六六機動部隊物語   作:緒方一郎

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第四話 暗雲

               第一章  南太平洋海戦

 

 千九百四十二年(昭和十七年)八月七日よりはじまったガダルカナル島の戦いで日本軍は、制空権を掌握して日中に輸送船団をおくりこみ連合軍は駆逐艦による高速輸送作戦(鼠輸送)を用いて夜間に活動した。

日本軍は、FS作戦を本来の軌道に乗せエスピリトゥサント島の攻略に乗り出した。

ガダルカナル島攻略方法と同じで

1.機動性に優れた巡洋艦隊で制海権を奪取。

2.機動部隊でエスピリトゥサント島を空襲と同時に上陸部隊を揚陸させる。

3.上陸部隊は、闇夜に紛れて敵本拠地を攻撃する。

だった。

 エスピリトゥサント島周辺の制海権確保を命じられたのは、第六戦隊司令官五藤存知少将が指揮官とする八隻(第六戦隊『青葉』、『衣笠』、『古鷹』、『愛鷹』、第十一駆逐隊『早風』、『夏風』、『冬風』、『初風』)であった。

第六戦隊は、十月十一日一〇〇〇に出撃した。

第六戦隊の計画では、日没頃にエスピリトゥサント島飛行場二百海里の地点に到達し三十ノットでエスピリトゥサント島北方から侵入して二十六ノットに減速して砲撃を行う。

この間に会敵すれば敵の撃滅を優先する。

その後エスピリトゥサント島北方から日の出近くに敵空襲圏内から撤退するというものであった。

 

                      ※

 

 同時期アメリカ軍も日本軍のエスピリトゥサント島上陸を予想しアメリカ軍海兵隊を増強すべく輸送船団を編制し同島へ派遣していた。

十月十一日一一四七航空偵察によって巡洋艦二と駆逐艦六からなる日本艦隊の出現を確認したアメリカ軍は、輸送船団の露払いとして以前から日本艦隊の攻勢任務にあたっていたノーマン・スコット少将を指揮官とする巡洋艦部隊を先行させる。

この部隊は「サンフランシスコ」、「ソルトレイクシティー」、「ボイシ」、「ヘレナ」そして駆逐艦五隻からなる第六十四・二任務部隊であった。

スコット少将は、一四〇〇に全艦に向けてポテ島周辺へ向かうよう指示した。

一六一〇に先ほどと同兵力の日本艦隊を発見したという航空偵察の報告を受け一六一五の日没とともに戦闘配置を指示し日本艦隊を待ち構えていた。

旗艦の「サンフランシスコ」は、最新式のSGレーダーを装備していなかった。

 日米双方の艦隊は大混乱したが海戦の結果「衣笠」の砲撃で「ボイス」が大破、「ソルトレイクシティ」を「早風」と「夏風」の雷撃で「古鷹」の砲撃で「フォーレンホルト」が中破、「愛鷹」の砲撃で「サンフランシスコ」が小破した。

しかし日本側の被害は甚大で「古鷹」が撃沈、「青葉」が大破し「衣笠」が小破した。

さらに五藤存知少将も戦死したがアメリカ艦隊をエスピリトゥサント海域から追い出すことは、できたため戦略的勝利だった。

 日本側は、この海戦を「エスピリトゥサント島沖海戦」と呼称した。

 

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 千九百四十二年(昭和十七年)十月十三日戦艦「甲斐」と「山城」を主力とする第二次挺身攻撃隊(指揮官栗田健男中将)がエスピリトゥサント島の飛行場に対して夜間艦砲射撃を開始した。

明け方まで砲撃を続け滑走路および航空機に対して損害を与えた。

日本軍がエスピリトゥサント島を確保するにあたっては、輸送船により島に大規模な増援を送り込む必要があった。

しかし日本軍の航空隊は、損害により消耗しておりこのままでは飛行場に展開する米軍航空機により攻撃を受け増援輸送が失敗する恐れが大きかった。

そのため日本海軍は、艦砲射撃により敵飛行場に損害を与えその間に増援の輸送を行うことを計画した。

アメリカ軍の航空攻撃をさけまたできる限り大きな打撃を与えるために艦砲射撃部隊は、甲斐型の高速戦艦を主力とした。

実施部隊の指揮官栗田健男中将(第三戦隊司令官)は、危険が大き過ぎると作戦に反対していたが山本五十六連合艦隊司令長官に「ならば自分が『長門』で出て指揮を執る」と言われたためしぶしぶ引き受けたという。

ただし同作戦の頃初めて栗田と会った奥宮正武によれば栗田は、首席参謀の有田雄三中佐と共に強い自信を示していたという。

 結果日本側の被害は、なく第三戦隊の砲撃により飛行場は火の海と化し各所で誘爆も発生した。

アメリカ軍側は、九十六機あった航空機のうち五十四機が被害を受けガソリンタンクも炎上した。

滑走路も大きな穴(徹甲弾による)が開き飛行場は、一時使用不能となった。

しかしこの攻撃の少し前に戦闘機用第二飛行場が既に完成しており攻撃目標は、第一飛行場のみであった為飛行場の機能は半減したに過ぎなかった。

また戦闘詳報でも「戦艦主砲を以てしても所在飛行機を一機も残さず撃破することは、困難なり」と報告している。

 

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 エスピリトゥサント島をめぐる日米の攻防戦において日本軍が使用するルンガ飛行場基地は、最も重要な役割を担った。

千九百四十二年(昭和十七年)十月下旬ガダルカナル島の日本陸軍第十七軍がエスピリトゥサント島に総攻撃を実施することになり日本海軍は、空母機動部隊を含む多数の水上艦艇を投入して支援にあたる。

これを阻止するためアメリカ軍も空母機動部隊をロイヤルティ諸島方面に派遣し十月二十六日の本海戦に至った。

 千九百四十二年六月のミッドウェー海戦で敗北した米軍は、二か月後の八月七日ウォッチタワー作戦を発動し米軍海兵隊がツラギ島(フロリダ諸島)・ガダルカナル島を占領しガダルカナル島に完成したばかりの日本軍飛行場(のちにヘンダーソン飛行場と命名)を占領した。

日本軍は、外南洋部隊指揮官三川軍一中将率いる第八艦隊に米軍撃退を命じ第一次ソロモン海戦で勝利を収めた。

続く第二次ソロモン海戦でも勝利をおさめガダルカナル島の奪還に成功した。

日本海軍連合艦隊は、日本陸軍第十七軍(司令官百武晴吉中将)が予定していたエスピリトゥサント島の総攻撃支援のために塚原二四三中将指揮下の第七艦隊(『翔鶴』、『瑞鶴』、『蒼龍』、『黒龍』等)を派遣する。

 

                       ※

 

 アメリカ海軍は、八月三十一日に日本軍潜水艦の攻撃で空母「サラトガ」が大破本国回航し九月十五日にも空母「ホーネット」を撃沈され作戦行動をとれる空母は「レンジャー」のみとなった。

アメリカ軍は、「サラトガ」を真珠湾に帰港させ急ピッチで修理を行った。

太平洋艦隊司令長官のチェスター・ニミッツ大将は、南西地区の司令官をゴームレー中将からハルゼー中将に交代させた。

ニミッツは、ゴームレーがガダルカナルで部隊の多くを失ったことで自信喪失と感じていたのである。

ハルゼーは、着任すると直ちに日本艦隊と決戦するための計画の策定を開始した。

 

                       ※

 

 十月二十二日夜利根型重巡洋艦「筑摩」と秋月型駆逐艦「照月」が牽制部隊となり日本軍機動部隊から分離して南方二百浬(三百七十キロメートル)地点に進出した。

利根型重巡洋艦は、水上偵察機十二機を搭載する偵察能力に優れた艦種で秋月型駆逐艦は十糎連装高角砲を装備した防空駆逐艦である。

「筑摩」は、偵察機を発進させるが米艦隊を発見できず米軍飛行艇の雷撃を回避したあと第七艦隊に合流した。

十月二十三日連合艦隊は、以下の警告を発した。 

1.ここの数日来敵空母の所在不明。

敵機動部隊に対し方面とくに警戒の要ありと認む。

2.二十四日X区哨戒機および二式飛行艇は、なるべく早く発進しかつ許す限り長く哨戒のことに取り計らわれたし。

 外南洋部隊(第八艦隊)は、日本陸軍のエスピリトゥサント島総攻撃に呼応して支援攻撃を行うことになっていた。

外南洋部隊麾下の第六駆逐隊司令山田勇助大佐指揮下の駆逐艦三隻(『暁』、『雷』、『白露』)と第四水雷戦隊は、二十四日深夜から二十五日朝にかけてエスピリトゥサント島に突入する。

突入時掃海駆逐艦「ゼイン」が荷役作業中であったが三隻の日本駆逐艦の出現により逃亡を図る。

「暁」、「雷」と「白露」は「ゼイン」まで五カイリに接近したところで砲撃を開始し「ゼイン」に命中弾一発を与えるが主任務であるアメリカ軍陣地砲撃との兼ね合いからそれ以上の追撃はできなかった。

再度エスピリトゥサント島に向かうと今度は、アメリカ海兵隊向けの軍需品をエスピリトゥサント島に陸揚げ中の艦隊曳船「セミノール」と沿岸哨戒艇YP-284を発見した。

「セミノール」とYP-284は、接近してきたのが日本駆逐艦だと知ると陸揚げ作業を打ち切り直ちに逃亡を開始した。

間髪入れず砲撃を開始しYP-284を砲撃で炎上させて撃沈したのに続き「セミノール」も砲撃により撃沈した。

突撃隊は、小型輸送船一隻・仮装巡洋艦一隻の撃沈を記録した。

続いて海兵隊陣地に対して艦砲射撃を開始するが海兵隊陣地の五インチ海岸砲からの反撃により「暁」の三番砲塔の薬室に一発が命中して一時火災が発生し四名の戦死者を出す被害を受けた。

「雷」も緊急発進したF4Fワイルドキャット戦闘機の機銃掃射で損傷し銃撃で数名が死傷する被害を受けた。

この状況をうけて外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官は、外南洋部隊各隊にショートランドへの帰投を命じた。

 

                       ※

 

 アメリカ軍も空母「レンジャー」と「ヴィクトリアス」を中心とする艦隊(第十六任務部隊)が日本軍の攻撃を警戒していた。

 

                       ※

 

 日本側の戦力は、

支援艦隊

司令長官:塚原二四三中将 参謀長:草鹿龍之介少将

第一航空戦隊:塚原二四三司令長官直率

航空母艦:「翔鶴」、「瑞鶴」

第二航空戦隊 司令:山口多聞少将

航空母艦:「蒼龍」、「黒龍」

第四航空戦隊 司令:高橋三吉少将

航空母艦:「麗鶴」、「雅鶴」

第四戦隊 司令:山本英輔中将

戦艦:「金剛」、「比叡」

第八戦隊 司令:西村祥治少将

重巡洋艦:「天城」 、「赤城」

第九戦隊 司令:阿部弘毅少将

重巡洋艦:「利根」、「筑摩」

第六水雷戦隊 司令:坂本伊久太少将

軽巡洋艦:「川内」

第七駆逐隊 司令:山田勇助大佐

駆逐艦:「秋雲」、「潮」、「曙」、「漣」

第二十三駆逐隊 司令:若木元次大佐

駆逐艦:「朧」、「江風」、「涼風」、「海風」

第十駆逐隊 司令:阿部俊雄大佐

駆逐艦:「風雲」、「夕雲」、「巻雲」、「秋雲」

第四駆逐隊 司令:有賀幸作大佐

駆逐艦:「嵐」、「舞風」、(『野分』は、補給部隊護衛)

