公爵夫人は知らないが、祖父が存命だったころ、公爵夫人への正式な結婚の申し込みは多数あった。
なにせ血筋だけならば、現皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世も、次の皇帝(予定)カザリン・ケートヘン一世も遠く及ばない、不動にして輝かしき帝国序列第一位。
そんな公爵夫人への正式な結婚申し込み者リストにはクロプシュトックのヨハンの名もあったが、祖父は相手にしなかった。
相手にしなかった理由は反逆者の子息だからではなく、彼のお眼鏡にかなわなかっただけ。なにせ祖父は伴侶に賢さのみを求めた人。
そんな祖父からすると、打診してきた者たちは、全員馬鹿だった。
世間的には賢い者も何名かいたのだが、憲兵隊の影の総監と誰もが認めていた、海千山千な祖父からすると、どれも馬鹿でしかなかった。
祖父は孫の伴侶は最高に賢い男でなくてはいけないと、常々語っていた。
少々話は逸れるが、彼の姿勢は徹底しており、かつてオトフリート五世の「余の娘くれてやる」を「皇女は第一皇女以外はどれも賢くないからイヤダー(超意訳)」で押し返した程の男である。
これが許されたのは、曾祖父がオトフリート五世に気に入られていたのもそうだが、祖父自身も気に入られていたことと、祖父が非常に賢かったことが理由であった。
とにかく祖父は優秀で、士官学校での成績は歴代トップ。
大学の教授がわざわざ士官学校までやってきて「なぜ閣下は研究者の道をお選びにならなかったのですか」尋ねるくらいに優秀だった。
士官学校での成績は未だに破られていない。おそらく祖父の成績を破れるのは、ラインハルトくらいのものだが、彼は士官学校に進学しなかったので、この先五百年くらいは破られることはないだろう。
その祖父が孫の伴侶に求めた条件は厳しく、相談相手という聞き役だった下男は「
なにせ下男は祖父以上に曾祖父のことを慕っており、祖父と同じくらいに公爵夫人のことを大切に思っているのだから「主さまほどの男など希有だと分かっておりますが、御前さまには主さまのような男性を」と ―― 思考回路が完全に一致状態。
そんな下男をして、ラインハルトは「
公爵夫人に言わせると「いや、わたしがラインハルトに釣り合わん」で終わってしまうが。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
公爵夫人がファーレンハイトに連れられて付いた先は、自宅部分の中庭だった ―― 結局のところ公爵夫人は元の自宅、現元帥府に住んでいる。
仕事中毒なラインハルトが、通勤時間を惜しんで元帥府に住むことにし、その際に「一緒に住もう」と公爵夫人を誘ったのだ。
公爵夫人は拒否する理由は一つもないので、はいはいと従い、自由気ままに資格取得に邁進する日々を過ごしていた。
そんな自宅使用部分の手入れが行き届いている中庭に、テーブルセットと日よけの傘。
「侍女らしく立っていろ」
「はい」
公爵夫人はラインハルトの向かい側に座り、下男が用意したお茶を飲む。ラインハルトの背後にはオーベルシュタインとシュトライト。公爵夫人の側にはファーレンハイトと侍女扱いの負傷している黒縁眼鏡。両者の間には下男の状態。
公爵夫人に尋ねられた下男は一礼し、
「先の公爵さまより、御前さまが直接聞いた時以外は話すなと命じられておりました」
曾祖父が口止めしているものとばかり思っていた彼らだが、実際に口止めしていたのは祖父であった。
公爵夫人は、では話せと指示を出し下男は当然それに従う。
下男は今回のことに関して、公爵夫人に関係する部分を語り出した。
「先の公爵さまは、ご自身亡き後、御前さまが門閥貴族たちに悩まされることは分かっておりました。その対処として、御前さまの不法入国の手段を整えておられました。国内の通過方法や、フェザーンに潜伏していた義姉殿下の元に身を寄せ、最終的には先に不法入国している元皇太子殿下の元へ。その際にそこの元男爵令嬢とそのご子息、現陛下も同行させる……こちらの優先順位は極めて低いものですが、そのような計画が立てられておりました」
