第一章 真珠湾攻撃
連合艦隊の中で「無敵艦隊」の異名を持つ第七艦隊は、極秘任務のため一切の無線も使わず真珠湾へと向かっていた。
旗艦を務める「翔鶴」の艦橋では、司令官の塚原二四三(つかはらにしぞう)がはるか地平線をにらみながらここまでの経緯を思い出していた。
千九百三十一年ごろから始まった清中および日中での紛争は、千九百三十七年の第二次上海事変で全面戦争に突入寸前だったが英仏による治安維持隊の派遣を日中両国とも了承したため戦争は回避されたものだと思われた。
しかし千九百三十九年に勃発した第二次世界大戦で英仏の治安維持隊は、アメリカ経由で本国に送られたがこれを待っていたかのように中国軍が攻撃を再開した。
時の総理大臣だった阿部信行は、「もはや隠忍その限度に達し支那軍の暴虐を膺懲し南京政府の反省を促す」との声明を発表しこれに応戦した。
それに呼応するように第七艦隊から第十二戦隊、第六水雷戦隊および第七水雷戦隊が上海派遣軍の上陸援護のため先遣隊として艦砲射撃を行った。
だが敵の爆撃機による反撃で「霧島」の射撃指揮所が破壊され当時の砲術長が戦死した。
それでも当時の第十二戦隊の司令官南雲忠一(なぐもちゅういち)少将は、攻撃を続行しこの艦砲射撃で中国防御陣は壊滅し作戦を完了させた。
そして上海派遣軍は、中国軍の激しい抵抗を受けるものの南京を占領した。
しかし中華民国は、アメリカなどの後ろ盾によって抵抗を続けていた。
日本政府は、その後ろ盾をなくすべく国際連盟で中国を厳しく非難したもののアメリカを中心に多くの国が原因は日本側にあるとして非難決議を採択した。
日本は、千九百三十八年に決議された対日経済制裁逃れから千九百四十年から千九百四十一年にかけて仏印進駐を決定させた。
しかしこれがアメリカの対日経済制裁の踏切の決定打になりABCD包囲網は、完成されてしまった。
日本は、自国とインドシナから産出される石油では連合艦隊の全艦を運用するが難しかった。
そこで現在野村吉三郎(のむらきちさぶろう)駐アメリカ合衆国特命全権大使、来栖三郎(くるすさぶろう)遣米特命全権大使とコーデル・ハル国務長官の間で戦争回避のための最後の会談が行われていた。
「塚原司令、いかがなさいましたか?」
虚ろな目で地平線を見る塚原司令を心配したのだろう。
草鹿龍之介(くさかりゅうのすけ)参謀長が心配そうに声をかけた。
「えらいことを引き受けてしまった。
断ればよかった。
うまくいくかな」
塚原司令は、作戦をうまくこなせるか心配だった。
草鹿参謀長が励ましの言葉を言おうとしたときだった。
「失礼します」
通信室に詰めていた通信参謀の小野寛治郎(おのかんじろう)少佐が電文のつづりを持ってあわただしく艦橋に入ってきた。
「会談結果だな」
塚原司令の問いに「はい」と小野参謀が答えた。
「どうだ」
「『ニイタカヤマノボレ一二〇八』です」
新高山は、当時日本領であった台湾の山の名(現・玉山)で当時の日本の最高峰で一二〇八とは12月8日のことで「X(エックス)日を12月8日(日本時間)と定める」の意の符丁であった。
ちなみに戦争回避で攻撃中止の場合の電文は、「ツクバヤマハレ」であった。
十二月八日塚原司令の心配をよそに艦隊は、C地点に到着しようとしていた。
「変針命令を出せ」
塚原司令は、小野参謀に下令した。
「了解しました」
小野参謀は、発光信号を出すように命じた。
無線封鎖を行っているため信号手によるジェスチャーで意思疎通を行っていた。
信号手は、緊張しきっているようだが無理もない。
大日本帝国海軍初のーというより世界初の空母主体の機動部隊が一大作戦を行おうとしているのだ。
その戦力は
第七艦隊司令長官:塚原二四三中将、参謀長:草鹿龍之介少将
第一航空戦隊-塚原二四三直率、空母「翔鶴」、「瑞鶴」
第二航空戦隊-司令官:山口多聞少将、空母「蒼龍」、「黒龍」
第四航空戦隊-司令官:高橋三吉少将 空母「麗鶴」、「雅鶴」
第五航空戦隊-司令官:原忠一少将 空母「大鳳」、「祥鳳」
第六航空戦隊-司令官:近藤英次郎少将 空母「龍鳳」、「瑞鳳」
第七航空戦隊-司令官:三並貞三少将 空母「海鳳」、「白鳳」
艦載航空機八百八十八機(陣風艦上戦闘機三百二十八機、九八式艦上爆撃機二百七十六機、九七式艦上攻撃機二百七十機、天山艦上攻撃機六機)
第二戦隊-司令官:高須四郎中将、戦艦「甲斐」、「山城」、「伊勢」、「日向」
第八戦隊-重巡洋艦「利根」、「筑摩」
第一水雷戦隊-司令官:大森仙太郎少将、軽巡洋艦「最上」
第一七駆逐隊-駆逐艦「高潮」、「秋潮」、「春潮」、「若潮」
第一八駆逐隊-駆逐艦「陽炎」、「不知火」、「霞」、「霰」
第四水雷戦隊-司令官:西村祥治少将、軽巡洋艦「熊野」
第四駆逐隊-駆逐艦「嵐」、「萩風」、「野分」、「舞風」
第九駆逐隊-駆逐艦「朝雲」、「山雲」、「夏雲」、「峯雲」
である。
発信信号による変針命令を受けると艦隊は、いっせいに回頭してハワイに南下した。
乗員の錬度は、最高潮に達しており素晴らしい回頭を見ることができた。
しかし塚原司令の胸のもやもやは、晴れることはなかった。
運命の時間になり飛行甲板にはずらりと九八式艦上爆撃機と九七式艦上攻撃機が翼を広げ並べられていた。
その時艦橋に総隊長の淵田美津雄(ふちだみつお)中佐が入ってきた。
「長官、出撃準備完了致しました」
淵田中佐が発進準備が完了したことを伝えた。
「俺は、君達をここまで連れてきた。
あとは、君達だ」
塚原司令は、パイロットたちを無事にここまで連れてこれたことで少し肩の荷が軽くなったように感じられた。