第十六駆逐隊 司令:荘司喜一郎大佐

駆逐艦:「川霧」、「青雲」、「紅雲」、「春雲」、(臨時編入『陽炎』)

第六十一駆逐隊 司令:則満宰次大佐

駆逐艦:「秋月」、「照月」

 

攻略艦隊

司令官:原忠一少将 主席参謀:大橋恭三中佐

第五航空戦隊:原忠一司令官直卒

航空母艦:「大鳳」、「祥鳳」

第六航空戦隊 司令官:近藤英次郎少将

航空母艦:「龍鳳」、「瑞鳳」

第三戦隊 司令:栗田健男中将

戦艦:「甲斐」、「山城」

第六戦隊 司令:高木武雄少将

重巡洋艦:「那智」 、「羽黒」、「足柄」、「妙高」

第七水雷戦隊 司令:井上継松少将

軽巡洋艦:「名取」

第五駆逐隊 司令:野間口兼知中佐

駆逐艦:「朝風」、「春風」、「松風」、「旗風」

第二十二駆逐隊 司令:脇田喜一郎大佐

駆逐艦:「清風」、「村風」、「里風」、「沖津風」

第二十一駆逐隊 司令:天野重隆大佐

駆逐艦:「初春」、「子日」、「初霜」、「若葉」

第二十七駆逐隊 司令:瀬戸山安秀大佐

駆逐艦:「有明」、「夕暮」、「白露」、「時雨」

輸送部隊 「香久丸」、「衣笠丸」、「多摩」、「由良」、「龍田」、「朝雲」、「谷風」、「暁」、「雷」、輸送船六隻、「木曾」、「五十鈴」、「最上」、「峯風」、「澤風」、「沖風」、「島風」、「霜風」、「灘風」、「江風」、「磯波」、「浦波」、「霧雨」、「氷雨」、「村雨」、「夕立」、「春雨」、「五月雨」

である。

 日本軍部隊は、第七艦隊司令長官塚原二四三中将が指揮する第七艦隊本隊(第一航空戦隊:空母「翔鶴」 、「瑞鶴」、「蒼龍」、黒龍」)、駆逐艦(『嵐』、『舞風』、『雪風』、『時津風』、『天津風』、『初風』、『浜風』、『照月』)、第四戦隊司令官高橋三吉が指揮する機動部隊前衛部隊(戦艦:『金剛』、『比叡』、重巡:『天城』、『赤城』、『利根』、『筑摩』、軽巡:『川内』、駆逐艦:『朧』、『潮』、『曙』、『漣』、『灘風』、『江風』、『涼風』、『海風』、『太刀風』、『汐風』、『帆風』、『北風』)、本隊の後方に補給部隊(駆逐艦:『野分』、油槽船六隻)という三つの集団にわかれて行動していた。

機動部隊前衛部隊は、空母へ向かう敵機の攻撃を吸収するために機動部隊前方に横一列に並んだ。

十月二十五日日本軍は、数日前から見失っていたアメリカ軍機動部隊を求め索敵を活発に行ったが米軍機動部隊の発見には至らなかった。

対するアメリカ軍は、哨戒中のPBYカタリナ飛行艇が二十五日午前中に日本軍機動部隊を発見した。

米軍哨戒機の出現により塚原中将は、反転北上を命じた。

 

                    ※

 

 一方キンケイド少将は「レンジャー」から索敵を兼ねてF4Fワイルドキャット戦闘機十六機、SBDドーントレス急降下爆撃機十二機とTBFアヴェンジャー雷撃機七機からなる攻撃隊を発進させた。

その後の報告で日本軍機動部隊が北に反転した事が判明したがキンケイド少将は、無線封止を維持するため攻撃隊に日本軍位置情報を転送しなかった。

米軍攻撃隊は、反転した日本軍機動部隊を捕捉出来ず燃料切れや着艦時の事故でF4F一機、SBD四機とTBF三機の計八機を失った。

また朝の着艦事故でF4F四機が失われており「レンジャー」の航空隊は、決戦を前に航空機十二機を失うという大きな痛手を受けている。

 

                    ※

 

 午前十時前衛部隊索敵機が「米軍戦艦二-三、防空巡洋艦四、巡洋艦一、駆逐艦十二、ツラギより方位百六十度、百七十マイル」を報じた。

十九時十八分連合艦隊電令作第三百五十四号は、『陸軍は、今夜十九時エスピリトゥサント島突入の予定にして二十六日敵艦隊はエスピリトゥサント島南東海面に出現の算大なり。

連合艦隊は、二十六日敵艦隊を補足撃滅せんとす』と伝える。

海戦当時の日本艦隊の配置は、機動部隊本隊と前衛の距離が五十~六十浬を行動していた。

十月二十六日塚原二四三中将の機動部隊本隊は、午前零時三十-五十分に米軍PBYカタリナ飛行艇から爆撃を受け「瑞鶴」の至近距離に爆弾が落下した。

「瑞鶴」、「金剛」、「朧」を攻撃した航空隊(B-17とカタリナ)はいずれもエスピリトゥサント島から飛来しており爆撃・雷撃を実施するとともに日本艦隊の位置を通報している。

カタリナ飛行艇が発した情報は、エスピリトゥサント島基地航空隊を経由して二時間後の二十六日〇三一二に米軍機動部隊へ届けられたという。

ニューカレドニア島ヌーメアの司令部から指揮をとるハルゼー提督は、「攻撃せよ、反覆攻撃せよ」の命令を発した。

これに対し米艦隊の奇襲を受ける可能性があると判断した塚原機動部隊は、エスピリトゥサント島北東四百六十キロメートル地点で反転北上する。

そして黎明(日出三時四十五分)から艦上攻撃機十二機による二段索敵を開始した。

レーダーがないと夜間は、索敵できないため夜明け前と夜明けの直前といったように時間差をあけて同一の方面へ偵察機を派遣し先発の機が索敵できなかった海域を後発の機が索敵し夜明けと同時または夜明けから短時間で捜索を完了させるという方法である。

 

                    ※

 

 一方米軍も空母「レンジャー」からドーントレス十六機が発進し二機ずつのペアになって索敵に向かった。

 

                    ※

 

 日の出は、午前三時四十五分である。

午前四時五十分日本軍「翔鶴」四番索敵機は、アメリカ軍機動部隊を発見し「敵空母サラトガ型一、戦艦二、巡洋艦四、駆逐艦十六、針路北西」(支援艦隊から百二十五度二百十浬)を報告した。

「瑞鶴」索敵機も敵艦隊を発見していたが同機の報告は、母艦に届かなったという。

日本軍は、米軍機動部隊戦力を空母三隻と判断した。

午前五時三十分頃第一次攻撃隊として旗艦「翔鶴」から(『翔鶴』飛行隊長淵田美津雄中佐指揮、彗星艦上爆撃機十二機、天山艦上攻撃機九機、陣風艦上戦闘機十六機)、「瑞鶴」から(彗星艦上爆撃機九機、天山艦上攻撃機九機、陣風艦上戦闘機十六機)、「蒼龍」から三十四機(彗星艦上爆撃機十四機、天山艦上攻撃機六機、陣風艦上戦闘機十四機)、「黒龍」から(彗星艦上爆撃機九機、天山艦上攻撃機六機、陣風艦上戦闘機十四機)が発進した。

続いて第二次攻撃隊の発進準備が行われたが「翔鶴」のレーダーが米軍機の機影をとらえた。

しかし直掩は、第四航空戦隊に任せていたため第一航空戦隊と第二航空戦隊はかまわず第二次攻撃隊の発進準備をつづけた。

 

                    ※

 

 ほぼ同時刻アメリカ軍も日本艦隊を発見した。

まもなく第十偵察隊隊長J・R・"バッキー"・リー少佐と僚機から『空母二隻、護衛艦八、南緯七度五分、東経百六十三度三十八分』(距離三百二十キロメートル)の連絡が入った。

 

                    ※

 

 それは、塚原機動部隊でも確認できた。

「天城」は、光信号で「翔鶴」に伝えた。

「『天城』より敵機らしきもの見ゆ。

方位百六十、距離二〇〇、高度八百」

 双眼鏡を覗き草鹿参謀長は、「天城」からの光信号を読み上げた。

「全艦変針。

進路二百七十。

直掩機を向かわせろ」

 塚原中将は、針路変更と迎撃命令を出した。

すぐさまSBD二機に陣風八機が迎撃に向かい瞬く間に二機を撃墜した。

 

                    ※

 

 第十六任務部隊旗艦「レンジャー」の艦橋では、キンケイド少将と幕僚が作戦会議を開いていた。

「エスピリトゥサント島が空襲されているという情報も入りました。

敵は、前回同様戦力を二分して同時攻略を狙っているものと思われます。

偵察でSBDが出払って爆撃機が不足していますが直掩機以外は、出撃させます」

 参謀の一人が敵の戦力情報を報告した。

「ほかに敵のグループは、いるかね?」

 キンケイド少将は、敵機動部隊がほかにいないか気がかりだった。

「各機とも索敵線の先端に達するころですがまだ報告は、ありません」

 参謀の一人が報告なしと答えた。

 日本軍機動部隊の位置をつかんだキンケイドは、直ちに攻撃隊発進を命令する。

空母「レンジャー」から第一次攻撃隊二十七機(F4Fワイルドキャット八機、SBDドーントレス八機、TBFアベンジャー六機)が発進した。

さらに「レンジャー」から第二次攻撃隊十六機(F4F七機とTBF九機)が推定距離二百浬の日本艦隊にむけて発進した。

 

                     ※

 

 支援艦隊旗艦「翔鶴」では、格納庫内の作業が終わりまもなく発進が可能だった。

「『瑞鶴』より発艦作業が三十分遅れるとのこと」

 通信参謀の小野少佐が艦橋に入ると「瑞鶴」からの通信を読み上げた。

「何をやってるんだ」

 思わず草鹿参謀長が声を荒げた。

「敵機六時」

 その時見張り員が敵機発見の報告をした。

艦橋にいた皆が六時の方向を見た。

すると直掩の陣風に二機のSBDが追い立てられていた。

しかしSBDが必死に蛇行飛行を繰り返しながら敵艦隊位置を母艦に送ったのを「翔鶴」でもキャッチした。

「翔鶴隊を先発させろ。

『瑞鶴』を待っていては、こちらが負ける」

 まず「翔鶴」から(千早猛彦大尉・翔鶴飛行隊長:艦爆十二機、村田重治少佐・翔鶴飛行隊長:艦攻十二機、新郷少佐・翔鶴飛行隊長:陣風十六機)、「蒼龍」から三十二機(長井彊大尉・蒼龍飛行隊長:艦攻九機、池田正偉大尉・蒼龍飛行隊長:艦爆九機、飯田房太大尉・蒼龍飛行隊長:陣風十四機)、「黒龍」から三十二機(松村平太大尉・黒龍飛行隊長:艦攻九機、下田一郎大尉・黒龍飛行隊長:艦爆九機、能野澄夫大尉・黒龍飛行隊:陣風十四機)が発進した。

