「やあ、また会ったね」
「…どうも」
にこやかな笑みで挨拶してくる老人にカオルは素っ気なく返し、枝を拾う。
そんなカオルの様子も気にせずに老人は手伝うよ。と言いながら枝を連れていたサンドパンと共に拾い始めたのを見ながらこっそりため息をついた。
老人と最初に出会った時は何も聞かれず老人のキャンプで一晩過ごし、老人が起きる前にキャンプから出て行ったのだが、それ以来時折森の中で出会たら老人がこうして声をかけてくるようになった。
最初は無視していたのだが、ポケモンの知識やバトルの戦術等を話されるとつい反応してしまうので、途中から無視するのを諦めて老人の話に乗るようになった。
そうすると必然的に長話になり老人のキャンプにお邪魔するというルーティーンが出来上がるようになった。
何時まで絡んでくるのやら。
結局、キャンプにお邪魔しまったカオルはそう思いながら撫でろ。と言わんばかりに手にすり寄ってくるサダイジャにお望み通り頭を撫でながら思った。
何も聞いてこずにただポケモン談議をして食べ物と着る服を渡してきて一晩キャンプに泊まらせるだけで保護しようとするそぶりは一切なくカオルに接する老人との距離感に安心している事も確かなのでカオルは拒否することなく受け入れることが出来ていた。
だが、このままではいけないとも思っていた。それは、この老人も思っているのだろうと何となく分かっていた。
「あの、」
「どうしたのかね?」
「いえ、何でもないです」
そうかい。と言ってコーヒーを飲む老人はカオルから話してくる事を待ってる。
無理に聞き出そうとすればカオルが拒絶したり、予想もつかない事をしでかすのではないかと思い、あえて聞いてこないのはカオルには理解できた。
この距離感があまりにも心地よく感じてしまい、自分の身に起きた事を話して信じてもらえず、この時間が無くなってしまうのではないかと思ってしまうとあと一歩がなかなか踏み出せずもう少しだけ後で、もう少しだけ。とずるずると先延ばしにしてしまった。
後のカオルは自分の愚かさを呪った。
カオルは目の前の廃墟と化した屋敷を見た。
グレンタウンで一番大きな建物であるこの屋敷はポケモン屋敷と呼ばれており、その名の通り野生ポケモン達の巣窟になっている。
屋敷は3階建ての建物の他に地下に巨大な研究室があり、元々はシオンタウンでポケモンの保護活動をしているフジ老人が博士時代に所有していた屋敷だったのだが、当時のフジ博士がミュウのDNAの無限の可能性に目がくらみ、ミュウの子供に遺伝子改造を施して新たなポケモン、ミュウツーを生み出したミュウツーの生誕の地でもある。
カオルはこのポケモン屋敷に数回侵入しており、すでに利用できる研究資料等は回収しているのだが、今回はある程度ロケット団の仕事が片付いたので、回収した資料以外にも利用できるものがないかの最終確認の為に来たのだった。
ポケモン屋敷に入ったカオルは迷わず地下研究室へと足を進める。
野生ポケモンとトレーナーに対する護衛としてカオルの影に潜むゲンガーは時折、顔を出しながら屋敷内にいる野生ポケモンを牽制しながら時折、懐かしむように目を細めてポケモン屋敷を眺めていた。
元々カオルのゲンガーはこのポケモン屋敷に住み着く名の知れたゴーストであった為、野生の頃の元住処であったポケモン屋敷が懐かしいのだろう。
ゲンガーの野生時代を知っているポケモンがいたのかゴーストタイプのポケモンはこちらに気づくと慌てて逃げていくので、カオルとしてはバトルに時間を取られる事もなく探索に集中できるのでゲンガーに感謝した。
直接伝えると調子に乗ってイタズラをして面倒ごとが増えるので心の中でだが。
カオルは研究室の小部屋に入った。
資料室だったのか、6畳程の広さの壁に沿う様に白のスチール棚の中には分厚いファイルがまばらに入れられ、床には元々ファイルの中に収まっていたと思われる紙が複数枚散らばっており、紙には事細かに文字が書かれていたり、白黒の写真が貼られている為、研究内容が書かれているのだと思われる。