頭脳明晰な祖父が、自分亡き後の事態を想定しており、対処策を下男に与えていた。
公爵夫人は下男の話を聞き、祖父が生きている頃から、頻繁に亡命の話を出していたのは、こういうことだったのかと納得する。
ラインハルトは「髪長姫を確りと育てたから、安心していたと思っていた」―― 祖父を知る者ならば、策を講じていると考えるのが普通なのだが、彼らにすらそう思わせないほど公爵夫人はなんでも出来る娘に育っていた。
「先の公爵さまの死後、懸念通りの事態が発生いたしましたが、御前さまはご自身で解決なさると仰り、即座に当時若き准将閣下であらせられた覇王に話をつけられ、逃走する必要がなくなりました。さすがは御前さまにございます。さて元男爵令嬢とそのご子息ですが、この二人はあくまでも御前さまが帝国を出る際に、お情けで連れていってやるというものです。御前さまが逃げぬのであれば、その二人を自由惑星同盟とやらに連れて行く義理も義務も、こちらにはございません」
「なるほど。先の公爵殿はそのような策を練っておられたのか」
「はい。ですが御前さまはその上をいかれました」
「だが事前に打ち明けなかったのは何故だ?」
「ご自身で対応策を講じる可能性を考慮してのことでございます。先の公爵さまも、御前さまの並々ならぬ才には期待をしていらっしゃいました」
祖父は逃げ道を用意したが、それが使われる可能性は半分以下だと考えていた。自分が死んだ後、
「なるほど。その女が同盟に逃げる手助けをしてくれるはずだと、言っていた理由は分かった。ではその女の夫である皇太子は、なぜ同盟の不法入国したのだ? 教えてもらえるか? ……聞いてもらえるだろうか? 髪長姫」
ラインハルトの問いに答えようとしない下男に、公爵夫人が話すよう指示を出す。その仕草は曾祖父に瓜二つであった。もちろん公爵夫人当人は気付いていないが、曾祖父を知る者は皆気付き、懐かしさを感じ涙がこみ上げて来る者もいる ―― この場でこみ上げて来るものがあるのはファーレンハイトだけで、曾祖父に似ているなどと言った日には、破くように脱いだ手袋を叩きつけられ(この時点で骨折必至)決闘を申し込まれることになるが。
「それでは。ことの始まりはそこの男爵令嬢が、皇太子殿下の息子を出産したことです。それにより男爵令嬢の実家が、野心を持ち孫を即位させようと目論みました。完全な妄想なのですが、その妄想は非常に危険なものでありました。御前さまと覇王に、下男であるわたしめが、それらの危険をくどくとと語る必要はありますまい。皇太子殿下はこのままでは国が割れて危険だと考え、ブラウンシュヴァイクとリッテンハイムに国外脱出の手伝いをしてくれるよう頼みます。そこなわたしめに出頭を伝えにきた、貴き一族に連なるお方。驚いていらっしゃるようですが、皇太子殿下は片方だけに依頼したのではありません。反目している両家に依頼し、牽制しつつ利用したのであります。さて頼まれた両家各々、皇太子殿下がいるからややこしくなるのであって、いなくなってしまえば、男爵家とその子息など取るに足らぬと、その計画に乗ってくださいました」
死んだことにして国外逃亡を図った
「もちろんブラウンシュヴァイクとリッテンハイムは善人ではございませんので、その計画に乗じて皇太子殿下を殺害しようと計画、実行いたしました。皇太子殿下はそれを見越し、裏をかいて自由惑星同盟へ。両家を出し抜いたさいに、両家の皇孫に即位の障害となる遺伝子疾患があることを知っていることを伝えました。自分が生きていることの暴露、また妻子に害をなした場合、公表して彼らの外戚たらんとする希望を潰すと脅しました。ただ皇太子殿下が脅したのであれば、両家も恐れはしなかったでしょうが、皇太子殿下の背後には先の公爵がいらっしゃいましたので。覇王はご存じないでしょうが、先の公爵は影の憲兵総監と門閥貴族の方々に恐れられておりました。わたしめのような身分のないものにはお優しいお方でしたが、覇王に逆らい内乱を起こした両家がすごすごと引き下がった事実に、その恐ろしさを感じ取ってくださいませ」