三十分遅れた午前六時四十五分「瑞鶴」から(北島一良大尉・瑞鶴飛行隊長:艦攻十二機、牧野三郎大尉・瑞鶴飛行隊長:艦爆十二機、二階堂易大尉・瑞鶴飛行隊長:陣風十六機)が発進した。

 日本軍機動部隊の第一次攻撃隊は、進撃途中に日本艦隊を目指す米軍のレンジャー隊とすれ違った。

それは、松崎三男大尉も気づいた。

「中佐、二時方向に敵機です」

 その報告に淵田中佐も見た。

すると豆粒ほどの黒いものが母艦に向かっていた。

「アメリカの攻撃隊だな。

『翔鶴』に打電。

敵機多数、わがほうに向かいつつあり。

警戒を厳にせよ」

 淵田中佐は、水木徳信上飛曹に打電するように命令した。

お互いに相手を視認しながら両軍とも素知らぬふりをしてやり過ごした。

 

                      ※

 

 日本の攻撃隊接近は、レーダーによって「レンジャー」でも確認できた。

「敵大編隊が接近中。

本艦より十一時の方角へ向かえ」

 管制官が直掩隊に指示を出した。

「現在貴艦を視認できず。

敵の絶対方位を知らせよ」

 しかし「レンジャー」は、スコールの中に隠れていたため直掩隊から確認できなかった。

「『レンジャー』の艦首方向へ進め」

 しかし管制官は、あくまで「レンジャー」を基準に方角を伝えていた。

「見えないと言っているだろ。

西へ行ってみよう」

 分隊長は、らちが明かないと感じ西へ行くことにした。

 

                       ※

 

 六時五十五分日本軍第一次攻撃隊は、米艦隊(『ヴィクトリアス』、重巡二、防空巡二、駆逐六、直衛戦闘機十二)を発見した。

「突撃隊形を作れ」

 淵田中佐の命令で「トツレ」が発信され信号弾が発射された。

 

                       ※

 

 それは、「レンジャー」でも確認できた。

「日本軍は、『ヴィクトリアス』に向かっている。

一万九千六百八十五フィートまで上昇。

『ヴィクトリアス』に向かえ」

 ここでやっと管制官が絶対方角を教えた。

「了解」

 分隊長は、部下とともに「ヴィクトリアス」に向かった。

 「ヴィクトリアス」は、対空戦闘の準備に入った。

「方位三百四十。

距離十七マイル」

 砲術長が敵の位置と方角を報告した。

 

                       ※

 

 日本の攻撃隊は、攻撃命令を待っていた。

「二航戦が東に回ります」

 水木上飛曹の報告に淵田中佐も確認した。

周りの編隊が規定に倣っているか確認すると正面上空から敵機が迫っているのに気付いた。

「翔鶴」の陣風隊もそれに気づき上昇し迎撃に向かった。

「瑞鶴」の陣風隊は、敵の増援に備え動かないつもりだった。

「全軍突撃せよ」

 淵田中佐の命令で攻撃隊は、一挙に敵空母に向かった。

 

                       ※

 

 そうは、させぬと直掩のF4F中隊が攻撃をしようとしたがジョージの妨害で出鼻をくじかれた。

先に攻撃を受けたF4Fの数機は、炎を噴き上げ墜落した。

一機のF4Fは、右翼に機銃を受けキャノピーにも亀裂が入ったが計器に異常は見られなかった。

すると僚機が援護に近づいてきたが別のジョージの攻撃で近づけなかった。

直後正面から別のジョージが機銃を撃ちながら上空を通過した。

命中した一発が潤滑油タンクか循環系統を撃ちぬかれたのだ。

足元は、どす黒い油まみれになっていた。

それに追い打ちをかけるかのように背後から接近した一機のジョージが機銃を撃った。

そのうち一発がエンジンに命中したのかタンクに残っていた潤滑油がキャノピー前面に飛び散りR-1830は、不気味な音を立てて止まってしまった。

パイロットは、慌てて脱出するとパラシュートを開いた。

 

                       ※

 

 彗星艦爆隊の分隊長江草隆繁少佐がしきりにあたりを見回していた。

自分たちを襲おうとした直掩のF4Fの数は、少なくそれに気づいた陣風隊が迎撃に向かい完全に妨害に成功した。

とはいえいつまた別動隊が攻撃してくるかわからなかった。

直後対空砲火が放たれたため江草少佐は、もう敵機は来ないだろうと判断した。

 その対空砲火の密度が半端なかった。

黒い黒煙が次々に湧き出し彗星を襲ってきた。

これまでに経験したことのない密度の高い対空砲火だった。

しかもその砲弾も「母艦への攻撃を妨げる」から「敵機撃墜」を目的としており砲弾から強い殺気が感じられた。

 さらに海面に目をやると空母を取り囲む艦艇同士の間隔も狭かった。

当初輪形陣を発見した日本も艦同士の間隔を狭くし対空砲火の効果を上げる意見もあったが万一大型艦が被弾し舵をやられた場合ほかの艦と激突する危険性があった。

そのため日本は、艦同士の間隔を広くし被弾艦との衝突を避け艦が自由に動けるようにしたのだ。

「沈める」

 そう意気込むと江草は、エンジンスロットルを絞り機首を押し下げた。

空が吹っ飛び空母と海面が迫ってくる。

 高度が急速に下がるにつれ敵空母の正体が分かった。

「イラストリアス級か」

 それは、世界初の装甲空母として知られるイラストリアス級だった。

アメリカ海軍が空母不足を補うためイギリス海軍から借りたという話は、聞いていたが実際に見るのは初めてだった。

「〇四」

 偵察員の石井樹飛曹長からの報告と同時に江草は、爆弾の投下レバーを引いた。

足下から動作音が響き機体が急に軽くなった。

胴体下に抱えた五十番爆弾がイラストリアス級の装甲を穿つべく投下された。

 直後江草は、機体を上昇させようとした。

しかし操縦桿は、重くちょっと力を込めたくらいでは全く動かなかった。

渾身の力を込めて操縦桿を引きやっと海面ぎりぎりで水平飛行になった。

 江草は、機体を上昇させ上空で投弾を終えた「蒼龍」艦爆隊の終結を待つべく巡行飛行で旋回飛行に移った。

しかし対空砲火は、熾烈を極め部下の多くがその火箭にからめとられ撃墜されていった。

 

                      ※

 

 日本軍塚原機動部隊では、午前六時四十分に「翔鶴」レーダーが百三十五度距離百四十五キロメートルに敵機群を発見した。

午前七時十八分にSBDドーントレス爆撃機八機を確認する。

直衛の陣風は、六十機(『麗鶴』三十、『雅鶴』三十)だったという。

「レンジャー」第一次攻撃隊は、午前七時二十七分日本機動部隊を発見する。

直後に陣風八機からなる日本軍直掩隊が現れF4F二機が撃墜された。

 麗鶴隊所属の陣風隊分隊長の豊田慶之(とよだよしゆき)大尉も機影に気づいた。

単発機は、梯団を一組作って進軍していた。

(護衛の戦闘機は、いないのか)

 豊田は、周囲を見渡し心の中でそうつぶやいた。

雅鶴隊からの情報によるとF4Fの多くは、TBFアヴェンジャー雷撃機を護衛しておりその多くを撃墜しTBFもてんやわんやに遁走したと聞いた。

さらに前衛隊を任された藤原譲(ふじわらじょう)中尉からの報告によるとF4F全機を撃墜したのでもういないだろうと思ったが慢心は、禁物である。

見張りをきっちりし敵戦闘機が潜んでいないか周りを見渡した。

 しかし敵戦闘機は、人っ子一人いなかった。

豊田は、安心すると高度を上げSBDを高高度から攻撃しようとした。

「突撃」

 高高度に位置すると豊田は、部下に攻撃開始を指示し突撃した。

 なおこの陣風は、誉二一型を装備した一一型から誉二四型を装備した二二型となっている。

誉二四型は、二一型のプロペラ減速比を変更し強制冷却ファンを装備し中島式低圧燃料噴射方式(シリンダー内への直接噴射ではなくキャブレターの代わりに吸入管内へ燃料を噴射する方式)を採用した。

これによって航続距離が二百キロメートルほど向上したが整備が煩わしくなり整備兵からの評価は、悪化した。

 さらに機首先端を絞り更に大型のプロペラスピナーを装備して空気抵抗の低減を図っている。

雷電のようにプロペラ延長軸による機首延長は、採用されていないが気化器や潤油冷却器用をエンジンカウル内に収めることに成功している。

ただし技術者の努力とは、裏腹にあまり速度向上にはつながらなかった。

 SBD隊も陣風隊に気づき後部旋回機銃を撃ってきたが陣風隊は、かわしながら突撃すると必殺の二十ミリ機銃を撃った。

命中弾を受けたSBDの何機かが空中分解した。

豊田は、急降下から機体を起こして上昇させながら右旋回すると最後の一機の背後につくと機首の二十ミリ機銃を撃った。

火箭は、キャノピーに命中し空中に砕けたキャノピーの破片が飛び散った。

その破片が南国の太陽の陽を反射し幻想的な光景を映し出していた。

 しかし現実は、殺伐としており搭乗者を射殺されたSBDは原形を保ったまま墜落していった。

 

                        ※

 

 日本側第二次攻撃隊は、八時十五分敵空母を発見した。

直掩隊は、第一次攻撃隊の陣風隊が駆逐したのか見当たらなかった。

天山攻撃隊は、攻撃態勢に入った。

「翔鶴」所属の第五中隊長の根岸朝雄大尉は、燃え盛る戦艦に超低空飛行で横滑りを行いながら接近していた。

 雷撃隊搭乗員の戦死率は、戦前からの図上演習でも非常に高い数値が出ており搭乗員たちは雷撃戦術に工夫を必要とした。

その答えが左右に横滑りさせて飛行経路を変化させながら射点に到達するまで射弾を回避するものだった。

緒戦こそ対空砲火がまだ薄かったのでこの戦術は、非常に有効であったが近接信管が実用化された後期ではそれすら意味をなさなくなり昼間の攻撃作戦をあきらめ夜間雷撃に徹底せざる負えない状況に追い込まれるほどだった。

「敵空母、十ノット。

火災を起こしています」

 それは、さておき偵察員の川村正明飛行兵曹長が敵戦艦の速力と状態を報告した。

先に彗星艦爆隊が攻撃を開始し二発の直撃弾を与えていた。

「当てるぞ」

 根岸大尉は、高角砲の発射に合わせて対空機銃に気をつけながら機体を横滑りさせた。

そして魚雷を投下させた。

そのまま高度を上げると敵艦の上を通り過ぎ反対側に逃避した。

「魚雷二本命中」

 根岸大尉もそれを確認しほほを緩めた。

 