荒らされ具合から察するに研究資料目的ではなく、金目の物がないか探りに来たチンピラが行ったんだろう。カオルは深くため息をつきながら床に散らばった研究資料を拾い集め、内容を1枚1枚確認していくが、ポケモンの他種族同士の交配でおこる技の遺伝や石や道具によって進化するポケモンの遺伝子について等どれもすでにカオルが発表した又は発表されている研究内容でミュウの遺伝子に関する資料やカオルが回収したい
集めた研究資料を適当に選んだファイルに収めてスチール棚に戻し、他のファイルを確認していくが、カオルが求める情報は一つもなかった。
カオルは最後のファイルの中身を確認し、次はどの部屋を探索するか脳内で地下研究室の地図を広げ、吟味していたその時だった。
「ここで何してるんだ」
カオルは聞き覚えのありすぎる声に一瞬思考が停止したが、直ぐにどう切り抜けるかを考えながら振り返る。
そこには、険しい表情をしながらしながらこちらを睨みつけるカントー地方の男主人公、レッドがいた。
さりげなく、影に潜んでいるゲンガーに靴のかかとを二回鳴らし、様子を見るように指示をして、レッドに向き合う。
「ヤマブキシティ以来だね。このポケモン屋敷に何の用事があるんだい」
「それは俺が聞きたいんだけど」
「ただの確認だよ。まあ、思った通り無駄足になりそうだけど」
首を傾げ、笑うカオルに益々顔をしかめるレッドに今の自分の見た目とそれほど歳が変わらないのにもかかわらず、若いなあ。と思いつつ、どう逃走するか考える。この部屋の唯一の出入り口はレッドがいる為、距離的に脱出は不可能であり、カオルの取れる手段はレッドを制圧して逃走する事である。
カオルは内心で溜息を吐き、自分のタイミングの悪さを嘆いたが、切り替える。
カオルの雰囲気が変わったのが分かったのか、レッドが後ずさると、レッドの後ろにある操作パネルに気づいたカオルはまずい。と思い、声をかけようとするが遅かった。
ビーッという機械音がした後、部屋の出口が防壁によって塞がれる。
最悪だ。
カオルはレッドのせいで閉じてしまった防壁を見ながら内心で悪態をついた。
このポケモン屋敷にある地下研究室は複数のセキュリティがある。その中でも防壁は一度発動してしまえば他の防壁も連動する仕組みになっている為、防壁一つ破ったとしても、他の防壁も閉じている可能性が高い。研究室の中にいる人間よりもデータを優先するとんでもない仕組みだが、それ程この研究室でおこなわれたミュウの子供に遺伝子改造を施す研究はポケモン保護法だけではなく、論理的に大きく外れた事であったのが良く分かる。
あからさまに溜息を吐いたカオルはレットに向き合う。
防壁が閉じた事に驚いて固まっていた様子であったが、カオルが顔を向けたことにより、身構える様子が見られる。
「……色々と文句はあるけど、休戦しよう」
「休戦?」
「私は君に邪魔されることなく、この地下研究室を探索する。君は私が防壁を解除してくれるから地下研究室を移動できる。いい取引だと思うけど。…ちなみにこの防壁は君のリザードンやカビゴンでも破れないし、破れたとしても連動式だから他の防壁も閉じていると思うよ。まあ、君がハッキングできるんだったら別だけど」
「……分かった」
レッドが顔をしかめながらも、カオルの言葉に了承する。
カオルが語る防壁の情報が嘘であるかどうかを確かめないあたり馬鹿だとは思うが、今回は嘘は一つもない為、スムーズに取引できたのでカオルは指摘しなかった。
カオルの影に潜んでいたゲンガーはちょっとつまらなさそうに影から出てきて姿を現す。
ゲンガーの登場により一瞬身構えたレッドにどいてもらい、持ってきた機械をつなげて操作パネルを確認する。
前にミュウツーの資料を探しに来た時にハッキングしていたので、機械が壊れていない限りそれ程苦労はない。
それよりも、カオルが気になったのはピカチュウがゲンガーを射殺さんと睨んでいる事である。
出会った最初がパートナーの体温を奪って膝をつかしたのがよほど屈辱であったのだろうから理解ができるのだが、そんな反応をしていたらゲンガーが面白がるからやめてほしいとカオルは思った。
現にシシ、と笑いながらカオルとピカチュウに視線が行ったり来たりしている。
