東方戦争犬   作:ポっパイ

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五十八話

 

 花畑が甦った地に幽香が降り立つ。満足そうに微笑むがすぐに花々は一つ残らず全て枯れていき塵となって消えていく。所詮は術の一つであり、実物とは違う。そんなことは幽香も知っている。だが、一瞬でも甦ったあの風景に幽香は心が躍るようだった。

 

「さて、と」

 

 さっきの穏やかな表情から一転し、獣を連想させるような目付きをして振り返る。この程度の術で魅魔が倒れるはずがない。

 

 一足速く魅魔の三日月の杖が幽香を刺し貫くが幽香も負けじと魅魔の腹に日傘の石突を突き刺す。魅魔の口元が微かに動いていたが幽香はそんなことお構いなしだ。

 

「『マスタースパーク』」

 

 翡翠色の極太のレーザーが魅魔の身体の大半を消し飛ばす。一瞬の隙を付いて逃げられたであろう攻撃を魅魔は避けようともしなかった。幽香の表情が怒りに歪む。可視化されてもおかしくないような怒りが地面に転がり半透明になっていく魅魔へと向けられる。

 

「どういうつもりなのかしら?」

 

 魅魔の表情を見れば痛みに苦しむようなものではなく、憐れんでいるようなものだ。その対象が幽香自身であることはすぐに理解できた。

 

「何をした!?」

 

 今にも消えてしまいそうな魅魔は大きく息を吐き出す。

 

「悪いね。禁じ手を使っちまった」

 

「禁じ手? 何を今さ――――?」

 

 何かが落ちる音がした。落ちた方に首を向けるとそこにはさっきまで生えていたはずの翼が枯れ落ちている。身体が急に重たくなるような感覚が幽香を襲う。再生に妖力を回そうにもうまく操作をすることができない。

 

「……やってくれたわね」

 

 それは魅魔が生み出した魔法の一種だ。幽香のためだけに考え、幽香にしか効かないであろう出来損ないのものだ。その魔法は成長を異常な速度で早めていく効果があった。幽香の絶頂期が今であるならば、その後はどうなるだろうか。一度咲いた花はいずれは枯れて落ちて果てるだろう。例え、幽香が花の妖怪でなかろうが、花と深い関わりを持つ幽香を同じ花として捉え術式を組むことなど魅魔にとっては簡単なことだった。

 

 だが、これは魅魔の中では禁じ手だった。風見幽香という幻想郷の麗しき暴君を消滅させる危険性があったからだ。それはとても勿体無い。何より、張り合い相手がいなくなってしまうのは寂しいことだ。同じ時代を歩んできた宿敵をこの手で消すなどあってはならないことだ。だが、魅魔はその禁じ手を使った。使ってしまった。使わざるを得なかった。使わなければ勝てない相手だった。

 

「あんたの勝ちだよ、幽香。あたしにはもう魔力なんてカス程も残ってないからねぇ」

 

 この時ばかりの魅魔の言葉に嘘はなかった。

 

「ふ、とんでもない最後っ屁かましといてよく言うわよ」

 

 幽香も自身に起きている現象についてすぐに理解していた。どう足掻いても無駄なことも理解していた。自分をこうして追い詰めるなど、流石は大怨霊だと称賛を贈りたい気持ちだ。だが、決して幽香が膝を地面に着けることはない。

 

「でも、解せないわね」

 

「何がだい?」

 

「避けようと思えば避けられたはずでしょう?」

 

「……それをあんたが言うのかい?」

 

 避けようと思えば避けられたのは幽香も同じだ。最期の――――これまでの攻撃すべてを避けようと思えば避けられたはずだ。だが、幽香は避けようともしなかった。

 

「ま、そこはお互い様って言ったところかしら。許してあげるわ」

 

「……本当に術効いてんのか?」

 

「えぇ、立っているだけで精一杯よ。本当に厄介な術ねこれ」

 

 魅魔の言葉に嘘がないように幽香の言葉にも嘘はない。本当に立っているのがやっとな状態なのだ。一度倒れてしまえば二度と立ち上がることはできないだろう。最早、会話ができていることすら奇跡に近い。