                       ※

 

 十一時十五分に支援艦隊から残存機をかき集め第三次攻撃隊として四十機(『翔鶴』飛行隊長淵田美津雄中佐指揮、彗星艦上爆撃機十二機、天山艦上攻撃機十二機、陣風艦上戦闘機十六機)、「瑞鶴」から(彗星艦上爆撃機十二機、天山艦上攻撃機十二機、陣風艦上戦闘機十六機)、「蒼龍」から二十八機(彗星艦上爆撃機九機、天山艦上攻撃機九機、陣風艦上戦闘機十四機)、「黒龍」から(彗星艦上爆撃機九機、天山艦上攻撃機九機、陣風艦上戦闘機十四機)が発進した。

淵田は、敵艦隊を発見した。

海上には、大型艦が五隻に駆逐艦が十三隻いた。

「水木、全機に送信。

『翔鶴隊と黒龍隊は、目標戦艦。

瑞鶴隊と蒼龍隊は、二番艦』」

 淵田は、手早く命令した。

大型艦の中で一番大きい艦を戦艦だと判断した。

「全機に発信。

『全軍突撃セヨ』」

 淵田の命令で水木は、ト連送を発信すると同時に攻撃隊が大きく散会した。

しばらく不気味なほど静寂な飛行が続いたがしばらくして稲光を思わせる閃光が走り黒々とした爆煙が湧き出す。

淵田の仕事は、対空砲火で被弾する味方機を報告し自機が墜落しないように祈るだけだった。

すると目の目の戦艦が突然艦首を大きく左に振り淵田機に迫ってきた。

どうやら魚雷に艦首を向け対向面積を最小にすることで雷撃をかわそうというのだ。

「隊長」

 松崎大尉が不安そうな声でいった。

「このまま突入しろ」

 部下の不安を取り除くかのように淵田は、力強く命じた。

こうなれば目一杯肉迫して魚雷を撃つまでだ。

 距離は、千メートルを切り九百メートルをも割り込む。

戦艦は、火箭を飛ばしながら回避運動をつづけた。

 攻撃隊は、射点に到達した。

敵戦艦の左舷前方からの雷撃だ。

射角は、約七十五度だ。

ほとんど真正面からの雷撃に近く適正角度では、ないが距離は二百メートルを切っている。

ここまで近づけば外しようがない。

「てっ」

 松崎がそう叫び投下索を引いた。

八九式魚雷を切り離した天山は、身軽になり上昇しながら左旋回した。

投雷を終えた機体は、敵戦艦の艦首をかすめるようにして右舷側に回り込む。

淵田は、ちらりと右側に視線を移した。

海上を漂う黒煙の向こう側に海面すれすれを飛行する機影が見えた。

二航戦の部隊は、淵田隊とは反対側から巡洋艦へ雷撃を敢行していた。

「魚雷二本命中」

 後方を偵察していた水木の声が伝声管から伝わった。

淵田は、舌打ちをした。

堅牢な装甲に包まれた戦艦に魚雷が二発程度命中しても沈まない。

マレー沖海戦で沈んだ「プリンス・オブ・ウェールズ」のようにアキレス腱を攻撃しない限り致命傷は、得られない。

淵田は、絶望に打ちひしがれた。

 

                     ※

 

 支援艦隊は、米軍機動部隊に水上戦闘を挑むため追撃戦に移った。

一方の米軍は、「サウスダコタ」から総員を退艦させると駆逐艦「カッシング」に大破した戦艦の魚雷処分を命令した。

「カッシング」からは、搭載魚雷すべての八発の魚雷が発射されたが三本しか命中しなかった。

代わって攻撃を行った「ポーター」は、六発の魚雷を命中させたが「サウスダコタ」の傾斜角と喫水はほとんど変わらず米軍の報告書によると「駆逐艦による魚雷攻撃の結果にはとても失望した。

駆逐艦の攻撃は、『サウスダコタ』に殆どダメージを与えられなかった」とある。

魚雷を使い果たした両艦は、十二・七センチ砲弾三百発を撃ち込んだが「サウスダコタ」は沈まず日本軍索敵機に発見されたため急いで現場海域から離脱した。

日本軍前進部隊は、天城機・赤城機・川内機などに誘導されながら接近した。

日が暮れようとする海原を前進した日本海軍前進部隊は、彼方から遠雷のような砲声を聞いた。

これは、先に「カッシング」と「ポーター」が「サウスダコタ」に砲弾と魚雷を撃ち込んでいた音だったと考えられた。

十八時三十分頃塚原長官は、第六水雷戦隊や第八戦隊に米駆逐艦二隻(『カッシング』、『ポーター』)の追跡を命じたが全速で逃走する駆逐艦の補足は難しく各隊は追跡を諦めて「サウスダコタ」の傍に戻った。

連合艦隊司令部は、新型艦である「サウスダコタ」を捕獲しようと試み「事情許さば拿捕曳航されたし」と迫った。

だが「サウスダコタ」は、火災と浸水でひどく損傷しており曳航は不可能だった。

「鉄の船があんなによく燃えるものか」という「天城」乗組員の感想が残っている。

「秋雲」は、十三センチ砲二十四発を「サウスダコタ」に撃ち込んだが「サウスダコタ」は微動だにせず爆雷での処分も検討されたが爆雷の射程が短く断念された。

結局魚雷で処分することとなり「秋雲」と「巻雲」からそれぞれ二本ずつ発射され四本が命中した。

巻雲艦長によれば最初の一本は、艦首に命中して傾斜が復元し二本目を反対舷に発射し三本目で沈没し「此ノ駆逐艦魚雷ヲ三本モ打チ込ンデヤツト沈メタノニハ、ナサケナキ限リナリシ」と回想している。

この後「秋雲」では、「サウスダコタ」の断末魔を記録すべく絵の上手な信号員に炎上中の「サウスダコタ」を描くよう命じた。

艦長は、スケッチの助けにしてやろうと「サウスダコタ」に向けて何度もサーチライトを照射した。

スケッチが終わりやがて「サウスダコタ」の火災は、艦全体に広がった。

合計魚雷十六本(重複あり)、爆弾二発、十二・七糎砲弾三百発を喫した「サウスダコタ」は「秋雲」と「巻雲」が見守る中十月二十七日午前一時三十五分ニューヘブリディーズ諸島沖に沈んでいった。

日本軍は、救助した米軍兵士の尋問結果から米軍の戦力と沈んだ空母が「レンジャー」と「ヴィクトリアス」であることを知った。

 

 

                     ※

 

 この戦いでアメリカ海軍は、太平洋・大西洋で稼働できる空母を一時的に零となりアメリカ軍側に「史上最悪の海軍記念日」と言わしめた。

さらにエスピリトゥサント島も陥落しそれに呼応するようにニューカレドニア島の米軍守備隊も降伏した。

これだけ見れば日本側の大勝利であるが特に艦爆隊や艦攻隊の損害が大きく村田重治少佐(戦死後大佐)をはじめとする真珠湾攻撃以来のベテラン搭乗員を多数失いこれ以上の攻勢に打って出ることが困難となった。

特に急降下爆撃機の損害が大きくその後の母艦搭載機定数は、艦爆の数を減らしている。

本海戦の損害を補うべく日本海軍は、教育部隊の教官を前線に出したり飛行学生を卒業したばかりの士官を母艦に配属するなど必死で穴埋めをする。

奥宮参謀は新任搭乗員が本海戦前母艦航空隊の技量になる時期を千九百四十三年六月以降と推測したがその再建した航空兵力は、ギルバート・マーシャル諸島の戦い、トラック島空襲といった航空戦における大敗北で完全に消耗してしまい終戦までその損害を補うことが出来なかった。

戦果は、

撃沈

空母 「ヴィクトリアス」、「レンジャー」

戦艦 「サウスダコタ」

重巡洋艦 「ノーザンプトン」

 

陥落 エスピリトゥサント島

   ニューカレドニア島

 

損害 六十九機

 

                 第二章 い号作戦

 

 千九百四十二年八月アメリカ軍は、ウォッチタワー作戦を発動しガダルカナル島とフロリダ諸島を占領した。

日本軍は、ガダルカナル島奪還を試み見事成功した。

さらにエスピリトゥサント島とニューカレドニア島の攻略も成功した。

そして次なる一手としてフィジー島の攻略を試み日本海軍(連合艦隊)は、大口径砲を装備した戦艦による艦砲射撃をふたたび実施して飛行場を破壊し遊弋する敵艦隊の撃退も決断した。

第三戦隊の甲斐型を中核として「第五次挺身隊」を編成し彼らに飛行場の砲撃を命じた。

「甲斐」も「山城」も就役してから二十五年以上が経過していたが改装によって速力三十ノットを発揮する高速戦艦となり真珠湾攻撃やミッドウェー海戦で空母機動部隊の護衛艦をつとめるなど第一線級の能力を持っていた。

吉田俊雄(海軍少佐、軍令部勤務)は、「本来海軍が担当すべきFS作戦で陸軍が苦労している。

せめて海軍は、艦砲射撃で掩護しなければならない」という陸軍に対する日本海軍の引け目が作戦の背景にあったと指摘している。

「甲斐」と「山城」を擁する第三戦隊や各艦将校は、「柳の下のドジョウ掬いで二回目は、危ないのではないか」と懸念を示していたが山本五十六連合艦隊司令長官がみずから陣頭指揮をとることを示唆すると作戦を了承したという。

それでも日本海軍は、アメリカ軍の空母機動部隊が十月二十六日の南太平洋海戦で壊滅したとみてアメリカ軍による妨害を排除可能と判断した。

 

                     ※

 

 アメリカ海軍は、日本軍の動きを察知すると機先を制するように動き出した。

オーストラリアに脱出したウィリアム・ハルゼー提督がフィジー島にいるアメリカ海兵隊のバンデクリフト少将との約束を守るべく行動を開始しハルゼー提督はリッチモンド・K・ターナー少将に陸軍第百八十二歩兵連隊、第四海兵隊補充大隊、第一海兵隊航空技術者大隊をフィジー島に投入するよう命じた。

ダニエル・キャラハン少将に対しては指揮下の巡洋艦「サンフランシスコ」、「ペンサコーラ」、「ポートランド」、「ヘレナ」、「ジュノー」と駆逐艦十隻の第六十七任務部隊四群をもってターナー輸送船団の護衛を命じた。

海兵隊航空地上要員部隊は輸送艦「ゼイリン」、「リブラ」と「ベテルギウス」に乗艦しノーマン・スコット少将が率いる第六十二任務部隊第四群(巡洋艦『アトランタ』、駆逐艦四隻)に護衛されフィジー島へ向かった。

 

                     ※

 

 日本艦隊も米艦隊の出撃を第十一航空艦隊の偵察により察知した。

当初は、「戦艦三、巡洋艦一、駆逐艦四」という規模の艦隊と「重巡洋艦二隻、軽巡洋艦三隻、駆逐艦十一隻」に守られた十隻程度の輸送船団がフィジー島に接近しているという情報だったが十二日に「戦艦は、防空巡洋艦の誤り」という訂正電報が入った。

