太平洋方面艦隊司令長官南雲忠一中将は、情勢に適応しないとの理由で反対を表明しているが連合艦隊司令部は既定の計画に従って九月十九日Z作戦命令の一部として発令した。

しかし特四式内火艇にエンジンの轟音、低速、キャタピラが小石で破損するなど性能上の欠陥があることが分かり九月二十八日本作戦の実施は不可能と判断し中止された。

 十月六日豊田副武連合艦隊司令長官は、「Z号作戦」開始を発令した。

同日小沢治三郎中将は、旗艦「翔鶴」で訓辞を行った。

 

今次の艦隊決戦に当たっては、我が方の損害を省みず戦闘を続行する。

大局上必要と認めた時は、一部の部隊の犠牲としこれを死地に投じても作戦を強行する。

旗艦の事故、その他通信連絡思わしからざるときは各級司令官は宜しく独断専行すべきである。

もし今次の決戦でその目的を達成出来なければたとえ水上艦艇が残ったにしてもその存在の意義は、ない。

 

 ただし三番目の訓示に関して、艦載機搭乗員の中には、その様な訓辞は聞いてもいないし知りもしないと証言している者もいる。

 十一月一日豊田長官は、Z号作戦発動を命令した。

 同日Z号作戦の決戦発動を受けて日本の第七艦隊は、トラック泊地を出撃した。

兵力は、

第一航空戦隊:小沢治三郎司令長官直率

航空母艦:「翔鶴」、「瑞鶴」

第二航空戦隊 司令官:山口多聞少将

航空母艦:「蒼龍」、「黒龍」

第四航空戦隊 司令官:高橋三吉少将

航空母艦:「麗鶴」、「雅鶴」

第五航空戦隊 司令官:原忠一少将

航空母艦:「大鳳」、「祥鳳」

第六航空戦隊 司令官:近藤英次郎少将

航空母艦:「龍鳳」、「瑞鳳」

第七航空戦隊 司令官:三並貞三少将

航空母艦:「海鳳」、「白鳳」

第八航空戦隊 司令官:角田覚治少将

航空母艦:「隼鷹」、「飛鷹」

第九航空戦隊 司令官:岡田次作少将

航空母艦:「天鳳」、「翠鳳」

第十航空戦隊 司令官:和田秀穂少将

航空母艦:「雲龍」、「昇竜」

第十一航空戦隊 司令官:柳本柳作少将

航空母艦:「海龍」、「白龍」

第四戦隊 司令官:山本英輔中将

戦艦:「金剛」、「比叡」、「霧島」、「榛名」

第八戦隊 司令官:西村祥治少将

重巡洋艦:「天城」 、「赤城」、「葛城」、「笠置」

第九戦隊 司令:阿部弘毅少将

重巡洋艦:「利根」、「筑摩」

第五駆逐隊 司令:野間口兼知中佐

駆逐艦:「朝風」、「春風」、「松風」、「旗風」

第十九駆逐隊 司令:福岡徳治郎大佐

駆逐艦:「敷波」、「浦波」、「磯波」、「初風」

第九駆逐隊 司令:井上良雄大佐

駆逐艦:「夏雲」、「峯雲」、「薄雲」、「白雲」

第十六駆逐隊 司令:鳥居威美大佐

駆逐艦:「初風」、「雪風」、「天津風」、「時津風」

第六十一駆逐隊 司令:大江賢治大佐

駆逐艦:「秋月」、「照月」、「涼月」、「初月」

第三十駆逐隊 司令:折田常雄大佐

駆逐艦:「西風」、「里風」

第六水雷戦隊 司令:坂本伊久太少将

軽巡洋艦:「川内」

第七駆逐隊 司令:山田勇助大佐

駆逐艦:「秋雲」、「潮」、「曙」、「漣」

第二十三駆逐隊 司令:若木元次大佐

駆逐艦:「朧」、「江風」、「涼風」、「海風」

第十駆逐隊 司令:阿部俊雄大佐

駆逐艦:「風雲」、「夕雲」、「巻雲」、「秋雲」

第七水雷戦隊 司令:井上継松少将

軽巡洋艦:「名取」

第四十三駆逐隊 司令:菅間良吉大佐

駆逐艦:「睦月」、「卯月」、「皐月」、「水無月」

第四十一駆逐隊 司令:脇田喜一郎大佐

駆逐艦:「新月」、「霜月」、「冬月」、「若月」

である。

 

               ※

 

