六六機動部隊物語   作:緒方一郎

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ここから史実とガラッと変わります。


第三話 激浪

            第一章 ミッドウェー海戦

 

 ミッドウェー作戦構想は、ミッドウェー島を攻略することによりアメリカ艦隊ー特に空母機動部隊を誘い出して捕捉撃滅することに主眼が置かれた。

日本軍がアメリカ軍の要点であるミッドウェー島を占領した場合軍事上・国内政治上からアメリカ軍は、これを全力で奪回しようとすることは明白であり現時点で豪州方面で活動している米空母部隊もミッドウェー近海に出撃する確率は高いと日本海軍は計算していた。

日本軍は、情報分析の結果アメリカ軍の空母戦力を以下のように推定した。

1.空母レンジャーは大西洋で活動中。

2.捕虜の供述によれば「レキシントン」と「ヨークタウン」は、撃沈された。

3.「エンタープライズ」と「ホーネット」は、太平洋に存在。

4.「ワスプ」の太平洋への存否については、確証を得ない。

5.特設空母は、六隻程度完成し半数は太平洋方面に存在の可能性があるも低速なので積極的作戦には使用し得ない。

これをふまえ日本軍は、ミッドウェー攻撃を行った場合に出現するアメリカ軍規模を「空母二-三隻、特設空母二-三隻、戦艦二隻、甲巡洋艦四-五隻、乙巡洋艦三-四隻、軽巡洋艦4隻、駆逐艦三十隻、潜水艦二十五隻」と判断した。

アメリカ軍がミッドウェー島に海兵隊を配備し砲台を設置して防衛力を高めていることも察知していたがその戦力は「飛行艇二十四機、戦闘機十一、爆撃機十二、海兵隊七百五十、砲台二十前後」または「哨戒飛行艇二コ中隊、陸軍爆撃機一乃至二中隊、戦闘機二コ中隊」であり状況によってはハワイから「飛行艇六十機、爆撃機百機、戦闘機二百機」の増強もありえると推測している。

同島占領の際には、アメリカ軍基地航空隊から空襲を受けることを想定していたが直掩の陣風と対空砲火で排除できるとしている。

日本軍が海兵隊三千名と航空機百五十機というミッドウェー島の本当の戦力を知るのは、海戦後の捕虜の尋問結果からだった。

日本海軍は、ミッドウェー島を占領してからの維持は極めて困難であると考えていた。

あくまでこの作戦は、米空母を誘い出して撃滅することを目的としさらに占領後には他方面で攻勢を行いアメリカ軍にミッドウェー奪回の余裕を与えなければ十月のハワイ攻略作戦までミッドウェー島を確保できると考えた。

大本営(参謀本部・軍令部)と連合艦隊司令部は、この作戦について激しく対立した。

軍令部は、日本の国力からみてハワイ諸島の攻略と維持など不可能と判断しFS作戦を構想していた。

軍令部航空担当部員の三代辰吉中佐は、「仮に日本軍がミッドウェー島を占領しても艦隊は本当に出現するのか。

日本軍の補給路がアメリカ軍に遮断され疲弊した所を簡単に奪回されるだけではないか」という点を考慮して反対しFS作戦(ニューカレドニア島とフィジー諸島の攻略)を重視する立場を崩さなかった。

連合艦隊司令部の黒島参謀と渡辺安次参謀は、山本長官が「この作戦が認められないのであれば司令長官の職を辞する」との固い決意を持っているとして軍令部と折衝した。

だがこの論法は、真珠湾攻撃の際にも使用されていた事もあって今度は容易には通用せず交渉は暗礁に乗り上げた。

大本営海軍部との交渉に見込みなしと判断した渡邉参謀は、伊藤整一軍令部次長に直接連合艦隊のミッドウェー作戦案を説明し山本長官の意向を伝えた。

伊藤次長は、これをふまえてさらに審議を行いFS作戦に修正を加え連合艦隊の作戦案を採用することを四月五日に内定し永野修身軍令部総長の認可も得てミッドウェー島の占領および米空母部隊の捕捉撃滅を狙うこととなった。

作戦は、ミッドウェー島上陸日(N日)を六月七日と決定して一切を計画した。

上陸用舟艇で敵のリーフを越えて上陸するため下弦月が月出する午前零時を選んだ。

七月は、霧が多く上陸が困難なため六月七日に固定した。

上陸作戦の制空と防備破壊は、三日前に塚原艦隊が空母八隻で奇襲することで可能と考えた。

連合艦隊は、奇襲の成功を前提にしておりアメリカが日本の企図を察知して機動部隊をミッドウェー基地の近辺に用意することは考慮していなかった。

米機動部隊の反撃は、望むところであったが米機動部隊は真珠湾にあってミッドウェー基地攻撃後に現れることを前提に作戦を計画した。

 千九百四十二年四月十八日空母「ホーネット」は、ミッドウェーで「エンタープライズ」と合流し第十六任務部隊は日本に向けて進撃した。

「エンタープライズ」は航空支援をホーネットは日本本土に接近しジミー・ドーリットル中佐率いるB-25ミッチェル双発爆撃機で編成された爆撃隊を輸送する役割分担である。

爆撃隊は、「ホーネット」から発進後東京を筆頭に日本の主要都市を攻撃する予定であった。

第十六任務部隊は、四月十八日の朝に犬吠埼東方で特設監視艇第二十三日東丸に発見されウィリアム・ハルゼー中将は予定より早い攻撃隊発艦を決意する。

爆撃隊は、前日に発艦準備を整えていたが40ノットを超える強風と30フィートに及ぶ波が激しいうねりとなりホーネットは大きく揺れていた。

その中でドーリットル隊は、発進し九時二十分までに十六機のB-25は全て発艦した。

B-25爆撃隊は東京、名古屋、大阪を十二時間かけて散発的に爆撃し中国大陸に脱出後不時着放棄された。

セイロン沖海戦で勝利した塚原機動部隊は、台湾沖で第十六任務部隊追撃命令を受けたが距離が遠すぎたため断念した。

空襲による被害は、微小であったが日本本土上空にアメリカ軍機の侵入を許してしまったことは日本に大きな衝撃を与えた。

またアメリカ軍が航続距離の長い双発爆撃機を用いたために対応策が考えられず陸海軍は、より大きな衝撃を受けることとなった。

国民の間でも不安が広がりしばらく敵機来襲の誤報が続き山本長官にも国民からの非難の投書があった。

山本長官は、以前から本土空襲による物質的精神的な影響を重視していたためすでに内定していたミッドウェー攻略作戦の必要をこの空襲で一層感じた。

連合艦隊航空参謀佐々木彰によれば山本長官は、わが空母によるハワイ奇襲が企図できるのであるから哨戒兵力の不十分なわが本土に対しても彼もまた奇襲を企図できると考えていたようであるという。

この空襲により日本陸軍もミッドウェー作戦を重大視するようになり陸軍兵力の派遣に同意しミッドウェー作戦は日本陸海軍の総攻撃に発展した。

淵田美津雄は、昭和天皇の住む東京を爆撃されたことで山本長官のプライドが傷つき航空哨戒線を築くことで東京に対する二度目の米機動部隊襲撃を阻止する狙いがあったと推測している。

 山本長官の意気込みとは、反対に四月下旬に日本本土に戻った第七艦隊は問題を抱えていた。

開戦以来ドック入り長期休暇もなく太平洋を奔走したため艦・人員とも疲労がたまっていた。

さらに「相当広範囲の転出入」という人事異動のため艦艇と航空部隊双方の技量が低下していた。

ミッドウェー海戦後の戦闘詳報では、「各科共訓練の域を出ず特に新搭乗員は、昼間の着艦可能なる程度」と評している。

雷撃隊は、「この技量のものが珊瑚海に於いて斯くの如き戦果を収めたるは不思議なり」と講評される程度だった。

水平爆撃と急降下爆撃は、満足な訓練ができず戦闘機隊は基礎訓練のみで編隊訓練は旧搭乗員の一部が行っただけだった。

着艦訓練は、訓練使用可能空母が「翔鶴」のみだけだった為新人搭乗員の訓練が優先されベテラン搭乗員でも薄暮着艦訓練を行った者は半分程度であった。

戦闘詳報は、「敵情に関しては殆ど得る所なく特に敵空母の現存数およびその所在は最後まで不明なりや。

要するに各艦各飛行機とも訓練不十分にして且つ敵情不明情況に於いて作戦に参加せり」と述べている。

軍令部で説明を受けた一航艦参謀長の草鹿龍之介と第二艦隊参謀長の白石萬隆は、ドーリットル空襲の騒ぎの直後であり敵機動部隊来襲を未然に防ぐためという先入観から主目的を敵機動部隊撃破で副目的をミッドウェー基地攻略と解釈した。

さらに四月二十八日から一週間かけて戦艦「長門」で行われた「連合艦隊第一段階作戦戦訓研究会」と「第二段作戦図上演習」では、日本軍にとって不安な結果が出た。

この図上演習において、ミッドウェー攻略作戦の最中に米空母部隊が出現し艦隊戦闘が行われ日本の空母に大被害が出て攻略作戦続行が難しい状況となった。

審判をやり直して被害を減らして空母を三隻残して続行させた。

空母「瑞鶴」は、爆弾九発命中判定で沈没判定となり宇垣纏連合艦隊参謀長は「九発命中は、多すぎる」として爆弾命中三発に修正させ「瑞鶴」を復活させた。

攻略は、成功したが計画より一週間遅れ艦艇の燃料が足りなくなり一部駆逐艦は座礁した。

宇垣は、「連合艦隊はこのようにならないように作戦を指導する」と明言した。

また米機動部隊がハワイから出撃してくる可能性はあったが図上演習でアメリカ軍を担当した松田千秋大佐が出撃させることは、なかった。

戦訓分科研究会において宇垣参謀長は、草鹿参謀長に対し「敵に先制空襲を受けたる場合或は陸上攻撃の際敵海上部隊より側面をたたかれたる場合如何にする」と尋ねると草鹿参謀長は「かかる事無き様処理する」と答えたため宇垣参謀長が草鹿参謀長を追及すると源田が「艦攻に増槽を付したる偵察機を四五〇浬程度まで伸ばし得るもの近く二、三機配当せらるるを以てこれと巡洋艦の九八式水偵を使用して側面哨戒に当らしむ。

敵に先ぜられたる場合は、現に上空にある戦闘機の外全く策無し」と答えた。

そのため宇垣参謀長は、注意喚起を続け作戦打ち合わせ前に「第七艦隊は、ミッドウェー攻撃を二段攻撃とし第二次は敵に備える」と決まった。

米機動部隊が現れた際に反撃するために半数は、魚雷装備となったが黒島亀人首席参謀は命令として書き込む必要はないと航空参謀佐々木彰に指示した。

第二艦隊長官近藤信竹中将は、米空母がほぼ無傷で残っておりミッドウェー基地にも敵戦力があることからミッドウェー作戦を中止して米豪遮断に集中すべきと反対した。

しかし山本長官は、奇襲が成功すれば負けないと答えた。

また近藤中将は、ミッドウェー島を占領しても補給が続かないと言ったが宇垣参謀長は不可能なら守備隊は施設を破壊して撤退すると答え攻略後の保持と補給には考えがなかった。

源田は、兵力が分散し過ぎて目標を見失っており集中という兵術の原則にも反していると感じたため図上演習後の研究会で連合艦隊参謀黒島亀人に「作戦の重点をアメリカ艦隊撃滅に置くべきである」と主張したが黒島は「連合艦隊長官は、一度決めた方針に邪魔が入ることを望まれない。

機動部隊の主要任務は、ミッドウェー攻略支援だ」と答えたためアメリカ艦隊撃滅は二次的なものと源田は受け止めた。

図上演習と研究会は、ミッドウェー作戦の目的である敵空母捕捉撃滅が難しく高いリスクを伴う作戦であることを示したが連合艦隊は問題点を確認することなく作戦を発動した。

特に山本長官は、「本作戦に異議のある艦長は早速退艦せよ」と強く訓示している。

戦後草鹿は、作戦目標があいまいでミッドウェー攻略が優先であったことを指摘し「二兎を追うことになった」と表現している。

また源田実も作戦目標がアメリカ軍機動部隊の撃滅かミッドウェー基地攻略なのか曖昧であったとし戦略戦術からいってどうにも納得できない部分があったという。

古村啓蔵(筑摩艦長)は、同期の富岡定俊軍令部作戦課長から艦隊はミッドウェー攻略成功後にトラックに集合・米豪遮断のFS作戦実施予定と聞き驚いていたという。

五月二十五日最後の図上演習が行われたがミッドウェー攻略後の日から始まっており成功が前提で奇襲失敗や米機動部隊の出撃は、全く考慮されていなかった。

 

                    ※

 

 千九百四十二年五月二十八日アメリカ海軍太平洋艦隊司令長官発の作戦計画に従い「エンタープライズ」、「ホーネット」を基幹とする第十六任務部隊(TF-16)が真珠湾を出撃し続いて五月三十日には第十七任務部隊(TF-17)も基幹となる「ワスプ」と合流し真珠湾を出撃した。

各任務部隊は、ミッドウェー島へ襲い来る日本軍と戦い作戦計画において死守命令を受けたミッドウェー島守備隊を助けるべく一路ミッドウェー島を目指した。

 

 

                    ※

 