その一方で日本軍は、フィジー島のアメリカ軍航空戦力を戦闘機二十と艦上爆撃機二十程度と推測し十一日には第十一航空艦隊がアメリカ軍戦闘機十一機を撃墜し第二〇四空が二十四機撃墜を報じた。

第五八二海軍航空隊に至ってはフィジー島周辺のアメリカ軍巡洋艦一隻、駆逐艦五隻と輸送船三隻を攻撃して「米軍機撃墜二十五、駆逐艦一隻、輸送船一隻撃沈(艦爆四喪失)」を報告している。

宇垣纏連合艦隊参謀長は、航空隊の戦果報告と偵察部隊からの戦果報告が全く一致しないことに「全然別個の一群存在するや否や総合判断に苦しむ」と困惑していた。

このような状況下日米両軍は、期せずして船の墓場と両軍がよぶ「アイアンボトム・サウンド(鉄底海峡)」(サボ島とガダルカナル島周辺海域)に引き寄せられていった。

 

                     ※

 

 十一月十二日日本軍より一足はやくフィジー島に到着したアメリカ軍は、島で待つアメリカ軍海兵隊に増強兵力と補給物資の揚陸を開始した。

十二日午後アメリカ軍は、B-17爆撃機による航空偵察をおこないフィジー島に接近する日本軍艦隊を発見する。

そこでターナーは、自身の護衛艦隊から巡洋艦三隻(『アトランタ』、『ジュノー』、『ヘレナ』)と駆逐艦二隻を分離させキャラハン少将の艦隊に加えた。

 海戦は、史上まれにみる混乱に見舞われたが「アトランタ」、「ジュノー」、「カッシング」、「ラフェイ」、「バートン」と「モンセン」を撃沈、「サンフランシスコ」と「アーロン・ワード」を大破、「ステレット」を中破、「ヘレナ」と「オバノン」を小破させた。

しかし「暁」と「夕立」が撃沈、「甲斐」が中破、「天津風」、「村雨」、「雷」が小破した。

 

                     ※

 

 アメリカ軍の第六十七任務部隊第四群は、かなりの損害を受けたが日本艦隊のフィジー島飛行場砲撃を阻止したという点で任務を果たした。

 

                     ※

 

 しかし日本軍は、諦めたわけではなくエスピリトゥサント島に進出した第一戦隊(『伊勢』、『日向』)を中核にした艦隊を投入することにした。

十一月十三日午後二時艦隊は、オントン・ジャバ島東岸沖で待機していた補給隊と合流し駆逐艦に燃料補給を行った。

兵力は、

司令官:高須四郎中将

第一艦隊

戦艦:「伊勢」、「日向」

第六戦隊

重巡洋艦:「妙高」(旗艦) 、「羽黒」、「足柄」、「那智」

第六一駆逐隊

駆逐艦:「照月」、「秋月」

第四水雷戦隊(軽巡洋艦:『熊野』

第四駆逐隊(駆逐艦:『野分』、『嵐』

第三水雷戦隊(軽巡洋艦:『阿武隈』)掃討隊

第十一駆逐隊(駆逐艦:『早風』、『夏風』)

第十九駆逐隊(駆逐艦:『浜風』、『谷風』、『萩風』、『舞風』)

第六水雷戦隊(軽巡洋艦:『川内』)

第七駆逐隊(駆逐艦:『朧』、『潮』、『曙』、『漣』

第二十三駆逐隊(『灘風』、『江風』、『涼風』、『海風』

第三駆逐隊(『太刀風』、『汐風』、『帆風』、『北風』

である。

それに先立つ午前九時五十五分艦隊に残敵掃討とフィジー島砲撃命令が出る。

午後二時四十三分艦隊に対してフィジー島周辺に残るアメリカ軍艦艇への攻撃命令が出たがこの二つの命令は取り消された。

なお「伊勢」は、午後二時十四分に米潜水艦から雷撃され魚雷一本が命中するも不発だった。

第二陣が編成される中で日本軍は、再び飛行場砲撃を計画した。

山本長官は、「ルンガ方面の残敵を掃討し十三日に外洋部隊巡洋艦で十四日に第一戦隊で飛行場を砲撃せよ」という二段構え作戦の実施を各艦隊に求めた。

 

                     ※

 

 アメリカ軍では、ハルゼー提督がリー少将の第六十四任務部隊に対し「戦艦一隻と駆逐艦四隻は、最高速度で北進せよ。

あえて指示する。

フィジー島の東方付近へ向かえ」と命令する。

艦隊の任務は、日本軍艦隊の撃退だったが燃料が最も多く残っている駆逐艦を集めただけの急造艦隊であり司令官達は艦隊の練度に不安を抱えていた。

米艦隊の切り札は、新世代艦である新鋭ノースカロライナ級戦艦「ワシントン」が搭載する計九門の四十センチ砲であった。

戦闘前リー少将は、「われわれは兵員の経験、熟練、訓練あるいは実行能力においてジャップに優れているとはいえなかった。

しかしわれわれは、この戦闘で敵を突き崩すことができると信じる」と記した。

「ワシントン」では、乗組員の誰もが待ち望んだ艦隊決戦に興奮していたという。

 

                     ※

 

 十一月十三日午前五時四十分第七戦隊は、ショートランド基地を出港した。

今後の作戦成功のためにもアメリカ軍制空権の要であるフィジー飛行場を夜間の内に使用不能にすることが必須だった。

無傷のまま日中にフィジー島で揚陸作業を敢行すれば支援の機動部隊の被害拡大と補給部隊に飛行場発進機に攻撃されるかもしれないからだった。

近藤艦隊の使命は、前夜の挺身艦隊と同じくヘンダーソン飛行場の壊滅とアメリカ軍艦隊の第三十八師団の露払いである。

午後三時三十五分前進部隊指揮官は、以下の命令を発した。

今夜敵巡洋艦と駆逐艦各数隻「フィジー島」付近の出現の算大なり。

右の場合は、一時陸上砲撃を中止し敵を撃滅したる後再興の予定。

計画及び予想に捉わるることなく会敵時の処置に万遺憾なきを期すべし。

午後七時二十五分特設水上機母艦「讃岐丸」がフィジー島周辺にアメリカ軍巡洋艦二隻と駆逐艦四隻の存在を確認した。

この時点で日本軍は、アメリカ軍の戦力を「戦艦四隻、巡洋艦二隻、駆逐艦四隻」と判断し夜間水上戦闘に備えた。

突入前各艦は、水上偵察機をレガタ基地に退避させている。

 海戦結果は「ウォーク」、「プレストン」と「ベンハム」、「ワシントン」を撃沈、「アーロン・ワード」を大破、「グウィン」を中破、「オバノン」を小破させた。

しかし「舞風」が撃沈、「伊勢」が中破し、「足柄」と「那智」が小破した。

日本側は、この海戦を「第三次ソロモン海戦」と呼称した。

アメリカ海軍は、フィジー島の防衛に失敗した。

チェスター・ニミッツ大将は、「フィジー島の防衛に成功するか失敗するかは勝利への道の分岐点である」と述べた。

アメリカの軍史家のイヴァン・ミュージカントは、第三次ソロモン海戦を「エル・アラメインの戦い、スターリングラード攻防戦」と同じく第二次世界大戦の転換点であると位置づけている。

 

                     ※

 

 第三次ソロモン海戦後フィジー島周辺海域の制海権奪取に成功した日本海軍は、同島の攻略を決めた。

 第二水雷戦隊の戦力は、

旗艦:軽巡洋艦「名取」

第三一駆逐隊:駆逐艦「長波」、「高波」、「巻波」

第一五駆逐隊:駆逐艦「黒潮」、「親潮」、「陽炎」

第二四駆逐隊:駆逐艦「霧雨」、「氷雨」

である。

 

                     ※

 

 この通商破壊をいち早く察知したアメリカ海軍は、その阻止のためにカールトン・ライト少将率いる第六十七任務部隊をフィジー島沖に派遣する。

 海戦の結果「ノーザンプトン」、「ミネアポリス」、「ペンサコラ」「ニューオーリンズ」を撃沈、「ホノルル」を大破、「フレッチャー」と「ドレイトン」を中破させた。

引き換えに「高波」が撃沈した。

海戦には、勝利したとはいえ目的であった攻略輸送には失敗した。

田中少将は、十二月二十九日附で第二水雷戦隊司令官の職務を解かれた。

この戦いは、戦術的には日本軍の一方的勝利であった。

これは、九一式魚雷通称酸素魚雷に拠るところが大きい。

この魚雷は、当時の魚雷の中では最大級の破壊力を持つものであり直径六十一センチで頭部の炸薬は四百九十キログラムとアメリカ軍の艦載用魚雷であったMk.15魚雷の直径五十三センチの炸薬三百七十五キログラムに比べ段違いの破壊力で且つMk.15の射程四千五百メートル毎四十五ノットに対して酸素魚雷は射程二万メートル毎四十八ノットと四倍以上の射程がある上航跡がほとんど見えないので発見が困難という強力な兵器であった。

日本軍の駆逐艦の中では、白雪型駆逐艦から搭載されておりこの海戦に参加した日本軍の駆逐艦は全艦が九三式魚雷搭載艦であった。

従ってアメリカ軍巡洋艦部隊は、回避する間もなく立て続けに被雷した上にたった一本の被雷で戦闘不能に追い込まれるような大損害を被ったのである。

しかし日本軍は、海戦では大勝利を挙げたものの肝心の攻略隊輸送は完全に失敗であった。

従って日本軍の完全な戦術的勝利ではあったがフィジー島攻略を阻止したということでは、アメリカ軍の完全な戦略的勝利でもあった。

そして以後太平洋戦争の海戦における夜戦において日本軍の完全勝利といえるものは、この海戦が最後となる。

 

                      ※

 

 日本軍航空部隊は、千九百四十三年(昭和十八年)一月十五日からフィジー島への夜間攻撃を強化を企画しほぼ連夜に渡りフィジー島飛行場の爆撃を行っていた。

一月二十五日からは、フィジー島のアメリカ軍飛行場に対し航空撃滅戦を実施した。

第一次となる二十五日陣風七十二機が深山十二機とともに侵攻するも一機(深山一機)を喪失し撃墜戦果無しと一方的な敗北を喫した。

一方で第二次の二十七日海軍の要請によりソロモン方面へ進出していた陸軍航空部隊飛行第十一戦隊と飛行第一戦隊の一式戦「隼」六十八機が飛行第四十五戦隊の九八双軽九機とともに侵攻した。

この空戦においてアメリカ陸軍航空軍第三百三十九戦闘飛行隊および海兵隊第百十二海兵戦闘飛行隊の戦闘機二十四機と交戦し一式戦「隼」は、喪失なしに七機を撃墜していた。

一月二十九日日本軍の偵察機がサモア島の南でアメリカ艦隊(護衛空母二、重巡洋艦三、軽巡洋艦三、駆逐艦八)を発見した。

これは、ギフェン少将の指揮するフィジー島の部隊の交代要員を乗せた輸送船を護衛する第十八任務部隊であり護衛空母二隻(『シェナンゴ』、『スワニー』)及び重巡洋艦三隻(『シカゴ』、『ルイビル』、『ウイチタ』)、軽巡洋艦三隻(『クリーブランド』、『コロンビア』、『モントピリア』)からなっていた。