「最後の情報が入った。
『真珠湾ニ在泊ノ艦、下ノ如シ。
戦艦九、乙巡三、水上機母艦三、駆逐艦十七、空母及ビ甲巡ハ全部出動シタリ。
艦隊ニ異常ノ空気ヲ認メズ」
草鹿参謀長が真珠湾に停泊中の艦船の艦種と数を読み上げた。
「空母は、いないのか?」
塚原司令は、がっかりしたように言った。
「はい、日曜日ですから朝までには必ず帰ってきます」
塚原司令を励ますように草鹿参謀長が強く断言した。
「君たち、出会いはしないかね?」
塚原司令は、攻撃隊が敵空母に遭遇する可能性を質問した。
「出会えばこっちが優勢です。
そのための六六機動部隊じゃないですか」
それに答えたのが第七艦隊航空甲参謀の源田実中佐だった。
「真珠湾に行けなくなる」
塚原司令は、本来の作戦を全うできなくなるのを危惧していた。
「良いじゃないですか、空母さえ叩けば」
源田参謀は、空母ーとうより航空機こそが次の主戦力と考えているためそれを運ぶ空母をつぶせば緒戦は優位に立てると考えていた。
「時間だ、行け」
草鹿参謀長が腕時計を見て叫んだ。
「はい、行って参ります」
そういって淵田総隊長は、去ろうとした。
「しっかり頼むぞ」
そういうと源田参謀は、淵田総隊長と固い握手をかわした。
そして淵田総隊長は、今度こそ艦橋を去った。
「第二次攻撃隊が発艦した後に敵空母を発見しても何もできないのがもどかしいな」
第二次攻撃隊発艦後は、味方空母に敵空母を攻撃できる攻撃用航空機がなくなってしまう。
「第二次攻撃隊帰還後に再攻撃を準備すれば間に合います」
源田参謀は、そんな弱腰の塚原司令の尻を叩くように強く言った。
「それも時間がかかり敵に攻撃のチャンスを作ってしまう。
わが艦隊は、何隻か失うことになる」
塚原司令は、自分が日露戦争で戦艦二隻を一挙に失った東郷平八郎長官の二の舞になることを予期していた。
第七航空戦隊旗艦「海鳳」では、飛行甲板で司令官三並貞三(みなみていぞう)少将が自ら訓示を行っていた。
「この作戦には、皇国の興亡がかかっている。
旗艦『翔鶴』は、これからZ旗を掲げる。
この旗に恥じぬよう奮戦してほしい。
以上だ」
三並司令の訓示が終わると搭乗員は、艦載機に乗り込んでいった。
そして全空母から艦載機が発艦した。
本来艦載機の発艦の順番は艦上戦闘機、艦上爆撃機で最後に艦上攻撃機であるが陣風艦上攻撃機の巡航速度が他の航空機よりはるかに速いため最初に艦上爆撃機と艦上攻撃機を発艦せて最後に陣風を発艦させる手はずになっていた。
しかし単座の艦上戦闘機だけで正確に真珠湾に行くのは、至難の業だった。
そこで速力と航続力がある天山艦上攻撃機を数機配備し水先案内人になってもらおうと考えた。
九八式艦爆と九七式艦攻が発艦し終わると飛行甲板に陣風が上げられた。
第二航空戦隊旗艦「蒼龍」の艦橋外からは、司令官の山口多聞(やまぐちたもん)少将が美しい翼を眺めていた。
「俺が若ければ」
山口司令は、飛行機に乗れる搭乗員が羨ましかった。
「飛びますか?」
参謀は、後方で指揮することを願っていたため前線に出るのはごめんだった。
「もちろんさ。
真っ先に行くさ」
このあたりが闘将と呼ばれるゆえんだろう。
攻撃隊は、途中雲の切れ間から見える日の出に日の丸国旗と重ね合わせ敬礼をした。
艦上攻撃機は、ひどい雲に入ってしまったためホノルルラジオの電波を逆探してオアフ島に向かっていた。
そして目的地のオアフ島上空に到着した。
その頃には、遅れて発艦した陣風も追いついてきた。
淵田総隊長は、信号弾を発射した。
この際奇襲の場合には、合図が信号弾一発で火災による煙に妨げられることない状況で対艦攻撃を実施させるべく艦攻による攻撃を先行させ強襲の場合には合図が信号弾二発で艦爆による対空防御制圧が先行させる作戦計画になっていた。
「総隊長、雷撃隊の反応がありません」
淵田総隊長が見ると村田重治少佐率いる雷撃隊が展開行動を起こしていなかった。
そこで淵田総隊長は、もう一発信号弾を発射した。
しかし「大鳳」艦爆隊指揮官である飛行隊長高橋赫一海軍少佐は、これを合わせて信号弾二発と誤解し先行した。
「よし突撃だ。
攻撃開始」
淵田総隊長の命令でト連送が発信された。
それは、翔鶴でも傍受できた。
「隊長機のト連送を傍受しました」
草鹿参謀長が興奮しながら報告した。
「トトトが来ましたか」
源田参謀も興奮を隠せなかった。
それは、連合艦隊総旗艦の「長門」でも傍受できた。
「長官、隊長機の突撃信号を直接傍受しました」
その報告に幕僚たちが興奮しそれは、水兵にまで伝わった。
「よし、全地域で速やかに戦闘開始」
GF長官山本五十六(やまもといそろく)大将が全部隊に攻撃開始命令を出した。
既にアメリカ兵の何名かは、上空にいる飛行編隊に気付いていたがこの日B-17の編隊がここに到着することが事前に知らされていたためほとんどは日本の攻撃隊をB-17の編隊と勘違いしていた。
「空母二隻がいません」
総隊長機の電信員の水木徳信上等飛行兵曹が双眼鏡で最後の敵情確認をした。
「やっぱりいないか。
まあ良い。
今誘き出せば再攻撃の時必ず叩く」
淵田総隊長は、それほど深刻に考えなかった。
攻撃隊は、攻撃を開始した。
急降下爆撃隊がフォード島ホイラー飛行場へ二百五十キログラム爆弾による爆撃を開始しこれが初弾となった。
続いてヒッカム飛行場からも爆煙が上がった。
雷撃隊を率いていた村田重治は、正しく奇襲と理解し予定通りヒッカム飛行場上空を通る雷撃コースに入ろうとしていたがヒッカム飛行場からの爆煙に驚き目標が見えなくなっては一大事と近道を取り七時五十七分に雷撃を開始した。
