もし矛盾などがあれば指摘してくれると嬉しいです。
「わー、わーっ!」
冬の寒気が和らいできたうららかな春の朝。
リビングでコーヒー片手に新聞を読む僕の耳に届いたのは、愛しい婚約者の叫び声だった。
かと思えば、寝室の方からドッタンバッタンと慌ただしい喧噪が聞こえてくる。
あ、今痛そうな音がした。
……湿布でも用意しておこうかな。
そう思って立ち上がった矢先、
「んもぉ~、何で起こしてくれないの、晴彦くん!」
ドアが開き、ぷくぅっと頬を膨らませた女性が現れた。
亜麻色の美しい髪を後ろでひとつにまとめたその出で立ちは清楚な大和撫子。もちろん内面もかわいらしい人だ。
痛みをこらえているのか、その肩はぷるぷると震えていたけど。
「今日は大事な日だから、寝不足で過ごすのはもったいないと思って」
それにいつも時間に余裕を持って起きているから、別に遅刻ってわけじゃないし。
ちょっと朝の支度を急げば十分間に合う時間帯だ。
「う……ごめんなさい。晴彦くんも寝不足のはずなのに……」
「大丈夫だよ」
昨夜、なかなか寝付けない大和の相手をしてたから、確かに俺の睡眠時間は大和よりも少ない。だけど、そこは男の意地ということで。普段頼りがいのある婚約者を持つと、こういうところでないと見栄を張れないのだ。
ちなみに眠れなかった理由は、今日が楽しみだったかららしい。遠足前の子どもみたいだとか思ってはいけない。
「ところで痛そうな音がしたけど、大丈夫? 湿布いる?」
「大丈夫です。ちょっとすねをベッドにぶつけただけだから。それに女将が初日から湿布の匂いをさせてちゃしまらないでしょう?」
そう言って洗面所に入っていく大和。
婚約者のたなびく髪を眺めつつ、ふわぁ、とあくびを一つする。
そして、持ち上げた腰を動かしてキッチンに向かった。
――朝ご飯は大和の好きな小倉トーストにしよう。
●●●
ここ数年で活気を取り戻した港町。そこを出て舗装された道路を山並みに進んでいくと、奥に長い二階建ての建物が見えてくる。
あれが僕らの職場だ。
外観を雪のような純白で塗られ、どこかヨーロッパの湖畔に建っていそうな雰囲気を醸し出している。
その建物の裏、従業員用の駐車場に入ったところで、違和感に気づいた。
「いつもよりもみんな、来るのが早くないかしら?」
それは大和も同じらしく、助手席からそう問いかけてくる。
彼女の言う通り、普段ならまだ半分ぐらいしか埋まっていない駐車場が、今日は僕たちの一台分を残して全部埋まっていた。
「みんな、今日が初日だから張り切ってるんじゃないかな?」
「いつもこれぐらい早かったらいいのに」
「はは……」
他愛もない会話をしながら、裏口から洋館の中に入っていく。
二人で並んで入ったエントランスにはこの洋館の全従業員が集まっていた。
それぞれの持ち場にいると思っていた僕たちは、ぽかんと口を開けて固まってしまう。
あれ、普段の点呼の時間までまだ時間あるよね?