公爵夫人の祖父は憲兵副総監止まりなのだが、これには王侯貴族らしい理由があった。
ゴールデンバウム王朝では慣習として憲兵総監になってしまうと、それ以上「上」の地位には就けないことになっている。
憲兵は新任の際に配属され、そのまま憲兵に居続けた者しかトップである憲兵総監にはなれない。
そして憲兵総監の地位は上級大将と決まっている。
祖父は新任の際に憲兵に配属されれば、憲兵総監まで難なく地位を極めることができたのだが、至尊の座に近い血を持つ男を、上級大将に留めておくわけにはいかない。ゴールデンバウム王家と第三皇女家の血を引いているのだから、元帥の座に就いて貰う必要がある ―― 皇帝からの
馬鹿ならば元帥をくれてやらなくてもと皇帝としても諦めはついたが、士官学校を歴代トップの成績で卒業した親族を、上級大将止まりにするわけにはいかないとして、憲兵副総監にしかなれないように、士官学校と憲兵隊を行き来させ、最終的に幕僚総監と士官学校学長を兼任させることで、元帥就任を同意させた。
士官学校の学長の兼任を条件にしたのは、幕僚総監は名誉職でしかないためである。
祖父はその立場で、古巣の憲兵隊に「性格的に向いている」士官候補生たちを推薦し、憲兵隊に送り込み、その影響力を保ち続けた。
ちなみにケスラーの憲兵隊配属だが、祖父はケスラーが卒業する一年前に学長職を辞しているので、関係していない。
在籍していたらケスラーを憲兵隊に送るような真似はしなかったであろう。
「最初から妻子を連れて逃げようとはしなかったのか?」
祖父に秘密を握られた両家だが、祖父は恐れられると同時に、絶大な信頼も受けていたので、彼らは言われたことを守れば秘密を暴露されないことを理解しており、決して手を出さなかった。
「当初は妻子を連れてゆく予定でしたが、そこの男爵令嬢が皇太子殿下を裏切った……というのはおかしいかもしれませぬが、男爵令嬢は最終的に両親の側につくことを自身でお決めになりました、もちろんご子息を皇太子殿下に渡すことも拒否して。皇太子殿下はその意見を尊重するとともに、公爵家へとやってきて、もしも妻子が逃げたいといったら、出来る範囲でいいので逃がしてやって欲しいと頼み、そこの男爵令嬢にもそのことを伝えて去りました」
賢い皇太子は、蔑ろにされ続けていた妻が、息子を産んだことで初めて両親に振り向いてもらったと錯覚し浮かれている姿を、馬鹿だなと思いはしたが、それも愛おしく感じ、信頼できる相手に頼んでいった。
ただし頼める相手が「馬鹿と共和主義者なら共和主義者のほうがマシだ。馬鹿と弑逆者なら弑逆者のほうがマシだ。死ね馬鹿」と公言して憚らない祖父。
その祖父にあからさまに馬鹿を発病して残ると言い出した男爵令嬢について頼むのだから、あまり積極的ではなく控え目に。
祖父は祖父で、皇太子が賢かったので引き受けたが、皇太子が馬鹿だったら引き受けなかったどころか、両家に売った ―― 皇太子も逃走する際に、自分が取るに足らぬ男であれば祖父に消されるだろうが、それを阻止する策はないと、そこだけは諦めての逃走であった。
世間的にも身内的にもそれほど怖ろしい男なのだが、公爵夫人にとっては「
理由は祖父は馬鹿は嫌いだが、賢い人間は好きで甘くなる。父親と息子、そして孫は祖父から見ても掛け値無しに賢かったので、全く厳しくする必要がなかったのだ。
特に公爵夫人は、妻譲りの三次元チェスの腕を前にして、幸せな気持ちになるだけのこと。
あとは公爵夫人の母親に対しても優しかった。むろん
祖父は賢くなくても優れた一面があれば、それを認めることはできた。その一面が突出していることが条件ではあったが。
余談だが祖父は
要するに曾祖父の母親、すなわちオットー・ハインツ二世の皇后は公爵家の娘で、その公爵家は
