※自分の中で納得がいかない部分があるので、もしかしたら後日修正するかもしれません。
まず目に入るのは、桜の意匠をあしらったソファーに寝心地の良さそうなシングルベッド二つ。レースのカーテンが垂れる窓の向こうには、穏やかな海が白い輝きを放っていた。
派手な色、ではなく比較的落ち着いた色でまとめ上げたそれらの家具は、見ているだけでも心を和ませるに違いない。。
大和が考える居住性を余すことなく再現した結果だ。
そして、この部屋に宿泊する最初のお客さまは、ずいぶんと前から決まっていた。
「こちらが本日ご用意させていただいた『しおさい』のお部屋です」
「おぉ、すばらしいな。そう思わんか、加賀」
「そうですね。気分が高揚します」
部屋に入るなり、雪のような白い髭をたくわえた老人と、サイドテールの女性が感嘆したような声を漏らす。
老人の名は海道桐史、女性の名は加賀という。
彼らこそがこの旅館を最初に訪れる訪問者であり、大和と晴彦の背中を見守り続けてくれた恩人でもあった。
大和たちが四月の中旬という微妙な時期に旅館をスタートさせたのは、彼らの都合に配慮してのことだ。
「ありがとうございます、海道大将」
「よせよせ、今はもうただの老いぼれじゃ」
「私たちにとってはあなたが大将です。海道大将が引退したあとの和平交渉に私はほとんど参加しませんでしたし」
「かははっ、嬉しいことを言ってくれるわい」
顔をゆがめて笑うこの老人が『赤狼の海道』と呼ばれ恐れられていたとは想像しづらいだろう。
かつて毎日のように目にしていた仏頂面が、今では見る影もない。まるで憑きものが落ちたかのように穏やかな顔つきになっていた。
「大将は変わられましたね」
あまりの変わりように、思わず大和の口からそんな言葉が漏れる。
「そうかの?」
そう彼が問いかけるのは隣にいる背の高い女性。
返事を求められた加賀は、表情一つ変えずに問いに答えた。
「はい。旦那様はよく笑うようになられました」
「……そうかの」
今度は照れが出たのか、ぶっきらぼうに言う桐史。
加賀はその様子を愛おしそうに眺めている。
二人の仲がいいのは海軍時代から有名だったが、本当に結婚してからはさらに親密になっているようだ。
大和はそんな二人を、羨望の混じった目で見ていた。
「うらやましそうね」
海軍時代には一度海に出れば、どこに隠れた敵も見つけ出すと言われていた空母加賀。
そんな彼女がすぐそばにいる大和の表情を見逃すはずがなかった。
「そ、そそそそんなことありませんよ?」
図星をつかれた大和は、目をきょろきょろと動かして困惑する。バレバレである。
大和の様子にいろいろ悟った桐史と加賀は、驚きに目を見開いた。
「なんじゃ、あいつはプロポーズもまだ渡しとらんのか?」
「意外ですね。彼がまだ行動していないなんて」
不思議そうに首をかしげる二人。
彼らにとって、一崎晴彦という少年は覚悟と行動力に秀でた人物だ。
それは海軍学校を主席で卒業したにも関わらず、愛する人のためを思って一般大学に入学した彼の過去を知っているためであった。
驚愕する二人の脇で、自分に責がある――とは言い過ぎだが、自分がこの状況を作り出したことを自覚している大和は滝のような冷や汗を流していた。
「大和、何か知ってるの?」
そしてばれる。
かつて修羅と呼ばれていた姿は見る影もない。
部屋の中、そして身内しかいないという環境で完全にプライベートモードになってしまっている大和だった。
「あの~、いえ、それがですね……」
加賀の視線に耐えきれず、ついと目をそらした。
しかし、そらした先には何かを企んでいるような桐史の顔。
更に逃げるようにちらりと扉を見たところで、がしっと左腕を包まれる。
「話してみなさい」
「は、はい……」
こうなっては逃げられない。
建造当時からお世話になっていた鳳翔が大和にとっての母代わりなら、加賀は年の離れた姉のような存在だ。大和が逆らえる道理はなかった。
ただ、最後の抵抗として、これだけは言っておく。
「あの……笑わないでくださいね?」
●●●
「かはははははっ!」
「ふふっ」
『しおさい』の間は、明るい笑い声にあふれていた。
「んもぉ~、二人とも、笑わないでくださいよ!」
ふくれっ面の大和が抗議の声を上げると、笑い声はしぼんでく。