 千九百四十二年(昭和十七年)五月二十七日(海軍記念日)塚原二四三海軍中将率いる第一航空戦隊(『翔鶴』、『瑞鶴』)、第二航空戦隊(『飛龍』、『蒼龍』)、第六航空戦隊(『龍鳳』、『瑞鳳』)を中心とする第七艦隊が広島湾柱島から厳重な無線封止を実施しつつ出撃した。

その戦力は

第七艦隊 司令官:塚原二四三中将

第一航空戦隊 司令官:塚原二四三中将

航空母艦:「翔鶴」、「瑞鶴」

第二航空戦隊 司令官:山口多聞少将

航空母艦:「黒龍」、「蒼龍」

第六航空戦隊 司令官:近藤英次郎少将

航空母艦:「龍鳳」、「瑞鳳」

第三戦隊 司令長官:三川軍一中将

戦艦:「甲斐」、「山城」

第八戦隊 司令官:阿部弘毅少将

重巡洋艦:「利根」、「筑摩」

第四水雷戦隊 司令官:西村祥治少将 軽巡洋艦:「川内」

第二駆逐隊 司令官 橘正雄大佐

駆逐艦:「村雨」、「夕立」、「春雨」、「五月雨」

第四駆逐隊 司令官:有賀幸作大佐

駆逐艦:「嵐」、「萩風」、「野分」、「舞風」

第九駆逐隊 司令官:佐藤康夫大佐

駆逐艦:「朝雲」、「山雲」、「夏雲」、「峯雲」

油槽艦:「東邦丸」、「極東丸」、「日本丸」、「国洋丸」、「神国丸」、「日朗丸」、「豊光丸」、「第二共栄丸」

 

第八戦隊 司令官:栗田健男中将

重巡洋艦:「天城」、「赤城」、「葛城」、「笠置」

第八駆逐隊 司令:小川莚喜大佐

駆逐艦:「朝潮」、「荒潮」

第二水雷戦隊 司令官:田中頼三少将 軽巡洋艦:「三隈」

第十五駆逐隊 司令:佐藤寅治郎大佐

駆逐艦:「親潮」、「黒潮」

第十六駆逐隊 司令:渋谷紫郎大佐

駆逐艦:「川霧」、「青雲」、「紅雲」、「春雲」

第十八駆逐隊 司令:宮坂義登大佐

駆逐艦:「不知火」、「霞」、「陽炎」、「霰」

哨戒艇:哨戒艇一号、二号、三十四号

油槽艦:「あけぼの丸」

駆逐艦:「早潮」

哨戒艇:第三十五号哨戒艇

工作船:「明石」

ミッドウェー諸島占領隊 輸送船十八隻(『清澄丸』、『ぶらじる丸』、『あるぜんちな丸』、『北陸丸』、『吾妻丸』、『霧島丸』、『第二東亜丸』、『鹿野丸』、『明陽丸』、『山福丸』、『南海丸』、『善洋丸』 )

油槽艦:「日栄丸」

第二連合特別陸戦隊 司令官:大田実(海軍)大佐

横五特(横須賀第五特別陸戦隊)、呉五特、第一一設営隊、第一二設営隊、第四測量隊

である。

第七艦隊旗艦「翔鶴」の艦橋にあるラジオからは、軍艦マーチが流れっぱなしだった。

「ラジオは、朝から軍艦マーチをかけっぱなしだ」

 草鹿龍之介参謀長もこう朝から軍艦マーチを聞き続けると飽きてきた。

「俺たちへの贈り物さ」

 これに源田実航空甲参謀が必勝を願う国民からの応援だと感じていた。

「全くその通りだ。

どうせ勝つに決まってる」

 草鹿参謀長が源田参謀の肩に手を乗せると二人で笑いあった。

塚原二四三司令官もその光景に微笑んでいた。

 搭乗員待機室では、陣風のパイロットたちと報道班員が話し合っていた。

「報道班員さん、どうだ。

俺と一緒に陣風に乗ってみないか?」

 パイロットの一人が報道班員に二人乗りしないか誘った。

「でも陣風は、一人乗りでしょ?」

 彗星や天山ならまだしも陣風は、一人乗りなので二人乗りは無理だと思った。

「平気、平気。

座席の後ろに座布団をしいて座るんだよ」

 パイロットが自分のアイディアを言った。

「大丈夫ですかね?」

 報道班員は、不安で仕方なかった。

「大丈夫さ。

グラマンより速いし二十粍機銃があるんだ。

真珠湾の腕前を見せたかったぜ」

 パイロットは、真珠湾奇襲時に報道班員に自分の技量を見せられなかったことを後悔していた。

「敵の空母は、まだ出ないのかな?」

 別のパイロットが能天気にそんなことを言った。

「いやいや、出てこなかったらもう一度真珠湾を叩けばいい」

 この時第七艦隊の油断は、乗員全員に広まっていた。

 三和義勇(連合艦隊作戦参謀)は、『今は、唯よき敵に逢はしめ給えと神に祈るのみ。

敵は、豪州近海に兵力を集中せる疑あり。

かくては、大決戦は出来ず。

我は、これを恐れる』と述べ『長官から兵にいたるまで誰一人として勝利についていささかの疑問をいだく者はいない。

戦わずして敵に勝つの概ありと言うべきか』と日記にしたためている。

宇垣参謀長は、アメリカ軍の無線交信が増えたことを気にして『日本軍輸送船団が察知されたのではないか』と疑ったがそれ以上の手を打つことはなく戦後日記を分析した千早正隆は、「これ以上なく悔やまれる」と述べている。

五月二十八日ミッドウェー島占領部隊輸送船団が駆逐艦「親潮」と「黒潮」と共にサイパンを出航した。

海軍陸戦隊(太田実海軍少将)と設営部隊、陸軍からは一木清直陸軍大佐率いる陸軍一木支隊が乗船していた。

船団は、第二水雷戦隊(旗艦 軽巡洋艦『三隈』)他に護衛され北上した。

作戦では、日本側の事前索敵計画として六月二日までに二個潜水戦隊をもって哨戒線を構築する予定だった。

しかし担当する第六艦隊(潜水戦隊で構成された艦隊)で長距離哨戒任務に適した三個潜水戦隊の内第二潜水戦隊はインド洋での通商破壊戦後の整備中、第八潜水戦隊は豪州・アフリカでの作戦任務中、第一潜水戦隊は北方作戦に充てられる事になった為どれも作戦には投入できなかった。

このため「海大型」で構成される第三・五潜水戦隊が担当する事になったが五潜戦は、日本からクェゼリンへの回航途上で(第六艦隊に作戦が通知された五月十九日時点)予定期日に間に合うのは不可能で三潜戦も所属の潜水艦の内三隻が第二次K作戦に充てられた為両隊あわせて九隻の潜水艦が予定配置についたのは六月四日になってしまった。

特に第十六任務部隊が六月二日に五潜戦の担当海域を通過しており本作戦における大きな禍根になった。

次に予定されていたのは、第二十四航空戦隊によるミッドウェー周辺への航空索敵である。

これは、九八式飛行艇によるウェーク島を経由した索敵計画であったがウェーク環礁が九八式飛行艇を運用するには浅すぎ経由地がウォッゼ環礁に変更された結果ミッドウェー全海域の索敵が不可能となった。

更にパイロットの技量不足で夜間着水が困難であることから薄暮までには、ウォッゼ環礁に帰還する必要があったので肝心な北方海域哨戒(五月三十一日)が短縮された。

これにより結局米艦隊を発見する事は出来なかった。

仮に予定通り北方海域を哨戒していたら米艦隊を発見できた確率は、非常に高かった。

最後に計画され連合艦隊が最も重視した第二次K作戦は、オアフ島西北西四百八十海里にあるフレンチフリゲート礁で潜水艦の補給を受けた二十四航戦の九八式飛行艇によるオアフ島の航空索敵である。

第一次は、三月に実施しさらに九八式飛行艇によるハワイ空襲時にもフレンチフリゲート礁は使用された。

しかしアメリカ軍は、日本軍の作戦を暗号解読で察知すると海域一帯に警戒艦艇を配置して封鎖した。

潜入した伊百二十三は、「見込み無し」という報告を送った。

これを受け第十一航空艦隊は、五月三十一日二十一時二十三分に作戦中止を二十四航戦に指示した。

この作戦ももし実施されていたらオアフ島には、米空母がいないことが判明し以後の作戦が大きく変わった可能性が高かった。

さらに塚原機動部隊にも作戦中止を連絡しなかった。

六月三日午後総旗艦「長門」にて連合艦隊司令部敵信班は、ミッドウェー島付近で敵空母らしい呼び出し符号を傍受した。

連合艦隊首席参謀黒島亀人によれば4日頃に(大本営からの連絡又は通信傍受で)ミッドウェーに機動部隊がいる兆候をつかみ山本長官は、第七艦隊に知らせるかと尋ねたが黒島は無線封止の優先し第六航空戦隊が搭載機の全機が陣風であるため反撃に備えていることと機動部隊も兆候をつかんだであろうことから知らせないように具申した。

連合艦隊参謀佐々木彰によれば四日に通信呼出符号を傍受したという。

回虫から来る腹痛に悩まされていた山本だが直ちに第七艦隊に通報するよう参謀に伝えた。

だが「無線封鎖を破れば敵に位置を知られる」「第七艦隊も同じく傍受したはず」という判断から見送られた。

しかし第七艦隊は、傍受しておらず予定通りに作戦を続けた。

この件を取材した亀井宏によれば黒島参謀を含めて連合艦隊、軍令部、第六艦隊、全員の証言が一致しなかったという。

土井美二(第八戦隊首席参謀)は、草鹿龍之介参謀長が「空母は、マストが低くて敵信傍受が期待できない。

怪しい徴候をつかんだらくれぐれも頼む」と出撃前に何度も確認していたと証言し草鹿の回顧録にも同様の記述がある。

日本時間六月三日午前十時三十分第七艦隊は深い霧の中で混乱し旗艦「翔鶴」は「飛龍」、「蒼龍」、「甲斐」、「山城」の艦影を見失った。

そんな中源田参謀が体調を崩してしまった。

「おい、大丈夫か?」

 草鹿参謀長が心配して声をかけた。

「少し熱っぽいですが大丈夫でしょう」

 源田参謀は、皆に心配させまいと気丈夫にふるまった。

「肺炎でも起こした大変だな」

 塚原司令官が最悪の事態を予想した。

「総隊長が病気で寝込んでいるのに自分まで寝込んでいたら申し訳ないですから」

 源田参謀は、心配し過ぎだといった。

「分かった」

 二人は、それ以上心配しなかった。

「敵の目をごまかすには、いい霧だ。

出てくるかな?」

 塚原司令官は、敵空母が出てくるかが心配だった。

「まず出てこないでしょう」

 源田参謀が自分の意見を言った。

「今度は、敵も警戒してると見える。

しかしこれだけ大きな作戦にも関わらず作戦投入されたのがわが第七艦隊だけとは、どうも面白くないな」

 塚原司令官が連合艦隊主力隊が内地にいるのが気に食わなかった。

「敵に襲われたら裸で戦わなくては、ならない」

 草鹿参謀長が護衛艦の少なさを嘆いた。

「戦艦なんて足手まといになるだけです。

この部隊のパイロットは、真珠湾以来の歴戦の猛者揃いです。

今度も奇襲は、やれます」

 源田参謀が力説した。

「飛龍」と「蒼龍」は、衝突しかけたため司令部では無電を使用するかどうか議論があったが長波無電を使用して艦隊の針路を定めた。

 無線の使用によりアメリカ軍が第七艦隊の行動を察知したという説が日本側にあるがアメリカ軍側にこの通信を傍受した記録は、ない。

六月四日午前三時三十七分第七艦隊は、補給隊と駆逐艦「村雨」を分離した。

午前十時二十五分塚原司令部は、各艦に「敵情に応じ行動に変更あるやも知れず」とし制空隊の集合や収容に注意するよう通達を出している。

午後四時三十分「翔鶴」と「利根」がアメリカ軍機らしき機影を発見すると「龍鳳」から四機の陣風が発進して迎撃に向かった。

塚原機動部隊は、誤認の可能性が高いと判断している。

 

                    ※

 

 第十六任務部隊では、司令官レイモンド・スプルーアンス少将がウィリアム・ハルゼー・ジュニア中将の代わりに指揮を執っていた。

スプルーアンス司令官は、進行方向の地平線を眺めていた。

「敵機動部隊のその後の情報は?」

 スプルーアンス司令官は、参謀に質問した。

「確実な位置は、まだわかりません」

 参謀がまだ敵の位置が分かってないと報告した。

「空母隊空母は、先に敵を攻撃した方が勝つ」

 スプルーアンス司令官も先手必勝が勝利をつかむ唯一の方法だと思っていた。

「北から北西の哨戒に重点を置いております」

 参謀が哨戒方向を報告した。

「敵に知られないように北東より奇襲をかける」

 スプルーアンス司令官が作戦を言った。

「真珠湾の仕返しですね」

 参謀がスプルーアンス司令官の胸の内を悟った。

 

                    ※

 

 アメリカ軍は、五月三十日以降ミッドウェー島基地航空隊の三十二機のPBYカタリナ飛行艇による哨戒が行われていた。

六月二日フランク・J・フレッチャー少将の第十七任務部隊とレイモンド・スプルーアンス少将の第十六任務部隊がミッドウェー島の北東で合流しこの合流した機動部隊の指揮はフレッチャー少将がとることになった。