淵田総隊長は、飛行場攻撃の爆煙があまり激しくならないうちに水平爆撃を開始する旨を決意し水平爆撃隊に「突撃」(ツ・ツ・ツ・・・のツ連送)を下命した。
七時五十五分頃に戦艦「アリゾナ」で空襲警報が発令された。
七時五十八分アメリカ海軍の航空隊が「真珠湾は攻撃された。これは演習ではない」と警報を発した。
八時〇〇分戦闘機隊による地上銃撃が開始され八時五分水平爆撃隊による戦艦爆撃が開始された。
八時過ぎ「瑞鶴」飛行隊の九七式艦上攻撃機が投下した八百キログラム爆弾が四番砲塔側面に命中した。
次いで八時六分一番砲塔と二番砲塔間の右舷に爆弾が命中した。
八時十分「アリゾナ」の前部火薬庫は、大爆発を起こし艦は千百七十七名の将兵とともに大破沈没した。
戦艦「オクラホマ」にも攻撃が集中した。
「オクラホマ」は、転覆沈没し将兵四百十五名が死亡または行方不明となった。
「よし、第一波は全部帰ったな。
第二波まで三十分ある。
よく戦果を写しておけ」
淵田総隊長は、水木上飛曹に命令した。
「はい」
水木上飛曹は、カメラで港湾の地獄絵図をきっちり写した。
ハワイ時間午前八時五十四分第二波空中攻撃隊が「全軍突撃」を下命した。
第二波攻撃隊はアメリカ軍の防御砲火を突破する強襲を行い小型艦艇や港湾設備、航空基地、既に座礁していた戦艦「ネバダ」への攻撃を行いこれを成功させたほか「ペンシルバニア」が収容されていた乾ドッグへの攻撃を行った。
これに対して一息ついて反撃の余裕ができたアメリカ軍は、各陣地から対空射撃を行い日本軍航空隊を阻止しようとした。
しかしこの時点でフォード島のアメリカ海軍機は、全滅し飛行可能な飛行機は一機もなくなっているなど甚大な被害を受けていたため四百機近い急降下爆撃機や戦闘機を抱える圧倒的な数量の日本軍に効果的な損害を与えることは不可能であった。
「よし、戦果は見届けた。
味方は、もう一機もいないな。
引き上げろ」
淵田総隊長は、帰還命令をだし帰路に着いた。
第七艦隊上空には、続々と艦載機が戻ってきて着艦していった。
しかしその中には、銃弾で油圧が故障したり脚部を破壊された機体もあった。
「故障機は、海へ捨てろ」
源田参謀の命令に甲板作業員が驚いた。
「バカ者。
再攻撃の邪魔だ。
甲板を傷つけそうな機は、海へ突っ込ませろ。
なに、この辺の海は温かいさ」
源田参謀は、再攻撃を前提にしていた。
最後に淵田総隊長機が着艦した。
淵田総隊長が「翔鶴」の艦橋に上がった。
「帰ってきたか、心配させやがって」
源田参謀が淵田総隊長の無事な帰艦を喜んだ。
「報告します。
我が攻撃隊は」
淵田総隊長が話し始めた。
「うむ、戦果を、戦果か?」
塚原司令は、早く戦果を聞きたくて待ちきれなかった。
「はい、私自身の観測では戦艦撃沈八であります」
淵田総隊長が興奮しながら報告した。
「全滅だな」
その瞬間艦橋は、どよめいた。
「『エンタープライズ』と『レキシントン』以外は、みんな」
その瞬間打って変わって悲しみに包まれた。
「空母か。
空母が残ったか」
塚原司令は、空母が残ったことが気になった。
「叩きましょう。
二日でも三日でも留まって」
源田参謀は、この海域にとどまって敵空母を撃滅することを具申した。
「ばかなことを言うな。
俺たちは、タンカーを遠くに置いてきた。
今さら無電で呼び戻せられるとでも思っているのか。
それにウェーク島空襲の任務もあるんだぞ」
草鹿参謀長が反論した。
「それは、七航戦にでもやらせればいいでしょ。
空母さえ叩いてしまえば敵にこっちの居所が知れてしまっても少しも恐れることは、ありません」
源田参謀は、脅威を空母のみだと考えていた。
「源田君、私は空母を怖いと思うが同時に潜水艦も怖いと思ってる。
君は、どうかね?」
ここまで黙っていた塚原司令が初めて口を開いた。
この問いに源田参謀は、何も言えなかった。
当時の日本海軍の対潜装備は、お粗末で欧米に比べて低性能で見張り員が望遠鏡で敵潜水艦の潜望鏡を探すほどであった。
「失礼します」
そこに海軍将校が入ってきた。
「司令、『蒼龍』より再攻撃の具申が来ました」
海軍将校が山口司令官からの要請を報告した。
「再攻撃は、行う。
ただし潜水艦に見つかるか天候悪化の場合は、攻撃を中止し速やかに帰還する」
塚原司令は、第三次攻撃隊の準備を始めるように命令した。
※
アメリカ艦隊司令部では、キンメル長官と将校が日本の出方と自軍の状況について話していた。
「敵は、かならずもう一度くる」
キンメル長官は、そう断言した。
「当方の反撃体制は、整っています」
将校が自軍の迎撃態勢を報告した。
「市民は、動揺してはいないか?」
キンメル長官は、今度は市民の心配をした。
「極度に混乱しています。
ラジオ放送は、中止させました」
将校が情報封鎖したことを報告した。
「敵の空母は?」
キンメル長官は、最後に一番知りたいことを質問した。
「敵は、南方ウェーキ島方面と判断します」
将校は、指示棒で世界地図上のウェーキ島方面を指しながら言った。
第八任務部隊旗艦「エンタープライズ」では、ハワイからの日本機動部隊の大まかな位置を教えられたためそのあたりを重点的に索敵した。
「もう一度哨戒機を出すんだ」
第八任務部隊司令官のウィリアム・ハルゼー中将が命令した。
「司令、北方海域にも出しては?」
参謀の一人が北方海域に索敵機を飛ばすことを具申した。
「南方から来るのが常識だ。
良いか、必ず日本の空母を見つけるんだ。
叩き潰してやる」
しかしこれは、却下された。
※
第七艦隊旗艦「翔鶴」の艦橋では、草鹿参謀長が戸惑っていた。
「良いのですか?