 アメリカ艦隊は、十一月二日のうちには日本艦隊の出撃を知っていた。

米潜水艦「フライングフィッシュ」が日本艦隊を発見して報告した。

スプルーアンス提督は、日本艦隊への攻撃を決意した。

 第五十任務部隊旗艦「イントレピッド」の甲板上では、パイロットたちが他の隊との親睦とリクリエーションのためボクシングをしていた。

一方は、非力だが腕が長くリーチがありもう一方はパワーはあるが腕が短くリーチが短いパイロットだった。

それをポウノール少将と艦長のオスカー・ウェーラー大佐もその様子を見ていた。

試合は、リーチが長いほうが一方的に殴り相手をノックダウンして試合を終了させた。

するとポウノール少将がその場を去った。

そのあとをオスカー艦長もついてきた。

「やっぱりだめだな。

リーチの短いほうがパンチは、強いが負けた」

 ポウノール少将が重苦しく言った。

「先のボクシングですか?」

 オスカー艦長が尋ねた。

「日本の艦載機は、四百八十キロメートル以上飛べるがわがほうの飛行機の行動範囲は三百二十キロメートル以下だ。

リーチの長い日本にアウトボクシングをされたらこっちは、手も足も出せない。

しかし敵の攻撃を防げるイージスを身に着ければ問題ない」

 ポウノール少将は、第五十任務部隊が置かれている状況を分析した。

「CIC、近接信管とボフォーズですね」

 オスカー艦長がイージスの正体を言った。

「そうだ。

我々の任務は、マキン・タワラの攻略にある。

だからギルバート諸島を離れることは、できない。

しかしこのままでは、一方的に日本の攻撃を受けるだけだ。

リーチの長い奴にな。

だからその猛攻を何としてでも防ぎ切らなければならない」

 ポウノール少将も固い決意を持っていた。

するとポノール少将は、振り返りはしゃいでいる部下たちを見た。

「あんな朗らかな連中を殺したくは、ない。

必ず小沢中将は、アウトレンジ戦法で来る」

 ポウノール少将は、小沢司令官の考えを確信していた。

 シーホースも三日に日本艦隊を追尾していた。

 上陸二日前の十一月三日朝アメリカ海軍第五十任務部隊は、ギルバート諸島及びナウルに対して激しい空襲を開始した。

 

               ※

 

 これに対して日本海軍の第七五五航空隊は、索敵機を出して機動部隊を発見し深山陸上攻撃機十三機を攻撃に向かわせた。

この攻撃隊は、体当たり攻撃により空母一隻の撃沈を報じたがアメリカ軍に該当する損害は無い。

日本の攻撃隊は、二機が未帰還となった。

 

               ※

 

 第七艦隊旗艦「翔鶴」では、小沢司令長官が指令室に真珠湾から生き残った分隊長とともに作戦会議を開いていた。

「敵の兵力は、マーシャル上空の偵察写真や鹵獲した資料によるとわがほうの倍以上である。

これに勝つには、敵の矛先が届かない距離から敵を襲うしかない。

幸いにも真珠湾を攻撃した士官諸君や陣風二二型乙といった最新鋭の航空機が配備されている。

搭乗員の技量は、真珠湾時と比べれば圧倒的に低いがそれを諸君らが誘導して必勝を期してほしい」

 小沢中将が作戦内容を述べた。

「また敵を発見したらすぐ飛び出すんですね」

 分隊長の一人が確認した。

「そうだ」

 小沢中将がうなずいた。

「また第七艦隊がアメリカの空母を全て水葬できるんですね」

 分隊長の一人がワクワクしながら言った。

「おそらく海戦は、明日以降でしょう。

今夜は、盛大に会食をして長官の上海の花売り娘でも伺いましょう」

 分隊長の一人が提案した。

「そうだな」

 分隊長の誰一人も異議を唱えなかった。

「よかろう。

歌うぞ」

 小沢中将も部下の景気づけに歌うことを決意した。

そこに草鹿参謀長が来た。

「なんだ?」

 小沢中将が用事を聞いた。

「第七五五海軍航空隊嘉村栄司令から通信が入りました」

 草鹿参謀長が用事を言った。

「『敵機動部隊ハ、ギルバート諸島及ビ『ナウル』ヲ空襲ス。

迎撃機デ敵ヲ百機撃墜ス。

追撃隊ハ体当タリ攻撃ニヨリ空母一隻ヲ撃沈ス。

未帰還機三十二機。

地上撃破多数』」

 報告後指令室は、どよめいた。

海戦前から敵は、空母を沈め艦載機にも甚大な被害を与えたからだ。

しかし小沢中将の表情は、固い。

「誤認だな」

 小沢中将は、冷徹に言った。

「長官」

 分隊長の多くが異を唱えた。

「これまでの航空戦でも誤認が多く見られた。

今回もそれと同じだ。

誰かが言ったように敵機動部隊を水葬するのは、我ら第七艦隊だ。

水兵に舞い上がりだと言ってくれ」

 小沢中将が分隊長たちに命じた。

 

               ※

 

 四日スプルーアンスは、ミッチャーに対し第五十任務部隊は敵空母の撃破を第一の目標とするよう指示した。

しかしその後アメリカ艦隊は、日本の機動部隊の所在を見失った。

スプルーアンスは、日本艦隊が攻略船団だけを狙った一撃離脱を試みることをおそれ警戒しつつ東方への航行を続けた。

 十一月四日にもアメリカ軍機動部隊は、ギルバート諸島やミリ環礁、ジャルート環礁(ヤルート)の日本軍航空基地を激しく空襲した。

これにより飛行艇三機などが地上撃破された。

日本軍は再び航空機による反撃を試みたが索敵に出た二十機のうち十二機が失われクェゼリン環礁のロイ=ナムル島(ルオット)からの攻撃隊十五機は、目標を発見できず一機未帰還となった。

