艦上戦闘機
九六式艦上戦闘機
用途:艦上戦闘機
設計者:小山悌
製造者:中島飛行機
運用者 大日本帝国海軍および大日本帝国陸軍
満州国(満州国軍飛行隊)
タイ(タイ空軍)など数カ国
初飛行:1935年10月
概要
1933年から1934年にかけて欧米各国では軍用・民間用を問わず単葉の高速機が順次開発されていた。
しかし陸海軍とも航空母艦への着艦と空戦時の旋回性を重視し単葉への切り替えが遅れていた。
1935年に制式採用された九五式艦上戦闘機も複葉で速度は、400km/時という低速であった。
この性能では、将来の戦闘は戦えないと判断した海軍および陸軍は1934年の次期戦闘機の設計に際し九試単座戦闘機としてあえて艦上機としての性能を要求せず近代的高速機を求めた。
1934年(昭和9年)三菱航空機と中島飛行機の両社に試作指示が出された。
陸海軍からの性能要求は以下の通り。
最高速度:高度3000m付近で243kt (450km/h)以上
上昇力: 高度5000 mまで5分30秒以内
兵装: 7.92mm機銃×2 無線機は受信機のみ
寸法制限: 幅11 m以内 長さ8 m以内
1935年(昭和10年)に試作機が完成した。
審査の結果中島機が採用された。
諸元
制式名称 九六式艦上戦闘機
機体略称 A5N
エンジン:空冷9気筒 中島寿三型
最大速度:470km/h/3,500m
航続距離:627km
全高:3.28m
全幅:11.31m
全長:7.53m
主翼面積:18.56㎡
自重:1,110kg
全備重量:1547kg(燃料満載)
上昇時間:5000m/5'22"
実用上昇限度:12250m
武装:胴体内八九式固定機銃(7.92mm口径)×2(携行弾数各500発)
爆弾:25kg×4
零式艦上戦闘機
用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:堀越二郎
製造者:三菱重工業
運用者:大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年(昭和14年)4月
運用開始:1940年(昭和15年)7月
退役:1945年(昭和20年)
運用状況:退役
概要
零戦の仕様は、「昭和十一年度 航空機種及性能標準」の艦上戦闘機の項に基づいて決定されている。
「昭和十一年度 航空機種及性能標準」
機種:艦上戦闘機
使用別:航空母艦(基地)
用途:1. 敵攻撃機の阻止撃攘/2. 敵観測機の掃討座席数:1特性:速力及び上昇力優秀にして敵高速機の撃攘に適し且つ戦闘機との空戦に優越すること
航続力:正規満載時全力1時間
機銃:20mm1 - 2。1の場合は12.7mm 2を追加。
弾薬包は20mm 1につき60、7.7mm 1につき270
通信力:電信300浬、電話30浬
実用高度:3,000m乃至5,000m
記事:1. 離着陸性能良好なること。
離艦距離 合成風力10m/sにおいて70m以内/2. 増槽併用の場合6時間以上飛行し得ること/3. 促進可能なること/4. 必要により30kg爆弾2個携行し得ること
開発は、1937年(昭和12年)10月5日に海軍から提示された「十二試艦上戦闘機計画要求書」に端を発する。
「十二試艦上戦闘機計画要求書」
1.用途:掩護戦闘機として敵軽戦闘機より優秀な空戦性能を備え要撃戦闘機として敵の攻撃機を捕捉撃滅しうるもの
2.最大速力:高度4000mで270ノット以上
3.上昇力:高度3000mまで3分30秒以内
4.航続力:正規状態、公称馬力で1.2乃至1.5時間(高度3000m)/過荷重状態、落下増槽をつけて高度3000mを公称馬力で1.5時間乃至2.0時間、巡航速力で6時間以上
5.離陸滑走距離:風速12m/秒で70m以下
6.着陸速度:58ノット以下
7.滑走降下率:3.5m/秒乃至4m/秒
8.空戦性能:九六式二号艦戦一型に劣らぬこと
9.銃装:20mm機銃2挺、12.7㎜機銃2挺、九五式射爆照準器
10.爆装:60㎏爆弾又は30㎏2発
11.無線機:九六式飛三号無線機、ク式三号無線帰投装置
12.その他の装置:酸素吸入装置、消火装置など
13.引き起こし強度:荷重倍数7、安全率1.8
「十二試艦上戦闘機計画要求書」は、1937年5月に原案がメーカーに提示されており10月に正式な文書として交付された。
