『始まり』   作:アイリスさん

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7話。雷の話です。


その7 三人目

 

「おかえりなさい。お疲れ様、パパ」

 

「ああ。ナツ、ただいま」

 

橋本少佐の帰りを家で待っていたのは娘のナツ。ボブヘアーの側頭部から房が伸びる独特な髪型の、活発そうな中学生だ。母親は居ない。ナツが小学生の頃に離婚。ナツはそれ以来、家事が殆んど出来ない橋本少佐の代わりに家の事を任されている。

 

「お風呂沸いてるから先に入って来てね」

 

ニコリ、と微笑むナツ。

橋本少佐はいつも帰宅後直ぐに風呂に入る。‥‥‥と此処までは何時ものやり取り。何時もと違うのは、橋本少佐の反応だ。

 

「‥‥‥ああ、分かった」

 

娘が見れば直ぐに分かる。何か悩んでいる顔だ。「何かあったの?」と自然と口にしたナツの脳裏に浮かんだのは、朝に横須賀基地で見かけたピンク色の髪の少女の姿。

 

「今朝の子の事?」

 

ナツの問いに対する橋本少佐の反応が鈍い。表情を一瞬固まらせたように見える父親は、それを誤魔化すように笑顔を見せた。

 

「いや、実はな、中将から直々に昇進の通達があってな」

 

橋本は横須賀の司令官にも関わらず少佐。理由は、例の海の怪物『深海棲艦』によって前任の司令官が亡くなっていて、人事が保留となっていた為。それが、今日のタイミングで橋本は大佐に昇進が決まったらしい。二階級‥‥‥余程の功績があったのだろうか?

 

「大佐!?凄いじゃない!お祝いしなくっちゃ!」

 

橋本少佐は今までは言わば司令官代行。それが正式に司令官となるのだから、めでたい事に代わりはない。

 

「あ、でも今日はもう晩御飯準備しちゃったから、お祝いは明日ね!もうっ、どうして昼間のうちに言ってくれないの?」

 

ナツが帰宅後すぐに知らせてくれれば、橋本少佐が帰ってくる迄には何とか出来た筈。プクッと頬を膨らませ拗ねてみせるフリをしているナツの頭を、橋本が右手で撫でる。

 

「ああ、悪かった悪かった」

 

そうして風呂に向かった父親の背中を見送り、ナツは夕飯の仕上げに取り掛かる。そのキッチンの調理台の真後ろの小さなボードの上に、雑誌が一冊。週刊誌。ナツが買った訳ではなく、友達が持っていたものを借りただけ。理由は、あるページだ。例の『深海棲艦』が少女と思しき謎の人物によって撃沈された、という記事。遠見だがそこに載っていた写真の少女が、今朝基地で見かけた少女と似ていたからだ。

 

国連軍ですら敵わない深海棲艦に対抗できる少女。その写真の少女が東京湾沖で深海棲艦と戦闘しているのが目撃された、という噂もある。それと今日の父親の昇進。タイミングが良すぎる気がしない訳はない。

 

風呂から上がりパジャマ姿の父親。向かい合わせで夕飯を食べながら、どうしても気になるナツは週刊誌の話題を切り出した。

 

「ねえ、パパ。あの海の怪物‥‥‥『深海棲艦』だっけ?あれを倒せる子が居るって本当なの?」

 

表情が一瞬凍った父親は「そうなのか?」と惚けてはいるが、どうやら間違いは無いようだ。言えないという事はまだ海軍の機密事項なのか、それとも別の何かなのか。

 

「えっとね?週刊誌に載っててさ‥‥‥それで、パパなら知ってるかな、って思って」

 

「‥‥‥なんだと?」

 

今度は一瞬とかではない。鋭くなった父親の視線に、思わずビクッと震えた。

 

「どの雑誌だ?」

 

「あ、えっと、待ってて」

 