 その後十一月五日未明にもアメリカ軍機動部隊は、ギルバート諸島やジャルート環礁などを空襲した。

これは、日本軍の航空部隊や地上施設に相当な打撃を与えた。

タラワとマキンの陸上では、上陸作戦が行われタラワ地上戦とマキン地上戦が始まった。

 なお一連の空襲でアメリカは八十八機、日本は八十八機と多数の地上撃破を被った。

 

               ※

 

 十一月五日朝日本側は、攻撃を免れたマロエラップ環礁から索敵機を出した。

「索敵機より受信」

 「翔鶴」の通信長が興奮しながら報告した。

「敵艦隊見ユ。

アバマーマ島ヨリノ方位二十度、八十浬。

針路二百七十。

空母十一隻ヲ伴ウ』」

 通信長が敵機動部隊の位置と数を報告した。

「長官」

 草鹿参謀長の表情が輝いた。

敵機動部隊を発見できずに陸上基地にかなり被害が出たがとうとう敵機動部隊の位置を確認した。

「第一次攻撃隊発進」

 この時を待っていたと言わんばかりに甲板上で暖機運転がされていた機体が次々と飛び立っていった。

 

 第一次攻撃隊五百二十機は、編隊の集結を終えると同時に針路を三十五度に取り進撃を開始していた。

総指揮官は、「翔鶴」の垂井明少佐である。

艦爆隊を束ねるのは、比良国清大尉でる。

「右前方、島が見えます」

 宮國一等飛行兵曹が後席にいる守屋飛行兵曹長に報告した。

 本来ならこの海戦から第七艦隊には、流星と烈風が配備されることになっていた。

流星は世界初の艦爆艦攻の機種統一機であり急降下爆撃、水平爆撃、雷撃も可能な高性能機である。

さらに天山と彗星がろくに防弾装備を持っていなかったのに対し流星は、充実した防弾装備を持っていた。

しかしこれは、うたい文句だけで実際は軽量化の際取り外されてしまった。

 烈風は、三菱が零戦の後継機として開発に取り組んだ機体である。

より空気抵抗の低減された美しい機体である。

さらにエンジンは、中島飛行機の「勲」一二型エンジンを採用した。

このエンジンは、「誉」と同時期に開発されたエンジンであるが当初からスーパーチャージャー二段三速が採用された高高度用エンジンである。

 しかしこれらの機体は難産でともに必要数を揃えられず機体は従来通り陣風、彗星、天山が使われた。

 鮮烈なまでに染まった海、そこだけではっきりと色が変わって見える珊瑚礁、黄白色に染まる浜辺、内陸に向かって伸びる緑の木々などが見える。

「三番機は、どうですか?」

 気にかかっていたことを宮國一飛曹は、聞いた。

「後続している。

これほどの大編隊を組んでいるんだ。

新米だってよほどのへまをしない限りはぐれることは、ないだろう」

 先のガダルカナル沖海戦で消耗した部隊の補充と再編が行われた。

これによって三番機には新米の戸柱誠一(とばしらせいいち)二等飛行兵曹、白浜繁(しらはましげる)一等飛行兵曹のペアである。

 彼らは、今回の海戦が初陣であり小隊を組んでから日が浅く編隊飛行の訓練も十分に積んだとは言えない。

それだけに目を少しでも離せないような危なっかしさを感じる。

「問題は、往路より復路だ。

敵艦隊の上空では、乱戦に必ずなる。

新米ほどはぐれやすいし単機での帰艦も難しい。

直前まで極力編隊を崩さず爆撃終了後は、集合場所までうまく誘導してやらないと」

 守屋飛曹長の言葉で宮國一飛曹が時計を見た。

出撃してから二時間が経過しようとしていた。

アメリカ艦隊が発見された位置はアバマーマ島よりの方位二十度、八十浬。

針路は、二百七十度である。

攻撃隊の進撃速度は、流星に合わせて時速三百七十キロメートルである。

約四百浬の距離を二時間で飛ぶ。

敵艦隊が針路と速度を変更しなければ発見できていなければならなかったはずだった。

 前方におびただしい黒点が見え始める。

降下していく艦爆隊と艦攻隊の頭を押さえる恰好でF6Fが仕掛けてくる。

陣風が艦爆隊と艦攻隊をかばいF6Fへ立ち向かう。

空中戦の戦場は、たちまち拡大する。

陣風とF6Fが上に下に飛び違い互いの背後をとろうと旋回格闘戦を展開する。

あるいは騎馬武者同士の戦いのように正面から二十ミリと十二・七ミリを撃ちまくりながら肉迫し猛速ですれ違う。

陣風が被弾し炎の尾を引いて墜落すればF6Fにも二十ミリ弾をコックピットに叩き込まれおびただしいガラス片と金属片をまき散らしながら墜落する機体がある。