だが、二人の顔に浮かんだ笑みが消えることはなかった。
「仕方ないじゃろ。まさかまだ結婚してない理由がそんなしょうもないことだとは思ってなかったわい」
「けど、気持ちはわかります。私もできることなら、旦那様と一緒に年を取りたいですから」
艦娘は解体することで人間になることができるが、人間になるときの肉体年齢はそれぞれの艦によって決まっている。これは見た目に大きく関係しており、駆逐艦はかなり幼い年齢に、戦艦なら成人以上といった風に。
その中でも大和の肉体は、解体すれば二十五歳になると大本営から知らされていた。
今の晴彦の年齢は二十四歳。結婚するのは彼が同い年になったときだと、大和は以前から決めていたのだった。
もちろんそのことを彼女の婚約者は知っており、理解している。
ただ、改めて他人に話すとなると大和はとても恥ずかしかった。
「ごゆるりとおくつろぎくださいませ!」
羞恥で赤くなった顔を隠そうともせず、大和は部屋を出て行こうとする。
旅館の女将としてそれでいのかと加賀は思ったが、言えばかわいい妹分を追い詰めることになるので口にしなかった。
「あぁ、ちょっと待たんか、大和」
だが、加賀の旦那様はまだ言いたいことがあるらしい。
「何ですかっ?」
頬を膨らませたまま、声をかけられた大和は振り返る。
そんな彼女に、桐史は優しい笑みを浮かべて口を開いた。
「――よくがんばったな、大和」
「……っ。…………ご、ごゆるりとおくつろぎなさいませ」
今度は耳まで真っ赤にして、大和は深々と頭を下げた。
透明なしずくがぽとりと落ちて絨毯にシミを作る。
それを隠すように、彼女は足早に出て行った。
「女性を泣かせるなんてダメな人ですね、旦那様は」
「わしだって好きで泣かせたわけじゃないわい」
ふん、と鼻を鳴らしてそっぽをむく大将。
その仕草は加賀の知る妹分にそっくりで、彼女は密かにほほえんだ。
やはり親子というのは似るのだろうか。決して血がつながってなかろうとも。
「はい、分かっております」
「ったく、こやつは……」
愚痴をこぼしながら、桐史は大和が去った扉に目を向ける。
加賀もつられてそちらを向く。
しばらくの間二人は締め切られたドアを見つめていた。その瞳に様々な感情を浮かべて。
●●●
同時刻。
「はくしょん!」
「一崎、風邪か?」
「いや、誰かが噂してるんだと思うよ」
主に大和と海道大将、加賀さんが。
二人は僕らが旅館を夢見た頃――つまりは戦時中―に、―笑わずに僕らの話を聞いてくれた数少ない人物だ。
そんな彼らは、大和が心を込めて作った部屋を喜んでくれるだろうか。
……二人とも満面の笑みを浮かべて賞賛する姿が目に浮かんだ。
あの人たち、なんだかんだ大和に甘いからなぁ。
「それなら大将たちだろうな」
隣に座る、スーツを着込んだ矢矧が得心したように頷いた。その拍子に大和と同じポニーテールがふわりと揺れる。
今僕たちがやっているのがフロント。主にお客様のチェックイン・チェックアウトに関することを行うのが仕事だ。
他にも部屋の準備やお客さまの案内をする客室係、中庭にあるカフェなどのエキセトラを担当するホール、お客様に料理を提供する調理、裏方全般を担当する事務がある。
そのどれもに艦娘が必ず一人は配置されているのが、この旅館の最大の特徴と言えよう。
それにしても、周りに人がいなくてよかった。さすがにお客様の前でくしゃみなんてしたくないからね。
「行かないのか?」
「矢矧こそ」
「フロントに誰もいないのは問題だろう」
「いや、それなら僕が残ってた方が……」
議論は平行線。
あっちに譲る気はなさそうだ。ちなみに僕もない。
そんなとき、自動扉が軽い音を立てて開いた。
扉の向こうから差し込む太陽が、人影を浮かび上がらせる。
――人数は二人、どっちも女性か。『ゆうなぎ』の部屋に宿泊予定の斉藤さまかな?
考えを巡らせつつ、僕は矢矧と声を合わせてこう言った。
「「いらっしゃいませ、旅館『大和』へようこそ!」」
……今は、海道大将と話すのは大和だけでいい。
いつか、自分が一人前になれたと思ったときに会いに行くつもりだから。
だから、それまで待っててください。
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