編集部の自分の椅子に深く寄りかかり腰掛け、アイマスクをして身体を仰け反らせた状態で口を開けて眠っていた足木。まだ早朝。昨晩飲み過ぎた。帰宅したら起きられずに遅刻すると踏んで編集部に泊まった‥‥‥顔立ちが整っているにも関わらず彼女に未だに男が出来ないのも頷ける‥‥‥。
っと、後ろから肩を揺すられた。「んぁ?」と間抜けな声を出して起きた足木。アイマスクをずらしてボヤけた焦点を合わせてみると、見えたのは編集長の顔だった。
「なーんですか編集長?折角人が気持ち良く眠ってたのに」
編集長はどうやら何度も足木の携帯を鳴らしたが出なかった為、どうせココだろうと思って来たのだそうだ。まだ寝惚けながらも携帯電話に手を伸ばしてみると、確かに着信履歴が埋まっている。そこまでして足木に知らせねばならなかった用件。大本営の緊急会見があるらしい。
真偽はまだ定かではないものの、どうやら南方棲戦姫の討伐に成功したらしい事を聞き、足木の頭は一気に覚醒した。
「ちょっと!それ先に言ってくださいよ!何時からですか!?」
電話に出なかったのだから先に言うもクソも無い訳だが、そんな事はさておき。足木は会見に間に合うよう動き出した。幸い会見自体は11時から。今から家に帰り、シャワーを浴びて化粧を軽くすれば間に合う。
(あの子達‥‥‥やってくれたわね)
初めの頃こそ、足木にとってオイシイ取材対象でしかなかった漣達。しかしながら今は少し違う。取材対象なのは変わらないものの、妹のような存在だ。最も接触の機会の多い漣に対しては特に。あの漣の莓パンツの記事は少し申し訳無かった、と足木なりに思っているくらい(だからと言って反省はしていないが)。
逸る気持ちを抑え、会見場へ。既に他の社の記者達も集まっていた。この御時世に危険を冒して日本に滞在している外国の記者達も多数。彼等も、国連ですら手に負えなかった人類の宿敵を討伐したかも知れないとあって色めき立っていた。
会見は予想通りだった。漣達は南方棲戦姫の撃沈に成功、今は小笠原の父島基地に滞在して身体を休めているらしい。明後日の正午に横須賀基地に戻ってくる予定、なのだそうだ。
ただ、違和感もあった。南方棲戦姫を撃沈した時の写真も有るにはあったのだが‥‥‥彼女達は三人で南方棲戦姫に挑んだ筈であったにも関わらず、此方側で映っているのは吹雪と漣のみ。雷のカットは一ヶ所も無かった。不自然処の話ではない。嫌な予感がしてならない。
(ちょっと‥‥‥不自然じゃない?)
会見での質問は予め用意されたものだけだった。勿論、その質問で雷の安否については問われていない。釈然としないままに編集部へと戻り記事を書き始めた足木。14時を過ぎた頃だろうか、携帯電話に見かけない番号から着信。直感でそれと気付いた足木は、周りに悟られないよう屋上へと走ってから電話を繋いだ。
『‥‥‥あの』
何時もの、聞きなれた声での第一声。間違いなく漣だった。
「雷は?雷は無事なの!?」
『‥‥‥』
向こうの漣は、暫し沈黙。どうやら何かあったようだ。やはり、雷の身に何か‥‥‥?