陣風の攻撃を突破することに成功したF6Fは、爆撃隊と攻撃隊に取り付く。

彗星の一機が被弾し黒煙の尾を引きずりながら脱落する。

陣風の一機がそのF6Fに二十ミリ弾を浴びせる。

いくつものアイスキャンディーが吸い込まれたとみるやそのF6Fは、垂直尾翼を破壊され錐もみ状になって墜落を始める。

 敵艦隊も対空戦闘を開始する。

各々の攻撃隊は、敵空母を求めた。

宮國一飛曹たちの攻撃隊が十分ほど飛行を続けた後陣風の一機が大きくバンクをした。

正面上方にいくつもの黒点が見える。

みるみる数を増やしF6Fのずんぐりした姿をあらわにする。

本陣の空母をやる前にまず突破しなければならない旗本隊だ。

陣風隊が上昇し空中戦が始まる。

 飛行機雲が絡み合いアイスキャンディーが頭上で展開される。

「瑞鶴」と「大鳳」の陣風隊のうちそれぞれ一個小隊ずつが艦爆隊と艦攻隊からつかず離れずの位置を保っている。

どちらも第一小隊の中隊直率の小隊だ。

艦爆隊と艦攻隊を守る最後の楯を中隊長自らが引き受ける。

 二機のF6Fが乱戦の中から抜け出し彗星隊に肉薄してくる。

宮國一飛曹は、機首二丁の十二・七ミリ機銃で迎え撃つべく発射把柄に手をかける。

しかし流星隊が自ら戦う必要は、なかった。

二機の陣風が機体を翻しF6Fに向かった。

二十ミリの火箭が浴びせられF6Fの一機が火を噴く。

一機は、かなわないと見たのか急降下で離脱する。

また一機別のF6Fが今度は、攻撃隊に向かう。

これまた「大鳳」の陣風が火箭を浴びさせて追い払う。

 迎え撃つ吉良邸の侍臣を一人また一人と斬り伏せつつ上野介の白髪首を求める四十七士さながらである。

恨み重なる仇は、土蔵ではなく大洋の広大さを利用して身を隠している。

「空母は、まだか」

 いらだちを覚え宮國一飛曹は、つぶやいた。

四十七士は、本懐を遂げるまで一人もかけることはなかったがF6Fは吉良邸の侍たちより厄介な敵だ。

空中戦が長引けば確実に被撃墜機が出る。

 焦燥感にさいなまれながらの進撃の続けた後ようやく機動部隊が視野の中に入り始めた。

やはり空母を中心に据えた輪形陣だ。

護衛は戦艦、巡洋艦、駆逐艦でこれまでの海戦同様艦と艦の間の間隔が小さく対空砲火の高密度ぶりがうかがわせる。

 四群いる機動部隊は、心なしか大鷹型航空母艦と同規模の空母が多い。

 無尽蔵な国力と生産力を誇るアメリカとて正規空母を短時間に大量生産することは、不可能らしい。

「機とも撃墜されたと結論付けた。

「『翔鶴』、『雲龍』隊敵軽空母一番艦。

『瑞鶴』、『昇龍』隊敵軽空母二番艦。

『蒼龍』、『麗鶴』隊敵軽空母三番艦。

『黒龍』、『雅鶴』隊敵軽空母四番艦。

第五航空戦隊、敵軽空母五番艦。

『龍鳳』、『海龍』隊敵軽空母六番艦。

『瑞鳳』、『白龍』隊敵大型空母一番艦

第七、第九航空戦隊、敵大型空母二番艦

『トツレ』電受信」

 直後武山一飛曹の声が伝声管から響く。

攻撃隊は、早くも高度を下げにかかっている。

爆撃隊隊長の比良大尉が自機を含めた百九十八機の爆撃隊を各中隊ごとの斜単縦陣に展開させ敵艦隊の上空に誘導する。

 宮國一飛曹は、第一小隊の三番機を見て次いで左後方を振り返った。

第二小隊の二番機と三番機は、ぴたりと左後方についている。

小隊を敵空母の上空に誘導する役割は、当面果たせたことになる。

あとは、敵空母にきっちり五十番を叩き込めるかどうかだ。

 敵空母の両舷にも輪形陣を形成する護衛艦の艦上にも対空砲火の閃光が明滅し始めている。

 進撃している爆撃隊の下方に黒々とした爆煙が湧き出す

一つ一つは、巨大な黒いキノコを思わせる姿だがその周辺には無数の鉄片が飛散している。

それを思うと毒キノコさながらのまがまがしさがあった。

「グラマン二機、左後方」

 不意に武山一飛曹の声が上がった。

同時に後席から十二・七ミリの発射音が響いた。

 宮國一飛曹は、とっさに機体を左にひねった。

 十二・七ミリの火箭がコックピットの脇をかすめる。

一瞬でも操縦桿の操作が遅れていたらコックピットもろともに喰らい頭を吹き飛ばされていたかもしれない。

 黒い影が二つ連続して頭上をかすめる。

 宮國一飛曹は、とっさに機首の十二・七ミリを放った。

