六六機動部隊物語   作:緒方一郎

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プロローグ 陸海軍兵器解説

機関砲

九八式四十粍高射機関砲

 

概要

1935年(昭和10年)スウェーデンのボフォース社からライセンス生産したものである。

しかし製造に手間取り制式採用は、1938年のことだった。

 

魚雷

酸素魚雷(別名九一式魚雷)

酸素魚雷では、通常の魚雷で使用される圧縮空気ではなく純酸素を酸化剤として使用し燃料と混合して燃焼させ炭酸ガスを排出する。

炭酸ガスは、海水に良く溶けるためほぼ無航跡とすることができ隠密性の上で大きな意味を持った。

また燃焼効率も大きく上がり高速推進を可能としたほか長い航続力をも併せ持つことができた。

このように使用する酸化剤を酸素のみとすることで多くの利点が得られることは広く知られていたが同時に酸素の反応性の高さから燃焼開始時などに容易に爆発するという技術上の問題点が立ち塞がっていた。

このような事情から各国ともに酸素魚雷の開発に力を入れていたものの頻発する爆発事故で中止の止む無きに至っていた。

このような中で1931年(昭和6年)日本は、世界に先駆け酸素魚雷の開発に成功し以降大戦を通じて唯一の酸素魚雷運用国となった。

酸素魚雷は当時の一般的な魚雷と比べ雷速(魚雷速度)、炸薬量で勝り射程は数倍で加えて無航跡という高性能なもので米軍は開戦当初には魚雷性能を把握できない状況で被害を受けたが1944年になってようやく把握して諸元情報を配布しこれを警戒した。

しかし一方で酸素魚雷の整備性は、良好とはいえず誤爆を防ぐために充分なメンテナンスを要しまた速すぎる雷速の為船底爆破用の磁気式の信管が使用できず接触式信管を採用せざるを得ないなどの短所もあった。

後に日独技術交換により大日本帝国海軍からドイツ海軍へも試験供与されたが戦略的位置付けの違いもあり整備性の悪さなどからUボートでの使用には、適さないと判断され採用されていない。

 

高角砲

四十五口径四二式八糎八高角砲

 

概要

ドイツの「Flak L/45 1906年型 8.8cm(45口径)高角砲」をライセンス生産したもの。

 

五十口径九一式九糎高角砲

 

概要

フランスの「1926年型9cm(50口径)高角砲」をライセンス生産したもの。

 

五十六口径九五式十二糎七高角砲

 

概要

第二次世界大前から航空機は、急速に発達し高高度での作戦行動可能な爆撃機が次々と登場すると予想された。

これに対応するため海軍の技術協力を受け十二糎七の高角砲が開発された。

54口径91式9糎高射砲よりさらに大きい口径となったがそれは

中口径の砲では、高高度まで砲弾を上げるのに限界がある

初速を上げなければ高高度まで到達できないが口径の小さい砲では、初速が高すぎると砲身寿命が短くなる

威力の向上

などの理由によるものである。

本砲は、要地防空が目的のため固定式でありそれにより

電気式で高性能な高射照準具(算定具)の装備

自動装填装置の装備

従来の歯車式の人力操作と違い海軍式の電動モーター駆動の水圧伝導機による迅速な操作が可能

信管は、時計式の機械信管を採用し信管の測合も自動装填装置の作動中に行われる

などそれまでの野戦高射砲とは歴然とした性能差をもつ高射砲となった。

戦後の米軍の調査資料によれば本砲の実用発射速度は、毎分15発となっている。

 

使用勢力 大日本帝国陸海軍

採用年 1935年(昭和10年)

口径 12.7mm

砲身長 6710mm(56口径)

初速 853m/秒

最大射程 20500m

最大射高 14000m

発射速度 毎分15発(実用速度)

重量 19.80トン

 

六十・三五口径九七式十五糎高角砲

 

開発経緯

この砲が存在するに当たっては、五十六口径九五式十二糎七高角砲とB-17爆撃機が重要である。

陸軍は、当初B-17に対しては五十六口径九五式十二糎七高角砲で対処出来ると判断していたが同爆撃機が高度10000~15000メートルの高高度で侵入した場合に心もとないことが明らかとなり有効射高のより高い新型高射砲の開発が急務となった。

このため五十六口径九五式十二糎七高角砲の設計者は、陸軍技術研究所火砲設計部の総力を挙げて有効射高16000メートルの口径15cmの新型高射砲の設計を1936年(昭和11年)4月1日に完成させた。