 

「さっさと消え失せなさい。もう喋ることはないわ」

 

「ヒヒヒ、冷たいじゃないか。もうちょっとお喋りしようじゃないか」

 

 軽口を叩く魅魔の身体の透明度が増していく。消え失せそうなのはお互い様だ。だが、それでも魅魔の方が早く消えてしまうだろう。幽香は少し困ったような表情を浮かべると溜め息を一つ吐いた。

 

「……私の最期の敵となってくれたことは素直に感謝しているわ、魅魔。貴方が敵であってくれて良かった」

 

 思ってもみなかった言葉に魅魔は目を見開き驚きを隠すことができなかった。憎まれ口は叩かれても、まさか感謝の言葉が出てくるとは思いもしなかった。こんなのは反則だ。

 

「まさか……まさかあの暴君からそんな言葉が聴けるとは思ってもみなかったよ。……弟子のためにも頑張ってみるもんだね」

 

 もうほとんど透けている魅魔が目を伏せていくと空気に溶けるかのように消滅していった。だが、消滅する寸前のその表情はとても穏やかで満足そうなものだった。

 

「さようなら、魅魔」

 

 魅魔が完全に消え去ったのを見届けると張り詰めていた気が抜けたのか地面にゆっくりと座り込む。

 

「あーあ、負けちゃったわ」

 

 魅魔は幽香の勝ちだなんて言っていたが幽香本人は自身が勝った自覚など到底なく、魅魔が勝ち逃げしたとすら思っていた。禁忌や外法を使う魅魔ですら禁じ手として封印していた術を使われてしまった。何がそこまで魅魔を駆り立てたのかを幽香は分かっているつもりだ。

 

 『霧雨魔理沙』全てはたった一人の弟子のためだろう。あのまま戦闘が続行されていれば確実に幽香に軍配が上がっていただろう。そうなれば、大尉たちの所へと合流しないとも限らない。今回の異変の元凶であり一大勢力を築き上げた大尉と災厄の闇の権化であるEXルーミアがいる場所に覚醒した幽香が合流すれば霊夢と魔理沙でも流石に分が悪い。故に幽香をここで確実に仕留める必要があった。

 

 全てはたった一人の弟子が少しでも死ぬ確率を減らすために。

 

 そして、魅魔は見事にその目的を達成した。その代償に古くからの宿敵と自分自身を失うことになったが彼女に後悔はなかった。

 

 後悔がないのは幽香も同じだ。結果として負けてしまったが彼女にそれを悔いている表情はない。否、一つ心残りがあった。

 

「……彼」

 

 彼の人狼の最期はきっと良いもので終わるだろう。それは確信している。それは心残りではない。心残りなのは彼の名前を知れなかったことだ。自分たちを率いていた人狼の名前を知らないままで最期を迎えるのが心残りだった。

 

「……名前ちゃんと聴いておけば良かったわ」

 

「ならば、聴きにいけばよいではないですか」

 

 幽香の背後に誰かが立っていた。声がするまで気付けないまでに弱ってしまった自身を嘲笑する。この声の主を幽香は知っている。

 

「あの戦いの中で生きていたのね、椛」

 

「お陰さまで」

 

「何のことか私にはさっぱりだわ」

 

 草木のベットには治癒効果があった。それは幽香と魅魔の戦闘から椛を捕まえて逃げるように移動していたのだ。そして、戦いが終わると枯れていき椛は歩けるまでに回復させられていた。だが失った左腕と左目は戻ってこない。

 

「死んでしまうのですか、幽香殿」

 

「そうよ。何なら貴方がとどめを刺してもいいのよ?」

 

「――――ッ」

 

 こちらも振り向くことなく答える幽香に椛は唇を噛み締め何かを堪えるような表情を浮かべる。そして、椛に湧き上がった感情は怒りだった。

 

「狡いではないですか! 幽香殿こそ勝ち逃げして!」

 

「ふふ、そうね、貴方には勝ったものね。そうだ、一つお願いがあるのだけど」

 