そのため変更点もあって内容が微妙に違うものも残っている。
「目的」が「攻撃機の阻止撃攘を主とし尚観測機の掃蕩に適する艦上戦闘機を得るにあり」というものもある。
堀越二郎によれば5月のものに比べて特に航続距離の要求が強くなったという。
十二試艦上戦闘機に対する海軍の要求性能は、堀越技師らが「ないものねだり」と評するほど高いものでありライバルの中島飛行機が途中で辞退した。
このような経緯から零戦は、三菱単独での開発となった。
三菱では、前作である九試単座戦闘機に続いて堀越二郎技師を設計主務者として開発に取り組んだ。
1938年(昭和13年)1月17日十二試艦戦計画要求に関する官民研究会で第二連合航空隊航空参謀源田実少佐が飛行機隊の集団使用と遠距離進出などの新境地を開拓した経験から航続距離の必要を訴える。
1938年4月10日三菱A6M1計画説明書を海軍に提出した堀越二郎は3日後(4月13日)に開かれた十二試艦戦計画説明審議会において格闘力、速度、航続距離のうち優先すべきものを1つ上げてほしいと要望した。
すると航空廠実験部の柴田武雄は、「攻撃機隊掩護のため航続力と敵を逃がさない速力の2つを重視し格闘性能は、搭乗員の腕で補う」と返答された。
その場にいた横須賀航空隊飛行隊長の源田実もうなずいた。
そのため堀越は、航続力と速力を最優先とし零戦の開発に挑んだ。
1939年(昭和14年)3月16日A6M1試作一号機完成した。
4月1日に岐阜県の陸軍各務原飛行場で試作一号機が初飛行した。
試作2号機までは、栄一二型だったが出力不足で試作3号機からエンジンを換装した。
5月1日栄二一型を装備した三号機をA6M2とした。
翌1940年(昭和15年)7月24日A6M2零式一号艦上戦闘機一型が11型として制式採用された。
制式名称 零戦二一型
機体略号 A6M2b
全幅 12.0m
全長 9.121m
全高 3.57m
翼面積 22.44m²
自重 1871kg
正規全備重量 2713kg
発動機 栄二一型(離昇1130hp)
プロペラ ハミルトン定速3翅 直径3.05m
最高速度 540.1km/h(高度6000m)
上昇力 6000mまで7分20秒
実用上昇限度 10700m
降下制限速度 629.7km/h
航続距離 全速30分+1482km(正規)/全速30分+2560km(増槽あり)
武装 九九式20mm機銃2挺(翼内・携行弾数各100発)
九七式12.7mm機銃2挺(機首・携行弾数各270発)
爆装 30kg爆弾2発又は60kg爆弾2発
陣風艦上戦闘機
用途:戦闘機
分類:艦上戦闘機
設計者:川西龍三
製造者:川西航空機(現新明和工業)
運用者:大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1940年12月27日
退役:1952年
運用状況:退役
概要
1937年(昭和12年)末川西航空機(以下、川西)は水上機の需要減少を見込み川西龍三社長の下で次機種制作を討議した。
川西社内で九八式飛行艇の陸上攻撃機化、新型艦上攻撃機開発、新型陸上戦闘機開発の三案を検討した結果新型陸上戦闘機開発案が決まった。
川西の菊原静男設計技師は、12月28日に海軍航空本部を訪れ技術本部長多田力三少将に計画を提案した。
しかし海軍技術者から陸上機製作の経験が浅い川西の技術力に対して疑問の声があがったため審議会が開かれ1938年4月15日に「仮称一号局地戦闘機」として試作許可を受けた。
部品点数を零戦二一型の2/3に削減して量産性を大幅に高めていた。
自動空戦フラップも装備し改良により実用性を高めた。
零戦の弱点であった防弾装備の欠如に関し本機では、主翼や胴体内に搭載された燃料タンクは全て防弾タンク(外装式防漏タンク)であり更に自動消火装置を装備して改善された。
米軍の調査によると燃料タンクにセルフシーリング機能は無かったとされるが2007年(平成19年)にオハイオ州デイトンにおいて復元のため分解された陣風の燃料タンク外側に防弾ゴムと金属網、炭酸ガス噴射式自動消火装置が確認できる。
操縦席前方の防弾ガラスは、装備されていたが操縦席後方の防弾板は計画のみで実際には未装備だったとされている。