二隻の護衛空母は、十八ノットしか出せず巡洋艦の足を引っ張る結果となった。

またトーチ作戦から太平洋へ転属になったばかりで日本軍の戦術に慣れていなかった。

敵艦隊を発見した日本軍はラバウル、バラレ、ブカ、ショートランドから触接機を発進させた。

日本軍は、攻撃が太陽が没する直前の薄暮になるようにわざと時間を遅らせてラバウルから攻撃隊を発進させた。

まず十二時三十五分に第七〇五航空隊の深山十二機が続いて十二時四十五分に第七〇一航空隊の九六式陸攻二十一機が発進した。

指揮官は、七〇一空飛行長檜貝襄治少佐である。

なお第七〇一航空隊の二十一機のうち七機は、夜間攻撃用の照明隊である。

また第七〇五航空隊のうち一機は、故障のため引返している。

ギフェン隊は、十九時に駆逐艦四隻と合流予定でありその時間に遅れそうであったため低速の護衛空母を護衛の駆逐艦二隻と共に分離した。

日没後の十七時十九分第七〇五航空隊が攻撃を開始したが戦果は、なく対空砲火で一機を失った。

その後触接機が照明弾を投下した。

十七時四十分第七〇一航空隊が攻撃を開始した。

この攻撃で重巡洋艦「シカゴ」に二本、「ルイビル」、「ウイチタ」に各一本の魚雷が命中した。

「シカゴ」は、大破し「ルイビル」と「ウイチタ」は中破した。

日本軍は、指揮官機を含む二機を失った。

翌三十日日本軍は、再びギフェン隊を発見し十時十五分ブカ島から第七五一航空隊の深山十二機が発進した。

十四時六分攻撃隊は、ギフェン隊を発見し攻撃を開始した。

損傷して曳航中の「シカゴ」に魚雷四本を命中させて撃沈させ駆逐艦「ラ・ヴァレット」にも魚雷一本を命中させ大破させた。

日本の大本営は『戦艦二隻、巡洋艦三隻撃沈、戦艦一隻、巡洋艦一隻中破、戦闘機三機撃墜、味方損害三機』と大本営発表を行った。

 

                      ※

 

 アメリカ軍は、重巡洋艦一隻が沈没し駆逐艦一隻大破の損害を受けたが輸送船は無事にフィジー島に到着できた。

 

                      ※

 

 千九百四十三年三月二日~三月三日~三月四日にフツナ島沖海戦が発生した。

この戦闘で日本軍は、重爆撃機で連合軍の輸送船を攻撃し多数を撃沈させた。

 

                      ※

 

 FS作戦も終末期に差し掛かった千九百四十二年十一月末アメリカ軍は、アナトム島に日本軍が新たな飛行場を建設中であることを知る。

アナトム島とフィジー島の距離は、ガダルカナル島りよ近くフィジー島の攻略やアメリカ軍の進撃を妨害するには好適地であった。

陣風のガダルカナル島上空での行動時間は大幅に伸び爆撃機も従来以上の量の爆弾を搭載してフィジー島を爆撃する事も可能となる。

実際には、日本軍がアナトム島での飛行場建設に乗り出したのは十二月一日からで第一期工事は二週間ほどで終了した。

当然アメリカ軍からしてみればアナトム島の基地が本格稼動した暁には、相当な脅威となる厄介な存在と判断されていた。

そこで千九百四十三年に入るや否やアメリカ軍南太平洋部隊司令官ウィリアム・ハルゼー大将は、水上部隊にアナトム島への艦砲射撃を繰り返し行わせ同時に爆撃や航空機による機雷投下も行った。

すなわち一月四日には、アナトム島への砲撃が行われて十分な打撃を与えた。

とはいえ圧倒的な力をかけるには、アメリカ軍の戦力は十分とは言えず日本軍は新たな橋頭堡を強固なものにすべく中部ソロモン諸島行きの輸送部隊を次々と送り込んでいた。

 

                      ※

 

 三月四日十六時第四水雷戦隊(高間完少将)指揮下の艦隊が兵糧や弾薬などを積載した輸送部隊を護衛してラバウルから出撃しアナトム島へと向かった。

「村雨」と「峯雲」は、前日三月三日ラエに第五十一師団を送り込む第八十一号作戦の陽動としてコロンバンガラ島方面を行動しておりラバウル入港直前に「村雨」が座礁事故を起こし離礁してラバウルに帰投したのは三月四日の夜明け前のことだった。

また「村雨」と「峯雲」は、この輸送作戦が終わればブインからラバウルへ航空部隊基地員百四十名と物資を輸送する任務も与えられていた。

 

                      ※

 

 一方アメリカ軍もコロンバンガラ島砲撃のためこの日艦隊を出撃させていた。

当時アナトム島を砲撃するアメリカ艦隊には、二つの任務部隊があった。

ヴォールデン・L・エインスワース少将の第六十七任務部隊(旗艦「ホノルル」)でもう一つがアーロン・S・メリル少将の第六十八任務部隊(旗艦「モントピリア」)であった。

この二つの任務部隊は、交替で夜間にアナトム島へ接近し艦砲射撃の後即座に退却して基地に帰投するというパターンを繰り返した。

またフィジー島をめぐる海戦に登場した臨時編成の任務部隊とは、違い夜戦を得意としていた日本艦隊によりよく対抗できるようレーダーに関する知識を学び常にまとまって訓練と行動を繰り返した結果均整が取れた部隊となっていた。

ハルゼー大将は、過大報告された前回の砲撃結果に基づき再度の攻撃のためメリルを出撃させた。

メリル少将の第六十八任務部隊は、サモアを出撃し「ザ・スロット」と呼ばれたニュージョージア海峡をひたすら北上する。

このニュージョージア海峡突入時から「ブラックキャット」の異名を持つ夜間哨戒仕様のPBY「カタリナ」三機が第六十八任務部隊の前路警戒配備に就いた。

なお第六十八任務部隊の軽巡洋艦群のうち、「コロンビア」は、修理を行う必要があったため作戦から除外された。

 海戦の結果「モントピリア」と「クリーブランド」を中破させたが「川内」が大破し「有明」、「夕暮」、「白露」、「時雨」が中破・小破した。

この戦いは、戦術的にはアメリカ軍の判定勝ちであったが輸送は完了していたため日本の戦略的勝利だった。

この海戦は、「アナトム島沖海戦」と呼ばれた。

 

                      ※

 

 第三次ソロモン海戦を期にアメリカ軍の反攻が徐々に強くなってきた。

そんな中アメリカ軍が「空の要塞」の異名を持つB-17戦略爆撃機の後継機を開発しているとの情報を手にした日本軍は、南方の通商破壊だけでなく北方の通商破壊にも本腰を入れなくてはならなくなった。

このためこの方面を担当する日本海軍第五艦隊(細萱戊子郎中将)は、全力で敵輸送船の撃滅を任され重巡洋艦「『那智』(旗艦)、『摩耶』」と第一水雷戦隊(司令官森友一少将)等が出航した。

 海戦の結果「ソルトレイクシティ」、「リッチモンド」(旗艦)、「ベイリー」、「コグラン」、「モナハン」と「デイル」を撃沈し「那智」と「摩耶」が小破するだけの完勝に終わった。

アッツ島沖海戦は、航空機や潜水艦の介入なしに行われた太平洋戦争中の数少ない海上戦闘となった。

この海戦でも主目的だった通商破壊は、達成できなかった。

この海戦は、「アッツ島沖海戦」と呼ばれた。

 

                      ※

 

 日本海軍は、FS作戦中止後の千九百四十三年三月に発令された第三段作戦帝国海軍方針と同時期に日本陸軍との間に取り決められた陸海軍中央協定で春以降の作戦方針としてニューギニア方面を重視していくことを確認した。

連合軍は、フィジー島の防衛に成功しこれより発進する戦闘機と爆撃機はガダルカナル島を連日のように空襲した。

日本海軍はFS作戦中止後も中部ソロモン地区強化の為輸送艦による輸送作戦を実施していた。

この頃南東方面の日本海軍基地航空部隊は、練度低下と器材搭乗員の損耗共に激しく夜間少数機で行っていた陸攻の夜間爆撃すら実施困難となり十一航艦の水偵がそれを肩代わりする事態に陥っていた。

二月十四日にアメリカ陸軍航空隊や海兵隊航空隊の航空機からなる戦爆連合がガダルカナル島を攻撃し日本海軍の航空隊が迎撃したが日本軍は、損害零だっただったのに対してアメリカ軍は四十機を被撃墜されセントバレンタインデーの虐殺と呼ばれる被害を出した。

連合艦隊が母艦飛行機隊を陸上基地で大規模に運用する構想については、千九百四十三年一月のFS作戦中止直後の連合艦隊の作戦指導構想の中にすでに見えている。

ただしこの時点では、消極的で目標も敵機動部隊を想定していた。

また「い号作戦」そのものの構想が固められた時期について戦史叢書では、一月に大本営海軍部(軍令部)より提案された昭和十八年度帝国海軍戦時編制案について連合艦隊が二月二十五日に回答した中に次期作戦についての言及がありこの次期作戦が「い号作戦」を指すのではないかと推測しそこから遅くとも二月中旬頃には作戦に関する構想は固まっていたのではないかとしている。

作戦を計画するにあたり軍令部からの直接の作戦指導は、なくろ号作戦時のような現地部隊からの増援要請も無く連合艦隊が独自に立案し実行されたものだった。

この作戦は、初めから荒ごなしのつもりであり母艦飛行機隊保全の観点からそうなったという。

い号作戦は、航空参謀である樋端久利雄が担当した。

第七艦隊作戦参謀長井純隆の回想によれば「第七艦隊母艦機を南東方面に使うことについて連合艦隊と第七艦隊司令部幕僚間では、相当の論争があったように記憶している。

七艦隊側は、反対意見であった。

しかしこの問題が司令部上層までに及んで論議されたことは、聞いていない。

おそらく山本長官自ら発案し小澤第七艦隊司令長官に直接了解を得られたものと思う」という。

このように作戦立案に関する経緯が現在も不透明な部分が多いのは、作戦終了後作戦立案の中心的人物であった山本五十六が戦死していることや当時連合艦隊参謀長であった宇垣纒の記した『戦藻録』の千九百四十三年一月一日~四月二日までの記述が戦後紛失してしまっていることも影響している。

宇垣纏の口述書によれば作戦を決意したのは、三月の中旬でありその目的は以下のようであった。

フィジーおよびサモアの敵船団、航空兵力を撃破しその反攻企図を妨げる。

同地域の急迫する補給輸送を促進し戦力の充実を図り部隊の強化を実現すること

作戦の実施時期については、内地において訓練中だった第八航空戦隊のトラック進出を待って開始された。

また作戦指揮に関して第七艦隊と基地航空部隊である第十一航空艦隊を統一して指揮する必要がありこれまでの慣例では、先任にあたる十一航艦の草鹿任一が統一指揮をとることになるのだが母艦飛行機隊の指揮を基地航空部隊の指揮官に任せて必要以上に消耗させたくないという第七艦隊の意向もあり連合艦隊司令長官である山本五十六が統一指揮をとることになった。