食事中に立つのは行儀がよくないと思いつつも、キッチンにある雑誌を取りに行く。目的のページを広げ、父親に見えるようにテーブルに乗せた。

 

「ほら、ここ。この写真の娘。この人形持ってる子‥‥‥今朝基地に居た子だよね?」

 

明らかに舌打ちした父親。やはり軍の機密だったのだろうか?(不味かったかな)と思って雑誌の写真を見ていたナツは、突然父親に両肩を掴まれた。

 

「おい、ナツ。今‥‥‥人形と言ったか?」

 

「‥‥‥え?うん、ほらココ」

 

驚いたが、聞かれるままに写真を指差す。ナツの目には、写真に写る少女の胸に確かに人形らしき物が写っているのが見える。

 

両肩を掴んだままの父親は、今まで見たことも無いような険しい表情。その両手の指に力が入り、ナツの肌が強く押される。食い込んで痛い。

 

「パパ、痛いよ、パパってば!」

 

やっと我に返ったらしい父親が、ハッとした様子で手を離した。「すまない」と謝ってはくれたが、まだ顔は険しい。

 

「どうしたの?人形がどうかしたの?」

 

ナツは、知らなかった。写真のそれは人形等ではなく、妖精である事を。父親である橋本少佐には妖精の姿は写真ですら見えない事を。妖精が見えるのは軍艦の魂をその身に宿す一握りの人間だけである事を。そして、ナツは既に『駆逐艦雷』として戦わねばならない運命に引き込まれてしまった事を。

 

******

 

翌朝。ナツは学校に向かいながら、昨晩の事を考えていた。

 

(『写真の人形の事は誰にも言うな』って‥‥‥どうして?)

 

何度も何度も口止めされた。勿論理由は分からない。心霊写真では無さそうだし、別に人形くらい‥‥‥と思い顔をあげると、いつの間にかケーキ屋の前に居た。誕生日などのお祝いで何時も使う、交差点の側の店だ。そういえば父親は大佐に昇進したのだという事を思い出す。

 

(帰りにケーキ買ってあげなきゃ。お祝いだもんね)

 

今日の晩御飯は奮発しないと、とあれこれ思いを巡らせつつ、横断歩道を渡る。その横断歩道の終点に何かが座っているのが見えた。

 

(あれ?あれって‥‥‥)

 

昨日写真で見たのと同じ人形、否、それは生物。小人。ナツは驚き思わずその場に立ち止まり呆然としてそれを眺めていた。

 

(いきもの‥‥‥嘘でしょ)

 

突然、ナツの右側から音が聞こえた。それがトラックのクラクションだと気付いた時、一瞬だが恐ろしい程の激痛が全身に走り、ナツの意識は途切れていた。

 

********

 

気付くと、ナツは海の上に居た。

 

(あれ?何、これ)

 

見える物全てがセピア色。スコールが降る、大荒れの夜の海。

あちこち損傷していて息も絶え絶えの旗艦・比叡が、生き残った艦にどうにか指示を出している。

 

『みんな、今のうちにショートランド泊地へ撤退して!雷、天津風は今すぐ離脱!』

 

雷は大破。天津風は中破。これ以上の戦闘続行は無理だ。比叡の声が聞こえてから、急激に全身が痛み出し、重くなる。どうやら、ここではナツは『雷』という存在らしい。

 

『雷、何してるの!旗艦命令よ!』と叫ぶ天津風に無理矢理手を引かれ、その場を後にする。雷の瞳からは後から後から涙が溢れて止まらない。

 

『暁が!暁を置いて行けないわよ!』

 

そう叫びながら天津風の手を振り解こうとするものの、力が入らない。いくら周りを見回してみても真っ暗で、暁の探照灯の光は見つからない。

 

『バカッ!夕立の行動を無駄にする気なの!?暁は、もう‥‥‥』

 