 命中の手応えを確かに感じF6Fがわずかに機体を震わせたように見える。

 それ以上は、何も起こらなかった。

十二・七ミリのか細い火箭は、F6Fの分厚い装甲板を撃ち抜き撃墜するには至らなかった。

 この時ほとんど同時に第一小隊の三番機にアイスキャンディーが吸い込まれていた。

 宮國一飛曹が言葉にならない叫びを上げたとき三番機は、ぐらりと傾き墜落を始めていた。

 最後尾にうずくまる偵察員の姿がちらりと見える。

F6Fの十二・七ミリ弾はコックピットを襲い操縦員と偵察員をまとめて射殺したのだろう。

「二番機と三番機は、無事ですか?」

 宮國一飛曹の叫びに守屋飛曹長が即答した。

「うちの小隊は、無事だが三小隊の二番機がやられたようだ」

 宮國一飛曹は、唇を噛んだ。

 第三小隊の二番機は部隊再編前に組んでいた井納良平一飛曹、薮田健司一飛曹のペアだ。

ガダルカナル沖海戦では、ともにエセックス級を攻撃した戦友だが彼らの武運は敵空母に五十番をたたきつける前にここで尽きたのだ。

 急降下の進入点に達する前にさらに二機の爆撃隊がF6Fに喰われていた。

 だがここまで来れば完全に敵空母をとらえたことになる。

 宮國一飛曹は、第一小隊二番機に続いて機体を翻した。

 それまで機首越し、翼越しに見えていた敵艦隊が正面に来る。

 高度計の針は、みるみる反時計方向に回り始める。

 高度が三〇〇〇を切るあたりから対空砲火が激しさを増す。

もはやアイスキャンディーの束などという言葉では、形容できない。

赤や黄色の吹雪が真正面からたたきつけてくるようだ。

 後続機に目をやっている余裕は、ないがこれほど激しい対空砲火の中全機が無事とは思えない。

 高度は、まもなく一〇〇〇に入ろうとしている。

 護衛艦は、視界の隅に押し込められ照準器は空母をとらえている。

 五〇〇〇以上の高みから見ると全艦が発射炎と砲煙に包まれているように見えたが高度が下がるに従い艦型が露わになってくる。

構造物を右舷側に集中し三本の煙突がその特徴を物語っていた。

(やっぱりインディペンデンス級だ)

 宮國一飛曹は、敵艦の正体を悟った。

「用意」

 宮國一飛曹は、投下レバーに手をかけタイミングを図った。

「てっ」

 その掛け声とともに引いた。

 操縦桿を目いっぱい手前にひきつけ引き起こしにかかる。

 視界の大半を占めていた空母の姿が消え失せ白く泡立つ海面が、対空砲火を吐き出し続ける護衛艦が視界に入って来る。

 インディペンデンス級航空母艦は、正規空母のエセックス級航空母艦の穴埋めとしてグリーンランド級軽巡洋艦の船体を改造した軽空母だと聞いた。

 その空母に爆撃をした。

 流星の機首が大きく上向き視界いっぱいに蒼空が飛び込んでくる。

 エンジン・スロットルを開き急上昇に転じる。

高度計の針が動きを止め次いでこれまでとは、反対方向に回り始める。

 アイスキャンディーがコックピットの脇や頭上を後ろから前方に通過していくがそのようなものには、目もくれない。

 一分一秒でも早くあの空に戻る。

そうすれば対空砲火の脅威からは、逃れられる。

 今は、それ以外考えられなかった。

 高度六〇〇〇で宮國一飛曹は、機体を水平に戻した。

 すぐ近くに犬の呼吸を思わせる荒い息を聞いた。

自分自身があえいでいる音だった。

 掌に濡れぞうきんを握っているような感触があり首筋にも伝うものがある。

 どこもかしこも汗でぐっしょりと濡れていた。

「二番機も三番機も無事だ」

 守屋飛曹長がまず報告してくる。

「無事か」

 喜びに加えていささか意外な感を宮國一飛曹は、抱いた。

 あの苛烈な対空砲火だ。

二番機は、ともかく三番機はやられる可能性が高いと思ったが見事に生き延びたのだ。

いわゆるビギナーズ・ラックというやつかもしれない。

 この時になってようやく宮國一飛曹は、海面に目をやり戦果を確認した。

 海面に黒煙を噴出させている艦がある。

 インディペンデンス級だ。

 心なしか速力が低下し傾斜し始めているように見える。

「敵空母に五十番三発命中だ。

他の空母も見たが爆弾は、わからないが水柱は見た限り四発だな。

まだまだ獲物がいるな。

あと一度は、ここに来る必要がある」

 それに続いて守屋飛曹長が言った。

 

               ※

 