六月三日午前五時三十七分カタリナ飛行艇一機(ジャック・リード少尉機)が日本軍輸送船団と護衛の第二水雷戦隊を発見する。

午前九時七分ミッドウェー島から第七陸軍航空部隊分遣隊のB-17爆撃機九機(指揮官:ウォルター・スウィーニー中佐)が発進し攻撃に向った。

六月四日午後一時船団を発見したB-17部隊は爆撃を開始し戦艦、空母、輸送船など多数の艦艇撃破を報告した。

実際は、輸送船「あるぜんちな丸」と「霧島丸」が至近弾を受けたのみで損害も無かった。

午後六時七分オアフ島より増援されたPBYカタリナ飛行艇四機(指揮官:チャールズ・ヒッパード中尉)に魚雷を積んだ雷撃隊が出撃する。

午後九時五二分レーダーで船団を発見し雷撃を開始した。

夜間だった事で完全な奇襲になり輸送船「清澄丸」が機銃掃射され「あけぼの丸」に一本が命中し戦死者十一名が出たが両船とも航行に支障はなかった。

この時船団を護衛すべき第八戦隊(栗田健男少将)の重巡洋艦四隻(天城、赤城、葛城、笠置)は、船団を見失って離れた地点にいた。

これは、栗田少将のミスというより田中頼三少将(船団指揮官・第二水雷戦隊司令官)の判断により輸送船団が予定航路から北百浬地点を航行していたからである。

ミッドウェー基地からの艦隊発見の報を受け太平洋艦隊司令部は、B-17が攻撃した艦隊は敵主力機動部隊にあらずと判断し第十六・十七両任務部隊に日本軍機動部隊と間違えて攻撃に向わないよう緊急電を打った。

フレッチャー司令官も同じ判断を下し行動を行わなかった。

午後4時50分には、予想迎撃地点に向けて南西に進路を変更している。

この段階では、フレッチャーとスプルーアンスも塚原機動部隊の位置を把握していなかった。

 

                     ※

 

 第七艦隊は、ミッドウェー島攻撃準備を終えようとしていた。

司令官と幕僚は、見送り位置に立っていた。

「ミッドウェー攻略部隊が攻撃されました。

奇襲は、望めませんな」

 草鹿参謀長が塚原司令官に現状を報告した。

「電波が敵にキャッチされたのかもしれない」

 塚原司令官は、自分の判断を悔いた。

意気消沈していた所に虫垂炎の手術を終えたばかりの淵田美津雄中佐があがってきた。

「おい、寝てなくていいのか?」

 それに気づいた草鹿参謀長が肩を貸した。

だが淵田中佐は、病人とは思えない元気さで一人で皆の輪に入った。

「気が重くて寝てられない。

見物させてくれ」

 そういうと飛行甲板に並んだ本当は、自分が指揮するはずの攻撃隊を眺めた。

この時淵田中佐に代わって指揮するのは、友永丈市大尉だった。

「総隊長、無理しないで」

 源田参謀は、淵田中佐を心配した。

「哨戒機は、もう出たのか?」

 淵田中佐は、自分の体調より作戦がうまくいってるか心配だった。

「第一攻撃隊と一緒に出る」

 源田参謀が哨戒機の出撃予定時間を言った。

「一段作戦だな」

 淵田中佐は、作戦を理解した。

「いつもの通りさ」

 源田参謀がいつも通りだと言った。

「ミッドウェー島を攻撃中に哨戒機が敵艦隊を発見したらどうするんだ?」

 淵田中佐は、自軍がミッドウェー島を攻撃中に敵艦隊を攻撃可能か質問した。

「心配ない。

第二次攻撃隊が魚雷を抱いて待機してるさ」

 源田参謀がアメリカ機動部隊への対処法を言った。

 旗艦「翔鶴」の艦橋にある時計が攻撃開始時刻を指した。

「攻撃隊発進」

 塚原中将が攻撃隊の発進を命令した。

日本時間六月五日午前一時三十分第七艦隊は、ミッドウェー空襲隊(友永丈市大尉指揮:陣風艦上戦闘機四十四機、彗星艦上爆撃機三十三機、天山艦上攻撃機三十三機の合計百十機)を発進させた。

本来ならば淵田中佐が総指揮官として出撃するはずだったが淵田中佐は、虫垂炎による手術を行ったばかりなので出撃できない。

源田実航空参謀も風邪により熱を出していた。

日本軍は、「敵空母を基幹とする有力部隊附近海面に大挙行動と推定せず」という方針の元に攻撃を開始する。

田中少将の攻略部隊(第二水雷戦隊)がミッドウェー島に上陸する日は、六月七日と決定されており第七艦隊はそれまでにミッドウェー基地の戦闘力を奪わなければならなかった。

奇襲の成立が前提にあり空襲の攻撃主目標は地上・上空の飛行機、副目標が滑走路、航空施設、防空陣地であった。

源田実参謀によれば滑走路が副目標であるのは、支那事変の戦訓から長期間使用不能にすることが困難であるからまた艦爆が対空砲火による被害が大きいことも支那事変でわかっていたが命中率の良さから採用し800キロ爆弾は開戦後の経験から陸上攻撃に大きな効果があることが分かっていたため採用したという。

各空母からの発艦機数は「翔鶴」から陣風十六機、彗星艦爆十二機、天山艦攻十二機(八百番キログラム爆弾装備)、「瑞鶴」から陣風十六機、彗星艦爆十二機、天山艦攻十二機(八百キログラム爆弾装備)、「蒼龍」から陣風十四機、彗星艦爆九機、天山艦攻九機(八百キログラム爆弾装備)、「黒龍」から陣風十四機、彗星艦爆九機、天山艦攻九機(八百キログラム爆弾装備)である。

六空母に残った戦力は陣風百五十二機(『翔鶴』十六機、『瑞鶴』十六機、『龍鳳』六十機、『瑞鳳』六十機)、艦爆三十三(『翔鶴』十二機、『瑞鶴』十二機、『黒龍』九機、『蒼龍』九機)、艦攻三十三(『翔鶴』九機、『瑞鶴』九機、『黒龍』九機、『蒼龍』九機)であった。

一航戦の艦攻には、航空機用魚雷で二航戦の艦爆には二百五十キロの通常爆弾が装着され各空母格納庫で待機していた。

なお第六航空戦隊は、防空任務のため陣風のみを艦載していた。

 また偵察機として 「翔鶴」と「瑞鶴」から天山艦攻各三機と重巡洋艦「利根」、「筑摩」から九八式水上偵察機各二機と戦艦「甲斐」、「山城」から九四式水上偵察機各二機が発進した。

索敵機の発進は、日の出の三十分前午前一時三十分と定められていた。

だが第八戦隊司令官阿部弘毅少将の判断で「利根」は、対潜哨戒につく九四式水上偵察機の発艦が優先された。

このため筑摩機は、午前一時三十五分(第五索敵線)と午前一時三十八分(第六索敵線)に九八式水上偵察機が発進し午前一時五十分に対潜哨戒機が発進した。

「利根」は、午前一時三十八分に対潜哨戒機で午前一時四十二分(第三索敵線)と午前二時(第四索敵線)にそれぞれ水偵が発進した。

戦闘詳報には、「『利根、筑摩』とも出発著しく遅延す」「『筑摩』六号機は、天候不良のため午前三時三十五分に引き返せり」という記載がある。

「筑摩」の遅れは、機長兼飛行長の黒田信大尉によれば待機していたが艦長から発艦命令がなかったので催促したという。

艦長の古村啓蔵によれば発艦が遅れた理由は、思い出せないが催促されて判断し発艦させたという。

「利根」の遅れは、通信参謀矢島源太郎と飛行長武田春雄によれば射出機の故障は記憶になく大きく遅れた感じはなかったという。

第八戦隊首席参謀土井美二中佐によればなにか滑走車のピンが抜けた入らないで騒いでいた気がするという。

 最後に第六航空戦隊より陣風約一個大隊六十機が直掩のため出撃した。

この直掩隊は、爆撃機と雷撃機の多重攻撃に備え「龍鳳」隊は高度五千メートル付近を警戒し「瑞鳳」隊は高度二千メートル付近を警戒していた。

 そして第七艦隊は、針路を再びミッドウェー島に向け進撃を開始した。

午前二時二十分塚原長官より「敵情に変化なければ第二次攻撃は、第四編成(指揮官瑞鶴飛行隊長)をもって本日実施予定」という信号が送られた。

これは、米艦隊が出現しない事が明確になった時点で兵装を対地用に変更しミッドウェーを再空襲する事を予令として通知したものである。

仮に第二次攻撃隊が出撃すると第七艦隊に残された航空兵力は、第六航空戦隊の陣風を除いて零となるはずだった。

 午前二時十五分ごろアディ大尉が操縦するPBYカタリナ飛行艇は、日本軍九八式水上偵察機 (利根四号機)を発見し近くに日本艦隊がいると判断した大尉は付近を捜索した結果十五分後に第七艦隊を発見して「日本空母一、ミッドウェーの三百二十度、百五十浬」と平文で報告した。

日本側もPBY飛行艇を発見し警戒隊の軽巡洋艦「川内」から続けて戦艦「甲斐」から敵機発見の煙幕があがった。

第七艦隊は、直掩隊の陣風で迎撃しようとしたがアメリカ軍飛行艇は雲を利用して回避しつつ接触を続け陣風隊はとうとうアディ大尉のPBY飛行艇を撃墜できなかった。

午前二時四十分アディ大尉機と同じ針路を遅れて飛んでいたチェイス大尉のPBY飛行艇もミッドウェー空襲隊を発見・報告した。

アメリカ軍偵察機が第七艦隊発見を通報した無電は、ミッドウェー基地や第七艦隊などには傍受されたが第十六・十七任務部隊には混線したため内容が把握できなかった。

両部隊が内容を把握できたのは、PBYからの続報を元にして午前三時三分にミッドウェー基地が打電した平文の緊急電を傍受してからである。

この平文電報は、「翔鶴」でも傍受している。

 

                 ※

 

 空襲が予想されるミッドウェー基地では午前三時に迎撃の戦闘機二十六機(バッファロー二十機、ワイルドキャット六機)が出撃し続いてTBFアベンジャー雷撃機六機、B-26マローダー爆撃機四機、 SB2Uビンジゲーター急降下爆撃機十二機、SBDドーントレス急降下爆撃機十六機という混成攻撃隊が第七艦隊へ向けて発進した。

基地には、予備のSB2U五機及びSBD三機が残された。

午前四時七分ミッドウェー基地経由で日本軍空母発見の報告を受けたフレッチャー少将は、直ちに行動を開始すると「エンタープライズ」のスプルーアンスに対して攻撃を命令した。

アメリカ海軍の三空母は、直ちに出撃準備を開始しスプルーアンスは、「エンタープライズ」と「ホーネット」の攻撃隊発進を午前四時と指定した。

 

                 ※

 

 午前三時十六分澤村上飛曹は、第一攻撃隊に参加し彗星隊と天山隊の直掩の任務に就いていた。

この時間外は、薄暗かった。

しかし日本軍パイロットは、初等教育にて夜間に視力教育が行われ夜間でも視力が効くように訓練される。

これによって日本軍パイロットは、夜間でも敵機の姿が確認できた。

そのため上空にいた敵迎撃隊を発見することができた。

 岡島清熊大尉は、バンクを振り増槽を落とすと一気に上昇にうつった。

他の機体もそれに倣ったが一航戦の陣風隊は、そのままだった。

どうやら別働隊の攻撃に備えて動かないつもりのようだ。

敵機の機種までは、不明だったがその機体はまっすぐ先行する友永隊に上空から機首を向けていた。

させるものかと二航戦の陣風隊は、さらに上空に陣取りその編隊に向けて機首を向けていた。

後は、隊長機からの突撃命令あるのみだった。

「突撃開始」

 岡島大尉からの命令だった。

その瞬間陣風隊は、闇夜にまぎれる敵機に突撃した。

刹那近くで閃光弾が光った。

この時澤村は、友永大尉が敵機を発見したためそれを僚機に伝えるために閃光弾を使ったと思ったが実際はカタリナ飛行艇の吊光弾の投下だった。

陣風隊は、機銃を撃った。

直撃を受けた数十機が墜落した。

攻撃を受けなかった数機は、急降下で遁走した。

澤村は、この照明弾で敵機種が分かった。

一方がF2Aでもう一方がF4Fだ。

 横山勝一飛兵が急降下に移り遅れた一機のF2Aに機首にある九八式二十粍固定機銃を撃った。

火箭は、F2Aの尾部付近に命中して炸裂した。

この九八式二十粍固定機銃には、九九式二〇粍機銃同様炸裂弾が使用されているため九七式一二・七粍固定機銃よりはるかに破壊力が向上した。

そのため尾部付近に命中に命中されたF2Aは、尾部を失いそのまままっさかさまに墜落した。

澤村は、その戦果を見届けると戦場全体を見渡した。

すると敵迎撃隊の数は、ほぼなかった。

 アメリカ軍の妨害を排除した日本軍攻撃隊は、午前三時三十分から午前四時十分にかけて空襲を実施した。

映像撮影のため派遣されていた映画監督のジョン・フォードなどが見守る中重油タンクや水上機格納庫、戦闘指揮所、発電所、一部の対空砲台を破壊し基地施設に打撃を与えたが滑走路の損傷は小さく死傷者も二十名と少なかった。