笠井によれば後部には、厚さ10cmくらいの木の板しかなく後方に不安を抱えていたという。
また志賀が急降下テストを行った際には、計器速度796.4km/hを記録し零戦に比べて頑丈な機体であることを証明した。
制式名称 陣風一一型
機体略号 A7K
全幅 12.0m
全長 9.376m
全高 3.96m
翼面積 24.0m²
翼面荷重 166.67kg/m²
自重 2657kg
正規全備重量 4000Kg
発動機 誉二一型(離昇1990馬力)
最高速度 596km/h/5600m
実用上昇限度 10760m
航続距離 1800km(正規)/2500km(過荷)
武装 翼内20mm機銃4挺
機首20mm機銃2挺
(携行弾数各250発)計1000発
(携行弾数各250発)計500発
爆装 60kg爆弾4発、250kg爆弾2発
局地戦闘機
雷電
用途:戦闘機
分類:局地戦闘機
設計者:佐野栄太郎
製造者:三菱重工業
運用者:日本海軍(海軍航空隊)
初飛行:1940年3月20日
生産開始:1941年9月
開発の経緯
戦前爆撃機隊により甚大な被害を受けると判断した海軍は、十二試艦上戦闘機(零式艦上戦闘機)の開発要求前である昭和11年(1936年)9月に三菱単独指名で「十一試局地戦闘機」(以下、「十一試局戦」と略)を提示し翌昭和12年(1937年)4月に「十一試局地戦闘機計画要求書」を交付した。
計画書に記載されていた海軍の要求値は、概ね以下の様なものであったとされる。
最高速度高度6000 m において325ノット(約601.9 km/h)以上。
340ノット(約629.7 km/h)を目標とする。
上昇力高度6000 m まで5分30秒以内。
航続力最高速(高度6000 m)で0.7時間以上(正規)。
武装20 mm 機銃6挺。
その他操縦席背面に防弾板を装備すること。
これを受けた三菱では、佐野栄太郎を設計主務者とした設計陣を組み開発に取り組んだ。
概要
大型爆撃機の迎撃を主任務の一つとする局戦に要求される性能は敵爆撃機が飛行している高度に短時間で到達する上昇力、敵爆撃機に追い付く速力、そして一瞬のチャンスに敵爆撃機へ致命傷を与え得る火力の三つである。
これらを重視して開発されたのが雷電であるが雷電の開発は、困難で時間がかかり任務に就いた後でも全ての技術的な問題が解決されたわけではなかった。
戦歴を通して終始エンジンに起因する問題を抱えていた。
制式名称 雷電一一型 雷電二二型
機体略号 J1M2 J1M4
全幅 10.8m
全長 9.695m 9.945m
全高 3.945m
主翼面積 20 m²
自重 2539 kg 2510 kg
正規全備重量 3507 kg 3482 kg
翼面荷重 175.35 kg/m2 174.1 kg/m2
発動機 火星二三型甲(離昇1800馬力) 火星二六型(離昇1800馬力)
最高速度 596.3km/h(高度5450m) 614.5 km/h(高度6585m)
上昇力 6000mまで5分38秒 6000mまで6分20秒/8000mまで9分45秒
降下制限速度 740.8 km/h
航続性能 1898km(機内燃料)/2519 km(増槽あり) 全力0.5時間 + 巡航2.4時間
武装 20mm機銃4挺(九八式二〇粍機銃二型210発×4)
20mm機銃2挺(九八式二〇粍固定機銃250発×2)
爆装 30~60kg爆弾2発
艦上爆撃機
九八式艦上爆撃機
用途:急降下爆撃機
製造者:三菱重工業
運用者:日本海軍
初飛行:1937年
運用状況:退役
概要
海軍から試作の下命を受けたのは、中島飛行機と三菱航空機であった。
十一試艦上爆撃機では、実用化に向けて堅実な設計が求められたが試作機には「護」エンジン(寿の複列化)を用いて量産機には「栄」エンジンを用いた。
三菱では、設計主務者を河野文彦技師として開発に着手し高速性を実現するため機体の空気抵抗を軽減させるという方針で設計を進めた。
昭和12年(1937年)に初飛行に成功した。
本機は、固定脚を採用しているにもかかわらずアメリカ海軍のSBAと同等の速度に達しなおかつすぐさま大量生産が可能だった。
中島社製の十一試艦爆と競争試作されたものであるが中島十一試艦爆は、海軍側の要求変更に対し設計が間に合わず納期遅れで失格となった。