『今はあんまり話してる時間無いんです。帰ったら‥‥‥会ってもらえませんか?』
電話越しの漣の声は‥‥‥これ以上無いくらいに沈んでいた。
*********
「ねえ、漣ちゃん‥‥‥」
海上を走る吹雪と漣。見えてきたのは横須賀の港。恐らく二人が初めて目にしたであろう、とんでもない数の人達。多くの人が手で持てるサイズの日の丸の旗を振っていて、歓声が聞こえてくる。全員が自分達を迎えてくれているのは分かる。
ただ、全員が祝福ムードなのだ。此方はとてもではないが愛想笑いすら出来ない精神状態だというのに。
「どうして‥‥‥みんな笑ってるの?どうして笑えるの?」
漣は答えない。吹雪が言いたい事は分かる。雷が亡くなっているのだ。普通なら哀悼の意を示すなり黙祷するなりあっていい筈だ。にも関わらず何故祝福ムードなのか、と。
やはりあの時の電話での足木の言葉はそういう意味なのだろう。つまり、『雷が轟沈した事実は伝わっていない』。命に代えて人類を守った雷の存在は消され、漣と吹雪が討伐したという事になっているのだろう。
自分達は殆んど何も出来なかった。全ては雷のお陰だったというのに。漣自身は足手纏いでしかなかったというのに。仮に祝福されるのだとしてもそれは雷であって、自分達では無い。
「帰ったら、少し休もう?ね、吹雪」
体力的にも、精神的にも疲れていた。入渠施設の無い小笠原では怪我も完治出来ていない。早く横須賀に帰り、傷を癒し。気持ちを整理するのはその後だ。自分だけではうまく切り替えられそうに無い。早く足木に会って思いを吐き出して楽になりたい。そんな事を考えボーっとしながら港の観衆を後にし、漣は横須賀基地へと入っていく。
橋本大佐にはなるべく会いたくない。報告なら通信で済ませたし、詳細なレポートと映像なら小笠原で済ませてきた。今更橋本に会う用は無いし、事もあろうか自分の娘に『死んででも敵を沈めろ』と命令したかも知れない相手の顔など見たくはない。それに、吹雪がまた怒りに任せ怒鳴り散らすかも知れない。
艤装を下ろし入渠を済ませて、真っ直ぐ自分達の部屋へ。何も考えたく無かった漣は吹雪とそのまま眠りに就いた。
******
目を覚ましたのはその日の深夜。隣で眠る吹雪を起こさないよう立ち上がった漣の視界に、今は亡き雷の荷物が映る。
虚無感に襲われながら、暗闇で目立たない黒のパーカーと黒のパンツに着替え、忍び足で工廠へ。妖精達も勿論協力しているので、漣が艤装を装着するのは容易い。もう基地からの脱出にもすっかり慣れた。
足のみ艤装を付け、海へ。あれだけの事が有ったとはとても思えない程穏やかな海。空は曇っていて星は見えない。真っ暗闇の海面には、陸から照らされるライトによって時折微かに光が差し込むのみ。光輝く陸上の夜景とは正反対。まるで、今の漣達の心と歓喜に満ちた昼間の観衆を表しているかのよう。
そんな光景に「ふぅ‥‥‥」と深く溜め息をついた漣は海上を大回りして海岸へ。何時もそうしているように岩場の影に艤装を隠して向かう。フードは被ったままだが、ジョギングでもしていれば不審には見られない‥‥‥と思いつつ。
数枚のコインを手に、コンビニへ。目的は勿論、今では余り見なくなった公衆電話。それなら少なくとも通話履歴で辿られる心配はない。
足木に会うのも久し振りだった。電話を受けて飛んできた足木の姿を見たとたん、枯れたとばかり思っていた涙が溢れてきて止まらない。今の今まで言えずに押し込められてきた思いが溢れてくる。漣の頬を伝い顎の先から雫が零れ落ちる。悔しくて、辛くて、悲しくて。心が割れてどうにかなってしまいそうなくらいに痛い。
足木が近付いてきて、そっと抱き締めてくれた。言いたい事が沢山あった筈なのに、漣の口からは言葉が出てこない。代わりに出るのは嗚咽と涙ばかり。
漣と吹雪が帰艦した時の海上での表情を、足木も望遠レンズで見てはいた。二人とも喜怒哀楽の抜けた、全く感情の見られない無表情だった。だから心配はしていたようだ。
「よく生きて帰って来たわね」
足木は、普段の彼女からは想像もつかないような穏やかな表情だった。涙で滲む視界で彼女を見ながら、漣は精一杯の言葉を発していく。
「私‥‥‥怖くて‥‥‥何もできなくて‥‥‥」
途切れ途切れで単語を並べるのが精一杯だったが、おおよその内容を伝えていく。一通り話し終えると、漣は我慢出来ずに声をあげて泣き出した。
帰艦した漣と吹雪。この後に知ることになる現実は、更に漣を追い詰めていきます。待っているものは‥‥‥。