彗星艦爆の搭乗員は、飛行機のない滑走路を爆撃して虚しい思いをしたと回想している。

 友永大尉は、攻撃の効果が薄いと感じた。

「おい、『翔鶴』長官に連絡だ。

第二次攻撃の用意」

 友永大尉は、水木徳信上等飛行兵曹に命令した。

「無線機が壊れてます」

 水木上飛曹が無線機で電文を送ろうとしたが無線機は、故障していた。

「バカ。

貴様の責任だ。

直せ」

 友永大尉は、無線機の修理を命じた。

水木上飛曹が無線機のパネルをとると銃弾が食い込んでいた。

水木上飛曹は、その銃弾を手に取ったがまだ熱くすぐに放り投げた。

「仕方ない。

二番機に頼め」

 友永大尉は、自機での通信を諦め小型黒板を通じて二番機に中継代行をさせた。

 

                 ※

 

 第十六任務部隊の旗艦「エンタープライズ」の艦橋では、スプルーアンスと幕僚が作戦会議を開いていた。

「敵の全飛行機数は、約二百五十。

パイロットも優秀だ。

このゲームに勝つただ一つの方法は」

 スプルーアンスは、この海戦の勝利方法を言おうとした。

「敵がミッドウェーを攻撃して空母に戻るとき」

 参謀の一人がそういった。

「その通りだ」

 スプルーアンスは、力強くうなづいた。

「敵は、ミッドウェーから二百八十キロメートルの位置にいます。

午前三時四十分現在二十五ノットで前進しています。

今攻撃隊を発進させれば味方の攻撃機は、二百七十キロメートル飛ぶだけで敵の空母が攻撃隊を収容する際を狙える。

黄金のチャンスをつかめるのです」

 参謀は、作戦海域地図に定規と鉛筆で敵空母の動きと味方攻撃隊の動きを書いた。

「ミッドウェーのわが陸上機が先に攻撃してくれれば奇襲は、成功する」

 スプルーアンスの言葉に参謀もうなづいた。

「最高のゲームには、最高のタイミングが必要です」

 幕僚の皆は、タイミングが少し狂えばこちらが敗北すると感じていた。

「つかむんだ。

奇襲の時。

黄金のチャンスを」

 しかしスプルーアンスは、弱気ではなかった。

「全力投球します、閣下」

 幕僚の皆は、そんなスプルーアンスの姿に勇気づけられた。

 

                  ※

 

 ミッドウェー基地攻撃中の午前三時四十九分「筑摩」の四号機が天候不良のため引き返すと報告(受信午前三時五十五分)した。

午前三時五十五分「利根」の一号機から「敵十五機わが艦隊に向け移動中」という報告を受けた。

アメリカ軍側の記録によれば「ヨークタウン」から発進した十機の索敵機である。

 

                 ※

 

 友永大尉の電文は、「翔鶴」で確認された。

「第一次攻撃隊より無電が入りました。

『我、攻撃終了。

帰途ニ就ク。

第二次攻撃ノ要アリ』」

 塚原司令官は、難しい表情をした。

日本軍空襲隊(友永隊)がミッドウェー島を攻撃していたころ第七艦隊は、「〇四〇〇に至り敵第一次攻撃ありその後〇七三〇頃迄殆ど連続執拗なる敵機の襲撃を受ける」というようにアメリカ軍機の継続的な空襲に悩まされていた。

午前四時五分重巡洋艦「利根」は、アメリカ軍重爆撃機十機を発見する。

アメリカ軍攻撃隊の正体は、ミッドウェー基地から発進したTBFアベンジャー雷撃機六機(フィバリング大尉)と爆弾のかわりに魚雷を抱えたB-26マローダー双発爆撃機四機(コリンズ大尉)だった。

シマード大佐(ミッドウェー司令官)が友永隊の迎撃に全戦闘機を投入してしまったため彼らは、戦闘機の護衛なしに進撃してきたのである。

「翔鶴」と「利根」が発砲し直掩の陣風三十機が迎撃する。

アベンジャー六機のうち三機は、直掩機により撃墜され残り二機も投下後に撃墜されアーネスト中尉機だけが生還した。

「翔鶴」は、アメリカ軍の魚雷を全て回避した。

被害は、機銃掃射で「翔鶴」三番高角砲が旋回不能(三十分後に修理完了)で砲員に負傷者が出たほか両舷送信用空中線が使用不能となり旗艦の通信能力に支障が生じた。

「翔鶴」を狙ったB-26隊は魚雷二-三本命中を主張しているが実際には回避されている。

B-26は、二機が撃墜され生還した二機もひどく損傷して放棄された。

ミッドウェー基地から発進したアメリカ軍陸上機による空襲は、ミッドウェー島の基地戦力が健在である証拠であった。

「哨戒機からの連絡は?」

 本当に付近に敵機動部隊がいるならばもう見つかっても良いころでった。

「ありません」

 しかし草鹿参謀長は、無情な回答をするだけだった。

その間も第七艦隊は、カタリナ飛行艇の接触を受け続けていた。

「バカに敵の飛行艇がちらつくな」

 草鹿参謀長は、双眼鏡で敵機を見てそういった。

「敵は、兵力の三分の一を哨戒に使うと聞いています」

 それに源田甲参謀が答えた。

「それにしても多すぎる」

 草鹿参謀長は、事前に予想していた敵兵力から計算してもこの数は異常だった。

「確かに先に見つけられたのは、我々です。

しかし敵の攻撃隊など第六航空戦隊で防ぎきれます」

 源田甲参謀が力説した。

午前四時十五分塚原司令部は、各艦で待機中の攻撃隊に対し『本日航空機による攻撃を実施する為第二次攻撃隊を編成せよ。

兵装は、爆装に転換』と通知し陸上攻撃用爆弾への換装を命じた。

 

                  ※

 

 その頃アメリカ海軍第十七任務部隊の指揮官フレッチャー少将は、ミッドウェー基地航空隊の活躍によって第七艦隊の位置をほぼ特定することに成功し攻撃するタイミングを窺っていた。

午前三時七分フレッチャー少将は、スプルーアンス少将に「南西に進み敵空母を確認せばそれを攻撃せよ」と命じこれを受けたスプルーアンス少将は午前四時過ぎに攻撃隊発進を命令し第十六任務部隊は次からなる百十七機の攻撃隊を発進させた。

空母エンタープライズ

F4F戦闘機十機(VF-6指揮官:ジェームズ・グレイ大尉)、SBD爆撃機三十三機(指揮官:第六航空群司令クラレンス・マクラスキー少佐、VB-6指揮官:リチャード・ベスト大尉、VS-6指揮官:ウィルマー・ギャラハー大尉)TBD雷撃機十四機(VT-6指揮官:ユージン・リンゼー少佐)

空母ホーネット

F4F戦闘機十機(VF-8指揮官:サミュエル・ミッチェル少佐)、SBD爆撃機三十五機(VB-8指揮官:ロバート・ジョンソン少佐、VS-8指揮官:ウォルター・ローディ少佐)、TBD雷撃機十五機(VT-8指揮官:ジョン・ウォルドロン少佐)

しかし午前四時二十八分に日本軍の偵察機が艦隊上空に現れたことからまだ日本側には空母を発見されていなかった上発艦した飛行隊を小出しにすることは、戦術としては非常にまずいにもかかわらず敢えてスプルーアンス少将は発進を終えた飛行隊から攻撃に向かわせるように指示した。

艦をあげての全力攻撃で全機を飛行甲板に並べて一度に発進させることができなかったのである。

また日本軍の空母六隻すべての所在を確認した第十七任務部隊も警戒のために出していた偵察機(当日はヨークタウンが警戒担当)の収容を終えた後の午前五時三十分に次からなる三十五機の攻撃隊を発進させた。

空母ヨークタウン

F4F戦闘機六機(VF-3指揮官:ジョン・サッチ少佐)、SBD爆撃機十七機(VB-3指揮官:マクスウェル・レスリー少佐)、TBD雷撃機十二機(VT-3指揮官:ランス・マッセイ少佐)

ヨークタウンは、午前六時五分に攻撃隊を発進させるとすぐにウォリー・ショート大尉のSBD爆撃機十七機(VS-5)と戦闘機六機を甲板に並べ発進準備を行った。

また米潜水艦「ノーチラス」は、日本戦艦を雷撃したあと午前六時十分に「敵巡洋艦(駆逐艦嵐)を雷撃するも命中せず爆雷六発で攻撃される」と日誌に記録したが誰にも報告しなかった。

 

                   ※

 

 午前四時二十八分「利根」の四号機(機長は偵察員の甘利洋司上等飛行兵曹、操縦員は鴨池源飛行兵長、電信員は内山博飛行兵長)だった。

 電文は、すぐに「翔鶴」に送られた。

「我敵艦隊見ゆ。

空母二隻、重巡五隻、駆逐艦多数。

方位二百十度、距離二百三十海里、速力二十八ノット」

 小野通信参謀が電文の綴りを読み上げた。

予期せぬアメリカ機動部隊発見報告に塚原司令部は、興奮した。

一方で特に動揺もなく平静だったという証言もある。

 なお「利根」の四号機がアメリカ機動部隊の位置を報告する前筑摩一号機(機長:黒田信大尉/筑摩飛行長)がアメリカ軍機動部隊上空を通過していたが雲の上を飛んでおりアメリカ艦隊を発見できなかった。

さらにアメリカ艦載機と接触しながらこれを報告しなかった。

 午前四時四十五分魚雷から陸用爆弾への兵装転換を一時中断し再度魚雷への兵装転換を命じた。

塚原司令官は、対艦爆弾を装備した艦爆隊の発進を命じたかったが新たなアメリカ軍航空隊が接近していた。

日本時間午前四時五十三分戦艦「甲斐」から敵機発見を意味する煙幕が展開されヘンダーソン少佐が指揮するミッドウェー基地のアメリカ海兵隊所属SBDドーントレス爆撃機十六機が艦隊上空に到達した。

午前四時五十五分同隊は、日本軍直掩機の迎撃を受けヘンダーソン機以下六機が撃墜されなおも空母「黒龍」と「蒼龍」を空襲するも命中弾を得られずヘンダーソン隊長機を含む合計八機を失った。

ヘンダーソン戦死後に攻撃隊を率いたエルマー・G・グリデン大尉は、航行する日本空母の甲板に日の丸が描かれており容易に見分けられたと述べている。

アメリカ軍側は、「黒龍」に命中弾二と「瑞鶴」に命中弾三を主張しているが命中した爆弾は一発もない。

アメリカ軍機の攻撃は続いた。

午前五時十分B-17爆撃機十七機(スウィニー中佐)による空襲が行われ「翔鶴」、「蒼龍」、「黒龍」が狙われたが損害は無かった。

攻撃したB-17隊も無傷だったが空母に直撃弾一と不確実一発を主張している。

一機のB-17乗組員達は基地に戻ると彼らの爆撃が日本艦隊を撃破したと主張した。

最後に海兵隊のSB2Uビンディケーター爆撃機十一機(ノリス少佐)による空襲が行われた。

この隊は、陣風の防御網をくぐりぬけて空母を狙うのは困難と判断し戦艦「山城」を狙った。

直掩機の迎撃で一機を失い二機が燃料切れで不時着した。

直撃弾二発を主張したが「山城」は、無傷だった。

 日本軍の戦闘詳報は、「〇五一〇:『翔鶴』、『黒龍』ニ爆弾命中スルヲ認ム(誤認)」、「敵飛行機、『蒼龍』(原文ママ)ニ急降下、利根(水偵)揚収」、「『瑞鶴』後方ニ爆弾投下命中セズ」、「『翔鶴』左百二十及五百メートルニ爆弾二個弾着スルヲ認ム」、「『利根』左百及四千メートルに爆弾投下、『蒼龍』『黒龍』、盛ニ発砲、『蒼龍』周囲ニ猛烈爆弾投下」、「『翔鶴』後方ニ爆弾投下、命中セズ」、「敵飛行機十機、『山城』ニ対シ急降下、爆弾投下命中セズ」など断続的に空襲を受けていることを記録している。

 

                   ※

 

 ニミッツ提督は、「ミッドウェー基地隊は、日本軍艦艇十隻に損傷を与え一-二隻を沈めたかもれないが阻止に失敗し基地隊主戦力は失われた」とキング大将に報告した。

この後ミッドウェー基地航空隊は、SB2U五機とSBD六機で夜間攻撃に出撃したが会敵せずSB2U一機を事故で喪失した。

 

                   ※

 