これにより本機は、昭和13年12月16日「九八式艦上爆撃機一一型」として海軍に正式採用された。
制式名称 九八式艦上爆撃機一一型
記号 D3M
全長: 10.34m
全幅: 14.55m
全高: 3.66m
主翼面積: 30.58m²
自重: 2230kg
全備重量: 3322kg
エンジン: 栄一二型空冷星型14気筒エンジン940HP×1
最大速度: 423km/h
航続距離: 1700km
実用上昇限度: 8600m
乗員: 2名
武装 機首固定:7.92mm×2、後方旋回:7.9mm×1
爆弾 爆装 250kg × 1、60kg × 2
彗星艦上爆撃機
用途:艦上爆撃機
分類:爆撃機
設計者:海軍航空技術廠、山名正夫
製造者:愛知航空機
運用者:大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1938年11月15日
生産開始:1939年11月
運用開始:1941年12月
退役:1957年
概要
単発複座の高速艦上爆撃機として設計された彗星は、零式艦上戦闘機とほぼ同サイズとなる艦上爆撃機としてはかなりの小型機である。
機体下部の爆弾倉と中翼配置と空力を重視した平滑な機体外形を採用している。
海軍の航空技術研究機関である海軍航空技術廠(以下、空技廠と略)で開発された本機は、当時の最新技術を多数盛り込んだ性能優先の設計とされた。
本機で採用された機構は、彗星自身の高性能化に貢献しただけではなく後に開発される晴嵐といった海軍機の多くにも採用された。
制式名称 彗星艦上爆撃機一一型
機体略称 D4Y1
全幅 11.50m
全長 10.22m
全高 3.175m
主翼面積 23.6m²
自重 2440Kg
全備重量 3650Kg
発動機 金星五四型
最大速度 541km/h
上昇力 高度5000mまで7分14秒
航続距離 1517km(正規)~2389km(過荷)
武装
機首12.7mm固定機銃2挺
後上方7.9mm旋回機銃1挺
爆装 胴体250kgまたは500kg爆弾1発
翼下250kg爆弾2発
乗員 2
艦上攻撃機
九七式艦上攻撃機
用途:艦上攻撃機
設計者:高橋巳次郎
製造者:三菱重工業
運用者:大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1937年1月8日
運用状況:退役
概要
三菱重工業で開発された一号(B5M1、後に九七式艦上攻撃機一一型と改称)に採用された密閉式風防や上方折り畳み主翼、海軍実用機初のセミインテグラル・タンクや可変ピッチプロペラなどの新技術は後の天山に採用している。
一号の完成は、11年12月31日で翌12年1月8日(1937年)には初飛行に成功している。
この一号の発動機を「光」から「栄」一一型に変更したものを九七式二号艦上攻撃機(B5M2、後に九七式艦上攻撃機一二型と改称)として採用し以後生産の中心は二号に移る。
また特殊な派生型として一一型を練習機に改造した九七式練習用攻撃機一一型(B5M1-K)が存在する。
乗員:3名
全長:10.3m
全幅:15.518m
全高:3.7m
主翼面積:37.7m²
自重:2200kg
全備重量:3,800kg(正規)、4,100kg(過荷)
翼面荷重:101.8kg/m²
発動機:中島「栄」一一型 空冷複列星型14気筒 出力970馬力(公称) × 1
最大速度:377.8km/h(高度3,600 m)
巡航速度:263km/h(高度3,000 m)
着陸速度:113km/h
上昇時間:3,000mまで7分40秒
実用上昇限度:7640m
航続距離:1021km(正規)、1993 km(過荷)
武装: 7.9mm旋回機銃×1
爆装
800kg魚雷×1 800kgまたは500kg爆弾×1 250kg爆弾×2 60kg爆弾×6のいずれか
天山艦上攻撃機
用途:艦上攻撃機
設計者:松村健一
製造者:中島飛行機
運用者:大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1939年3月14日
生産開始:1941年2月
運用開始:1941年7月
運用状況:退役
概要
昭和12年(1937年)10月海軍は、早くも十試艦上攻撃機の後継艦上攻撃機として「十二試艦上攻撃機計画要求書」を中島飛行機に提示した。