 第二次攻撃隊は、八時二十五分に出撃し約二時間飛行した。

「あれか」

 比嘉大成(ひがたいせい)一等飛行兵曹は、小さく叫んだ。

 巨大な艦影が八つに小さな艦影が三十だ。

 速力は、多くが失っている。

「第一次攻撃隊が派手に暴れたようだな」

 森貢(もりみつぐ)上等飛行兵曹の声が後席から聞こえた。

「隊長たちの犠牲も無駄にならなかったようだな」

 第二次攻撃隊は、進撃中第一次攻撃隊とすれ違ったがその際艦戦隊の菅波政治少佐機と攻撃隊の垂井明少佐機を確認できなかった。

両機とも撃墜されたと結論付けた。

「『翔鶴』、『蒼龍』隊敵大型空母一番艦。

『瑞鶴』、『黒龍』隊敵大型空母二番艦。

四航戦、敵戦艦一番艦。

五航戦、敵戦艦二番艦。

六航戦、敵戦艦三盤艦。

『海鳳』隊、敵駆逐艦一番艦。

『白鳳』隊、敵駆逐艦二番艦。

『天鳳』隊、敵駆逐艦三番艦。

『翠鳳』隊、敵駆逐艦四番艦

十航戦、敵駆逐艦五番艦。

十一航戦、敵駆逐艦六番艦。

『トツレ』電受信」

 森上飛曹の声が伝声管に響いた。

比嘉一飛曹の意識は、一瞬で目の前の戦場に戻った。

 攻撃隊総指揮官江草隆繁少佐の誘導に従い斜め単横陣を形成する。

 比嘉一飛曹の機体は、二小隊一番機である。

前から四番目の位置である。

 艦攻隊も降下を始めている。

 第二次攻撃隊は、見た感じ敵戦闘機の迎撃がなさそうだ。

(どれだけの艦艇が浮いていられるかな?)

 比嘉一飛曹は、そう感じていた。

 敵は、早くも対空戦闘を開始している。

戦艦と駆逐艦の艦上に発射炎が閃き艦爆隊の下方にあるいは艦攻隊の前方に爆煙が湧く。

艦の数が少ないわりに発射弾数が多くともすれば海面が半分黒く染まるように感じられる。

 射撃精度は、恐ろしく高く爆煙が四方八方で繰り広げられている。

そのため近くで炸裂するたび破片が機体をたたく音が響く。

「ト連送受信」

 森上飛曹が叫ぶのと一番機が機体を捻るのがほとんど同時だった。

二番機と三番機が続けて降下に入る。

 三番機が六十度の降下角に入ったところで比嘉一飛曹も機体を捻りエンジンスロットルを絞った。

 目の前にあった空が視界の上に飛び真っ青な海と敵の艦影が視界のすべてを占める。

 三菱「金星」六二型エンジンのうねりが急減し風切り音とダイブ・ブレーキ音が拡大し始める。

 比嘉一飛曹は、照準器を通して敵戦艦を見つめる。

敵戦艦の姿が照準器の環の外にはみ出す高度まで降下するつもりだ。

 その敵戦艦がにわかに爆発したように見えた。

艦全体がおびただしい光点に覆われた。

 次の瞬間無数の火箭が付きあがり始めた。

敵は、両用砲に加えて機銃も撃ち始めたのだ。

 比嘉一飛曹は、ごくりと音を立てて息をのんだ。

 南太平洋海戦やガダルカナル沖海戦で敵空母に降爆を仕掛けた時も対空砲火は、すさまじいものであったが敵戦艦が放つ対空砲火はそれ以上だ。

アイスキャンディーの束などという生易しいものでは、ない。

スコールのような勢いを想起させる。

 それが休むことなく連続して続くのである。

後進の操縦員に「対空砲火で撃墜されないためには、爆煙を避けて突入しろ」などと教えたこともあるがそんなのんきなことができる状態では、ない。

 比嘉機の直前に機体を翻し右斜め前方を降下している三番機に火箭が集中されるのが見える。

 三番機は、ほとんど瞬間的にバラバラになりおびただしい破片と変わり空中に散っていく。

(次は、俺かもしれない)

 そんな思いがちらりと脳裏をよぎるが引き起こしをかけるつもりは、ない。

愛機の機首は、ひたすら敵戦艦を目指している。

 照準器の中央におもちゃの船のように小さく見えていた敵戦艦の姿が急速に膨れ上がる。

それに伴い対空砲火が主として艦中央部から放たれていることが分かってくる。

 ほどなく敵戦艦の艦首と艦尾が照準器の外にはみ出す。

 艦影は、さらに膨れ上がり艦中央の左右両舷が照準器の縁に近づく。

(これなら当たる)