 日本時間午前五時から午前五時三十分にかけてミッドウェー基地を攻撃した日本軍攻撃隊(友永隊)が第七艦隊上空に戻ってきた。

ちょうどアメリカ軍ミッドウェー基地航空隊が第七艦隊を攻撃している最中であり日本軍攻撃隊は、母艦上空での待機を余儀なくされている。

「翔鶴」からは、護衛の駆逐艦が友永隊を誤射する光景が見られ後に着艦した千早大尉(翔鶴艦爆隊)と山田大尉(翔鶴艦戦隊)は友軍に激怒している。

混乱した状況下の中午前五時三十分さらに「利根」の四号機から「敵艦隊見ゆ。

空母一隻、巡洋艦二隻、駆逐艦多数。

ミッドウェー島ヨリノ方位百九十度、七十海里。

敵針路十度(発午前五時二十分)」との打電が入った。

この空母は、ホーネットである。

偵察機からの通信は、母艦側の受信と暗号解読により十分の差が生じている。

草鹿龍之介参謀長は、「予想していなかったわけではないがさすがに愕然とした」と述べている。

 各空母の状況に加え塚原司令部は、二つの条件を検討した。

1.上空待機中の日本軍ミッドウェー基地空襲隊(約百機)の燃料が尽き掛けておりこれ以上待たせる事は、出来ない。

貴重な機体と二百名以上の熟練搭乗員を危険にさらすことは、大問題である。

2.戦闘機の護衛のない攻撃隊は、艦隊護衛戦闘機の餌食になることを珊瑚海海戦やアメリカ軍ミッドウェー基地航空隊が実証している。

塚原中将にとって大損害を受けることがわかっていながら「はだか」の航空隊を出すことは、出来ない。

塚原中将は、戦闘機の護衛をつけずに攻撃隊を出す危険性や第一次攻撃隊を見捨てることへの懸念から帰還した第一次攻撃隊の収容を優先すべきと考えた。

草鹿参謀長によれば敵の来襲状況を見ると敵は、戦闘機をつけずに面白いように撃墜され全く攻擎効果をあげておらずこれを目前に見ていたのでどうしても艦戦隊を付けずに艦爆隊を出す決心がつかなかったという。

航空参謀の源田実は、図上演習ならば文句なしに第一次攻撃隊を見捨てたが苦楽を共にしてきた戦友達に「不時着して駆逐艦に助けてもらえ」とは言えず機動部隊が移動すれば不時着した搭乗員達は見殺しになるので歴戦の搭乗員達の回収を優先させることを進言した。

 午前五時三十七分各空母は、日本軍ミッドウェー基地攻撃隊の収容を開始する。

午前五時五十五分「(第一次攻撃隊)収容終らば一旦北に向ひ敵機動部隊を捕捉撃滅せんとす」と命じた。

同時刻重巡洋艦「筑摩」から「水上偵察機を午前六時三十分発進予定」との報告がある。

午前五時四十五分「更に巡洋艦らしきもの二隻を見ゆ(発信午前五時三十分)」という「利根」四号機からの追加情報が入る。

攻撃隊収容中の午前五時四十八分「利根」四号機から帰投するという電報が届いた。

阿部少将は、第八戦隊(『利根』、『筑摩』)に交代の偵察機発進を命じると「利根」四号機に「帰投まて」を命じた。

九八式水上偵察機の航続距離は、通常十時間であるためまだ十分飛べると考えたためである。

塚原司令部も午前五時五十四分に無線方位測定で位置を把握する為の長波輻射を「利根」四号機に命じた。

だが利根四号機は、午前五時五十五分に「敵攻撃機十機貴方に向かう」の通報のみを行い輻射は行わなかった。

 第一次攻撃隊の収容は、午前六時三十分までに完了したとされるが「蒼龍」では午前六時五十分頃までかかっている。

この状況下午前六時二十分頃にジョン・ウォルドロン少佐率いるホーネット雷撃隊TBDデバステイター雷撃機十四機が日本の機動部隊上空に到達し日本側では「翔鶴」や「筑摩」が確認した。

この時点で第七艦隊の直掩機は、一機の欠落もなく健在だった。

アメリカ軍攻撃隊は、部隊毎に進撃したので連携が取れずホーネット雷撃隊は戦闘機の護衛の無いまま「翔鶴」を狙った。

一機の雷撃機は、赤城の艦橋に接近して墜落し草鹿参謀長は死を覚悟している。

デバステーター隊は、陣風隊により全機が撃墜され不時着水した機体から脱出したジョージ・ゲイ少尉一人を除く隊員二十九名が戦死した。

ゲイ機は、「蒼龍」を雷撃して飛行甲板上を通過したが魚雷は命中せず直後に陣風に撃墜されたとされる。

戦闘後の名誉勲章推薦状には、「ホーネット雷撃隊は、日本空母に魚雷を命中させ日本の空母に最初に大打撃を与えた」とあり後にホーネット隊は他の部隊から恨みを買うことになる。

一方「ホーネット」の戦闘機隊と爆撃隊は雲で雷撃隊を見失い第七艦隊も発見できなかった。

戦闘機隊とドーントレス十三機は、ミッドウェー基地へ向ったが燃料切れでワイルドキャット全機とドーントレス三機が不時着水し残りのドーントレス二十機はホーネットに帰艦した。

午前六時三十七分「利根」の四号機から「燃料不足のため帰投する(発午前六時三十分)」と連絡が入る。

阿部司令は、午前七時まで接触を維持することを命じたが「我れ出来ず」との返答を受け帰還を許可した。

同時刻「利根」の四号機と交代すべく「筑摩」の五号機が発進した。

午前六時五十分ユージン・リンゼー少佐率いるエンタープライズの雷撃隊十四機が第七艦隊上空に到達した。

通信不良と連携ミスにより十機のワイルドキャットは、ホーネット雷撃隊を護衛していたためエンタープライズの雷撃隊を掩護できなかった。

エンタープライズの雷撃隊は、「瑞鶴」を目標にするが十機を失い一機が帰還後投棄し隊長機を含む二十九名が戦死する。

その上命中魚雷も得られなかった。

戦闘機隊の連携ミスで護衛を受けられず多くの隊員を失った事に生き残った隊員達は、激怒し帰還後に戦闘機隊隊員の控室に拳銃を持って怒鳴りこんだと同隊の戦闘詳報に記載されている。

午前七時十分ランス・マッセイ少佐指揮のヨークタウンの第三雷撃隊が第七艦隊上空に到達した。

「黒龍」は、他の五空母より前方を進み雲の下を航行していたという。

ヨークタウン雷撃隊十二機は、突出した「黒龍」を挟撃すべく二個小隊(六機)にわかれると攻撃を開始した。

TBDデバステーター十機が撃墜され残りの二機も燃料切れで不時着水し全機損失し二十四名中二十一名(隊長含)が戦死し「黒龍」に魚雷五本を発射したが全て回避された。

 

                ※

 

 その頃「龍鳳」所属の陣風小隊長の一岡進一(いちおかしんいち)少尉は、南西方向から来る航空機の群れを発見した。

すると隊長の西正也(にしまさや)大尉機に近づいた。

「南西方向より敵機接近」

 一岡が無線機で方角を教えると西隊長は、その方角を見た。

「了解」

 西隊長も敵機と判断し増槽を外すと上昇に移った。

各機も倣い一岡も自分の位置に戻った。

 陣風隊は、SBD爆撃隊の上空に着いた。

しかし敵機は、こちらに気付かなかった。

なぜなら彼等は、当時眼下にいた駆逐艦「嵐」を見つけこれが艦隊本隊に戻ると思って一瞬も目を離さなかったためであった。

 なお戦後に開かれた「嵐」の戦友会は、空襲直前の日本時間午前七時の段階で「嵐」は「翔鶴」の直衛で傍を離れていなかったと主張している。

そして陣風隊が攻撃を開始した。

一歩遅れて漸くこちらに気付いたSBD側が旋回機銃を撃ってきたがもはや手遅れだった。

陣風隊の攻撃を受けた何機かが墜落した。

しかし敵機は、煙は噴くが火焔が噴出する様子はなかった。

しかもSBDは、遁走するどころか編隊に空いた穴を残った機体で密集して死角をなくそうとした。

これには、陣風隊も感心していた。

 この時陣風隊は、知らなかったがエンタープライズの艦爆隊SBDドーントレスとヨークタウン艦爆隊は共に日本の機動部隊を見つけられず燃料消耗のために飛行範囲限界を迎えつつあったため火焔は噴かず敵艦隊接触を目前に遁走など考えられなかった。

一岡分隊は、左旋回でSBDの背後に着くとロッテでSBDの旋回機銃を翻弄しながら接近し一岡機が一機のSBDに二〇粍機銃を撃った。

二〇粍機銃は、左翼に命中すると翼が折れそのまま回転しながら墜落した。

他の分隊も同じようにSBDを攻撃していた。

陣風が放つ二〇粍機銃は、SBDの主翼や胴体などに命中し瞬く間に墜落していく。

一岡は、再び一機のSBDの背後についた。

偵察員は、どうやら部下の寺原大海(てらはらこと)一等飛行兵曹の機体を旋回機銃で狙っていた。

そのため一岡は、その隙をついて二〇粍機銃を撃った。

火箭は、誤らずキャノピーに命中し破壊した。

機体は、そのまま垂直に降下していった。

一岡は、その戦果を悠々と見てる余裕はなかった。

彼等の目的は、空母であり自分たちが見落とせば艦内にいる熟練パイロットたちが命の危機にさらされることになる。

それだけは、避けなければならなかった。

そのため辺りを見渡し他の敵機が接近していないか哨戒を続けた。

既に接近していたSBDドーントレス隊は、全滅したが陣風たちは一機の欠落なく編隊飛行に戻りつつあった。

(他には、こなさそうか)

 近藤少将は、「龍鳳」直掩隊が戦闘で燃料を相当消費したと判断しすぐに代わりの直掩隊の発進命令を出した。

そしてSBDドーントレスの奇襲を見事防いだ西隊長の部隊の着艦作業を急がせた。

 

                ※

 

 午前七時五十分第三戦隊三川軍一司令官は、計画が破綻していることを通報した。

三川は、「機動部隊ヲシテ敵空母ヲ攻撃セシメ機動部隊ハ一応北方ニ避退し兵力ヲ結集セントス」と述べ続いて第一航空戦隊に「敵空母ヲ攻撃セヨ」と命じた。

第一航空戦隊司令官塚原二四三中将は、三川の命令を待たずに敵空母に反撃するため間合いを詰め始める。

確認では、敵空母は三隻だったがうち二隻は正確な位置が分かっていたものの時間がかなり経ってしまったため哨戒機が示した位置にはもういないと判断した。

四隻の空母は、既に発進準備が完了していた。

午前七時五十八分塚原中将は、三川に対し「我今より航空反撃の指揮をとる」と米空母に全力攻撃をかけることを告げた。

敵空母は、攻撃を終えた艦載機を収容中であり接近して攻撃力を発揮できる好機だった。

 第二航空戦隊旗艦「黒龍」の飛行甲板では、山口少将がパイロットたちに訓示をしていた。

「哨戒機の報告によれば敵空母は、全部で三隻だ。

だがうち二隻は、敵の度重なる攻撃で姿を見失った。

そのため残る一隻に今は、全力であたってほしい。

位置は、西に百四十四キロメートルにいる。

しかも護衛艦は、巡洋艦と駆逐艦のみでこちらが圧倒的に優勢だ。

先ほど塚原司令官は、三川長官に艦隊殴り込みを進言した。

当攻撃隊の目的は」

「敵空母一刀両断」

 山口少将が言おうとしていた目的を松村平太大尉が言った。

「よし、体当たりでやってくれ」

 山口少将は、部下たちの腕前を信頼していた。

午前八時第一航空戦隊および第二航空戦隊から第一次波撃隊として村田重治少佐率いる陣風一一型五十二機、彗星艦爆四十二機、天山艦攻三十六機が発進した。

第七艦隊は、第一波攻撃隊を発進させるとすぐに第三次攻撃隊の準備を行い同時に米機動部隊の方向に進撃した。

第一波攻撃隊が発進するのと同時刻「筑摩」五号機が発信した米艦隊の位置情報が届いた。

第八戦隊は、「筑摩」四号機・五号機に対し「敵空母ノ位置ヲ知ラセ攻撃隊ヲ誘導セヨ」と連絡している。

すぐに筑摩五号機から「敵空母の位置味方の七十度九十浬。

我今より攻撃隊を誘導す〇八一〇」との連絡があり第一波攻撃隊の誘導を開始した。

 

                ※

 

 午前八時十五分「ワスプ」では、攻撃隊着艦作業がはじまったが着艦事故が発生して甲板が損傷した。

午前八時五十分修理が終わりSBD爆撃機十機に索敵任務が与えられた。

偵察隊が発進してまもない午前九時レーダーが南西四十六浬に日本軍機を探知する。

「ワスプ」は重巡洋艦「アストリア」、「ポートランド」、駆逐艦「ハムマン」、「アンダースン」、「ラッセル」、「モーリス」、「ヒューズ」に輪形陣を組むよう命じF4Fワイルドキャット十二機を発進させた。

 

                ※

 

 米空母に接敵する筑摩五号機からの電波を頼りに進む日本軍第二次攻撃隊は、ついに「ワスプ」を発見した。

 

                ※

 

 「ワスプ」VF-3所属のケニー・ゲーデル少尉は、母艦から指示された方向から来る群れをSBDドーントレス隊と認識していた。

「気をつけろ。

正面は、味方機じゃない」

 隊長のアンドレ・ラディッツ中尉の警告にケニーは、罵声を吐いた。

予想では、ミッドウェー航空隊による攻撃で日本軍ミッドウェー攻撃隊が着艦する瞬間に艦載機が攻撃する手はずだった。

しかし目の前の機数からすると欠落した空母は、一隻もいないと考えるのが適切だった。

 敵機は、戦闘機だけでも五十機はいる。

こちらの四倍である。

しかも高度上の優位性も敵がしめていた。

不利は、目に見えていた。

(やるしかないんだ)