「ではその男爵令嬢とその一族は、現陛下を即位させるつもりであったと?」
精神病院で死亡したはずの男爵令嬢がこの場に居る理由は、公爵夫人の祖父が誰かを派遣して助け出させたことは聞かずとも、誰もが容易に想像できる。
「はい。覇王が擁立して即位することが叶いましたが、男爵家一同では立太子すら出来ず終いでございました」
エルウィン・ヨーゼフ二世を立太子しようとするも上手くいかず、腹立たしげにしている両親。その姿を見ていて夢から覚めた男爵令嬢。
息子を助けねばと考えた男爵令嬢は、こともあろうに助けを求めに祖父の所へとやってきた。祖父はこの軽率な男爵令嬢の口から皇太子が生きていることが知られてはまずいと、そのまま捕らえ、一時的に精神錯乱状態に陥らせ、男爵家を説得し令嬢を精神病院へと送った。
これで男爵令嬢が間違って「皇太子が生きている」と発言しても、誰も信用しない下地が完成した。
その後、皇太子との約束通りに男爵令嬢を精神病院から「死亡」という形で助け出し、皇太子が預けていった金で生活できるよう体裁を整えてやった。
息子であるエルウィン・ヨーゼフ二世には近づかないよう言われた男爵令嬢は、来たるべき時のために、その言いつけを守っていたのだが、待てど暮らせど同盟へ逃亡する気配はなく、痺れを切らし下男のもとを目指して、ファーレンハイトに捕まった。
男爵令嬢の失敗はただ一つだけ。夫と一緒に逃げなかったこと。
「であろうな。欲をかかねば幸せになれたであろうものを。親の力量と愛を見誤ったお前が招いた失態だな。折角連れて逃げてくれると言った夫まで欺き。それで同盟へと逃亡し、元皇太子に保護してもらい生活するつもりなのか? 厚顔な女だ」
かつて姉を連れて逃げたかったが、なんの力も手段もなかったために、叶わなかったラインハルトの傷をも抉り、怒気と不快感が混じった視線が投げつけられる。
この場でそのラインハルト以上の怒りを含んだ視線を、男爵令嬢に投げつけているのが公爵夫人。
公爵夫人はエルウィン・ヨーゼフ二世に思い入れもなければ、親戚だという認識もないが、昔よく遊んでくれた執事と黒縁眼鏡の息子なので、それなりに介入するつもりであった。
そのために色々と考えていたのだが、両親が生きているとなると別である。しばし黒縁眼鏡を睨みつけ ―― これから起こるあの誘拐劇でエルウィン・ヨーゼフ二世と一緒に連れ去られた侍女がいたことに気付き、黒縁眼鏡がそのポジションに収まり同盟へと渡れたら良し、誘拐後も新無憂宮にいたら処刑することにした。
細かいことは当然説明できないので、侍女として採用し、最善を尽くせとだけ言い、紙とペンを持ってこさせ皇太子に「執事を解任する」とだけ認め黒縁眼鏡に渡した。
この黒縁眼鏡は公爵夫人の希望通り、エルウィン・ヨーゼフ二世が誘拐された際、共に新無憂宮から連れ去られ、その後、同盟の混乱の中エルウィン・ヨーゼフ二世と共に消えた。
「きっと皇太子が連れていったのだろう。これから幸せになるはずだ」
ラインハルトは行方不明となったエルウィン・ヨーゼフ二世の調査を、一切命じなかった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ラインハルトと公爵夫人は契約結婚である。
契約が満了すると別れることになっており、それを知るのは当事者である二人と ――
「閣下。お心を決めていただきたく存じます」
あと一人事情を知っているオーベルシュタインが、ラインハルトに詰め寄っていた。
「……」
ラインハルトが求められているのは「初恋の人と添い遂げさせよう」なる約束を無効にすること。
「公妃さまは賢いお方ですので、見つけられなかったで、納得してくださいます」
「卿がそれで納得するのであれば」
オーベルシュタインがここまで強硬に言い張っているのは、ラインハルトが「ひっそり行われる大虐殺」を止めたためである。