それが、遊んでいい?遊んでいい?と聞いているようでカオルはゲンガーの脇腹付近を小突く。
せっかく休戦協定を結べたというのに余計な事をするなという意味が伝わったのか、ゲンガーは残念そうな顔をしながらカオルの腰に引っ付き、ピカチュウとレッドをじっと見つめていた。
ゲンガーに見つめられ、ピカチュウが唸り声を上げているのを必死でなだめているレッド。
その様子に更に面白がるゲンガー。
ハッキングに集中できないから切実にやめて欲しいとカオルは思った。
「ゲンガーを引っ込めて他のポケモンに交代する事って、」
「私が君を気遣うと思う?」
カオルの一言で黙り込んだレッドを笑うゲンガーの声を聴きながら作業を進める。
ヤドランに交代してもいいとは思うが、素直にゲンガーが引っ込むとは思えないのでそのまま放置し、機械を操作する。
幸いと言っていいのか分からないが機械は大きく故障しているところはなく、簡単にハッキングで防壁を解除する事が出来た。
カオルは地下研究室の通路に出て、廊下の両側を確認する。
約10m間隔で防壁が通路を塞いでおり1つ1つ横のパネルにハッキングして開けていくのは手間だが、探索を続ける為には仕方がない。
「で、先に君を外に送り出そうか?」
「断る。俺がこのまま帰った後もポケモン屋敷を探索するんだろ?その場合、警察とカツラさんを呼ぶ」
「少しは考える様になったね」
相変わらず危機感のない子だな、このレッドは。
カオルは心の中で思いながらも口には出さなかった。
レッドがとるべき最善の方法はこのままカオルの提案通りポケモン屋敷をでて警察とグレンタウンのカツラを呼ぶことだ。そうなった場合、カオルは探索を中止せざるをえない上にほとぼりが冷めるまでポケモン屋敷に近づく事が出来ないのでカオルの探索を阻止する事が出来る。
カオルの探索についていくとなるとレッドを攻撃したり、わざと防壁の中に閉じ込められたりと何時身の危険がおこるか分からないという事をレッドは理解しているだろうか。
恐らくだが、このままカオルがポケモン屋敷で妙な真似をしない様に見張りたいのだと思うが、ヤマブキシティの1件で学習してほしかったと思いながらもカオルは研究室の奥に続く通路を塞ぐ防壁を解除しにかかる。
カオルは計画の為にもレッドの正義感とポケモンバトルの才能が必要である為、此処でレッドを消すような真似はしないが、当初の計画であるミュウツーを確保していれば此処で消していた可能性がある事に気づき、これが主人公補正かと感心した。
1つ1つの部屋を確認していくカオルに1つの不審な動作も見逃さないとばかりに一定の距離を取りながら見つめてくるレッドにカオルは鬱陶しさを感じながらも無視する。
どれ程の時間一緒に探索していただろうか。カオルが最奥の防壁にハッキングしながらこれは予想通り無駄足になりそうだと思いながら防壁を開けた時だった。
「うわっ!」
防壁が開いた途端、防壁の向こうから誰かが出てきた。
ゲンガーはカオルを守る為に前に出る。ピカチュウも突然の他者の登場にレッドの肩で電気袋の電気を僅かに出し、戦闘態勢になる。
出てきた人物は黒と紺色のぼさぼさの髪にフレームの太い眼鏡をかけ、黒のパーカーの上に白衣を着た20代前後の男性だった。
服から察するにポケモン屋敷の研究資料目当てにやってきた研究者だろう。
その研究者を守るように飛び出してきたのはカントー地方では生息していない目つきが鋭く紺の鬣に水色の胴体、しっぽの先は黄色の星があるがんこうポケモン、レントラーだ。
レントラーは突然現れたカオル達に唸り声を上げ、威嚇している。
ポケモン図鑑を取り出したレッドだが、不明と表示され首を傾げている。
如何やらレッドのポケモン図鑑は全国図鑑ではないらしい。
このポケモン世界にきてから調べた全国図鑑にはカオルの知らないポケモンも多く、知った瞬間ネタバレにあったような感覚になったが、そもそも現実世界に帰れる保証はないので仕方ない事だと割り切った。