「彼の名前ですか? 自分で聴きに行けばよいではないですか」

 

「そうも言ってられないのよね。もう歩くことも立ち上がることもできやしないわ」

 

 幽香の限界はすぐそこに来ていた。故に幽香は最期にできた好敵手である椛に自身の心残りを託そうとする。

 

「彼の名前が分かったら教えてちょうだい。私はここにいるから」

 

 幽香は自身に残された最期の妖力を振り絞り能力を使う。小さな芽が一本地面から生えてくる。それが幽香の最期だった。幽香の身体が粒子となっていく。

 

「……頼んだわよ、椛」

 

 優しい風が吹いた。その風は花弁のような粒子となって散っていく幽香を優しく空へと舞い上げていく。その光景はとても美しく幻想的なものだった。

 

 

 

――――――

 

 

 

 大尉は頭の上に何かが落ちてきたような気がしてそれを掴もうと手を頭に伸ばす。だが、その手が何かを掴むことはない。こんな空間にいるのだ。きっと何かを勘違いしたのだろうと考えた大尉は手を下ろそうと誰かがその手を握ったような気がした。

 

『さようなら、狼男さん』

 

 この場にはいない者の声が聴こえた。聴き間違いでは決してない。その証拠に握られたであろう掌を見れば綺麗な花弁が一枚あった。そして、それはすぐに光の粒子となって消えていく。

 

 大尉は理解した。彼女が闘争の果てにいなくなってしまったことを。これは彼女なりの手向けなのだ。短い間ではあったが、彼女にはとても世話になった。ならば、彼女が見ていて更に満足できるような闘争をしなくてはならない。

 

「逝ったのかって誰か死んだのかい?」

 

 すぐ近くにいた影狼が恐る恐る聞いてくる。どうやら、感情が表に少し出てしまっていたようだ。ここにいる者には伝える義務がある。

 

「幽香さんが死んだ!?」

 

 思わず大きい声が出てしまった影狼に反応したのはEXルーミアだった。その表情を見ると悔しがっているのか喜んでいるのかよく分からないものを浮かべている。

 

 決して仲が良いわけではなかった。死んでくれて清々すらしていた。これで邪魔されず大尉と共に戦えるとすら思っていた。だが、EXルーミアの中に何かどうしようもない凝りがあった。これは何なのだろうかと考えさせられる。

 

『悲しいのかー?』

 

 そんな声が身体の内側から聴こえた気がするが無視だ。

 

「え、あれ、嘘だろう?」

 

 狼狽しているのは影狼だった。ほんの少し前まで一緒にいた者がこんなに簡単に死ぬとは思えなかった。思いたくもなかった。最後に淹れてくれた紅茶の味を思い出してしまう。

 

 大尉は不思議がっていた。多少加担したとはいえ、捕虜である影狼がどうしてこんなに敵である彼女の死を憂いているのかが分からない。捕虜ならば喜ぶべきことなのではないか。

 

「――――ッ! でも!」

 

 これ以上何か言おうものならその腕を圧し折るぞ、と脅しが影狼へと降りかかる。だが、影狼は大尉を睨み何か言いたげだ。

 

 影狼の気持ちも分からない訳ではない。仲間を失うことは哀しいことだ。だが、哀しんだところで仲間が還ってくるわけではない。むしろ――――。

 

「羨ましい、だって? そんなに死にたいのか!? このイカれ野郎!」

 

 影狼が護身用として渡されていた銃を構える。勿論、その銃口が向く先には大尉がいる。EXルーミアが大剣を顕現させ、影狼に斬り掛かろうとするが大尉がそれを手で制する。

 

「そんなに死にたきゃ首でも吊って勝手に死んでれば良かったじゃないか!」

 

 どこかで聞いたような台詞だ。懐かしくすら思える。それではつまらない。闘争の中で生き、闘争の果てに死ぬ。ただ死ぬなんてのは真平御免だ。理解されないだろう。されるつもりもない。それを聴いた影狼は顔を赤くして大尉に牙を剥く。

 

「巫山戯んな! そんなくだらないことに付き合わされたのか! 椛さんも白狼天狗たちも人間もそんなことに――――!」

 