作戦の目的は、果たしました。
おそらくアメリカ太平洋艦隊は一年以内は、真珠湾から出動できません。
我が南方海域部隊の側面と背後防衛の任務は、尽くしました」
草鹿参謀長が作戦は、果たしたと説明した。
「命令には、繰り返し攻撃せよとあります」
源田参謀が反論した。
「命令にできるだけ慎重にして損害を少なくすべしとある」
草鹿参謀長も一歩も譲らなかった。
「参謀長の言い分は、よくわかるがここは源田参謀のいうとおり再攻撃が得策だと思われるが」
草鹿参謀長と源田参謀の言い争いに塚原司令が入ってきた。
「相当の反撃能力を回復しているものと推定します。
我が方は、第二次攻撃で二十四機を失っております。
再攻撃は、余程の覚悟がないと。
それに敵空母も見つかっていません」
草鹿参謀長は、空母の存在におびえていた。
「そのために索敵機も出しているし直掩機もいる。
心配は、無用だ」
塚原司令は、草鹿参謀長を落ち着かせた。
「航空参謀も航空参謀だ。
作戦立案に深入りしすぎて酔っては、ならない。
攻撃精神と限られた兵力のバランスということを考えてくれ。
現実問題おいそれと熟練搭乗員を育成できないんだ」
塚原司令は、源田参謀にも頭を冷やすように言った。
「気象長より司令官。
天候が西から崩れています」
水兵が塚原司令に気象長からの伝令を報告した。
「何?」
その報告に艦橋のほとんどが双眼鏡で西の空を見た。
見てみると確かに西の雲は、黒々としていた。
「積乱雲だ」
塚原司令は、雲の正体を見破った。
「これでは、発艦できても着艦ができない」
草鹿参謀長は、そういいつつも内心ほっとしていた。
「どうやら天気は、アメリカに味方しているようだな」
塚原司令は、そういうと針路を北に取るように命じた。
搭乗員の待機所に源田参謀がやってきた。
「どうしたんです、こんなところに」
それに淵田総隊長が気付いた。
「進路を北にとれだと」
源田参謀が船の針路を伝えた。
「再攻撃は止めか?」
淵田総隊長ががっかりしたように言った。
「そうらしい。
全く気が狂いそうだ」
源田参謀は、ひどく疲れており二十歳は老いたように見えた。
「神経衰弱は、長官だけでたくさんだ」
淵田総隊長もそれに振り回されるのは、ごめんだった。
「連中は、口では飛行機を主戦力と言っているが本当は補助戦力としか見てないんだ。
軍艦ばっかり大事にしやがって。
時代が大きく変わろうとしているのがわからないのか」
源田参謀は、搭乗員の犠牲は止む負えないと考えていた。
「山口さんだったらな」
淵田総隊長は、司令官が山口少将じゃないことを悔いた。
これは、第二航空戦隊旗艦「蒼龍」にも伝えられた。
「そうか。
臨機応変に動けるあの人らしい判断だな」
山口少将は、報告を聞いても驚きもしなかった。
「司令官だったらいかがなさいますか?」
参謀の一人が報告した。
「敵情や状況にもよるが俺だったら確実に再攻撃は、するだろう」
山口少将は、少々悩んだがすぐに答えた。
第七艦隊は、日本に帰還することとなった。
オワフ島は、地獄と化していた。
艦船のほとんどは、撃沈や着底され港湾施設やガソリン施設も破壊され残存艦隊はサンフランシスコに撤退させられることとなった。
戦果は、現在もさまざまな諸説が飛び交っているため正確な戦果を上げることはできないのでここではその一説を載せることにする。
沈没
戦艦「オクラホマ」、「アリゾナ」、「カリフォルニア」、「ウエストバージニア」、「ネバダ」
標的艦「ユタ」
着底
軽巡洋艦「ローリー」
駆逐艦「カシン」、「タウンズ」、「ショー」
他二隻
大破 八隻
中破 二隻
小破 六隻
喪失 基地航空機 全滅
こうして真珠湾攻撃は、日本の半戦略的勝利となり戦術的には大勝利で終わった。
この時の再攻撃は、現在でも物議を呼びある者は臆病と非難しある者は慎重と尊敬していた。
第二章 ウェーク島の戦い
千九百四十一年(昭和十六年)後半イギリスは、極東における最大拠点シンガポールを防衛するためキング・ジョージ5世級戦艦二番艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」を基幹とする東洋艦隊を配備した。
大日本帝国は、東南アジアを占領する計画(南方作戦)において重大な脅威となったイギリス東洋艦隊を日本海軍基地航空隊(深山、九六式陸上攻撃機)で攻撃することになった。
千九百三十年代の極東に対するイギリスの基本防衛計画は、来襲する敵(日本軍)をシンガポール要塞で防御しその間に主力艦隊を回航して制海権を得ようというものだった。
幾度かの計画変更の後千九百四十一年四月には、アメリカ・イギリス・オランダの間で協定が結ばれアメリカは艦隊を派遣して地中海のイタリア艦隊を抑制しイギリスは東洋艦隊を極東に派遣するという方針を確認する。
ウィンストン・チャーチルイギリス首相・国防相はキング・ジョージ5世級戦艦「デューク・オブ・ヨーク」、レナウン級巡洋戦艦一隻と空母一隻の派遣を提案したが海軍大臣は反対した。