レントラーはシンオウ地方に多く生息しており、がんこうポケモンの名の通り目つきが鋭く攻撃的なポケモンである。他地方のポケモンを連れているという事は他地方から研究目的で来日した研究者である可能性が高い。
他地方のポケモンを輸入するのは自地方のポケモンの環境バランスを崩すとして10年前に国際条約で全ポケモン輸出輸入禁止法を定めて以来、その地方の元々生息しているポケモン以外のポケモンの他地方の出入りを禁止している。
ただし、例外もある。
カントー地方やジョウト地方の様に陸続きで昔からポケモンが往来している土地柄である場合、2つの地方のポケモンに生息するポケモンは互いの地方に輸出輸入が許可されている。さらに他地方のポケモントレーナーや留学生、観光客等の所有するポケモンは地方に入る際又は現地でポケモンボックスを操作した時にどのポケモンが引き出されたか、手持ちポケモンは何か等事細かに記録される。そして、地方から出る際に記録上のポケモンの数と種類が合わなければ別室で事情聴取し、最悪の場合逮捕される可能性がある。
ポケモンを交換する際にポケモンセンターにある機械に通さず直接交換した時も違法なポケモン交換となり逮捕されるので、トレーナー資格を貰った際に入念に説明される。
そういうポケモン世界の事情もありカオルは20代前後の男性を研究目的で来日したと予想したのだ。
「待ってくれ、レントラー!オレは大丈夫だから」
男性は慌ててカオルとレッド達に威嚇する自身のポケモンであるレントラーに制止の声を上げる。
レントラーは不服そうにしながらも男性の言う通りに威嚇をやめて、立ち上がった男性の横に移動し、何時でもカオルとレッド達に襲い掛かれる様にしている。
気性が荒いが懐けば従順な事が多いレントラーの行動が男性がいいトレーナーである事をカオルは知った。
少し厄介な事になったかもしれない。
カオルは内心でそう思いながらもレッドが口を開く前に男性に声をかけた。
「もしかして、貴方はこの部屋に閉じ込められていたのかい?」
「そうなんだ!シンオウ地方からカントー地方のポケモンの調査に来た際、このポケモン屋敷が元々はフジ博士という博士の屋敷で地下の研究室に色々な研究資料が眠っているという話を聞いてきたんだけれど、この部屋を探索中に急に防壁が閉まってどんなポケモンの攻撃でも破る事が出来なくってこのまま誰にも助けられず手持ちポケモンと共に餓死するんじゃないかって防壁にもたれかかりながら考えていたら防壁が開いて君たちの前にでてしまったんだ。いやー、お見苦しいところを見せてすまないね!」
カオルはよくしゃべるな、コイツ。という感想を持ちながら防壁が閉まった元凶であるレッドを見ると気まずそうに眼が泳いでいた。
レッドがフジ老人の名に反応しなかったのはカオルにとって不幸中の幸いだが、しゃべりすぎる印象が強いこの男性と長居したくない為、カオルは男性の話に相槌を打ちながら部屋の中を探索する。
部屋の中には大きな水槽の様な物が1つあり、複数の機械のコードがつながっているので此処でミュウの子供であるミュウツーに遺伝子改造を施したのだろうとカオルは予想している。
機械類が多く、紙の資料は一切ないのでカオルは起動されていたパソコンのデータを調べる。
中に入っていたのはポケモンの生物データであり、数値から予測するにミュウとミュウツーの物である事が分かる。
「見た事のない数値だよね!?此処で新種のポケモンの研究が行われていた事は分かるんだけど、そのポケモンは一体どこに行ったんだろ?博士が失踪して野生ポケモンの巣窟になって以来、何人ものトレーナーや研究者が出入りしていると聞いていたけれど、新種のポケモンを見たっていう情報はないし、もしかしたら博士がどこかに逃がしたのかも。でも、研究者なら新種のポケモンに名前を付けて世に出したいと思うはずだからオレ、訳分からなくて…。君はどう思う!?」
「知るか」
カオルは男性のあまりの鬱陶しさに思わず本音が出た。
このポケモン屋敷で起こった出来事をカオルは全て知っているが、この男性に教える義理はない上に、この場にはレッドもいる。下手な事を言うつもりはなかった。