壁に掛かった時計をチェックしても、まだ朝の点呼十五分前だという事実は変わらない。
「どういうこと?」
「さぁ……」
二人して顔を見合わせる。
「ほら、大和さん」
「マネージャーもこっちこっち!」
そんな僕たちを、駆け寄ってきた舞風と野分は強引に引っ張っていく。
あれよあれよという間にみんなの前に連れ出された俺たちの目には、これまで協力し続けてくれた仲間たちの姿があった。
「「「おめでとー!」」」
お祝いの言葉とともに鳴らされるいくつものクラッカー。飛び出た紙吹雪が、華の柄をあしらった絨毯の上に彩りを添えていく。
これからすぐお客さんがくるから掃除が大変そうだ。なんて思うのは野暮だろう。
いつもは凛としている矢矧は口元が緩み、雪風はもうワクワクが止まらないといった様子だ。
その一歩引いた場所では、鳳翔さんが慈母のような笑みを浮かべてその姿を眺めている。
と、僕の視線に気づいたらしい鳳翔さんと目があった。
「……」
深まった彼女の笑みに、母親が授業参観を見に来た時のような照れくささを感じて思わず目をそらしてしまった。
視線をそらした先、大和の目尻にはこらえきれなかったのか、透明なしずくが浮かんでいる。
それまでの気恥ずかしさを忘れ、僕は密かに喜んだ。
数年前まで、彼女の涙は仲間の死のためにあるものだった。悲しさの象徴だった。
だが、今の大和は記念すべきこの日を祝ってもらったうれしさで涙を流している。
――あぁ、ここまで頑張ってきてよかった。
今一度そう思う。
「あ、えと、ごめんなさい」
僕がその横顔を眺めていることに気づいた大和が、はっとしたように涙をぬぐった。
でも、いくらぬぐっても止まらなくて、ついに嗚咽まで漏れてしまう。
……それならば今日は僕が前に立とう。せめて落ち着くまでの時間稼ぎはしておくよ。
人間と艦娘。子どもの頃からいつも追いかけてきた彼女の隣から、半歩前に出る。
まだ状況が読み込めていない大和が「えっ、えっ」と慌てているのを感じながら、僕は口を開いた。
なるべくゆっくり、不自然さを感じさせない程度に。
「……目を閉じれば、今までの思い出が浮かび上がってくるようだよ。
家具の配置でケンカすることがあったね。予算オーバーしそうになって夜遅くまで議論したこともあった。花言葉を知らずにリンドウを飾ろうとして、怒られたこともあった。
でも、今日という日を笑顔で迎えられたことを心から嬉しく思うよ。ね、大和」
隣に語りかければ、すっと寄り添うように並んでくれる大和。
いつの間にか涙は引き、その横顔はかつて戦いに赴いていた時のように引き締まっていた。
あの頃と違うのは、口元に微笑を浮かべていること。
死地に赴く儚さではなく、未来に思いを委ねた希望の笑みを。
「はい、わたしたち二人の力では不可能でした。月並みですが、皆さんの力があってこそわたしの夢を叶えることが出来ました。本当にありがとうございます」
「こちらこそです!」
「ああ、私たちに仕事をくれてありがとう」
深々と頭を下げる大和の言葉に、彼女を見ている従業員から声がかかった。
そのことで涙腺が緩んだのか、また涙をこぼす大和。
だが、今度はすぐに深呼吸して落ち着いてから、震える声で言葉を紡いだ。
「――思えば、全てはわたしのわがままから始まったことでした」
わがままなんかじゃない。あのとき小学生だった僕が言うのもおこがましいけど、大和があのとき抱いていたのは立派な夢だった。
でも、終わらない戦いの中では、将来の夢さえもわがままにしてしまう。
「そのわがままに晴彦さんが加わって、雪風ちゃんが協力してくれて、鳳翔さんが応援してくれて……そんな風に一人、また一人と手を貸してくれる人が増えてきて、気がつけばわたしだけのわがままは全員で実現したい夢となっていました。
――そしてわたしたちの夢は今ここに叶いました」
大和の視線の先にはこだわってこだわり抜いた内装、僕らを支えてくれた仲間たち、そしてこれからお客様を通すであろうエントランスゲート。その全てに彼女の夢が詰まっていた。
「でも、わがままなわたしはまた夢を見てしまいました。ここを訪れた全てのお客様を笑顔にしたい、という夢を」
――協力してくれますか?
その問いかけに応える声はない。
代わりに、大きな大きな拍手がエントランスに響き渡る。
そんな彼、彼女らの思いを受けた大和は豊かな胸に右手を当て、再び大きく深呼吸。
その手を勢いよく前に出し、こう叫んだ。
「大和ホテル、押して参りましょう!」
……一応ここ、旅館『大和』だからね。
こうして大和と僕、そして仲間たちによる新しい生活がスタートしたのであった。
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