 しかし彼等に退くことなど許されていなかった。

ジョージ(陣風の連合国コードネーム)の胴体は、F4Fとは対照的にスマートできゃしゃだった。

開戦以来戦ってきたジーク(零戦の連合国コードネーム)やオスカー(九八式戦闘機の連合国コードネーム)とは、別次元の強さを誇っていた。

これらの戦闘機相手ならサッチ・ウェーブや高高度からの一撃離脱戦法で圧倒できるがジョージは、この戦法が全く通用しない敵だった。

しかも最高速度と上昇力もこれらの機体を凌駕しておりF4F-3より重量が重くなったF4F-4では、分が悪くなってしまった。

(しかしやるしかない)

 一瞬弱気になった自分を奮い立たせると隊長機に追従した。

戦闘の火蓋を切ったのは、日本側だった。

五十機のうち数十機が編隊から離れ高高度からこちらに機銃を撃ってきた。

アメリカ戦闘機の多くが採用しているブローニングM2重機関銃の火箭と比べると太く発射速度が遅い。

まるで艦砲射撃のようであった。

F4F隊は、その艦砲から逃れようと次々と水平旋回や急降下で回避した。

ケニーは、操縦桿を倒して水平旋回を選んだ。

直後機体の横に太い火箭がかすめた。

 しかし中には、反応が遅れ撃墜された機体もいた。

「畜生」

 その中には、部下のザック・ラドキー軍曹もいた。

大切な部下を失った悲しみも束の間ジョージが高度差を速度に変え背後から迫っていた。

ケニーは、ジョージが唯一不得意とする水平面の旋回格闘に持ち込もうとした。

ジョージが食らいついてくる。

戦友を葬り去った余勢で今度は、自分を葬ろうとしている。

「追って来い、追って来い」

 ケニーは、ジョージにそう叫んだ。

機体は、ほぼ垂直に近い形で旋回していた。

遠心力で体中が鉛のように重い。

しかしその甲斐あってジョージを照準器に収められた。

水平飛行に戻ったのは、それとほぼ同時だった。

しかし発射把柄を押す前にケニーは、右上方から来るジョージに気付いた。

ケニーが絶叫するのとジョージの両翼から発射炎がほとばしるのは、ほぼ同時だった。

直後ケニーの体は、炎に包まれた。

機体が空中分解したのだ。

 その空中に咲いた焔は、ジュディ(彗星の連合国コードネーム)とジル(天山の連合国コードネーム)の攻撃によって第十六任務部隊から吹き上がる炎と同様だった。

 

                      ※

 

 偵察と攻撃部隊誘導に活躍した「筑摩」の五号機は、午前九時五分にアメリカ軍戦闘機の追跡を受け退避したがその十五分後新たなアメリカ軍機動部隊を発見した。

午前九時第七艦隊は、速力三十ノットで北東に向かった。

それより前駆逐艦「嵐」は、海面に漂う「ヨークタウン」雷撃隊隊員ウェスレイ・フランク・オスマス海軍予備少尉を救助し尋問を行った。

有賀幸作第四駆逐隊司令は、尋問内容を受けて以下の内容を発信した。

この電文は、内地の戦艦「長門」(連合艦隊総旗艦)も受信している。

1.空母は「ヨークタウン」、「エンタープライズ」と「ワスプ」および巡洋艦六隻と駆逐艦約十隻。

2.「ワスプ」は、巡洋艦二隻と駆逐艦三隻とを一団とし他の部隊とは別働しつつあり。

3.(米機動部隊)五月三十一日午前真珠港を出発し六月一日「ミッドウェー」附着しその後南北に移動哨戒をなし今日に及べり。

4.五月三十一日真珠港在泊主力艦なし(本人は、五月三十一日まで基地訓練に従事しハワイ方面主力艦の状況明らかならず)。

連合艦隊は、アメリカ軍機動部隊の戦力と出動空母の名前を知った。

この時オスマスは、エンタープライズ型空母の搭載機数(爆撃機十八、偵察機十八、雷撃機十二、戦闘機二十七)や真珠湾攻撃で沈没した米戦艦群のうち戦艦「アリゾナ」、「ユタ」や艦型不詳を除く戦艦四隻が回航修理中であることも証言している。

後にオスマス少尉は、兵の独断で殺害されてしまったという。

オスマスは、水葬に附された。

彼の名前は、バックレイ級護衛駆逐艦「オスマス (護衛駆逐艦)」に受け継がれている。

午前十時十五分第八戦隊(阿部司令官)は、各艦(『甲斐』、『山城』、『利根』、『筑摩』)に対し直ちに索敵機を発進させよと命じた。

 午前十時三十分第二次攻撃隊が各空母に着艦した。

村田少佐が「翔鶴」の艦橋に上がってきた。

「報告します。

空母一、巡洋艦二の各艦に爆弾三発と魚雷三発が命中。

さらに駆逐艦三に魚雷が一発ずつ、駆逐艦二に爆弾が一発ずつ命中」

 その瞬間艦橋がどよめいた。

大戦果だったからだ。

草鹿参謀長は報告から空母一、巡洋艦二、駆逐艦五が沈んだと判断した。

「第三次攻撃隊の発進準備を行え。

敵空母の正確な位置が分かり次第発進する」

 塚原中将は、間髪入れずに命令を出した。

 

                     ※

 

 第十六任務部隊旗艦「エンタープライズ」の艦橋では、幕僚がスプルーアンス少将を説得していた。

「考え直してください、閣下」

 参謀の一人がスプルーアンス少将を励ました。

「ダメだ。

帰還する」

 スプルーアンス少将は、全く譲らなかった。

頼みの黄金のチャンスも「ラッセル」からの電文によるとつかめられず帰艦した艦載機も被弾がひどく急降下爆撃隊は、一機も帰艦していない。

もはや第十六任務部隊に敵空母を攻撃できる力が残っていなかった。

「次の勝利をつかむためには、退く勇気もまた必要だ。

『ワスプ』の仇は、絶対に討つ」

 スプルーアンス少将の気迫に幕僚たちは、負け第十六任務部隊は撤退した。

 

                     ※

 

 そんなことつい知らず第七艦隊は、血眼になって残りの空母を探した。

しかし既に第十六任務部隊は、撤退した後であり見つけられなかった。

 午後十二時四十分最後の偵察機が帰艦した。

この時間は、作戦終了時間と定められていた。

「帰艦する」

 塚原中将は、やりきれない思いと共にそう命令した。

無論第二航空戦隊旗艦「黒龍」から薄暮攻撃も視野に入れるように催促されたが塚原中将は、これを無視した。

戦果は、

撃沈

空母 ワスプ

重巡洋艦 アストリア、ポートランド

駆逐艦 ハムマン、アンダーソン、グウィン、ヒューズ、モリス

 

損失

三十二機

である。

 

                ※

 

 山本長官は、ミッドウェー島を占領しなかった塚原中将と三川中将を激怒したが三和大佐の説得もあり事なきを得た。

 

            第二章 第二次ソロモン海戦

 

 日本海軍軍令部はニューカレドニア、フィジー、サモア方面への進出作戦であるFS作戦をたてたが千九百四十二年(昭和十七年)六月に発生したミッドウェー海戦で少々FS作戦は延期された。

ただし当時の前線基地であったラバウルからニューカレドニアまでは、零戦の航続力をもってしても往復は不可能だった。

そこで井上成美中将(第四艦隊司令官)の進言によりガダルカナル島にルンガ飛行場を建設し八月五日に戦闘機三十・艦載機三十が進出予定し八月十五日には一個航空戦隊の収容が可能となるはずだった。

実際第十三設営隊岡村徳長少佐は、七月末に一部滑走路が完成すると報告して日本軍戦闘機の進出を要望している。

これは、「ソロモン諸島・ニューギニア島東部における航空基地獲得設営のための作戦(SN作戦)」の一環だった。

七月二十六日第四艦隊は、第八艦隊(旗艦『鳥海』三川軍一中将)に外南洋方面受持警戒区域の引継ぎを行ったが井上以下司令部は「アメリカ軍は外南洋の島伝いには来ない」と断言した。

ラバウルの第八根拠地隊司令官金沢正夫中将も第八艦隊に井上と同様の見解を示した。

 

                       ※

 

 第四艦隊の思い込みとは、対照的に連合国軍は同方面を重要視しガダルカナル島に日本軍飛行場が建設されればアメリカとオーストラリアの連絡を遮断される恐れがあると判断する。

連合国軍の絶対防衛圏の死守・ソロモン諸島を奪還するための足場確保・東部ニューギニアの戦いの間接的支援のためミッドウェー海戦後にソロモン諸島とサンタクルーズ諸島の奪還と確保が研究された。

七月の上旬にはフランク・J・フレッチャー中将指揮の空母二隻(『エンタープライズ』、『サラトガ』)、戦艦一隻(『ノースカロライナ』)、重巡洋艦四隻(『ニューオーリンズ』、『ミネアポリス』、『サンフランシスコ』、『ソルトレイクシティ』)を基幹とする空母機動部隊とリッチモンド・K・ターナー少将指揮の約一万九千名からなる海兵師団と巡洋艦八隻、駆逐艦十五隻、掃海艇五隻からなる上陸部隊と支援艦隊がフィジー諸島に集結した。

千九百四十二年(昭和十七年)八月七日早朝アメリカ軍海兵隊約三千名を主力とするアメリカ軍がガダルカナル島および対岸のツラギ島に奇襲上陸した。

これに対しツラギの日本軍守備隊は、偵察部隊の飛行艇隊であった横浜海軍航空隊要員を含めて僅か四百名にしか過ぎず奇襲を受けた日本軍守備隊は〇四二〇に敵を「空母一隻、重巡四隻を含む二十隻以上の機動部隊を含む上陸部隊」と通報した上でこの海域の警備を担当するために同年七月十四日に新設されたばかりの第八艦隊に至急の救援を要請した。

さらに〇五三五には「戦艦一隻、巡洋艦三隻、駆逐艦十五隻、輸送船多数」を報告した。

だが兵力差は、圧倒的であり〇六一〇に駐留していた横浜空司令からの「敵兵力大なり。

最後の一兵まで守る。

武運長久を祈る」との打電を最後に連絡は途絶し守備隊はその日夕刻に玉砕した。

これによりフロリダ諸島の戦いは、終わった。

ほぼ同時刻にガダルカナルにもアメリカ軍が上陸し飛行場建設のために駐留していたガダルカナル島の日本軍守備隊は、情況連絡する余裕もなくガダルカナル島内陸部西方に撤退した。

宇垣纏連合艦隊参謀長は、「アメリカ軍機動部隊を含めた大部隊が接近していたのになぜ現地軍は、発見できなかった」と著作中で嘆息している。

 

               ※

 

 ツラギからの緊急電を受けた日本海軍第八艦隊司令部は「有力なる敵機動部隊および上陸部隊出現」と判断しただちに対応を開始した。

第八艦隊の神重徳首席参謀と大前敏一参謀は、陸軍第十七軍の司令部に飛び込み寝ていた二見秋三郎参謀長を叩き起こしてアメリカ軍の本格的な上陸部隊による反攻作戦が始まったことを知らせた。

第十一航空艦隊参謀高橋大佐は、事態を聞くと直ちに第二十五航戦司令官山田定義少将と協議し事の重大性を確認する。

基地航空隊でガダルカナル島を爆撃し第八艦隊で水上部隊を駆逐し第七艦隊で上陸部隊を援護しなおかつガダルカナル島に空襲と艦砲射撃を行い上陸部隊が夜襲で残敵を駆逐すれば占領された地域を早期に奪回できると考えた。

そこでラビ攻撃のために爆装していた第二十五航戦と第四航空隊の合同部隊(深山二十七機)を直ちに発進させ台南空の零式艦上戦闘機二十四機と合流させてアメリカ軍上陸部隊の迎撃に向かわせた。

この攻撃は、飛行距離が長いためアメリカ軍の迎撃による被害と燃料消費による不時着が予想された。

そのため特設水上機母艦「香久丸」、駆逐艦「秋風」と「追風」(第八艦隊第二十九駆逐隊所属)と九八式飛行艇が乗員回収のためにツラギ方面へ派遣された。

 海戦の結果第八艦隊は、「キャンベラ」 、「ヴィンセンス」 、「クインシー」、「アストリア」、「シカゴ」と「ジャービス」を撃沈、ラルフ・タルボットを大破、「パターソン」を中破させた。

本海戦では、日本海軍が一方的な勝利を収めその夜戦能力の高さを示した。

第八艦隊は、「重巡洋艦四隻、甲巡三隻大火災沈没確実(戦藻録)、軽巡洋艦一隻、駆逐艦六隻撃沈。

軽巡洋艦一隻、駆逐艦二隻撃破」を主張した。

これを受けた大本営は、第二十五航戦があげた誤認戦果をあわせ「米甲巡洋艦六隻、英甲巡洋艦二隻、米乙巡洋艦一隻、英乙巡洋艦一隻、艦型未詳乙巡二隻、駆逐艦九隻、潜水艦三隻、輸送船十隻」、「戦艦一隻、重巡洋艦四隻、軽巡洋艦四隻、輸送船十隻撃沈。

甲巡一隻撃破、輸送船四隻撃破・大破、戦闘機四十九機、爆撃機九機撃墜。

味方航空機二十一機喪失、巡洋艦二隻損傷」と華々しい大本営発表を行った。

そして本海戦を「第一次ソロモン海戦」と命名する。

実際の戦果は、豪重巡洋艦「キャンベラ」、米重巡洋艦「アストリア」、「クインシー」、「ビンセンス」と「シカゴ」を撃沈し駆逐艦「ラルフ・タルボット」と「パターソン」が大破というものだった。