イギリス軍海軍当局は、極東での日本の脅威に対応するためにネルソン級戦艦二隻、リヴェンジ級戦艦四隻、空母「ハーミーズ」、「アーク・ロイヤル」と「インドミタブル」を送る計画であり新鋭のキング・ジョージ5世級戦艦二隻は、ドイツ海軍ビスマルク級戦艦二番艦「ティルピッツ」の出撃に備えてイギリス本国のスカパフローから動かすつもりはなかった。
これに対しチャーチルは、高速戦艦を中心とした遊撃部隊を送って抑止力とすることを強く主張する。
最終的に、キング・ジョージ5世級戦艦二番艦「プリンス・オブ・ウェールズ」、「レナウン級巡洋戦艦2番艦「レパルス」、空母「インドミタブル」と護衛の駆逐艦「エレクトラ」、「エクスプレス」、「エンカウンター」、「ジュピター」からなるG部隊が編成された。
「プリンス・オブ・ウェールズ」は、十月二十三日にスカパフローを出港し十一月十六日南アフリカのケープタウンとセイロン島を経て千九百四十一年十二月八日の太平洋戦争開戦直前の十二月二日にシンガポールのセレター軍港に到着した。
「プリンス・オブ・ウェールズ」は、マレー駐屯陸軍司令官アーサー・パーシバル中将に出迎えられ各国報道陣に公開されてイギリス連邦諸国民に安心感を与えた。
ウェールズ到着のラジオ放送は、南方に向け航海中の第二艦隊旗艦「愛宕」でも受信していた。
十二月四日フィリップス長官は、飛行艇でマニラ(フィリピン)に移動し米国アジア艦隊司令長官トーマス・C・ハート大将と会談し十二月六日の日本艦隊・輸送船団発見の報告を受けて十二月七日にシンガポールに戻った。
その一方空母「インドミタブル」は、十一月十三日にジャマイカ島近海で座礁事故を起こし合流できなかった。
かわりに小型空母の「ハーミーズ」の合流が決定したが「ハーミーズ」はダーバンで修理中のため合流できなかった。
フィリップス提督は自軍の戦力に不安を感じリヴェンジ級戦艦「リヴェンジ」、「ロイヤル・サブリン」、クイーン・エリザベス級戦艦「ウォースパイト」を十二月二十日頃までに派遣するよう希望している。
航空機に関してイギリス軍参謀本部は、「日本軍機とパイロットの能力は、イタリア空軍と同程度(イギリス軍の六十パーセント)」と想定しマレー防衛計画に三百三十六機の配備を決定したが実際には半数程度しか配備されていなかった。
これは、チャーチル首相がソ連に大量の航空機を供給していたからである。
日本軍は、イギリス東洋艦隊の実情を把握しておりまた対策をとっていた。
十二月七日シンガポールの北東約三百キロメートルにあたるアナンバス諸島とマレー半島東岸のチオマン島の間に特設敷設艦「辰宮丸」が機雷を敷設しさらに第四・第五潜水戦隊の潜水艦十二隻が散開線を構成して哨戒していた。
連合艦隊参謀長宇垣纏少将は、「ウェールズをやっつけたら次は、ジョージ5世でも6世でも良い」と陣中日誌「戦藻録」に記録している。
実際に日本軍は、松永貞市少将の第二十一航空戦隊(美幌航空隊 元山航空隊:九六式陸上攻撃機二十七、元山航空隊 サイゴン基地:九六陸攻二十七)を南方に進出待機させ新たに鹿島航空隊の深山陸上攻撃機五十四機を配備してイギリス東洋艦隊を待ちうけていた。
十二月八日の早朝ハワイの真珠湾攻撃より七十分早く日本軍は、タイ国の国境に近いマレー領コタバルに陸軍部隊を上陸させた(大本営もこのコタバル上陸をもって対米英への宣戦を布告したと報じた)。
この部隊は、マレー半島を南下してイギリスの極東における根拠地であるシンガポールを攻撃予定であった。
十二月六日日本軍輸送船団は、オーストラリア空軍偵察機に発見され同機は戦艦一隻を含む大部隊が南方に向かっていることを報告した。
一方のイギリス軍は、日本軍輸送船団がタイ国へ上陸するのかマレー半島へと上陸するのか判断できなかった。
十二月七日午前九時五十分宣戦布告前にも拘らず日本軍零式水上偵察機と陸軍戦闘機隊がPBYカタリナ飛行艇を撃墜する。
午前十時三十分小沢中将の艦隊は、G点に到達し、日本軍輸送船団は予定に従って分散した。
行く先は、プラチャップ方面に輸送船一隻、バンドン方面に「香椎」と輸送船三隻、ナコン方面に「占守」と輸送船三隻、シンゴラとパタニ方面に第二十駆逐隊(『山風』、『霜風』、『磯風』)・第十二駆逐隊(『雪風』、『天津風』、『時津風』、『浦風』)・掃海艇三隻・輸送船十七隻(第二十五軍先遣兵団)、コタバル方面に軽巡洋艦「阿武隈」(第三水雷戦隊旗艦)と第十九駆逐隊(『浜風』、『谷風』、『萩風』、『舞風』)・掃海艇三隻、輸送船三隻である。
十二月八日午前一時三十分日本軍は、コタバル上陸を開始しイギリス軍も応戦し真珠湾攻撃より2時間前に交戦がはじまった。
イギリス軍機は、輸送船「淡路山丸」を航行不能とし「綾戸山丸」と「佐倉丸」を大破という戦果をあげ護衛部隊司令官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官に一時退避を決断させた。
各方面の日本陸軍上陸作戦は、成功した。
第一航空部隊の松永少将は、イギリス東洋艦隊が出現しない可能性が高まったため配下部隊にシンガポールの四箇所の飛行場爆撃を命じる。
元山航空隊は悪天候のため引き返したが美幌航空隊三十二機が十二月八日午前五時三十八分からシンガポールを爆撃し損害なくツドモー基地に帰投した。