大阪陸軍造兵廠と日本製鋼所で各一門完成し実弾射撃試験に合格した。

 

要目

 

砲身

重量 9.2トン

砲身長 9メートル (60.35口径)

射界

高低 0~+85度

周囲 360度

最大射程 26000メートル

最大射高 19000メートル

発射速度 約六秒/発

 

航空無線機

九一式飛二号無線機

 

概要

昭和4年度から審査を開始した。

この中距離飛行機用機材は短波および中短波を使用し電信通信距離は十号無線機と対向通信し150km、放送300km、重量約50kgを目指すものだった。

昭和5年度中に通話機能の追加し対地送信500kmとなるよう審査要件が変更された。

対地受信もこれと同程度となるよう研究が行われた。

同年6月から8月に試作機を試験し改修した。

さらに下志津陸軍飛行学校で初期の性能を持つことが確認された。

十一号無線機と対向した場合には、空地間距離20kmで電話通信が可能であり30kmでの通話も可能だった。

十号無線機と対向した場合には70kmの距離で電話通信が可能だった。

変調器を改善することで通信能力の増強が見込まれた。

昭和6年2月満州北部で冬期試験を実施した。

電気的機能になお改善の必要があったが距離500kmでの空地間通信が可能だった。

電源を除き外気温に対して特別の処置を講じる必要はなかった。

昭和6年度には、以下のように審査要件が修正された。

短波または中短波を使用

重量約50kg

十号無線機と対向し通信距離500km

十一号無線機と対向し約30kmの電話通信が可能であること

である。

また爆撃機への搭載用にも研究された。

昭和6年4月には、飛行第七連隊の重爆撃機に十五号無線機を搭載し試験した。

周波数帯の選定によっては、距離1000kmで実用通信が可能だった。

7月には、型式を確定した。

昭和7年初頭満州北部で試作機を試験した。

性能は、概ね良好で受信機の感度が良好で取扱いが容易と判定された。

ただし一部試験は、実施できなかった。

昭和7年中に審査要件が変えられ対地電信送信距離が600kmに延長された。

昭和7年7月には、乾電池と蓄電池を廃止し8月から10月には初期の性能を持つことが確認された。

昭和8年3月短期に製造可能なことが確認された。

11月には、仮制式制定が容認され12月に上申が行われた。

 

九一式飛三号無線機

 

概要

大正13年4月21日航部発乙第六五号により審査開始した。

当初通信距離は、戦闘機相互で5kmで戦闘機用対空機には10kmの通話を目標とした。

重量は30kg以内で送受信器の分離使用を可能な限り目指した。

大正14年4月13日航部発乙第七六号によって審査要件が修正された。

変更内容は偵察機用対空機に対する通話距離が20km、重量が40kg以内、可能な限り小型かつ送受信器を分離できること、審査期限を昭和3年までとすることである。

これと従前の調査研究を踏まえて改飛三号機として第一次試作を開始した。

要件達成に努力が注がれまた戦闘機間で5kmで改対三号機と対向することで30kmの通信を行うことが目指された。

大正15年6月に野外試験を実施しサルムソン2とF.60に搭載した。

結果固定空中線では空対地5kmで飛行機相互3kmの通話距離を得た。

5m長の垂下空中線では、空対地30kmで飛行機相互10kmの通話距離が得られた。

昭和2年1月25日航乙第六四号によって審査要件に変更が加えられた。

内容は審査期限を延長すること、現用無線機が戦闘機用として最適とは言えないこと、無線装備が絶対重要であるため、超短波等の研究と並行し優良機材を得るのが妥当とされたことである。