部下の手際の良さに少々感心し、うっかりサインしかけたラインハルトだが、公爵夫人の言葉を思い出し、暴走気味のオーベルシュタインを諫め ―― 殺さない代わりに、諦めてもらってくださいという流れになったのだ。
「……」
「分かった。もう髪長姫の初恋の相手は探さない、そして誰にも渡さない。それでいいな」
「はい。では閣下、公開プロポーズをしてください」
「卿は一体何を言っているのだ?」
まさかこの男から、プロポーズをしろ、それも公開でと言われるなどとは考えたこともなかったラインハルトは、彼の性質らしからぬ「ぽかーん」とした表情で、真顔のままの年上の部下を見つめた。
銀河帝国の国政の全てが決定される室内の空気がしばし止まり ――
「実は公妃さまから相談を受けました」
「それが公開プロポーズに関係するのか?」
「はい」
「では説明しろ、オーベルシュタイン」
「御意」
ことの始まりは公爵夫人がふと思い立ったことにある。
天気の良いある日「ランニングが滾るわ(意訳)」とばかりに長距離走を楽しんでいた公爵夫人は「シュタインメッツ結婚したかなー」唐突に気になり、幕僚の権限を使い調べた。
シュタインメッツはラインハルトが結婚するまで結婚しないを貫いて、相手がいたのに結婚せずに戦死した男である。
自分とラインハルトが結婚しているのだから、なんの障害もなく結婚しているだろうと、確認の意味を込めての調査だったのだが、公爵夫人の予想に反して結婚はしていなかった。
相手が喪失したのか? と思ったが、なんとも納得いかず。それならば直接聞こうと、シュタインメッツの元へと向かった。
もちろんしっかりとアポイントメントを取り、シャワーを浴びてワンピースに着替えて。交渉事ならば自分の領域に呼びつけるが、これは単なる質問なのでフットワーク軽く訪問。
今の今まで公爵夫人となんの絡みもなかったシュタインメッツは、上司の妻の襲来に割と分かりやすく動揺していた。
彼もまたケスラー同様、若い女の子と縁がないので、上手く話せない一人である。ブルータス、お前もか ―― ここは有史以来もっとも汎用性の高い台詞が添えられるところであろう。
動揺を隠せていないシュタインメッツに「これは好機」と公爵夫人はたたみかけて聞き出したところ、ラインハルトと自分が式を挙げるまで結婚しないと語る。
「お前それだと、結婚しないままで、内縁未亡人になっちゃう!」公爵夫人は思ったが、言えるわけもなく。それからも話を続けると、婚約指輪すら渡していないことが判明した。
もちろん婚約指輪を渡していない理由は、自分の指にあった。
公爵夫人とラインハルトは契約結婚なので婚約指輪を貰うこともなければ、結婚指輪がお互いの左手薬指に輝いてもいない。そのため、真面目で主君に倣う性質のシュタインメッツは、指輪を渡していなかった。
できた内縁の妻もそれは同意していると聞かされたが、そこは自分たちに倣わせるべきところではないと。
そしてこの時まで公爵夫人は軽く考えていた。「ラインハルトに事情を説明して、結婚しろと命令してもらえばいいかもねー」くらいに。
その帰りにカフェに寄り「コーヒー美味い」とまったりとしていたところ、声を掛けられた。
平民に声を掛けられたら笑顔で誠実に返事をすることを心がけている公爵夫人は、聞きたいことがある平民に「答えられることなら」と質問を受け付けた。
「帝国は結婚指輪廃止の方向なのですか? と聞かれたそうです」
帝国というのは、乾杯の際に「ジーク・カイザー」を言うか言わないかで給与に響くことがある社会。
そんな社会では、最高権力者が妻に婚約指輪を渡さず、更に結婚しているのに結婚指輪を身につけてないとなれば、シュタインメッツほどの忠臣でなくとも、倣おうとするのは自然の流れとも言えよう。
公爵夫人は質問してきた相手には、それっぽいことを言って上手く誤魔化したが、このまま夫婦らしからぬ状況を人目にさらし続けてると、厄介なことになるかもしれないと、事情を知っているオーベルシュタインに相談を持ちかけたのだ。