イギリス軍側は、日本軍の兵器は時代遅れでさらに日本人は身体的欠陥によりの夜間飛行は出来ないと錯覚していたため日本軍の空襲に全く対応できなかった。
この時山田隊の偵察機がシンガポールを偵察し『一一二〇、湾内に戦艦二(『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』)、巡洋艦四、駆逐艦四』を報告した。
海戦の結果「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」を撃沈した。
損失は、深山陸上攻撃機二と九六式陸上攻撃機一を喪失し深山一不時着(後、処分)偵察機未帰還二である。
この海戦は、「マレー沖海戦」と呼ばれた。
既述の通りマレー沖海戦は、「作戦行動中の戦艦を航空機で沈めることができる」ことを証明した海戦であった。
大艦巨砲主義者であった宇垣纏連合艦隊参謀長ですら『鴨がネギを背負って現れた。
新鋭戦艦も無謀な行動で海の藻屑になった』と評し真珠湾攻撃の大戦果とあわせて「日本海軍航空隊」を賞賛している
これを戦訓として各国海軍とも各種艦船に装備されている対空火器を改めて大幅に増強した。
航空機が戦艦を沈める事が可能であるなら当然だが航空機による戦艦の護衛は、必須となり地上基地の航空部隊の行動圏外では戦艦を始めとする水上部隊は敵側に航空戦力が存在する状況ではもはや空母なしで単独では行動できなくなってしまった。
マレー沖海戦以後は、各国海軍は航空支援なしに戦艦を出撃させることに極めて慎重になる。
だが脆弱な飛行甲板という構造上の弱点を抱えかつ航空機用燃料や爆弾と魚雷といった可燃物を満載している空母がわずか一から二発の爆弾命中で航行不能に陥ったり沈没した事例の枚挙にいとまがない事と比較して砲戦用の分厚い装甲を備え水中防御も充実した戦艦を航空機だけで沈めることは、依然として難題であり続けた。
日本軍は、『帝国海軍は開戦劈頭より英国東洋艦隊特にその主力艦二隻の動静を注視しありたるところ九日午後帝国海軍潜水艦は敵主力艦出動を発見し爾後帝国海軍航空隊と緊密なる協力の下に捜索中本十日午前十一時半マレー半島東岸クアンタン沖において再び同潜水艦これを確認せるを以て帝国海軍航空部隊は機を逸せずこれに対し勇猛果敢なる攻撃を加へ午後二時廿九分戦艦レパルスは瞬時にして轟沈し同時に最新式戦艦プリンス・オブ・ウエールズは、忽ち左に大傾斜暫時遁走せるも間もなく午後二時五十分大爆発を起し遂に沈没せり。
ここに開戦第三日にして早くも英国東洋艦隊主力は全滅するに至れり』と大本営発表(昭和十六年十二月十日午後四時五分)を行い英国東洋艦隊主力の撃滅を宣伝した。
このようにマレー沖海戦においてイギリス海軍の最新鋭戦艦一隻と巡洋戦艦一隻が撃沈されたがこれは、アヘン戦争(千八百四十年から千八百四十二年)以来百年に亘るイギリス植民地主義と海軍全盛時代の「破局の序章」でもあった。
シンガポールでは、「プリンス・オブ・ウェールズ」撃沈の速報がラジオを通じてもたらされた瞬間パニックが発生している。
また事実上イギリスの保護国であり反イギリス気運が高まっていたイラクでは、「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」撃沈の報が入るとこれを喜んだイラク人がバグダードにあるセミラミス・ホテルに飾られていた両戦艦の写真をインクで塗りつぶした。
イラクでは、真珠湾攻撃やマレー沖海戦にて日本軍勝利のニュースが入るたび日本支持のデモが起きるほどであった。
イギリスは、この戦いによりマレー方面での制海権を失った。
二か月後のシンガポール陥落(千九百四十二年二月十五日)でイギリス陸軍は、敗れシンガポールは日本軍に占領された。
東南アジア征服の象徴・要というべきチョークポイントであるシンガポールを失うということは、東南アジア支配の終焉を予感させるものとしてインドなど当時イギリスの植民地であった東南アジア各国の独立への機運に影響を与えた。
イギリスの歴史学者であるアーノルド・J・トインビーは、毎日新聞千九百六十八年三月二十二日付にてこう述べている。
「イギリス最新最良の戦艦二隻が日本空軍によって撃沈された事は、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。
それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
何故なら千八百四十年のアヘン戦争以来東アジアにおけるイギリスの力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
千九百四十一年日本は、全ての非西洋国民に対し西洋は無敵でない事を決定的に示した。
この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、千九百六十七年のヴェトナムに明らかである」
※
真珠湾攻撃を終えた第七艦隊は、トラックに着いた。
しかし彼等には、次の作戦が待ち構えていた。
それは、ウェーク島の攻略援護だった。
しかし搭乗員は、疲労しておりある人物を除いて誰も志願しないだろう考えていた。