男性はカオルの返答に落ち込んだように肩を落とす。男性のレントラーはまたやってるよ。とジト目で主人である男性を見つめ、カオルの影から体を半分ほどだし、腰に抱き着いていたゲンガーは男性を見て笑い、レッドとピカチュウは男性にドン引きした様子を見せている。
場が混沌と化してもなお男性は肩掛けカバンから何かのファイルを取り出し、呟くように言った。
「だって可笑しいじゃないか。このファイルによるとこのポケモン屋敷の研究室は多額の資金援助を受けている。援助してくれた人に新種のポケモンの話をしているのであれば、世に発表するべきだよ」
カオルは男性の言葉にパソコンを操作していた手を一瞬止めて、レッドに動揺を悟られない様に素知らぬ顔で操作を続けるが、パソコンのデータの内容はもはや頭に入らず、どうやって男性が持つファイルを奪うか思考を回す。
カオルにとってミュウとミュウツーの研究費は何処から出ていたか、誰が出していたのかを長年知りたかった事だった。
勿論、フジ老人が自費で研究していた可能性があったが、フジ博士だった頃の口座や所属していた研究団体の口座等を調べてもミュウとミュウツーに使ったと思われる研究費の金の流れがなかった為、誰かが資金援助していた可能性が高い。
その場合、何処かに必ず裏帳簿がある筈なのだ。
カオルがどんなに調べても掴む事のできなかった答えがすぐそばにある。
「まあ、閉じこめられていた時にいくら考えても思い浮かばなかったんでこのファイルは此処に置いていこうと思います」
「それ、私にも見せてくれるかい?」
「?いいですけど、研究費を何に使ったとかばっかりでポケモンの事なんて一切書かれてませんよ?」
男性は少し食い気味に言ったカオルにファイルを渡した。
カオルは素早く中身を確認すると確信した。
それは間違いなく、裏帳簿だった。
カオルは覚えている限りの虚偽の表帳簿と照らし合わせ、間違いがない事を確認すると資金援助をしていたのが誰なのか一文字も余すことなく確認し、見覚えのある数字が目に飛び込んできた。
その数字は銀行の口座番号だ。
カオルはそのファイルを閉じ、ハッキングに使う機械が入っている防水性のカバンに入れた。
「そのファイル、どうするの?」
「レッド君には関係ない事さ」
レッドの言葉に冷たく返すカオルとレッドの間には一触即発な空気が流れた。
このファイルはカオルにとって何としても確保しておきたいものであり、このまま地下研究室に置いて帰るわけにはいかない。
だが、カオルを見張っているレッドが黙って持っていく事を許すはずもなかった。
腰にあるボールホルダーに手が伸びた瞬間だった。
「まあまあ、二人とも落ち着いて!」
痛いほどの沈黙を破るようにカオルとレッドの間に身を滑り込ませた男性はそう声を上げる。
カオルはそういえばコイツいたな。と短い間で忘れ去っていた男性を思い出した。
レッドも間に入られては無視できないと思ったのか、ボールホルダーから手が離れる。
男性はカオルとレッドが聞く体制なったと判断したのか、ホッとした表情をしながら言葉を続ける。
「君があのファイルを手に入れたいのは分かったけれど、もう1人は納得していないようだし、さっきのファイルを彼に見せたらいいじゃないか!もう1人も欲しいようであればバトルすればいい!!これで平等だ!」
いい事言った。みたいな表情をする男性にカオルは何言ってんだ、コイツ。と思ったが口には出さなかった。
仮にレッドに見てもらう為に渡したとしてもそのままカオルに渡さずに持ち帰ろうとするだろう。その場合、レッドは警察かカツラにファイルを提出するはずだ。
そうなった場合、受け取った警察又はカツラと共にレッドが闇に葬られる可能性が高い。
それほどこの裏帳簿は闇深き道具だ。
不本意だがレッドや顔も見た事のない警察とカツラの命の為にも渡すわけにはいかない。
だが、此処で拒否をすればレッドだけではなく男性も相手にしなくてはならないのが面倒である。
まあ、いっか。
カオルはファイルを取り返す策はすでに整っている為、一度バックにしまったファイルを取り出し、レッドに渡した。