戦史叢書では作戦の概要は以下のようなものだったと推測している。

作戦目的

1 敵の反攻企図を撃砕と妨圧

2 補給輸送を促進し、第一線戦力の充実を促進する

3 現地陸海軍部隊の作戦指導強化

作戦期間

第一期 四月五日から四月十日までソロモン方面(X作戦)

第二期 四月十一日から四月二十日まで、ニューギニア方面(Y作戦)

参加兵力

第三艦隊 第一航空戦隊、第二航空戦隊、第四航空戦隊、第五航空戦隊、第六航空戦隊、第七航空戦隊、第八航空戦隊

第十一航空艦隊  第二十一航空戦隊、第二十六航空戦隊

参加兵力の詳細な内訳

第一航空戦隊 瑞鶴(艦戦三十二機、艦爆二十四機、艦攻二十四機)、翔鶴(艦戦三十二機、艦爆二十四機、艦攻二十四機)

第二航空戦隊 蒼龍(艦戦二十八機、艦爆十八機、艦攻十八機)、黒龍(艦戦二十八機、艦爆十八機、艦攻十八機)

第四航空戦隊 麗鶴(艦戦三十二機、艦爆二十四機、艦攻二十四機)、雅鶴(艦戦三十二機、艦爆二十四機、艦攻二十四機)

第五航空戦隊 大鳳(艦戦二十四機、艦爆二十四機、艦攻二十四機)、祥鳳(艦戦二十四機、艦爆二十四機、艦攻二十四機)

第六航空戦隊 龍鳳(艦戦二十四機、艦爆二十四機、艦攻二十四機)、瑞鳳(艦戦二十四機、艦爆二十四機、艦攻二十四機)

第七航空戦隊 海鳳(艦戦二十四機、艦爆二十四機、艦攻二十四機)、白鳳(艦戦二十四機、艦爆二十四機、艦攻二十四機)

第八航空戦隊 隼鷹(艦戦二十四機機、艦攻二十四機)、飛鷹(艦戦二十四機、艦攻二十四機)

第二十一航空戦隊 二五三空(艦戦三十六機、陸偵三機)、七五一空(陸攻三十六機)

第二十六航空戦隊 二〇四空(艦戦四十四機、陸偵六機)、五八二空(艦戦二十四機、艦爆十五機)、七〇五空(陸攻三十六機)

さらに作戦要領として敵艦船の攻撃は、艦上爆撃機を主用で戦闘機はその掩護にあたるほか制空隊により敵機の制圧し陸上攻撃機隊は敵航空基地攻撃に主用するなどとしている。

この基本計画に従って攻撃予定地や参加部隊などが決められた。

攻撃予定地:フィジー島方面(X攻撃)

参加部隊:第七艦隊、第十一航空艦隊

攻撃予定地:サモア島(Y攻撃)

参加部隊:第七艦隊、第十一航空艦隊  

 

                        ※

 

 フィジー島の空襲は、当初四月五日実施予定であったが天候不良により二度延期された。

六日の敵通信情報によればフィジー島付近には、艦船約三十五隻の所在が確認され同夜フィジー島を爆撃した陸攻からもフィジー島北東海面に北上する巡洋艦三隻と駆逐艦六隻の発見報告があり七日朝に実施された二五三空の九八式司偵による偵察でもフィジー島に巡洋艦二隻、駆逐艦六隻、大型輸送船二隻などを確認しその他フィジー島付近にも敵艦船の存在を認め前日の敵通信情報が裏付けられた。

攻撃隊は、午前九時四十五分から十一時にかけて次々と各飛行場を発進し攻撃隊ごとに空中で合同し目標上空を目指した。

午前十一時二十五分頃第一制空隊フィジー島上空に突入し続いて十五分遅れて発進した第二制空隊もフィジー島上空に到着した。

午後十二時三十分二〇四空の陣風隊が敵戦闘機と空戦に入る。

「右前方、敵艦船」

 偵察員兼雷撃手を務める金刃恵一(かねとけいいち)飛曹長の声が伝声管を通じて届いた。

日本海軍第七五一海軍航空隊の分隊長小宮山武氏(こみやまたけし)少佐もほとんど同時に目標を発見していた。

「金刃、無線封鎖解除。

全機宛発信。

『目標発見。

全機突入セヨ』」

「『目標発見。

全機突入セヨ』

全機隊に発信します」

 金刃飛曹長が命令を復唱した。

 なおこの時の零戦は、零式艦上戦闘機二一型から三一甲型に機種変更されていた。

改良点としては、折り畳み機構を廃して翼幅を十一メートルに短縮し円形に整形されエンジン排気による空気の整流・推力増強を狙い排気管を分割して機首部の外形に沿って配置する推力式単排気管が外見上の特徴である。

なお三一型は、二一型と同一エンジン装備で正規全備重量で二百キログラム近く増加しているにも関わらず最高速度は約時速二十キロメートルで上昇力も向上しており推力式単排気管の効果を垣間見ることができる。

ただし極初期生産型には、推力式単排気管が間に合わず二一型同様の集合排気管を装備している。

単排気管装備後に排気管からの高熱の排気がタイヤや機体外板を痛めることが判明したため最下部の排気管を切り詰め残りの排気管口付近に耐熱板を貼り付けるといった対策が施されている。

 なお甲型では、ドラム給弾式の九九式一型二十ミリ機銃をベルト給弾式の九九式二型二十ミリ機銃に換装した型である。

給弾方式としてベルト式を採用することによって翼内スペースを有効に活用できるようになり携行弾数は、それまでの百発から百二十五発まで増加した。

主翼外板を〇・二ミリメートル厚くして強度を高めたことで急降下制限速度は、時速七百四十・八キロメートルに達し最高速度は時速五百五十九・三キロメートルに達する。

 直後編隊の右側で動きがあった。

護衛の陣風隊が次々に上昇を開始している。

 その前方に銀色に光るものが見える。

「来たな」

 小宮山少佐は、つぶやき軽く唇を舐めた。

 敵の電探に引っかからないようにフィジー島付近から高度を下げ地上すれすれの低空を飛行していた。

そのため敵艦船を視認するまで敵機と遭遇することは、なかった。

 だが敵戦闘機隊は、日本海軍機の集結を事前に察知しておりこれに対応するために使用可能な戦闘機の全てがフィジー島に集められ当日は七十六機の戦闘機が上空で攻撃隊を待ち構えていた。

 陣風隊は上昇しつつ敵機との距離を詰めていく。

 連合軍は、続々と新型機を投入し戦闘方法も一撃離脱戦法に切り替えたため零戦や陸軍の九八式戦闘機では対抗が難しくなってきたが陣風や隼であればまだまだ対抗可能だった。

 それでも敵機は、自分たちの陣地を死守すべく陣風隊に立ち向かってゆく。

「突っ込むぞ、金刃」

 叩きつけるように小宮山少佐が叫びエンジン・スロットルを開いた。

 火星エンジン二五型二基がけたたましい咆哮を上げた。

熱帯用の密林迷彩を施された深山が加速された。

 小宮山機だけでは、なかった。

 後続する第七艦隊所属の天山隊も同じだった。

 なお七五一空は、二個中隊で水平爆撃隊と雷撃隊に分かれており小宮山少佐は水平爆撃隊の分隊長を務めていた。

 そして第七艦隊の彗星隊と雷撃隊が先行していた。

 眼下の密林がすさまじい勢いで後方に流れ敵艦船が視界の中で急速に拡大する。

指揮所、格納庫、クレーン、兵舎等の付帯設備はどれをとってもニューカレドニアのそれらより立派に見える。

「日本の真珠湾」の異名を持つトラックの設備と比べても遜色ない。

「さすがは、金持ちの国だ。

最前線に贅沢なドックを作りやがって」

 小宮山少佐は、毒づいた。

半分以上は、嫉妬の感情から来ていることはわかっていた。

 敵戦闘機が襲ってきた。

酒樽のようにずんぐりした機体が前上方から突っ込んできた。

グラマンF4Fーワイルドキャットーでアメリカ海軍の主力艦上戦闘機だ。

 開戦後の間もない時期ー特にウェーク島攻略ーで二航戦の陣風隊が不利な位置からF4Fを見事迎撃したと聞いた。

あらゆる面でF4Fを凌駕している陣風にとって全く怖くない敵だった。

 ただし爆撃機や攻撃機にとっては、恐るべき強敵あることには変わりはない。

 小宮山少佐は、咄嗟に操縦桿を右に倒しF4Fの真下にもぐりこむ。

 F4Fは、射撃の機会を失ったのかけたたましい爆音を響かせながら小宮山機の頭上を抜ける。

 二機目のF4Fが続いて向かってくる。

 小宮山少佐は、唸り声を発し右へ右へと旋回する。

 F4Fの両翼に発射炎が閃いたが火箭は、小宮山機をとらえることなく密林の木々の間に吸い込まれるように消える。

「陣風隊の一部がグラマンと空戦に入りました。

残りは、直掩をつづける模様」

 電信員兼機銃手の杉山直人(すぎやまなおと)上飛曹の声が伝声管を通じて聞こえた。

 敵は、こちらの動きを察知しありったけの戦闘機をかき集めてきたようだが結果はこちらのほうが上だったようだ。

 第七艦隊の彗星隊は、すでに敵艦隊に取り付こうとしている。

各艦から対空砲の火箭が突きあがり彗星隊の面前で交差する。

 複数箇所から放たれた火箭を一度に浴びた彗星がひとたまりもなく空中分解を起こし分断された主翼や引き裂かれた胴体を海にばらまく。

 それでも彗星隊は、急降下爆撃を敢行した。

これまでの海戦で第七艦隊の艦爆隊と艦攻隊の練度は、開戦前と比べて著しく低下していると聞くが闘志は衰えておらず果敢に爆撃を試みるがなかなか命中しないが一発を駆逐艦に命中させた。