 影狼の背後に巨大な闇の手が地面から生え、そのまま鷲掴みにし全身を絞め上げる。それでも唸り声を上げ牙を剥くのを止めようとしない。これまで我慢していた感情が幽香の死や大尉の告白が引き金となって爆発していた。

 

「殺してはねェからいいだろ?」

 

 眉間に皺を寄せて怒るEXルーミアは大尉に許可を求めた。もう既に事後承諾ではあるが、大尉はEXルーミアに対して頷く。こうも抵抗されてしまっては通訳として機能するかどうか怪しい。抵抗する様は嫌いではないが、時と場合によるものだ。メインディッシュを前にして前菜をまた食させられるのは興が冷めてしまう。

 

 殺すつもりはなかったが、こうなってしまっては仕方ない。残念だが、通訳を降りてもらうしかないだろう。少し脅せば尻尾を振るだろうと考えていたが、影狼の意志は強いようだ。その意志を持って戦ってくれていればもっと楽しめただろうと大尉は残念そうに目を細める。

 

 影狼の眉間にバレル部が異様に長い銃が突き付けられる。

 

「最後のチャンスだって? ……冗談言うとは思ってみなかったよ」

 

 その意志の強さに対し、称賛するとともに大尉が引金を引こうとする。だが、その引金は引かれることなく、大尉は顔を別の方向に向ける。この異様な空間に嗅いだことのある匂いを持つ者が現れた。しかも、急速で接近している。どうやら、やっと待ち望んでいた者たちが来たようだ。

 

「魔符『スターダストレヴァリエ』!」

 

 箒に跨った少女が光弾を撒き散らしながら大尉へと突進をしてくる。敵意は感じるがいまいち殺意を感じない突進を大尉は霧化し避ける。撒き散らされた光弾は狙ってか偶然か影狼には当たらず、絞めている闇の手のみに直撃していき、その手を弾き飛ばす。開放された影狼は大尉に突進してきた人物を探す。

 

「ケホッ……ケホッ……! ま、魔理沙!?」

 

 急旋回し大尉たちの上空を飛ぶ魔理沙をEXルーミアが闇の翼を生やし追撃しようと目論む。

 

「おっと! 私だけじゃないぜ!」

 

「あ――――ァ?」

 

 飛ぼうとしたEXルーミアは身体のバランスを崩し地面に膝を着く。何が起こったのか確認するべく後ろを振り向くと翼が斬られており、妖夢がEXルーミアの首を断たんとすべく刀を振り上げていた。

 

「シィッ……!」

 

 咄嗟に斬られた翼を触手に変化させ妖夢の身体に巻き付けると投げ飛ばす。投げ飛ばされるも綺麗に着地した妖夢は二刀に持ち替え大尉とEXルーミアに刀を向ける。体勢を戻そうとしたEXルーミアだったが、突然、膝裏に痛みが走る。

 

「――――チィ!」

 

 見ればナイフが突き刺さっている。苛々しながらもそれを抜くと今度は顔のすぐそこまでナイフが迫ってきていた。それを歯で受け止めると地面に吐き捨てる。この突如現れるような攻撃をEXルーミアはよく覚えていた。

 

「お久し振りです。あの時のこと忘れたとは言わせませんよ?」

 

「何のことだか覚えてねェな!」

 

 指と指の間にナイフを持った咲夜は忌々しそうな表情を浮かべてEXルーミアを睨み付ける。

 

 実体化した大尉は次々に現れる敵の存在に歓喜に心が震えそうだった。やはり、闘争は素晴らしい。だが、肝心の人物の姿が見えない。これはどういうことなのだろうか。

 

「待たせたわね」

 

 待ち望んだ愛しい声がした方に身体を向ける。そこには魔理沙の横に並ぶ凛とした表情の霊夢の姿があった。

 

「あんたの夢を終わらせに来たわよ」

 

 大尉を見下ろす霊夢の口調はどこまでも冷たい。だが、大尉にはその言葉がとてもとても甘美なものに聴こえて仕方がなかった。


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