開発要求書に記載されていた内容は、概ね以下のようなものだったとされる。
最高速度 463.0km/h以上
航続距離 (雷装時)3334km以上
発動機 昭和14年度で装備可能なエンジン
これを受けた中島飛行機では、社内名称BKとして松村健一技師を設計主務者とする設計陣が開発に当たることとし昭和13年(1938年)5月から本格的に開発を開始した。
制式名称 天山一一甲型
機体略称 B6N
全幅 14.894m(主翼折畳時7.1935m)
全長 10.865m
全高 3.820m
主翼面積 37.202m²
自重 3,083kg
正規全備重量 5200kg
過荷重重量 5650kg
発動機 火星二五型(離昇1850馬力)
最高速度 481.5km/h(高度4000m)
実用上昇限度 9040m
航続距離 1746km(正規)/3045km(過過重)
爆装 60kg6発、250kg2発、500kgまたは800kg爆弾1発
雷装 八九式航空魚雷1発
武装 13mm旋回機銃1挺(後上方)
乗員 3名
夜間戦闘機
零式複座双発陸上戦闘機
用途:戦闘機
設計者:土井武夫
製造者:川崎航空機
運用者:大日本帝国および大日本帝国海軍
初飛行:1939年5月
運用開始:1941年10月
運用状況:退役
概要
1930年代半ば航空先進国の欧米の航空技術者たちの間では、「双発万能戦闘機」なる機体の開発が盛んに行われていた。
双発機は、単発機より航続距離が長く爆撃機に目的地まで随伴し護衛が可能である。
運動性は、単発機に劣るが二基エンジンの大出力で単発機を上回る高速でこれをカバーする。
武装(機関銃/機関砲)は、機首に集中装備しこれをカメラに変えれば写真偵察機となる。
大出力と大柄な機体により搭載力が大きく爆撃機ないし攻撃機として多くの爆弾やロケット弾を搭載可能で航法装置や強力な通信機を搭載し複座として後部乗員を航法士・通信士とすることで嚮導機・指揮機ともできる。
結果一機種で戦闘・爆撃・偵察・指揮など多用途な機種としてP-38 ライトニング、メッサーシュミット Bf110やポテ 631といった機体が次々と現れた。
これに影響を受けた日本陸海軍は、1935年(昭和10年)主要航空機メーカーに対し双発複座戦闘機の研究開発を命令し川崎造船所(のちの川崎航空機)にはキ38の名で開発を命じた。
モックアップで止まったキ38に引き続き同年12月陸海軍は、実物の試作機を作る目的で川崎に対しあらためてキ45の開発を命じた。
川崎は、井町勇技師を設計主務者に据え作業着手し1937年(昭和12年)1月に試作1号機が完成した。
しかしながら装備されたハ20乙エンジンは、馬力不足なうえに故障が続出しテスト飛行の結果も軍の要求を到底満足させるものではなくキ45の性能は遠く要求に及ばなかった。
また機体にもナセルストールを引き起こすという問題がつきまとった。
キ45は、不採用になったが双発複座戦闘機の実用化を強く要望する陸海軍は開発の継続を川崎に命じた。
川崎は、これを受けエンジンを実績のあるハ25に換装し設計主務者を土井武夫技師に代え作業に着手した。
ハ25装備の機体は、「キ45第一次性能向上機」と呼ばれテスト飛行で好成績を示し増加試作機が8機製作されたがナセルストールを引き起こすという問題は未解決のままで実用機としては不採用になった。
陸海軍は、この機体をベースにして改修を施せばさらなる高性能機を生み出せると判断し1938年(昭和13年)10月「第二次性能向上機」の試作を命じエンジンには、より強力なハ115(離昇出力1150HP)の採用を命じた。
川崎は、キ45に見切りをつけており機体は1938年(昭和13年)5月に完成したばかりの九八式双軽爆撃機の基本設計を流用して全くの新設計とした。
ナセルストールもナセル自体の取り付け位置を主翼中心よりもより下に配置するなどして解決した。
この機体には、キ45改の名称が与えられ試作1号機は1939年(昭和14年)9月に完成し各種飛行テストが続けられ1940年(昭和15年)2月(皇紀2600年)に零式複座双発陸上戦闘機として制式採用された。
制式名称 零式複座双発陸上戦闘機
機体略称 J1KW
乗員:2名
全長:11.00m
全幅:15.07m