 そう確信し「てっ」の叫び声とともに投下レバーを引いた。

堪えに堪えていたものを一気に吐き出したような爽快感がその瞬間感じられた。

 引き起こしをしつつ機体を左に捻る。

 敵戦艦の姿が視界の外に消え護衛の駆逐艦の姿が見え始める。

その艦も舷側からおびただしい火箭を吐き出している。

 その駆逐艦の頭上をかすめ射程外へと脱出する。

 後席から機銃の発射音が響く。

 森上飛曹が行きがけの駄賃とばかりに駆逐艦めがけて機銃掃射をかけたのだろう。

うまくすれば対空機銃座の一つくらいは、潰せたかもしれない。

 機首を空に向け高度二千まで上昇する。

 機体を水平に戻すや比嘉一飛曹は、真っ先に敵戦艦を見た。

あのすさまじい対空砲火の中で何発の爆弾を命中させることができたのか自分の眼で確認したかった。

 目標とした戦艦は、黒煙を噴出している。

数か所で火災を起こしているようだ。

 速力は、大幅に衰え左舷中央付近の海面に波紋が見える。

航跡が黒く染まっているのは、重油が噴出しているためであろう。

「五十番は、三発命中。

魚雷は、四本命中。

戦艦が沈み始めてるぞ」

 森上飛曹が言った。

「本当ですか?」

 比嘉一飛曹は、歓喜した。

 あのすさまじい対空砲火を潜り抜け敵戦艦を沈めることに成功したのだ。

投弾と投雷を終えた彗星と天山が対空砲火から逃れ上昇する。

 戦闘を行っていない陣風は、置いといて彗星と天山はかなり数を減らされている。

しかも攻撃隊総指揮官江草隆繁少佐の機体が見当たらない。

(江草少佐まで)

 比嘉一飛曹は、先とは打って変わって悲壮感に支配されてしまった。

それは、攻撃隊全体にいきわたり悲痛の中帰艦した。

 その後アメリカ艦隊は、第七五五海軍航空隊所属の深山十四機の攻撃を受け駆逐艦一隻が沈んだ。

 

                    ※

 

 この海戦は、「ギルバート諸島沖海戦」と呼ばれた。

 ギルバート諸島沖海戦の結果アメリカ海軍は、再びすべての新悦空母を失った。

護衛艦も壊滅し航空機隊は、全滅した。

対する日本軍の艦艇損害は、皆無だったが航空機は二百五機失った。

さらに基地航空隊に多大な損害を受けた。

ギルバート諸島沖海戦の敗北とそれに伴うガルヴァニック作戦の中止は、アメリカの戦争継続に大きな影響を及ぼした。

全力をあげての決戦で機動部隊は、全滅し完全に再起不能となり当分反撃戦力を有しない状況となった。

機動部隊の再起不能は、日本軍の再度の進攻を許す結果になった。

ガルヴァニック作戦の失敗でフランクリン・ルーズベルト大統領は、辞職に追い込まれた。

 

勝敗の要因

航空兵力

航空戦力に決定的な差があり日本側千三百七十六機に対しアメリカ側六百六十一機である。

母艦部隊は、開戦から消耗しており訓練はできていたものの本作戦を行うには練度不足であった。

一方母艦部隊の練度自体は、海軍が新規搭乗員の大量養成・母艦搭乗員の急速錬成にもかなりの努力を払ったので本海戦に参加した全母艦搭乗員の練度は開戦時と比べてもあまり遜色ないレベルであったという指摘もある。

 

迎撃態勢

米機動部隊に艦載されていた戦闘機は、すべてF6Fであったが日本の陣風に対し完全に優位に立てなかった。

陸上攻撃機も性能不足で空襲への迎撃態勢も米軍がレーダー・無線電話・CIC(戦闘指揮所)などを使用して戦闘機を有効活用し高角砲の対空射撃にVT信管も使用していたが日本では進歩していなかった。

これは、潜水艦など他にも言えることで全般的に兵器進歩と要員練度で日本軍はアメリカ軍に劣っていた。

アメリカ海軍機動部隊は、レーダーとCICによる航空管制を用いた防空システムを構築していた。

潜水艦からの報告で日本艦隊の動向を掴んでいたアメリカ機動部隊・第五十任務部隊は、初期のレーダーピケット艦と言える対空捜索レーダー搭載の哨戒駆逐艦を日本艦隊方向へあらかじめ約二百八十キロメートル進出させておいて日本海軍機の接近を探知した。

そしてエセックス級航空母艦群に配備されていた方位と距離を測定するSKレーダーと高度を測定するSM-1レーダーの最新型レーダーで割り出した位置情報に基づいて日本側攻撃機編隊の飛行ベクトルを予測し百四十八機にも及ぶF6Fを発艦させて前方七十から八十キロメートルで日本側編隊よりも上空位置で攻撃に優位となる高度約四千二百メートルで待ち受けさせた。

第五十任務部隊旗艦のエセックス級航空母艦「イントレピッド」のCIC(Combat Information Center)には、進出させた哨戒駆逐艦や他空母など自艦と同じ最新型レーダーを搭載した艦を含む傘下各艦隊、早期警戒機と早期警戒管制機の元祖といえる高性能レーダーと強力な無線機を搭載している特別なTBMが戦闘空域近くを飛んでいてそれらから各々探知した日本機編隊の情報が伝えられた。