 火炎が踊り引き裂かれた艦体から大量の黒煙が吹きあがる。

 艦橋直下に直撃を受けた艦船は、艦橋が折れ上部が艦体に落下し爆風と弾片に乗員たちがなぎ倒される。

そして駆逐艦の魚雷に誘爆すれば甲板上で爆発を起こしおびただしい火花と弾片が船外に飛び散る。

 この時には、すでに彗星隊と雷撃隊が攻撃を終えており敵艦の多くが被弾し船体から黒煙を噴き上げていた。

 艦船に五十番爆弾や魚雷が命中するたび轟音とともに黒煙や巨大な水柱などが噴きあがる。

停泊しているのは、小型艦ばかりなので命中するたび船体は大きく身もだえる。

 艦橋や煙突などの構造物に直撃弾は、徹甲能力で大穴を穿ち焼夷爆薬が内部を焼き尽くす。

 爆弾が弾薬庫に直撃したのか船体が引きちぎれそこから流血したかのように海面に重油を流していた。

 小宮山少佐は、港に近づきつつまだ被弾していない敵艦を探した。

 胴体下には、八十番爆弾を一発抱えている。

 真珠湾攻撃時に九七式艦攻が敵艦に使用したものと同じである。

ただこれは、戦艦を沈めるために開発されたものであるため小型艦に落とすと爆発することなく艦底まで貫く可能性もあった。

「分隊長、左前方に巡洋艦が見えます」

 金刃飛曹長の弾んだ声が伝声管から伝わってきた。

「そいつをやる」

 小宮山少佐は、躊躇なく目標を定めた。

 左の水平旋回をかけると海上に駆逐艦よりも明らかに船体が大きい艦がいた。

 あれを沈めればニューカレドニアの友軍が助かると思いつつ小宮山少佐は、地上すれすれの低空をフル・スロットルで突進した。

 前方に漂う火災煙を両翼のプロペラが巻き込み後方へと吹き飛ばす。

 火災煙は、コックピットの前にも流れ視界を妨げる。

 だが小宮山少佐は、その向こうに見える巡洋艦をしっかり見据えていた。

 速力を全く落とすことなく小宮山少佐の深山は、巡洋艦の真上に近づいた。

 金刃飛曹長が八十番爆弾を投下したのだろう。

風防ガラスの内側が後方で上がった黒煙を反射し黒々していた。

「巡洋艦、轟沈」

 金刃飛曹長の弾んだ声が伝声管から伝わってきた。

「了解」

 小宮山少佐は、即座に返答した。

 前方には、すでに攻撃を終えた深山の姿が見える。

追撃してくる敵機は、いないようだ。

 ここで初めて小宮山少佐は、後方を振り返った。

 フィジー島の港湾は、十数か所から黒煙を上げている。

 一か所を除き火災煙の量は、それほど多くはない。

黒煙が噴出してる箇所は、多いがさほど大規模な火災を引き起こすには至らなかったようだ。

「もう一度来ることになりそうですな」

 金刃飛曹長も戦果を見てそういった。

「一度だけでは、終わるまい」

 小宮山少佐は、金刃飛曹長の言葉にぼそりと答えた。

 ニューカレドニアには、友軍がいる。

 第六師団の将兵がニューカレドニア一帯を死守している。

敵艦を一隻でも沈めたり敵機を一機でも多く撃破すれば守備隊がそれだけ助かるのだ。

 南方の戦いは、簡単には終わらない。

戦い続ける以外の道は、自分たちにはない。

 それが直視しなければならない現実だった。

 戦果は、

三十二隻撃沈。

三十六機撃墜。

である。

損害は、十一機である。

 攻撃終了後午後三時から午後五時までの間に各部隊は、発進基地へ帰着したが飛鷹艦攻隊の内三機と隼鷹艦攻隊の内一機はコロンバンガラ基地に隼鷹艦攻隊の内六機はムンダ基地に帰投した。

また連合軍は、航空機の写真偵察により日本海軍機の集結を事前に察知しておりこれに対応するために使用可能な戦闘機の全てがガ島に集められ当日は七十六機の戦闘機がフィジー島周辺で日本軍の攻撃隊を迎えうち爆撃機は全て事前にフィジー島南西端上空へ避退していた。

さらに当日の日本軍の攻撃隊の発進もコーストウォッチャーにより逐一動静をつかんでいた。

またこの方面には、当時第十八任務部隊の軽巡「ホノルル」、「ヘレナ」、「セントルイス」と駆逐艦六隻も在泊していたが日本軍の接近を察知し当日予定されていたムンダへの砲撃をキャンセルし南下し避退していた。

 

                    ※

 

 予定では、四月十日にY攻撃実施となっていたが前日より天候悪化のためこれを延期し十日以降Y一とY二攻撃を実施するとし整備の為一日間をおいて十一日サモア方面攻撃であるY二攻撃が実施された。

午前八時三十分から九時にかけてニューカレドニアを発進した攻撃隊は、午前十一時二十五分から四十分にかけて上空に到達した。

 第七艦隊および第二十六航空戦隊の陣風隊が敵の迎撃機めがけて突進し双発双胴の重戦闘機P-38と空中戦に入った。

しかしこのP-38は、陣風隊を爆撃隊から離すための精鋭隊であり陣風隊はそれに乗せられ爆撃隊と雷撃隊から離れてしまった。

 裸になってしまった爆撃隊と雷撃隊の正面上方に銀色の光がきらめく。

高空で待ち構えていたP-40が攻撃に移ったのだ。

 ほとんど垂直に近い角度で急降下をかけたP-40が両翼に装備した十二・七ミリ機銃六丁を乱射しようとした。

 しかし寸前で異変に気づいた一部の陣風隊と零戦隊が妨害に入った。

 それでも無事なP-40は、主翼と言わず胴といわず一二・七ミリ機銃弾の曳痕が突き刺さり激しい火花を散らす。

銃撃を終えたP-40は、そのまま速力を緩めることなく猛速で下方へと離脱する。

攻撃に参加した深山、天山と彗星は上部旋回機銃や下部旋回機銃などを装備していなかったため高空から下部に抜けたP-40に対して何もできなかった。

 その様は、攻撃隊めがけて鉄槌を振り下ろすかのようだ。

 P-40が撃ち込んだ射弾は、深山の主翼や胴体をえぐりジュラルミンの外鈑を引きちぎる。

 エンジン・カウリングを貫かれエンジンを傷つけられた深山が黒煙を引きながら高度を落とし送油管を切断された深山が火焔を吹き出す。

 致命的な損傷を受けた深山は、編隊から一機また一機と落伍する。

 主翼の火災が拡大した深山は、機体の後ろ半分が炎に包まれた状態で真っ逆さまに墜落する。

 コックピットに銃撃を浴び操縦者と前部機銃者を失った深山は、機体を大きく傾け原形を保ったまま悲鳴じみた音を発しながら墜ちて行く。

 エンジン出力が低下し速度が大幅に衰えた深山は、機体の揚力を保てなくなり滑り込むようにして海面に突っ込む。

 深山隊のうち四機がサモア島沖や海岸に墜落した。

 損傷を受けた深山の何機かは、反転し戦場から離脱した。

 残りの深山隊や無傷の彗星隊と天山隊は、依然進撃を続ける。

 P-40の直上攻撃は、深山に対して有効であるが決定打ではなかった。

そのためP-40隊は、もう一撃を加えようとしていたが直前に陣風隊と零戦隊の妨害によってそれができなくなってしまった。

 それでもこのパイロットたちは、熟練であるため陣風と零戦を巧みに翻弄し撃墜されなようにしていた。

 サモアの港湾内に発射炎が閃いた。

 攻撃隊の行く手を塞ぐように閃光が次々とほとばしり黒々とした爆煙がつづけさまに湧き出した。

 地上の対空砲陣地と在泊艦船の高射砲が応戦を始めたのだ。

 迎撃機が阻止しきれなかった以上海上から撃ち上げられる砲弾が攻撃隊を食い止める最後の楯となる。

 Mk 12 5インチ砲が攻撃隊の前後左右上下で次々と炸裂する。

 攻撃隊の左右で爆発した砲弾は、横殴りの爆風を浴びさせ正面で爆発した砲弾はおびただしい弾片を礫のようにたたきつける。

 陸上や艦船に搭載されたMk 12 5インチ砲からは、相当数の砲弾が敵機の至近距離で炸裂しているように見えた。

敵機が片端から火を噴き墜落していく光景を思い描いた兵もいた。

 だが攻撃機は、墜ちない。

 損傷を受けたのかうっすらと黒煙をなびかせている機体もあるがそのような機体も速度を落とすことなく編隊に付き従っている。

 ほどなく港湾の海面に弾着の飛沫が奔騰し始めた。

 その後攻撃隊は、午後二時から二時四十分にかけて帰着した。

 戦果は、小型艦三十二隻撃沈

である。

 損害は、四機である。

 

                    ※

 

 山本長官は、い号作戦の終結を下令した。

また同日連合艦隊は、第二期作戦の戦果並びに被害を報告し「フィジー・サモア方面航空作戦に敵の意表を衝き甚大なる打撃を与え敵の反撃企図を相当防遏し得たるものと認む」と所見を出し概ね作戦目的を達しえたものと判断した。

しかし米軍側は、日々の偵察機により逐次日本軍の兵力配備の把握に努め邀撃戦力の準備を進めレーダーやコーストウォッチャーにより攻撃を事前に予測し当日は爆撃機や在泊艦船を避退させ被害を極限した。

そのため日本軍が認識していたよりも米軍の被害は、大幅に少ないものだった。

作戦終了後の十七日連合艦隊は、ガダルカナル島で「い号作戦」研究会を行なった。

ここでは、連合軍の増勢遮断と前線航空基地の整備を主題として取り上げ山本も航空戦の成否が勝敗を決するという趣旨の訓示を行なった。

また宇垣は、航空作戦に関して偵察を徹底すること小目標であってもこまめに攻撃すること大型機に対する対処法や新たな攻撃法に対する研究の促進などを希望として述べた。

今回の作戦についての連絡は、現地の第八方面軍には三月十二日に参謀本部には同十八日に正式に伝えられていたが海軍の航空作戦に呼応して積極的な航空作戦や大規模な船団輸送を実施するような機運にはならず中央も現地も傍観的な態度であったという。

これに関して四月十一日天皇からもい号作戦に関連して陸軍の作戦指導に関する質問がなされた。

そのため参謀本部では、現地第八方面軍に対して十二日には補給の現状と今後の見通しについての問い合わせが十四日には海軍の航空作戦に呼応して積極的に輸送作戦を実施するよう督促が発せられたがもとより現地の第八方面軍ではガダルカナル方面の輸送計画に関して海軍側と困難な折衝を続けていたいきさつもあり方面軍参謀の井本熊雄はそれまでの中央の現地に対する無理解への不満も相まって中央からの神経質な干渉に相当な苛立ちを感じていた。

ただ現実問題として当時積極的な航空作戦を実施できるほど陸軍の航空戦力が充実していなかったことは井本自身も認めており当時の南東方面は、もはや航空援護無しに輸送作戦を実施することはありえない情勢であったため事は簡単ではなかった。

またこの当時の南東方面に展開していた陸軍航空部隊である第六飛行師団の三月二十日頃の実働戦力は一式戦闘機五十機、九八式双発軽爆撃機十六機、九七式重爆撃機十七機、九八式司令部偵察機三機の合計八十七機でありこれは部隊定数の六十パーセントに過ぎずこの頃の第六飛行師団はもっぱらフィジー・サモア湾方面への夜間爆撃と輸送部隊の船団護衛に従事する程度の活動に甘んじていた。

それでもこの作戦中にガダルカナル方面への輸送は、数回実施されておりX攻撃直後の四月八日のガダルカナル輸送は連合軍の妨害を受けることなく成功しこの後始まる中部ソロモンの防衛の一助となった。

第八方面軍もい号作戦によってフィジー・サモア方面の連合軍の活動が低下したことを認めている。

とは、いえ作戦実施期間の関係でその効果が現れた期間は短く陸軍側には物足りないという思いが残った。




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