塚原司令は、各司令官と参謀と共にウェーク島攻略のための作戦を通達した。
「俺の部隊がやる」
志願したのは、やはり山口少将だった。
そしてウェーク島攻略部隊が編成された。
その戦力は、
攻略部隊本隊:第六水雷戦隊(軽巡洋艦「鬼怒」、駆逐艦「朝東風」、「大風」、「東風」、「西風」、「南風」、「北風」)
攻略部隊援護隊:第十八戦隊(軽巡洋艦「天龍」、「龍田」)
哨戒艇:第三十二号哨戒艇、第三十三号哨戒艇
海軍陸戦隊:舞鶴特陸一個中隊(三百五十名)、第6根拠地隊一個中隊(三百十名)、舞鶴第二特陸一個中隊(三百十名)
設営隊:特設巡洋艦金剛丸、基地設営班、特設監視艇三隻
付属隊:特設巡洋艦「金龍丸」、特設敷設艦「天洋丸」
第24航空戦隊
潜水部隊:第二十六潜水隊、第二十七潜水隊(呂65、呂66、呂67)
第二航空戦隊(空母飛龍、蒼龍)、第八戦隊(重巡「利根」、「筑摩」)、第十七駆逐隊(「高潮」、「秋潮」)
第六戦隊(重巡洋艦「青葉」、「衣笠」、「愛鷹」、「古鷹」)
である。
なお残りの空母部隊は、日本本土に帰還した。
攻略部隊は、十二月二十一日日朝四時三十分出撃した。
同じ頃機動部隊から分派された第二航空戦隊はウェーク島西方三百海里の地点にありこの地点より戦闘機二十四機、艦上爆撃機三十機、艦上攻撃機三機を発進させた。
「飛龍」戦闘機小隊長を務める澤村陽一(さわむらよういち)上等飛行兵曹も攻撃隊として参加した。
戦前日本陸海軍の戦闘機隊は、ドイツからもたらされたロッテ戦術を取り入れていた。
これは、長機を僚機が援護する形を採っていた。
長機が攻撃を行っている間僚機が上空ないし長機の後方に付いて援護・哨戒を行う。
攻撃を行う長機は、後方に留意する必要がないため攻撃に集中する事ができた。
さらにシュヴァルム戦法も輸入され現在日本陸海軍は、これを基本編成として訓練を繰り返していた。
澤村上飛曹は、今度こそ空中戦になると考え部下の横山勝(よこやままさる)一等飛行兵に手信号で注意を喚起した。
横山機は、バンクで「了解」と答えた。
彼等は、真珠湾攻撃と違い先に先行し敵戦闘機を駆逐し味方爆撃機と攻撃機の爆撃の援護を行う任務でった。
ウェーク島上空に到着するが上空には、飛行機はあがっておらず敵戦闘機は地上にいた。
どうやら自分たちは、敵が飛び立つ前に上空に到達できたようだ。
「攻撃開始」
隊長の岡嶋清熊(おかじまきよくま)大尉が全機に命令を下した。
澤村上飛曹は、増槽切りおとしボタンを押した。
これは、陣風がこれまでの油圧式で増槽を落とす戦闘機と違い電気式で増槽を落とす方法を取っているからである。
澤村上飛曹は、もう一度上空を警戒した。
戦闘機は、三百六十度全方位が敵であるため警戒するに越したことはない。
敵がいないことを確認すると地上からの高角砲と対空機銃を避けながら急降下に入った。
ものすごいGで体がしめっけられるような感じに襲われたがそれに負けじと踏ん張った。
そしてOPLのスイッチを入れた。
地上すれすれの高度になると水平飛行に移した。
そして地上に連なる飛行機に機銃掃射を行った。
機銃を受けた戦闘機も爆撃機も瞬く間に火を噴き炎上した。
パイロットにとって飛び立つ前に目の前で飛行機を破壊されることは、何よりも屈辱であることは澤村も感じた。
アメリカ軍は、真珠湾に引き続きこのウェーク島でも奇襲に遭ってしまった。
澤村は、機銃掃射を一通り終えると急上昇した。
他の機体が敵の対空機銃や高角砲に機銃掃射を行ったのか対空火砲は、攻撃前より少なくなっていた。
そこに九八式艦上爆撃機と九七式艦上攻撃機が爆弾を抱えて到着した。
澤村は、上空警戒を行った。
自分たちが地上攻撃に夢中になっている間に敵戦闘機が飛び爆撃機を手ぐすね引いて待ち構えている可能性もあった。
幸い上空には、敵戦闘機はいなかった。
九八式艦上爆撃機と九七式艦上攻撃機は、次々と急降下・水平爆撃を行った。
ウェーク島のアメリカ基地は、見るも無残な姿になっていた。
「全機集合」
岡嶋隊長の声がレシーバから響いた。
澤村は、横山一飛兵と共に集合場所に到着し帰艦した。
さらにこの日ダメ押しに千歳海軍航空隊の大隊が空襲を行った。
翌日とどめを刺す為に山口司令官は、最後の攻撃を命令した。
攻撃隊は、陣風八機と九七式艦上攻撃機三十六機が出撃した。
この攻撃隊に澤村も参加していた。
澤村は、慢心していなかったが艦攻パイロットたちは慢心していた。
というのも二航戦の攻撃前の十二月八日、九日と十日にに第二十四航空戦隊と千歳海軍航空隊などが空襲を行っていた。
実質ウェーク島は、ここまで五回空襲を受けていたためもう稼働できる戦闘機が残っていないと考えていた。
※
しかしウェーク島の上空には、日本側の淡い期待を無残に打ち砕くように二機のF4Fが待機していた。
彼等は、五回の空襲を生き残りまた残されたわずかなF4Fをたくされた海兵隊精鋭だった。
しかしいくらF4Fがアメリカの最新鋭艦上戦闘機であっても二機では、心許なかった。
だが彼等には、勝算があった。
それは、日本が「航空機後進国」というレッテルが欧州で常識になっていたことだった。