また九日昼間駆逐艦「ジャービス」がターナーの命令に背いて独自に戦場を離脱し第二五航空戦隊に撃沈された。

米軍は、この艦も第一ソロモン海戦の被害に加えている。

連合軍艦隊は四百七十一発を発射して最低十発が命中した。

日本側の損害は、「鳥海」が一番砲塔と後部艦橋を破壊された。

「青葉」は、被弾により2番魚雷発射管が炎上し一番・二番魚雷発射管が使用不能になった。

「愛鷹」と「古鷹」については、被害報告はなかった。

「衣笠」は、左舷舵取機室が故障し第一機械室に火災が発生した他若干の浸水があった。

「天龍」と「夕張」の被害は最小だった。

第八艦隊は、千八百四十四発を発射し百五十九~二百二十三発を命中させた。

しかし本来の主目的であったはずの上陸船団への攻撃は、行われなかったためまだ揚陸されていなかった重装備などは無傷であった。

だが連合軍は、日本軍の攻撃を懸念し輸送船団は揚陸作業を中止した。

重装備も揚陸したものの数は、少なく大半の重装備とレーダー設備やを積みこんだまま上陸船団は退避した。

上陸船団の攻撃は、行われなかったものの物資の揚陸作業を妨害し中止に追い込んだため第八艦隊の攻撃は一定の効果をあげた。

ミクロで見れば重装備も含む物資を一定数揚陸したもののマクロでは、予定量より少なく米軍海兵隊の物資に欠乏し一日の食事は二食に制限された。

二見の日記には、第八艦隊が空母を恐れて退避した事への不満が書かれている。

海軍では敵輸送船を結果として殲滅出来なかった(最終目的を果たさなかった)事に山本五十六連合艦隊司令長官は、激怒し第八艦隊の海戦功績明細書に「こんなものに勲章をやれるか」とその報告書を握り潰そうとした。

しかし連合艦隊参謀の説得を受け功績を認めたという。

ただし山本五十六は、三川の第八艦隊が事前に提出した夜間強襲作戦に消極的であり打って変わったような対応となった。また山本の幕僚である宇垣纏参謀長も第八艦隊の行動を「損害少なく弾薬もまだあるのになぜ撤退する必要があるのだ」と批判しているが同時にガダルカナル島周辺の偵察をおざなりにしている航空隊と潜水艦に対しても「本作戦の重要性をまったくわかっていない」と指摘している。

今後のガダルカナル島での戦いの帰趨を変える可能性があった船団への攻撃が行われなかった理由は、アメリカ空母部隊による航空攻撃への恐れから早期退避の必要があったという有力な見方がある。

「鳥海」の戦闘報告書は、「小成に甘んじてしまった」と評している。

海軍反省会では、海軍兵学校での伝統教育である海上決戦至上主義的心理が司令官の判断に与えた影響が大きかったのではないかと振り返っている。

日本海軍は、「艦隊決戦主義」を標方しており輸送船破壊等の通商破壊活動を全く考慮しないという風土があった。

その為山本が指示した輸送船殲滅という目的の本質を八艦隊の幕僚は、理解しておらず山本自身も輸送船破壊の目的と意図を八艦隊に説明しなかった為結果として敵戦闘艦の殲滅だけで目的を達成したと八艦隊は勘違いしたという事である。

一方で当時の永野修身軍令部総長が第八艦隊司令長官三川中将に対して「無理な注文かもしれんが日本は工業力が少ないから極力艦を毀(こわ)さないようにして貰いたい」という注意を与えていたことが早期退避の決定に影響を与えたという説もある。

艦隊参謀であった大前敏一の戦後の証言によると「米空母部隊の無線交信が『鳥海』でも盛んに聞こえていたことが敵空母が近距離に存在していると判断する材料になり早期撤退の結論に達した」ということであるが敵機動部隊は南方洋上遠くにあり戦闘圏内にはいなかった。

 

                  ※

 

 八月十七日には、阿部俊雄第十駆逐隊司令指揮下および村上暢之助第二十四駆逐隊司令指揮下の駆逐艦八隻(『秋雲』、『夕雲』、『巻雲』、『風雲』、『霧雨』、『氷雨』、『紅雨』、『霖雨』)がトラックを出発し十八日にガダルカナル島に遊弋した。

なお「秋雲」と「夕雲」は、空襲で損傷し「巻雲」と共にトラックへ撤退し第二十四駆逐隊(『霧雨』、『氷雨』、『紅雨』、『霖雨』)はラビの戦いに参加する事が決まっておりラバウルへ移動した。

このためガダルカナル島海域に残ったのは、「風雲」一隻となり単艦で偵察や対地砲撃をおこなった。

十九日第二水雷戦隊旗艦「三隈」(司令官田中頼三少将)がトラックを出発した。

第一次ソロモン海戦直後に日本軍は、師団のような大規模な兵力を投入するなどの積極的な行動をせずガダルカナル島からアメリカ海兵隊を撃退する絶好のチャンスを逃した。

逆に海兵隊は、遺棄された日本軍の器材を利用してヘンダーソン飛行場基地を完成させた。

一木清直陸軍大佐指揮下の一木支隊、川口清健少将率いる川口支隊、佐世保鎮守府第五特別陸戦隊、呉鎮守府第三および第五特別陸戦隊の護衛として塚原二四三中将の第七艦隊が行うこととなった。

第一航空戦隊、第四航空戦隊、第五航空戦隊、第七航空戦隊の空母八隻(『翔鶴』、『瑞鶴』、『麗鶴』、『雅鶴』、『大鳳』、『祥鳳』、『海鳳』、『白鳳』)を主力とする第七艦隊は十六日にトラックに向け出撃した。

その戦力は、

支援艦隊

司令官:塚原二四三中将、阿部弘毅少将

空母 第一航空戦隊:「翔鶴」、「瑞鶴」

戦艦 第十一戦隊:「比叡」、「霧島」

重巡洋艦 第八戦隊:「利根」、「筑摩」

軽巡洋艦 第七水雷戦隊:「名取」

駆逐艦 第五駆逐隊:「朝風」、「春風」、「松風」、「旗風」

    第二十二駆逐隊:「清風」、「村風」

 

攻略艦隊

司令官:原忠一少将

空母 第四航空戦隊:「麗鶴」、「雅鶴」

   第五航空戦隊:「大鳳」、「祥鳳」

   第七航空戦隊:「海鳳」、「白鳳」

戦艦 第二戦隊:「伊勢」、「日向」

重巡洋艦 第八戦隊:「天城」、「赤城」

軽巡洋艦 第四水雷戦隊:「川内」

駆逐艦

   第二駆逐隊:「村雨」、「夕立」、「春雨」、「五月雨」

   第四駆逐隊:「嵐」、「萩風」、「野分」、「舞風」

   第九駆逐隊:「朝雲」、「山雲」、「夏雲」、「峯雲」

輸送部隊

「嵐」、「萩風」、「浦風」、「谷風」、「浜風」、「陽炎」

敷設艦「津軽」、輸送船「明陽丸」(5628トン)、砕氷艦(測量艦)「宗谷」(戦後、南極観測船)、第二一号掃海艇、第一六号駆潜艇、第二四号駆潜艇、「ぼすとん丸」、「大福丸」、「金龍丸」

である。

 なお「朧」が第七駆逐隊に異動したため「灘風」が連合艦隊に合流した。

 

               ※

 

 一方アメリカ軍も「エンタープライズ」、「サラトガ」、「レンジャー」の三空母を主力とする第六十一任務部隊(F・J・フレッチャー中将)をこの方面に進出させた。

 

               ※

 

 日本側は、一木支隊と川口支隊の輸送を始めていたが二十日に日本軍の偵察機がガダルカナル島南東で空母を含む艦隊を発見した。

そのため輸送を一時中止しガダルカナル島海域の航空優勢の確立のため第七艦隊は、トラック入港を取りやめ南下した。

ラバウル基地の第十一航空艦隊と第二十六航空戦隊は、米軍空母を求めて攻撃隊を発進させたが何の成果もなかった。

 

               ※

 

 アメリカ軍は、既に完成させていたヘンダーソン飛行場に航空隊を進出させることを試み八月二十日護衛空母のロング・アイランドが軽巡洋艦ヘレナと駆逐艦一隻の護衛のもと戦闘機F4Fワイルドキャット十九機と急降下爆撃機SBDドーントレス十二機を輸送した。

 

               ※

 

 日本軍は、これをアメリカ機動部隊と誤認し輸送船団を一旦後退させた。

 八月十九日外南洋部隊および田中司令官は、「陽炎」に対し「風雲」と任務を交替するよう下令した。

「陽炎」は、第二水雷戦隊から分離してガ島海域へ先行し燃料不足の「風雲」とガダルカナル島周辺警戒任務を交代した。

八月二十二日未明「陽炎」は、単艦でルンガ泊地へ突入した。

米駆逐艦三隻(「ブルー」、「ヘルム」、「ヘンリー」)と交戦し魚雷十本を発射して一本をブルーの艦尾に命中させブルーを撃沈した(二十三日曳航中に自沈処分)。

 第七艦隊は、主に二つの集団で構成されからなる輸送部隊を護衛する攻略部隊と第十一戦隊(『比叡』、『霧島』)・第八戦隊(重巡洋艦:『天城』、『赤城』)・第八戦隊(重巡洋艦:『利根』、『筑摩』)の支援艦隊に分かれている。

従来の円形陣形とは、異なり前衛艦隊は空母部隊から百-百五十浬前方に進出して横一列陣形(艦間隔十-二十km)をとり索敵と敵機の攻撃を吸収する役割を担った。

空母は、その後ろから縦に連なって続き真上から見ると丁の字の形になった。

いわば囮となる前衛艦隊将兵からは、不満が続出したが指揮官達は新陣形・新戦法を検討する時間も与えられないまま最前線へ進出した。

機動部隊決戦に向けて前衛と本隊の役割および位置関係についての戦術を説明する機会や時間がなかったためやむを得ず航空機から筒を投下するという方法で各隊・各艦に配布している。

第七艦隊は支援艦隊の「翔鶴」に、攻略艦隊は「麗鶴」にそれぞれ将旗を掲げた。

 八月二十三日朝アメリカ軍のPBYカタリナ飛行艇が日本軍の増援部隊を発見する。

「サラトガ」から攻撃部隊が送られるが天候不良のため発見できなかった。

同日午前フレッチャー司令官は「日本艦隊は、トラック北方にあり」という太平洋艦隊情報部の判断を信用して「レンジャー」を燃料補給のため南下させた。

第七艦隊は、索敵を行いつつ南下したが午後四時ごろ北上した。

日本海軍航空隊(基地航空隊)は、二十三日も何の戦果もあげられず宇垣纏連合艦隊参謀長は「何を目標にしているのだ」と失望している。

二十四日午前零時日本軍は、攻略部隊を分派し陸軍上陸予定日二十五日を前にガダルカナル島攻撃に向かわせた。

ヘンダーソン飛行場基地に損害を与えると見られる。 詳細な命令は、以下の通り。

「カ」号作戦に於ける機動部隊作戦種別左の通り

第一法(特令ナケレバ本法トス)/全軍東方ニ対スル警戒ヲ厳ニシツツ二十四日〇四〇〇概ネ地点ケロヒ五十五附近ニ進出「サンクリストバル」島南東方ノ敵艦隊ヲ捕捉撃滅ス

第二法/攻略艦隊ヲ以テ支隊トシ第二戦隊司令官指揮ノ下ニ増援部隊ノ支援及「ガダルカナル」ノ攻撃ニ任ジ尓余ノ部隊ハ第一法ニ作戦ス

第三法/支援隊ハ直ニ第二法ニ依リ作戦シ尓余ノ部隊ハ概ネ地点ケユソ五十五附近ニ適宜行動シ敵ノ動キヲ見テ第一法ニ転ズ

第四法/全軍東方ニ対シ作戦ス

四航戦と五航戦の航空隊がガダルカナル島の飛行場を攻撃してアメリカ軍機動部隊の注意をひきつけその間に一航戦がアメリカ軍機動部隊を撃破するという囮作戦であった。

草鹿龍之介第七艦隊参謀長は、輸送船団が八月二十五日ガ島上陸予定なので前日中にガ島ヘンダーソン航空基地を叩く必要があり『珊瑚海海戦の轍を踏むことであるがこの際仕方がなかった』と回想している。

 

                ※

 

 同日九時アメリカ軍の飛行艇が攻略艦隊を発見した。

 

                ※

 

 それは、原少将も確認した。

「直掩は、七航戦に任せる。

四航戦と五航戦は、予定通りガダルカナル攻撃する」

 原少将は、作戦変更をしなかった。

午前十一時三十分四航戦および五航戦からガダルカナル島へ攻撃隊が発進した。

フレッチャー司令官は、「翔鶴」と「瑞鶴」の存在に気付かず十一時四十五分「サラトガ」より三十八機を攻略艦隊に向かわせた。

宇垣参謀長は、攻略艦隊がちょうど囮のような役割になったと表現している。

十二時過ぎ「筑摩」水上偵察機がアメリカ艦隊を発見し消息を絶った。

十三時第一次攻撃隊(関衛少佐:彗星艦上爆撃機二十四機、陣風艦上戦闘機三十二機)が発進した。

十三時八分第一航空戦隊は、SBDドーントレス二機の奇襲を受け「翔鶴」の艦橋舷側すれすれに至近弾となった。

「翔鶴」搭載のレーダーは、ドーントレスを探知して艦橋に報告していたが喧噪により指揮官達に伝わらなかった。

十三時五十分「サラトガ」からの攻撃隊が攻略艦隊を発見した。

同時刻アメリカ軍偵察機が攻略艦隊の北方六十マイルに第一航空戦隊を発見していたものの電波状態悪化のため母艦とサラトガ攻撃隊の間の連絡がとれなかった。

 