五月雨が捜索しているものの、夕立の行方は不明。つい先程まで単艦で敵陣に突っ込み孤軍奮闘、鬼神の如き活躍を見せていた夕立のお陰でこうして何とか生き長らえている。その夕立に応える為にも、ここは撤退して体勢を立て直すべきだ。そう分かってはいるが、暁を置いて行けない‥‥‥違う。認めたくないのだ。暁が沈んだのを。

 

『嫌よ、離して!暁を、暁を探さなきゃ!』

 

 

 

 

 

 

『沈んだのよ!暁はっ!もう沈んだのっ!』

 

天津風のその一言が、衝撃となって雷を襲った。決して認めたくなかった事実を突き付けられて張っていた糸が切れたように脱力。呆然とし、何も考えられなくなって言われるままに天津風の後に付いていく。

 

『‥‥‥ねえ、比叡さんは?』

 

そうして戦地からかなり離れた辺りの海域で、雷はやっと気が付いた。全艦に撤退命令を出した比叡本人は、撤退する訳でもなく微速で動いているだけだった。まさか‥‥‥機関と操舵系がやられてまともに動けないのではないだろうか?そんな雷の心配を少しでも和らげようと天津風が『大丈夫。比叡さんは御召艦よ?だから、大丈夫』と言い聞かせてくる。

 

*********

 

(‥‥‥ここは?)

 

ナツが瞳を開けると、天井が見えた。どうも眠っていたらしい。掛け布団を退けて上体を起こす。自宅ではない部屋。確か、横断歩道を渡っている最中に小人を見つけて、それから‥‥‥。

 

(って、私トラックに轢かれたんじゃ!?)

 

思い出した。確かに轢かれた。猛スピードで突っ込んできたトラックにはねられた筈だ。だが、それならどうして生きているのか?しかも、五体満足で掠り傷一つ無しに。

 

『気が付きましたか?』

 

右手側で聞こえた声に顔を向けると、そこには先程見たのとそっくりな小人‥‥‥妖精さんが居た。「あっ、えっ、あっ」と言葉が上手く出てこないナツが寝かされていたのは、横須賀基地の医務室。

妖精さんが知らせたのだろう。扉が静かに開かれて、各々妖精さんを肩に乗せた少女が二人入ってきた。黒髪の少女と、例のピンク色の髪の少女‥‥‥ユキとレンだ。

 

『彼女達は、駆逐艦吹雪と漣です。これから貴女と共に戦う僚艦です‥‥‥駆逐艦雷』

 

妖精さんの言葉の意味を理解できなかった。戦う?僚艦?自分が?どういう事なのか‥‥‥先程見た夢の内容がナツの頭の中で再生される。『駆逐艦雷』。そう、自分は雷だったのだ。

 

「戦うって、深海棲艦と?私が?」

 

トラックに轢かれた後、ナツは見るも無惨な状態だったらしい。手足は千切れ、腹が抉れ。目撃した誰もが即死だと思ったくらいだった。奇跡的に死んではいなかったが、どう足掻いてもそのままでは命は消えてしまう。病院は遠いし、司令官の娘であるナツは横須賀基地に運ばれた。そこで、橋本大佐自ら土下座までしてレン達に頼んだのだという。『娘を助けてくれ』と。

妖精さんが見えたということは、ナツの身体には軍艦の魂が宿っているという事。残された時間は僅かだったが、何とか軍艦の魂の力を覚醒させる事に成功。急ぎ入渠させ回復させたのだ。

 

「‥‥‥そっか、分かったわ。私、やるから。『駆逐艦雷』として、みんなの為に」

 

 

 




駆逐艦雷こと橋本ナツの話でした。フルネーム出したのは雷が初ですね

見た雷の記憶はソロモン海戦。あの後比叡も‥‥‥

走ってきたトラックに轢かれた雷さん、そりゃもう悲惨な状態に‥‥‥即死じゃなかったのが幸いしました。オイコラそこ、巴マ●とか言っちゃ駄目なのです
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