事に航空機の心臓部たるエンジンに関して日本は、精密工学の技術力が低く良質なものが作れないというのが一般的だった。
液冷エンジンよりも精密な技術力が不必要な空冷エンジンでもアメリカが現在使っている千馬力エンジンの半分の五百馬力エンジンが日本の主流と考えられていた。
そのエンジンを使っているのが九六式艦上戦闘機ー連合軍が「ネイト」のコードネームで呼ぶ日本海軍の艦上戦闘機である。
だからこそ日本は、ここまで奇襲作戦に徹してアメリカ戦闘機と正面切っての戦闘を避けているのである。
しかしここでこれまでの引導を渡すべく二人は、今か今かと日本の攻撃隊を待っていた。
そしてついに二人は、日本攻撃隊を発見した。
攻撃隊の数は、約二十四機で全てが脚が収納されていた。
それを考慮すると攻撃隊は、全て九七式艦上攻撃機ー連合軍のコードネーム「ケイト」ーであろう。
敵は、これまでの空襲で敵戦闘機を全滅できたと錯覚したのだろう。
だからこそ非力な攻撃機のみで大丈夫だと判断したのだろう。
しかし現実は、そう甘くなくここに彼等の希望を打ち砕く死神がいるのだ。
二人は、慎重に攻撃のタイミングを図っていた。
そして一挙に高高度からの一撃離脱をかけた。
ここで二機は、確実に撃墜できる。
しかし彼らの予想は、裏切られた。
まるで「ケイト」は、戦闘機のような機動で編隊が左右に分けて攻撃を回避した。
そして事もあろうか急降下してくる自分たちを追撃してきた。
F4Fは、「グラマン鉄工所」の異名を持つほど頑丈に作られているため並みの戦闘機では急降下したら追撃できないはずである。
しかしこの敵機は、食いついてくるどころかどんどん距離が縮まってくる。
彼は、がむしゃらにフル・スロットルで降下し続けた。
墜落するなど頭になかった。
早くこの正体不明な戦闘機から逃れたいという気持ちでいっぱいだった。
刹那彼の体は、炎に呑み込まれた。
機体が爆散したのだ。
※
澤村陽一上等飛行兵曹は、驚愕していた。
何せ全滅したと信じて疑わなかった敵機が上空で待ち伏せをしていたのだ。
攻撃直後こそ陣風隊は、編隊を乱したがすぐに立て直し反撃に移った。
反撃したのは、蒼龍所属の中隊長の菅波政治大尉だった。
管波大尉は、二十ミリ機銃を使ったのか急降下していたF4Fが爆散した。
二十ミリ機銃には、砲弾と同じく炸裂弾が仕込んである。
これが敵機に命中すると炸裂し内部から機体を破壊するのだ。
巨人のような四発爆撃機用に開発されたものでF4Fのような単発戦闘機が命中すればひとたまりもない。
しかしその光景に魅了され続けているわけには、いかなかった。
自分たちを攻撃してきた敵機は、もう一機いる。
その敵機も撃墜しなければならない。
自分も敵機を追って急降下を始めた。
すると敵機は、急降下から水平飛行に切り替た。
どうやら敵は、左旋回の巴戦を仕掛けようと考えたらしい。
すると距離は、どんどん広がってしまった。
さすがに翼面荷重が166.67kg/m²もある重戦闘機には、横旋回は苦手だった。
しかし上空で待機していた横山勝一飛曹が急降下で攻撃をしかけた。
機銃で搭乗員を射殺したのか機体は、そのまま垂直に落ちていった。
これが陣風とF4Fによる初の空中戦だった。
その後上陸隊は、十二月二十一日二十一時に上陸命令が令されこれと同時に第十八戦隊はウェーク島の東岸に移動して陽動作戦を実施した。
しかしこの日は、海上の状況が悪く大発を降ろすのに順調さを欠いたためついに哨戒艇二隻が海岸に擱座し陸戦隊を上陸させた。
それに続き「金龍丸」、「妙風」、「追風」からも陸戦隊が大発でウェーク島南岸とウィルクス島に上陸した。
上陸した陸戦隊のうち舞鶴特陸一個中隊の本隊は、砲台と機銃陣地の真正面に上陸し猛烈な反撃を受けて中隊長が戦死した。
第六根拠地隊一個中隊は、ウィルクス島に上陸した。
これまた猛烈な反撃を受け小隊全滅等の損害を出した。
舞鶴第二特陸一個中隊も負傷者が続出した。
凄まじい彼我の銃火の応酬により二十三日になっても戦線は、こう着状態となった。
戦況が一気に日本側に傾いたのは、舞鶴特陸一個中隊のうちの決死隊の働きによるものである。
決死隊は、反撃をかわしてアメリカ軍捕虜を道案内として進撃中飛行場近辺で海兵隊指揮官ジェームズ・デベル少佐を捕虜とした。
さらに進撃するとジープに乗った将校を発見した。
尋問の結果将校は、ウェーク島守備隊指揮官ウィンフィールド・カニンガム中佐だった。
決死隊は、カニンガム中佐を捕虜としてジープに乗せ白旗を掲げて戦線を回らせ降伏を呼びかけさせた。
この結果七時四十五分ごろには、ウェーク島からの砲声は途絶え四方の状況からアメリカ軍守備隊の降伏と判断された。
残敵掃討後の十二月二十三日十時四十分日本軍は、ウェーク島の完全攻略を宣言し通報した。
これをもって第二航空戦隊・第八戦隊は、第四艦隊の指揮下を離れた。
太平洋戦争の緒戦は、日本の勝利に終わった。
同時に九八式艦上爆撃機と九七式艦上攻撃機は、機動部隊から降ろされることとなった。
しかしこの二機は、終戦まで哨戒任務などの二級戦として戦うこととなる。
後継機には、彗星と天山が配備され第一線で終戦まで戦うこととなった。
これくらいのペースで投稿します。