主翼面積:32.20m²
自重:4000kg
全備重量:5270kg
動力:栄二一型空冷複列星型14気筒エンジン
出力:1130HP
最大速度:557km/h
航続距離:1,500 km
実用上昇限度:10000m
上昇率:5000/7'00"
武装:7.9mm(旋回)×1・20mm×4
製作会社:川崎航空機
水上観測機
九八式水上観測機
用途:水上観測機
製造者:中島飛行機
運用者:大日本帝国海軍
運用開始:1938年(昭和10年)9月
運用状況:退役
概要
海軍省は、1933年(昭和8年)に短距離偵察と弾着観測を主任務とし高い空戦能力を持つ複座水上偵察機の試作を八試水上観測機の名称で愛知航空機(現・愛知機械工業)と中島飛行機に指示した。
これは、従来の水上偵察機に水上戦闘機的な性格を持たせ敵の同種機の妨害を排除しつつ任務遂行できる機体を目指していた。
中島が試作した機体は、速度は犠牲とし空戦能力と上昇力を重視してあえて複葉機とした。
胴体は、全金属製のセミ・モノコック構造で細身の楕円状の主翼を有していた。
フロートや主翼間の張り線や支柱は、極力省き尾翼も片持ち式とし空力的に考慮された設計となっていた。
1934年(昭和9年)6月に試作1号機が完成し愛知が試作した機体に加え川西航空機(現・新明和工業)から提案された機体も加えた三者で比較審査が行われた。
中島の提案した機体は、速度や運動性能に関して言えば要求通りだったものの飛行中不意に自転する傾向があることが指摘された。
この解決のために中島では、主翼の形状を大幅に改め直線整形のものにした他垂直尾翼も20種類以上の形状を試用し増面積するなどの必死の改修を行った。
一方川西は、中島の複葉に対抗するべく単葉機で臨んだが初期試験段階で落第した。
当初のエンジンは、九一式六〇〇馬力発動機二型であったがこの改修中に中島製の新型エンジン「栄」(複列・出力約940hp)が完成したため2号機ではこれに換装したところ速度面等が大幅に改善し最高速度390km/hで5000mまでの上昇力8分と高性能を発揮した。
だが競争相手の愛知機も格闘戦に優れた優秀機で慎重な比較検討がなされたが本機の方が格闘性能が優秀であることと愛知機の主翼外板が合板製であり温度・湿度に対する脆弱さがある点が問題となり1938年(昭和15年)12月「九八式一号観測機一型」として制式採用された。
乗員:2名
全長:9.50m
全幅:11.00m
全高:4.00m
主翼面積:29.54m²
空虚重量:1928kg
全装備重量:2550kg
最大離陸重量:2856kg
最高速度:390km/h
発動機:中島 空冷星型14気筒「栄一二型」(離昇940hp)
航続距離:1070km
実用上昇限度:9440m
上昇率:5000m/8'24"
武装:八九式7.92mm機銃(機首2門)、九五式7.9mm機銃(後方旋回式1門)
60kg爆弾×2
水上偵察機
九八式水上偵察機
用途:偵察機
分類:水上機
製造者:愛知航空機
運用者:大日本帝国(日本海軍)
運用状況:退役
概要
昭和10年に日本海軍は、九四式水上偵察機の後継機十試三座水上偵察機の開発を川西航空機製作所と愛知航空機に指示した。
海軍からの要求は、艦載機としても水上基地からでも運用できる長距離偵察機ということで最大速度は370km/hとなっていた。
試作機の納期は、昭和11年9月までとされていたが愛知航空機では他の機体の試作・改良で手一杯で製作する余力がなく納期に間に合わず失格とされた。
しかし愛知航空機では、研究資料とするために製作を続行し昭和12年1月に1号機が完成した。
機体は、金属製(主翼の翼端は木製)で低翼単葉の双浮舟式の水上機で主翼は折りたたみが可能であった。
フラップは、単純フラップとなっていた。
エンジンの出力も武装も九四式水上偵察機よりも強力になっていたが特に胴体に爆弾倉を設けていて小型の爆弾ならば2発搭載が可能だった。
昭和12年6月に川西製の機体が事故で失われたため急遽海軍では、愛知製の機体を受領し横須賀で試験を行った。
その結果飛行性能優秀ということで採用内定となり昭和13年12月に正式採用された。
諸元
乗員:3名
全長:11.49m
全高:4.70m
翼幅:14.50m
翼面積:36.20m²
空虚重量:2524kg
