「‥‥‥あの」
深夜。横須賀基地の外のコンビニエンスストア。その駐車場に設置されている公衆電話で声を殺して話す少女。頭からフードを被り、その顔は確認できない。
『漣、ね?』
電話の向こうから聞こえてくるのは、あの足木記者の声。あれからもう数ヵ月。漣はこうして時々足木と連絡を取っていた。基地の警備の穴は既に把握済みだし、海を経由してしまえば脱出は容易。艤装も足のもののみで、何時かのようにスケートの要領で燃料無しで走って来ている。
日々募っていく不安。今行っている訓練とたまにある出撃のみで、果たして南方棲戦姫に勝てるのかどうか。今まで相手にしてきた深海棲艦はどう見たって下っ端だ。国連軍が残した対南方棲戦姫の映像を見る限り、その戦闘力は比較にならない。
確かに自分達の砲は深海棲艦に通じるが、初期の頃と比べてもの凄く強くなったという訳でもない。
只でさえいつ死ぬか分からない恐怖が付き纏う。海軍には相談するだけ無駄。吹雪や雷には言えない。二人ともきっと同じような感情を持ってはいるだろうが、二人は必死にそれを克服しようと頑張っている。そんな二人の足を引っ張るような言葉は、結局言えなかった。
「南方棲戦姫が‥‥‥見つかって」
『‥‥‥そう』
海軍に繋りの無い外部の人間で連絡をとれる人物。漣には一人しか居なかった。今ではこうして時々辛さや恐怖を話す。勿論、書いても問題ない部分は了解を得て記事にしたりもするが、話の大部分、重要な部分は足木も記事にはしない。その積み重ねが、今の漣と足木の状態を生み出している。
「私‥‥‥勝てないです。あんな化け物になんて、勝てっこない‥‥‥」
涙で視界に映る電話器はぼやけ、声も掠れる。『他の二人には?』という足木に、嗚咽を洩らしながら応える。
「言えない‥‥‥言えないよ‥‥‥私‥‥‥死にたくない‥‥‥」
吹雪も雷も、自身が巻き込んだようなものだ。吹雪はあの時に漣と会わなければ今頃実家でのんびりと生活しているままだろう。雷も死にかけたとは言え、漣が現れなければ衝突事故は起きなかった可能性だってある。常に死と隣り合わせの危険な任務に引き込んだのは、自分だ。そんな自分が真っ先に逃げ出すなど、況してや辞めたいなどと弱音を吐くなど、あって良い筈が無い‥‥‥漣の思考はそれ以外を考えられなかった。
『逃げちゃえばいいのよ』
受話器の向こうから、思いがけない言葉が聞こえてきた。雷でさえ口にしなかった言葉だ。
『今すぐに、って訳じゃなくてもさ。その南方棲戦姫と一戦交えてみて、無理そうなら逃げてくればいい。某撤退作戦の指揮を執った何処かの少将だって『帰れば、また来られるからな』って一度撤退して作戦を成功させたのよ?』
「でも‥‥‥」と尚も口籠る。きっと、逃げていいなんて誰も許可してくれない。今や漣達は人類最後の希望。深海棲艦の親玉を倒さない限り、静かな海は戻ってこない以上、漣達に逃げ出すなんて選択権は無い‥‥‥。
『‥‥‥ああっ、もう。いい?誰も‥‥‥誰も貴女達が死ぬ事なんて望んでないの。無理そうなら逃げて、生きて、更に鍛えてまた挑めばいいの。死んだら何の意味も無い。過去の大戦では『死して護国の鬼となれ』なんて言葉があったけど‥‥‥どうせなら『生きて護国の鬼』になりなさい』
「‥‥‥はい」
少しだけ、心が軽くなった気がした。どうせ自分達が負けたら、死んだら後は無い。それなら、やられそうになって撤退するのは致し方ない事なのだ。死んだら、駄目だ‥‥‥生きないと。
******
その二日後、ハワイ沖。漣、吹雪、雷の三人はとある海域を目指し洋上を走っていた。南方棲戦姫の根城。
「勝てる‥‥‥のかな」
不安を隠しきれない漣。静かに深呼吸を繰り返すのみの吹雪。「大丈夫よ」と声を掛けるも震える声の雷。緊張した様子で走る三人の視界に、白い何か水面に浮かんでいるのが見えてきた。
ツインテールの真っ白な髪に、真っ白な素肌。紅く妖しく光る瞳。両腕には、漣達とは比較にならないくらい圧倒的な大きさの艤装に幾つもの砲塔。凄まじい威圧感。思わず息を飲んだ。
『ミナソコニ オチテイクガイイ‥‥‥』
その異形は確かに声を発した。と同時に、両腕の砲が漣達に向けられる。
「二人とも!」
叫んだ吹雪が走り、先制とばかりに魚雷を放つ。その内の一発が南方棲戦姫の左腕の先の砲塔の一本を掠めて爆発。その煙に紛れ漣と雷が連続で砲撃。
「当たったよ!」
これ迄の相手なら、数発当てれば轟沈していた。轟沈しないにしてもきっと深手は負わせられた筈。祈るような気持ちで煙の方を見つめる漣。だが、煙が徐々に晴れてくるにつれ、その表情が絶望に変わっていく。
「うそ‥‥‥でしょ」
思わず洩れた言葉。煙が完全に晴れて姿が露になった南方棲戦姫の身体には、深手どころか傷1つ無かった。
雷も驚きを隠せない様子で、「‥‥‥え」と呆然としている。再び南方棲戦姫の砲が無防備となった二人に向けられた。
漣はギリギリで我に返り、寸でのところで被弾を免れた。だが、漣の耳に轟音が飛び込んで来る。同時に爆風の衝撃で真横に飛ばされた。雷の方はそうはいかなかった。棒立ちのまま動こうとしなかった雷が居た場所は、南方棲戦姫の砲撃で爆発、煙が立ちこめている。
「雷‥‥‥?雷ぃぃ!」
但し。雷は無事だった。煙の中に見える影は、雷が誰かを抱き抱えている姿。そう、吹雪が咄嗟に走り、雷と砲の間に割って入って身代わりとなったのだ。
慌てて雷の方に走る漣。吹雪は血だらけで意識は無く、艤装も大破しているものの、まだ生きている。圧倒的な戦力差。此方の砲では傷1つ付けられない上に、向こうの砲撃は一撃で瀕死。これだけの差があるのに勝てる訳がない。漣の頭に足木の言葉が浮かんでくる。『帰れば、また来られる』。
「逃げよう‥‥‥逃げようよ、雷!」
‥‥‥しかし。雷は首を横に振った。「駄目よ」と。
******
雷には。南方棲戦姫に‥‥‥南方棲戦姫の顔と声に、覚えがあった。これだけ近くで見る迄どうして気が付かなかったのか。雷はある一点を見つめ、思考を巡らせていた。
(次はもっと強くなってるかも知れない。けど今なら、まだ何とかできる)
南方棲戦姫の左の砲塔。先程の吹雪の雷撃で、その一本が歪んでいる。魚雷をまともに当てられれば、傷を負わせられるかも知れない。
(漣、吹雪、ごめんね。折角‥‥‥折角助けてもらった命だったのに)
漣と、漣の抱いている意識の無い吹雪。二人にチラリと視線を向けて心の中で謝った雷は、再び前に視線を戻す。
(さあ、決着をつけましょう。大丈夫よ、
私も一緒に逝くから。だから、ママ。もう静かに眠って‥‥‥‥‥‥)
11話。誰も望まぬ終局へと加速していく。