当時のCICはまだ戦闘に関する情報をほとんど完全な手動で処理、統合、分析を行なうだけで戦闘機誘導所がCICからの情報をもって空中待機中の戦闘機隊を無線で向かってくる日本機編隊ごとに振り分けその迎撃に最も適した空域へ管制し交戦開始後は各戦闘機隊の指揮官が現場指揮を執った。

しかし日本戦闘機パイロットの練度がとても高く優位な立場を確保できたにもかかわらず逆に日本機から逃げ惑う羽目になってしまった。

また千九百四十三年の末頃から対空砲弾が命中しなくても目標物近く通過さえすれば自動的に砲弾が炸裂するVT信管を高角砲弾に導入した。

この結果従来の砲弾に比べて対空砲火の効果は数倍に跳ね上がった。

アメリカ軍は、概ね三倍程度と評価している。

なおギルバート諸島沖海戦におけるアメリカ艦隊の対空砲火のスコアは、製造が間に合わなかったにも拘わらずVT信管弾や40mmボフォースなど全てを合計しても三百八十機(アメリカ側確認スコア。

当然誤認を含むと思われる)に上った。

日本軍でもアメリカ艦隊の対空防御能力を「敵艦艇の対空火力は開戦初期は、パラバラでその後火ぶすまに変わり今やスコールに変わった」としてこれまでのような方法でアメリカ空母を攻撃しても成功は、奇蹟に属すると考えるようになった。

 

戦果

撃沈

空母 「イントレピッド」、「ワスプ」、「ホーネット」、「フランクリン」、「カウペンス」、「モンテレー」、「ラングレー」、「カボット」、「バターン」、「サン・ジャシント」

戦艦 「マサチューセッツ」、「インディアナ」、「ノースカロライナ」

駆逐艦 「フレッチャー」、「ラ・ヴァレット」、「テーラー」、「ニコラス」、「ラドフォード」、「ジェンキンス」、「ブラウン」、「ラッセル」、「エドワーズ」、「マリー」、「マッキー」、「スタック」、「ストリット」、「ウィルスン」、「エルベ」、「ヘール」、「キッド」、「チョウンシー」、「バラード」、「アイザード」、「コナー」、「ベル」、「シャレット」

 

損失 二百五機

 

                               第三章 終戦

 

 ギルバート諸島沖海戦後戦争継続派の陸軍からモノ島奪還について案が上がったものの兵力がそこを尽き始めておりとてもでは、ないが大規模反攻作戦を実施することはできなかった。

山本五十六大将をはじめとした親米派は、早期講和を訴えたものの戦果に酔いしれる上層部を説得しきれなかった。

 反攻作戦の準備をしていたが千九百四十五年八月八日事態は、急変した。

ソ連が日ソ中立条約を破棄し宣戦布告したのだ。

それに伴い中国に進攻し中国軍と共闘し日本駐留軍と清軍を壊滅させ清は、滅び朝鮮まで進攻を始めた。

 何とかソ連による朝鮮進攻は、防げたものの中国は社会主義国家となった。

さらにソ連は、八月十六日に樺太に進攻した。

この時千歳海軍航空隊の活躍で上陸船団は、壊滅した。

しかし日本は、すでに連合国にポツダム宣言受諾を打電により通告しておりこの攻撃は第二条に触れるとしてアメリカに攻撃を要請した。

 しかしアメリカは、ソ連の中国進攻を遺憾に感じておりこれを拒否(黙認)した。

 これは、後のヤルタ会談にも影響し両国が対立する一つになった。

 八月十七日東久邇宮稔彦王内閣成立した。

連合国の許可を得て皇族を各支配地域に派遣し天皇の勅旨を伝えた。

 八月十九日には、関東軍とソ連極東軍が停戦交渉開始し各地域で停戦命令を受領した。

 八月二十九日には、米軍第一陣百五十名が横浜に上陸した。

 八月三十日には、連合軍最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着した。

 九月二日には、停戦協定が結ばれ太平洋戦争は終結した。

 九月三日は、ソ連・中国にとって対日勝利の日になり各地の日本軍が続々と降伏した。

 九月五日には、関東軍首脳部がハバロフスクへ移動し後に五十七万人がシベリア抑留となる。

 九月中旬には、中国大陸の支那派遣軍降伏し支那派遣軍総司令官岡村寧次が停戦文書に南京で署名した。

 講和の条件として日本は開戦後の全占領地域及、仏印、蘭印からの撤兵に加えてマーシャル諸島の放棄、トラック、パラオ、マリアナの非武装化、原爆の保有禁止、在日米軍の駐留の了承(これは、大韓民国も同様である)、帝国憲法の破棄、財閥解体など軍事、政治、経済にわたった。

有利な戦いを続けていた日本にとってどれも屈辱的な内容だったがその見返りとして欧州と比較して格安で資源を購入できさらにアメリカが持っていた最新鋭技術を無償で得られるなどである。




もしかしたら外伝として各兵器に対する評価を書くかもしれません。

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