運用時重量:3,650kg
動力:三菱 金星 43型 空冷式複列星型エンジン14気筒、 1,080馬力/2,000m × 1
性能
最大速度:367 km/h
航続距離:3326 km /14.9h
実用上昇限度:7,950 m
上昇率:3,000 m/5'27"
武装
固定武装: 7.9mm機関銃×1
爆弾:60kg爆弾×4または250kg爆弾×1
陸上攻撃機
深山陸上攻撃機
用途:陸上爆撃機
設計者:海軍航空技術廠 山名正夫中佐、三木忠直少佐
製造者:中島飛行機
運用者:大日本帝国(日本海軍)
初飛行:1940年6月
生産開始:1941年8月
退役:1967年
運用状況:退役
概要
1937年(昭和12年)頃海軍では、防弾を装備した航空機を配備するのが望ましいと考えられていた。
その頃空技廠では速度記録機Y-10、航続距離記録機Y-20、高度記録機Y-30の研究を行っていた。
その後海軍からの要求に応えるかたちでY-20をベースにドイツから輸入したJu 88Aに使用されている技術を導入することで高性能攻撃機を開発することとなり十一試艦上爆撃機(D4Y1。後の彗星)試作一号機が初飛行して間もない1938年(昭和13年)末に「十三試双発陸上攻撃機」として開発が命じられた。
ただしJu 88Aの技術は、参考にならなかったとされる。
開発主務者は、彗星の設計主務者を務めた山名正夫技師である。
実際には、総括主務の三木忠直技師が指揮していた。
十三試陸攻に対する海軍の要求性能は、概ね下記の様なものだったとされる。
九六式陸攻と同等以上の航続力を持つこと(約5556 km)。
九六式艦戦と同等以上の速力を発揮可能なこと(約511.2 km/h)。
雷撃が可能なこと
離陸滑走距離600m以内。
なお日本海軍の定義では、急降下爆撃機が「爆撃機」で雷撃機が「攻撃機」に分類される。
制式名称 深山一一型
機体略称 G4Y
全幅 20.0m
全長 15.0m
全高(水平) 5.3m
主翼面積 55.0m²
自重 7138kg
正規全備重量 10500kg
過荷重重量 13500kg
発動機 火星二五型(離昇1850馬力)
最高速度 522.3km/h(高度5400m)
実用上昇限度 9560m
航続距離 2000km(正規)/5370km(過過重)
爆装 250 - 500kg爆弾2発又は800kg爆弾1発
雷装 八九式航空魚雷1発
武装 20mm旋回機銃2挺(機首・後部)
乗員 3名
練習機
九九式機上練習機
概要
機上作業練習機とは艦上攻撃機、艦上爆撃機、陸上攻撃機、観測機のような多座機における操縦員以外の乗員の任務である航法、通信、爆撃、射撃、写真撮影、観測などの訓練を行うための機体である。
日本海軍では、操縦員以外でこれら任務を行う飛行機搭乗員を一括して「偵察員」と呼び複座機や大型機の比率が多かったため偵察員は操縦員と同数ぐらい必要であった。
海軍初の機上作業練習機である九〇式機上作業練習機は、昭和6年から使用され続けていたが流石に性能的に不満が出てきた。
そこで海軍は、昭和12年に後継機の開発を渡辺鉄工所(後の九州飛行機)に指示した。
渡辺では、昭和12年6月から設計を開始し昭和13年11月に試作第1号機を完成させた。
全金属製モノコック構造の胴体に木製骨組み合板張りの主翼を有した中翼単葉機で主脚は固定式でエンジンは、515hpの日立天風を1基搭載していた。
角型断面のやや幅広の胴体には、操縦員1名の他教官と3名の練習生を搭乗させることが可能で座席の配置は訓練の内容によって変更可能であった。
テストの結果若干の安定性不良が指摘されたが改修可能で昭和14年試製九九式機上練習機(K11W1)として量産が開始された。
その後教官席を廃止し代わりに練習生の搭乗人数を増加させた試製九九式機上練習機改(K11W2)が試作され昭和15年3月に試製九九式機上練習機共々制式採用された。
その際試製九九式機上練習機は、一一型で試製九九式機上練習機改は二一型と呼ばれるようになった。
運用
安定性や操縦性が良好で機内スペースが広く汎用性に優れた機体だったため戦争直前の練習航空隊には本機が必ずと言ってよいくらい配置され終戦まで活躍した。
また近距離輸送や連絡、対潜哨戒等の任務でも利用された。