レッドは割とあっさりファイルを渡された事に一瞬戸惑った様子を見せたが、ファイルの中身を確認し、首を傾げた。レッドの肩にいるピカチュウも覗き込み、首を傾げる。
その様子にレッドが内容を理解していないと察した男性は苦笑する。
内容をあまり読んでいないだろうと思われるスピードで読み進めたレッドはファイルを閉じて口を開こうとした時にカオルは先手を打つ。
「レッド君、取引をしよう」
「取引?」
「そのファイルを1ページもかけることなく私に渡してくれるのであれば地上までの防壁を解除しよう」
レッドは怪訝な表情をする。
この地下研究室の一室でかわした最初の取引があるのにカオルがどうして再び取引を持ち掛けたか理解できないのだろう。
カオルはレッドに分かるように説明する。
「最初の取引の内容を覚えていないのかい?私は君に邪魔されることなく、この地下研究室を探索する。君は私が防壁を解除してくれるから地下研究室を移動できる。
盛大に顔を顰めたレッドを見ながらカオルは笑った。
本来なら帰り道まで保証していたのだが、こうなってしまっては揚げ足を取らなければならない。カオルは続けていった。
「ちなみに私はテレポート用のポケモンを連れているからここから1人でも出られるからよく考えた方がいい」
言外に男性と共に置き去りにする。と言うとレッドは渋々といった様子でファイルを差し出してきた。
カオルはファイルをレッドからひったくり、念の為中身がそろっている事を確認した後、部屋から出ていく。カオルの後にカオルを睨みながらもレッドは後を追う。2人を見ていた男性も慌ててレントラーと共についてくる。
カオルの影からゲンガーの笑い声が聞こえるが、カオルは無視してまっすぐ地下研究室の出口へと歩いて行った。
カオルのハッキングで残りの防壁を開けてようやく3人は地下から屋敷内に戻った。
「2人とも有難う!オレはこれで失礼するよ!」
喧嘩は程ほどにね!とカオルとレッドに流れる不穏な空気を喧嘩と称した男性は嵐の様に去っていた。カオルは呆れながらも、裏帳簿を見つけたのは男性のおかげなので聞き流した。
カオルはレッドに振り向かずに屋敷の外へ続く扉へと歩いていく。
「……言いたい事があるんだけど」
「ファイルなら渡さないよ」
「その事じゃない」
じゃあ、どれだよ。とカオルは思ったが、ファイルを奪う気がないのならと顔だけ動かしてレッドを見る。
相変わらず不機嫌なピカチュウと真剣な表情のレッドと視線が交わる。
レッドは聞く気になったカオルに向かって言葉を放った。
「あなたはそんなに強いのにどうしてポケモンマフィアになったんだ」
その言葉を聞いた瞬間、レッドの言いたい事がくだらない話だと判断したカオルは顔をポケモン屋敷の扉に向け、足を動かした。
カオルの行動を気にせずレッドは言葉を続ける。
「あなたのその強さはポケモンが支えてくれるからだ。ポケモン達があなたを好きだから」
カオルはレッドの言葉に答えず、ポケモン屋敷から出て行った。
ポケモン屋敷を出たカオルは入った時には降ってなかった雨を見て顔をしかめながらも機械と裏帳簿は防水性のカバンに入ってる為、濡れる事は無い。ただし、カオル自身に雨具がないが。
カオルは仕方がないと雨に濡れるのも気にせず歩きながら先程のレッドの言葉を頭の中で繰り返し、ばかばかしいと嘲笑った。
私の手持ちが私の事が好きねえ。
カオルの指示を聞いている限り、嫌ってはいないだろうという事はカオルも理解している。だが、それがどうしたというのだろうか。カオルはレッドの言葉の意味を理解できなかった。
カオルは視線をボールホルダーに収まっているハイパーボールに向けた。
カオルのボールホルダーにある唯一のハイパーボールは傷だらけで他のモンスターボールとは明らかに年月が経っている事をうかがわせる。
「少なくとも君はそんな下らない感情で私の元にいる訳ではないよね、バンギラス」
ハイパーボール越しに視線をかわしたゴツゴツした緑色の鎧に覆われた鎧ポケモン、バンギラスのカオルへの眼差しは好意を抱いているとは思えない程に敵意にあふれていた。
バンギラスの様子を見てカオルは自然と口角が上がった。