                 ※

 

 SBDドーントレスが空母に攻撃を仕掛けている中「サラトガ」所属のTBFアヴェンジャー雷撃機八機が海面すれすれの低空飛行で敵空母に接近していた。

このグラマンTBFは、ダグラスTBDデバスター雷撃機の後継機としてアメリカ海軍に迎えられ全ての性能でデバスター雷撃機をしのいでいた。

デビュー戦であったミッドウェー海戦では、残念ながら敵空母に被害を与えることはなかったが今度は自分たちがこの機体で花を咲かせようと意気揚々としていた。

この機体は、F4Fと同様グラマン社が開発した航空機で「グラマン鉄工所」の異名も受け継ぐ頑丈な雷撃機だった。

この防弾に優れた航空機にパイロットたちは、絶大な信頼をおいていた。

 VT-3隊長のロドニー・ジェイカー少佐もその一人だった。

「全機、狙いは敵旗艦に絞る」

 ロドニーは、指示を下した。

索敵機の情報によれば敵空母は、全部で六隻である。

全てを攻撃しようとすれば虻蜂取らずになる危険がある。

攻撃機の数が少ない以上確実性を期した方が得策だ。

 ロドニーは、先頭に立って部下たちを先導している。

するとこちらの気配に気づいたのか対空砲火の焔が咲き始めはるかかなたに見える敵艦からはわずかに対空機銃の発射光が見える。

敵艦は、それなりだが搭載している対空火器が少ないのか密度が粗く散発だ。

「ボギー」

「『ホーク3』被弾」

 直後偵察員を務めるダン・カーンズ中尉と電信員のアラン・カリーオ軍曹が絶叫しながら報告した。

ロドニーは、罵声を漏らした。

どうやら敵の眼を逃れられると考えたのは、甘かったようだ。

「『ホーク4』被弾」

 ダン中尉がまた新たな報告を送った。

「全機、回避しろ」

 ロドニーは、マイクに怒鳴りつけると操縦桿を左に倒した。

機体が左に倒れたかと想うと今度は、右に操縦桿を倒した。

左右の旋回を不規則に繰り返し敵機の射弾をかわそうと考えた。

「『ホーク5、6』被弾」

 しかしそんなパイロットたちの抵抗むなしく敵機は、確実にこちらを撃墜していく。

これでは、標的演習の的になっているのに等しい。

いまだにアメリカは、ジョージの鹵獲に至っていないためこの戦闘機は未知であった。

(ジョージがアメリカの常識を凌駕するほどの高性能機なのか。

或いは、戦闘機と雷撃機とではこれほどにまで速力と運動性に差が出るものなのか)

 ロドニーは、胸の中で一瞬そんなことを考えたがすぐにそんなそんな迷いは捨てた。

今は、敵空母を沈めるのが先決である。

「『ホーク2』被弾」

 直後最後の部下が敵機によって撃墜された。

残りは、自分だけである。

「ボギー、後ろ」

 アラン軍曹が発狂しながら報告し同時に十二・七ミリ旋回機銃の発射音が響いた。

この旋回機銃は、F4Fが装備するブローニングM2重機関銃であるため命中さえすれば一矢報いることができる。

その時前方上空から二機のジョージが降下してくるのが見えた。

ロドニーは、絶叫しながら機首の十二・七ミリ固定機銃を撃った。

しかし前方二門だけで二機の敵機を牽制するのは、難しく敵はそれをあざ笑うかのように接近してきた。

すると一機の両翼から発射炎が見え直後右翼に激しい衝撃を受けた。

 しかしロドニーは、すぐに回避しそのジョージに十二・七ミリ固定機銃を撃ち牽制したため大きな損害にはならなかった。

だがその隙をついてもう一機が接近し今度は、機首から発射炎がほとばしるのが見えたのは一瞬だった。

直後体中に激しい衝撃が走るとともに意識が暗転した。

 彼が操縦していたTBFは、パイロットを失い動力も低下したため海面に叩きつけられた。

 敵空母の付近では、先行していたSBD隊と直掩隊の攻防も終了していたが炎を吹き上げる敵空母は一隻もいなかった。

 

                ※

 

 第七航空戦隊旗艦「大鳳」の艦橋では、司令官の三並貞三少将と幕僚が直掩隊の活躍を双眼鏡を使ってみていた。

「どうやら敵の攻撃をしのげたようだな」

 三並少将は、安堵したように言った。

「しかし妙ですな」

 その時航空参謀の半田道元(はんだどうげん)中佐が首を傾げながらつぶやいた。

「どういうことだ?」

 三並少将が気になって声をかけた。

「私は、戦争前にアメリカへの留学経験があります。

そこでアメリカの戦術を学びましたがアメリカは、防御-人命-を優先する戦術や作戦をとる方針をとると聞きました。

そのアメリカが『はだか』で爆撃機や雷撃機を繰り出すのが私には、理解できないのです」

 半田航空参謀は、この留学でアメリカの優れたダメージコントロールを破壊する爆薬として新型の九八式爆薬の開発を提言した一人でもあった。

「もしかして戦闘機は、全て空母の直掩に充てたのではないのか?

それなら人命重視も納得できる」

 すると首席航空参謀の渡辺正樹(わたなべまさき)中佐が自論を述べた。

「空母も重要ですが空母には、艦上機が不可欠です。

そして空母に離着艦できるパイロットは、もっと貴重です」

 半田中佐は、力強く反論した。

戦前日本は、航空機パイロットの育成に躍起になっていたがその中でも艦上機パイロットは貴重でこれを重点的に育成していた。

「今敵の戦術を推測したり批判しても意味がないだろ」

 三並少将は、意味のない口論を止めた。

「敵攻撃隊に戦闘機の護衛が就いていようが就いていまいが関係ない。

我々の任務は、敵機から空母を守ることそれだけだ」

 三並少将は、敵攻撃隊から空母を守ることが自分たちの任務であり敵の戦略などあまり気にしていなかった。

 

                 ※

 

 午後二時第二次攻撃隊(高橋定大尉:彗星艦爆二十四機、陣風一一型三十二機)が発進する。

 

                 ※

 

 午後二時すぎ支援艦隊の戦艦「比叡」偵察機がアメリカ軍機動部隊を発見し報告する。

 

                 ※

 

 午後二時二十八分第一次攻撃隊がアメリカ空母を発見した。

攻撃隊の直掩を担う陣風隊と空母の直掩を担うF4Fが空中戦に入った。

F4Fは、数が互角なうえパイロットの技量と航空機の性能差に圧倒され次々と撃墜された。

一方陣風は、撃墜されたものはいない。

 その隙に彗星隊は、敵空母に急降下爆撃を試みようとした。

「翔鶴」所属の第二十五小隊の三番機の黒沢巧(くろさわたくみ)飛行兵長もその中の一人だった。

彼は、ミッドウェー海戦では第二次攻撃隊に所属し見事巡洋艦に爆弾を命中させた戦果を上げた。

そのためアメリカの対空砲火がどれほど粗末なものかは、知っていた。

 しかし今自分が見ている光景は、どういうことか。

敵の対空砲火は、熾烈で古参パイロットたちはその対空砲火の熾烈さに照準を合わせられず右に左に回避し爆弾はほとんど命中していない。

(アメリカは、ミッドウェー海戦の反省から対空火器を増やしたのか?)

 ミッドウェー海戦でアメリカは、一艦隊を壊滅されるほどの被害を出した。

その轍を踏まないように対空火器を増設した可能性は、考えられる。

 自分たちは、今からその雨の中に突入する。

(生きて帰れるのか?)

 黒沢飛長は、一瞬弱気になったものすぐにそんな気持ちをはねのけた。

自分たちは、栄えある一航戦のパイロットなのだ。

そんな自分たちに対空火器など当たりは、しない。

その信念があれば銃弾からこちらを避けるという精神論は、海軍の中で浸透していた。

その信念の元黒沢飛長の番が回ってきて空母めがけてダイブに移った。

偵察員の鬼屋正克(おにやまさかつ)飛長が高度を読み上げる声が聞こえる。

 すると突然すさまじい爆発音と同時に機体に激しい衝撃が走り操縦が難しくなった。

黒沢飛長は、何とか水平飛行に戻そうとするが機体が大きく揺れており正確に計器を読み取ることができない。

それでも赤とんぼ時代から培ってきた飛行経験から水平飛行に戻せた。

しかし計器を見る余裕は、なかった。

 なぜなら機体は、海面すれすれで水平飛行に戻ったのだ。

しかも眼前には、戦艦クラスの大型艦船もいた。

早く高度を上げなければというはやる気持ちとは、裏腹に「金星」エンジンが突然止まってしまった。

黒沢飛長を絶望が襲ったのも一瞬機体は、海面に叩きつけられ黒沢飛長はこれまで感じたことない衝撃を体中に感じた。

 黒沢機が海面に叩きつけられた直後敵空母は、火山の噴火と思しき炎と黒煙を噴出した。

待望の命中弾が敵空母に突き刺さったのだ。

 

                  ※

 

 フレッチャー司令官は、無傷だった「サラトガ」より雷撃機TBFアベンジャー五機と急降下爆撃機SBDドーントレス二機を戦闘機の護衛なしで発進させたが戦果はなかった。

 

                  ※

 

 同じく日本側も第二次攻撃隊は、敵を発見できなかったが「サラトガ」に爆弾命中・火災発生を記録したが実際の損害はない。

なお第一次攻撃隊は、エンタープライズ型空母に爆弾五発命中を主張した。

 

                  ※

 

 日没午後四時十五分を迎えた。

この時間まで攻略艦隊は、第三次攻撃隊まで発艦させ攻撃隊到着の間は戦艦・巡洋艦による艦砲射撃を行った。

この隙に輸送部隊がガダルカナル島に上陸し夜襲のため敵陣地近くまで前進していた。

 

                  ※

 

 支援艦隊は、第二次攻撃隊の収容後帰投した。

攻略艦隊もそれを追うように帰投した。

出番のなかった天山艦上攻撃機を指揮する淵田美津雄中佐は、第二航空戦隊の奥宮正武航空参謀に「艦爆ばかり出したから折角やっつけた空母を逃がしたね」と皮肉を述べている。

ガダルカナル島上陸部隊の装備は、不十分であったが昼間の空襲と艦砲射撃の混乱から立ち直っておらずすぐに制圧できた。

ヘンダーソン飛行場は、ルンガ飛行場として日本側に奪還された。

 戦果は、

撃沈 エンタープライズ

 

   飛行場奪還

 

損失 航空機二機

である。

 八月二十四日-二十五日第三十駆逐隊司令(安武史郎中佐)に率いられた駆逐艦四隻(『朝東風』、『大風』、『西風』、『島風』)は、ガダルカナル島輸送船団護衛に就く。

午前六時両艦隊の陣形変更中にニューカレドニア島所属の陸軍航空隊のB-17および海兵隊のSBDドーントレスからの航空攻撃を受けた。

第二水雷戦隊旗艦の「三隈」が中破し駆逐艦「朝東風」と「大風」が撃沈されが同部隊は、ガダルカナル島行きを続行した。

「三隈」は、駆逐艦「島風」に護衛されてトラック泊地へ向かい翌年一月まで戦線離脱を余儀なくされた。

 日本陸軍第十七軍では、海軍は任務遂行よりも自己艦船の保全を優先している。

戦況に関わらず敵の空母のみを攻撃の目標としている。

敵の輸送船を攻撃して全般作戦を容易にする着意が認められないといった不満が出た。

 

                  ※

 

 アメリカ軍は、珊瑚海海戦以来貴重な空母をことごとく沈められていった。

日本の空母に損傷を与えられずガダルカナル島も奪還されるなど完敗に等しかった。

それでも草鹿龍之介参謀長は、B-17爆撃機の発進基地であるエスピリトゥサント島とニューカレドニア島の空襲圏を「クモの巣」と表現している。

第七艦隊の戦力では、アメリカ軍機動部隊で補強された「クモの巣」を一挙に破ることができなかった。

三十一日珊瑚海の哨戒を行っていた空母「サラトガ」は、日本軍の潜水艦伊二十六の雷撃で損傷しこの修理には三か月を要した他フレッチャー司令官を初めとする幕僚や乗組員の多数が死傷し後日フレッチャー司令官は静養も兼ねて後方の任務に回されることになった。

さらに九月十五日には、空母「ホーネット」が潜水艦伊十九の雷撃により浸水と誘爆を招いて大破し重巡「ソルトレイクシティ」、軽巡「ヘレナ」、駆逐艦「ラフェイ」、「ランズダウン」に乗員を移乗の後復旧が行われた。

しかし被雷後燃料に引火して発生した火災を鎮火できず「ランズダウン」の魚雷三本による雷撃処分で伊十九の攻撃による被雷から約六時間後に「ホーネット」は、沈没した。

「サラトガ」の大破と「ホーネット」の沈没によりこの方面で活動可能な空母は、「レンジャー」のみとなってしまったアメリカ海軍は空母戦力を失うがニューカレドニア島の航空隊増援でこれを補おうとした。

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