燃料は、「八〇丙」と呼ばれるオクタン価80のアルコール燃料を使用していた。
スペック
全幅:14.98m
全長:9.98m
全高:3.10m
機体重量:2569kg
エンジン:天風二一型空冷9気筒515hp
最大速度:230km/h
航続距離:1176km
武装12.7mm機関銃×1
爆弾60kg(30kg×2)
乗員:5名
九九式高等練習機
概要
1935年(昭和10年)以降の航空機の発達は急速なもので特に1936年(昭和11年)に採用された九六式艦上戦闘機や九八式艦上爆撃機などは低翼単葉機で陸海軍は、それまでの九五式一型練習機などの複葉機に代わる近代的な練習機の必要性を感じていた。
折りしも1938年(昭和十三年)に制式採用された九八式直接協同偵察機(キ三十六)の低速安定性に注目した陸海軍は、翌1939年(昭和14年)に立川に対して九八式直協を練習機に改造したキ五十五の開発を指示した。
立川では、開発期間を短縮するため製作途中の九八式直協二機を改造して原型機とすることにし同年三月と四月に原型機二機を完成させた。
陸海軍の審査の結果は、良好で1939年七月に九九式高等練習機として制式採用された。
スペック
全長:8.00m
全幅:11.80m
全高:3.64m
主翼面積:18.1m²
自重:1292kg
全備重量:1721kg
エンジン:日立 天風 空冷単列星型9気筒エンジン 510 hp/2300 rpm(離昇) ×1
最大速度:349km/h
航続距離:1060km
実用上昇限度:8180m
乗員:2名
武装:七・九二粍機関銃(八九式固定機関銃)×1
輸送機
九七式輸送機
用途:輸送機
設計者:明川清
製造者:中島飛行機・立川飛行機
運用者:日本(陸軍・海軍)
初飛行:1936年6月12日(原型機)
生産数:318機+α
運用開始:1937年11月
運用状況:退役済
開発
中島が1936年(昭和11年)に完成させた国産初の近代的な旅客機であるAT-2は、当時としては優れた性能を示していた。
これに陸海軍が目をつけ軍用輸送機(キ34)として翌1937年(昭和12年)4月に改修を指示し11月に審査完了した。
九七式輸送機として制式採用した。
緒元
全長 15.30 m
全幅 19.92 m
全高 4.15 m
翼面積 49.20 m2
自重 3500 kg
全備重量 5250 kg
エンジン 寿 空冷9気筒 650np×2
最大速度 365km/h
航続距離 1270 km
乗員 3名
乗客 8名
秋空
用途:輸送機
分類:貨物輸送機
設計者:土井武夫
製造者:川崎航空機
運用者:日本(陸軍、海軍)
生産開始:1941年
運用状況:退役
開発
日本陸軍、海軍と日本航空輸送(のちの大日本航空)はアメリカの高速旅客機ロッキード L-14 スーパーエレクトラに注目し1938年(昭和13年)にライセンス権を取得した。
1939年(昭和14年)に陸海軍は、L-14 スーパーエレクトラの着陸時の安定性や貨物搭載量を増加させた改良機であるキ56の開発を川崎に対して指示した。
川崎では、土井武夫技師を主務者として設計に着手し1940年(昭和15年)11月に試作第1号機を完成させた。
原形機からの改修点は胴体の延長、フラップの改修、栄二一型エンジンへの換装で胴体の延長により安定性が増した他搭載量も増加した。
審査の結果一部改善箇所が指摘されたものの1941年(昭和16年)12月に一式貨物輸送機(海軍名は、秋空)として制式採用された。
胴体左側面に大型の貨物専用扉が設けられているのが特徴で空冷エンジンならば3基まで搭載できる。
また貨物輸送の他兵員輸送も可能でこの場合兵員14名または落下傘兵10名を輸送することができる。
原型となったL-14と比べると胴体の延長や全備重量の増大により上昇力や速度性能が低下したが安定性や離着陸性能は、向上し搭載量が増加したためより実用的な機体となった。
緒元
全長 14.9m
全高 3.60m
全幅 19.64m
翼面積 51.20m²
エンジン 栄二一型×2(1150hp)
乗員 3-4名
最高速度 458km/h(高度3,400m)
最高到達高度 7400m
航続距離 3300km
自重 4672kg
搭載量 2400kgの物資または兵士14名
最大離陸荷重 8024kg