「いままでは閣下と公妃さまが結婚指輪を身につけていないのは、ごく一部の身辺に近づける者しか知りませんでしたが、先だって公妃さまのチェスの試合が放映された結果、指輪を身につけていないことが全宇宙に知られました」
公爵夫人は左利きのため、指輪をはめた形跡のない左薬指がはっきりと映し出されてしまったのだ。
「結婚式は大事のあとで盛大に行うで誤魔化せますが、結婚しているのに結婚指輪がないというのは目立ちます」
「それほど重要なものなのか?」
ラインハルトは公爵夫人は好きだ、プレゼントを渡すのも好きだが、公爵夫人が指輪で喜ぶのか? と考えた時、違うような気がして、プレゼントしようという気持ちが起こらない。
「世間がどう思うかです。結婚指輪を付けていないことで、お二人が不仲だと思われてしまうと、公妃さまがそれに乗じて逃げてしまう可能性があります。それを潰すためにも公衆の面前で婚約指輪を渡すのです」
「……オーベルシュタイン」
「なんでしょう、閣下」
「結婚指輪と婚約指輪は、なにが違うのだ?」
公爵夫人がラインハルトに相談を持ちかけなかったのは、見事な判断だったと言えよう。
「……なるほど」
結婚指輪と婚約指輪の違いに関して説明を受けたラインハルトは、これといって必要性は感じなかったが、この慣習により道が少し開けることも理解したので、
「公爵夫人はわたしが説得いたします。閣下は婚約指輪をお選びください」
オーベルシュタインの意見に従い、婚約指輪を選ぶ作業に取りかかった。
「この中から選べばいいのか? オーベルシュタイン」
「はい」
指輪を新調しようとしたのだが、それでは間に合わないので、賊軍となり破滅した門閥貴族の没収財産から選ぶことになった。
無造作に並べられた眩い指輪だが、ラインハルトは特になにも感じなかった。
ただ、同じような豪華な指輪が収められているにも関わらず、彼の前に並べられなかったケースが気になった。
「それは駄目なのか? オーベルシュタイン」
「はい。これらは物納品です……」
ラインハルトに味方したものの、財産を保護する書面をもらわなかったため、追徴課税がなされ、それが納められず物納された品は対象外。
理由はそれらの惨めな思いを、財産を守り切った貴族に向けるため ―― 身内同士でつぶし合いをさせるのがオーベルシュタインの目的であった。
「なるほど。それらに関しては卿に任せよう。上手くやれ。では俺は、この中から選ぶとするか」
ラインハルトの味方について財産を守った貴族と、そうではない貴族の間にはすでに深い亀裂が生じており、当事者だけではもはや修復不可能な状態となっていたが、ラインハルトはそれらに収拾を付けてやるつもりは、まったくなかった。
公爵夫人は説得されるというよりも「こういったシチュエーションで渡しますので、よろしくお願いします」とオーベルシュタインから説明を受け、すんなりと協力を誓った。
基本公爵夫人は契約を遵守し、それを遂行するためであれば、よほどの非道(例・核による総攻撃)でもない限りは協力を惜しまない。なにせ自分自身から持ちかけた契約だ。自分が守らずしてどうする? といった真面目さもある。
公爵夫人はこの作戦の裏に気付くこともなく、軍務省が用意した生放送で、片膝ついてジュエリーボックスを開いたラインハルトから、結婚してくださいとプロポーズされ、それを受けた。
ちなみに公開プロポーズは、本当にごく僅かな者しか知らなかったため、司会者やカメラマンなどにとっても突然のこと。
目の前で行われたそれに動揺し、変な声を漏らしてマイクに拾われ全宇宙にながされるわ、カメラがぶれて始末書を書かされるなど散々な目に遭いかけたが、ラインハルトが許してやれと鶴の一声で無事に収まった。
公爵夫人は彼らに事情を説明していなかったとは、思ってもいなかったので、なんでそんな可哀想なことをしたのかと尋ねたところ ―― ラインハルトは悪戯が成功した子供のように無邪気に笑った。
その笑顔を前に公爵夫人も笑って終わらせた。