昭和2年改飛三号機の研究を中止し新規に飛行機用超短波機の研究が開始された。

昭和2年11月から翌年2月にかけて試作機材を試験した。

送信電力機上75ワット、地上200ワット、周波数は100000から80000キロサイクル毎秒である。

空中線は、機上送信半波長垂直型と受信全波長型を使用した。

昭和3年これは、十六号機として研究が進められた。

性能は重量約40kg、超短波を使用して戦闘機相互5km、対地20kmとされた。

さらに戦闘機相互に10kmから15kmの通信が可能なよう研究が進められた。

昭和4年超短波または、短波を使用して戦闘機相互に10kmから15kmで対地20kmの通話を目指した。

全備重量は、目標40kg以内である。

昭和4年9月基礎研究を開始し12月に中短波機の試作を開始し昭和5年3月に完成した。

同年審査要件が変更された。

超短波または中短波を使用すること、戦闘機相互に10kmから15kmの通話ができ、重量40kg以内とされた。

また対空用十号機との通話が目指された。

昭和5年7月から数次の試験を経て型式と通話距離を決定した。

昭和5年12月4日航乙第一〇九六号では、垂下空中線を採用し無線電話機の改善し濾過用蓄電池の決定を指示した。

ほか性能向上と方向性除去を図り実用審査に移った。

昭和6年1月から3月まで陸軍航空本部に試験を依託し若干の改修を行えば機能は、概ね良好であり取扱いが容易で実用可能と判断された。

同年審査要件が変更され重量30kg以内とすること、偵察機、爆撃機からの送話を受信できることが加えられた。

昭和7年2月短期に整備可能であることが確認された。

昭和7年11月陸海軍航空本部は、仮制式制定の上申を認可し12月に上申された。

 

機銃

九六式十二・七粍固定機関砲

 

概要

1934年(昭和9年)それまでの主力航空機関銃であった八九式固定機関銃(LMG08/15のライセンス生産)の威力不足が予想されたため陸軍航空本部は、従来の機関銃に代わる口径12.7mmの機関砲の開発を新たに計画(試製十二・七粍固定機関砲)し以下の4種類の試作を小倉陸軍造兵廠・名古屋陸軍造兵廠・中央工業に担当させた。

ホ101 - 八九式固定機関銃の口径拡大型

ホ103 - アメリカから購入していたブローニング AN/M2航空機関銃(MG53-2)のコピー

ホ104 - ホ101の旋回機関砲型

1935年(昭和10年)審査の結果中央工業製のホ103が優秀であったためこれを1936年(昭和11年)に九六式十二・七粍固定機関砲として制式採用した。

 

九七式二〇粍固定機銃

 

概要

九六式戦闘機乙型を筆頭に採用され始めた口径12.7mm(12.7x81SR弾)のホ103 九六式十二・七粍固定機関砲をベースに機関部などを20x94弾に対応・大型化した口径20mmの機関砲である。

軽量砲弾(弾丸)を使用するホ103の特質を受け継ぎ本砲は、同じ口径20mmながら20x125弾を使用するホ1 試製二十粍旋回機関砲・ホ3 試製二十粍固定機関砲よりも砲弾重量が約25%も軽くアメリカ軍の口径12.7mm(12.7x99弾)のAN/M2(ブローニング M2重機関銃の航空機関銃型。ホ103のベース)より砲自体の重量は軽量にかつサイズはコンパクトに抑えられ発射速度も勝る高性能機関砲であったがこれらの対価として(軽量砲弾ゆえに)弾道特性の悪化や威力減をまねいている。

徹甲弾による射撃試験では射程100mで20mmの装甲を貫通した。

弾種は九八式曳光徹甲弾、九八式曳光榴弾、九八式榴弾、マ202(特殊焼夷弾)、九八式代用弾(訓練用の演習弾)である。

 

 

九三式二〇粍旋回機銃

 

概要

1928年(昭和3年)夏頃日本海軍では、大型爆撃機に対処可能な大口径機銃の導入が検討されていた。

しかし当時世界で唯一20mm機銃の開発に成功していたドイツのベッカー砲も時代遅れになっておりライセンス生産しても意味がなかった。

そこで日本海軍は、八九式固定機銃と八九式旋回機銃を大型化した機銃を試作することにした。

そして1933年に旋回機銃の試作機が完成し各種試験を行った。

しかし試作機は、暴発や弾づまりが多発し実戦で耐えられるものではなかった。

そのため数挺生産されただけで本格的な量産には、至らなかった。

しかしこの経験が後に傑作となる九七式二〇粍機銃を生み出した。

 

九七式二〇粍機銃

 

概要

史実の九九式二号二〇粍機銃と同じ。

 

九四式旋回機銃

 

概要

九四式旋回機銃は、ドイツのラインメタル社が開発したMG15 7.92 mm機関銃を日本陸海軍がライセンス生産したものである。

 

種類 航空機関銃

製造国 日本

年代 第二次世界大戦

仕様

口径 7.92mm

銃身長 600mm

使用弾薬 7.92mm×57

装弾数 75発(甲型・サドル型ドラムマガジン)

作動方式 銃身後座反動利用

全長 1251mm

重量 7.2kg

発射速度 約1000発/分

銃口初速 750m/s

配備先 大日本帝国陸海軍

関連戦争・紛争

第二次世界大戦

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